静岡県掛川市仁藤町(にとうちょう)の浄土宗知恩院派 泉洞山 天然寺(せんとうさん てんねんじ)には、東インド会社商館長 ゲースベルト・ヘンミィの墓があります。オランダ貿易使節団であるヘンミィの一行約70名は、江戸時代の寛政10年(1798年)はじめに長崎の出島を出発。寛
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
鶏形埴輪,人物埴輪が出土 前方後円墳1基と円墳4基 徳願寺山古墳群 (静岡県静岡市駿河区向敷地他 徳願寺の南)
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の徳願寺山古墳群(とくがんじやまこふんぐん)は、曹洞宗 大窪山 徳願寺南側の丘陵上に分布する、前方後円墳1基(徳願寺山1号墳)と円墳4基(徳願寺山2~5号墳)で構成されています。標高90~97mの徳願寺山1号墳は、古墳時代後期前半(6世
古墳時代後期~終末期(6~7世紀) 円墳4基,方墳1基,横穴式石室墳2基 ネット初公開 楠ヶ沢古墳群 (静岡県静岡市駿河区向敷地字楠ヶ沢)
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の楠ヶ沢古墳群(くすがさわこふんぐん)は、古墳時代後期中葉(6世紀中頃)~終末期(7世紀頃)にかけて築かれました。方墳1基、円墳4基、墳丘がほとんど無い横穴式石室墳(よこあなしきせきしつふん)2基で構成されています。楠ヶ沢古墳群
古墳時代後期,終末期(6~7世紀) 中に入れる横穴式石室 牧ヶ谷古墳群 (静岡県静岡市葵区牧ヶ谷281 臨済宗妙心寺派 牧ヶ谷山 耕雲寺の裏山)
静岡県静岡市葵区牧ヶ谷(まきがや)の牧ヶ谷古墳群(まきがやこふんぐん)は、臨済宗妙心寺派 牧ヶ谷山 耕雲寺(こううんじ)周辺の丘陵上に築かれた古墳5基で構成されています。古墳時代後期(6世紀末頃)から終末期(7世紀中頃)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の古墳
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 谷田17号墳(谷田10号墳?) (静岡県静岡市駿河区谷田 静岡県立美術館 第3駐車場の横)
静岡県静岡市駿河区谷田(やだ)の谷田古墳群(やだこふんぐん)は、静岡県立美術館がある有度丘陵(うどきゅうりょう)の谷田原に分布。古墳時代後期(6世紀)・終末期(7世紀)の築造と考えられる、大規模な後期群集墳です。多くの古墳は開発によって消滅しましたが、残存する古墳
江戸時代 間宮林蔵と蝦夷地を探検 駿府城代 松平信濃守忠明の墓 (静岡県静岡市葵区井宮町)
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)の浄土宗 井宮山 松樹院(しょうじゅいん)北側には、駿府城代 松平信濃守忠明(まつだいら しなののかみ ただあきら(ただあき))の墓があります。江戸時代中期の宝暦9年9月29日(1759年11月18日)、豊後国(大分県)岡藩の第8代藩主 中川修
古墳時代後期(6世紀) 横穴式石室を有する方墳 市指定史跡 平塚古墳 (静岡県掛川市上西郷構江)
静岡県掛川市上西郷(かみさいごう)の市指定史跡 平塚古墳(ひらつかこふん)は、古墳時代後期(6世紀後半~末頃)に築かれた横穴式石室を有する古墳です。一辺約20~25mの方墳だと考えられています。石室内から、組合式箱形石棺(くみあわせしきはこがたせっかん)2基と副葬品(大
日本三筆のひとり 書の達人 平安時代の役人 橘逸勢(たちばな の はやなり)供養塔 曹洞宗 河跡山 用福寺 (静岡県袋井市上山梨815-1)
静岡県袋井市上山梨(かみやまなし)の曹洞宗 河跡山 用福寺には、平安時代初期の役人 橘逸勢(たちばな の はやなり)の供養塔(五輪塔)があります。橘逸勢は、嵯峨天皇・弘法大師とならんで日本三筆のひとりに数えられる書の達人で、隷書(れいしょ)を得意としていました。橘逸
太平洋戦争中 境内に掘られた防空壕7基 赤尾渋垂郡辺神社 (静岡県袋井市高尾193,225-5)
静岡県袋井市高尾(たかお)の赤尾渋垂郡辺神社(あかおしぶたれこうりべじんじゃ、渋垂神社とも呼ばれる)境内には、第二次世界大戦(太平洋戦争)中に空襲に備えて掘られた、7基の防空壕(ぼうくうごう)があります。長年の間、近所の子供たちの遊び場となっていました。現在は入
山王前遺跡,古墳時代前期(4世紀後半)の城山古墳の出土品(縄文土器,石器,山茶碗,鉄剣,鉇,刀子,銅鏃,底部穿孔土器)を展示 大津農村環境改善センター「山王」 (静岡県島田市尾川1)
静岡県島田市尾川(おがわ)の大津農村環境改善センター「山王」は、大津ふれあい祭りなどの地域イベント・会議や講座などが行われる、公民館的な文化コミュニティ施設です。縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸時代の複合遺跡である山王前遺跡(さんのうまえいせ
幕府老中 松平能登守乗賢の所領 美濃国岩村藩領の代官所跡 横内陣屋跡 (静岡県藤枝市横内字堂ノ前)
静岡県藤枝市横内(よこうち)の横内陣屋跡(よこうちじんやあと)は、江戸時代に美濃国岩村藩(岐阜県恵那市)の飛領地を支配した代官所跡です。江戸時代中期の享保20年(1735年)、幕府の老中となった美濃国岩村藩主 松平能登守乗賢(まつだいら のとのかみ のりたか)が1万石を加
横穴式石室から見つかった組合式箱形石棺 縁生坊古墳群 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)折戸字矢々口・縁生坊)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)折戸(おりど)の縁生坊古墳群(えんじょうぼうこふんぐん)は、「三保の松原」(みほのまつばら)で有名な三保半島に分布していた唯一の古墳群です。古墳時代後期後半(6世紀後半)~古墳時代終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳3基以上
白鳳時代 尾羽廃寺の瓦と須恵器を焼いた窯跡 東山田古窯跡群(東山田瓦窯跡群) (静岡県静岡市清水区尾羽字東山田)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の東山田古窯跡群(ひがしやまだこようせきぐん)は、発掘調査で白鳳時代(7世紀後半)に創建された尾羽廃寺(おばねはいじ)の瓦を焼いた窯跡(瓦窯跡)4基と、須恵器の窯跡1基が見つかりました。窯跡は、東名高速道路と東山田窯跡公園に
斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓 ネット初公開 虚空蔵堂横穴群 (静岡県菊川市(旧小笠町小笠町)高橋字虚空蔵山4815,4816 虚空蔵山 福蔵院)
静岡県菊川市(旧小笠町小笠町)高橋(たかはし)の虚空蔵堂横穴群(こくぞうどうよこあなぐん)は、虚空蔵山 福蔵院境内の丘陵斜面に掘られた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市の横穴墓は、古墳時代後期中頃(6世紀中頃)以降に
江戸時代 幕府に直訴して処刑 中条右近太夫の供養塔 井の宮神社 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)嶺田1-1)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)嶺田(みねだ)の井の宮神社(井之宮神社、井宮神社)には、江戸時代前期に嶺田用水建設を幕府に直訴(じきそ)した、中条右近太夫(ちゅうじょううこんだゆう)の供養塔があります。徳川家康ゆかりの用水建設計画であったため許可されましたが、寛永3
鎌倉時代 内田氏の地頭居館跡? 中世の城館 国指定史跡 高田大屋敷遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)下内田水楽)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)下内田(しもうちだ)の国指定史跡 高田大屋敷遺跡(たかだおおやしきいせき)は、周囲に土塁(南北93m、東西70m)を巡らせた中世の方形居館跡(ほうけいきょかんあと)です。上小笠川右岸の、沖積平野の自然堤防上(標高約11m)に立地。上小笠川の水運
掛川城,高天神城,横須賀城の資料展示 企画展『掛川三城ものがたり展』掛川市立中央図書館 (静岡県掛川市掛川1148-1)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、企画展『掛川三城ものがたり展』を開催。掛川市内の掛川城(かけがわじょう)、高天神城(たかてんじんじょう)、横須賀城(よこすかじょう)のジオラマ模型・出土品などの資料を展示した企画展です。企画
古墳時代後期・終末期の群集墳 京見塚古墳群 (静岡県磐田市国府台653-1 京見塚公園)
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳群(きょうみづかこふんぐん)は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃)から終末期(7世紀後半頃)に磐田原台地の西縁部へ築造された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳13基(文献によっては14基)のうち、1基は調査前に消滅していました。京
六角形の竪穴式住居跡 縄文時代中期の集落 東鎌塚原遺跡 (静岡県島田市湯日本村)
静岡県島田市湯日(ゆい)の東鎌塚原遺跡(ひがしかまつかばらいせき)は、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地に営まれた縄文時代中期(約5,500~4,500年前)の集落遺跡です。牧ノ原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、標高約135~140mの遺跡の範囲(南北約900m、東西約500m)
鎌倉時代の遊女 島田髷の考案者 虎御前の墓 真言宗泉涌寺派 天正山 鵜田寺 (静岡県島田市野田1195)
静岡県島田市野田(のだ)の真言宗泉涌寺派 天正山 鵜田寺(うだじ)は、奈良時代の天平宝字2年(758年)に大井川で拾った薬師如来を安置したのが始まりと伝えられる市内最古の寺です。病気平癒・眼病平癒に御利益があるという本尊 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞ
呪われた盗掘者が建立した「古墳の碑」 古墳時代後期・終末期の群集墳 谷口原古墳群 (静岡県島田市阪本字谷口原)
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の
古墳時代後期以降の横穴墓37基 杉森横穴群(内田の横穴) (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田杉森)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田(なかうちだ)の杉森横穴群(すぎもりよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られた36基または37基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で構成されています。別名は「内田の横穴」です。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市の横穴墓は、古
獅子ヶ鼻砦跡の南に分布 ネット初公開 興勝寺横穴群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石 生仁場橋の南西)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石(おおいし)の興勝寺横穴群(こうしょうじよこあなぐん)は、丘陵の南向きの崖に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。興勝寺1号横穴からは、須恵器が出土しています。静岡県内には約3,000基の横穴墓が分布しており、
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静岡県掛川市仁藤町(にとうちょう)の浄土宗知恩院派 泉洞山 天然寺(せんとうさん てんねんじ)には、東インド会社商館長 ゲースベルト・ヘンミィの墓があります。オランダ貿易使節団であるヘンミィの一行約70名は、江戸時代の寛政10年(1798年)はじめに長崎の出島を出発。寛
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東(かなやあずま)2丁目の宅円庵(たくえんあん)には、日本左衛門首塚(にっぽん ざえもん くびつか)があります。日本左衛門(本名 濱島庄兵衛)は江戸時代中期の盗賊で、歌舞伎「白波五人男」(しらなみごにんおとこ)の日本駄右衛門のモデルに
静岡県周智郡森町橘(しゅうちぐん もりまち たちばな)の曹洞宗 橘谷山 大洞院(きっこくさん だいとういん)は、室町時代の応永18年(1411年)に恕仲禅師(じょちゅうぜんじ)が梅山禅師を開山として、第4代将軍 足利義持(あしかが よしもち)が寄進した荘園の場所に創建。全国に3
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津(はづ)の小堤山公園(こづつみやまこうえん)には、市指定文化財の遠江相良藩 初代藩主・本多忠晴(ほんだ ただはる)の墓があります。本多忠晴は、徳川家康の重臣・本多忠勝(ほんだ ただかつ)のひ孫です。江戸時代中期の正徳3年(1713年)、
静岡県周智郡森町大鳥居(しゅうちぐん もりまち おおとりい)の曹洞宗 松厳山 蔵雲院(しょうがんざん ぞううんいん)には、町指定文化財 天方(あまがた)城主3代の墓があります。3基並んだ石塔の中央が、蔵雲院開基の天方郷18代地頭 天方山城守通季(あまがた やましろのかみ
静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川(きっかわ)の吉川氏館跡(きっかわしやかたあと)は、鎌倉幕府御家人 吉川氏の居館跡(きょかんあと)です。平安時代末期の寿永2年(1183年)頃、源頼朝から駿河国吉河荘を所領として与えられた豪族 入江(いりえ)氏が地名の吉河(吉川、吉香)を名
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の勅使塚(ちょくしづか)は、平安時代に後白河天皇(ごしらかわてんのう、在位 久寿2年7月24日(1155年8月23日)~保元3年8月11日(1158年9月5日))の勅使(使者)が埋葬されたという伝説の地です。決められた日の夜明け前に、法多山へ参拝するよう命じ
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗 不動山 善能寺(お不動さん、波切不動尊)には、江戸時代後期に一橋領の遠江国 波津(はづ)陣屋(相良御役所)代官を務めた小島源一焦園(こじま げんいち しょうえん)の墓があります。文政6年(1823年)2月12日、小島焦園が波
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)の曹洞宗 泰雲山 瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、室町時代末期(戦国時代)の永禄3年(1560年)に曹洞宗 大森山 長源院(静岡市葵区沓谷)5世 能屋梵藝(のうおくぼんげい)大和尚が開創。豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の異父妹(いふまい)で、徳川
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)下小杉(しもこすぎ)の廻国供養塔(かいこくくようとう)は、江戸時代に全国の社寺を参拝する六十六部(ろくじゅうろくぶ)廻国巡礼を行なった巡礼者が建立した巡礼(順禮)塔です。宝永6年2月19日(1709年3月29日)、遠江国(遠州)榛原郡下小杉村の横
静岡県磐田市二之宮(にのみや)の連福寺古墳(れんぷくじこふん)は、臨済宗妙心寺派 龍池山 連福寺の本堂付近にあったと考えられる古墳時代前期(4世紀後半頃)の前方後円墳です。全長50m以上・後円部直径約50mの規模で、前方部が西向きと推定されています。昭和5年(1930年)の
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の県指定史跡 土器塚古墳(かわらけづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)に築かれた円墳です。直径約36m、高さ約5mの規模で、墳丘に埴輪(はにわ)は無し。墳丘の外側には、幅約7mの周溝(しゅうこう)が巡っています。東西方向長さ7~8m、
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の貫名地A古墳群(ぬきなじえーこふんぐん)は、6基(5基?)の古墳で構成。残存している古墳は、前方後円墳または円墳の貫名地A3号墳(ぬきなじえーさんごーふん)だけです。貫名地A古墳群
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)・浅名(あさな)の観音山古墳群は、古墳時代中期(5世紀頃)の築造と考えられる円墳3基で構成。別名は五ヶ山C古墳群(ごかやましーこふんぐん)で、古墳4基とする文献もあります。岩松寺観音堂南側の、五ヶ山(ごかやま)と呼ばれる丘陵
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)の貫名地C古墳群(ぬきなじしーこふんぐん)は、茶園が広がる地域の山林の中にあります。貫名地C古墳群は、貫名地C1号墳(平芝古墳)の1基だけです。南側に貫名地A古墳群と貫名地B古墳群、東側には貫名地D古墳群が分布しています。貫
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の山畑古墳群(やまはたこふんぐん)は、諸井共同墓地内の円墳5基で構成されています。この周辺は弥生時代の山畑遺跡で、古くから人々に利用されてきた土地です。山畑古墳群
静岡県御前崎市(旧榛原郡御前崎町)御前崎(おまえざき)の曹洞宗 大澤山 海福寺(かいふくじ)には、市指定文化財 大澤権右衛門 供養塔と「いもじいさんの碑」があります。江戸時代中期の明和3年(1766年)春、遠州灘(えんしゅうなだ)の御前崎沖を航行していた薩摩藩(さつまはん
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)奥泉(おくいずみ)にある大井川鉄道 井川線 奥泉駅の駅前広場周辺は、縄文時代を中心とする下開戸遺跡(したのかいといせき、しもかいといせき)です。縄文時代前期~晩期(約6,000~2,300年前)と、平安時代~江戸時代(約800~300年前)の遺物
静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(はいばらぐん かわねほんちょう かみながお)の上長尾遺跡(かみながおいせき)は、大井川中流域の一番低い河岸段丘(大井川から10m程の高さ)に位置する、縄文時代早期から弥生時代初頭の遺跡です。昭和27年(1952年)、島田高等
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の猿郷古墳群(さるごうこふんぐん)は、河岸段丘に築かれた前方後円墳1基と円墳8基で構成されています。猿郷1号墳(猿郷古墳)は、古墳時代後期前半(6世紀前半)の築造と考えられる前方後円墳。規模は、墳長55m・前方部幅32m・前方部高
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)高橋(たかはし)の県指定史跡 舟久保古墳(ふなくぼこふん)は、標高約73mの丘陵上に築かれた古墳時代中期(5世紀頃)の前方後円墳です。船窪古墳、船久保古墳と表記された文献もあります。墳長は約49m、後円部の直径約26m、後円部高さ約3.5m、前方
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)西方(にしかた)の掘田城跡(ほったじょうあと)は、曹洞宗 拈華山 正法寺(ねんげざん しょうぼうじ)西側の丘陵の細尾根に築かれた山城です。松下城跡とも呼ばれ、遺構(曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、十数条の堀切(ほりきり))が確認できます。室町
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西古墳群(こふかだにしこふんぐん)は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と考えられる方墳5基(4基?)で構成されています。大井川水系によって形成された、沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。昭和57年
静岡県藤枝市助宗(すけむね)の助宗古窯跡群(すけむねこようせきぐん)は、奈良~平安時代に須恵器、平安~鎌倉時代には灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)を焼いていました。別名は助宗窯跡群で、山茶碗の窯跡としては東海地域最東端です。100基以上の窯跡が、
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の曹洞宗 大窪山 徳願寺には、駿河国守護 今川義忠(いまがわ よしただ)の正室 北川殿の墓(五輪塔)があります。北川殿は、今川義元(いまがわ よしもと)の祖母です。奈良時代の養老元年(717年)、徳願寺は真言宗の寺院として創建。
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の丸子城(宇津谷城、三角城)は、室町時代の応永年間(1394~1428年)に駿河国の守護大名 今川氏の家臣 斎藤安元が築造しました。室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)、駿河(静岡県中部)に侵攻した甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけ
静岡県静岡市駿河区用宗(もちむね)の持舟城(もちふねじょう)は、戦国時代に徳川家康が攻略した武田水軍の拠点の山城です。用宗城(もちむねじょう)とも呼ばれます。江戸時代までの持舟城周辺は、北側は深田と沼地・西側は交通の難所の大崩海岸・南側の城下は駿河湾の入江に
静岡県袋井市川井(かわい)の曹洞宗 玉照山 円通寺(えんつうじ)には、歴代の川井代官の墓があります。江戸時代前期の寛永10年(1633年)頃、幕府が遠江国山名郡(とおとうみのくに やまなぐん) 袋井宿周辺の天領(幕府の直轄地)8万石余りを支配するため、円通寺の南側に川井代
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上(かわかみ)の代之谷古墳(だいのやこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。八幡神社境内に単独で所在する古墳で、箱形石棺が見つかっています。代之谷古墳
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田(わだ)の皿山古窯跡群(さらやまこようせきぐん)は、平安時代末期から鎌倉時代(12~13世紀)にかけて、灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)・仏具(ぶつぐ)・瓦(かわら)などを焼いていた窯跡です。平成14年(2002年)の排水路建設
静岡県榛原郡吉田町川尻(はいばらぐん よしだちょう かわしり)高畑の成因寺堤跡(じょういんじづつみあと)は、江戸時代に大井川下流右岸の平野へ築かれた堤防跡です。川尻(かわしり)は河口を意味する地名で、大井川が増水する度に洪水が発生して堤防は決壊。民家・寺・神社
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 地福山 種月院(しゅげついん)は、坂本龍馬を暗殺した京都見廻組 今井信郎(いまい のぶお)の碑がある事で知られています。種月院周辺では、開墾して茶園を造った際に多くの古墳が発見されたそうです。埋蔵文化財として登録されていない
静岡県島田市大草(おおくさ)の仲山経塚(なかやまきょうづか)は、丘陵の頂上付近に築かれた経塚です。経塚からは、中世(平安時代後半から戦国時代(11世紀後半頃~16世紀後半頃))の陶質土器(とうしつどき)が出土しています。仲山経塚
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・