静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の山ヶ谷古墳(やまがやこふん)は、明治時代の終わり頃 山林の茶園開墾中に三環鈴(さんかんれい)が出土しました。三環鈴はとても珍しい古墳時代中期(5世紀頃)の馬具で、これまでに県内では2例しか出土していません。山
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
溝で囲まれた中世居館 市指定史跡 十二所居館跡(諸井十二所居館) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井字十二所)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
戦国時代の遺構がある連郭式の平山城 釜原城跡 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野字中尾)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の釜原城跡(かまっぱらじょうあと)は、菊川市(旧小笠郡小笠町)との境界付近の丘陵(標高66m)に築かれた連郭式(れんかくしき)の平山城(ひらやまじょう)です。昭和47年(1972年)に廃寺となった山田ケ谷の曹洞宗 聖道寺(しょうどうじ
戦国時代 武田晴信(信玄)の父 武田信虎が居住 有東砦 (静岡県静岡市駿河区有東1丁目 有東山)
静岡県静岡市駿河区有東(うとう)の有東砦(うとうとりで)は、室町時代中期頃(戦国時代)に駿河今川氏の家臣 福島氏が、今川駿府館の支城砦として独立丘陵の有東山(標高35.4m)に築きました。室町時代後期(戦国時代)の天文10年(1541年)、甲斐(山梨県)の守護大名・戦国大名 武
今川義元公慰霊塔(墓),墨崎延命地蔵尊 臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院 (静岡県静岡市葵区大岩本町26-23)
静岡県静岡市葵区大岩本町(おおいわほんちょう)の臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院(ふしゅんいん)には、今川義元公慰霊塔(今川義元の墓)があります。境内の地蔵堂は、今川義元ゆかりの伝説がある墨崎延命地蔵尊(高さ約80cm)を祀る駿河一国百地蔵尊 第52番札所です。今川義元公
弥生時代の集落 奈良,平安時代の郡役所跡 益頭郡衙跡 郡遺跡 (静岡県藤枝市立花)
静岡県藤枝市立花(たちばな)の郡遺跡(こおりいせき)は、弥生時代から平安時代までを中心とする複合遺跡です。律令期(奈良・平安時代)には、駿河国益頭郡(するがのくに ましずぐん)の郡役所 益頭郡衙(ましずぐんが)が置かれていたと考えられています。出土した弥生時代の高
奈良,平安時代 国指定史跡 志太郡衙跡の関連遺跡 秋合遺跡 (静岡県藤枝市南新屋14-1 青島北地区交流センター周辺)
静岡県藤枝市南新屋(みなみあらや)の秋合遺跡(あきあいいせき、あきあわせいせき)は、国指定史跡 志太郡衙跡(しだぐんがあと、御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき))に隣接する奈良・平安時代の遺跡です。発掘調査で見つかった井戸跡が、青島北地区交流センター「にこにこ広場」に
江戸時代後期 『駿河大地誌』撰者 河野通世の墓碑 市指定文化財 河野蓀園碑文 十石坂観音堂 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
戦国時代 今川氏重臣の庵原氏が築城 庵原城跡 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷 臨済宗妙心寺派 高部山 大乗寺の北)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
白鳳時代(7世紀後半) 古代の寺院跡 尾羽廃寺跡 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の尾羽廃寺跡(おばねはいじあと)は、広義の飛鳥時代(592~710年)のうちの後半に相当する白鳳時代(7世紀後半)に建てられた寺院跡です。金堂跡(こんどうあと)・講堂跡(こうどうあと)・中門跡(ちゅうもんあと)などの遺構が発見され、
奈良・平安時代 国有の馬の牧場 白羽官牧跡 (静岡県御前崎市(旧榛原郡御前崎町)白羽 御前崎台地)
静岡県御前崎市(おまえざきし)は、離島を除き県内最南端の岬「御前崎」がある海の街として有名です。地名の由来は、御厩崎(うまやざき)から転化したという説があります。平安時代中期に編纂された古代法典『延喜式』(えんぎしき)には、白羽官牧(しろわのかんまき)が置かれ
巨岩の磐座(いわくら) 立石稲荷(波田のお稲荷さん) (静岡県島田市野田波田)
静岡県島田市波田(はだ)の立石稲荷(たていしいなり)は、岩陰(いわかげ)に稲荷社(いなりしゃ)が祀られた磐座(いわくら、神が降臨する場所とされる巨岩)です。「波田のお稲荷さん」とも呼ばれ、商売繁盛・大漁祈願・家内安全などに御利益があるとされています。御神体(ごしん
江戸時代? 一字一石経が出土 祖父ヶ谷経塚 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田伏方祖父ヶ谷)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼 臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江459)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
唐人お吉をハリスに紹介 下田奉行支配組頭 伊佐新次郎峯(岑)満の墓所 曹洞宗 京満山 法林寺 (静岡県島田市阪本4120)
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 京満山 法林寺は、旧幕臣の伊佐新次郎峯(岑)満(いさ しんじろう みねみつ)の墓所です。幕末の安政3年(1856年)、タウゼント・ハリスがアメリカ駐日総領事として来日し、曹洞宗 瑞龍山 玉泉寺(静岡県下田市柿崎)にアメリカ総領事館を開
江戸時代 天明の大飢饉 民衆救済のため建立 市指定史跡 妙昌寺経塚 曹洞宗 海照山 妙昌寺 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江854⁻1)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
未調査の後期群集墳 円墳20基以上 ネット初公開 東山南古墳群 (静岡県島田市阿知ケ谷字東山前)
静岡県島田市阿知ケ谷(あちがや)の東山南古墳群(ひがしやまみなみこふんぐん)は、天満天神社北側の山林(標高約90~110m付近)に分布する20基以上(23基?、25基?)の円墳で構成。『静岡県史』には、天神山古墳として記載。未調査ですが、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横
呪われた盗掘者が建立した「古墳の碑」 古墳時代後期・終末期の群集墳 谷口原古墳群 (静岡県島田市阪本字谷口原)
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の
未発掘の横穴式石室 古墳時代後期(6世紀)以降の円墳 伏方古墳 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田伏方235)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の伏方古墳(ふせかたこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。 牧之原市の古墳の多くは茶園の開墾で消滅しており、旧榛原町では唯一未発掘の石室だといわれています。 羨道は破壊されているよ
県内最古の民間の図書館 県指定文化財 淡山翁記念報徳図書館 (静岡県掛川市掛川1176)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の県指定文化財 淡山翁記念報徳図書館(たんざんおうきねんほうとくとしょかん)は、明治8年(1875年)設立の遠江国報徳社(明治44年(1924年)に大日本報徳社と改称) 2代目社長の岡田良一郎(淡山)の功績をたたえて、昭和2年(1927年)に建てられました。
須恵器,勾玉,直刀が出土 横穴式石室を有する円墳 侭山古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の侭山古墳群(ままやまこふんぐん)は、坂口谷川右岸(西岸)の低段丘上に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基以上で構成されています。文献によっては、儘山古墳群(ままやまこふんぐん)と表記。唯一墳
壺形埴輪,二段逆刺鉄鏃が出土 古墳時代中期(5世紀前半) 直径27mの円墳 五州岳古墳 (静岡県藤枝市志太字獅子ヶ鼻1039番地3外)
静岡県藤枝市志太(しだ)の五州岳古墳(ごしゅうだけこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半)の円墳です。瀬戸川右岸の五州岳と呼ばれる、丘陵の山頂(海抜110.4m)に単独で築かれています。墳丘の規模は、直径約27m、墳頂部径約18m、墳丘高さ約2.7mです。五州岳古墳
山王前遺跡,古墳時代前期(4世紀後半)の城山古墳の出土品(縄文土器,石器,山茶碗,鉄剣,鉇,刀子,銅鏃,底部穿孔土器)を展示 大津農村環境改善センター「山王」 (静岡県島田市尾川1)
静岡県島田市尾川(おがわ)の大津農村環境改善センター「山王」は、大津ふれあい祭りなどの地域イベント・会議や講座などが行われる、公民館的な文化コミュニティ施設です。縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸時代の複合遺跡である山王前遺跡(さんのうまえいせ
文化財保存活用地域計画関連企画展『DISCOVER-焼津、発見-』第3期川の軸「暴れ川が生んだ豊穣の地」 焼津市歴史民俗資料館 (静岡県焼津市三ケ名1550)
静岡県焼津市三ケ名(さんがみょう)の焼津市歴史民俗資料館(焼津市文化センター2階)で、文化財保存活用地域計画関連企画展『DISCOVER-焼津、発見-』第3期 川の軸「暴れ川が生んだ豊穣の地」を開催。焼津市の歴史文化を海の軸(浜通り)・山の軸(花沢の里周辺)・川(水)の軸(大
縄文,弥生,古墳時代,中世の複合遺跡 段平尾Ⅰ遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)下内田字段)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)下内田(しもうちだ)の段平尾Ⅰ遺跡(だんびらおいちいせき)は、縄文、弥生、古墳時代、中世にかけての複合遺跡です。遺跡の範囲は、茶園が広がっている段丘上に鎮座する矢多神社(やたじんじゃ)の境内周辺。遺物は、石器(石鏃(せきぞく)、石錘(
古墳時代終末期(7~8世紀)の横穴式石室墳 ネット初公開 三石山古墳 (静岡県島田市野田)
静岡県島田市野田(のだ)の三石山古墳(みついしやまこふん)は、古墳時代終末期(7世紀前半頃~8世紀初め頃)に築かれた墳丘をほどんど持たない横穴式石室墳だと考えられています。阿知ヶ谷アルプス・ハイキングコースにある八幡山山頂から、尾根伝いに西側へ徒歩約10分の三石
装飾大刀,銅鏡,金銅装馬具などが出土した古墳11基 高根森古墳群 (静岡県島田市阪本字色尾)
静岡県島田市阪本(さかもと)の高根森古墳群(たかねもりこふんぐん)は、古墳11基以上で構成されています。高根森2号墳は、古墳時代後期(6世紀末)に築かれた疑似両袖式(ぎじりょうそでしき)の横穴式石室を有する円墳。大正4年(1915年)3月、装飾大刀(そうしょくたち)・金銅装
横穴式石室を有する円墳? ネット初公開 地蔵山古墳 (静岡県島田市阿知ヶ谷字地蔵山)
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の地蔵山古墳(じぞうやまこふん)は、阿知ヶ谷アルプス・ハイキングコースの地蔵山山頂(標高約183m)付近に所在する円墳です。山頂から少し下った緩斜面に、石室材らしき砂岩が露出。古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた、横穴式石室を有する古
横穴式石室から見つかった組合式箱形石棺 縁生坊古墳群 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)折戸字矢々口・縁生坊)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)折戸(おりど)の縁生坊古墳群(えんじょうぼうこふんぐん)は、「三保の松原」(みほのまつばら)で有名な三保半島に分布していた唯一の古墳群です。古墳時代後期後半(6世紀後半)~古墳時代終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳3基以上
戦国時代 今川氏,武田信玄,徳川家康の山城 丸子城(宇津谷城,三角城) (静岡県静岡市駿河区丸子字泉ヶ谷)
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の丸子城(宇津谷城、三角城)は、室町時代の応永年間(1394~1428年)に駿河国の守護大名 今川氏の家臣 斎藤安元が築造しました。室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)、駿河(静岡県中部)に侵攻した甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけ
戦国時代 今川方の内山党が築城 徳川家康が攻略 刑部城跡 (静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川)
静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)中川(なかがわ)の刑部城(おさかべじょう)は、徳川家康(とくがわ いえやす)の侵攻に備えてこの地に住む今川方の内山党が、3方向を都田川で囲まれた丘陵に築城。別名は阿王山紫城です。室町時代末期(戦国時代)の永禄11年12月13日(1568
高草山に分布する円墳31基以上 谷山古墳群 (静岡県焼津市石脇下)
静岡県焼津市石脇下(いしわきしも)の谷山古墳群(たにやまこふんぐん)は、高草山(たかくさやま)登山口付近に分布する円墳31基以上で構成されています。谷山1号墳(高崎11号墳)は、昭和40年代前半に発掘調査された、古墳時代中期(5世紀)の築造と考えられる直径17mの円墳。多く
古墳時代後期(6世紀)以降 半地下式の横穴式石室を有する円墳3基 森下古墳群 (静岡県島田市阪本)
静岡県島田市阪本(さかもと)の森下古墳群(もりしたこふんぐん)は、東洋最大規模の茶園が広がる牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基で構成。文献によって、森下古墳群が谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)に含まれて
平安時代(11世紀前半) 灰釉陶器,碗,瓦を焼いた窯跡 新池古窯跡群 (静岡県浜松市浜北区(旧浜北市)宮口)
静岡県浜松市浜北区(旧浜北市)宮口(みやぐち)の新池古窯跡群(しんいけこようせきぐん)は、農業用ため池「新池」のほとりにある窯跡です。平安時代(11世紀前半)に、灰釉陶器(かいゆうとうき)・碗・瓦を焼いていました。新池古窯跡群は、周辺にある奈良時代から鎌倉時代にか
奈良時代末頃から平安時代前期頃 瓦製の塔を建立 宇志北大里遺跡(瓦塔遺跡) (静岡県浜松市北区三ヶ日町宇志字北大里)
静岡県浜松市北区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)宇志(うし)の宇志北大里遺跡(うしきたおおりいせき)は、瓦塔遺跡(がとういせき)とも呼ばれます。奈良時代末頃から平安時代前期頃、山の中腹の尾根に高さ202.7cmの五重塔の形をした瓦製の塔(瓦塔)が建てられました。瓦塔は各地に
弥生人の複顔像 青谷上寺朗を展示『とっとり弥生の王国青谷上寺地遺跡から青谷弥生人がやって来た!』 静岡市立登呂博物館 (静岡県静岡市駿河区登呂5-10-5)
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、弥生時代後期(約1,900年前)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水田と、復元住居・高床式倉庫が並んだムラを再現。公園内の静岡市立登呂博物館
徳川家康が攻略 約1,000人が討死 市指定史跡 堀川城跡(址) (静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)気賀呉石)
静岡県浜松市北区細江町(旧引佐郡細江町)気賀(ほそえちょうきが)の堀川城(ほりかわじょう)は、戦国時代(室町時代末期)の永禄10年(1567年)から翌年にかけて今川氏配下の気賀領主 新田友作らが、徳川家康の遠江侵攻に備えて築城しました。その際、この地に鎮座していた屯倉神
石棒,石剣,石冠が出土 縄文時代前期~晩期の集落 下開戸遺跡 (静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)奥泉468‐3 大井川鉄道 井川線 奥泉駅前広場)
静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)奥泉(おくいずみ)にある大井川鉄道 井川線 奥泉駅の駅前広場周辺は、縄文時代を中心とする下開戸遺跡(したのかいといせき、しもかいといせき)です。縄文時代前期~晩期(約6,000~2,300年前)と、平安時代~江戸時代(約800~300年前)の遺物
縄文時代晩期の遮光器土偶が出土 縄文時代早期~弥生時代初頭 上長尾遺跡 (静岡県榛原郡川根本町上長尾1000 川根本町立中央小学校)
静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(はいばらぐん かわねほんちょう かみながお)の上長尾遺跡(かみながおいせき)は、大井川中流域の一番低い河岸段丘(大井川から10m程の高さ)に位置する、縄文時代早期から弥生時代初頭の遺跡です。昭和27年(1952年)、島田高等
土器,石器,黒曜石などが見つかった 縄文時代後期~弥生時代前期 大島遺跡 (静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)東藤川大島)
静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)東藤川(ひがしふじかわ)の大島遺跡(おおしまいせき)は、大井川左岸の一番低い河岸段丘(大井川の水面から約10mの高さ)に位置する、縄文時代後期(約4,500年前~3,000年前)から弥生時代前期(約2,500年前~2,000年前)の遺跡です。縄文土器(縄
後醍醐天皇の首塚伝説 室町時代頃の短刀が出土 天王原墳丘墓 (静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(梅島)字天王原)
静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(はいばらぐん かわねほんちょう かみながお)の天王原墳丘墓(てんのうばらふんきゅうぼ)は、中世(平安時代後期・院政期(11世紀後半)から戦国時代(16世紀後半)まで)の築造と考えられる墳丘墓です。墳丘は南北に長い楕円形で、
室町時代 今川氏の重臣 岡部氏が築城? 潮城跡 (静岡県藤枝市潮字城山)
静岡県藤枝市潮(うしお)の潮城跡(うしおじょうあと)は、室町時代に駿河今川氏の重臣 岡部氏が朝日山城(藤枝市仮宿)の支城として築いたと推定されます。昭和52年(1977年)・54年(1979年)、国道1号線藤枝バイパス建設に伴う発掘調査を実施。発掘調査では、礎石(そせき)を検出
戦国時代 今川氏配下の岡部氏が築いた砦? 市指定史跡 朝日山城跡 (静岡県藤枝市仮宿字堤ノ坪,城山)
静岡県藤枝市仮宿(かりやど)の市指定史跡 朝日山城跡(あさひやまじょうあと)は、標高約100mの朝日山(牛伏山)山頂付近に築かれています。室町時代初期に、駿河今川氏の家臣であった土豪 岡部氏が築城したと伝えられています。朝日山城の規模は、東西約600m、南北約200m。発
古墳時代中期(4~5世紀)の円墳5基 権田ヶ谷古墳群 (静岡県掛川市細谷権田ヶ谷)
静岡県掛川市細谷(ほそや)の権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳5基で構成されています。権田ヶ谷1・2・3号墳と円墳2基からなる枕田古墳群(まくらだこふんぐん)が、掛川球場南側の南北に細長い丘陵上に分
勝負事に御利益があるパワースポット 戦国時代の狼煙台 五輪菩薩 (静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)抜里)
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)抜里(ぬくり)の五輪菩薩(ごりんぼさつ)は、大井川中流右岸に突き出した見晴らしの良い丘陵の尾根にあります。地元では「ゴーリンさん」と呼ばれ、勝負事(ギャンブル、受験、選挙など)に御利益があるパワースポットとして、信仰を集めて
弥生時代中期~後期の集落 ネット初公開 白岩遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂字八幡前)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂(かも)の白岩遺跡(しらいわいせき)は、弥生時代中期(約2,500年~2,000年前)~後期(約1,900年~1,750年前)を中心とする集落遺跡です。菊川の支流 西方川(にしかたがわ)が形成した、自然堤防上の微高地(標高約19m)に立地。昭和22年(1947年)1
江戸時代 駿府で病死した琉球王国の摂政 具志頭王子朝盛の墓 臨済宗妙心寺派 巨鼇山 清見寺 (静岡県静岡市清水区興津清見寺町418-1)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)興津清見寺町(おきつせいけんじちょう)の臨済宗妙心寺派 巨鼇山 清見寺(こごうさん せいけんじ)の墓地には、江戸時代前期の慶長15年8月21日(1610年10月7日)に駿府で病死した、具志頭王子朝盛(ぐしちゃんおうじちょうせい)の墓があります。具志
東海道一の大親分 清水次郎長が埋葬した咸臨丸乗組員 壮士の墓 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)築地町1)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)築地町(つきじちょう)の市指定文化財 壮士の墓(そうしのはか)は、東海道一の大親分といわれた清水次郎長(しみずのじろちょう)が埋葬した、咸臨丸(かんりんまる)乗組員の墓です。明治元年8月19日(1868年10月4日)、江戸幕府海軍副総裁 榎本武揚(
江戸時代末期から昭和初期にかけて建築 市指定文化財 旧澤野医院(澤野医院記念館) (静岡県袋井市川井444-1)
静岡県袋井市川井(かわい)の市指定文化財 旧澤野医院(澤野医院記念館)は、江戸時代末期から昭和初期にかけて建築され澤野医院として使われた建物です。現在は、昔の病院の内部(レントゲン室、診察室、手術室、病室、居宅)が一般公開され資料館になっています。2007年6月に
戦没者供養の軍人木像223体が並ぶ兵隊寺 曹洞宗 東谷山 常昌院 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)内谷1967)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)内谷(うつたに)の曹洞宗 東谷山 常昌院(とうこくさん じょうしょういん)は、兵隊寺と呼ばれ有名です。日清戦争(明治27~28年(1894~1895年))・日露戦争(明治37~38年(1904~1905年))での、静岡県志太郡(現在の焼津市、藤枝市)出身の戦没
戦国時代 武田信玄が攻略 珍しい穴倉式本曲輪 賤機山城 (静岡県静岡市葵区大岩,昭府町,篭上)
静岡県静岡市葵区大岩(おおいわ)・昭府町(しょうぶちょう)・篭上(かごうえ)の賤機山城(しずはたやまじょう)は、周囲を土塁(どるい)で囲まれた珍しい穴倉式本曲輪が特長の山城です。南北朝時代(14世紀)に北朝方の今川氏が、安倍城を拠点とする南朝方の狩野氏に備えて築城し
第14代将軍 徳川家茂,明治天皇が休息 東海道岡部宿 内野本陣史跡広場 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部831)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)は、東海道五十三次の品川宿から数えて21番目の岡部宿(おかべしゅく)が整備されました。内野本陣(うちのほんじん)は、江戸時代に参勤交代の大名・旗本などが宿泊。江戸幕府第14代将軍 徳川家茂(とくがわ いえもち)や明治天
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 ネット初公開 桐ヶ谷古墳群 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)三輪字桐ヶ谷)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)三輪(みわ)の桐ヶ谷古墳群は、人気のミニ巡礼・ウォーキングコース岡部「山辺の道」(やまのべのみち)沿いに分布する円墳2基で構成されています。桐ヶ谷1号墳は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された横穴式石室を有する円墳。桐ヶ谷2号
歌舞伎「白波五人男」のモデルになった盗賊 日本左衛門首塚 宅円庵 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東2丁目 大井川鉄道新金谷駅の南東)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東(かなやあずま)2丁目の宅円庵には、日本左衛門首塚(にっぽん ざえもん くびつか)があります。日本左衛門(本名 濱島庄兵衛)は江戸時代中期の盗賊で、歌舞伎「白波五人男」(しらなみごにんおとこ)の日本駄右衛門のモデルになった人物です
江戸時代 発明家として有名な平賀源内の墓? 日蓮宗 長勝山 浄心寺 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)福岡62)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)福岡(ふくおか)の日蓮宗 長勝山 浄心寺(じょうしんじ)は、江戸時代前期の寛永元年(1624年)に浄心院日清上人が満勝寺の末寺として開創しました。浄心院日清上人は、相良湊で廻漕業の近江屋を営んでいた西尾源兵衛です。墓地には、江戸時代中
奈良・平安時代の土器を焼いた窯跡 静居寺裏古窯 (静岡県島田市伊太 静居寺北側の墓地)
静岡県島田市伊太(いた)の静居寺裏古窯(じょうこじうらこよう)は、奈良時代から平安時代にかけて土器を焼いた窯跡です。曹洞宗 青原山 静居寺(じょうこじ)裏側(北側)の歴代住職の無縫塔(むほうとう)が並ぶ墓地に、窯跡1基の一部が観察できます。静居寺は、室町時代末期(戦
丘陵尾根に築かれた円墳3基? 菅ヶ谷古墳群 (静岡県島田市野田字菅ヶ谷)
静岡県島田市野田(のだ)の菅ヶ谷古墳群(すげがやこふんぐん)は、丘陵の尾根に築かれた複数(2~3基?)の円墳で構成されています。茶園になっていますが、円墳の形が目立つ古墳です。一部の文献では、名前を間違えて管ヶ谷古墳群(くだがやこふんぐん)になっています。菅ヶ谷
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 谷田17号墳(谷田10号墳?) (静岡県静岡市駿河区谷田 静岡県立美術館 第3駐車場の横)
静岡県静岡市駿河区谷田(やだ)の谷田古墳群(やだこふんぐん)は、静岡県立美術館がある有度丘陵(うどきゅうりょう)の谷田原に分布。古墳時代後期(6世紀)・終末期(7世紀)の築造と考えられる、大規模な後期群集墳です。多くの古墳は開発によって消滅しましたが、残存する古墳
古墳時代後期(6世紀後半頃) 横穴式石室を有する円墳3基 谷田古墳群(1,52,53号墳) (静岡県静岡市駿河区谷田26 谷田宮の後公園)
静岡県静岡市駿河区谷田(やだ)の谷田古墳群(やだこふんぐん)は、有度丘陵(うどきゅうりょう)の谷田原に築かれた大規模な古墳群です。谷田1号墳(宮ノ後古墳)・52・53号墳は、古墳時代後期(6世紀後半頃)の築造と考えられる横穴式石室を有する円墳。静岡県立美術館 第2駐車場
江戸時代 薩摩藩が築いた安倍川の旧堤防 薩摩土手(権現様堤) (静岡県静岡市葵区井宮町・水道町)
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)・水道町(すいどうちょう)の薩摩土手(さつまどて)は、江戸時代前期の慶長11年(1606年)頃に薩摩藩が中心となって妙見山(みょうけんさん)の麓に築いた安倍川(あべかわ)の旧堤防です。慶長8年(1603年)に征夷大将軍となった徳川家康は、
幕末の地誌で紹介された幻の前方後円墳? 有永古墳 (静岡県静岡市葵区有永町)
静岡県静岡市葵区有永町(ありながちょう)の有永古墳(ありながこふん)は、古墳時代後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)に築かれた前方後円墳だとされています。幕末の文久元年(1861年)、浅間神社神主 新宮高平(しんぐう こうへい)が編纂した駿河国の地誌『駿河志料』(するがしりょ
江戸時代 間宮林蔵と蝦夷地を探検 駿府城代 松平信濃守忠明の墓 (静岡県静岡市葵区井宮町)
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)の浄土宗 井宮山 松樹院(しょうじゅいん)北側には、駿府城代 松平信濃守忠明(まつだいら しなののかみ ただあきら(ただあき))の墓があります。江戸時代中期の宝暦9年9月29日(1759年11月18日)、豊後国(大分県)岡藩の第8代藩主 中川修
今川氏,武田信玄,徳川家康の城 愛宕山城(愛宕砦,茶臼山砦,長沼塁) (静岡県静岡市葵区沓谷城山)
静岡県静岡市葵区沓谷(くつのや)の愛宕山城(あたごさんじょう)は、標高約90mの愛宕山に築かれた山城です。別名は、愛宕砦(あたごとりで)・茶臼山砦(ちゃうすやまとりで)・長沼塁(ながぬまのるい)。鎌倉時代初期に、御家人 長沼五郎宗政が築いたとされています。戦国時代(室
市指定文化財 伝駿河国分寺の塔心礎 臨済宗 正覚山 菩提樹院 (静岡県静岡市葵区沓谷1344-4)
静岡県静岡市葵区沓谷(くつのや)の臨済宗 正覚山 菩提樹院(ぼだいじゅいん)には、市指定文化財「伝駿河国分寺の塔心礎(とうしんそ)」があります。寺院の塔の心礎(中央の柱の礎石)に用いられた石材です。江戸時代中期の明和8年(1771年)、駿府城代武田越前守信村により駿府城
戦国時代 徳川家康が攻略した武田水軍の拠点 持舟城(用宗城) (静岡県静岡市駿河区用宗城山町)
静岡県静岡市駿河区用宗(もちむね)の持舟城(もちふねじょう)は、戦国時代に徳川家康が攻略した武田水軍の拠点の山城です。用宗城(もちむねじょう)とも呼ばれます。江戸時代までの持舟城周辺は、北側は深田と沼地・西側は交通の難所の大崩海岸・南側の城下は駿河湾の入江に
今川義元の祖母 駿河国守護今川義忠の正室 北川殿の墓所 曹洞宗 大窪山 徳願寺 (静岡県静岡市駿河区向敷地689)
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の曹洞宗 大窪山 徳願寺には、駿河国守護 今川義忠(いまがわ よしただ)の正室 北川殿の墓(五輪塔)があります。北川殿は、今川義元(いまがわ よしもと)の祖母です。奈良時代の養老元年(717年)、徳願寺は真言宗の寺院として創建。
最古の東海道「東路」万葉の道 史跡 手児の呼坂 (静岡県静岡市駿河区丸子・向敷地)
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)・向敷地(むこうしきじ)の史跡 手児の呼坂(てこのよびさか)は、丸子から宗小路(そうこじ)を通って手越(てごし)へ抜ける峠道で、都から東国へ通じる最古の東海道「東路」(あずまじ)の一部です。現在では、ウォーキング・ハイキングコースとし
形象埴輪,円筒埴輪が出土 前方後円墳1基と円墳8基 猿郷古墳群 (静岡県静岡市駿河区向敷地猿郷)
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の猿郷古墳群(さるごうこふんぐん)は、河岸段丘に築かれた前方後円墳1基と円墳8基で構成されています。猿郷1号墳(猿郷古墳)は、古墳時代後期前半(6世紀前半)の築造と考えられる前方後円墳。規模は、墳長55m・前方部幅32m・前方部高
古墳時代終末期(7~8世紀頃)の横穴式石室墳 ネット初公開 籠上妙見山古墳 (静岡県静岡市葵区井宮町181 井宮神社)
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)の井宮神社境内には、古墳時代終末期(7世紀後半頃~8世紀頃)に築かれた墳丘をほとんどもたない横穴式石室墳が1基分布しています。籠上妙見山古墳(かごうえみょうけんさんこふん)または妙見山古墳(みょうけんやまこふん)と呼ばれ、太
古墳時代後期,終末期(6~7世紀) 中に入れる横穴式石室 牧ヶ谷古墳群 (静岡県静岡市葵区牧ヶ谷281 臨済宗妙心寺派 牧ヶ谷山 耕雲寺の裏山)
静岡県静岡市葵区牧ヶ谷(まきがや)の牧ヶ谷古墳群(まきがやこふんぐん)は、臨済宗妙心寺派 牧ヶ谷山 耕雲寺(こううんじ)周辺の丘陵上に築かれた古墳5基で構成されています。古墳時代後期(6世紀末頃)から終末期(7世紀中頃)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の古墳
日本平動物園の改修工事で発掘調査 古墳時代後期(6世紀)以降 池田山古墳群 (静岡県静岡市駿河区池田1767-6)
静岡県静岡市駿河区池田(いけだ)の池田山古墳群(いけだやまこふんぐん)は、静岡市立日本平(にほんだいら)動物園の周辺に分布する古墳9基で構成。平成20年(2008年)5~10月、日本平動物園の改修(猛獣館「299」の建設)工事に伴う発掘調査を実施。五輪平遺跡と古墳2基(池田山8
古墳時代後期前半(6世紀前半頃)? 全長約30mの前方後円墳 ネット初公開 丹生神社古墳(長者平2号墳,長者平A2号墳) (静岡県袋井市豊沢727 丹生神社)
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の長者平古墳群(ちょうじゃびらこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)から終末期(7世紀中頃)までに築造された古墳56基からなる後期群集墳です。丹生神社(にうじんじゃ)境内には、小さな前方後円墳の丹生神社古墳(長者平2号墳、長者平A2号墳)が所在
茶畑の中の後期群集墳 古墳時代後期から終末期(6~7世紀) 長者平古墳群 (静岡県袋井市豊沢字駒ヶ谷)
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の長者平古墳群(ちょうじゃびらこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)から終末期(7世紀中頃)にかけて築かれた、古墳56基(約半数が消滅)からなる後期群集墳です。前方後円墳3基(内1基消滅)などは、築造時期が古墳時代後期前半(6世紀前半)までさかの
古墳時代後期・終末期(6~7世紀) 横穴式石室を有する円墳 ネット初公開 長者平古墳群 (静岡県袋井市豊沢727 丹生神社境内,東側の林)
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の長者平古墳群(ちょうじゃびらこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)から終末期(7世紀中頃)までに築造された古墳56基からなる後期群集墳です。前方後円墳3基(内1基消滅)など一部の古墳は、古墳時代後期前半(6世紀前半)までさかのぼる可能性があり
後期群集墳の前方後円墳と円墳 長者平古墳群40・41号墳 (静岡県袋井市豊沢字駒ヶ谷)
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の長者平古墳群(ちょうじゃびらこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)から終末期(7世紀中頃)にかけて築かれた、古墳56基からなる後期群集墳です。前方後円墳3基(内1基消滅)などは、築造時期が古墳時代後期前半(6世紀前半)までさかのぼる可能性があ
山林の中の円墳 ネット初公開 貫名地C古墳群(平芝古墳) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)の貫名地C古墳群(ぬきなじしーこふんぐん)は、茶園が広がる地域の山林の中にあります。貫名地C古墳群は、貫名地C1号墳(平芝古墳)の1基だけです。南側に貫名地A古墳群と貫名地B古墳群、東側には貫名地D古墳群が分布しています。貫
平安,鎌倉,室町時代 浅羽荘 荘園領主の居館 伝浅羽氏館跡(浅羽庄司館) 柴遺跡 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽字柴)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)の柴遺跡(しばいせき)は、浅羽低地の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上、標高約4m)に築かれた、浅羽荘の荘園領主(現地荘官、代官)の居館 伝浅羽氏館跡(浅羽庄司館、浅羽館)だとされています。平安時代後期から鎌倉時代
江戸時代 高潮災害時の避難場所として造られた築山 県指定史跡 大野命山 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)大野)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)大野(おおの)の県指定史跡 大野命山(おおのいのちやま)は、江戸時代前期に高潮災害時の避難場所として造られた築山(つきやま、人工の小山)です。袋井市(旧磐田郡浅羽町)南部は、遠州灘に面した海抜の低い浅羽(あさば)低地が広がっています。江
茶畑の前方後円墳? 貫名地A3号墳 ネット初公開 貫名地A古墳群 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の貫名地A古墳群(ぬきなじえーこふんぐん)は、6基(5基?)の古墳で構成。残存している古墳は、前方後円墳または円墳の貫名地A3号墳(ぬきなじえーさんごーふん)だけです。貫名地A古墳群
江戸時代 高潮災害時に村人が避難した築山 県指定史跡 中新田命山 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)中新田)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)中新田(なかしんでん)の県指定史跡 中新田命山(なかしんでんいのちやま)は、江戸時代前期に高潮災害時の避難場所として造られた築山(つきやま、人工の小山)です。袋井市(旧磐田郡浅羽町)南部は、遠州灘に面した海抜の低い浅羽(あさば)低地が広
横穴式木室の前方後円墳と円墳 ネット初公開 貫名地B古墳群 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽字貫名地 浅羽東小学校周辺)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)字貫名地の貫名地B古墳群(ぬきなじびーこふんぐん)は、浅羽東小学校周辺に分布しています。貫名地B2号墳は、古墳時代後期(6世紀前半頃)の築造と考えられる全長32.5mの前方後円墳です。主体部(埋葬施設)は、木組の上に粘土を塗り固
有力者の墓 直径20m以上の円墳3基 ネット初公開 竹ヶ谷古墳群 (静岡県周智郡森町飯田字大久保,竹ヶ谷)
静岡県周智郡森町飯田(しゅうちぐん もりまち いいだ)の竹ヶ谷古墳群(たけがやこふんぐん)は、中飯田公民館北側の丘陵にある墓地・山林に分布。直径20m以上の円墳3基と小円墳1基?で構成されています。森町の古墳は前方後円墳3基を除くと、直径約10mの小円墳が多いです。墳
市指定文化財 移築された掛川城主の茶室 東海道日坂宿 旅籠「川坂屋」 (静岡県掛川市日坂149‐1)
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。江戸時代の旅籠(はたご)「川坂屋」(かわざかや)には、移築された掛川城主 太田候の茶室が現存しています。この茶室は、江戸時代後期の文化2年(1805年)に掛
日本三筆のひとり 書の達人 平安時代の役人 橘逸勢(たちばな の はやなり)供養塔 曹洞宗 河跡山 用福寺 (静岡県袋井市上山梨815-1)
静岡県袋井市上山梨(かみやまなし)の曹洞宗 河跡山 用福寺には、平安時代初期の役人 橘逸勢(たちばな の はやなり)の供養塔(五輪塔)があります。橘逸勢は、嵯峨天皇・弘法大師とならんで日本三筆のひとりに数えられる書の達人で、隷書(れいしょ)を得意としていました。橘逸
市指定史跡 見付宿本陣 鈴木家・神谷家墓所と市指定天然記念物 イヌマキ 時宗 東福山 西光寺 (静岡県磐田市見付3353-1)
静岡県磐田市見付(みつけ)の時宗 東福山 西光寺(さいこうじ)は、鎌倉時代の文永2年(1265年)に真言宗の阿闍梨傾木(あじゃりけいぼく)和尚が創建。建治・弘安年間(1280年前後)、時宗の開祖 証誠大師一遍上人(しょうじょうだいしいっぺんしょうにん)がこの地を訪れて、時宗の
江戸時代 東海道 日坂宿 素泊まりの庶民旅籠 「萬屋」 (静岡県掛川市日坂)
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。現存する江戸時代の旅籠(はたご)や商家などは一般公開され、ウォーキングコースとして人気があります。「川坂屋」(かわざかや)は、士分格(武士)などが宿泊
国指定重要文化財の大講堂 明治時代の木造建物群 二宮金次郎の報徳思想 大日本報徳社 (静岡県掛川市掛川1176)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の公益社団法人 大日本報徳社(だいにっぽんほうとくしゃ)は、二宮金次郎(にのみや きんじろう、二宮尊徳(にのみや たかのり(そんとく)と改名)の報徳思想(ほうとくしそう)を伝承する大本山(本社)です。現存する国内最古の公会堂の国指定重要文化
徳川家康の砦に建立された五輪塔,宝篋印塔 三井山砦本曲輪の石塔群 (静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂)
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂(おおさか)の三井山砦(みついざんとりで)は、室町時代末期(安土桃山時代)の天正7年(1579年)に徳川家康の家臣 酒井与四郎重忠(さかい よしろう しげただ)が、武田軍の高天神城を包囲する六砦のひとつとして築いたとされています。実際には
日本初の郵便局 東海道 日坂宿 江戸時代末期の商家「藤文」 (静岡県掛川市日坂)
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。現存する江戸時代の旅籠(はたご)や商家などは一般公開され、ウォーキングコースとして人気があります。商家「藤文」(ふじぶん)は、江戸時代末期(幕末)の万
古墳時代前期(4世紀) 銅鏡が出土した小首長墓 小深田西古墳群 (静岡県焼津市西小川(小川字小深田))
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西古墳群(こふかだにしこふんぐん)は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と考えられる方墳5基(4基?)で構成されています。大井川水系によって形成された、沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。昭和57年
太平洋戦争で掘られた防空壕? 千手観音堂の謎の穴 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田伏方)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の千手観音堂横の崖には、謎の素掘りの穴があります。古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)なのか、貯蔵穴あるいは太平洋戦争中に掘られた防空壕(ぼうくうごう)?横穴墓は多数の穴が密集しているの
たこ焼きみたいな謎の円墳 ネット初公開 棚草古墳(仮) (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草(たなくさ)・赤土(あかつち)地区は、丘陵の尾根上に古墳群、丘陵斜面には横穴群(よこあなぐん)が多数築かれた地域です。今回紹介する菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草の棚草古墳(仮)は、円墳だと考えられていますが正式名称も不明。曹洞宗 龍昌
古墳時代後期(6世紀)から奈良時代(8世紀) 総数26基の横穴墓 寺ノ谷横穴群(五丁横穴,八丁田横穴) (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上字五丁)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上(かわかみ)の寺ノ谷横穴群(てらのやよこあなぐん)は、古墳時代後期中頃(6世紀中頃)以降に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。菊川(きくがわ)の支流 丹野川(たんのがわ)流域では最も密集する横穴群で、寺ノ谷丘陵の南向きから西
横穴式石室から箱形石棺が見つかった円墳 ネット初公開 代之谷古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上字代之谷 八幡神社境内)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上(かわかみ)の代之谷古墳(だいのやこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。八幡神社境内に単独で所在する古墳で、箱形石棺が見つかっています。代之谷古墳
太平洋戦争中に掘られた 春日神社東側の防空壕3基 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草(たなくさ)の春日神社東側には、3基の防空壕(ぼうくうごう)が残存しています。菊川市は、穴を掘るのに適した岩盤が広がる地域です。丘陵斜面や山裾には、古墳時代後期から奈良時代にかけて多くの横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)が築かれま
太平洋戦争中に切られた御神木の巨木 市指定天然記念物 月見里神社のクス (静岡県藤枝市藤枝3-10-9)
静岡県藤枝市藤枝(ふじえだ)の月見里神社(やまなしじんじゃ)は、江戸時代の東海道 藤枝宿の裏手に鎮座。月見里と書いて、「やまなし」(=山が無く月が見える里)と読みます。御神木は市指定天然記念物のクスで、推定樹齢300年以上の巨木です。太平洋戦争中に空襲の目標とな
古墳時代の玉砥石? 史跡「鬼かき石」 高野山真言宗 楞巌山 鬼岩寺 (静岡県藤枝市藤枝3-16-14)
静岡県藤枝市藤枝(ふじえだ)の高野山真言宗 楊厳山 鬼岩寺(りょうごんざん きがんじ)は、奈良時代の神亀3年(726年)に行基(ぎょうき)が本尊 聖観世音菩薩を彫り、お堂を建立して祀ったのが始まりとされています。平安時代に弘法大師 空海(こうぼうだいし くうかい)が、この
戦国時代 花倉の乱で今川義元に敗れ20歳で自害 玄広恵探(今川良真)の墓 (静岡県藤枝市本郷)
静岡県藤枝市本郷(ほんごう)の「藤の瀬会館」の北北東に位置する旧普門寺跡には、20歳で自害した今川義元(いまがわ よしもと)の異母兄 玄広恵探(げんこう えたん、今川良真(いまがわ ながさね)を名乗ったとする説あり)の墓があります。戦国時代(室町時代後期)の天文5年(15
江戸時代 田中藩が庄屋 石上清兵衛を処刑 茶屋河原刑場跡の清兵衛地蔵 (静岡県藤枝市高柳1-21-41地先)
静岡県藤枝市高柳(たかやなぎ)の茶屋河原刑場跡(ちゃやがわらけいじょうあと)には、義農 石上清兵衛(いしがみ せいべえ)を供養するため清兵衛地蔵が祀られています。江戸時代前期の元禄5年3月4日(1692年4月19日)、田中藩の代官に年貢の減免を願い出た高柳の庄屋 石上清兵衛
太平洋戦争 米軍爆撃機B-29の空襲で町長ら10名が死亡 藤枝町役場の防空壕跡「殉職の碑」 (静岡県藤枝市藤枝5-3-20 藤枝市シルバー人材センター駐車場)
静岡県藤枝市藤枝の「藤枝市シルバー人材センター」は、藤枝町役場跡地です。駐車場の「殉職の碑(じゅんしょくのひ)」は、太平洋戦争中に防空壕があった場所に建てられています。昭和20年(1945年)1月9日、空襲で飛来した米軍のB‐29爆撃機1機が、4~5発の爆弾を投下。1発の
江戸時代末期(幕末)に建立 市指定文化財 長谷川家長屋門 (静岡県島田市落合824)
静岡県島田市落合(おちあい)の市指定文化財 長谷川家長屋門(はせがわけながやもん)は、江戸時代末期(幕末)の元治元年(1864年)に建立されました。安土桃山時代の天正18年(1590年)頃、徳川家康が豊臣秀吉から在京賄料の一部として与えられた島田周辺の2000石を管理をするため
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静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の山ヶ谷古墳(やまがやこふん)は、明治時代の終わり頃 山林の茶園開墾中に三環鈴(さんかんれい)が出土しました。三環鈴はとても珍しい古墳時代中期(5世紀頃)の馬具で、これまでに県内では2例しか出土していません。山
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝間(かつま)の法士古墳(ほうじこふん)は、丘陵上に築かれた円墳です。昭和37年(1962年)、茶園改植で成長の悪い茶樹の下を深さ30~40㎝掘ったところ、土師器 高坏(たかつき)と直刀(ちょくとう)が見つかりました。直刀は長さ104㎝・柄(つか)
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県磐田市匂坂新(さぎさかしん)の欠山古墳群(かけやまこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の古墳6基(前方後円墳1基、円墳5基)で構成。欠山1号墳は、
静岡県島田市元島田(阿知ケ谷・御仮屋・松葉町)の白岩寺古墳群(はくがんじこふんぐん)は、白岩寺山(標高約160m)中腹の南側から南西側にかけての斜面に分布。密集した古墳20数基で構成される後期群集墳です。発掘調査が行われた白岩寺1~4号墳は、古墳時代後期(6世紀)に築造
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)・手越(てごし)の金山古墳群(かなやまこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀後半)から終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳6基以上で構成。南北に細長い丘陵(金山)の、日蓮宗 照永山 妙音寺の境内と南側に続く尾根に分布し
静岡県焼津市栄町・焼津(塩津・道下・道添)の塩津古墳群(しおつこふんぐん)は、大井川水系が形成した沖積平野(ちゅうせきへいや)の焼津微高地上に分布。焼津東小学校周辺から焼津郵便局周辺にかけて埋没していた、古墳時代後期(6世紀中葉)から終末期(7世紀)の古墳7基(道下
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の榛原公園(はいばらこうえん)は、龍眼山城跡(りゅうげんざんじょうあと)です。龍眼山(標高76m)の山頂付近に築かれた平山城(ひらやまじろ、ひらやまじょう)で、遺構は曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・堀切(ほりきり)。戦国時代、
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の松雲寺古墳群(しょううんじこふんぐん)は、曹洞宗 西河山 松雲寺の境内と周辺に築かれた円墳6基で構成されています。少なくとも円墳5基は、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する古墳です。発掘調査では、須恵器、大刀(た
静岡県静岡市清水区(旧清水市)谷津町(やつちょう)の沢入古墳(さわいりこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。所在地不明として記録されている、陣ヶ堂古墳だと考えられています。陣ヶ堂古墳は、鉄刀(てっとう)と土師器 𤭯(はそう)が出
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈(しもあさひな)誰政・南谷の南谷遺跡(みなみやいせき)は、弥生時代中期から古墳時代初頭を中心とする集落遺跡です。発掘調査では、弥生時代から江戸時代までの竪穴系平地式住居跡(たてあなけいへいちしきじゅうきょあと)・掘建柱建
静岡県掛川市岡津(おかつ)の奥ノ原古墳(おくのはらこふん)は、現在は茶園が広がる段丘上に築かれた円墳です。古墳時代中期・後期(5~6世紀)頃の銅鏡(画文帯同向式神獣鏡)が出土しており、東京国立博物館に所蔵されています。奥ノ原古墳跡
静岡県掛川市下西郷(しもさいごう)の原新田古墳(はらしんでんこふん)は、古墳時代後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)以降の築造と考えられている前方後円墳です。昭和61年(1986年)、市教育委員会が調査を実施。前方後円墳なのに、なぜか知られていません。原新田古墳
静岡県掛川市上西郷(かみさいごう)の屯倉古墳群(みやけこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられる円墳3基で構成されています。五社神社境内に分布していますが、詳細不明の古墳群です。屯倉古墳群
静岡県掛川市佐夜鹿(さよしか)の「小夜の中山公園」(さよのなかやまこうえん)には、灰になった経典を埋めたと伝えられる5基の経塚(京塚)があります。小夜の中山(佐夜の中山)は、旧東海道 金谷宿(かなやしゅく)と日坂宿(にっさかしゅく)の間にある峠道で、ウォーキングコー
静岡県焼津市策牛(むちうし)の上屋敷古墳群(かみやしきこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された横穴式石室を有する円墳4基で構成されています。静岡県道213号 焼津岡部線(高草街道)東側の丘陵に3基、西側に1基の古墳が分布。上屋敷古墳群
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の釜原城跡(かまっぱらじょうあと)は、菊川市(旧小笠郡小笠町)との境界付近の丘陵(標高66m)に築かれた連郭式(れんかくしき)の平山城(ひらやまじょう)です。昭和47年(1972年)に廃寺となった山田ケ谷の曹洞宗 聖道寺(しょうどうじ
静岡県静岡市駿河区有東(うとう)の有東砦(うとうとりで)は、室町時代中期頃(戦国時代)に駿河今川氏の家臣 福島氏が、今川駿府館の支城砦として独立丘陵の有東山(標高35.4m)に築きました。室町時代後期(戦国時代)の天文10年(1541年)、甲斐(山梨県)の守護大名・戦国大名 武
静岡県静岡市葵区大岩本町(おおいわほんちょう)の臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院(ふしゅんいん)には、今川義元公慰霊塔(今川義元の墓)があります。境内の地蔵堂は、今川義元ゆかりの伝説がある墨崎延命地蔵尊(高さ約80cm)を祀る駿河一国百地蔵尊 第52番札所です。今川義元公
静岡県藤枝市立花(たちばな)の郡遺跡(こおりいせき)は、弥生時代から平安時代までを中心とする複合遺跡です。律令期(奈良・平安時代)には、駿河国益頭郡(するがのくに ましずぐん)の郡役所 益頭郡衙(ましずぐんが)が置かれていたと考えられています。出土した弥生時代の高
静岡県藤枝市南新屋(みなみあらや)の秋合遺跡(あきあいいせき、あきあわせいせき)は、国指定史跡 志太郡衙跡(しだぐんがあと、御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき))に隣接する奈良・平安時代の遺跡です。発掘調査で見つかった井戸跡が、青島北地区交流センター「にこにこ広場」に
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の尾羽廃寺跡(おばねはいじあと)は、広義の飛鳥時代(592~710年)のうちの後半に相当する白鳳時代(7世紀後半)に建てられた寺院跡です。金堂跡(こんどうあと)・講堂跡(こうどうあと)・中門跡(ちゅうもんあと)などの遺構が発見され、
静岡県御前崎市(おまえざきし)は、離島を除き県内最南端の岬「御前崎」がある海の街として有名です。地名の由来は、御厩崎(うまやざき)から転化したという説があります。平安時代中期に編纂された古代法典『延喜式』(えんぎしき)には、白羽官牧(しろわのかんまき)が置かれ
静岡県島田市波田(はだ)の立石稲荷(たていしいなり)は、岩陰(いわかげ)に稲荷社(いなりしゃ)が祀られた磐座(いわくら、神が降臨する場所とされる巨岩)です。「波田のお稲荷さん」とも呼ばれ、商売繁盛・大漁祈願・家内安全などに御利益があるとされています。御神体(ごしん
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 京満山 法林寺は、旧幕臣の伊佐新次郎峯(岑)満(いさ しんじろう みねみつ)の墓所です。幕末の安政3年(1856年)、タウゼント・ハリスがアメリカ駐日総領事として来日し、曹洞宗 瑞龍山 玉泉寺(静岡県下田市柿崎)にアメリカ総領事館を開
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
静岡県島田市阿知ケ谷(あちがや)の東山南古墳群(ひがしやまみなみこふんぐん)は、天満天神社北側の山林(標高約90~110m付近)に分布する20基以上(23基?、25基?)の円墳で構成。『静岡県史』には、天神山古墳として記載。未調査ですが、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の伏方古墳(ふせかたこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。 牧之原市の古墳の多くは茶園の開墾で消滅しており、旧榛原町では唯一未発掘の石室だといわれています。 羨道は破壊されているよ
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の県指定文化財 淡山翁記念報徳図書館(たんざんおうきねんほうとくとしょかん)は、明治8年(1875年)設立の遠江国報徳社(明治44年(1924年)に大日本報徳社と改称) 2代目社長の岡田良一郎(淡山)の功績をたたえて、昭和2年(1927年)に建てられました。
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の侭山古墳群(ままやまこふんぐん)は、坂口谷川右岸(西岸)の低段丘上に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基以上で構成されています。文献によっては、儘山古墳群(ままやまこふんぐん)と表記。唯一墳