『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛されんと欲するなかれ、ただ愛せよ、十字架の上よりも愛せよ。愛するは愛せらるるよりも、幸福なり。我らは愛せらんと欲するも愛…
『死の観念は、若い人達にとっては大抵恐ろしいものであるが、正常の状態になり、また、良心の不安がこれに加わらなければ、死ぬ確かさを増すにつれた、恐さは失われて…
『余は如何にして基督信徒になりし乎』、内村鑑三・百九頁以下:
第六章 基督教国の第一印象 『余が基督教国と英語国民とを特別の尊敬をもって眺めていたことは余としては全く弁解のできない弱点ではなかった。プロシア…
『ルカによる福音書一一の三六🌟について、我々に起こり最も善いかつ最も決定的な事柄に、常に電光のような性質を帯びるものがある。それは、恩寵の光線であり、別世界…
『我々は皆、生まれながら「怒りの子」(エペソ人への手紙二の三)である。これは自然のままの人間にあっては。老年になるといよいよはっきり現れれきて、そのため多く…
第五章 世の中へーー感傷的基督教 『それゆえ、見よ、私は彼女を誘(いざ)なって、荒野に導いて行き、ねんごろに彼女に語ろう。その所で私は彼女にその…
『普通は、我々が自分を知っている以上に、人々は我々をよく知っているものである。一般的に言えば、利益の打算に眼が眩(くら)んでいなければ、全ての人はこの点で、…
『かなり落ち着いて観察をすることのできる人々にとっては、ある印象を受ける第一印象こそ、最も正しく、常に標準となるものである。落ち着きのない、冷酷な、あるいは…
キリスト教的生活の規範: 『愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬を持って互いに相手を優れた者と思いなさい。…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』、内村鑑三・八六頁以下:
『九月二日 Aー製材場に兄弟T🌟と出立せり。余は、夜、説教せり。 九月三日 朝、Aー製材場を辞す。H氏方に泊まり、説教せり。製材場に於ける前途…
『社交についても、他の多くの事柄と同じように、ただ、節度を守るということだけが正しい態度である。絶え間なく人と交際していれば、誰でも精神的な害を受けずにはす…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』、内村鑑三・八〇頁以下:
十一月十五日 火曜日 W及びOと午後三時に会合し、教会に就き相談す。全会衆四時に会し、教会の将来に就き議す。ーー教授C博士の送られし米国金一百ドル(💲…
『苦しみ悩む者は、自分で苦しんだことのない人達に、決して信頼しない。もし我等の主が十字架上で死なず、彼の生涯の牧歌的な状態が、悲劇的な結末もなくあのまま続い…
第四章 新教会と平信徒伝道 『我々が我々のカレッジを卒業するや否やめいめい一ヶ月三十円の給料のある地位を提供された。我々は実用科学を教えら…
『人は人生のある時期に一度悪意に満ちた中傷や誹謗を散々忍ばねばならなかったなら、その後は、他人の誉めあげる言葉などを殆ど受けつけなくなる。このような魂の汚れ…
第 一 部 『時は夏でございますし、処は山の絶頂でございます。それでここで私が手を振り足を飛ばしまして私の血に熱度を加えて、諸君の熱…
『楽しき安息日学校よ! 我々に貴きことは いと麗しき宮殿高楼にまさる、 我が心は常に歓喜をもって汝に向かう 我が愛す…
『とりわけ優れた人々でさえ、その生涯の大部分の間、彼らがまさに受けるに値するよりもより多くの善きものを与えらている。そればかりか、大多数の人々は概ね、その全…
『三月三十一日 面倒となりつるあり。委員会、夜、開かれ、新建築の計画を放棄するに決す。 実は我々が買う申し込みをした地所が得られないことになったのであ…
『朝、目覚めて直ぐ、今日もまた自分が負わねばならぬ十字架のことを思うと、それは自分にはあまりにも重いように思われることがしばしばあろう。また、その日に、さら…
『余は如何にして基督信徒となりしかし乎』、内村鑑三・五八頁以下:
『一八八一年一月三日 『バルマイラ🌟』より招待。よる九時まで「ゲーム」と籤(くじ)。 我々が基督信徒学士達は彼らの家庭を持っていた。その数人が一つ屋根…
『ヨハネによる福音書四の二四、六の六五、九の三九、一四の六🌟について、我々は、この世の生活では、神は何であるかを知ることができない。同様に、キリストや聖霊が…
『十二月二十五日 十時半に集会。我々のSに来たりて以来最大の愉快な(聖なる)。 これは真の感謝の集まりであった。茶も菓子もこの集会にはなかった。あった…
『ヨブ記について、摘要。ヨブは最初に、彼の友である神に、どんなことがあっても固く依りすがろうという決心に達して、心の落ち着きを得た。しかしその時は、まだ神…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』、「内村鑑三」四六頁以下:
『一八七九年の夏を余は、カレッジ所在地の南方約六百マイル、首都にある我が家で過ごした、善良なフランシスがその旅行に余と同行した。余がこの長途の旅行をするにあ…
『私はキリスト教を、最初はむしろいくらか実際的に、それも軍務から類推して理解していた。そこで、私に一番興味のある聖徒は、ペテロやパウロではなくて、カベナウム…
『余は如何にして基督信徒になりし乎』、内村鑑三・四〇頁以下:
『十二月一日 H氏を通じ、「メソジスト」監督教会に入会せり。 我々の愛する宣教師に、牧師H氏が再び町にあった、そして我々は彼の教派や他のいわゆる教派について…
『およそ神を信じないと思うならば、神の義と愛とを堅く信じなくてはならない。というのは、神のそのような属性がないとすれば、神は我々にとって一つの災い、それもこ…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』・内村鑑三:三一頁以下:
第三章 初期の教会 『今や我々は洗礼を受けた以上は、新しい人であると感じた、少なくともそう感ずるように、またそう見えるように努めた。一ヶ月以…
『ジェノウ“ァの聖女カタリナが「自らの悪しき部分(自我)じゃ。己の名を呼ばれるために喜び」と言ったのは正しい。非難をこめて呼ばれる時でさえ喜ぶのである。我々…
第二章 基督教に接す ある日曜日の朝、余の級友一人が余に尋ねた、君は僕と一緒に『外人居留地の某所』へ行きたくがないか、『そこで我々は美しい女の人…
『確かに、この世には多くの悲惨がある。しかし正しいところに助けを求めるなら、それに対する力強い助けも少なくない。そして拒みさえしなければ、悲惨からの完き救い…
奨 励 誠実、心の真の有りのまま、これ常に如何に貴いかな! 実際に自己の心の中に存することを語るもの者は、その方法の 如何に拙劣なるも、…
『誠実は本来、とりわけ美しい大切な性質である。それは実に動物すら高いものにし、彼らをほとんだ人間並みの価値と品位にまで高めるほどである。誠実が全く欠けている…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三七〇頁以下:
『死後、その他の人達がどうなるか、我々には分からない。聖書でさえこれについてじゃ多くを語っていないし、その上、全然矛盾が無いわけでも無い🌟。いずれにしても、…
『祈ろうとする時は、まず私たちが持っているものに感謝をもって始めねばならない。そうすると心が祈りに相応しい気分に導かれる。次に自分の意志を神に委ね、最後にそ…
【複製】カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三六二頁以下:
『もちろん、老年になってもなお、ちゃんと順当に前進できない時期が、時には訪れることもある。ただより高く登れないばかりでなく、総じて進歩しないのである。そいう…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三六二頁以下:
『もちろん、老年になってもなお、ちゃんと順当に前進できない時期が、時には訪れることもある。ただより高く登れないばかりでなく、総じて進歩しないのである。そいう…
『「敵を愛する」というのは、キリスト教の教義が大いに自慢の種にする美しい言葉である。しかし、キリスト教徒の実践を見ると、彼らが敵を愛するのを必ずしもあまり多…
🔴好機、再び来らずーー人生転機を見抜く才覚、生かす才覚 1 勤勉の中に「ひらめき」あり 『偶然のなりゆきで偉大な業績が生まれるためためしは滅多にない。…
2 生きることを精一杯楽しむ方 偉大な人物はそのほとんどが明朗で、人気や財産や権力を望まず、現状に満足し、人生をエンジョイし、喜ばしいことを敏感に感じと…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三六〇頁以下:
二 『老年になる前に、「より高きを目指す」境地に達することは、少なくとも極めて大多数の人々にとっては、ちょっと出来そうにも思わ…
『真実を語るという事は、特に真実に対して熱心な多くの「道学者」が考えるほど、さように容易ではない。 まず第一に、まだその人の思想生活がこの世の事物から強く影…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三五八頁以下:
『ただ道徳的生活で自分自身を満足させるか、もしくは他人の喝采を博するか、それとも神の喜ばれようとするか、この三つの道は、実際生活で大きな違いを生ずる。人は多…
『どんなに堅固な信仰でも、時折、繰り返し、あらためて吟味され、いわば、ゆり覚まされねばならない。そうでないと、信仰は退化しがちで、単なる教団感情となり、しば…
『内村鑑三 所感集』より: 『伝道の方法を講ずる者多し。しかれども余輩はその浅慮に驚かざるをえず。伝道唯一の方法は福音ありのままを確信してこれを餓えたる社会…
『内村鑑三 所感集』より: 『真理は一種の破壊者なり、真理の破壊性を懼れてその伝播に従事する難し。真理はよく毀(こぼ)もてよく建つる者なり。世に焼かざるの火…
『内村鑑三 所感集』より: 『真理はそのもの自身の証明者なり。真理はまたそのもの自身の拡張者にしてかつ保存者なり。単純なる真理そのものを伝えて吾人はその衰退…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三五〇頁以下:
『真の祈りは、「聞き入られること」それ自身の内に含んでいるが、それはまず、人間の心が改めて神にすっかり自己を委ねようとする意志行為である。そこから、事態に添…
『実際の苦悩と苦痛に対しては、いつでも神の助けを得る事が出来る。しかし、ただ自分で想像しただけの、あるいは大袈裟に考えられた苦しみに対しては、助けが得られな…
『「キリスト論」、これは実際奇妙な言葉である。という事は、躊躇なく縁を切るのがよい。まず、仮にキリストが我々と同じ種類の、同じ生活条件をもった人間であるとす…
カール・ヒルティ、『幸福論』・「より高きを目指して」三四七頁以下:
『このような霊の力は、期せずして自ずから人々に及ぼす感化(これこそ人間の真の偉大さの目印である)を別とすれば、祈りの力強さのおいて発揮される。祈りが我々自身…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三四四頁以下:
『およそそのような事は、元来もはや信ずるということではなくて、この世の短い限られた生命と存在を超えた或るものを垣間見ること、少なくともそれを生き生きと体験し…
『人生において、何よりもまず知らなければならないのは、自分が何を本当に成し遂げたいかである。そして遂にそれを知り得たなら(そのために人は通常、生涯の半ば以上…
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『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛されんと欲するなかれ、ただ愛せよ、十字架の上よりも愛せよ。愛するは愛せらるるよりも、幸福なり。我らは愛せらんと欲するも愛…
『内村鑑三 所感集』より: 『教会を作ること何ぞ易き、教会を作ること何ぞ難き、木と煉瓦との教会を作ること何ぞ易き、人と霊魂との教会を作ること何ぞ難き。余輩無…
『貴方は堅固な心を得ようと努めなければならない。既に数千年前に記されているように🌟、たちまち傲慢になったり、たちまち元気を失ったりことのない、堅固な心を。 …
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書や極めて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。と言うのは、そ…
『内村鑑三 所感集』より: 『ユダヤ国に芽を萌せしキリストの福音はユダヤ国の滅亡と共に滅びず、ローマに生長してローマの衰亡と共に衰えず、米国に繁茂して米国の…
『内村鑑三 所感集』より: 『恩恵の露、富士山頂に降り、滴りてその麓を潤し、溢れて東西の二流となり、その西なるものは海を渡り、長白山を洗い、崑崙山を浸し、天…
『マタイによる福音書二四の一一・一二・三五🌟、二五の二一、二六の四一。 これらの事は現代の特徴である。貴方はそれをあらかじめ覚悟して、それに対処しなければな…
『我々が自ら幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないということは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの次の言葉の方が…
『内村鑑三 所感集』より: 『「エホバはこれまで我を助け給えり。」我が今日あるをえしはエホバによりてなり。我はエホバを棄て去らんとせり、されど彼は我を去らし…
『内村鑑三 所感集』より: 「神の命これ従い、神に導かれ、神に養わる。われに計画あるなし。したがって責任あるなし。餓死の恐怖あるなし、⚪️⚪️⚪️⚪️(てん…
『内村鑑三 所感集』より: 「キリストはわれを義とする事で者にあらず、わが義なり。わが義なるが故についに我を義とする者なり。キリストは我を救う者にあらず、…
『内村鑑三 所感集』より: 「年は改まれり。しかれども我が福音は改めるざるなり。我が福音は十字架の福音なり、罪の購(あがな)いの福音なり。肉体復活の福音なり…
『マタイによる福音書一一の二七🌟。誰でも神やキリストを直接的な啓示によるほかに知るすべはない。それにも関わらず、こんなにもおびただしい神学やキリスト論が書か…
『人間の経歴などというものは、実は大きな幻影にすぎない。そのなめらかな表面に隠されてものは、誰も見ないし、また見ようともしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『私は最早何事をも怖れまい。それはこの世界並びに人生には、いつも完全ということの以外に、不完全というもののないよう宇宙真理が出来て居るからである。否 この真…
『内村鑑三 所感集』より: 「進まんのみ、進まんにみ。褒めらるるも、誉められざるがごとくに進まんのみ。謗(そし)らるるも、謗られざるがごとくに進まんのみ。た…
『内村鑑三 所感集』より: 「教会にある者必ずざしも神を識らず、教会の外にある者必ずしも神を非認(いな)まず。神を識る者は教会の中にあり、またその外にあり…
『信念 それは人生を動かす羅針盤の如き尊いものである。 従って 信念なき人生は、丁度長途の航海のできないボロ船の様なものである。かるが故に 私は真理に対し…
『内村鑑三 所感集』より: 「余輩は名について争わず、実について争う。「仏陀」なりとて斥けず、「キリスト」なりとて迎えず。余輩は万物の中に充満する愛の心を遵…
『内村鑑三 所感集』より: 「我らの心霊の友はウエスレーなるよりもむしろ法然なり、ムーデーなるよりも親鸞なり。宗教の同じきは信念の傾向の同じきにしかず。我ら…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…
忍耐力と知恵を生む最高の「母胎」 『朗らかな性格は人生の喜びをもたらすもとではあるが、同時にそれは自分の性格が傷つくのを防ぐ大切な役目も果たしている。 「…
『オバデア書一二、ミカ書七の七ー11、ナホム書一の7ー12。これらの古代の預言者の言葉は、職業上これらの章を読むことのない一般の人には親しみがうすいかもしれ…
陽のあたる道を選ぶか、日陰の道を行くか 『陽気で朗らかな性格は生まれつきのものと言えるが、他の習慣と同様に訓練によって開発されていくものである。充実した人…
『マタイによる福音書一八の六・七・一〇、一二の36、二五の四〇、一七の二七、ルカによる福音書六の四五、九の五四・五五・五六、一〇の五、一二の一五・二九、一四…
この”心がまえ“が人生の重荷を半分にする 『この世には、非常に楽天的で、何を見てもよい面しか目に入らぬ人がいるものだ。 この人たちにとっては、挫折してしま…
『もしもわれわれが人間の事情を同情をもって見ることができないなら、世間との接触はわれわれの内的人間を必ず害する。これが、修道院生活を正当化する理由である。も…
人生は自分の選んだとおりに“姿"を変えてくれる 『悪い考えを避けてよい考えに従うかどうかの選択しだいで、意固地で心の曲がった人間にも。あるいはその反対にも…
『現代のすっかり倒錯した宗教教育は、神を愛することは全然教えず、せいぜい神を恐れることしか教えない。その裏には、実は神への恐れから解放され得たなら、その方が…
『この幸福は一つの現実であり、一つの事実である。そのほかのあらゆる幸福の夢のように、想像が描いた単なる絵ではない。この幸福の夢からは、若いうちはともかく、少…
『キリスト教は、完全な人々の社会ではなく、弱い人々の社会、己の弱さを知って、しかもその道によって前進し、正しい生活の入ろうという善き意志をそなえた人々の社…