静岡県島田市船木(ふなき)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、墳頂に庚申塔(こうしんとう)が建てられた未発掘の円墳です。単独で築かれた中規模の円墳で、主体部(埋葬施設)は石室以前の木棺直葬(もっかんじきそう、もっかんちょくそう)の可能性があります。主体部(埋葬施
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
戦国時代 徳川家康が高天神城包囲のため築かせた 獅子ヶ鼻砦跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石(おおいし)の獅子ヶ鼻砦跡(ししがはなとりであと)は、安土桃山時代(戦国時代)の天正8年(1580年)に徳川家康が遠江(とおとうみ、静岡県西部)へ侵攻した武田氏の高天神城(約3.3km西側)を包囲するため築かせた砦のひとつです。菊川市営の宿泊
江戸時代 4,000石の旗本 本多日向守の代官 国指定重要文化財 黒田家代官屋敷 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川862-1)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の黒田家代官屋敷(くろだけだいかんやしき)は、主屋(おもや)・長屋門(ながやもん)・米蔵(こめぐら)・東蔵(ひがしぐら)・西蔵(にしぐら)・水濠(すいごう)が国指定重要文化財です。黒田家は代々武家で、室町時代後半(戦国時
徳川家康が築いた砦の斜面に分布 獅子ヶ鼻砦横穴群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石(おおいし)の獅子ヶ鼻砦横穴群(ししがはなとりでよこあなぐん)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半(7世
江戸時代 東海道島田宿と大井川川越しの展示 島田市博物館本館1階 常設展示室 (静岡県島田市河原1-5-50)
静岡県島田市河原(かわら)の島田市博物館本館は、国指定史跡 島田宿大井川川越遺跡(しまだしゅくおおいがわかわごしいせき)の南西に所在する施設です。江戸時代の東海道島田宿は、掛川城のある城下町(じょうかまち)の掛川宿(かけがわしゅく)よりも人口が多く、大井川の川越
谷に掘られた2群8基の横穴墓 春日山横穴群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草字馬場)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草(たなくさ)の春日山横穴群(かすがやまよこあなぐん)は、春日神社東側の谷に分布する2群8基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前
堤城跡周辺の丘陵尾根に築かれた円墳 八幡ヶ谷古墳群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の八幡ヶ谷古墳群(はちまんがやこふんぐん)は、丘陵尾根に築かれた円墳です。菊川市の丘陵は、尾根に古墳群・斜面には横穴群が集中しています。戦国時代の永世年間(1504~1513年)、守護大名・戦国大名 今川氏親(いまがわ
春日神社裏山の横穴墓 志味堂横穴群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の志味堂横穴群(しみどうよこあなぐん)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。志瑞谷から堤・下組方向に開口する谷に分布。「春日神社裏山」「志瑞公民館の西側」「隧道周辺」「志味
江戸時代 幕府に直訴して処刑 中条右近太夫の供養塔 井の宮神社 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)嶺田1-1)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)嶺田(みねだ)の井の宮神社(井之宮神社、井宮神社)には、江戸時代前期に嶺田用水建設を幕府に直訴(じきそ)した、中条右近太夫(ちゅうじょううこんだゆう)の供養塔があります。徳川家康ゆかりの用水建設計画であったため許可されましたが、寛永3
獅子ヶ鼻砦跡の南に分布 ネット初公開 興勝寺横穴群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石 生仁場橋の南西)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石(おおいし)の興勝寺横穴群(こうしょうじよこあなぐん)は、丘陵の南向きの崖に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。興勝寺1号横穴からは、須恵器が出土しています。静岡県内には約3,000基の横穴墓が分布しており、
今川義忠,徳川家康の山城 広厳城跡? 潮海寺遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)潮海寺字堂橋 高野山真言宗 広厳城山 潮海寺)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)潮海寺(ちょうかいじ)の高野山真言宗 広厳城山 潮海寺(ちょうかいじ)は、奈良時代に行基(ぎょうき)が開いたとされています。平安時代には坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)が寺領を寄進したとされ、多くの名僧高僧を輩出した有力な寺院
戦国時代 武田氏の諏訪原城を監視するため徳川家康が築造 火剣山砦 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)富田 火剣山)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)富田(とみた)の火剣山砦(ひつるぎさんとりで)は、安土桃山時代(戦国時代)の天正3年(1575年)に徳川家康が築きました。砦がある標高282.6mの火剣山(ひつるぎさん)山頂から、約1.5km離れた武田氏が支配する諏訪原城(すわはらじょう)の兵の動きを
平安時代末期から鎌倉時代(12~13世紀) 灰釉陶器,山茶碗,仏具,瓦を焼いた 皿山古窯跡群 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田(わだ)の皿山古窯跡群(さらやまこようせきぐん)は、平安時代末期から鎌倉時代(12~13世紀)にかけて、灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)・仏具(ぶつぐ)・瓦(かわら)などを焼いていた窯跡です。平成14年(2002年)の排水路建設
戦国時代 日吉丸(豊臣秀吉)が仕えた松下加兵衛の城? 掘田城跡(松下城跡) (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)西方)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)西方(にしかた)の掘田城跡(ほったじょうあと)は、曹洞宗 拈華山 正法寺(ねんげざん しょうぼうじ)西側の丘陵の細尾根に築かれた山城です。松下城跡とも呼ばれ、遺構(曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、十数条の堀切(ほりきり))が確認できます。室町
古墳時代後期以降の横穴墓37基 杉森横穴群(内田の横穴) (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田杉森)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田(なかうちだ)の杉森横穴群(すぎもりよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られた36基または37基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で構成されています。別名は「内田の横穴」です。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市の横穴墓は、古
馬具,刀,玉類,銅鏡,土器が出土 古墳時代後期(6世紀前半) 横穴式石室を有する円墳 県指定史跡 大門大塚古墳 (静岡県袋井市高尾字大門776-1)
静岡県袋井市高尾(たかお)の県指定史跡 大門大塚古墳(だいもんおおつかこふん)は、古墳時代後期(6世紀前半)に築かれた横穴式石室を有する円墳です。市内最大級の円墳で、直径約25m、高さ約4.5mの規模。幅5~6m、深さ約1.5mの周溝が巡っています。明治16年(1883年)と昭和61
鎌倉時代 長沼五郎宗政の居城 長沼古城(長沼砦) (静岡県静岡市葵区長沼1丁目,沓谷 愛宕霊園)
静岡県静岡市葵区長沼(ながぬま)・沓谷(くつのや)の長沼古城(長沼砦)は、鎌倉時代に御家人 長沼五郎宗政の居城だったとされる場所です。愛宕霊園になっている観音山(茶臼山)山頂周辺に2~3段の曲輪と、西側の愛宕山砦(愛宕砦、長沼塁)との間に堀切が設けられていたと推測さ
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する古墳 白山神社古墳(山神古墳) (静岡県静岡市駿河区大谷字片山896 白山神社)
静岡県静岡市駿河区大谷(おおや)の白山神社古墳(山神古墳)は、国指定史跡 片山廃寺跡(奈良時代の寺院跡)の南東に鎮座する白山神社境内に単独で所在。古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する古墳が、一部残存するようです。白山神社古墳(山神古墳)?
移築された塔作8号墳 横穴式石室 古墳時代終末期の横穴式石室墳19基 塔作古墳群 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)庵原3000 庵原球場多目的広場)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)庵原(いはら)の塔作古墳群(とうさくこふんぐん)は、古墳時代終末期(7世紀前半頃~8世紀初め頃)の築造と推定される、墳丘がほとんど無い横穴式石室墳19基で構成。現在の庵原球場 一般駐車場付近に分布していました。残存状況の良かった塔作8号
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳20基以上 星久保古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂口,星久保,堂ヶ谷)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂口・星久保・堂ヶ谷の星久保古墳群(ほしくぼこふんぐん)は、滑走路の下を南北に貫く静岡空港横断道路「空港トンネル」南側の、丘陵斜面(東西約650m、南北約300mの範囲)に分布しています。20基の円墳が確認されていますが、ほとんどが茶園
戦国時代 徳川軍に敗れた武田兵の墓? 坂部の中世石塔群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部 加茂神社の裏山)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)には、謎の中世石塔群(ちゅうせいせきとうぐん)があります。昭和53年(1978年)秋、加茂神社裏山で農道建設のため草ボタを掘り起こしました。五輪塔(ごりんとう)20基余りが掘り出され、遺骨が1つの甕(かめ)に8分目くらいと小蓑に
前方後円墳または円墳1基と円墳12基 大門山古墳群 (静岡県袋井市高尾字東谷)
静岡県袋井市高尾(たかお)の大門山古墳群(だいもんやまこふんぐん)は、丘陵端部河岸段丘上(標高約30~40m)に分布する古墳13基で構成されています。大門山13号墳は前方後円墳または円墳で、他の12基は円墳です。発掘調査は行われていませんが、何基かはすでに掘られているよ
丘陵尾根に単独で築かれた円墳 踊原古墳 (静岡県掛川市満水字踊原 逆川高区配水池の北東)
静岡県掛川市満水(たまり)の踊原古墳(おどりはらこふん)は、丘陵尾根(標高約73m)に単独で築かれた直径約10mの円墳です。周辺の丘陵上には、多くの古墳が分布しています。踊原古墳
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静岡県島田市船木(ふなき)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、墳頂に庚申塔(こうしんとう)が建てられた未発掘の円墳です。単独で築かれた中規模の円墳で、主体部(埋葬施設)は石室以前の木棺直葬(もっかんじきそう、もっかんちょくそう)の可能性があります。主体部(埋葬施
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 地福山 種月院(しゅげついん)は、坂本龍馬を暗殺した京都見廻組 今井信郎(いまい のぶお)の碑がある事で知られています。種月院周辺では、開墾して茶園を造った際に多くの古墳が発見されたそうです。埋蔵文化財として登録されていない
静岡県島田市船木(ふなき)の新ノ宮古墳群(しんのみやこふんぐん)は、円墳6基で構成。新ノ宮2~6号墳は、昭和45年(1970年)頃に茶園開墾で消滅しました。唯一墳丘が残る新ノ宮1号墳は、直径21.3m、高さ2.1mの円墳です。墳頂に稲荷社(いなりしゃ)の祠(ほこら)が祀(まつ)られ、
静岡県島田市船木(ふなき)の南原古墳群(みなみはらこふんぐん)は、7基以上の古墳がありました。残存しているのは民家の庭にある円墳1基だけで、南原古墳とよばれています。発掘調査が行われていないため、詳細不明です。直径10m以下の円墳で墳丘が高く、古墳時代後期(6世紀
静岡県島田市阪本(さかもと)の森下古墳群(もりしたこふんぐん)は、東洋最大規模の茶園が広がる牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基で構成。文献によって、森下古墳群が谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)に含まれて
静岡県島田市阪本(さかもと)の高根森古墳群(たかねもりこふんぐん)は、古墳11基以上で構成されています。高根森2号墳は、古墳時代後期(6世紀末)に築かれた疑似両袖式(ぎじりょうそでしき)の横穴式石室を有する円墳。大正4年(1915年)3月、装飾大刀(そうしょくたち)・金銅装
静岡県島田市大草(おおくさ)の仲山経塚(なかやまきょうづか)は、丘陵の頂上付近に築かれた経塚です。経塚からは、中世(平安時代後半から戦国時代(11世紀後半頃~16世紀後半頃))の陶質土器(とうしつどき)が出土しています。仲山経塚
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の山ヶ谷古墳(やまがやこふん)は、明治時代の終わり頃 山林の茶園開墾中に三環鈴(さんかんれい)が出土しました。三環鈴はとても珍しい古墳時代中期(5世紀頃)の馬具で、これまでに県内では2例しか出土していません。山
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝間(かつま)の法士古墳(ほうじこふん)は、丘陵上に築かれた円墳です。昭和37年(1962年)、茶園改植で成長の悪い茶樹の下を深さ30~40㎝掘ったところ、土師器 高坏(たかつき)と直刀(ちょくとう)が見つかりました。直刀は長さ104㎝・柄(つか)
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県磐田市匂坂新(さぎさかしん)の欠山古墳群(かけやまこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の古墳6基(前方後円墳1基、円墳5基)で構成。欠山1号墳は、
静岡県島田市元島田(阿知ケ谷・御仮屋・松葉町)の白岩寺古墳群(はくがんじこふんぐん)は、白岩寺山(標高約160m)中腹の南側から南西側にかけての斜面に分布。密集した古墳20数基で構成される後期群集墳です。発掘調査が行われた白岩寺1~4号墳は、古墳時代後期(6世紀)に築造
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)・手越(てごし)の金山古墳群(かなやまこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀後半)から終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳6基以上で構成。南北に細長い丘陵(金山)の、日蓮宗 照永山 妙音寺の境内と南側に続く尾根に分布し
静岡県焼津市栄町・焼津(塩津・道下・道添)の塩津古墳群(しおつこふんぐん)は、大井川水系が形成した沖積平野(ちゅうせきへいや)の焼津微高地上に分布。焼津東小学校周辺から焼津郵便局周辺にかけて埋没していた、古墳時代後期(6世紀中葉)から終末期(7世紀)の古墳7基(道下
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の榛原公園(はいばらこうえん)は、龍眼山城跡(りゅうげんざんじょうあと)です。龍眼山(標高76m)の山頂付近に築かれた平山城(ひらやまじろ、ひらやまじょう)で、遺構は曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・堀切(ほりきり)。戦国時代、
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の松雲寺古墳群(しょううんじこふんぐん)は、曹洞宗 西河山 松雲寺の境内と周辺に築かれた円墳6基で構成されています。少なくとも円墳5基は、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する古墳です。発掘調査では、須恵器、大刀(た
静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川(きっかわ)の吉川氏館跡(きっかわしやかたあと)は、鎌倉幕府御家人 吉川氏の居館跡(きょかんあと)です。平安時代末期の寿永2年(1183年)頃、源頼朝から駿河国吉河荘を所領として与えられた豪族 入江(いりえ)氏が地名の吉河(吉川、吉香)を名
静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川(きっかわ)の吉川氏館跡(きっかわしやかたあと)は、鎌倉幕府御家人で駿河国能島荘を支配していた吉川氏の居館跡です。吉川氏の本貫地(ほんがんち)で、代々160年間この地を支配。鎌倉時代前期の正治2年(1200年)におきた「梶原景時の変」(か
静岡県静岡市清水区(旧清水市)大内(おおうち)の梶原堂(かじわらどう)には、鎌倉時代前期の正治2年(1200年)に「梶原景時の変」(かじわら かげときのへん)で敗れ、自害した武将 梶原景時(かじわら かげとき)親子の墓があります。五輪塔(ごりんとう)1基と宝篋印塔(ほうきょう
静岡県静岡市清水区(旧清水市)梅ヶ谷(うめがや)の鹿島古墳群(かしまこふんぐん)は、古墳時代後期~終末期(6世紀後半~7世紀)頃の、横穴式石室を有する円墳数基で構成されています。鹿嶋神社が鎮座する小丘陵に分布していますが、何基の古墳があったのか不明です。須恵器が
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の山田ヶ谷南横穴群(やまだがやみなみよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られたA群1基・B群2基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)3基で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の西ノ谷A横穴(にしのやえーよこあな)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。金山神社近くの南向きの丘陵裾が削られて、横穴墓の奥壁のみが残存。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の釜原城跡(かまっぱらじょうあと)は、菊川市(旧小笠郡小笠町)との境界付近の丘陵(標高66m)に築かれた連郭式(れんかくしき)の平山城(ひらやまじょう)です。昭和47年(1972年)に廃寺となった山田ケ谷の曹洞宗 聖道寺(しょうどうじ
静岡県静岡市駿河区有東(うとう)の有東砦(うとうとりで)は、室町時代中期頃(戦国時代)に駿河今川氏の家臣 福島氏が、今川駿府館の支城砦として独立丘陵の有東山(標高35.4m)に築きました。室町時代後期(戦国時代)の天文10年(1541年)、甲斐(山梨県)の守護大名・戦国大名 武
静岡県静岡市葵区大岩本町(おおいわほんちょう)の臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院(ふしゅんいん)には、今川義元公慰霊塔(今川義元の墓)があります。境内の地蔵堂は、今川義元ゆかりの伝説がある墨崎延命地蔵尊(高さ約80cm)を祀る駿河一国百地蔵尊 第52番札所です。今川義元公
静岡県藤枝市立花(たちばな)の郡遺跡(こおりいせき)は、弥生時代から平安時代までを中心とする複合遺跡です。律令期(奈良・平安時代)には、駿河国益頭郡(するがのくに ましずぐん)の郡役所 益頭郡衙(ましずぐんが)が置かれていたと考えられています。出土した弥生時代の高
静岡県藤枝市南新屋(みなみあらや)の秋合遺跡(あきあいいせき、あきあわせいせき)は、国指定史跡 志太郡衙跡(しだぐんがあと、御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき))に隣接する奈良・平安時代の遺跡です。発掘調査で見つかった井戸跡が、青島北地区交流センター「にこにこ広場」に
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の尾羽廃寺跡(おばねはいじあと)は、広義の飛鳥時代(592~710年)のうちの後半に相当する白鳳時代(7世紀後半)に建てられた寺院跡です。金堂跡(こんどうあと)・講堂跡(こうどうあと)・中門跡(ちゅうもんあと)などの遺構が発見され、
静岡県御前崎市(おまえざきし)は、離島を除き県内最南端の岬「御前崎」がある海の街として有名です。地名の由来は、御厩崎(うまやざき)から転化したという説があります。平安時代中期に編纂された古代法典『延喜式』(えんぎしき)には、白羽官牧(しろわのかんまき)が置かれ
静岡県島田市波田(はだ)の立石稲荷(たていしいなり)は、岩陰(いわかげ)に稲荷社(いなりしゃ)が祀られた磐座(いわくら、神が降臨する場所とされる巨岩)です。「波田のお稲荷さん」とも呼ばれ、商売繁盛・大漁祈願・家内安全などに御利益があるとされています。御神体(ごしん
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 京満山 法林寺は、旧幕臣の伊佐新次郎峯(岑)満(いさ しんじろう みねみつ)の墓所です。幕末の安政3年(1856年)、タウゼント・ハリスがアメリカ駐日総領事として来日し、曹洞宗 瑞龍山 玉泉寺(静岡県下田市柿崎)にアメリカ総領事館を開