『内村鑑三 所感集』より: 『秋到るがごとくに余は河を懐(おも)う、二個の大なる河を懷う。その第一は石狩河なり。森深く、水静かに、蔦は弓形をなして深淵…
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『内村鑑三 所感集』より: 『秋到るがごとくに余は河を懐(おも)う、二個の大なる河を懷う。その第一は石狩河なり。森深く、水静かに、蔦は弓形をなして深淵…
『もはや「石の心🌟」を持つことがないということは、神の大きな賜物である。人間が神の声に対して心を開き始めると、この事もまた十分よく悟るものである。 🌟エゼ…
『大きな危機が過ぎた後、しばしば人間の考えのなかに、ある全く囚われない、ほとんど人間的なものを越えた評価をもって、自分の生活を過去と未来とにわたって見渡す…
『内村鑑三 所感集』より: 『吾人の実見するところによれば、日本人の「神の国に入るよりは、駱駝の針の孔を⚪️(とお)るはかえって易し」、その虚栄心、そ…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリスト教は善き軍人を作らざるべし、しかれどもキリスト教は善き農民と職工を作る。キリスト教は善き宮廷を作らざるべし、しか…
『内村鑑三 所感集』より: 『われ某軍港に伝道し、巨艦の工を竣(お)うるを見たり。われこれを仰ぎ見て曰く、盛んなるかな、日本帝国と。われ某地方に伝道し…
『内村鑑三 所感集』より: 『われ某軍港に伝道し、巨艦の工を竣(お)うるを見たり。われこれを仰ぎ見て曰く、盛んなるかな、日本帝国と。われ某地方に伝道し…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリストの教えは十字架の教えなりという。しかり。しかれど十字架を仰ぐ教えにあらず、またキリストを唱うる教えにあらず、身に…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリストは教法師(今のいわゆる神学者)とならんと欲してなるを得たまえり、しかれどもなり給わざりし。キリストは会堂の宰(つ…
『内村鑑三 所感集』より: 『伝道は道を伝うることにあらず、自己を虚(むな)しゅうして他(ひを)充たすことなり。自己の霊魂を傾注してこれを他の霊魂に注…
『夫あり、妻あり、しかしてぞの間に一人の子あり、秋宵静かなる頃、彼ら三人灯火を囲みて座し、首(こうべ)を垂れて神に祈る、これ幸福なる家庭なり。その時主は彼…
『我々の隣人達に十分公正である事は、必ずしも容易く出来る事ではない。何故なら、我々はあるがままに、あるいは少なくとも彼らがありうるように、見ることは決して…
『もしも貴方が(自ら求めないのに)貴方のキリスト教信仰のために攻撃され始めたら、大いに喜ぶがよい。何故なら、その時貴方は、もはやこの世の奴隷から解放されて…
『内村鑑三 所感集』より: 『山の静かなるは佳(よ)し、然れども真理の静かなるにしかず。海の広きは佳し、然れども真理の⚪️(ひろ)きに及ばず。涼風膚(…
『内村鑑三 所感集』より: 『秋よ来れ、汝の燈火と新著述を持て来れ。他人(ひと)は活動せんとする時に我は汝と共に黙考せん。我は汝の清空に我が心を洗わん…
『内村鑑三 所感集』より: 『信仰は先に主観的にして後に客観的なり。先に客観的にして後に主観的なるにあらず。信仰は衷より起こる、外より起こらず。神の霊…
『内村鑑三 所感集』より: 『組合教会員はおる、キリスト信者はおらない。メソジスト教会員はおる、キリスト信者はおらない。「日本キリスト」教会員おる、キ…
『「我ら全てを拘束する卑属は、 彼のはるか彼方、実体のない仮象の中に存していた。」 ゲーテがシラーの死に捧げたこの追悼の詩は、人がおよそ教育の理想や…
『もう全く働かなったって老人達は、ともすれば自分を余計者と感じがちで、この辛い意志のために怒りっぽく、口喧しく成るか、それとも、彼らに幾らかの権力と意義を…
『内村鑑三 所感集』より: 『余輩は外国宣教師にあらず。またその雇人にあらず、また教会の教師にもあらず、故に余輩は人に信仰を哀求せざるなり。信ぜんと欲…
『けれども、疑いもなく、真の勇気は、ただ徐々に、しかも苦しい日々のうちにのみ学び得られるものである。さらにまた、およそ正しい人生観を得たり、人間の型が大きく…
『信仰というものは、もとより、自分で自分に与えることはできない。一五二七年の『キリスト子城市法』に述べらてあるように、信仰は「われわれの分にすぎた神の恩寵』…
『このような勇気は、今日われわれが最も必要とするものであり、また、それは真のキリスト教のまごうかたなき印でもある⭐️。その全てが神より高い力に支配されている…
『大きな危機が過ぎた後、しばしば人間の考えの中に、ある全く囚われない、ほとんど普通の人間的なものを超えた評価をもって、自分の生活を過去と未来にわたって見渡す…
『神が人間に「宿る」ことができるためにはまず原則的に捨て去らねばならぬものは、享楽と、名誉と、そして人間への依頼心とである。ところで、このようなものをひとた…
『もしあなたが(自ら求めないのに)あなたのキリスト教信仰のために攻撃され始めたら、大いに喜ぶがよい。なぜなら、その時あなたは、もはやこの世の奴隷から解放され…
『われわれの時代のさまざまな害悪に接しながらも、自分ではあまり痛切に苦しむ必要のないような人達は、多く、そうした害悪について暗い考察をめぐらした末に、好んで…
「われらすべてを拘束する卑俗は、 彼のはるか彼方、実体のない仮像の中に存していた。」 『ゲーテかシラーの死に捧げたこの追悼の詩は、人がおよそ教育…
『さて親愛なる諸君よ、以上のことが実現されるまでは、とにかく諸君はこれらすべての道の中から、諸君の道を選ばねばならぬーー真理に対する諸君自らの認識のため、諸…
『立派に人生を生き抜き、とくに、平凡にただ生活を維持するだけでなく、より偉大な人生の目的を見失わないためには、どうしてもある種の感激が必要である。実際、人生…
『ただこのような世界観によってのみ、さらに進んで、大規模な正義と平和とが総じて可能になる⭐️。この世界観がなければ、事実上、不断の惨憺(さんたん)たる生存競…
『苦しみは人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするに過ぎない。勇敢に堪え忍ぶ苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、すべての苦難は、…
『すなわち、ここに「道と真理と生命(いのち)⭐️と」があり、ただ頭の中の幻想ではない。歴史に根底を置く、真実の哲学がある。ついでに言うが、この道は多くの案内…
『内的生活においては、鉄を鍛える場合と成り行きがよく似ている。内的人間も、くり返し時おり火の中に入れられ、それから槌で急激に打って鍛えなければならない。これ…
『ところで、キリスト教の揺るぎない真理と偉大な生命力との証拠は、その直接の敵対者を常に征服してきたことだけではない。ーーこれはむしろ大したことではなく、いや…
『人間の共同生活を非常に楽(らく)にする気持ちのよい性質は、できるだけ他人の願いによろこんですぐに応じるような、ある種の親切な行為と気軽さである。ところが人…
『そこでまた、われわれの心になお何物かが残って、時々こう抗議するだろう。おそらく一切は感覚的の知覚できない単なる「形而上学」であり、要するに人間とまたその生…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常にお大きな意味を持っている。なぜなら、たいていの人は、彼らを指導してくれる他人を求め、そういう自信に満ちた指導者…
『それゆえ旧約聖書は、この関係を常に、双方に権利のある契約にたとえている。自分の方からこの契約を正直に守ろうと思う者は、自分の権利をあまり強く主張する必要は…
『出エジプト記二ー四、詩篇110の1・2。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇110の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つこと…