静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東(かなやあずま)2丁目の宅円庵(たくえんあん)には、日本左衛門首塚(にっぽん ざえもん くびつか)があります。日本左衛門(本名 濱島庄兵衛)は江戸時代中期の盗賊で、歌舞伎「白波五人男」(しらなみごにんおとこ)の日本駄右衛門のモデルに
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
歌舞伎「白波五人男」のモデルになった盗賊 日本左衛門首塚 宅円庵 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東2丁目 大井川鉄道新金谷駅の南東)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東(かなやあずま)2丁目の宅円庵(たくえんあん)には、日本左衛門首塚(にっぽん ざえもん くびつか)があります。日本左衛門(本名 濱島庄兵衛)は江戸時代中期の盗賊で、歌舞伎「白波五人男」(しらなみごにんおとこ)の日本駄右衛門のモデルに
清水次郎長の子分「遠州 森の石松の墓」遠州三十三観音霊場 第2番札所 曹洞宗 橘谷山 大洞院 (静岡県周智郡森町橘249)
静岡県周智郡森町橘(しゅうちぐん もりまち たちばな)の曹洞宗 橘谷山 大洞院(きっこくさん だいとういん)は、室町時代の応永18年(1411年)に恕仲禅師(じょちゅうぜんじ)が梅山禅師を開山として、第4代将軍 足利義持(あしかが よしもち)が寄進した荘園の場所に創建。全国に3
本多忠勝のひ孫 市指定文化財 遠江相良藩 初代藩主 本多忠晴の墓 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津632-6 小堤山公園)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津(はづ)の小堤山公園(こづつみやまこうえん)には、市指定文化財の遠江相良藩 初代藩主・本多忠晴(ほんだ ただはる)の墓があります。本多忠晴は、徳川家康の重臣・本多忠勝(ほんだ ただかつ)のひ孫です。江戸時代中期の正徳3年(1713年)、
町指定文化財 天方城主3代の墓 天方氏の菩提寺 曹洞宗 松厳山 蔵雲院 (静岡県周智郡森町大鳥居540-1)
静岡県周智郡森町大鳥居(しゅうちぐん もりまち おおとりい)の曹洞宗 松厳山 蔵雲院(しょうがんざん ぞううんいん)には、町指定文化財 天方(あまがた)城主3代の墓があります。3基並んだ石塔の中央が、蔵雲院開基の天方郷18代地頭 天方山城守通季(あまがた やましろのかみ
鎌倉時代の武将 梶原景時の三男 梶原景茂を討ち取った 吉川友兼の墓 「吉川氏の墳墓」 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川(きっかわ)の吉川氏館跡(きっかわしやかたあと)は、鎌倉幕府御家人 吉川氏の居館跡(きょかんあと)です。平安時代末期の寿永2年(1183年)頃、源頼朝から駿河国吉河荘を所領として与えられた豪族 入江(いりえ)氏が地名の吉河(吉川、吉香)を名
平安時代 後白河天皇の勅使が自害した伝説 勅使塚 (静岡県袋井市豊沢2410-31)
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の勅使塚(ちょくしづか)は、平安時代に後白河天皇(ごしらかわてんのう、在位 久寿2年7月24日(1155年8月23日)~保元3年8月11日(1158年9月5日))の勅使(使者)が埋葬されたという伝説の地です。決められた日の夜明け前に、法多山へ参拝するよう命じ
江戸時代 領民に慕われた波津陣屋代官 小島焦園の墓 波切不動尊(臨済宗 不動山 善能寺) (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江696)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗 不動山 善能寺(お不動さん、波切不動尊)には、江戸時代後期に一橋領の遠江国 波津(はづ)陣屋(相良御役所)代官を務めた小島源一焦園(こじま げんいち しょうえん)の墓があります。文政6年(1823年)2月12日、小島焦園が波
戦国時代 徳川家康の正室 旭姫(朝日姫)の墓所 曹洞宗 泰雲山 瑞龍寺 (静岡県静岡市葵区井宮町48)
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)の曹洞宗 泰雲山 瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、室町時代末期(戦国時代)の永禄3年(1560年)に曹洞宗 大森山 長源院(静岡市葵区沓谷)5世 能屋梵藝(のうおくぼんげい)大和尚が開創。豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の異父妹(いふまい)で、徳川
江戸時代 全国の社寺を巡礼した六十六部の記念碑 廻国供養塔 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)下小杉)
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)下小杉(しもこすぎ)の廻国供養塔(かいこくくようとう)は、江戸時代に全国の社寺を参拝する六十六部(ろくじゅうろくぶ)廻国巡礼を行なった巡礼者が建立した巡礼(順禮)塔です。宝永6年2月19日(1709年3月29日)、遠江国(遠州)榛原郡下小杉村の横
古墳時代前期(4世紀後半頃) 三角縁神獣鏡が出土した前方後円墳 連福寺古墳 (静岡県磐田市二之宮字大道東1262 臨済宗妙心寺派 龍池山 連福寺)
静岡県磐田市二之宮(にのみや)の連福寺古墳(れんぷくじこふん)は、臨済宗妙心寺派 龍池山 連福寺の本堂付近にあったと考えられる古墳時代前期(4世紀後半頃)の前方後円墳です。全長50m以上・後円部直径約50mの規模で、前方部が西向きと推定されています。昭和5年(1930年)の
古墳時代中期(5世紀前半頃) 直径約36mの円墳 県指定史跡 土器塚古墳 (静岡県磐田市国府台(中泉(西新町)字八幡前))
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の県指定史跡 土器塚古墳(かわらけづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)に築かれた円墳です。直径約36m、高さ約5mの規模で、墳丘に埴輪(はにわ)は無し。墳丘の外側には、幅約7mの周溝(しゅうこう)が巡っています。東西方向長さ7~8m、
茶畑の前方後円墳? 貫名地A3号墳 ネット初公開 貫名地A古墳群 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の貫名地A古墳群(ぬきなじえーこふんぐん)は、6基(5基?)の古墳で構成。残存している古墳は、前方後円墳または円墳の貫名地A3号墳(ぬきなじえーさんごーふん)だけです。貫名地A古墳群
古墳時代中期(5世紀頃)の円墳3基 観音山古墳群(五ヶ山C古墳群) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽・浅名)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)・浅名(あさな)の観音山古墳群は、古墳時代中期(5世紀頃)の築造と考えられる円墳3基で構成。別名は五ヶ山C古墳群(ごかやましーこふんぐん)で、古墳4基とする文献もあります。岩松寺観音堂南側の、五ヶ山(ごかやま)と呼ばれる丘陵
山林の中の円墳 ネット初公開 貫名地C古墳群(平芝古墳) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)の貫名地C古墳群(ぬきなじしーこふんぐん)は、茶園が広がる地域の山林の中にあります。貫名地C古墳群は、貫名地C1号墳(平芝古墳)の1基だけです。南側に貫名地A古墳群と貫名地B古墳群、東側には貫名地D古墳群が分布しています。貫
弥生時代の山畑遺跡、5基の円墳 ネット初公開 山畑古墳群 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井字山畑 諸井共同墓地)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の山畑古墳群(やまはたこふんぐん)は、諸井共同墓地内の円墳5基で構成されています。この周辺は弥生時代の山畑遺跡で、古くから人々に利用されてきた土地です。山畑古墳群
サツマイモ栽培を広めた大澤権右衛門 市指定文化財 供養塔(宝篋印塔),いもじいさんの碑 曹洞宗 大澤山 海福寺 (静岡県御前崎市(旧榛原郡御前崎町)御前崎4434)
静岡県御前崎市(旧榛原郡御前崎町)御前崎(おまえざき)の曹洞宗 大澤山 海福寺(かいふくじ)には、市指定文化財 大澤権右衛門 供養塔と「いもじいさんの碑」があります。江戸時代中期の明和3年(1766年)春、遠州灘(えんしゅうなだ)の御前崎沖を航行していた薩摩藩(さつまはん
古墳時代終末期・奈良時代の横穴墓 石田横穴群 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋605 臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
石棒,石剣,石冠が出土 縄文時代前期~晩期の集落 下開戸遺跡 (静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)奥泉468‐3 大井川鉄道 井川線 奥泉駅前広場)
静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)奥泉(おくいずみ)にある大井川鉄道 井川線 奥泉駅の駅前広場周辺は、縄文時代を中心とする下開戸遺跡(したのかいといせき、しもかいといせき)です。縄文時代前期~晩期(約6,000~2,300年前)と、平安時代~江戸時代(約800~300年前)の遺物
縄文時代晩期の遮光器土偶が出土 縄文時代早期~弥生時代初頭 上長尾遺跡 (静岡県榛原郡川根本町上長尾1000 川根本町立中央小学校)
静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(はいばらぐん かわねほんちょう かみながお)の上長尾遺跡(かみながおいせき)は、大井川中流域の一番低い河岸段丘(大井川から10m程の高さ)に位置する、縄文時代早期から弥生時代初頭の遺跡です。昭和27年(1952年)、島田高等
土器,石器,黒曜石などが見つかった 縄文時代後期~弥生時代前期 大島遺跡 (静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)東藤川大島)
静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)東藤川(ひがしふじかわ)の大島遺跡(おおしまいせき)は、大井川左岸の一番低い河岸段丘(大井川の水面から約10mの高さ)に位置する、縄文時代後期(約4,500年前~3,000年前)から弥生時代前期(約2,500年前~2,000年前)の遺跡です。縄文土器(縄
後醍醐天皇の首塚伝説 室町時代頃の短刀が出土 天王原墳丘墓 (静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(梅島)字天王原)
静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(はいばらぐん かわねほんちょう かみながお)の天王原墳丘墓(てんのうばらふんきゅうぼ)は、中世(平安時代後期・院政期(11世紀後半)から戦国時代(16世紀後半)まで)の築造と考えられる墳丘墓です。墳丘は南北に長い楕円形で、
太平洋戦争中に掘られた 掛川古城の防空壕5基 (静岡県掛川市掛川1104 龍華院子角山公園)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の龍華院子角山(りゅうげいんねずみやま)公園周辺は、室町時代(戦国時代)の文明5年(1473年)頃に、守護大名 今川義忠(いまがわ よしただ)の家臣 朝比奈泰熙(あさひな やすひろ)が築いたとされる掛川古城(かけがわこじょう)です。掛川古城本丸東側
歌舞伎役者 三代目尾上菊五郎の墓所 真宗大谷派 福田山 広楽寺 (静岡県掛川市中央2-8-1)
静岡県掛川市中央(ちゅうおう)の真宗大谷派 福田山 広楽寺(廣樂寺)には、歌舞伎役者 三代目 尾上菊五郎(おのえ きくごろう)の墓があります。江戸時代後期の嘉永2年4月24日(1849年5月16日)、三代目 尾上菊五郎は興行のため滞在していた掛川宿 中町の捻金屋治右衛門方で病死
装飾大刀,銅鏡,金銅装馬具などが出土した古墳11基 高根森古墳群 (静岡県島田市阪本字色尾)
静岡県島田市阪本(さかもと)の高根森古墳群(たかねもりこふんぐん)は、古墳11基以上で構成されています。高根森2号墳は、古墳時代後期(6世紀末)に築かれた疑似両袖式(ぎじりょうそでしき)の横穴式石室を有する円墳。大正4年(1915年)3月、装飾大刀(そうしょくたち)・金銅装
古墳時代後期後半(6世紀後半頃~7世紀初頭頃) 横穴式石室を有する円墳 市指定史跡 横岡宮の段古墳 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡字宮之段)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡(よこおか)の「横岡宮の段古墳群」(よこおかみやのだんこふんぐん)は、大井川右岸の河岸段丘「宮の段」に分布する古墳3基(4基?)で構成。市指定史跡 横岡宮の段古墳(横岡宮の段1号墳、宮ノ段古墳)は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃~7世紀
太平洋戦争 戦没者の遺品・遺書などの資料を展示公開 静岡懸護国神社 遺品館 (静岡県静岡市葵区柚木366)
静岡県静岡市葵区柚木(ゆのき)の静岡懸護国神社(しずおかけんごこくじんじゃ)は、明治32年(1899年)11月13日に共祭招魂社として創建されました。昭和14年(1939年)に静岡懸護国神社と改称し、昭和17年(1942年)に静岡市北番町から現在地へ遷座。静岡懸護国神社には、明治維新
市指定文化財 移築された掛川城主の茶室 東海道日坂宿 旅籠「川坂屋」 (静岡県掛川市日坂149‐1)
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。江戸時代の旅籠(はたご)「川坂屋」(かわざかや)には、移築された掛川城主 太田候の茶室が現存しています。この茶室は、江戸時代後期の文化2年(1805年)に掛
第14代将軍 徳川家茂,明治天皇が休息 東海道岡部宿 内野本陣史跡広場 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部831)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)は、東海道五十三次の品川宿から数えて21番目の岡部宿(おかべしゅく)が整備されました。内野本陣(うちのほんじん)は、江戸時代に参勤交代の大名・旗本などが宿泊。江戸幕府第14代将軍 徳川家茂(とくがわ いえもち)や明治天
平安時代(11世紀前半) 灰釉陶器,碗,瓦を焼いた窯跡 新池古窯跡群 (静岡県浜松市浜名区(旧浜北市)宮口)
静岡県浜松市浜名区(旧浜北市)宮口(みやぐち)の新池古窯跡群(しんいけこようせきぐん)は、農業用ため池「新池」のほとりにある窯跡です。平安時代(11世紀前半)に、灰釉陶器(かいゆうとうき)・碗(わん)・瓦(かわら)を焼いていました。新池古窯跡群は、周辺にある奈良時代か
古墳時代中期後半 埴輪を焼いた窯跡 京見塚古墳群 埴輪窯 (静岡県磐田市国府台653-1 京見塚公園)
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳群(きょうみづかこふんぐん) 埴輪窯(はにわかま)は、古墳時代中期後半(5世紀中頃)に埴輪を焼いた窯跡です。東海地方で初めて見つかった埴輪専用窯で、京見塚古墳北側にある周溝(しゅうこう)の外堤部(がいていぶ)に2基築かれてい
遠州七不思議 陰陽師 安倍晴明が祈祷した伝説 市指定史跡 晴明塚 (静岡県掛川市(旧小笠郡大須賀町)大渕3901-2 浜地内)
静岡県掛川市(旧小笠郡大須賀町)大渕(おおぶち)には、遠州七不思議(えんしゅうななふしぎ)のひとつの市指定史跡「晴明塚」(せいめいづか)があります。遠州七不思議とは、遠州地方(静岡県西部の遠江国)に伝わる不思議な伝説・物語のことです。伝説によれば、平安時代の陰陽
東海道一の大親分 清水次郎長が埋葬した咸臨丸乗組員 壮士の墓 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)築地町1)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)築地町(つきじちょう)の市指定文化財 壮士の墓(そうしのはか)は、東海道一の大親分といわれた清水次郎長(しみずのじろちょう)が埋葬した、咸臨丸(かんりんまる)乗組員の墓です。明治元年8月19日(1868年10月4日)、江戸幕府海軍副総裁 榎本武揚(
戦国時代 武田家家臣 笹田源吾供養塔 曹洞宗 那智山 長命寺 (静岡県袋井市木原1)
静岡県袋井市木原(きわら)の曹洞宗 那智山 長命寺(ちょうめいじ)は、室町時代後期(戦国時代)の天文元年(1532年)9月に海蔵寺(袋井市堀越)8世 日山天恵和尚が開山。長命寺の境内には、戦国時代の武将 笹田源吾(ささだ げんご)の供養塔があります。安土桃山時代(戦国時代)の天
江戸時代後期 『駿河大地誌』撰者 河野通世の墓碑 市指定文化財 河野蓀園碑文 十石坂観音堂 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県最多7万609枚の埋蔵銭(古銭)出土地 大門遺跡 (静岡県周智郡森町森字西ノ海戸)
静岡県周智郡森町森(しゅうちぐん もりまち もり)の大門遺跡(だいもんいせき)は、静岡県内最多7万609枚の中世備蓄銭(埋蔵銭)が出土しています。昭和60年(1985年)、大門東(森高校の西側)土地区画整理事業で、地元小学生が廃土の中から約50枚の古銭を発見。この時には、正確
単独で築かれた謎の円墳 八王子神社古墳 (静岡県掛川市富部282 八王子神社)
静岡県掛川市富部(とんべ)の八王子神社古墳(はちおうじじんじゃこふん)は、八王子神社裏の丘陵に築かれた円墳です。直径約10mの円墳のようですが、全体が古墳なら直径約20mの円墳に見えます。未調査なのか、詳細不明の古墳です。八王子神社古墳
市指定文化財 掛川城 蕗の門 円満寺 山門 (静岡県掛川市掛川459)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の円満寺 山門は、徳川家康・山内一豊ゆかりの掛川城にあった四脚門の「蕗の門」(ふきのもん)です。「蕗の門」は、掛川城東側の内堀(蓮池)のほとりに建てられていました。明治5年(1872年)、廃城となり競売にかけられた「蕗の門」を円満寺が買い
江戸時代に耕地整理を実施した豪農 河守宗太夫(惣太夫)秀延の墓 市指定史跡 百ヶ間地田跡 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)上新田829-3 桜井医院付近)
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)上新田(かみしんでん)の市指定史跡 百ヶ間地田跡(ひゃっかまちだあと)は、江戸時代前期の寛文年間(1661~1672年)に耕地整理が行なわれた場所です。豪農であった河守家3代目の河守宗太夫(惣太夫)秀延が、屋敷前の所有地(現在の桜井医院付近)
戦国時代 徳川家康の陣跡 旗指の権現森 (静岡県島田市旗指)
静岡県島田市旗指(はっさし)の史跡 権現森(ごんげんもり)は、徳川家康ゆかりの地です。 室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)12月、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)が今川氏真(いまがわ うじざね)の領国 駿河(静岡県中部)へ侵攻。今川氏領国のうち
江戸時代の古銭が出土 御陣屋稲荷神社 島田代官所跡(御陣屋遺跡) (静岡県島田市柳町・本通4丁目)
静岡県島田市柳町(やなぎまち)・本通(ほんとおり)4丁目の島田市民会館南側のおび通り周辺は、江戸時代の島田代官所跡(しまだだいかんしょあと)です。御陣屋遺跡(ごじんやいせき)とも呼ばれます。江戸時代前期の元和2年(1616年)、東海道 島田宿と周辺地の天領(てんりょう、
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 飯室山古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江3538 飯室乃神社)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の飯室山古墳群(いいむろやまこふんぐん)は、飯室乃神社(いいむろのじんじゃ)境内に分布する円墳4基で構成。古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられ、少なくとも3基の古墳は横穴式石室が見つかっています。神社の踏み石は、石
戦国時代 徳川軍に敗れた武田兵の墓? 坂部の中世石塔群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部 加茂神社の裏山)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)には、謎の中世石塔群(ちゅうせいせきとうぐん)があります。昭和53年(1978年)秋、加茂神社裏山で農道建設のため草ボタを掘り起こしました。五輪塔(ごりんとう)20基余りが掘り出され、遺骨が1つの甕(かめ)に8分目くらいと小蓑に
磐田原台地西縁辺上に築かれた円墳22基 ネット初公開 馬坂上古墳群 (静岡県磐田市匂坂上)
静岡県磐田市匂坂上(さぎさかかみ)の馬坂上古墳群(うまさかかみこふんぐん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する22基の小円墳で構成。天竜川左岸(東岸)の磐田原台地には、古墳時代に多数の古墳が築かれました。茶園開墾・道路建設・土採り工事などで古墳が
奈良時代 官衙跡(役所跡)または豪族の居館跡 県指定史跡 長者屋敷遺跡 (静岡県磐田市寺谷字長者屋敷)
静岡県磐田市寺谷(てらだに)の県指定史跡 長者屋敷遺跡(ちょうじゃやしきいせき)は、磐田原台地(いわたはらだいち)の標高85~88m付近に所在する謎の遺跡です。飛鳥時代(古墳時代終末期)から奈良時代(7~8世紀)の、豪族(有力者)の居館跡(きょかんあと)または官衙跡(かんがあ
縄文時代の竪穴式住居跡 弥生時代の土器棺墓,土坑墓 新豊院山遺跡 (静岡県磐田市向笠竹之内字新豊院山)
静岡県磐田市向笠(むかさ)の新豊院山遺跡(しんぽういんやまいせき)A~D地点は、曹洞宗 鷲渓山 新豊院の北・南・西側の丘陵尾根に立地しています。発掘調査では、縄文時代の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)、弥生時代の土器棺墓(どきかんぼ)・土坑墓(どこうぼ)・
横穴式石室を有する円墳? ネット初公開 地蔵山古墳 (静岡県島田市阿知ヶ谷字地蔵山)
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の地蔵山古墳(じぞうやまこふん)は、阿知ヶ谷アルプス・ハイキングコースの地蔵山山頂(標高約183m)付近に所在する円墳です。山頂から少し下った緩斜面に、石室材らしき砂岩が露出。古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた、横穴式石室を有する古
古墳時代後期(6世紀) 横穴式石室を有する円墳15基? 鵜田古墳群 (静岡県島田市野田北ノ谷他)
静岡県島田市野田(のだ)の鵜田古墳群(うだこふんぐん)は、野田山(標高143.3m)東裾部の舌状台地に分布する古墳15基で構成された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳時代後期(6世紀代)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の円墳だと考えられています。島田市大津地区(
弥生,古墳時代の集落 奈良~平安時代の掘立柱建物群 宮ノ西遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂宮の西)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂(かも)の宮ノ西遺跡(みやのにしいせき)は、菊川右岸(西岸)の沖積地に所在する弥生・古墳・奈良・平安時代・中世・近世の複合遺跡です。平成18~23年度、宮の西土地区画整理事業に伴う発掘調査を実施。弥生時代から古墳時代にかけての集落
法然上人ゆかりの応声教院北側の円墳 ネット初公開 法然塚古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田杉森)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田(なかうちだ)の法然塚古墳(ほうねんづかこふん)は、浄土宗 松風霊山 応声教院(おうしょうきょういん)北側の丘陵に単独で築かれた円墳です。出土した横瓶(よこべ、よこべい)は、応声教院が所蔵しています。法然塚古墳
徳川家康が築いた砦の斜面に分布 獅子ヶ鼻砦横穴群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石(おおいし)の獅子ヶ鼻砦横穴群(ししがはなとりでよこあなぐん)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半(7世
弥生時代後期(紀元0年頃)の県内最大級 大型堀立柱建物の柱根が出土 東原田遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川1647 菊川市中央公民館)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の東原田遺跡(ひがしはらだいせき)は、平成10年(1998年)に「おがさセントラルパーク」建設に伴う発掘調査が行われました。弥生時代中期から後期にかけての竪穴式住居跡、弥生時代後期(紀元0年頃)の県内最大級(東西約14m、
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 能光寺境内古墳 (静岡県袋井市愛野3079 曹洞宗 金峰山 能光寺の墓地)
静岡県袋井市愛野(あいの)の能光寺境内古墳(のうこうじけいだいこふん)は、曹洞宗 金峰山 能光寺(のうこうじ)の墓地にあります。横穴式石室の奥壁付近が一部残存しており、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた円墳と考えられる古墳です。能光寺境内古墳
戦国時代 宇刈七騎のひとり村松氏が築城? 本庄山砦 (静岡県袋井市春岡字春日山)
静岡県袋井市春岡(はるおか)の本庄山砦(ほんじょうざんとりで)は、曹洞宗 安養山 極楽寺の北側にある春日山(標高約70m)に築かれた平山城です。砦の南方(小字天白)には、村松武大夫館跡と伝えられる場所があります。戦国時代の永禄年間(1558~1570年)に、宇刈七騎のひとりで
古墳時代中期~後期の円墳7基 地蔵ヶ谷古墳群 (静岡県袋井市愛野(高尾字谷田) 袋井市立袋井南幼稚園付近)
静岡県袋井市愛野(あいの)の地蔵ヶ谷古墳群(じぞうがやこふんぐん)は、丘陵上に築かれた古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)~後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の築造と推定される円墳7基で構成。袋井南幼稚園北側の丘陵に、一部の古墳が残存しています。地蔵ヶ谷古墳群
円筒埴輪が出土 全長約35mの前方後円墳 権現山古墳 (静岡県袋井市国本権現山)
静岡県袋井市国本(くにもと)の権現山古墳(ごんげんやまこふん)は、古墳時代中期後葉(5世紀後半頃)~後期前葉(6世紀前半頃)に築かれた前方後円墳です。全長約35m、前方部幅約16m、前方部の高さ約2m、後円部径約15m、後円部の高さ約2mの規模。墳丘からは、円筒埴輪(えんとう
戦国時代 小山城の出郭を兼ねた居館 吉田町指定史跡 大熊備前守屋敷跡 (静岡県榛原郡吉田町神戸2646-4他)
静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の吉田町指定史跡 大熊備前守屋敷跡(おおくまびぜんのかみやしきあと)は、甲斐国(かいのくに、山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)の家臣で、小山城(こやまじょう)城主 大熊備前守朝秀(おおくま びぜんのかみ ともひで、別名は長
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 南原古墳群 (静岡県島田市船木字南原)
静岡県島田市船木(ふなき)の南原古墳群(みなみはらこふんぐん)は、7基以上の古墳がありました。残存しているのは民家の庭にある円墳1基だけで、南原古墳とよばれています。発掘調査が行われていないため、詳細不明です。直径10m以下の円墳で墳丘が高く、古墳時代後期(6世紀
古墳時代後期(6世紀)以降 半地下式の横穴式石室を有する円墳3基 森下古墳群 (静岡県島田市阪本)
静岡県島田市阪本(さかもと)の森下古墳群(もりしたこふんぐん)は、東洋最大規模の茶園が広がる牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基で構成。文献によって、森下古墳群が谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)に含まれて
古墳時代中期~後期の集落・中世の複合遺跡 道下遺跡 (静岡県焼津市栄町5‐14‐1(塩津、道下) 焼津東小学校周辺)
静岡県焼津市栄町(塩津、道下)の道下遺跡(みちしたいせき)は、大井川水系が形成した沖積平野の焼津微高地上に営まれた、古墳時代中期~後期の集落(ムラ)・中世の複合遺跡です。昭和57年(1982年)の発掘調査で、古墳時代中期(5世紀)の祭祀遺構1基、隅丸方形状の竪穴式住居跡6
古墳時代後期(6世紀) 横穴式石室を有する円墳2基 荒芝古墳群 (静岡県焼津市坂本字晝崩)
静岡県焼津市坂本(さかもと)の荒芝古墳群(あらしばこふんぐん)は、高草山(標高501m)中腹にある丘陵の尾根上に分布。古墳時代後期(6世紀)に築かれた、半地下式の横穴式石室を有する円墳2基で構成されています。昭和34年(1959年)、発掘調査を実施。出土遺物は、土器(須恵器)
春日神社裏山の横穴墓 志味堂横穴群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の志味堂横穴群(しみどうよこあなぐん)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。志瑞谷から堤・下組方向に開口する谷に分布。「春日神社裏山」「志瑞公民館の西側」「隧道周辺」「志味
歌舞伎で有名な鎌倉時代の武将 朝夷(朝比奈)三郎義秀の墓? 朝夷(あさい)氏墓地 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈宮ノ谷)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)にある朝夷(あさい)氏墓地の石塔は、鎌倉時代の武将 朝夷(朝比奈)三郎義秀(あさい(あさひな) さぶろう よしひで)の墓だと伝えられています。義秀は、平安時代末期の安元2年(1176年)に和田義盛(わだ よしもり)の三男と
戦国時代 徳川家康軍に敗れ討死した各和氏 各和城跡 (静岡県掛川市各和1925-1 曹洞宗 大昌山 永源寺)
静岡県掛川市各和(かくわ)の各和原段丘の東端にある曹洞宗 大昌山 永源寺(えいげんじ)周辺は、各和城跡(かくわじょうあと)だとされている場所です。室町時代後期(戦国時代)の明応年間(1492~1501年)、この地の領主であった各和伊予守道空が各和城を築きました。城の遺構は
古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳 神明塚古墳 (静岡県掛川市岡津字神明塚)
静岡県掛川市岡津(おかつ)の神明塚古墳(しんめいづかこふん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられている円墳です。茶園が広がる段丘上にあり、墳丘も茶園になっています。神明塚古墳
古墳時代後期以降の前方後円墳 原新田古墳 (静岡県掛川市下西郷字原新田)
静岡県掛川市下西郷(しもさいごう)の原新田古墳(はらしんでんこふん)は、古墳時代後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)以降の築造と考えられている前方後円墳です。昭和61年(1986年)、市教育委員会が調査を実施。前方後円墳なのに、なぜか知られていません。原新田古墳
古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳 塩辛山古墳 (静岡県掛川市杉谷下池)
静岡県掛川市杉谷(すぎや)の塩辛山古墳(しおからやまこふん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられている円墳です。掛川工業高校南側の丘陵頂部に、単独で所在しています。塩辛山古墳
珍しい前方後方墳? 蔵王権現神社古墳 (静岡県袋井市鷲巣1293 六所神社)
静岡県袋井市鷲巣(わしず)の六所神社境内は、県内では珍しい前方後方墳だと考えられています。六所神社は元々が蔵王権現神社であったことから、蔵王権現神社古墳(ざおうごんげんじんじゃこふん)と名付けられました。昭和58年(1983年)に地元住民が土器を採取しており、1992
短甲・銅鏡・馬具などが出土 古墳時代中期(5世紀後半) 直径27mの円墳 石ノ形古墳 (静岡県袋井市国本 北原川石ノ形333)
静岡県袋井市国本(くにもと)の石ノ形古墳(いしのがたこふん)は、古墳時代中期(5世紀後半)に築かれた円墳です。墳丘の規模は直径27m、高さ3mで、幅5m、深さ30cmの周溝(しゅうこう)が巡っています。発掘調査が実施され、東西2ヵ所の主体部(埋葬施設)を検出。西主体部は、短甲
古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳 別所古墳 (静岡県掛川市家代別所)
静岡県掛川市家代(いえしろ)の別所古墳(べっしょこふん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳と考えられています。掛川市立桜木小学校の北西にある、丘陵頂部の茶園に単独で所在。別所古墳
静岡県最大(全長112m)の前方後円墳? 下山古墳 (静岡県掛川市上西郷方の橋)
静岡県掛川市上西郷(かみさいごう)の下山古墳(しもやまこふん)は、明治43年(1910年)頃に土器が出土し前方後円墳だと考えられました。静岡県内最大(全長112m)の古墳だとする説もありますが、発掘調査が行われていないため詳細不明です。下山古墳
古墳時代後期 弥生時代の方形周溝墓を古墳に再利用 ネット初公開 王子古墳群 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井字王子)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の王子古墳群(おうじこふんぐん)は、円墳3基(王子1~3号墳)と弥生時代後期(1世紀中頃~3世紀中頃)の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)を盛土して再利用した古墳1基(王子4号墳)で構成。王子4号墳の主体部(埋葬施設)から、刀子(とう
江戸時代 高潮災害時の避難場所として造られた築山 県指定史跡 大野命山 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)大野)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)大野(おおの)の県指定史跡 大野命山(おおのいのちやま)は、江戸時代前期に高潮災害時の避難場所として造られた築山(つきやま、人工の小山)です。袋井市(旧磐田郡浅羽町)南部は、遠州灘に面した海抜の低い浅羽(あさば)低地が広がっています。江
埴輪が出土 古墳時代後期前半 直径40mの円墳 地蔵山古墳群 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)松原字堂池,大将)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)松原(まつばら)の地蔵山古墳群(じぞうやまこふんぐん)は、海岸近くの平野部にある旧期砂堤上に築かれた円墳4基で構成されています。昭和59年(1984年)の分布調査で、農道建設により削られた場所から円筒埴輪が見つかり、直径約40mの円墳 地蔵山
丘陵尾根に築かれた円墳16基以上 ネット初公開 不動ヶ谷古墳群 (静岡県掛川市大池,下垂木字不動ヶ谷 曹洞宗 和光山 永江院の周辺)
静岡県掛川市大池(おおいけ)・下垂木(しもたるき)の不動ヶ谷古墳群(ふどうがやこふんぐん)は、曹洞宗 和光山 永江院(ようこういん)周辺の丘陵尾根に築かれた円墳16基以上で構成されています。掛川バイパスと住宅地の建設で丘陵が削られ、半数以上の古墳が消滅。永江院西側
横地城の中にある 古墳時代前期? 全長36mの前方後円墳 庚申塚古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)神尾字山脇758)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)神尾(かんのう)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、古墳時代前期(3世紀中頃~4世紀後半頃)の築造ではないかと推測される前方後円墳です。山城の横地城(よこちじょう、よこじじょう)の中にあり、菊川市内では唯一保存状態が良い前方後円墳で
堤城跡周辺の丘陵尾根に築かれた円墳 八幡ヶ谷古墳群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の八幡ヶ谷古墳群(はちまんがやこふんぐん)は、丘陵尾根に築かれた円墳です。菊川市の丘陵は、尾根に古墳群・斜面には横穴群が集中しています。戦国時代の永世年間(1504~1513年)、守護大名・戦国大名 今川氏親(いまがわ
水害から集落を守る土手 栃山川の第2堤防 (静岡県焼津市本中根)
静岡県焼津市本中根(ほんなかね)の国道150号西側には、栃山川(とちやまがわ)の第2堤防(集落を守る囲い土手?)の一部が残存。焼津市の平野部は、かつて大井川下流域の氾濫原(はんらんげん、河原)が広がっていた場所で、「~島」「~河原」という地名が多くあります。江戸時
前方後円墳または円墳1基と円墳12基 大門山古墳群 (静岡県袋井市高尾字東谷)
静岡県袋井市高尾(たかお)の大門山古墳群(だいもんやまこふんぐん)は、丘陵端部河岸段丘上(標高約30~40m)に分布する古墳13基で構成されています。大門山13号墳は前方後円墳または円墳で、他の12基は円墳です。発掘調査は行われていませんが、何基かはすでに掘られているよ
古墳時代前期(4世紀後半頃) 壺形埴輪が出土した前方後円墳 国指定史跡 御厨古墳群 稲荷山古墳 (静岡県磐田市新貝字子犬間添)
静岡県磐田市新貝(しんがい)の稲荷山古墳(いなりやまこふん)は、東海道本線北側の曹洞宗 三白山 連城寺(れんじょうじ)の裏山に所在。古墳時代前期(4世紀後半頃)の築造と推定される、前方部がほぼ北向きの前方後円墳です。墳長約46.5m、前方部幅約18m、前方部高さ約3m、後円
古墳時代中期(4~5世紀頃) 直径約36mの円墳 ネット初公開 観音山古墳 (静岡県磐田市天竜464-1 千手観音堂)
静岡県磐田市天竜(てんりゅう)の観音山古墳(かんのんやまこふん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀頃)の築造と考えられる円墳です。現状の規模は、高さ約4m・直径約25m。平成2年(1990年)の調査で南側から周溝(しゅうこう)が検出され、直径約36mだったと推定されます。観音
国指定重要文化財の大講堂 明治時代の木造建物群 二宮金次郎の報徳思想 大日本報徳社 (静岡県掛川市掛川1176)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の公益社団法人 大日本報徳社(だいにっぽんほうとくしゃ)は、二宮金次郎(にのみや きんじろう、二宮尊徳(にのみや たかのり(そんとく)と改名)の報徳思想(ほうとくしそう)を伝承する大本山(本社)です。現存する国内最古の公会堂の国指定重要文化
江戸時代 東海道 日坂宿 素泊まりの庶民旅籠 「萬屋」 (静岡県掛川市日坂)
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。現存する江戸時代の旅籠(はたご)や商家などは一般公開され、ウォーキングコースとして人気があります。「川坂屋」(かわざかや)は、士分格(武士)などが宿泊
古墳時代後期,終末期(6~7世紀) 横穴式石室を有する円墳 鹿島古墳群 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)梅ヶ谷字宮上463 鹿嶋神社)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)梅ヶ谷(うめがや)の鹿島古墳群(かしまこふんぐん)は、古墳時代後期~終末期(6世紀後半~7世紀)頃の、横穴式石室を有する円墳数基で構成されています。鹿嶋神社が鎮座する小丘陵に分布していますが、何基の古墳があったのか不明です。須恵器が
勝海舟屋敷,母の隠居所「海舟庵」 曹洞宗 門屋山 宝寿院(寶壽院) (静岡県静岡市葵区門屋639)
静岡県静岡市葵区門屋(かどや)の曹洞宗 門屋山 宝寿院(ほうじゅいん)は、曹洞宗 慈悲尾山 増善寺(静岡市葵区慈悲尾)の末寺です。江戸時代末期(幕末)の文久元年(1861年)、駿府浅間神社(静岡浅間神社)の神職を引退した新宮高平(しんぐう こうへい、中村高平)が、全108巻から
全国の霊場巡りをした巡礼者が建立した巡礼塔 諸國霊所巡拝記念碑 浄土宗 大徳山 称名院 正定寺 (静岡県藤枝市藤枝2-3-27)
静岡県藤枝市藤枝の浄土宗 鎮西派智恩院末 大徳山 称名院 正定寺(だいとくざん しょうみょういん しょうじょうじ)は、室町時代の寛正3年(1462年)に鎌倉光明寺の僧 信蓮社貞誉が開きました。墓地にある諸國霊所巡拝記念碑は、四國三十三観音霊場・西國三十三所・秩父三十四
古墳時代中期~後期 全長34.5mの前方後円墳 国指定史跡 御厨古墳群 御厨堂山古墳 (静岡県磐田市鎌田川田 兎山公園)
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の兎山(うさぎやま)公園にある御厨堂山古墳(みくりどうやまこふん)は、国指定史跡 御厨古墳群(みくりやこふんぐん)を構成する大型古墳5基のひとつです。ほぼ北向きの前方部を有する前方後円墳で、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)~後期(5世
短甲,冑,銅鏡が出土 古墳時代中期(4~5世紀)の円墳4基 安久路古墳群 (静岡県磐田市西貝塚字大山越)
静岡県磐田市西貝塚(にしかいづか)の安久路古墳群(あくろこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳4基で構成。安久路丸山古墳(安久路丸山1号墳、安久路1号墳)は、直径約47mの円墳です。安久路2号墳は、葺石(ふきいし)を有する直径約26m
徳川家康の砦に建立された五輪塔,宝篋印塔 三井山砦本曲輪の石塔群 (静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂)
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂(おおさか)の三井山砦(みついざんとりで)は、室町時代末期(安土桃山時代)の天正7年(1579年)に徳川家康の家臣 酒井与四郎重忠(さかい よしろう しげただ)が、武田軍の高天神城を包囲する六砦のひとつとして築いたとされています。実際には
中国から伝来した道教の庚申信仰 庚申供養塔 (静岡県焼津市道原)
静岡県焼津市道原(どうばら)の庚申供養塔(こうしんくようとう)は、曹洞宗 天星山 永明寺(てんせいざん えいめいじ)の西側に所在。中国から伝来した道教(どうきょう)の庚申信仰(こうしんしんこう)では、人間の体内にいる三尸虫(さんしちゅう)が、60日ごとの庚申(かのえさる
江戸時代末期(幕末)に建立 市指定文化財 長谷川家長屋門 (静岡県島田市落合824)
静岡県島田市落合(おちあい)の市指定文化財 長谷川家長屋門(はせがわけながやもん)は、江戸時代末期(幕末)の元治元年(1864年)に建立されました。安土桃山時代の天正18年(1590年)頃、徳川家康が豊臣秀吉から在京賄料の一部として与えられた島田周辺の2,000石を管理をするた
市指定文化財 木喰仏を展示 民藝運動百年×焼津遺産初年記念企画展「やいづの‼ーみんなでつなぐ焼津の遺産ー」焼津市歴史民俗資料館 (静岡県焼津市三ケ名1550)
静岡県焼津市三ケ名(さんがみょう)の焼津市歴史民俗資料館(焼津市文化センター2階)で、『民藝運動百年×焼津遺産初年記念企画展「やいづの‼ーみんなでつなぐ焼津の遺産ー」』を開催。江戸時代に木喰五行上人(もくじきごぎょうしょうにん)が彫った、市指定文化財の木喰仏(
古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳2基 小山平古墳群 (静岡県掛川市下垂木字小山平)
静岡県掛川市下垂木(しもたるき)の小山平古墳群(おやまだいらこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられている円墳2基で構成。十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)裏の丘陵に分布しています。小山平古墳群
山頂にある2段築成の円墳 宮ヶ谷行人塚古墳 (静岡県掛川市満水畑ヶ中 逆川高区配水池の南西)
静岡県掛川市満水(たまり)の宮ヶ谷行人塚古墳(みやがやぎょうにんづかこふん)は、逆川高区配水池の南西の山頂に築かれた円墳です。規模は直径約15mで、2段築成(にだんちくせい)の墳丘には周溝(しゅうこう)が巡っています。周辺の丘陵尾根には、南郷古墳群など多数の古墳が
古墳時代の玉砥石? 史跡「鬼かき石」 高野山真言宗 楞巌山 鬼岩寺 (静岡県藤枝市藤枝3-16-14)
静岡県藤枝市藤枝(ふじえだ)の高野山真言宗 楊厳山 鬼岩寺(りょうごんざん きがんじ)は、奈良時代の神亀3年(726年)に行基(ぎょうき)が本尊 聖観世音菩薩を彫り、お堂を建立して祀ったのが始まりとされています。平安時代に弘法大師 空海(こうぼうだいし くうかい)が、この
横穴式石室から馬具が出土 古墳時代中期,後期の円墳18基 岩城山古墳群 (静岡県藤枝市青葉町1丁目 岩城山)
静岡県藤枝市青葉町(あおばちょう)の岩城山古墳群(いわきやまこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)に築かれた円墳18基で構成されています。岩城山緑地公園内の、岩城神社周辺の雑木林に古墳が分布。馬具と須恵器が出土した
須恵器が出土 古墳時代以降の集落跡? 大日遺跡 (静岡県榛原郡吉田町片岡字大日)
静岡県榛原郡吉田町片岡(かたおか)の大日遺跡(だいにちいせき)は、小山城駐車場南側の田園地帯に広がっています。多くの須恵器が見つかっていることから、古墳時代以降の集落跡と推測される遺跡です。湯南原台地の東南端 片岡原に建つ小山城の南西には、能満寺原古墳群(の
戦国時代 武田・徳川軍が戦った向原古戦場 小山城攻防戦死者慰霊碑 (静岡県榛原郡吉田町神戸向原)
静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の向原古戦場(むかいばらこせんじょう)は、戦国時代に武田・徳川軍が度々激しい戦闘を行ないました。元亀2年(1571年)、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)の重臣 馬場美濃守信春(ばば みののかみ のぶはる)が、大井川(おお
太平洋戦争末期にゲリラ戦術を訓練 陸軍中野学校 二俣分校跡 (静岡県浜松市天竜区二俣町二俣530-19 浜松市保健所天竜支所)
静岡県浜松市天竜区(旧天竜市)二俣町(ふたまたちょう)の浜松市保健所天竜支所は、陸軍中野学校 二俣分校の跡地です。太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)秋、旧工兵第3連隊廠舎に陸軍中野学校 二俣分校を開設。ゲリラ戦術・破壊工作などの訓練を行ない、4期約800名の遊撃戦幹
2歳の女の子が発見 縄文時代早期後半(約8,000年前)のトロトロ石器(異形局部磨製石器) 西原遺跡 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈奥原)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の西原遺跡(にしはらいせき)は、縄文時代の遺跡です。平成7年(1995年)5月、遺跡の範囲内にある改植された茶園で遊んでいた2歳の女の子が、珍しいトロトロ石器(異形局部磨製石器(いけいきょくぶませいせっき))を見つけ
丘陵に築かれた円墳16基 ネット初公開 下山古墳群 (静岡県島田市岸字下山)
静岡県島田市岸(きし)の下山古墳群(しもやまこふんぐん)は、曹洞宗 岸谷山 龍江院東側の東西に細長い丘陵の尾根に築かれた円墳16基で構成されています。昭和40年(1965年)頃、西駿考古学会会員の踏査で発見されました。発掘調査が行われていないため、古墳では無い可能性も
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静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東(かなやあずま)2丁目の宅円庵(たくえんあん)には、日本左衛門首塚(にっぽん ざえもん くびつか)があります。日本左衛門(本名 濱島庄兵衛)は江戸時代中期の盗賊で、歌舞伎「白波五人男」(しらなみごにんおとこ)の日本駄右衛門のモデルに
静岡県周智郡森町橘(しゅうちぐん もりまち たちばな)の曹洞宗 橘谷山 大洞院(きっこくさん だいとういん)は、室町時代の応永18年(1411年)に恕仲禅師(じょちゅうぜんじ)が梅山禅師を開山として、第4代将軍 足利義持(あしかが よしもち)が寄進した荘園の場所に創建。全国に3
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津(はづ)の小堤山公園(こづつみやまこうえん)には、市指定文化財の遠江相良藩 初代藩主・本多忠晴(ほんだ ただはる)の墓があります。本多忠晴は、徳川家康の重臣・本多忠勝(ほんだ ただかつ)のひ孫です。江戸時代中期の正徳3年(1713年)、
静岡県周智郡森町大鳥居(しゅうちぐん もりまち おおとりい)の曹洞宗 松厳山 蔵雲院(しょうがんざん ぞううんいん)には、町指定文化財 天方(あまがた)城主3代の墓があります。3基並んだ石塔の中央が、蔵雲院開基の天方郷18代地頭 天方山城守通季(あまがた やましろのかみ
静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川(きっかわ)の吉川氏館跡(きっかわしやかたあと)は、鎌倉幕府御家人 吉川氏の居館跡(きょかんあと)です。平安時代末期の寿永2年(1183年)頃、源頼朝から駿河国吉河荘を所領として与えられた豪族 入江(いりえ)氏が地名の吉河(吉川、吉香)を名
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の勅使塚(ちょくしづか)は、平安時代に後白河天皇(ごしらかわてんのう、在位 久寿2年7月24日(1155年8月23日)~保元3年8月11日(1158年9月5日))の勅使(使者)が埋葬されたという伝説の地です。決められた日の夜明け前に、法多山へ参拝するよう命じ
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗 不動山 善能寺(お不動さん、波切不動尊)には、江戸時代後期に一橋領の遠江国 波津(はづ)陣屋(相良御役所)代官を務めた小島源一焦園(こじま げんいち しょうえん)の墓があります。文政6年(1823年)2月12日、小島焦園が波
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)の曹洞宗 泰雲山 瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、室町時代末期(戦国時代)の永禄3年(1560年)に曹洞宗 大森山 長源院(静岡市葵区沓谷)5世 能屋梵藝(のうおくぼんげい)大和尚が開創。豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の異父妹(いふまい)で、徳川
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)下小杉(しもこすぎ)の廻国供養塔(かいこくくようとう)は、江戸時代に全国の社寺を参拝する六十六部(ろくじゅうろくぶ)廻国巡礼を行なった巡礼者が建立した巡礼(順禮)塔です。宝永6年2月19日(1709年3月29日)、遠江国(遠州)榛原郡下小杉村の横
静岡県磐田市二之宮(にのみや)の連福寺古墳(れんぷくじこふん)は、臨済宗妙心寺派 龍池山 連福寺の本堂付近にあったと考えられる古墳時代前期(4世紀後半頃)の前方後円墳です。全長50m以上・後円部直径約50mの規模で、前方部が西向きと推定されています。昭和5年(1930年)の
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の県指定史跡 土器塚古墳(かわらけづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)に築かれた円墳です。直径約36m、高さ約5mの規模で、墳丘に埴輪(はにわ)は無し。墳丘の外側には、幅約7mの周溝(しゅうこう)が巡っています。東西方向長さ7~8m、
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の貫名地A古墳群(ぬきなじえーこふんぐん)は、6基(5基?)の古墳で構成。残存している古墳は、前方後円墳または円墳の貫名地A3号墳(ぬきなじえーさんごーふん)だけです。貫名地A古墳群
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)・浅名(あさな)の観音山古墳群は、古墳時代中期(5世紀頃)の築造と考えられる円墳3基で構成。別名は五ヶ山C古墳群(ごかやましーこふんぐん)で、古墳4基とする文献もあります。岩松寺観音堂南側の、五ヶ山(ごかやま)と呼ばれる丘陵
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)の貫名地C古墳群(ぬきなじしーこふんぐん)は、茶園が広がる地域の山林の中にあります。貫名地C古墳群は、貫名地C1号墳(平芝古墳)の1基だけです。南側に貫名地A古墳群と貫名地B古墳群、東側には貫名地D古墳群が分布しています。貫
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の山畑古墳群(やまはたこふんぐん)は、諸井共同墓地内の円墳5基で構成されています。この周辺は弥生時代の山畑遺跡で、古くから人々に利用されてきた土地です。山畑古墳群
静岡県御前崎市(旧榛原郡御前崎町)御前崎(おまえざき)の曹洞宗 大澤山 海福寺(かいふくじ)には、市指定文化財 大澤権右衛門 供養塔と「いもじいさんの碑」があります。江戸時代中期の明和3年(1766年)春、遠州灘(えんしゅうなだ)の御前崎沖を航行していた薩摩藩(さつまはん
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)奥泉(おくいずみ)にある大井川鉄道 井川線 奥泉駅の駅前広場周辺は、縄文時代を中心とする下開戸遺跡(したのかいといせき、しもかいといせき)です。縄文時代前期~晩期(約6,000~2,300年前)と、平安時代~江戸時代(約800~300年前)の遺物
静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(はいばらぐん かわねほんちょう かみながお)の上長尾遺跡(かみながおいせき)は、大井川中流域の一番低い河岸段丘(大井川から10m程の高さ)に位置する、縄文時代早期から弥生時代初頭の遺跡です。昭和27年(1952年)、島田高等
静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)東藤川(ひがしふじかわ)の大島遺跡(おおしまいせき)は、大井川左岸の一番低い河岸段丘(大井川の水面から約10mの高さ)に位置する、縄文時代後期(約4,500年前~3,000年前)から弥生時代前期(約2,500年前~2,000年前)の遺跡です。縄文土器(縄
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)高橋(たかはし)の県指定史跡 舟久保古墳(ふなくぼこふん)は、標高約73mの丘陵上に築かれた古墳時代中期(5世紀頃)の前方後円墳です。船窪古墳、船久保古墳と表記された文献もあります。墳長は約49m、後円部の直径約26m、後円部高さ約3.5m、前方
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)西方(にしかた)の掘田城跡(ほったじょうあと)は、曹洞宗 拈華山 正法寺(ねんげざん しょうぼうじ)西側の丘陵の細尾根に築かれた山城です。松下城跡とも呼ばれ、遺構(曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、十数条の堀切(ほりきり))が確認できます。室町
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西古墳群(こふかだにしこふんぐん)は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と考えられる方墳5基(4基?)で構成されています。大井川水系によって形成された、沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。昭和57年
静岡県藤枝市助宗(すけむね)の助宗古窯跡群(すけむねこようせきぐん)は、奈良~平安時代に須恵器、平安~鎌倉時代には灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)を焼いていました。別名は助宗窯跡群で、山茶碗の窯跡としては東海地域最東端です。100基以上の窯跡が、
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の曹洞宗 大窪山 徳願寺には、駿河国守護 今川義忠(いまがわ よしただ)の正室 北川殿の墓(五輪塔)があります。北川殿は、今川義元(いまがわ よしもと)の祖母です。奈良時代の養老元年(717年)、徳願寺は真言宗の寺院として創建。
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の丸子城(宇津谷城、三角城)は、室町時代の応永年間(1394~1428年)に駿河国の守護大名 今川氏の家臣 斎藤安元が築造しました。室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)、駿河(静岡県中部)に侵攻した甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけ
静岡県静岡市駿河区用宗(もちむね)の持舟城(もちふねじょう)は、戦国時代に徳川家康が攻略した武田水軍の拠点の山城です。用宗城(もちむねじょう)とも呼ばれます。江戸時代までの持舟城周辺は、北側は深田と沼地・西側は交通の難所の大崩海岸・南側の城下は駿河湾の入江に
静岡県袋井市川井(かわい)の曹洞宗 玉照山 円通寺(えんつうじ)には、歴代の川井代官の墓があります。江戸時代前期の寛永10年(1633年)頃、幕府が遠江国山名郡(とおとうみのくに やまなぐん) 袋井宿周辺の天領(幕府の直轄地)8万石余りを支配するため、円通寺の南側に川井代
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上(かわかみ)の代之谷古墳(だいのやこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。八幡神社境内に単独で所在する古墳で、箱形石棺が見つかっています。代之谷古墳
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田(わだ)の皿山古窯跡群(さらやまこようせきぐん)は、平安時代末期から鎌倉時代(12~13世紀)にかけて、灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)・仏具(ぶつぐ)・瓦(かわら)などを焼いていた窯跡です。平成14年(2002年)の排水路建設
静岡県榛原郡吉田町川尻(はいばらぐん よしだちょう かわしり)高畑の成因寺堤跡(じょういんじづつみあと)は、江戸時代に大井川下流右岸の平野へ築かれた堤防跡です。川尻(かわしり)は河口を意味する地名で、大井川が増水する度に洪水が発生して堤防は決壊。民家・寺・神社
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 地福山 種月院(しゅげついん)は、坂本龍馬を暗殺した京都見廻組 今井信郎(いまい のぶお)の碑がある事で知られています。種月院周辺では、開墾して茶園を造った際に多くの古墳が発見されたそうです。埋蔵文化財として登録されていない
静岡県島田市大草(おおくさ)の仲山経塚(なかやまきょうづか)は、丘陵の頂上付近に築かれた経塚です。経塚からは、中世(平安時代後半から戦国時代(11世紀後半頃~16世紀後半頃))の陶質土器(とうしつどき)が出土しています。仲山経塚
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の榛原公園(はいばらこうえん)は、龍眼山城跡(りゅうげんざんじょうあと)です。龍眼山(標高76m)の山頂付近に築かれた平山城(ひらやまじろ、ひらやまじょう)で、遺構は曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・堀切(ほりきり)。戦国時代、