静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の西ノ谷A横穴(にしのやえーよこあな)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。金山神社近くの南向きの丘陵裾が削られて、横穴墓の奥壁のみが残存。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
古墳時代後期(6世紀) 横穴式石室を有する円墳15基? 鵜田古墳群 (静岡県島田市野田北ノ谷他)
静岡県島田市野田(のだ)の鵜田古墳群(うだこふんぐん)は、野田山(標高143.3m)東裾部の舌状台地に分布する古墳15基で構成された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳時代後期(6世紀代)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の円墳だと考えられています。島田市大津地区(
遺跡・古墳出土の石器,石碑,石仏,道しるべなどを紹介 文化財課企画展『石の文化誌』 磐田市立豊田図書館 (静岡県磐田市(旧磐田郡豊田町)上新屋304)
静岡県磐田市(旧磐田郡豊田町)上新屋(かみあらや)の磐田市立豊田図書館 展示室で、文化財課企画展『石の文化誌』を開催。磐田市内の遺跡・古墳から出土した石器、石碑(せきひ)・石仏(せきぶつ)・道しるべ(みちしるべ)などの石造物、古民具の石臼(いしうす)などの展示物を紹
弥生土器,鳥形土器,銅鐸レプリカなどを展示 文化財課企画展『弥生時代へGO! ~2000年前のイワタ~』磐田市立中央図書館 (静岡県磐田市見付3599‐5)
静岡県磐田市見付(みつけ)の磐田市立中央図書館 1階展示室で、文化財課企画展『弥生時代へGO! ~2000年前のイワタ~』を開催。磐田市内の弥生時代の遺跡で見つかった出土品(弥生土器、石器、木製品など)、蔵平遺跡(くらのたいらいせき)の鳥形土器(とりがたどき)、西の谷遺
形象埴輪(人物,馬形,鹿形),円筒埴輪が並ぶ3代の首長墓 前方後円墳3基と円墳4基? 郷ヶ平古墳群 (静岡県浜松市北区都田町字郷ヶ平16-2)
静岡県浜松市北区都田町(みやこだちょう)の郷ヶ平古墳群(ごうがひらこふんぐん)は、天竜川右岸の三方原台地(みかたはらだいち)北縁部に築かれた、古墳時代中期(5世紀後半)から後期(6世紀中頃)の前方後円墳3基、円墳4基?で構成。形象埴輪(けいしょうはにわ)の人物埴輪(じん
静岡県埋蔵文化財センター巡回展『しずおかの遺跡 にし・ひがし ~近年の発掘成果から~』 静岡市立登呂博物館 (静岡県静岡市駿河区登呂5-10-5)
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前、1世紀頃)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水田と、復元住居・高床式倉庫が並んだムラを再現し
平安時代末期から鎌倉時代 儀式が行なわれた 庭園の池 市指定史跡 宮下遺跡 現地説明会 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部4439他)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の市指定史跡 宮下遺跡(みやしたいせき)は、発掘調査で中世前期(平安時代末期(11世紀末)から鎌倉時代初期(13世紀前半))の、県内最大規模の園池(えんち、庭園の池)が見つかりました。園池は、南北35m・東西20m以上・深さ1.7m。池
日本最古の墨書六角卒塔婆,呪符木簡,墨書土器,木橋橋脚 平安時代から鎌倉時代の柱穴内礎石建物群 市指定史跡 宮下遺跡 現地説明会 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部4439他)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の市指定史跡 宮下遺跡(みやしたいせき)で、平安時代末期(11世紀末)から鎌倉時代初期(13世紀前半)にかけての、県内最大規模の柱穴内礎石(ちゅうけつないそせき)建物群が見つかりました。柱穴内礎石建物とは、柱を建てる穴の中に
江戸時代 大井川下流右岸に築かれた堤防 成因寺堤跡 (静岡県榛原郡吉田町川尻高畑)
静岡県榛原郡吉田町川尻(はいばらぐん よしだちょう かわしり)高畑の成因寺堤跡(じょういんじづつみあと)は、江戸時代に大井川下流右岸の平野へ築かれた堤防跡です。川尻(かわしり)は河口を意味する地名で、大井川が増水する度に洪水が発生して堤防は決壊。民家・寺・神社
太平洋戦争中 大井海軍航空隊に送水 軍用水道の木造ポンプ所 大井上水道企業団 金谷水源地 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東1丁目1255-2)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東(かなやあずま)1丁目の大井上水道企業団 金谷水源地には、軍用水道の木造ポンプ所がありました。昭和16年(1941年)頃、牧ノ原(牧之原)台地の大井海軍航空隊に大井川の伏流水を送水するため建設されたものです。軍用水道の木造ポンプ所
奈良時代(8世紀) 竹林寺廃寺跡の瓦と須恵器を焼いた登り窯 南原瓦窯跡 (静岡県島田市船木字南原)
静岡県島田市船木(ふなき)の南原瓦窯跡(みなみはらがようあと)は、奈良時代(8世紀)に瓦(かわら)と須恵器を焼いた登り窯(のぼりがま)4基で構成。南原瓦窯跡で焼かれた瓦は、近くにある竹林寺廃寺跡(ちくりんじはいじあと)の金堂・講堂・塔から出土しています。竹林寺廃寺跡
奈良時代(8世紀) 古代寺院跡(廃寺) 楠木遺跡 発掘調査 現地説明会 (静岡県浜松市北区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)岡本)
静岡県浜松市北区三ヶ日町(旧引佐郡三ケ日町)岡本(みっかびちょう おかもと)の楠木遺跡(くすぎいせき)は、奈良時代(8世紀)の古代寺院跡(廃寺)だと考えられています。発掘調査では、医王寺廃寺跡(愛知県豊川市(旧小坂井町))の瓦に類似した文様(もんよう)の「細弁蓮華文軒丸
江戸時代 東海道の難所 宇津ノ谷峠 「峠の地蔵堂跡」 (静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷)
静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷(うつのや)の「峠の地蔵堂跡」(とうげのじぞうどうあと)は、江戸時代の東海道 宇津ノ谷峠道に所在。静岡市と藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部の境にある宇津ノ谷峠(標高162m)は、古くから東海道の難所として知られていました。江戸時代前期の明
縄文時代 前玉原遺跡、横穴式石室を有する円墳5基 ネット初公開 前玉原古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部前玉下原)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の前玉原遺跡(さいたまはらいせき)は、前玉原と呼ばれる丘陵(標高約30~32m付近)上に所在する縄文時代の遺跡です。遺物は、石器(石鏃(せきぞく)、石錘(せきすい))、黒曜石(こくようせき)などが見つかっています。周辺には前玉原
古墳の出土品,市指定文化財の木喰仏と大絵馬 企画展『高草山周辺の文化遺産』焼津市歴史民俗資料館 (静岡県焼津市三ケ名1550)
静岡県焼津市三ケ名(さんがみょう)の焼津市文化センター2階にある焼津市歴史民俗資料館で、企画展『高草山周辺の文化遺産』を開催。奥屋敷1号墳(猪之谷神社古墳)の六鈴鏡(ろくれいきょう)、筧沢(ひよさわ)1号墳の銀象嵌円頭大刀柄頭(ぎんぞうがんえんとうたちつかがしら)、
遺跡,古墳から出土した土器,埴輪,銅鏡 文化財課企画展『大発見!いわたの考古学~結構すごいぞ!発掘調査~』磐田市立中央図書館 (静岡県磐田市見付3599‐5)
静岡県磐田市見付(みつけ)の磐田市立中央図書館1階展示室で、文化財課企画展『大発見!いわたの考古学~結構すごいぞ!発掘調査~』を開催。弥生時代後期(2世紀頃)の敷地1号銅鐸(しきじいちごうどうたく)レプリカ、古墳時代中期(5世紀)の県内最大級の前方後円墳 堂山古墳出
弥生時代後期(3世紀頃) 湿地に営まれた遺跡 市指定史跡 白鬚遺跡 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝俣1903他)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝俣(かつまた)の市指定史跡 白鬚遺跡(しらひげいせき)は、秋葉山(標高約60m)山麓の勝間田川(かつまたがわ)下流右岸の湿地に営まれた弥生時代後期(3世紀頃)の遺跡です。秋葉山中腹にある古墳時代の白ヒゲⅡ遺跡と区別するため、白ヒゲⅠ遺跡
石器と山茶碗 縄文時代と中世の複合遺跡 宮ノ段遺跡 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡332 横岡八幡神社)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡(よこおか)の宮ノ段遺跡(みやのだんいせき)は、大井川右岸の河岸段丘「宮の段」にある縄文時代と中世の複合遺跡です。遺跡は、横岡八幡神社(よこおかはちまんじんじゃ)の境内周辺にひろがっています。表採されている遺物は、縄文時代の石
県指定文化財 三角縁四神四獣鏡が出土 古墳時代前期(3~4世紀)の前方後円墳 経塚古墳(連城寺8号墳) (静岡県磐田市新貝字子犬間添)
静岡県磐田市新貝(しんがい)の経塚古墳(きょうづかこふん)は、曹洞宗 三白山 連城寺(れんじょうじ)の南側にあった古墳時代前期(3世紀後半頃から4世紀初め頃)の前方後円墳です。全長約90m・後円部径約54m・南南東向きの前方部を有する前方後円墳でしたが、明治18年(1885年)
埴輪,短甲,三角縁神獣鏡など古墳の出土品「磐田市合併10周年記念 平成27年度 文化財課企画展『大磐田展 -古墳からのメッセージ-』」磐田市立中央図書館 (静岡県磐田市見付3599‐5)
静岡県磐田市見付(みつけ)の磐田市立中央図書館1階展示室で、「磐田市合併10周年記念 平成27年度 文化財課企画展『大磐田展 -古墳からのメッセージ-』」を開催。磐田市内の古墳から出土した、武器・武具・馬具・埴輪(はにわ)・装身具・三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅ
弥生時代後期(紀元0年頃)の県内最大級 大型堀立柱建物の柱根が出土 東原田遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川1647 菊川市中央公民館)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の東原田遺跡(ひがしはらだいせき)は、平成10年(1998年)に「おがさセントラルパーク」建設に伴う発掘調査が行われました。弥生時代中期から後期にかけての竪穴式住居跡、弥生時代後期(紀元0年頃)の県内最大級(東西約14m、
釣手土器,有穴鍔付土器が出土 縄文時代中期(約5,500年前~4,500年前)の集落 竹林寺遺跡 (静岡県島田市船木字南原)
静岡県島田市船木字南原(ふなきあざみなみはら)の竹林寺遺跡(ちくりんじいせき)は、富士山静岡空港の東側に位置する縄文時代の集落跡です。平成9年(1997年)の茶園改植に伴う発掘調査で、竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)2軒と柱穴(ちゅうけつ、はしらあな)47基を
古墳時代の人骨,弥生時代の土器棺,旧石器時代のペンダント 企画展『平成24年度 静岡県埋蔵文化財センター 発掘調査速報展』静岡市立登呂博物館 (静岡県静岡市駿河区登呂5-10-5)
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前、1世紀頃)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、出土品を展示する静岡市立登呂博物館があります。登呂博物館1階の情報・映像コーナー
戦国時代の軍船 安宅船の模型,城跡の出土品 沼津市文化財センター展示室 パート6 (静岡県沼津市)
静岡県沼津市の沼津市文化財センターは、市内の遺跡・古墳からの出土品(石器、土器、埴輪(はにわ)、銅鏡(どうきょう)、勾玉(まがたま)、木製品など)を展示公開しています。沼津市内では、旧石器時代の約3万2千年前に愛鷹山麓(あしたかさんろく)で暮らしはじめた人たちがい
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静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の西ノ谷A横穴(にしのやえーよこあな)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。金山神社近くの南向きの丘陵裾が削られて、横穴墓の奥壁のみが残存。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大沢(おおさわ)の園横穴群(そのおうけつぐん)は、丘陵斜面に穴を掘って築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半(7世紀前半頃)にかけて
静岡県島田市船木(ふなき)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、墳頂に庚申塔(こうしんとう)が建てられた未発掘の円墳です。単独で築かれた中規模の円墳で、主体部(埋葬施設)は石室以前の木棺直葬(もっかんじきそう、もっかんちょくそう)の可能性があります。主体部(埋葬施
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 地福山 種月院(しゅげついん)は、坂本龍馬を暗殺した京都見廻組 今井信郎(いまい のぶお)の碑がある事で知られています。種月院周辺では、開墾して茶園を造った際に多くの古墳が発見されたそうです。埋蔵文化財として登録されていない
静岡県島田市船木(ふなき)の新ノ宮古墳群(しんのみやこふんぐん)は、円墳6基で構成。新ノ宮2~6号墳は、昭和45年(1970年)頃に茶園開墾で消滅しました。唯一墳丘が残る新ノ宮1号墳は、直径21.3m、高さ2.1mの円墳です。墳頂に稲荷社(いなりしゃ)の祠(ほこら)が祀(まつ)られ、
静岡県島田市船木(ふなき)の南原古墳群(みなみはらこふんぐん)は、7基以上の古墳がありました。残存しているのは民家の庭にある円墳1基だけで、南原古墳とよばれています。発掘調査が行われていないため、詳細不明です。直径10m以下の円墳で墳丘が高く、古墳時代後期(6世紀
静岡県島田市阪本(さかもと)の森下古墳群(もりしたこふんぐん)は、東洋最大規模の茶園が広がる牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基で構成。文献によって、森下古墳群が谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)に含まれて
静岡県島田市阪本(さかもと)の高根森古墳群(たかねもりこふんぐん)は、古墳11基以上で構成されています。高根森2号墳は、古墳時代後期(6世紀末)に築かれた疑似両袖式(ぎじりょうそでしき)の横穴式石室を有する円墳。大正4年(1915年)3月、装飾大刀(そうしょくたち)・金銅装
静岡県島田市大草(おおくさ)の仲山経塚(なかやまきょうづか)は、丘陵の頂上付近に築かれた経塚です。経塚からは、中世(平安時代後半から戦国時代(11世紀後半頃~16世紀後半頃))の陶質土器(とうしつどき)が出土しています。仲山経塚
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の山ヶ谷古墳(やまがやこふん)は、明治時代の終わり頃 山林の茶園開墾中に三環鈴(さんかんれい)が出土しました。三環鈴はとても珍しい古墳時代中期(5世紀頃)の馬具で、これまでに県内では2例しか出土していません。山
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝間(かつま)の法士古墳(ほうじこふん)は、丘陵上に築かれた円墳です。昭和37年(1962年)、茶園改植で成長の悪い茶樹の下を深さ30~40㎝掘ったところ、土師器 高坏(たかつき)と直刀(ちょくとう)が見つかりました。直刀は長さ104㎝・柄(つか)
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県磐田市匂坂新(さぎさかしん)の欠山古墳群(かけやまこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の古墳6基(前方後円墳1基、円墳5基)で構成。欠山1号墳は、
静岡県島田市元島田(阿知ケ谷・御仮屋・松葉町)の白岩寺古墳群(はくがんじこふんぐん)は、白岩寺山(標高約160m)中腹の南側から南西側にかけての斜面に分布。密集した古墳20数基で構成される後期群集墳です。発掘調査が行われた白岩寺1~4号墳は、古墳時代後期(6世紀)に築造
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)・手越(てごし)の金山古墳群(かなやまこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀後半)から終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳6基以上で構成。南北に細長い丘陵(金山)の、日蓮宗 照永山 妙音寺の境内と南側に続く尾根に分布し
静岡県焼津市栄町・焼津(塩津・道下・道添)の塩津古墳群(しおつこふんぐん)は、大井川水系が形成した沖積平野(ちゅうせきへいや)の焼津微高地上に分布。焼津東小学校周辺から焼津郵便局周辺にかけて埋没していた、古墳時代後期(6世紀中葉)から終末期(7世紀)の古墳7基(道下
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・
静岡県静岡市葵区柚木(ゆのき)の静岡懸護国神社(しずおかけんごこくじんじゃ)は、明治32年(1899年)11月13日に共祭招魂社として創建されました。昭和14年(1939年)に静岡懸護国神社と改称し、昭和17年(1942年)に静岡市北番町から現在地へ遷座。静岡懸護国神社には、明治維新
静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川(きっかわ)の吉川氏館跡(きっかわしやかたあと)は、鎌倉幕府御家人 吉川氏の居館跡(きょかんあと)です。平安時代末期の寿永2年(1183年)頃、源頼朝から駿河国吉河荘を所領として与えられた豪族 入江(いりえ)氏が地名の吉河(吉川、吉香)を名
静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川(きっかわ)の吉川氏館跡(きっかわしやかたあと)は、鎌倉幕府御家人で駿河国能島荘を支配していた吉川氏の居館跡です。吉川氏の本貫地(ほんがんち)で、代々160年間この地を支配。鎌倉時代前期の正治2年(1200年)におきた「梶原景時の変」(か
静岡県静岡市清水区(旧清水市)大内(おおうち)の梶原堂(かじわらどう)には、鎌倉時代前期の正治2年(1200年)に「梶原景時の変」(かじわら かげときのへん)で敗れ、自害した武将 梶原景時(かじわら かげとき)親子の墓があります。五輪塔(ごりんとう)1基と宝篋印塔(ほうきょう
静岡県静岡市清水区(旧清水市)梅ヶ谷(うめがや)の鹿島古墳群(かしまこふんぐん)は、古墳時代後期~終末期(6世紀後半~7世紀)頃の、横穴式石室を有する円墳数基で構成されています。鹿嶋神社が鎮座する小丘陵に分布していますが、何基の古墳があったのか不明です。須恵器が
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の山田ヶ谷南横穴群(やまだがやみなみよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られたA群1基・B群2基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)3基で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の釜原城跡(かまっぱらじょうあと)は、菊川市(旧小笠郡小笠町)との境界付近の丘陵(標高66m)に築かれた連郭式(れんかくしき)の平山城(ひらやまじょう)です。昭和47年(1972年)に廃寺となった山田ケ谷の曹洞宗 聖道寺(しょうどうじ
静岡県静岡市駿河区有東(うとう)の有東砦(うとうとりで)は、室町時代中期頃(戦国時代)に駿河今川氏の家臣 福島氏が、今川駿府館の支城砦として独立丘陵の有東山(標高35.4m)に築きました。室町時代後期(戦国時代)の天文10年(1541年)、甲斐(山梨県)の守護大名・戦国大名 武
静岡県静岡市葵区大岩本町(おおいわほんちょう)の臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院(ふしゅんいん)には、今川義元公慰霊塔(今川義元の墓)があります。境内の地蔵堂は、今川義元ゆかりの伝説がある墨崎延命地蔵尊(高さ約80cm)を祀る駿河一国百地蔵尊 第52番札所です。今川義元公
静岡県藤枝市立花(たちばな)の郡遺跡(こおりいせき)は、弥生時代から平安時代までを中心とする複合遺跡です。律令期(奈良・平安時代)には、駿河国益頭郡(するがのくに ましずぐん)の郡役所 益頭郡衙(ましずぐんが)が置かれていたと考えられています。出土した弥生時代の高
静岡県藤枝市南新屋(みなみあらや)の秋合遺跡(あきあいいせき、あきあわせいせき)は、国指定史跡 志太郡衙跡(しだぐんがあと、御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき))に隣接する奈良・平安時代の遺跡です。発掘調査で見つかった井戸跡が、青島北地区交流センター「にこにこ広場」に
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の尾羽廃寺跡(おばねはいじあと)は、広義の飛鳥時代(592~710年)のうちの後半に相当する白鳳時代(7世紀後半)に建てられた寺院跡です。金堂跡(こんどうあと)・講堂跡(こうどうあと)・中門跡(ちゅうもんあと)などの遺構が発見され、
静岡県御前崎市(おまえざきし)は、離島を除き県内最南端の岬「御前崎」がある海の街として有名です。地名の由来は、御厩崎(うまやざき)から転化したという説があります。平安時代中期に編纂された古代法典『延喜式』(えんぎしき)には、白羽官牧(しろわのかんまき)が置かれ
静岡県島田市波田(はだ)の立石稲荷(たていしいなり)は、岩陰(いわかげ)に稲荷社(いなりしゃ)が祀られた磐座(いわくら、神が降臨する場所とされる巨岩)です。「波田のお稲荷さん」とも呼ばれ、商売繁盛・大漁祈願・家内安全などに御利益があるとされています。御神体(ごしん
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 京満山 法林寺は、旧幕臣の伊佐新次郎峯(岑)満(いさ しんじろう みねみつ)の墓所です。幕末の安政3年(1856年)、タウゼント・ハリスがアメリカ駐日総領事として来日し、曹洞宗 瑞龍山 玉泉寺(静岡県下田市柿崎)にアメリカ総領事館を開