静岡県掛川市仁藤町(にとうちょう)の浄土宗知恩院派 泉洞山 天然寺(せんとうさん てんねんじ)には、東インド会社商館長 ゲースベルト・ヘンミィの墓があります。オランダ貿易使節団であるヘンミィの一行約70名は、江戸時代の寛政10年(1798年)はじめに長崎の出島を出発。寛
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
太平洋戦争中に掘られた 掛川古城の防空壕5基 (静岡県掛川市掛川1104 龍華院子角山公園)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の龍華院子角山(りゅうげいんねずみやま)公園周辺は、室町時代(戦国時代)の文明5年(1473年)頃に、守護大名 今川義忠(いまがわ よしただ)の家臣 朝比奈泰熙(あさひな やすひろ)が築いたとされる掛川古城(かけがわこじょう)です。掛川古城本丸東側
歌舞伎役者 三代目尾上菊五郎の墓所 真宗大谷派 福田山 広楽寺 (静岡県掛川市中央2-8-1)
静岡県掛川市中央(ちゅうおう)の真宗大谷派 福田山 広楽寺(廣樂寺)には、歌舞伎役者 三代目 尾上菊五郎(おのえ きくごろう)の墓があります。江戸時代後期の嘉永2年4月24日(1849年5月16日)、三代目 尾上菊五郎は興行のため滞在していた掛川宿 中町の捻金屋治右衛門方で病死
装飾大刀,銅鏡,金銅装馬具などが出土した古墳11基 高根森古墳群 (静岡県島田市阪本字色尾)
静岡県島田市阪本(さかもと)の高根森古墳群(たかねもりこふんぐん)は、古墳11基以上で構成されています。高根森2号墳は、古墳時代後期(6世紀末)に築かれた疑似両袖式(ぎじりょうそでしき)の横穴式石室を有する円墳。大正4年(1915年)3月、装飾大刀(そうしょくたち)・金銅装
古墳時代後期後半(6世紀後半頃~7世紀初頭頃) 横穴式石室を有する円墳 市指定史跡 横岡宮の段古墳 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡字宮之段)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡(よこおか)の「横岡宮の段古墳群」(よこおかみやのだんこふんぐん)は、大井川右岸の河岸段丘「宮の段」に分布する古墳3基(4基?)で構成。市指定史跡 横岡宮の段古墳(横岡宮の段1号墳、宮ノ段古墳)は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃~7世紀
太平洋戦争 戦没者の遺品・遺書などの資料を展示公開 静岡懸護国神社 遺品館 (静岡県静岡市葵区柚木366)
静岡県静岡市葵区柚木(ゆのき)の静岡懸護国神社(しずおかけんごこくじんじゃ)は、明治32年(1899年)11月13日に共祭招魂社として創建されました。昭和14年(1939年)に静岡懸護国神社と改称し、昭和17年(1942年)に静岡市北番町から現在地へ遷座。静岡懸護国神社には、明治維新
市指定文化財 移築された掛川城主の茶室 東海道日坂宿 旅籠「川坂屋」 (静岡県掛川市日坂149‐1)
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。江戸時代の旅籠(はたご)「川坂屋」(かわざかや)には、移築された掛川城主 太田候の茶室が現存しています。この茶室は、江戸時代後期の文化2年(1805年)に掛
第14代将軍 徳川家茂,明治天皇が休息 東海道岡部宿 内野本陣史跡広場 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部831)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)は、東海道五十三次の品川宿から数えて21番目の岡部宿(おかべしゅく)が整備されました。内野本陣(うちのほんじん)は、江戸時代に参勤交代の大名・旗本などが宿泊。江戸幕府第14代将軍 徳川家茂(とくがわ いえもち)や明治天
平安時代(11世紀前半) 灰釉陶器,碗,瓦を焼いた窯跡 新池古窯跡群 (静岡県浜松市浜名区(旧浜北市)宮口)
静岡県浜松市浜名区(旧浜北市)宮口(みやぐち)の新池古窯跡群(しんいけこようせきぐん)は、農業用ため池「新池」のほとりにある窯跡です。平安時代(11世紀前半)に、灰釉陶器(かいゆうとうき)・碗(わん)・瓦(かわら)を焼いていました。新池古窯跡群は、周辺にある奈良時代か
古墳時代中期後半 埴輪を焼いた窯跡 京見塚古墳群 埴輪窯 (静岡県磐田市国府台653-1 京見塚公園)
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳群(きょうみづかこふんぐん) 埴輪窯(はにわかま)は、古墳時代中期後半(5世紀中頃)に埴輪を焼いた窯跡です。東海地方で初めて見つかった埴輪専用窯で、京見塚古墳北側にある周溝(しゅうこう)の外堤部(がいていぶ)に2基築かれてい
遠州七不思議 陰陽師 安倍晴明が祈祷した伝説 市指定史跡 晴明塚 (静岡県掛川市(旧小笠郡大須賀町)大渕3901-2 浜地内)
静岡県掛川市(旧小笠郡大須賀町)大渕(おおぶち)には、遠州七不思議(えんしゅうななふしぎ)のひとつの市指定史跡「晴明塚」(せいめいづか)があります。遠州七不思議とは、遠州地方(静岡県西部の遠江国)に伝わる不思議な伝説・物語のことです。伝説によれば、平安時代の陰陽
東海道一の大親分 清水次郎長が埋葬した咸臨丸乗組員 壮士の墓 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)築地町1)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)築地町(つきじちょう)の市指定文化財 壮士の墓(そうしのはか)は、東海道一の大親分といわれた清水次郎長(しみずのじろちょう)が埋葬した、咸臨丸(かんりんまる)乗組員の墓です。明治元年8月19日(1868年10月4日)、江戸幕府海軍副総裁 榎本武揚(
戦国時代 武田家家臣 笹田源吾供養塔 曹洞宗 那智山 長命寺 (静岡県袋井市木原1)
静岡県袋井市木原(きわら)の曹洞宗 那智山 長命寺(ちょうめいじ)は、室町時代後期(戦国時代)の天文元年(1532年)9月に海蔵寺(袋井市堀越)8世 日山天恵和尚が開山。長命寺の境内には、戦国時代の武将 笹田源吾(ささだ げんご)の供養塔があります。安土桃山時代(戦国時代)の天
江戸時代後期 『駿河大地誌』撰者 河野通世の墓碑 市指定文化財 河野蓀園碑文 十石坂観音堂 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県最多7万609枚の埋蔵銭(古銭)出土地 大門遺跡 (静岡県周智郡森町森字西ノ海戸)
静岡県周智郡森町森(しゅうちぐん もりまち もり)の大門遺跡(だいもんいせき)は、静岡県内最多7万609枚の中世備蓄銭(埋蔵銭)が出土しています。昭和60年(1985年)、大門東(森高校の西側)土地区画整理事業で、地元小学生が廃土の中から約50枚の古銭を発見。この時には、正確
単独で築かれた謎の円墳 八王子神社古墳 (静岡県掛川市富部282 八王子神社)
静岡県掛川市富部(とんべ)の八王子神社古墳(はちおうじじんじゃこふん)は、八王子神社裏の丘陵に築かれた円墳です。直径約10mの円墳のようですが、全体が古墳なら直径約20mの円墳に見えます。未調査なのか、詳細不明の古墳です。八王子神社古墳
市指定文化財 掛川城 蕗の門 円満寺 山門 (静岡県掛川市掛川459)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の円満寺 山門は、徳川家康・山内一豊ゆかりの掛川城にあった四脚門の「蕗の門」(ふきのもん)です。「蕗の門」は、掛川城東側の内堀(蓮池)のほとりに建てられていました。明治5年(1872年)、廃城となり競売にかけられた「蕗の門」を円満寺が買い
江戸時代に耕地整理を実施した豪農 河守宗太夫(惣太夫)秀延の墓 市指定史跡 百ヶ間地田跡 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)上新田829-3 桜井医院付近)
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)上新田(かみしんでん)の市指定史跡 百ヶ間地田跡(ひゃっかまちだあと)は、江戸時代前期の寛文年間(1661~1672年)に耕地整理が行なわれた場所です。豪農であった河守家3代目の河守宗太夫(惣太夫)秀延が、屋敷前の所有地(現在の桜井医院付近)
戦国時代 徳川家康の陣跡 旗指の権現森 (静岡県島田市旗指)
静岡県島田市旗指(はっさし)の史跡 権現森(ごんげんもり)は、徳川家康ゆかりの地です。 室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)12月、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)が今川氏真(いまがわ うじざね)の領国 駿河(静岡県中部)へ侵攻。今川氏領国のうち
江戸時代の古銭が出土 御陣屋稲荷神社 島田代官所跡(御陣屋遺跡) (静岡県島田市柳町・本通4丁目)
静岡県島田市柳町(やなぎまち)・本通(ほんとおり)4丁目の島田市民会館南側のおび通り周辺は、江戸時代の島田代官所跡(しまだだいかんしょあと)です。御陣屋遺跡(ごじんやいせき)とも呼ばれます。江戸時代前期の元和2年(1616年)、東海道 島田宿と周辺地の天領(てんりょう、
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 飯室山古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江3538 飯室乃神社)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の飯室山古墳群(いいむろやまこふんぐん)は、飯室乃神社(いいむろのじんじゃ)境内に分布する円墳4基で構成。古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられ、少なくとも3基の古墳は横穴式石室が見つかっています。神社の踏み石は、石
戦国時代 徳川軍に敗れた武田兵の墓? 坂部の中世石塔群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部 加茂神社の裏山)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)には、謎の中世石塔群(ちゅうせいせきとうぐん)があります。昭和53年(1978年)秋、加茂神社裏山で農道建設のため草ボタを掘り起こしました。五輪塔(ごりんとう)20基余りが掘り出され、遺骨が1つの甕(かめ)に8分目くらいと小蓑に
磐田原台地西縁辺上に築かれた円墳22基 ネット初公開 馬坂上古墳群 (静岡県磐田市匂坂上)
静岡県磐田市匂坂上(さぎさかかみ)の馬坂上古墳群(うまさかかみこふんぐん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する22基の小円墳で構成。天竜川左岸(東岸)の磐田原台地には、古墳時代に多数の古墳が築かれました。茶園開墾・道路建設・土採り工事などで古墳が
奈良時代 官衙跡(役所跡)または豪族の居館跡 県指定史跡 長者屋敷遺跡 (静岡県磐田市寺谷字長者屋敷)
静岡県磐田市寺谷(てらだに)の県指定史跡 長者屋敷遺跡(ちょうじゃやしきいせき)は、磐田原台地(いわたはらだいち)の標高85~88m付近に所在する謎の遺跡です。飛鳥時代(古墳時代終末期)から奈良時代(7~8世紀)の、豪族(有力者)の居館跡(きょかんあと)または官衙跡(かんがあ
縄文時代の竪穴式住居跡 弥生時代の土器棺墓,土坑墓 新豊院山遺跡 (静岡県磐田市向笠竹之内字新豊院山)
静岡県磐田市向笠(むかさ)の新豊院山遺跡(しんぽういんやまいせき)A~D地点は、曹洞宗 鷲渓山 新豊院の北・南・西側の丘陵尾根に立地しています。発掘調査では、縄文時代の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)、弥生時代の土器棺墓(どきかんぼ)・土坑墓(どこうぼ)・
横穴式石室を有する円墳? ネット初公開 地蔵山古墳 (静岡県島田市阿知ヶ谷字地蔵山)
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の地蔵山古墳(じぞうやまこふん)は、阿知ヶ谷アルプス・ハイキングコースの地蔵山山頂(標高約183m)付近に所在する円墳です。山頂から少し下った緩斜面に、石室材らしき砂岩が露出。古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた、横穴式石室を有する古
古墳時代後期(6世紀) 横穴式石室を有する円墳15基? 鵜田古墳群 (静岡県島田市野田北ノ谷他)
静岡県島田市野田(のだ)の鵜田古墳群(うだこふんぐん)は、野田山(標高143.3m)東裾部の舌状台地に分布する古墳15基で構成された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳時代後期(6世紀代)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の円墳だと考えられています。島田市大津地区(
弥生,古墳時代の集落 奈良~平安時代の掘立柱建物群 宮ノ西遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂宮の西)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂(かも)の宮ノ西遺跡(みやのにしいせき)は、菊川右岸(西岸)の沖積地に所在する弥生・古墳・奈良・平安時代・中世・近世の複合遺跡です。平成18~23年度、宮の西土地区画整理事業に伴う発掘調査を実施。弥生時代から古墳時代にかけての集落
法然上人ゆかりの応声教院北側の円墳 ネット初公開 法然塚古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田杉森)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田(なかうちだ)の法然塚古墳(ほうねんづかこふん)は、浄土宗 松風霊山 応声教院(おうしょうきょういん)北側の丘陵に単独で築かれた円墳です。出土した横瓶(よこべ、よこべい)は、応声教院が所蔵しています。法然塚古墳
徳川家康が築いた砦の斜面に分布 獅子ヶ鼻砦横穴群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石(おおいし)の獅子ヶ鼻砦横穴群(ししがはなとりでよこあなぐん)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半(7世
弥生時代後期(紀元0年頃)の県内最大級 大型堀立柱建物の柱根が出土 東原田遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川1647 菊川市中央公民館)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の東原田遺跡(ひがしはらだいせき)は、平成10年(1998年)に「おがさセントラルパーク」建設に伴う発掘調査が行われました。弥生時代中期から後期にかけての竪穴式住居跡、弥生時代後期(紀元0年頃)の県内最大級(東西約14m、
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静岡県掛川市仁藤町(にとうちょう)の浄土宗知恩院派 泉洞山 天然寺(せんとうさん てんねんじ)には、東インド会社商館長 ゲースベルト・ヘンミィの墓があります。オランダ貿易使節団であるヘンミィの一行約70名は、江戸時代の寛政10年(1798年)はじめに長崎の出島を出発。寛
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東(かなやあずま)2丁目の宅円庵(たくえんあん)には、日本左衛門首塚(にっぽん ざえもん くびつか)があります。日本左衛門(本名 濱島庄兵衛)は江戸時代中期の盗賊で、歌舞伎「白波五人男」(しらなみごにんおとこ)の日本駄右衛門のモデルに
静岡県周智郡森町橘(しゅうちぐん もりまち たちばな)の曹洞宗 橘谷山 大洞院(きっこくさん だいとういん)は、室町時代の応永18年(1411年)に恕仲禅師(じょちゅうぜんじ)が梅山禅師を開山として、第4代将軍 足利義持(あしかが よしもち)が寄進した荘園の場所に創建。全国に3
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津(はづ)の小堤山公園(こづつみやまこうえん)には、市指定文化財の遠江相良藩 初代藩主・本多忠晴(ほんだ ただはる)の墓があります。本多忠晴は、徳川家康の重臣・本多忠勝(ほんだ ただかつ)のひ孫です。江戸時代中期の正徳3年(1713年)、
静岡県周智郡森町大鳥居(しゅうちぐん もりまち おおとりい)の曹洞宗 松厳山 蔵雲院(しょうがんざん ぞううんいん)には、町指定文化財 天方(あまがた)城主3代の墓があります。3基並んだ石塔の中央が、蔵雲院開基の天方郷18代地頭 天方山城守通季(あまがた やましろのかみ
静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川(きっかわ)の吉川氏館跡(きっかわしやかたあと)は、鎌倉幕府御家人 吉川氏の居館跡(きょかんあと)です。平安時代末期の寿永2年(1183年)頃、源頼朝から駿河国吉河荘を所領として与えられた豪族 入江(いりえ)氏が地名の吉河(吉川、吉香)を名
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の勅使塚(ちょくしづか)は、平安時代に後白河天皇(ごしらかわてんのう、在位 久寿2年7月24日(1155年8月23日)~保元3年8月11日(1158年9月5日))の勅使(使者)が埋葬されたという伝説の地です。決められた日の夜明け前に、法多山へ参拝するよう命じ
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗 不動山 善能寺(お不動さん、波切不動尊)には、江戸時代後期に一橋領の遠江国 波津(はづ)陣屋(相良御役所)代官を務めた小島源一焦園(こじま げんいち しょうえん)の墓があります。文政6年(1823年)2月12日、小島焦園が波
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)の曹洞宗 泰雲山 瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、室町時代末期(戦国時代)の永禄3年(1560年)に曹洞宗 大森山 長源院(静岡市葵区沓谷)5世 能屋梵藝(のうおくぼんげい)大和尚が開創。豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の異父妹(いふまい)で、徳川
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)下小杉(しもこすぎ)の廻国供養塔(かいこくくようとう)は、江戸時代に全国の社寺を参拝する六十六部(ろくじゅうろくぶ)廻国巡礼を行なった巡礼者が建立した巡礼(順禮)塔です。宝永6年2月19日(1709年3月29日)、遠江国(遠州)榛原郡下小杉村の横
静岡県磐田市二之宮(にのみや)の連福寺古墳(れんぷくじこふん)は、臨済宗妙心寺派 龍池山 連福寺の本堂付近にあったと考えられる古墳時代前期(4世紀後半頃)の前方後円墳です。全長50m以上・後円部直径約50mの規模で、前方部が西向きと推定されています。昭和5年(1930年)の
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の県指定史跡 土器塚古墳(かわらけづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)に築かれた円墳です。直径約36m、高さ約5mの規模で、墳丘に埴輪(はにわ)は無し。墳丘の外側には、幅約7mの周溝(しゅうこう)が巡っています。東西方向長さ7~8m、
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の貫名地A古墳群(ぬきなじえーこふんぐん)は、6基(5基?)の古墳で構成。残存している古墳は、前方後円墳または円墳の貫名地A3号墳(ぬきなじえーさんごーふん)だけです。貫名地A古墳群
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)・浅名(あさな)の観音山古墳群は、古墳時代中期(5世紀頃)の築造と考えられる円墳3基で構成。別名は五ヶ山C古墳群(ごかやましーこふんぐん)で、古墳4基とする文献もあります。岩松寺観音堂南側の、五ヶ山(ごかやま)と呼ばれる丘陵
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)の貫名地C古墳群(ぬきなじしーこふんぐん)は、茶園が広がる地域の山林の中にあります。貫名地C古墳群は、貫名地C1号墳(平芝古墳)の1基だけです。南側に貫名地A古墳群と貫名地B古墳群、東側には貫名地D古墳群が分布しています。貫
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の山畑古墳群(やまはたこふんぐん)は、諸井共同墓地内の円墳5基で構成されています。この周辺は弥生時代の山畑遺跡で、古くから人々に利用されてきた土地です。山畑古墳群
静岡県御前崎市(旧榛原郡御前崎町)御前崎(おまえざき)の曹洞宗 大澤山 海福寺(かいふくじ)には、市指定文化財 大澤権右衛門 供養塔と「いもじいさんの碑」があります。江戸時代中期の明和3年(1766年)春、遠州灘(えんしゅうなだ)の御前崎沖を航行していた薩摩藩(さつまはん
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)奥泉(おくいずみ)にある大井川鉄道 井川線 奥泉駅の駅前広場周辺は、縄文時代を中心とする下開戸遺跡(したのかいといせき、しもかいといせき)です。縄文時代前期~晩期(約6,000~2,300年前)と、平安時代~江戸時代(約800~300年前)の遺物
静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(はいばらぐん かわねほんちょう かみながお)の上長尾遺跡(かみながおいせき)は、大井川中流域の一番低い河岸段丘(大井川から10m程の高さ)に位置する、縄文時代早期から弥生時代初頭の遺跡です。昭和27年(1952年)、島田高等
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の猿郷古墳群(さるごうこふんぐん)は、河岸段丘に築かれた前方後円墳1基と円墳8基で構成されています。猿郷1号墳(猿郷古墳)は、古墳時代後期前半(6世紀前半)の築造と考えられる前方後円墳。規模は、墳長55m・前方部幅32m・前方部高
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)高橋(たかはし)の県指定史跡 舟久保古墳(ふなくぼこふん)は、標高約73mの丘陵上に築かれた古墳時代中期(5世紀頃)の前方後円墳です。船窪古墳、船久保古墳と表記された文献もあります。墳長は約49m、後円部の直径約26m、後円部高さ約3.5m、前方
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)西方(にしかた)の掘田城跡(ほったじょうあと)は、曹洞宗 拈華山 正法寺(ねんげざん しょうぼうじ)西側の丘陵の細尾根に築かれた山城です。松下城跡とも呼ばれ、遺構(曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、十数条の堀切(ほりきり))が確認できます。室町
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西古墳群(こふかだにしこふんぐん)は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と考えられる方墳5基(4基?)で構成されています。大井川水系によって形成された、沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。昭和57年
静岡県藤枝市助宗(すけむね)の助宗古窯跡群(すけむねこようせきぐん)は、奈良~平安時代に須恵器、平安~鎌倉時代には灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)を焼いていました。別名は助宗窯跡群で、山茶碗の窯跡としては東海地域最東端です。100基以上の窯跡が、
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の曹洞宗 大窪山 徳願寺には、駿河国守護 今川義忠(いまがわ よしただ)の正室 北川殿の墓(五輪塔)があります。北川殿は、今川義元(いまがわ よしもと)の祖母です。奈良時代の養老元年(717年)、徳願寺は真言宗の寺院として創建。
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の丸子城(宇津谷城、三角城)は、室町時代の応永年間(1394~1428年)に駿河国の守護大名 今川氏の家臣 斎藤安元が築造しました。室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)、駿河(静岡県中部)に侵攻した甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけ
静岡県静岡市駿河区用宗(もちむね)の持舟城(もちふねじょう)は、戦国時代に徳川家康が攻略した武田水軍の拠点の山城です。用宗城(もちむねじょう)とも呼ばれます。江戸時代までの持舟城周辺は、北側は深田と沼地・西側は交通の難所の大崩海岸・南側の城下は駿河湾の入江に
静岡県袋井市川井(かわい)の曹洞宗 玉照山 円通寺(えんつうじ)には、歴代の川井代官の墓があります。江戸時代前期の寛永10年(1633年)頃、幕府が遠江国山名郡(とおとうみのくに やまなぐん) 袋井宿周辺の天領(幕府の直轄地)8万石余りを支配するため、円通寺の南側に川井代
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上(かわかみ)の代之谷古墳(だいのやこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。八幡神社境内に単独で所在する古墳で、箱形石棺が見つかっています。代之谷古墳
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田(わだ)の皿山古窯跡群(さらやまこようせきぐん)は、平安時代末期から鎌倉時代(12~13世紀)にかけて、灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)・仏具(ぶつぐ)・瓦(かわら)などを焼いていた窯跡です。平成14年(2002年)の排水路建設
静岡県榛原郡吉田町川尻(はいばらぐん よしだちょう かわしり)高畑の成因寺堤跡(じょういんじづつみあと)は、江戸時代に大井川下流右岸の平野へ築かれた堤防跡です。川尻(かわしり)は河口を意味する地名で、大井川が増水する度に洪水が発生して堤防は決壊。民家・寺・神社
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 地福山 種月院(しゅげついん)は、坂本龍馬を暗殺した京都見廻組 今井信郎(いまい のぶお)の碑がある事で知られています。種月院周辺では、開墾して茶園を造った際に多くの古墳が発見されたそうです。埋蔵文化財として登録されていない
静岡県島田市大草(おおくさ)の仲山経塚(なかやまきょうづか)は、丘陵の頂上付近に築かれた経塚です。経塚からは、中世(平安時代後半から戦国時代(11世紀後半頃~16世紀後半頃))の陶質土器(とうしつどき)が出土しています。仲山経塚
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・