静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、「掛川藩の文化展・大庭松風(おおば しょうふう)の世界」を開催。大庭松風は、掛川藩下俣(しもまた)町の名主(庄屋)を代々務めた大庭家の9代目当主で、掛川藩の御用商人(ごようしょうにん)です。江戸
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
古墳時代後期,終末期(6~7世紀) 横穴式石室を有する円墳 鹿島古墳群 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)梅ヶ谷字宮上463 鹿嶋神社)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)梅ヶ谷(うめがや)の鹿島古墳群(かしまこふんぐん)は、古墳時代後期~終末期(6世紀後半~7世紀)頃の、横穴式石室を有する円墳数基で構成されています。鹿嶋神社が鎮座する小丘陵に分布していますが、何基の古墳があったのか不明です。須恵器が
勝海舟屋敷,母の隠居所「海舟庵」 曹洞宗 門屋山 宝寿院(寶壽院) (静岡県静岡市葵区門屋639)
静岡県静岡市葵区門屋(かどや)の曹洞宗 門屋山 宝寿院(ほうじゅいん)は、曹洞宗 慈悲尾山 増善寺(静岡市葵区慈悲尾)の末寺です。江戸時代末期(幕末)の文久元年(1861年)、駿府浅間神社(静岡浅間神社)の神職を引退した新宮高平(しんぐう こうへい、中村高平)が、全108巻から
全国の霊場巡りをした巡礼者が建立した巡礼塔 諸國霊所巡拝記念碑 浄土宗 大徳山 称名院 正定寺 (静岡県藤枝市藤枝2-3-27)
静岡県藤枝市藤枝の浄土宗 鎮西派智恩院末 大徳山 称名院 正定寺(だいとくざん しょうみょういん しょうじょうじ)は、室町時代の寛正3年(1462年)に鎌倉光明寺の僧 信蓮社貞誉が開きました。墓地にある諸國霊所巡拝記念碑は、四國三十三観音霊場・西國三十三所・秩父三十四
古墳時代中期~後期 全長34.5mの前方後円墳 国指定史跡 御厨古墳群 御厨堂山古墳 (静岡県磐田市鎌田川田 兎山公園)
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の兎山(うさぎやま)公園にある御厨堂山古墳(みくりどうやまこふん)は、国指定史跡 御厨古墳群(みくりやこふんぐん)を構成する大型古墳5基のひとつです。ほぼ北向きの前方部を有する前方後円墳で、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)~後期(5世
短甲,冑,銅鏡が出土 古墳時代中期(4~5世紀)の円墳4基 安久路古墳群 (静岡県磐田市西貝塚字大山越)
静岡県磐田市西貝塚(にしかいづか)の安久路古墳群(あくろこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳4基で構成。安久路丸山古墳(安久路丸山1号墳、安久路1号墳)は、直径約47mの円墳です。安久路2号墳は、葺石(ふきいし)を有する直径約26m
徳川家康の砦に建立された五輪塔,宝篋印塔 三井山砦本曲輪の石塔群 (静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂)
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂(おおさか)の三井山砦(みついざんとりで)は、室町時代末期(安土桃山時代)の天正7年(1579年)に徳川家康の家臣 酒井与四郎重忠(さかい よしろう しげただ)が、武田軍の高天神城を包囲する六砦のひとつとして築いたとされています。実際には
中国から伝来した道教の庚申信仰 庚申供養塔 (静岡県焼津市道原)
静岡県焼津市道原(どうばら)の庚申供養塔(こうしんくようとう)は、曹洞宗 天星山 永明寺(てんせいざん えいめいじ)の西側に所在。中国から伝来した道教(どうきょう)の庚申信仰(こうしんしんこう)では、人間の体内にいる三尸虫(さんしちゅう)が、60日ごとの庚申(かのえさる
江戸時代末期(幕末)に建立 市指定文化財 長谷川家長屋門 (静岡県島田市落合824)
静岡県島田市落合(おちあい)の市指定文化財 長谷川家長屋門(はせがわけながやもん)は、江戸時代末期(幕末)の元治元年(1864年)に建立されました。安土桃山時代の天正18年(1590年)頃、徳川家康が豊臣秀吉から在京賄料の一部として与えられた島田周辺の2,000石を管理をするた
市指定文化財 木喰仏を展示 民藝運動百年×焼津遺産初年記念企画展「やいづの‼ーみんなでつなぐ焼津の遺産ー」焼津市歴史民俗資料館 (静岡県焼津市三ケ名1550)
静岡県焼津市三ケ名(さんがみょう)の焼津市歴史民俗資料館(焼津市文化センター2階)で、『民藝運動百年×焼津遺産初年記念企画展「やいづの‼ーみんなでつなぐ焼津の遺産ー」』を開催。江戸時代に木喰五行上人(もくじきごぎょうしょうにん)が彫った、市指定文化財の木喰仏(
古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳2基 小山平古墳群 (静岡県掛川市下垂木字小山平)
静岡県掛川市下垂木(しもたるき)の小山平古墳群(おやまだいらこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられている円墳2基で構成。十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)裏の丘陵に分布しています。小山平古墳群
山頂にある2段築成の円墳 宮ヶ谷行人塚古墳 (静岡県掛川市満水畑ヶ中 逆川高区配水池の南西)
静岡県掛川市満水(たまり)の宮ヶ谷行人塚古墳(みやがやぎょうにんづかこふん)は、逆川高区配水池の南西の山頂に築かれた円墳です。規模は直径約15mで、2段築成(にだんちくせい)の墳丘には周溝(しゅうこう)が巡っています。周辺の丘陵尾根には、南郷古墳群など多数の古墳が
古墳時代の玉砥石? 史跡「鬼かき石」 高野山真言宗 楞巌山 鬼岩寺 (静岡県藤枝市藤枝3-16-14)
静岡県藤枝市藤枝(ふじえだ)の高野山真言宗 楊厳山 鬼岩寺(りょうごんざん きがんじ)は、奈良時代の神亀3年(726年)に行基(ぎょうき)が本尊 聖観世音菩薩を彫り、お堂を建立して祀ったのが始まりとされています。平安時代に弘法大師 空海(こうぼうだいし くうかい)が、この
横穴式石室から馬具が出土 古墳時代中期,後期の円墳18基 岩城山古墳群 (静岡県藤枝市青葉町1丁目 岩城山)
静岡県藤枝市青葉町(あおばちょう)の岩城山古墳群(いわきやまこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)に築かれた円墳18基で構成されています。岩城山緑地公園内の、岩城神社周辺の雑木林に古墳が分布。馬具と須恵器が出土した
須恵器が出土 古墳時代以降の集落跡? 大日遺跡 (静岡県榛原郡吉田町片岡字大日)
静岡県榛原郡吉田町片岡(かたおか)の大日遺跡(だいにちいせき)は、小山城駐車場南側の田園地帯に広がっています。多くの須恵器が見つかっていることから、古墳時代以降の集落跡と推測される遺跡です。湯南原台地の東南端 片岡原に建つ小山城の南西には、能満寺原古墳群(の
戦国時代 武田・徳川軍が戦った向原古戦場 小山城攻防戦死者慰霊碑 (静岡県榛原郡吉田町神戸向原)
静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の向原古戦場(むかいばらこせんじょう)は、戦国時代に武田・徳川軍が度々激しい戦闘を行ないました。元亀2年(1571年)、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)の重臣 馬場美濃守信春(ばば みののかみ のぶはる)が、大井川(おお
太平洋戦争末期にゲリラ戦術を訓練 陸軍中野学校 二俣分校跡 (静岡県浜松市天竜区二俣町二俣530-19 浜松市保健所天竜支所)
静岡県浜松市天竜区(旧天竜市)二俣町(ふたまたちょう)の浜松市保健所天竜支所は、陸軍中野学校 二俣分校の跡地です。太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)秋、旧工兵第3連隊廠舎に陸軍中野学校 二俣分校を開設。ゲリラ戦術・破壊工作などの訓練を行ない、4期約800名の遊撃戦幹
2歳の女の子が発見 縄文時代早期後半(約8,000年前)のトロトロ石器(異形局部磨製石器) 西原遺跡 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈奥原)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の西原遺跡(にしはらいせき)は、縄文時代の遺跡です。平成7年(1995年)5月、遺跡の範囲内にある改植された茶園で遊んでいた2歳の女の子が、珍しいトロトロ石器(異形局部磨製石器(いけいきょくぶませいせっき))を見つけ
丘陵に築かれた円墳16基 ネット初公開 下山古墳群 (静岡県島田市岸字下山)
静岡県島田市岸(きし)の下山古墳群(しもやまこふんぐん)は、曹洞宗 岸谷山 龍江院東側の東西に細長い丘陵の尾根に築かれた円墳16基で構成されています。昭和40年(1965年)頃、西駿考古学会会員の踏査で発見されました。発掘調査が行われていないため、古墳では無い可能性も
城の土塁に利用 古墳時代後期以降の円墳 ネット初公開 城之壇古墳群(仮) (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡字城之壇)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡(よこおか)の市指定史跡 横岡城跡(志戸呂城跡)は、城之壇(しろのだん)と呼ばれる大井川(おおいがわ)の河岸段丘上に立地しています。室町時代末期の遠州三十六人衆のひとり鶴見因幡守栄寿(つるみ いなばのかみ えいじゅ)の居城でしたが、明
平安,鎌倉,室町時代 浅羽荘 荘園領主の居館 伝浅羽氏館跡(浅羽庄司館) 柴遺跡 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽字柴)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)の柴遺跡(しばいせき)は、浅羽低地の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上、標高約4m)に築かれた、浅羽荘の荘園領主(現地荘官、代官)の居館 伝浅羽氏館跡(浅羽庄司館、浅羽館)だとされています。平安時代後期から鎌倉時代
溝で囲まれた中世居館 市指定史跡 十二所居館跡(諸井十二所居館) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井字十二所)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
律令制の口分田 市指定史跡 中村の条里制遺跡 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)中689)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)中(なか)の市指定史跡 中村の条里制遺跡(なかむらのじょうりせいいせき)は、約1300年前の奈良・平安時代に律令制(りつりょうせい)の口分田(くぶんでん)の区画割がされた史跡です。口分田は、坪と呼ばれる一辺が1町(約109m)の正方形の水田を
2基の円墳 ネット初公開 海蔵寺裏古墳群 (静岡県袋井市堀越764-1 曹洞宗 祥雲山 海蔵寺の裏山)
静岡県袋井市堀越(ほりこし)の海蔵寺裏古墳群(かいぞうじうらこふんぐん)は、曹洞宗 祥雲山 海蔵寺の裏山(本堂の北東)に分布する円墳2基で構成。周辺には、他にも複数の墳丘らしき地形があります。海蔵寺裏古墳群
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 ネット初公開 相沢古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)菅ヶ谷字相沢)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)菅ケ谷(すげがや)の相沢古墳(あいざわこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された横穴式石室を有する円墳です。文献によっては、複数の円墳で構成された相沢古墳群となっています。相沢古墳群
丘陵に築かれた円墳2基 ネット初公開 寺下古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大沢寺下)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大沢(おおさわ)の寺下古墳群(てらしたこふんぐん)は、曹洞宗 円覚山 般若寺(はんにゃじ)東側の小丘陵に築かれた円墳2基で構成。寺下古墳(寺下1号墳)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された主体部(埋葬施設)が横穴式石室の古墳で、須恵器と
須恵器,土師器,玉類,直刀,馬具,人の歯など出土品が市指定文化財 小堤山横穴群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津632-6 小堤山公園)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津(はづ)の小堤山横穴群(こづつみやまおうけつぐん)は、丘陵斜面に穴を掘って築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半(7
江戸時代 発明家として有名な平賀源内の墓? 日蓮宗 長勝山 浄心寺 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)福岡62)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)福岡(ふくおか)の日蓮宗 長勝山 浄心寺(じょうしんじ)は、江戸時代前期の寛永元年(1624年)に浄心院日清上人が満勝寺の末寺として開創しました。浄心院日清上人は、相良湊で廻漕業の近江屋を営んでいた西尾源兵衛です。墓地には、江戸時代中
矢板のある畦畔で区画された水田跡 弥生時代中期~後期 西川遺跡 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)中字西川1246‐1)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)中(なか)の西川遺跡(にしがわいせき)は、弥生時代中期から後期(約2,100年前~1,700年前頃)の遺跡です。昭和30年(1955年)夏、勝間田川(かつまたがわ)の河川改修工事で弥生土器(中期中葉(約2,100年前)の嶺田式土器(みねだしきどき)、中期後葉(
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静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、「掛川藩の文化展・大庭松風(おおば しょうふう)の世界」を開催。大庭松風は、掛川藩下俣(しもまた)町の名主(庄屋)を代々務めた大庭家の9代目当主で、掛川藩の御用商人(ごようしょうにん)です。江戸
静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三(みやかみ)の市指定史跡 清水天王山遺跡(しみずてんのうざんいせき)は、縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡です。縄文時代後期・晩期の集落で、発掘調査では平地式住居跡3軒、集石墓、貯蔵穴などが見つかっています。静岡県中部を
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の前玉原遺跡(さいたまはらいせき)は、前玉原と呼ばれる丘陵(標高約30~32m付近)上に所在する縄文時代の遺跡です。遺物は、石器(石鏃(せきぞく)、石錘(せきすい))、黒曜石(こくようせき)などが見つかっています。周辺には前玉原
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西遺跡(こふかだにしいせき)は、大井川水系によって形成された沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。弥生時代後期後半(3世紀前半)から古墳時代前期初頭(3世紀後半)にかけて集落遺跡で、発掘調査では竪穴式
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈(しもあさひな)誰政・南谷の南谷遺跡(みなみやいせき)は、弥生時代中期から古墳時代初頭を中心とする集落遺跡です。発掘調査では、弥生時代から江戸時代までの竪穴系平地式住居跡(たてあなけいへいちしきじゅうきょあと)・掘建柱建
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済(はんせい)の鹿島遺跡(かしまいせき)は、鹿島神社の東側に所在。発掘調査では、縄文時代中期(約4,000~5,000年前)の住居跡2軒を検出し、縄文土器、石斧、黒曜石が出土。東南の部分と町道から境内に入る道の辺りからは、奈良時代(8世紀)の
静岡県磐田市御殿(ごてん)・二之宮(にのみや)の御殿・二之宮遺跡(ごてん・にのみやいせき)は、磐田駅南側の南北約500m、東西約1100mの範囲の平野部(標高約2m)に広がる市内最大規模の遺跡です。北側は磐田原台地(いわたはらだいち)の南端で平坦面を形成する市街地化が進んだ
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県袋井市岡崎(おかざき)の衛門坂古窯跡(えもんざかこようせき)は、古墳時代中期末~後期(5世紀末~6世紀後半)に遠江(静岡県西部)最古級の須恵器・埴輪(はにわ)を焼いた窯跡です。衛門坂古窯跡の埴輪は、市内の大門大塚古墳・貫名地B2号墳に使われました。発掘調査では
静岡県島田市伊太(いた)の静居寺裏古窯(じょうこじうらこよう)は、奈良時代から平安時代にかけて土器を焼いた窯跡です。曹洞宗 青原山 静居寺(じょうこじ)裏側(北側)の歴代住職の無縫塔(むほうとう)が並ぶ墓地に、窯跡1基の一部が観察できます。静居寺は、室町時代末期(戦
静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の曹洞宗 竜沢山 長源寺(ちょうげんじ)には、町指定文化財 長源寺の経塚(ちょうげんじのきょうづか)があります。江戸時代の寛政10年(1798年)9月、遠江国榛原郡前玉(さいたま)村(現在の牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部前玉)の本間代五郎が郷土
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿(との)の西ノ平経塚(にしのたいらきょうづか)は、中世(11世紀後半~16世紀後半)に土中へ経典(きょうてん)などを埋納した場所です。昭和5年(1930年)、前年に土採りした直径約4mの土盛りから和鏡(わきょう)15面、土器24点、鉄製品(太刀(
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)・向敷地(むこうしきじ)の史跡 手児の呼坂(てこのよびさか)は、丸子から宗小路(そうこじ)を通って手越(てごし)へ抜ける峠道で、都から東国へ通じる最古の東海道「東路」(あずまじ)の一部です。現在では、ウォーキング・ハイキングコースとし
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷新町(かなやしんまち)の巌室神社(いわむろじんじゃ)は、東海道金谷宿の氏神(うじかみ)です。鎌倉時代前期の正治元年(1199年)には、金山彦命(かなやまひこのみこと)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)・木花之開耶姫命(このはなのさくやひめのみこ
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の竜源寺跡(りゅうげんじあと)は、戦国時代(室町時代)の尼寺 大陽山 昌隆寺跡だと推定されています。菊川市(旧小笠郡小笠町)の曹洞宗 磯部山 正林寺に伝わる『大樹の蔭』に、「上の原に一刹を建立す、大陽山 竜源寺是なり」と
静岡県静岡市葵区沓谷(くつのや)の臨済宗 正覚山 菩提樹院(ぼだいじゅいん)には、市指定文化財「伝駿河国分寺の塔心礎(とうしんそ)」があります。寺院の塔の心礎(中央の柱の礎石)に用いられた石材です。江戸時代中期の明和8年(1771年)、駿府城代 武田越前守信村(たけだ え
静岡県袋井市川井(かわい)の市指定文化財 旧澤野医院(澤野医院記念館)は、江戸時代末期から昭和初期にかけて建築され澤野医院として使われた建物です。現在は、昔の病院の内部(レントゲン室、診察室、手術室、病室、居宅)が一般公開され資料館になっています。2007年6月に
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。現存する江戸時代の旅籠(はたご)や商家などは一般公開され、ウォーキングコースとして人気があります。商家「藤文」(ふじぶん)は、江戸時代末期(幕末)の万
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)下内田(しもうちだ)の国指定史跡 高田大屋敷遺跡(たかだおおやしきいせき)は、周囲に土塁(南北93m、東西70m)を巡らせた中世の方形居館跡(ほうけいきょかんあと)です。上小笠川右岸の、沖積平野の自然堤防上(標高約11m)に立地。上小笠川の水運
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、企画展『掛川三城ものがたり展』を開催。掛川市内の掛川城(かけがわじょう)、高天神城(たかてんじんじょう)、横須賀城(よこすかじょう)のジオラマ模型・出土品などの資料を展示した企画展です。企画
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳群(きょうみづかこふんぐん)は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃)から終末期(7世紀後半頃)に磐田原台地の西縁部へ築造された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳13基(文献によっては14基)のうち、1基は調査前に消滅していました。京
静岡県島田市野田(のだ)の真言宗泉涌寺派 天正山 鵜田寺(うだじ)は、奈良時代の天平宝字2年(758年)に大井川で拾った薬師如来を安置したのが始まりと伝えられる市内最古の寺です。病気平癒・眼病平癒に御利益があるという本尊 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞ
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田(なかうちだ)の杉森横穴群(すぎもりよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られた36基または37基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で構成されています。別名は「内田の横穴」です。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市の横穴墓は、古
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石(おおいし)の興勝寺横穴群(こうしょうじよこあなぐん)は、丘陵の南向きの崖に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。興勝寺1号横穴からは、須恵器が出土しています。静岡県内には約3,000基の横穴墓が分布しており、
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳(きょうみづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀中頃)の築造と推定される円墳です。規模は墳丘基底径47m、周溝(しゅうこう)底面からの高さ8.7m、周溝の幅9m。墳丘は2段築成で、上段墳丘裾から段築平面にかけて葺石(ふきいし)が見つ
静岡県磐田市三ケ野(みかの)の大日堂古墳(だいにちどうこふん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)東端(標高約38m)の、東海道 三ケ野坂に所在する円墳です。円墳の墳丘には、大日如来(だいにちにょらい)を祀る大日堂が建てられています。三ケ野坂は、鎌倉・江戸・明治・大正
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の松林山古墳(しょうりんざんこふん)は、国指定史跡 御厨古墳群(みくりやこふんぐん)を構成する大型古墳5基のひとつです。古墳時代前期(4世紀後半頃)の築造と考えられる前方後円墳で、全長約107m・前方部の推定幅約48m・前方部高さ約3m・後円部径
静岡県掛川市各和(かくわ)の各和金塚古墳(かくわかなつかこふん)は、古墳時代中期(5世紀初頭)に築かれた全長66.4mの前方後円墳です。掛川市各和・高田・吉岡地区に分布する有力な古墳5基(前方後円墳4基、円墳1基)で構成された、国指定史跡 和田岡古墳群に含まれています。
静岡県掛川市各和(かくわ)の各和金塚古墳(かくわかなつかこふん、かくわかなづかこふん)は、河岸段丘の東端に築かれた古墳時代中期(5世紀初頭)の前方後円墳です。掛川市各和(かくわ)・高田(たかだ)・吉岡(よしおか)地区の、原野谷川(はらのやがわ)が形成した河岸段丘上に分
静岡県掛川市高田(たかだ)の瓢塚古墳(ひさごづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)に築造された前方後円墳です。古墳の規模は、全長66m、後円部直径37.8m、後円部高さ5m、前方部高さ3.5m。前方部は南向きで、後円部の北東に幅7mの周溝(しゅうこう)があります。掛川市各
静岡県掛川市吉岡(よしおか)の春林院古墳(しゅんりんいんこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)の築造とされる直径30m、高さ5mの円墳です。昭和38年(1963年)、発掘調査が行われました。墳頂部に主体部(埋葬施設)があり、鉄剣(てっけん)・やりがんな・鉄針が出土。また、壺
静岡県掛川市岡津(おかつ)の堀田古墳は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)に築造された石室が無い円墳だと考えられています。茶園が広がる段丘上に、石碑(大庭愛玉翁顕彰碑)が建てられた古墳が現存。堀田古墳
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の八王子古墳(古墳7基からなる八王子古墳群の5号墳?)は、古墳時代後期(6世紀頃)の築造と考えられる円墳です。墳丘の規模は直径約15m、高さ約1.5mで、太平洋戦争中に掘られた防空壕(ぼうくうごう)が残されています。八王子古墳がある兎山(うさぎ
静岡県掛川市逆川(さかがわ)の前田古墳(まえだこふん)は、逆川高区配水池の北西に伸びる丘陵尾根に単独で築かれた小円墳です。文献によっては、所在地が掛川市満水(たまり)になっています。前田古墳
静岡県袋井市高尾(たかお)の渋垂神社上古墳群(しぶたれじんじゃうえこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)~後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の築造と推定される円墳7基で構成。赤尾渋垂郡辺神社(あかおしぶたれこうりべじんじゃ、渋垂神社とも呼ばれる)の裏山
静岡県磐田市見付(みつけ)の時宗 東福山 西光寺(さいこうじ)は、鎌倉時代の文永2年(1265年)に真言宗の阿闍梨傾木(あじゃりけいぼく)和尚が創建。建治・弘安年間(1280年前後)、時宗の開祖 証誠大師一遍上人(しょうじょうだいしいっぺんしょうにん)がこの地を訪れて、時宗の
静岡県掛川市満水(たまり)の踊原古墳(おどりはらこふん)は、丘陵尾根(標高約73m)に単独で築かれた直径約10mの円墳です。周辺の丘陵上には、多くの古墳が分布しています。踊原古墳