静岡県掛川市各和(かくわ)の永源寺古墳群(えいげんじこふんぐん)は、各和原段丘にある曹洞宗 大昌山 永源寺の境内に分布。古墳時代後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)以降の築造と考えられる、7基の小円墳(直径約10m以下)で構成されています。永源寺古墳群
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
古墳時代後期以降の円墳7基 永源寺古墳群 (静岡県掛川市各和1925-1 曹洞宗 大昌山 永源寺)
静岡県掛川市各和(かくわ)の永源寺古墳群(えいげんじこふんぐん)は、各和原段丘にある曹洞宗 大昌山 永源寺の境内に分布。古墳時代後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)以降の築造と考えられる、7基の小円墳(直径約10m以下)で構成されています。永源寺古墳群
丘陵に築かれた円墳16基 ネット初公開 下山古墳群 (静岡県島田市岸字下山)
静岡県島田市岸(きし)の下山古墳群(しもやまこふんぐん)は、曹洞宗 岸谷山 龍江院東側の東西に細長い丘陵の尾根に築かれた円墳16基で構成されています。昭和40年(1965年)頃、西駿考古学会会員の踏査で発見されました。発掘調査が行われていないため、古墳では無い可能性も
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 ネット初公開 相沢古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)菅ヶ谷字相沢)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)菅ケ谷(すげがや)の相沢古墳(あいざわこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された横穴式石室を有する円墳です。文献によっては、複数の円墳で構成された相沢古墳群となっています。相沢古墳群
小丘陵上に築かれた円墳 ネット初公開 園古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大沢寺下)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大沢(おおさわ)の園古墳群(そのこふんぐん)は、南遠道路 大沢IC北西の小丘陵上に所在。蜜柑園(みかんえん)・茶園などとして利用される丘陵に、複数の円墳が分布しているようです。丘陵の斜面には、園横穴群が分布。園古墳群
直径10m以下の円墳? ネット初公開 謎の古墳 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井 日帰り天然温泉「遠州 和の湯」西側)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)には、謎の古墳があります。場所は、日帰り天然温泉「遠州 和の湯」(えんしゅう やわらぎのゆ)西側の茶園です。墳丘の四方を開墾で削られた、直径10m以下の円墳かもしれません。謎の古墳
古墳時代中期(5世紀頃)の円墳3基 観音山古墳群(五ヶ山C古墳群) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽・浅名)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)・浅名(あさな)の観音山古墳群は、古墳時代中期(5世紀頃)の築造と考えられる円墳3基で構成。別名は五ヶ山C古墳群(ごかやましーこふんぐん)で、古墳4基とする文献もあります。岩松寺観音堂南側の、五ヶ山(ごかやま)と呼ばれる丘陵
幕末の万延元年(1860年)に移転 旗本 久喜藩分家米津氏 平芝陣屋跡 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽字平芝)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)字平芝の平芝陣屋跡(ひらしばじんやあと)は、久喜藩(現在の埼玉県久喜市)分家米津氏の陣屋跡です。江戸時代前期の貞享元年(1684年)、初代久喜藩主 米津田盛(よねきつ ただもり)の長男 米津政武(よねきつ まさたけ)は、父の死去で
全長約30mの前方後円墳1基と円墳5基? 宇佐八幡境内古墳群 (静岡県袋井市国本字岡山2)
静岡県袋井市国本(くにもと)の宇佐八幡内古墳群(宇佐八幡宮古墳群、宇佐八幡境内古墳群)は、前方後円墳1基と円墳5基?(2基?、文献によって異なる)で構成されています。宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)境内には、前方後円墳の1号墳と円墳の2号墳が残存。宇佐八幡内古墳群
短甲・銅鏡・馬具などが出土 古墳時代中期(5世紀後半) 直径27mの円墳 石ノ形古墳 (静岡県袋井市国本 北原川石ノ形333)
静岡県袋井市国本(くにもと)の石ノ形古墳(いしのがたこふん)は、古墳時代中期(5世紀後半)に築かれた円墳です。墳丘の規模は直径27m、高さ3mで、幅5m、深さ30cmの周溝(しゅうこう)が巡っています。発掘調査が実施され、東西2ヵ所の主体部(埋葬施設)を検出。西主体部は、短甲
2基の円墳 ネット初公開 海蔵寺裏古墳群 (静岡県袋井市堀越764-1 曹洞宗 祥雲山 海蔵寺の裏山)
静岡県袋井市堀越(ほりこし)の海蔵寺裏古墳群(かいぞうじうらこふんぐん)は、曹洞宗 祥雲山 海蔵寺の裏山(本堂の北東)に分布する円墳2基で構成。周辺には、他にも複数の墳丘らしき地形があります。海蔵寺裏古墳群
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 能光寺境内古墳 (静岡県袋井市愛野3079 曹洞宗 金峰山 能光寺の墓地)
静岡県袋井市愛野(あいの)の能光寺境内古墳(のうこうじけいだいこふん)は、曹洞宗 金峰山 能光寺(のうこうじ)の墓地にあります。横穴式石室の奥壁付近が一部残存しており、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた円墳と考えられる古墳です。能光寺境内古墳
古墳時代中期(5世紀後半頃) 直径約36mの円墳 法明寺古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田(わだ)の法明寺古墳(ほうみょうじこふん)は、古墳時代中期(5世紀後半頃)の築造と考えられる、菊川上流域で最大級(直径約36m、高さ約5.5m)の円墳です。平成20年(2008年)5~8月、静岡県道79号 吉田大東線の改良工事に伴う発掘調査を実施。古
古墳時代中期(5世紀頃) 墳長63mの前方後円墳 市指定文化財 大徳寺古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済1559 曹洞宗 高田山 大徳寺の墓地)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済(はんせい)の市指定文化財 大徳寺古墳(だいとくじこふん)は、古墳時代中期(5世紀頃)の築造と考えられる前方後円墳です。墳丘の規模は、墳長約63m・後円部径約32m・後円部高さ約4mで、幅約2mの周溝(しゅうこう)があります。市指定文化財 大
横地城の中にある 古墳時代前期? 全長36mの前方後円墳 庚申塚古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)神尾字山脇758)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)神尾(かんのう)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、古墳時代前期(3世紀中頃~4世紀後半頃)の築造ではないかと推測される前方後円墳です。山城の横地城(よこちじょう、よこじじょう)の中にあり、菊川市内では唯一保存状態が良い前方後円墳で
山頂に築かれた直径約20mの円墳? 野田山古墳(仮) (静岡県島田市野田 野田山)
静岡県島田市野田(のだ)の野田山山頂(標高143.3m)には、未調査の直径約20mの円墳があると考えられています。山頂に築かれた比較的規模の大きい古墳であるならば、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)以前の有力者が埋葬された首長墓(しゅちょうぼ)かもしれません。遺跡地
江戸時代 全国の社寺を巡礼した六十六部の記念碑 廻国供養塔 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)下小杉)
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)下小杉(しもこすぎ)の廻国供養塔(かいこくくようとう)は、江戸時代に全国の社寺を参拝する六十六部(ろくじゅうろくぶ)廻国巡礼を行なった巡礼者が建立した巡礼(順禮)塔です。宝永6年2月19日(1709年3月29日)、遠江国(遠州)榛原郡下小杉村の横
西國三十三所供養塔,石経千部供養塔 戦国時代の天文11年創建 曹洞宗 宝積山 大智寺 (静岡県榛原郡吉田町大幡181-2)
静岡県榛原郡吉田町大幡(おおはた)の曹洞宗 宝積山 大智寺(ほうしゃくざん だいちじ)は、室町時代(戦国時代)の天文11年(1542年)8月に盤石寺(焼津市中島)6世 建国晃立和尚が開創。江戸時代中期の正徳2年(1712年)、大井川の洪水で被害を受けました。本尊は周智郡大日山(現在
古墳時代前期 古式土師器が出土した崖 宮奥遺跡 (静岡県周智郡森町一宮(宮代)字神沢 小國神社の北)
静岡県周智郡森町一宮(宮代)(しゅうちぐん もりまち いちみや(みやしろ))の宮奥遺跡(みやおくいせき)は、遠江国一宮 小國神社(おくにじんじゃ、おぐにじんじゃ)境内を流れる宮川の遊歩道沿いに所在。平成8年(1996年)、土壌調査中に遊歩道で削られた崖から、古墳時代前期(3
弥生,古墳時代の集落 奈良~平安時代の掘立柱建物群 宮ノ西遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂宮の西)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂(かも)の宮ノ西遺跡(みやのにしいせき)は、菊川右岸(西岸)の沖積地に所在する弥生・古墳・奈良・平安時代・中世・近世の複合遺跡です。平成18~23年度、宮の西土地区画整理事業に伴う発掘調査を実施。弥生時代から古墳時代にかけての集落
室町時代 勝間田氏が築城 市指定史跡 穴ヶ谷城跡(中村城址,中村城の壇) (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)中字穴川266-1)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)中(なか)の穴ヶ谷城(あながやじょう)は、室町時代初期に勝田郷を支配した豪族 勝間田(かつまた)氏によって築かれたと考えられています。中村城址・中村城の壇とも呼ばれる、東・西・南の郭(曲輪)で構成された連郭式(れんかくしき)の山城です
珍しい家形土器が出土 弥生,古墳,奈良,平安,鎌倉時代 鳥居松遺跡 (静岡県浜松市中央区森田町,神田町他)
静岡県浜松市中央区森田町(もりたちょう)・神田町(かみだまち)の鳥居松遺跡(とりいまついせき)は、弥生・古墳・奈良・平安・鎌倉時代にかけての複合遺跡です。これまでの発掘調査では、弥生時代の集落・水田、奈良時代(8世紀)から鎌倉時代(13世紀)にかけての推定幅30m以上
戦国時代 殺害された服部小平太を弔うため建立 臨済宗方広寺派 宗安寺跡 (静岡県浜松市浜名区細江町(旧引佐郡細江町)中川 旧姫街道)
静岡県浜松市浜名区細江町(旧引佐郡細江町)中川(なかがわ)の臨済宗方広寺派 宗安寺は、安土桃山時代(戦国時代末期)の天正15年(1587年)に200m南にある姫街道 長坂で何者かに殺害されたという、服部小平太(はっとり こへいた、服部一忠(はっとり かずただ))を弔うために建立
縄文時代の石鏃製作址 古墳時代,中世の複合遺跡 勝田井の口遺跡 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田字井の口)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の「勝田井の口遺跡」(かつたいのくちいせき)は、勝間田川(かつまたがわ)中流右岸の埋没した河岸段丘(標高26~27m)に立地する、縄文時代後期後半~晩期前半・古墳時代前期・中世の複合遺跡です。石鏃(せきぞく)の完成品・未完成
横穴式石室を有する円墳6基? 駿河山古墳群 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)牛尾字本田山ほか)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)牛尾(うしお)の駿河山古墳群(するがやまこふんぐん)は、牛尾山(駿河山)と呼ばれる大井川の河岸段丘(標高約110m)上の南側に分布する6基の円墳?で構成されています。5基は南西に密集し、1基は南東に単独で所在。現在、墳丘を確認できるのは駿
明治時代 巡礼者が建立した當國札所善光寺供養塔 曹洞宗 九峯山 総善寺 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿167)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿(との)の曹洞宗 九峯山 総善寺(きゅうほうざん そうぜんじ) は、室町時代の文安元年(1444年)1月に真言僧 大覚龍道(だいかくりゅうどう)が真言宗の寺として開きました。室町時代後期(戦国時代)の天文23年(1554年)、今川氏に仕えたこの
古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳 神明塚古墳 (静岡県掛川市岡津字神明塚)
静岡県掛川市岡津(おかつ)の神明塚古墳(しんめいづかこふん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられている円墳です。茶園が広がる段丘上にあり、墳丘も茶園になっています。神明塚古墳
古墳時代後期以降の円墳 神明神社古墳 (静岡県掛川市葛川字西田1113 神明神社)
静岡県掛川市葛川(くずかわ)の神明神社古墳(しんめいじんじゃこふん)は、古墳時代後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)以降の築造と考えられている円墳です。神明神社境内にある古墳ですが、現地に案内板が無く詳細不明。墳丘には石塔が建立されていたようで、五輪塔(ごりんとう)
古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳2基 小山平古墳群 (静岡県掛川市下垂木字小山平)
静岡県掛川市下垂木(しもたるき)の小山平古墳群(おやまだいらこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられている円墳2基で構成。十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)裏の丘陵に分布しています。小山平古墳群
古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳 長久院古墳 (静岡県掛川市杉谷下池)
静岡県掛川市杉谷(すぎや)の長久院古墳(ちょうきゅういんこふん)は、掛川工業高校南側の丘陵頂部に所在する小円墳です。古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられています。マイナー古墳なので、ネット初公開。長久院古墳
丘陵に築かれた円墳2基 ネット初公開 寺下古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大沢寺下)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大沢(おおさわ)の寺下古墳群(てらしたこふんぐん)は、曹洞宗 円覚山 般若寺(はんにゃじ)東側の小丘陵に築かれた円墳2基で構成。寺下古墳(寺下1号墳)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された主体部(埋葬施設)が横穴式石室の古墳で、須恵器と
古墳時代前期(4世紀後半)の方墳 弥生,古墳時代の集落,水田跡,祭祀跡 曲金C遺跡 (静岡県静岡市駿河区曲金2丁目)
静岡県静岡市駿河区曲金(まがりかね)2丁目の曲金C遺跡(まがりかねしーいせき)は、安倍川(あべかわ)が形成した扇状地(せんじょうち)の静岡平野中央部に立地する、弥生時代後期(1世紀)から古墳時代後期(6世紀前半)にかけての遺跡です。静岡市環境保健研究所の建設に伴う試掘
小丘陵上に築かれた円墳? 福一萬神社裏古墳 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)西萩間寺前)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)西萩間(にしはぎま)の福一萬神社裏古墳(ふくいちまんじんじゃうらこふん)は、福一萬神社が鎮座する小丘陵に所在。発掘調査は行われていないようで、詳細不明の円墳?です。福一萬神社裏古墳
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 桃原古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田字桃原)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の桃原古墳群(もんばらこふんぐん)は、円墳6~7基?で構成。横穴式石室が見つかった円墳は、古墳時代後期(6世紀)以降の築造です。桃原1・2号墳からは須恵器・勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)・耳環(じかん)・鉄刀(てっとう)、桃
弥生時代の伝統を受け継いだ在地型古墳 古墳時代前期の方墳 倉見原古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部字倉見)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の倉見原古墳群(くらみはらこふんぐん)は、高根山(標高150m)を主峰とする丘陵に築かれた古墳4基(円墳、方墳)で構成。倉見原3号墳は、古墳時代前期(3世紀中頃~4世紀後半頃)に築かれた方墳で、弥生時代の墳墓(ふんぼ)である台状
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 飯室山古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江3538 飯室乃神社)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の飯室山古墳群(いいむろやまこふんぐん)は、飯室乃神社(いいむろのじんじゃ)境内に分布する円墳4基で構成。古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられ、少なくとも3基の古墳は横穴式石室が見つかっています。神社の踏み石は、石
横穴墓から木棺が出土 古墳時代後期・終末期 伊庄谷横穴群 (静岡県静岡市駿河区大谷字伊庄谷)
静岡県静岡市駿河区大谷(おおや)の伊庄谷横穴群(いしょうやおうけつぐん)は、北谷支群・南谷支群あわせて60基以上の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で構成されています。古墳時代後期から終末期(6世紀中葉~7世紀中葉)に築造され、須恵器、鉄鏃(てつぞく)、大刀(たち)、耳
形象埴輪,円筒埴輪,直刀が出土 古墳時代後期(6世紀前半)の円墳 鹿島古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済字西原)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済(はんせい)の鹿島古墳(かしまこふん)は、古墳時代後期(6世紀前半)に築かれた直径10数mの円墳です。昭和43年(1968年)頃、鹿島神社南側にある古墳の一部が工事で破壊されました。出土遺物は、直刀(ちょくとう)、円筒埴輪(えんとうはにわ)、
丘陵に分布する円墳4基 埴輪が出土 石原沢古墳群 (静岡県袋井市村松)
静岡県袋井市村松(むらまつ)の石原沢古墳群(いしはらざわこふんぐん)は、静岡カントリー袋井コース北側の丘陵に分布する円墳4基で構成されています。道路拡幅工事(モデル集道7号建設)に伴う発掘調査では、4号墳から埴輪(はにわ)が出土。4号墳北側の平坦面では、弥生時代の
稲荷神社が鎮座する円墳? 大場稲荷古墳 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)梅山)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)梅山(うめやま)の大場稲荷古墳は、平野部に単独で所在する古墳です。稲荷神社が鎮座する墳丘は、円墳のように見えます。大場稲荷古墳
弥生時代の山畑遺跡、5基の円墳 ネット初公開 山畑古墳群 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井字山畑 諸井共同墓地)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の山畑古墳群(やまはたこふんぐん)は、諸井共同墓地内の円墳5基で構成されています。この周辺は弥生時代の山畑遺跡で、古くから人々に利用されてきた土地です。山畑古墳群
前方後円墳1基と円墳5基 ネット初公開 雲座B古墳群 (静岡県袋井市豊沢字雲座)
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の雲座B古墳群(うんざびーこふんぐん)は、河岸段丘上に築かれた前方後円墳1基と円墳5基で構成されています。雲座B3号墳(雲座B古墳群3号墳)は、未調査の前方後円墳です。北西向きの前方部は削平され、後円部が残存しています。雲座B古墳群
河岸段丘上に築かれた円墳6基 雲座C古墳群 (静岡県袋井市豊沢字向山)
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の雲座C古墳群(うんざしーこふんぐん)は、河岸段丘上の墓地周辺に分布する円墳6基(5基?)で構成されています。雲座C古墳群
単独で築かれた謎の円墳 八王子神社古墳 (静岡県掛川市富部282 八王子神社)
静岡県掛川市富部(とんべ)の八王子神社古墳(はちおうじじんじゃこふん)は、八王子神社裏の丘陵に築かれた円墳です。直径約10mの円墳のようですが、全体が古墳なら直径約20mの円墳に見えます。未調査なのか、詳細不明の古墳です。八王子神社古墳
戦国時代 徳川家康軍に敗れ討死した各和氏 各和城跡 (静岡県掛川市各和1925-1 曹洞宗 大昌山 永源寺)
静岡県掛川市各和(かくわ)の各和原段丘の東端にある曹洞宗 大昌山 永源寺(えいげんじ)周辺は、各和城跡(かくわじょうあと)だとされている場所です。室町時代後期(戦国時代)の明応年間(1492~1501年)、この地の領主であった各和伊予守道空が各和城を築きました。城の遺構は
金銅装大刀,馬具,勾玉が出土 横穴式石室を有する直径約20mの円墳 長福寺古墳(長福寺1号墳) (静岡県掛川市本郷1389‐1 曹洞宗 安里山 長福寺)
静岡県掛川市本郷(ほんごう)の長福寺古墳群(ちょうふくじこふんぐん)は、円墳3基で構成されています。曹洞宗 安里山 長福寺の境内にある長福寺古墳(長福寺1号墳)は、古墳時代後期(6世紀中頃)に築かれた横穴式石室を有する直径約20mの円墳です。昭和27年(1952年)、静岡県小
古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳 塩辛山古墳 (静岡県掛川市杉谷下池)
静岡県掛川市杉谷(すぎや)の塩辛山古墳(しおからやまこふん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられている円墳です。掛川工業高校南側の丘陵頂部に、単独で所在しています。塩辛山古墳
歌舞伎で有名な鎌倉時代の武将 朝夷(朝比奈)三郎義秀の墓? 朝夷(あさい)氏墓地 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈宮ノ谷)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)にある朝夷(あさい)氏墓地の石塔は、鎌倉時代の武将 朝夷(朝比奈)三郎義秀(あさい(あさひな) さぶろう よしひで)の墓だと伝えられています。義秀は、平安時代末期の安元2年(1176年)に和田義盛(わだ よしもり)の三男と
古墳時代後期(6世紀)以降の円墳10基 ネット初公開 宮腰古墳群 (静岡県焼津市坂本字宮腰1049 坂本神社境内周辺)
静岡県焼津市坂本(さかもと)の宮腰古墳群(みやこしこふんぐん)は、坂本神社境内と周辺に分布する円墳10基で構成されています。古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた、横穴式石室を主体部(埋葬施設)とする古墳です。宮腰古墳群
須恵器 長頚瓶が出土 奈良時代(8世紀前半)の小石室 ネット初公開 磔段古墳 (静岡県島田市東光寺字磔段)
静岡県島田市東光寺(とうこうじ)の磔段古墳(はっつけだんこふん)は、奈良時代(8世紀前半)に築かれた古墳です。茶園横のみかん園で農作業中に、須恵器の長頚瓶(ちょうけいへい)が出土して発見されました。現地には複数の割石(わりいし)が散乱しており、火葬骨を長頚瓶に納め
和鏡15面,太刀,白磁などが出土 西ノ平経塚 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿字御月山668)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿(との)の西ノ平経塚(にしのたいらきょうづか)は、中世(11世紀後半~16世紀後半)に土中へ経典(きょうてん)などを埋納した場所です。昭和5年(1930年)、前年に土採りした直径約4mの土盛りから和鏡(わきょう)15面、土器24点、鉄製品(太刀(
市内唯一の造り出し付き円墳 ネット初公開 幡室古墳 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野字大明神3808-2 幡室神社)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の幡室古墳(はたむろこふん)は、幡室神社(はたむろじんじゃ)境内に所在。平成18年(2006年)、裾部に3本の試掘坑を掘ったところ須恵器 大甕(おおがめ)が出土し、古墳だと確認されました。西側に方形の造り出し部のある「造り出し
玄室が2ヶ所の珍しい横穴墓 山田ヶ谷北横穴群A・B群 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野坂田)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の山田ヶ谷北横穴群(やまだがやきたよこあなぐん)は、A群1基・B群1基で構成された横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半(7世紀前半頃)
前方後円墳1基と円墳9基 ネット初公開 八王子神社上古墳群 (静岡県袋井市三川,川会)
静岡県袋井市川会(かわえ)の八王子神社上古墳群(はちおうじじんじゃかみこふんぐん)は、八王子神社境内と北側の山林に分布する前方後円墳1基と円墳9基で構成されています。八王子神社上古墳群
珍しい前方後方墳? 蔵王権現神社古墳 (静岡県袋井市鷲巣1293 六所神社)
静岡県袋井市鷲巣(わしず)の六所神社境内は、県内では珍しい前方後方墳だと考えられています。六所神社は元々が蔵王権現神社であったことから、蔵王権現神社古墳(ざおうごんげんじんじゃこふん)と名付けられました。昭和58年(1983年)に地元住民が土器を採取しており、1992
円筒埴輪が出土 全長約35mの前方後円墳 権現山古墳 (静岡県袋井市国本権現山)
静岡県袋井市国本(くにもと)の権現山古墳(ごんげんやまこふん)は、古墳時代中期後葉(5世紀後半頃)~後期前葉(6世紀前半頃)に築かれた前方後円墳です。全長約35m、前方部幅約16m、前方部の高さ約2m、後円部径約15m、後円部の高さ約2mの規模。墳丘からは、円筒埴輪(えんとう
須恵器と直刀が出土 古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 松本古墳 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)松本)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)松本(まつもと)の松本古墳(まつもとこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。須恵器と直刀(ちょくとう)が出土しています。松本古墳?
特別展『焼津と徳川Ⅱ 海蔵寺ものがたり ー徳川と民に愛されてー』 焼津市歴史民俗資料館 (静岡県焼津市三ケ名1550 焼津市文化センター2階)
静岡県焼津市三ケ名(さんがみょう)の焼津市歴史民俗資料館で、特別展『焼津と徳川Ⅱ 海蔵寺ものがたり ー徳川と民に愛されてー』を開催。焼津市東小川(ひがしこがわ)の時宗 寶城山(宝城山) 海蔵寺(かいぞうじ)は、徳川家康(とくがわ いえやす)と家康の十男で紀州徳川家初
古墳時代後期から終末期(6~7世紀頃)の円墳18基・方墳1基 小鹿古墳群 (静岡県静岡市駿河区小鹿)
静岡県静岡市駿河区小鹿(おしか)の小鹿古墳群(おしかこふんぐん)は、古墳時代後期から古墳時代終末期(6世紀中葉頃~7世紀頃)の築造と考えられる円墳18基・方墳1基で構成。静岡大学北側の南向き斜面(東西約550mの範囲)に分布していましたが、大半は開発と茶園の開墾などで消
丘陵に単独で築かれた円墳? ネット初公開 南沼上諏訪神社古墳 (静岡県静岡市葵区南沼上994)
静岡県静岡市葵区南沼上(みなみぬまがみ)の南沼上諏訪神社古墳(みなみぬまがみすわじんじゃこふん)は、龍に変身して河童(かっぱ)を退治した伝説の「沼の婆さん」が祀られた南沼上諏訪神社境内にあります。円墳らしき墳丘に、社殿が建てられた古墳です。南沼上諏訪神社古墳
今川義忠家臣 右近将監の夫人が創建した尼寺の大陽山 昌隆寺跡? 竜源寺跡 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野中西)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の竜源寺跡(りゅうげんじあと)は、戦国時代(室町時代)の尼寺 大陽山 昌隆寺跡だと推定されています。菊川市(旧小笠郡小笠町)の曹洞宗 磯部山 正林寺に伝わる『大樹の蔭』に、「上の原に一刹を建立す、大陽山 竜源寺是なり」と
静岡県最大(全長112m)の前方後円墳? 下山古墳 (静岡県掛川市上西郷方の橋)
静岡県掛川市上西郷(かみさいごう)の下山古墳(しもやまこふん)は、明治43年(1910年)頃に土器が出土し前方後円墳だと考えられました。静岡県内最大(全長112m)の古墳だとする説もありますが、発掘調査が行われていないため詳細不明です。下山古墳
巨石の岩陰にお稲荷様を祀る 磐座信仰 巌室神社 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷新町1)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷新町(かなやしんまち)の巌室神社(いわむろじんじゃ)は、東海道金谷宿の氏神(うじかみ)です。鎌倉時代前期の正治元年(1199年)には、金山彦命(かなやまひこのみこと)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)・木花之開耶姫命(このはなのさくやひめのみこ
太平洋戦争で掘られた防空壕 曹洞宗 宝珠山 盛岩院 (静岡県掛川市(旧小笠大東町)岩滑3983-2)
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)岩滑(いわなめ)の曹洞宗 宝珠山 盛岩院(ほうしゅざん せいがんいん)には、太平洋戦争中に掘られた防空壕(ぼうくうごう)が残存しています。境内南側の崖に掘られた防空壕は、縦長断面の通路を奥へ進むと、平面形がL字型になった爆風よけの構造
奈良時代 官衙跡(役所跡)または豪族の居館跡 県指定史跡 長者屋敷遺跡 (静岡県磐田市寺谷字長者屋敷)
静岡県磐田市寺谷(てらだに)の県指定史跡 長者屋敷遺跡(ちょうじゃやしきいせき)は、磐田原台地(いわたはらだいち)の標高85~88m付近に所在する謎の遺跡です。飛鳥時代(古墳時代終末期)から奈良時代(7~8世紀)の、豪族(有力者)の居館跡(きょかんあと)または官衙跡(かんがあ
古墳時代中期(4~5世紀) 直径約60mの大型円墳 城之崎A古墳群 (静岡県磐田市城之崎1丁目 いずみ第2保育園の北)
静岡県磐田市城之崎(きのさき)の城之崎A古墳群(きのさきえーこふんぐん)は、円墳2基で構成されます。城之崎A2号墳(城之崎丸山古墳、城崎丸山古墳)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる直径約60m、高さ約6.5mの大型円墳です。昭和46年(1971年)の発掘
神社が鎮座する茶畑の中の円墳 浅間神社古墳(浅間社古墳) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽字平芝)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)の浅間神社古墳(せんげんじんじゃこふん)は、茶園の中にある直径約10mの円墳です。別名は浅間社古墳。墳丘には浅間神社が鎮座しており、須恵器が見つかっています。浅間神社古墳
古墳時代後期(6世紀後半) 横穴式石室から銅鏡が出土 方墳1基と円墳8基 佐渡山古墳群 (静岡県静岡市駿河区丸子)
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の佐渡山古墳群(さわたりやまこふんぐん)は、佐渡山に分布していた方墳1基と円墳8基で構成。佐渡山2号墳(西之宮2号墳)は、古墳時代後期後半(6世紀後半)に築かれた28m×27mの方墳。主体部(埋葬施設)は、組合式箱形石棺(くみあわせしきはこが
古墳時代後期(6世紀)以降の円墳 八幡古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂97 若宮八幡宮)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂(かも)の八幡古墳(はちまんこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられる円墳です。若宮八幡宮の境内に、墳丘が一部残存。八幡古墳からは、須恵器が出土しています。八幡古墳?
弥生,古墳,奈良,平安,鎌倉時代の集落 中世の荘園 藤守遺跡 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)藤守,上小杉ほか)
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)藤守(ふじもり)・上小杉(かみこすぎ)ほかの藤守遺跡(ふじもりいせき)は、駿河湾に面した大井川下流左岸の沖積微高地 志太(しだ)平野に立地し、東西約2.5㎞・南北約1㎞の範囲に広がっています。弥生時代、古墳時代末期(7世紀)~奈良時代(8世
平安時代 後白河天皇の勅使が自害した伝説 勅使塚 (静岡県袋井市豊沢2410-31)
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の勅使塚(ちょくしづか)は、平安時代に後白河天皇(ごしらかわてんのう、在位 久寿2年7月24日(1155年8月23日)~保元3年8月11日(1158年9月5日))の勅使(使者)が埋葬されたという伝説の地です。決められた日の夜明け前に、法多山へ参拝するよう命じ
古墳時代後期の帆立貝式前方後円墳 市指定史跡 朝日神社古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川1103-1)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の市指定史跡 朝日神社古墳(あさひじんじゃこふん)は、古墳時代後期前葉(5世紀末頃~6世紀初め頃)に築かれた帆立貝式前方後円墳です。牛渕川の自然堤防上にある、朝日神社境内に単独で所在。全長約18.9m、後円部径約16.8m
田中城の裏門が移築された山門 浄土宗 光明山 悟真院 了善寺 (静岡県藤枝市天王町1-4-1)
静岡県藤枝市天王町(てんのうちょう)の浄土宗 光明山 悟真院 了善寺(こうみょうざん ごしんいん りょうぜんじ)は、室町時代(戦国時代)の文明18年(1486年)に遠江国見崎の海で引き揚げられた善導大師像を、この地に祀ったのが始まりです。江戸時代の天和2年(1682年)、14世霊
戦国時代 徳川家康の陣跡 旗指の権現森 (静岡県島田市旗指)
静岡県島田市旗指(はっさし)の史跡 権現森(ごんげんもり)は、徳川家康ゆかりの地です。 室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)12月、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)が今川氏真(いまがわ うじざね)の領国 駿河(静岡県中部)へ侵攻。今川氏領国のうち
田中城平島口の不浄門を移築した山門? 市指定天然記念物のクロマツ 曹洞宗 田中山 旭伝院(旭傳院) (静岡県焼津市保福島680)
静岡県焼津市保福島(ほふくじま)の曹洞宗 田中山 旭伝院(ぎょくでんいん)は、安土桃山時代(戦国時代)の天正年間(1573~1592年)に曹洞宗 高草山 林叟院(焼津市坂本)8世 山齢宋潤が開創しました。本尊は、延命地蔵菩薩です。旭伝院の山門は、田中城平島口の不浄門を一部移築
古墳時代後期(6世紀) 横穴式石室を有する円墳2基 荒芝古墳群 (静岡県焼津市坂本字晝崩)
静岡県焼津市坂本(さかもと)の荒芝古墳群(あらしばこふんぐん)は、高草山(標高501m)中腹にある丘陵の尾根上に分布。古墳時代後期(6世紀)に築かれた、半地下式の横穴式石室を有する円墳2基で構成されています。昭和34年(1959年)、発掘調査を実施。出土遺物は、土器(須恵器)
古墳時代前期(4世紀後半頃) 長軸約50mの造出円墳 国指定史跡 御厨古墳群 秋葉山古墳 (静岡県磐田市新貝字子犬間添)
静岡県磐田市新貝(しんがい)の秋葉山古墳(あきはやまこふん)は、東海道本線北側の曹洞宗 三白山 連城寺の裏山に所在。古墳時代前期(4世紀後半頃)の築造と推定される、円墳に壇状の突出部が付いた造出円墳(つくりだしえんふん)です。長軸約50m、短軸約46m、高さ約8mの規模で
室町時代 今川義忠の家臣 朝比奈泰熙が築城 徳川家康の本陣跡? 掛川古城 (静岡県掛川市掛川1104 龍華院子角山公園)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川古城(かけがわこじょう)は、室町時代の文明5年(1473年)頃に守護大名 今川義忠(いまがわ よしただ)の家臣 朝比奈泰熙(あさひな やすひろ)が築城したとされています。駿河今川家第6代当主 今川義忠は、室町時代末期(戦国時代)の永禄3年(1560
短甲,冑,銅鏡が出土 古墳時代中期(4~5世紀)の円墳4基 安久路古墳群 (静岡県磐田市西貝塚字大山越)
静岡県磐田市西貝塚(にしかいづか)の安久路古墳群(あくろこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳4基で構成。安久路丸山古墳(安久路丸山1号墳、安久路1号墳)は、直径約47mの円墳です。安久路2号墳は、葺石(ふきいし)を有する直径約26m
古墳時代中期(5世紀前半頃) 直径約36mの円墳 県指定史跡 土器塚古墳 (静岡県磐田市国府台(中泉(西新町)字八幡前))
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の県指定史跡 土器塚古墳(かわらけづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)に築かれた円墳です。直径約36m、高さ約5mの規模で、墳丘に埴輪(はにわ)は無し。墳丘の外側には、幅約7mの周溝(しゅうこう)が巡っています。東西方向長さ7~8m、
三日三晩で築いた伝説 古墳時代中期(4~5世紀)の円墳 目隠山古墳 (静岡県磐田市鎌田)
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の目隠山古墳(めかくしやまこふん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる長軸約37m、短軸約31mの円墳です。兎山(うさぎやま)公園周辺の円墳7基で構成された、八王子古墳群(はちおうじこふんぐん)のうちのひとつに数えられま
丘陵上に築かれた円墳8基以上 南郷古墳群 (静岡県掛川市満水南郷)
静岡県掛川市満水(たまり)の南郷古墳群(なんごうこふんぐん)は、丘陵上に分布する円墳8基以上で構成されています。分布図にのっている8基以外にも、複数の小円墳らしき高まりがあります。もっと多くの古墳が、尾根に連なって築かれていたのかもしれません。南郷古墳群
大井川右岸の牧之原台地 縄文時代 沼伏神社遺跡 (静岡県島田市阪本沼伏)
静岡県島田市阪本(さかもと)の沼伏神社遺跡(ぬまぶしじんじゃいせき)は、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地にある縄文時代の遺跡です。土器、石器(打製石斧(だせいせきふ)、石錘(せきすい)など)、石器の材料として使用した黒曜石(こくようせき)・頁岩(けつがん)などが見つか
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 本郷Ⅱ古墳群 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)内谷字立石,奥ノ田)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)内谷(うつたに)の本郷Ⅱ古墳群は、立石神社(たていしじんじゃ)周辺の円墳2基と、「山辺の道」(やまのべのみち)沿いの円墳2基で構成。立石神社周辺の円墳2基は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された横穴式石室を有する古墳です。本郷Ⅱ1
古墳時代(5世紀末~6世紀後半) 遠江最古級の須恵器,埴輪を焼いた窯 衛門坂古窯跡 (静岡県袋井市岡崎上区衛門坂)
静岡県袋井市岡崎(おかざき)の衛門坂古窯跡(えもんざかこようせき)は、古墳時代中期末~後期(5世紀末~6世紀後半)に遠江(静岡県西部)最古級の須恵器・埴輪(はにわ)を焼いた窯跡です。衛門坂古窯跡の埴輪は、市内の大門大塚古墳・貫名地B2号墳に使われました。発掘調査では
須恵器,土師器,玉類,直刀,馬具,人の歯など出土品が市指定文化財 小堤山横穴群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津632-6 小堤山公園)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津(はづ)の小堤山横穴群(こづつみやまおうけつぐん)は、丘陵斜面に穴を掘って築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半(7
諏訪神社境内の円墳? ネット初公開 太田古墳 (静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂)
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂(おおさか)の太田古墳(おおだこふん)は、諏訪神社境内に単独で所在しています。円墳だと思われますが、マイナー過ぎて詳細不明です。太田古墳
銅鏡,管玉,臼玉,鉄刀が出土した円墳 山王山古墳 (静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂「掛川市文化会館シオーネ」の西)
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂(おおさか)の山王山古墳(さんのうやまこふん)は、「掛川市文化会館シオーネ」西側の丘陵上に単独で築かれた円墳です。銅鏡、管玉(くだたま)、臼玉(うすだま)、鉄刀(てっとう)が出土しましたが、所在不明となっています。丘陵全体は、縄文
縄文時代中期(約4,000~5,000年前)・奈良時代(8世紀)の住居跡 鹿島遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済字西原 鹿島神社の東)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済(はんせい)の鹿島遺跡(かしまいせき)は、鹿島神社の東側に所在。発掘調査では、縄文時代中期(約4,000~5,000年前)の住居跡2軒を検出し、縄文土器、石斧、黒曜石が出土。東南の部分と町道から境内に入る道の辺りからは、奈良時代(8世紀)の
勝海舟屋敷,母の隠居所「海舟庵」 曹洞宗 門屋山 宝寿院(寶壽院) (静岡県静岡市葵区門屋639)
静岡県静岡市葵区門屋(かどや)の曹洞宗 門屋山 宝寿院(ほうじゅいん)は、曹洞宗 慈悲尾山 増善寺(静岡市葵区慈悲尾)の末寺です。江戸時代末期(幕末)の文久元年(1861年)、駿府浅間神社(静岡浅間神社)の神職を引退した新宮高平(しんぐう こうへい、中村高平)が、全108巻から
縄文,古墳,奈良,平安時代,中世,近世の複合遺跡 青木原遺跡 (静岡県島田市阪本)
静岡県島田市阪本(さかもと)の青木原遺跡(あおきばらいせき)は、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地に所在する縄文,古墳,奈良,平安時代,中世,近世にかけての複合遺跡です。牧ノ原台地は、更新世(約258万年前~約1万年前)に大井川が上流から運んだ砂礫が隆起して形成された洪積
弥生時代後期から古墳時代前期の集落・墓域 小深田西遺跡 (静岡県焼津市西小川(小川字小深田))
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西遺跡(こふかだいせき)は、大井川水系によって形成された沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。弥生時代後期後半(3世紀前半)から古墳時代前期初頭(3世紀後半)にかけて集落遺跡で、発掘調査では竪穴式住居
縄文,弥生,古墳,奈良,平安,鎌倉,室町,江戸時代の複合遺跡 山王前遺跡 (静岡県島田市大草字山王前)
静岡県島田市大草(おおくさ)の山王前遺跡(さんのうまえいせき)は、大津谷川(おおつやがわ)と尾川(おがわ)の合流地点北側に位置する山王丘陵上と東側の裾部(南北約100m・東西約70mの範囲)に広がっています。縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸時代の複合遺跡で
旧石器.縄文.古墳.奈良.平安時代,中世,近世 牧ノ原台地の遺跡 中原遺跡 (静岡県島田市阪本字中原他)
静岡県島田市阪本(さかもと)の中原遺跡(なかはらいせき)は、牧ノ原(牧之原)台地に営まれた旧石器・縄文・古墳・奈良・平安時代,中世,近世にかけての複合遺跡です。大井川右岸の牧ノ原台地は、東洋最大の茶園が広がるお茶の産地として知られています。市街地から島田大橋を
遠州七不思議 陰陽師 安倍晴明が祈祷した伝説 市指定史跡 晴明塚 (静岡県掛川市(旧小笠郡大須賀町)大渕3901-2 浜地内)
静岡県掛川市(旧小笠郡大須賀町)大渕(おおぶち)には、遠州七不思議(えんしゅうななふしぎ)のひとつの市指定史跡「晴明塚」(せいめいづか)があります。遠州七不思議とは、遠州地方(静岡県西部の遠江国)に伝わる不思議な伝説・物語のことです。伝説によれば、平安時代の陰陽
勾玉付き土器が出土 弥生,古墳時代の集落 小黒遺跡 (静岡県静岡市駿河区小黒・曲金「ツインメッセ静岡」周辺)
静岡県静岡市駿河区小黒・曲金(おぐろ・まがりかね)の小黒遺跡(おぐろいせき)は、弥生・古墳時代の集落跡です。発掘調査では、土器、石器、木製品、金属製品などが出土。弥生土器の壺の首付近に、勾玉(まがたま)の形の粘土が貼り付けられた勾玉付き土器(まがたまつきどき)
矢板のある畦畔で区画された水田跡 弥生時代中期~後期 西川遺跡 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)中字西川1246‐1)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)中(なか)の西川遺跡(にしがわいせき)は、弥生時代中期から後期(約2,100年前~1,700年前頃)の遺跡です。昭和30年(1955年)夏、勝間田川(かつまたがわ)の河川改修工事で弥生土器(中期中葉(約2,100年前)の嶺田式土器(みねだしきどき)、中期後葉(
古墳時代(約1,500年前)の集落跡 焼失住居跡を発見 宮之腰遺跡 (静岡県焼津市焼津2丁目,4丁目)
静岡県焼津市焼津(やいづ)の宮之腰遺跡(みやのこしいせき)は、約1,500年前の古墳時代を中心とする集落跡です。遺跡は、焼津神社境内や焼津中学校周辺の広範囲におよんでいます。宮之腰遺跡 焼失住居跡(焼津中学校の案内板より)
須恵器が出土 古墳時代以降の集落跡? 大日遺跡 (静岡県榛原郡吉田町片岡字大日)
静岡県榛原郡吉田町片岡(かたおか)の大日遺跡(だいにちいせき)は、小山城駐車場南側の田園地帯に広がっています。多くの須恵器が見つかっていることから、古墳時代以降の集落跡と推測される遺跡です。湯南原台地の東南端 片岡原に建つ小山城の南西には、能満寺原古墳群(の
戦国時代 徳川家康の正室 旭姫(朝日姫)の墓所 曹洞宗 泰雲山 瑞龍寺 (静岡県静岡市葵区井宮町48)
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)の曹洞宗 泰雲山 瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、室町時代末期(戦国時代)の永禄3年(1560年)に曹洞宗 大森山 長源院(静岡市葵区沓谷)5世 能屋梵藝(のうおくぼんげい)大和尚が開創。豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の異父妹(いふまい)で、徳川
縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)の集落 馬平遺跡 (静岡県島田市阿知ヶ谷馬平)
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
「ブログリーダー」を活用して、しずおかkさんをフォローしませんか?
静岡県掛川市各和(かくわ)の永源寺古墳群(えいげんじこふんぐん)は、各和原段丘にある曹洞宗 大昌山 永源寺の境内に分布。古墳時代後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)以降の築造と考えられる、7基の小円墳(直径約10m以下)で構成されています。永源寺古墳群
静岡県島田市岸(きし)の下山古墳群(しもやまこふんぐん)は、曹洞宗 岸谷山 龍江院東側の東西に細長い丘陵の尾根に築かれた円墳16基で構成されています。昭和40年(1965年)頃、西駿考古学会会員の踏査で発見されました。発掘調査が行われていないため、古墳では無い可能性も
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)菅ケ谷(すげがや)の相沢古墳(あいざわこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された横穴式石室を有する円墳です。文献によっては、複数の円墳で構成された相沢古墳群となっています。相沢古墳群
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大沢(おおさわ)の園古墳群(そのこふんぐん)は、南遠道路 大沢IC北西の小丘陵上に所在。蜜柑園(みかんえん)・茶園などとして利用される丘陵に、複数の円墳が分布しているようです。丘陵の斜面には、園横穴群が分布。園古墳群
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)には、謎の古墳があります。場所は、日帰り天然温泉「遠州 和の湯」(えんしゅう やわらぎのゆ)西側の茶園です。墳丘の四方を開墾で削られた、直径10m以下の円墳かもしれません。謎の古墳
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)・浅名(あさな)の観音山古墳群は、古墳時代中期(5世紀頃)の築造と考えられる円墳3基で構成。別名は五ヶ山C古墳群(ごかやましーこふんぐん)で、古墳4基とする文献もあります。岩松寺観音堂南側の、五ヶ山(ごかやま)と呼ばれる丘陵
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)字平芝の平芝陣屋跡(ひらしばじんやあと)は、久喜藩(現在の埼玉県久喜市)分家米津氏の陣屋跡です。江戸時代前期の貞享元年(1684年)、初代久喜藩主 米津田盛(よねきつ ただもり)の長男 米津政武(よねきつ まさたけ)は、父の死去で
静岡県袋井市国本(くにもと)の宇佐八幡内古墳群(宇佐八幡宮古墳群、宇佐八幡境内古墳群)は、前方後円墳1基と円墳5基?(2基?、文献によって異なる)で構成されています。宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)境内には、前方後円墳の1号墳と円墳の2号墳が残存。宇佐八幡内古墳群
静岡県袋井市国本(くにもと)の石ノ形古墳(いしのがたこふん)は、古墳時代中期(5世紀後半)に築かれた円墳です。墳丘の規模は直径27m、高さ3mで、幅5m、深さ30cmの周溝(しゅうこう)が巡っています。発掘調査が実施され、東西2ヵ所の主体部(埋葬施設)を検出。西主体部は、短甲
静岡県袋井市堀越(ほりこし)の海蔵寺裏古墳群(かいぞうじうらこふんぐん)は、曹洞宗 祥雲山 海蔵寺の裏山(本堂の北東)に分布する円墳2基で構成。周辺には、他にも複数の墳丘らしき地形があります。海蔵寺裏古墳群
静岡県袋井市愛野(あいの)の能光寺境内古墳(のうこうじけいだいこふん)は、曹洞宗 金峰山 能光寺(のうこうじ)の墓地にあります。横穴式石室の奥壁付近が一部残存しており、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた円墳と考えられる古墳です。能光寺境内古墳
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田(わだ)の法明寺古墳(ほうみょうじこふん)は、古墳時代中期(5世紀後半頃)の築造と考えられる、菊川上流域で最大級(直径約36m、高さ約5.5m)の円墳です。平成20年(2008年)5~8月、静岡県道79号 吉田大東線の改良工事に伴う発掘調査を実施。古
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済(はんせい)の市指定文化財 大徳寺古墳(だいとくじこふん)は、古墳時代中期(5世紀頃)の築造と考えられる前方後円墳です。墳丘の規模は、墳長約63m・後円部径約32m・後円部高さ約4mで、幅約2mの周溝(しゅうこう)があります。市指定文化財 大
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)神尾(かんのう)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、古墳時代前期(3世紀中頃~4世紀後半頃)の築造ではないかと推測される前方後円墳です。山城の横地城(よこちじょう、よこじじょう)の中にあり、菊川市内では唯一保存状態が良い前方後円墳で
静岡県島田市野田(のだ)の野田山山頂(標高143.3m)には、未調査の直径約20mの円墳があると考えられています。山頂に築かれた比較的規模の大きい古墳であるならば、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)以前の有力者が埋葬された首長墓(しゅちょうぼ)かもしれません。遺跡地
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)下小杉(しもこすぎ)の廻国供養塔(かいこくくようとう)は、江戸時代に全国の社寺を参拝する六十六部(ろくじゅうろくぶ)廻国巡礼を行なった巡礼者が建立した巡礼(順禮)塔です。宝永6年2月19日(1709年3月29日)、遠江国(遠州)榛原郡下小杉村の横
静岡県榛原郡吉田町大幡(おおはた)の曹洞宗 宝積山 大智寺(ほうしゃくざん だいちじ)は、室町時代(戦国時代)の天文11年(1542年)8月に盤石寺(焼津市中島)6世 建国晃立和尚が開創。江戸時代中期の正徳2年(1712年)、大井川の洪水で被害を受けました。本尊は周智郡大日山(現在
静岡県周智郡森町一宮(宮代)(しゅうちぐん もりまち いちみや(みやしろ))の宮奥遺跡(みやおくいせき)は、遠江国一宮 小國神社(おくにじんじゃ、おぐにじんじゃ)境内を流れる宮川の遊歩道沿いに所在。平成8年(1996年)、土壌調査中に遊歩道で削られた崖から、古墳時代前期(3
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂(かも)の宮ノ西遺跡(みやのにしいせき)は、菊川右岸(西岸)の沖積地に所在する弥生・古墳・奈良・平安時代・中世・近世の複合遺跡です。平成18~23年度、宮の西土地区画整理事業に伴う発掘調査を実施。弥生時代から古墳時代にかけての集落
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)中(なか)の穴ヶ谷城(あながやじょう)は、室町時代初期に勝田郷を支配した豪族 勝間田(かつまた)氏によって築かれたと考えられています。中村城址・中村城の壇とも呼ばれる、東・西・南の郭(曲輪)で構成された連郭式(れんかくしき)の山城です
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の侭山古墳群(ままやまこふんぐん)は、坂口谷川右岸(西岸)の低段丘上に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基以上で構成されています。文献によっては、儘山古墳群(ままやまこふんぐん)と表記。唯一墳
静岡県藤枝市志太(しだ)の五州岳古墳(ごしゅうだけこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半)の円墳です。瀬戸川右岸の五州岳と呼ばれる、丘陵の山頂(海抜110.4m)に単独で築かれています。墳丘の規模は、直径約27m、墳頂部径約18m、墳丘高さ約2.7mです。五州岳古墳
静岡県島田市尾川(おがわ)の大津農村環境改善センター「山王」は、大津ふれあい祭りなどの地域イベント・会議や講座などが行われる、公民館的な文化コミュニティ施設です。縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸時代の複合遺跡である山王前遺跡(さんのうまえいせ
静岡県焼津市三ケ名(さんがみょう)の焼津市歴史民俗資料館(焼津市文化センター2階)で、文化財保存活用地域計画関連企画展『DISCOVER-焼津、発見-』第3期 川の軸「暴れ川が生んだ豊穣の地」を開催。焼津市の歴史文化を海の軸(浜通り)・山の軸(花沢の里周辺)・川(水)の軸(大
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)下内田(しもうちだ)の段平尾Ⅰ遺跡(だんびらおいちいせき)は、縄文、弥生、古墳時代、中世にかけての複合遺跡です。遺跡の範囲は、茶園が広がっている段丘上に鎮座する矢多神社(やたじんじゃ)の境内周辺。遺物は、石器(石鏃(せきぞく)、石錘(
静岡県島田市野田(のだ)の三石山古墳(みついしやまこふん)は、古墳時代終末期(7世紀前半頃~8世紀初め頃)に築かれた墳丘をほどんど持たない横穴式石室墳だと考えられています。阿知ヶ谷アルプス・ハイキングコースにある八幡山山頂から、尾根伝いに西側へ徒歩約10分の三石
静岡県島田市阪本(さかもと)の高根森古墳群(たかねもりこふんぐん)は、古墳11基以上で構成されています。高根森2号墳は、古墳時代後期(6世紀末)に築かれた疑似両袖式(ぎじりょうそでしき)の横穴式石室を有する円墳。大正4年(1915年)3月、装飾大刀(そうしょくたち)・金銅装
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の地蔵山古墳(じぞうやまこふん)は、阿知ヶ谷アルプス・ハイキングコースの地蔵山山頂(標高約183m)付近に所在する円墳です。山頂から少し下った緩斜面に、石室材らしき砂岩が露出。古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた、横穴式石室を有する古
静岡県静岡市清水区(旧清水市)折戸(おりど)の縁生坊古墳群(えんじょうぼうこふんぐん)は、「三保の松原」(みほのまつばら)で有名な三保半島に分布していた唯一の古墳群です。古墳時代後期後半(6世紀後半)~古墳時代終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳3基以上
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の丸子城(宇津谷城、三角城)は、室町時代の応永年間(1394~1428年)に駿河国の守護大名 今川氏の家臣 斎藤安元が築造しました。室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)、駿河(静岡県中部)に侵攻した甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけ
静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川(なかがわ)の刑部城(おさかべじょう)は、徳川家康(とくがわ いえやす)の侵攻に備えてこの地に住む今川方の内山党が、3方向を都田川で囲まれた丘陵に築城。別名は阿王山紫城です。室町時代末期(戦国時代)の永禄11年12月13日(1568
静岡県焼津市石脇下(いしわきしも)の谷山古墳群(たにやまこふんぐん)は、高草山(たかくさやま)登山口付近に分布する円墳31基以上で構成されています。谷山1号墳(高崎11号墳)は、昭和40年代前半に発掘調査された、古墳時代中期(5世紀)の築造と考えられる直径17mの円墳。多く
静岡県島田市阪本(さかもと)の森下古墳群(もりしたこふんぐん)は、東洋最大規模の茶園が広がる牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基で構成。文献によって、森下古墳群が谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)に含まれて
静岡県浜松市浜北区(旧浜北市)宮口(みやぐち)の新池古窯跡群(しんいけこようせきぐん)は、農業用ため池「新池」のほとりにある窯跡です。平安時代(11世紀前半)に、灰釉陶器(かいゆうとうき)・碗・瓦を焼いていました。新池古窯跡群は、周辺にある奈良時代から鎌倉時代にか
静岡県浜松市北区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)宇志(うし)の宇志北大里遺跡(うしきたおおりいせき)は、瓦塔遺跡(がとういせき)とも呼ばれます。奈良時代末頃から平安時代前期頃、山の中腹の尾根に高さ202.7cmの五重塔の形をした瓦製の塔(瓦塔)が建てられました。瓦塔は各地に
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、弥生時代後期(約1,900年前)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水田と、復元住居・高床式倉庫が並んだムラを再現。公園内の静岡市立登呂博物館
静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)気賀(ほそえちょうきが)の堀川城(ほりかわじょう)は、戦国時代(室町時代末期)の永禄10年(1567年)から翌年にかけて今川氏配下の気賀領主 新田友作らが、徳川家康の遠江侵攻に備えて築城しました。その際、この地に鎮座していた屯倉神
静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)奥泉(おくいずみ)にある大井川鉄道 井川線 奥泉駅の駅前広場周辺は、縄文時代を中心とする下開戸遺跡(したのかいといせき、しもかいといせき)です。縄文時代前期~晩期(約6,000~2,300年前)と、平安時代~江戸時代(約800~300年前)の遺物
静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(はいばらぐん かわねほんちょう かみながお)の上長尾遺跡(かみながおいせき)は、大井川中流域の一番低い河岸段丘(大井川から10m程の高さ)に位置する、縄文時代早期から弥生時代初頭の遺跡です。昭和27年(1952年)、島田高等
静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)東藤川(ひがしふじかわ)の大島遺跡(おおしまいせき)は、大井川左岸の一番低い河岸段丘(大井川の水面から約10mの高さ)に位置する、縄文時代後期(約4,500年前~3,000年前)から弥生時代前期(約2,500年前~2,000年前)の遺跡です。縄文土器(縄