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うざね博士のブログ https://blog.goo.ne.jp/uzanehakase/

植物の話題が主ですが、ほかに様々なことを、率直大胆かつ赤裸々にうそのないことを書き込んでいる。

このブログはなんでもありの内容ですが、どんなテーマでも自分の頭で考えて、身近な生活レベルから情報を発信しています。リピーターさん、大歓迎。  どうぞ、ご愛顧ください。たまにはコメントもどうぞ。

うざね博士
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八街市
出身
一関市
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2011/05/04

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  • 銀杏を拾う。

    もうすぐ、師走だ。先日近くのお寺でイチョウの銀杏を拾う。冬タイヤ交換に行く途中の、11月26日の午前のことだ。お寺の刀自に声を掛けてから拾っていたら、自身は毎回の掃除について困っているようでついでに皮を剥ぐ作業について水洗いのアドバイスをもらった。帰宅後、悪臭紛々たる銀杏をわたしは自宅の玄関横の流し台でバケツとゴム手袋で何度も繰り返す。滓はゴミ袋内へその上に土を載せて臭いを吸着させる、次に庭の濡れ縁に箕へ並べて天日干しにした。実に、わたしはこういう一連の作業が好きだ?!。ここの果実は粒が大きい。収量は3,4キロ程度か。イチョウの樹木は壮年期か、極めて健全な証拠だ。しかし、この先どうするか決まっていない。わが家族では家内のみが好物で、余る勘定になるがどこに配るか余計な心配をすることになるだろう。現在、このイ...銀杏を拾う。

  • トチノキとギボウシの紅葉

    ここでは、11月27日昼頃のトチノキとギボウシの紅葉をアップする。ギボウシの品種は〈天竜〉で、斑入りではなく青葉種であるがすっきりしたいい色を出している。トチノキとギボウシの紅葉

  • わたしの育った田舎

    ここでは過去のブログ記事で20070625、20070629、20070701にアップした、【わたしの育った田舎1,2,3】を転載する。三つの記事を一本にまとめたがこれはエッセイに分類されるだろうか。しかし、いやはや、17年前になるのか。原典は極私的造園設計経歴書-自叙伝ふうに-《緑の仕事》から抜き書きしたものである。わたしは当時、造園会社の設計室に勤務していて一生懸命にランドスケープ、造園デザインというものを考えた時代であった。2007年6月25日*************************≪朝起きると子供たちは農家の広い庭の掃除をおこない、各部屋の雨戸を開けたてて、縁側などの板敷きの床の雑巾がけをする。家畜の世話は、毎日人間と同じように二度三度牛に飼い葉を与えたり水を足したり敷き藁を取り替えたり...わたしの育った田舎

  • 六軒町のサイカチの木

    11月16日、房州の館山市内の『六軒町のサイカチの木』について現地研修をおこなう。ちなみに、タイトル名の『六軒町のサイカチの木』はネット上の記事で見つけた見出しである。この案件はかなりその方面で流布されているようだ。これは千葉県樹木医会南ブロック主催、当日、20数名以上参加、樹木医会員自体は11名集まった。ここでは樹木医のみならず、地元住民、館山市当局、NHK千葉放送局、ミニコミ紙との対応が地域を巻き込む形で進んでいて優れている。そのボランティア活動は地元住民の〈サイカチの木を守る会〉をはじめとして目覚ましいものがある。活動の資金不足を補うための会場内の募金箱設置も好ましいことだろう。わたしには、樹木保護の活動としてひとつの理想的なパターンかなと思われる。今を去ること2019年の台風15号は、9月9日千葉...六軒町のサイカチの木

  • ー夏の思い出ー

    わたしの過去の創作、成果品造りを振り返る●●12月17日●●●ここでは先年、朝日新聞社系列の神奈川県内のミニコミ誌に応募したコラム記事をアップする。内容的には平易な表現に徹している。これは詳しい経緯は忘れたがどうなるかと思い投稿したもの。結婚して20年余り、二人の子供たちは共に専門学校生、高校生になり、わが家では夏休みに家族で一緒に出掛けることはなくなった。私自身の子供時代は岩手県南部の山あいの農村で過ごした。まち境は一級河川であり東北随一の北上川に接している。その支流である黄海(きのみ)川は当時よく洪水を起こした。夏の台風の時期に川が氾濫し道路はもとより、小さな平野部の田んぼは冠水して薄い茶褐色になる。子供ごころにその水の恐怖に圧倒されながらも冒険心に気持ちが高ぶりわくわくしている。そこで子供たちは、決...ー夏の思い出ー

  • ニシキギとマユミ

    既に、今年も木枯らし一号が吹いた。小春日和の陽気も続く。しかし、黄海から南シナ海にかけて未だに台風発生がとどまらないようだ。ここではわが庭ほかのニシキギとマユミの着実の光景をアップする。あらためて今年は付着葉数が少なく紅葉自体は遅れていて、その実の色合いが鮮やかである。なお、その説明は、「日本の樹木」山と渓谷社を参考にしている。撮影日時:11月13日10:30分ニシキギ:Euonymusalatusニシキギ科ニシキギ属。錦木。落葉低木。国内に自生。世界三大紅葉樹のひとつ。蒴果は長さ約8センチの狭倒卵形で、熟して裂けると橙赤色の仮種皮に包まれた種子が一個現れる。マユミ:Euonymussieboldianusニシキギ科ニシキギ属。真弓。落葉低木。雌雄異株。国内に自生。蒴果は長さ8~10センチの四角形で、淡紅...ニシキギとマユミ

  • 行きがかりに・・・・・

    わたしの過去の創作、成果品造りを振り返ると、その頃に出回ったワープロにより平成9年に“自分史”、また平成16年に極私的造園設計経歴書“緑の仕事(自叙伝ふうに)”を冊子にまとめたものである。また、当時の造園会社在社時に設計室として、北鎌倉の邸宅庭園や品川区内の天王州アイルPTを含む自作作品の設計図集を発行したことがある。変わった例では在社時の贈収賄事件の“鴨川裁判傍聴記録”がある。ところで、ここでは東洋大学文学部にいた頃に文学サークル会誌の「たいやき第3号」に発表したものを思い立ってこのブログに転載する。原稿用紙12枚の分量だ。この前後と思われるが、独自にわら半紙にガリ版(孔版印刷)で雑文集「うざね博士の文集」を作っていた。わたしは大学生とは言え、当時は勤労学生でバイトで生活費を稼ぐのに追われて、学校の講義...行きがかりに・・・・・

  • フェイジョアの初果実

    ここではわたしが育てたフェイジョアの初めての果実を紹介する。栽培経過は、播種か挿し木床から一、ニ年生の苗木を、平成22年(2010年)に鉢上げした。次に隣地境界沿いに生け垣状に露地植えにしてから3年ほどたっただろうか。昨年までは5,6箇所に開花が見られた。生育地は半日陰になるか。今のサイズは、樹高H2.0C0.12W1.2であり、品種名は自家受粉する『クーリッジ』と思われる。ということは1個の初成りまで18年かかった計算になる。実はフェジョアには枝や樹姿が暴れやすい特性があり、従ってわたしの育て方では枝を乱暴にぶつぶつ切る傾向ではあった。一時、ホームセンターなどではフェイジョアの異品種を組み合わせて2株セットで売られていたものだが、今はどうなったんだろう。購入し育てている方はいかがか。フェイジョアの初果実

  • 最後の柿をもぎ食した。

    11月になり、文化の日に続いて11月7日は立冬だ。今年のわが家の柿は不作だ。野鳥に盗られる前に、最後の柿をもいで食した。熟し柿を手や口の周りをべちょべちょにしてかぶりつくのがわたし流だが、今回は小皿に置きギザギザスプーンでたべてみた。今年はゴマ入りが全然なく種子も少ないのが特徴である。最後の柿をもぎ食した。

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