「大講堂」です。 多くの学僧が、仏教を学んだ古代の伽藍。規模は、金堂よりも講堂の方が大きい。平成15年の再建です。伝統工法による再建では、史上最大です。 本尊…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
「大講堂」です。 多くの学僧が、仏教を学んだ古代の伽藍。規模は、金堂よりも講堂の方が大きい。平成15年の再建です。伝統工法による再建では、史上最大です。 本尊…
平城京の前の藤原京からの長い歴史を有する「薬師寺」は、天平2年(730)には、金堂の前に東塔と西塔を有する「薬師寺式の伽藍配置」を完了したと思われます。 しか…
近鉄「西ノ京」駅を出ると薬師寺の大きな境内があり、象徴的な東塔と西塔が目に飛び込んできます。 ただ、「西ノ京」駅に近い薬師寺北側の「與楽口」は、いわば裏口で、…
「休ケ岡八幡宮」の末社、「孫太郎稲荷神社」です。江戸初期に、姫路から此の地へ遷座してきました。更に古くは、下野・佐野からとも。 平安中期、藤原頼行公により、…
「薬師寺」へ進みますが、まずは、関連社寺から。 薬師寺の南門の手前に鎮座するのが「休ケ岡八幡宮」です。薬師寺の鎮守社です。 祀られているのは、僧形八幡神、神…
JR奈良駅前のホテルに宿泊した場合、食事処は近場に殆どなく、三条通りやならまち辺りまで出掛けていく必要があります。 此処は、ホテル日航奈良内の和食処「よしの」…
「法華寺(光明宗)」です。 もとは藤原不比等邸があった場所で、その娘の「光明子(聖武天皇后)」が相続し、「皇后宮」となり、天平17年(745)紫香楽宮から平城…
広さ:約130haもの「平城宮跡歴史公園」の東張り出し部に、「東院庭園」、宇奈多理神社、建部門(東院南門)などが復元されています。 「東院庭園」は、東西約80…
「平城宮跡(国の特別史跡)」は、近鉄奈良線の西大寺駅と新大宮駅の途中に、広大に広がっている広場に復元されています。 その広さは、約1km四方に「750m×25…
「平城宮跡歴史公園」は、奈良時代を今に感じる特別な場所です。公園内には、色々な施設がオープンしていますが、「平城宮いざない館」は、時空を超えて奈良時代に誘われ…
「庚申堂」は京都の「八坂の塔」の前にもありますが、此方は「ならまちの庚申堂」です。青面金剛を祀る「庚申信仰の中心地」です。 「庚申」は「庚申(かのえ…
豆腐造りに拘って70年。手間を惜しまず豆腐を造り続ける、当に「豆腐匠」。「近藤豆腐店」です。 ならまちに相応しい店構えです。 お店の豆腐・油揚げ…
奈良です。 奈良は古い街で、街中を「ぶらぶら」散策していると、思わぬ出逢いも多くあります。そうした出逢いを中心に、アップしていきます。 まずは、「ならまち高林…
新座市役所前にある「平林寺」は、その境内林が約43ha(東京ドーム約9個分)もの広がりを持つことで有名です。雑木林としては、唯一の国指定天然記念物でもあります…
「平林寺」は、新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の古刹です。南北朝時代に岩槻で創建され、寛文3年(1663)に、川越藩主:老中松平伊豆守信綱により、現在地へ移転…
名刹「平林寺の山門」すぐ前に、穏やかなときが流れている一角があります。日本の電力王「松永安左衛門」の別邸だった処で、現在は平林寺に寄進され、平林寺の境内の一角…
「平林寺」界隈へ。 JR武蔵野線「新座」駅を下車すると、大きな水車が廻り、駅前から「野火止用水」に沿った遊歩道が続いています。 新座は、平林寺と野火止用水の街…
汐留の日本TVビルにある中華「潮夢来」です。 ビル下のシオサイトは、土日はライブなどで騒がしいのですが、此処は、ゆっくりと食事できます。 今日は、個室が取れ…
JR・東京メトロ荻窪駅南口から徒歩3分。17階建ての藤澤ビルの敷地内南側に入口に「明治天皇荻窪小休所」と書かれた石碑が建ち、格調高い「長屋門」が残されています…
「荻窪三庭園」の最後は「太田黒公園」です。 日本初と言われる「音楽評論」という分野のパイオニア「太田黒元雄」の邸宅跡を杉並区が整備し、昭和56年に開園させまし…
「角川庭園」は、角川書店の創業者で俳人だった「角川源義」の元邸宅で、現在は、寄贈を受けた杉並区が整備・一般公開しています。 庭には氏が俳句を詠むために植えた…
JR荻窪駅南口は、明治以来、武蔵野の風情を残す高級住宅地として人気のエリアです。この程、「国指定史跡/荻外荘(てきがいそう)」の改修工事が終わり、一般公開され…
東京23区内の最も西端に位置する「西荻窪」は、土日には中央線快速が通過することもあり、落ち着いた大人の街として人気の土地柄。駅前には3メガバンクの支店が軒を並…
「阿佐谷神明宮」の左隣りに立派な山門が印象的な寺院が有ります。「世尊院(真言宗豊山派)」です。隣りなのもそのはず、「世尊院」は、「天祖神社(現:阿佐谷神明宮)…
シリーズとしては、次は「奈良と西ノ京」なのですが、暫く、「中央線(荻窪と阿佐ヶ谷)ミニ・シリーズ」を。季節は、梅が満開の頃です。 JR阿佐ヶ谷駅から徒歩数分の…
「象山神社」前に建つ「佐久間象山先生の騎馬像」です。まるで戦国武将のようで、まことに堂々とされています。 近くに「象山記念館」があり、館内には、ダニエル電池、…
「松代藩文武学校」から「歴史の道」を100mほど南下すると、佐久間象山を祀る「象山神社」があります。 此の辺り、竹山町は、松代藩の上・中級の武家屋敷街で、今も…
「文武学校」の向かいに、「旧白井家表門」があります。 松代藩の中級藩士の典型的な武家屋敷門とは言いますが、巨大な「長屋門」です。間口は20mほど。瓦葺き、入母…
「真田邸」の西向かいに、「松代藩文武学校(国指定史跡)」があります。文武を奨励した松代藩第8代藩主:真田幸貫が、佐久間象山らの意見を採り入れ、水戸藩の「弘道館…
「真田邸(新御殿)」を出ると直ぐに「旧樋口家住宅」があります。樋口家は、藩の目付役などを務めた家柄で、江戸末期の「禄高」は230石。 此処は「松代城の大手門」…
「真田公園」内にある「松代藩祖:真田信之公像」です。 大坂の陣での戦功により、元和8年(1622)に上田城から松代城主:13万石に加増のうえ転封。以後、明治ま…
「真田公園」内にある「真田邸(新御殿、国指定史跡)」です。 全国でも有数の「御殿建築」として、歴史的に高い価値がある建築物です。 元治元年(1864)に、松代…
北に千曲川、3方向を山に囲まれた約5Kmのエリアが「松代城下町」です。伊予大洲や長府と共に、今に至るも、かつての城下町のよすがを色濃く残す、私の大好きな城下町…
「北陸新幹線:JR飯山駅」は、平成27年3月に開業しました。 記念に設置された「からくり時計」は、駅2階「パノラマテラス」入口で見られます。 毎時「00分」…
北陸新幹線「JR飯山駅」前広場に、立派な「仁王門」があります。 旧「善光寺」の「仁王門」です。 明治45年の「善光寺御開帳」の際、安置されていた「仁王門と仁…
「安養山笠原院真宗寺(浄土真宗本願寺派)」です。 創建は鎌倉時代で、慶長9年(1604)に当地へ移転してきました。 島崎藤村の「破戒」に登場する「蓮華寺」の…
「峰雲山慈月院蓮證寺(浄土真宗本願寺派)」です。 開祖は近江源氏の佐々木左衛門尉尚高。信長との抗争に敗れ、家臣16人と共に、信州芋川へ移ったといいます。 文明…
川中島の戦いのとき、武田信玄の身代わりになったとの伝承がある「木像聖徳太子像(長野県宝)」が太子堂に安置されている「倉科片雄山報恩院西敬寺(真宗大谷派)」です…
日本有数の豪雪地帯:飯山。このようなスキーのゲレンデが散見されます。 更に山道を進むと、名刹「正受庵(臨済宗)」に着きます。映画「阿弥陀堂だより」のロケ地と…
歴代飯山城主の祈願所として大切にされてきた「松壽山正覚院忠恩寺(浄土宗)」です。流石と思わせる格式ある風格です。 松平家と本多家の墓所もあります。 慶長6年…
親鸞聖人の弟子の「宗諦(しゅうたい)」が開き、元和6年(1620)に当地へ転入しました「浄光山顕正院称念寺(真宗大谷派)」です。 明治の南画家:長井雲坪ゆかり…
「愛宕町雁木通り(通称:仏壇通り)」から細い路地を入り、「青龍山安養院妙専寺(愛宕町、浄土真宗本願寺派)」へ。 1607年に、飯山城主:堀直寄から寺領の寄進…
長野県最北エリアの飯山。そこは、ブナの原生林が広がり、日本一の長さを誇る信濃川(千曲川)が悠々と流れる自然の魅力が溢れるエリアですが、冬の豪雪の凄さも想像を超…
10月も後半になると、飯山の秋は、ぐっと深まります。ただ、ここまで見事な公孫樹は、飯山でも、なかなか見られません。 堀家に次ぎ飯山藩主となった「佐久間備前守安…
親鸞聖人の高弟24人のひとり「常念坊」の開山になる「松雲山西念寺(真宗大谷派)」です。 寛永16年(1639)に創建されました。 飯山藩主・松平氏の移封に従…
天正10年(1582)に岩井備中守信能が飯山城を築城する際、居城である山口城にあった「七面大明神」を飯山城の真西に遷座させ、城を護る鎮守としました。 御堂は、…
「妙專寺」が近くに2寺あり、此方は神明町の「妙專寺」で、愛宕町の「妙專寺」の分院です。 愛宕町の「妙專寺(浄土真宗本願寺派)」を弟の了念が継ぐことになり、兄…
「寺の町」と呼ばれる飯山。市内には20余りの寺院が街道筋に点在し、なかでも、愛宕町の「仏壇通り」に並行する西側の山麓沿いに、多くの寺院があります。 人々の信仰…
島崎藤村が「雪国の小京都」と呼んだ飯山へ。もうすぐ越後という、信州最北の市です。 北陸新幹線で長野駅から1駅。在来線も通じてはいますが、間遠な時間帯では2時間…
東山魁夷画伯の詩碑が須坂にありました。 谷街道と善光寺街道の交差点。此処は、江戸時代に須坂藩の木戸口が設置されていた場所で、いわば、須坂の西の玄関にあたる場所…
7月21日から25日まで、「墨坂神社」の例祭「須坂祇園祭(長野県無形民俗文化財)」が、盛大に開催されます。 当初は、須坂藩堀家の御霊会でしたが、徐々に町人が力…
須坂に鎮座する「墨坂(芝宮)神社」です。 「延喜式」神名帳に記載のある「信濃国高井郡の式内社」です。高井郡内6社の筆頭で、郡内一之宮です。 白鳳2年(647…
明治から昭和初期にかけて「製糸の街」として栄えた須坂。街の中心地に続く「土蔵造りの町並み」が、当時の繁栄振りを今に伝えています。 此の「小田切家住宅」は、大笹…
「旧須坂藩居館跡」に鎮座する「奥田神社」です。 「旧須坂藩1万2千石の居館」は、記録によれば、茅葺き50間四方で、家臣の長屋、評定所、柔術場、剣道場、馬屋、内…
「奥田神社(旧須坂藩居館跡)」の手前にある「遠藤酒造所」です。 創業は元治元年(1864)。須坂藩御用達の酒蔵として、歴代藩主へ御酒の献上を続けました。 美…
「寿泉院」の起源ですが、桓武天皇の延暦年間(782~805)に、弘法大師空海により創建されたと言われています。当時は遠州の「顕實寺(真言宗)」でした。 暫く…
須坂にある藩主:堀家の菩提寺「寿泉院」です。奥に見える赤い屋根の建物が本堂です。 「北向観音を祀る観音堂」があります(後述)。「北向観音堂」と呼ばれている建…
普願寺の北隣に「田中本家博物館(国の登録有形文化財)」があります。 此処は、江戸時代に、穀物や酒を商った須坂藩御用達の豪商「田中本家」の博物館です。ほぼ1町四…
それでは、「大岩山普願寺(浄土真宗本願寺派)」を見て参ります。 浄土真宗としては県内最大の本堂伽藍を有する大寺院なのですが、境内の「歴史の散歩道」あるいは「も…
所蔵作品2000点を超える「おぶせミュージアム/中島千波館」
「おぶせミュージアム/中島千波館」は、北斎以来の文化の香り高い小布施町の文化拠点として、平成4年に開館した町立美術館です。 敷地:9000㎡。広い庭には、四季…
葛飾北斎を何度も小布施へ招聘した、北信濃きっての豪農商で文化サロン主催者:高井鴻山の記念館です。 小布施の栗の小径に沿ってあります。 高井鴻山の人格、好みを…
栗の街:小布施の中心街、「栗の小径」沿いに「高井鴻山記念館」があります。 北信濃きっての豪農商であり陽明学者でもある「高井鴻山」の邸宅跡で、鴻山は此処で「悠(…
「小布施の市神」と呼ばれている、自然石の御神体です。かつての街道の交差点に祀られています。 恐らく、寛永2年(1625)に開設された「六斎市」の守護神ではない…
「北斎館」から国道403号の反対側へ出ると「金龍山祥雲寺(曹洞宗)」が有りますす。 北斎を何度も小布施へ招いた豪商の高井鴻山の菩提寺です。 鴻山は、豪商で文人…
北斎は天保13年(1842)に此の地の豪商:高井鴻山に招かれ訪れ、以来、数度に亙り此の地を訪れました。鴻山は師の北斎のために作業所まで設け、1年以上も滞在させ…
「泉石亭」の隣にある「小さな栗の木美術館」です。 食後の散歩として、良く手入れされた日本庭園を入ります。 空気が奇麗です。 小布施の旧家「高津家の土蔵」を…
長野電鉄「小布施」駅から「皇大神宮」を抜け、国道403号へ。 「観音通り」や「大日通り」とクロスする交差点周辺が、小布施の中心地です。 「桜井甘精堂」、「竹風…
長野電鉄で「小布施」へ。 「小布施」と言えば、まず栗です。勿論、栗以外の果物も美味ですが……。 小林一茶は、「拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ」と謳いましたが、…
JR長野駅から善光寺にかけての一帯には、美味しいお蕎麦屋さんが沢山あり、ついつい、蕎麦を戴く機会が多く、宿泊したホテルでは、中華にしてみました。 ホテルJA…
長野市の繁華街にある「苅萱(かるかや)山寂照院西光寺(浄土宗)」です。「絵解きの寺」として有名で、善光寺七福神のうち「寿老人」を祀っています。 寺宝として「…
「絵解きの寺」として有名な「苅萱山寂照院西光寺(浄土宗)」です。 長野市の中心街に位置し、開祖である「苅萱上人」とその御子「信照坊道念上人(幼名:石童丸)」の…
宿泊したホテル(ホテルJALシティ長野)の直ぐ隣りにあった「黄梅山栽松院(曹洞宗)」です。 両脇を旧裾花川(今は埋め立てられている)に挟まれた「島(嶋)」にあ…
善光寺七福神のうち「福禄寿」を祀る「秋葉神社」です。十念寺というお寺と敷地を同じくしています。 十念寺では、出世大仏が有名です。 西国33,阪東33…
長野市の繁華街「権堂」にある「蓮池山往生院(浄土宗)」です。善光寺七福神のうち「弁財天」を祀っています。 御本尊は「円光大師(法然)像」です。 善光寺本堂が…
「本願寺長野別院」の「深谷山(普門山とも)蓮華院正法寺」です。 建久9年(1198)信濃国見登山城主の和歌月石見守の次男:重勝が開基となり、建暦年間(13…
善光寺の周辺にある関連3寺院の「西方寺」、「寛慶寺」、「康楽寺」は、善光寺三寺と呼ばれています。 なかでも「西方寺」は、元和の善光寺本堂焼失時や現本堂建立時な…
「善光寺三鎮守」と並称される古社があり、「妻科神社、湯福神社、武井神社」の3社を言います。 「武井神社」は、善光寺東エリアに広がる19町を氏子とする神社で、地…
善光寺門前の横町通り(旧北国街道)に鎮座する「西宮神社」です。 もともと武井神社の北に鎮座し、武井えびすとも呼ばれていました。 武井神社鎮座とともに祀られた…
「大勧進」が天台宗の大本山であるのに対し、「大本願」は浄土宗の大本山です。 「大本願」は、642年に皇極天皇の命により、蘇我馬子の娘の「尊光上人」により…
善光寺の山門手前の左に「大勧進」があります。 天台宗大本山で、善光寺の25ケ院の本坊でもあります。近世の善光寺の運営を担ってきました。 「大勧進」とは、人…
「善光寺本堂(国宝)」です。宝永4年(1707)に完成しました。 設計は幕府方棟梁の甲良宗賀。大勧進72世の慶運が全国行脚を行い、浄財を集めたといわれています…
善光寺の山門(三門)は、寛延3年(1750)に5年かかりで完成しました。二層入母屋造りの巨大な建築物で、国の重要文化財に指定されています。 正面に見える「扁…
山門辺りの広場に「六地蔵と濡れ仏」がおられます。 まず「六地蔵」。宝暦9年(1759)に、浅草天王町の祐昌が願主となり、造立されました。 壮観ですね。 昭…
善光寺の参道入口に「駒返り橋」と呼ばれる石橋があります。 建久8年(1197)に頼朝が参拝したとき、馬(駒)の蹄が穴に挟まれ、仕方なく、駒を返したと言われてい…
善光寺の旧本堂(現:延命地蔵尊)の直ぐ東側(正面)にある「世尊院(釈迦堂)」です。 善光寺七福神のうち「毘沙門天」を祀ります。毘沙門天は、仏の北方の世界の守護…
仲見世通り左手中ほどに「延命地蔵尊」があります。此処は、善光寺草創以来、旧本堂があった場所です。 宝永4年(1707)に現在の本堂が再建されると、その5年後の…
布袋像がある「藤屋旅館(The Fujiya Gohonjin)旧御本陣藤屋」の交差点から先が、善光寺の境内となります。左手に「大本願」右手は宿坊が有ります。…
「信州シリーズ」に入ります。宿泊地は長野。訪問地は、善光寺界隈および参道、小布施、須坂、飯山、松代です。 まずは、JR長野駅から善光寺までの「表参道」界隈に祀…
豊橋に春を告げると言われる奇祭「豊橋鬼祭(国の無形民俗文化財)」で有名な「安久美神戸(あくみかんべ)神明社」です。毎年2月11日に行われ、「赤鬼と天狗のからか…
「吉田城址」は、東西約1400m、南北約600m。総面積は、約83.7万㎡にも及ぶ「巨大城郭」です。令和3年度までに、58回もの発掘調査が実施されましたが、そ…
「吉田大橋」の畔、豊川沿いに鎮座する「吉田神社(御祭神:素戔嗚尊)」です。毎年7月の第3金曜から日曜日に開催される「豊橋祇園祭」で有名です。 創建は天治元年(…
我がブログも、今回が【No.4000】。お陰様で、4000回を数えます。引き続き、各地の「城下町」を訪ね、ご紹介したいと思います。 さて、豊橋市ですが、日本の…
「映画の街・ロケの街/豊橋」。豊橋市は、ロケの誘致・支援・ロケ地としてのプロモーションや映画祭の開催による映画文化の醸成、次世代の映画人育成など、映画の力で人…
豊橋は、食事が美味しい街です。宿泊したホテル(ホテルアソシア豊橋)内のレストランも満足でしたが、此処「羽子吾(はねご)」のひつまぶしも大満足でした。 JR豊橋…
二川宿の氏神「二川八幡神社」です。 永仁3年(1295)、鶴岡八幡宮から勧請したといわれています。 慶長6年(1601)には、伊奈備前守から、神領2石の寄進…
東海道第33番目の宿「二川宿」には、本陣、旅籠屋以外に、「商家」も残されています。「駒屋」です。 「駒屋」は、江戸時代に、米穀商、質屋を営む傍ら、「問屋役」や…
「二川宿本陣資料館」です。 「草津宿」と「二川宿」。日本に2カ所しかない、江戸時代の「本陣」を知る貴重な設備です。 「本陣」の外観です。 資料館の入口です。 …
今も江戸時代の「本陣」が保存されていて私たちが見学出来る建物は、東海道53次のうちでも、2カ所しか残されていません。草津宿と二川宿です。 「二川宿本陣資料館」…
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嘉永7年(1854)吉田松陰は、ペリー提督を乗せた米艦「ポーハタン号」へ弟子の金子重輔と「密航」を企図するも拒絶され、小舟を漕ぎだした柿崎の名主:増田平右衛門…
下田開港後の「欠乏所(下田市指定史跡)」跡の古民家で営業されている「平野屋」です。開港当時の下田の雰囲気を味わいつつ、ステーキやコーヒーを味わうことが出来るお…
安政元年(嘉永7年、1854)に「日米和親条約」が締結され、下田港が開港場となりましたが、外国船が必要な消耗品(=欠乏品=薪、水、食料、石炭など)を供給する場…
「宝福寺」の南隣り「下田八幡神社(御祭神:誉田別命)」です。正応年間(13世紀後半)の創建と言われ、古くから下田の人々の篤い信仰を集めています。 「迎神の松」…
マイマイ通りに沿い稲田寺、海善寺と並んでいる「宝福寺(浄土真宗)」です。下田開港に伴い、一時、下田奉行所が設置されました。また、唐人お吉の菩提寺としても知られ…
マイマイ通りに沿って稲田寺の南隣りの「海善寺(浄土宗)」です。まずは、此の山門の見事さ。思わず見惚れます。 江戸時代の寺院には珍しくなかったのでしょうか。思わ…
伊豆急下田駅から「マイマイ通り」へ出ると、「稲田寺(とうでんじ、浄土宗)」があります。お吉の恋人/船大工「鶴松(川井又五郎)」が眠っています。 当寺は、幕末の…
「伊東遊季亭」です。JR伊東駅からタクシー送迎があるので、熱海や伊豆高原などの伊豆東海岸への旅では、此の宿で宿泊することにしています。 何より、食事が素晴らし…
「MOA美術館」は、創立者:岡田茂吉により第二次世界大戦後から本格的に蒐集された、国宝3点を含む総数約3500点もの膨大なコレクションを有しています。此の日も…
「大阪城天守閣」にも展示されている「黄金の茶室」ですが、MOA美術館にも、特別展示されています。当時の公卿、武将、茶人、外国人宣教師らの記載文献などの史料から…
MOA美術館内「茶の庭」の、「二條新町/そばの坊」と「和食/花の茶屋」の真ん中にある「光琳屋敷」です。勿論、当美術館の看板所蔵品「国宝/紅白梅図屏風(尾形光琳…
MOA美術館内の「日本庭園/茶の庭」には、「和食/花の茶屋」、「二條新町/そばの坊」と、2件の食事処があります。此の日は「和食/花の茶屋」が貸切中のため、「二…
安政元年(1854)「日米和親条約」が締結され、下田と箱館の開港が約束されました。やはり、函館の次は下田だろうと下田へ向かいます。 途中で熱海で下車。まずは「…
「高田屋嘉兵衛資料館」です。 かつての海産物の倉庫2棟を活用し、高田屋に伝わる生活用品、古文書、嘉兵衛の建造した辰悦丸の模型などを展示しています。安政3年(1…
北海道の入口:函館。函館港を見はるかす地に「北海道第一歩の地」碑が建てられています。 ヒグマ(白熊)とイカリがモチーフです。 北洋漁業が最盛期だった頃、あるい…
少し進むと、「箱館運上所」跡があります。後ろの建物は、海上自衛隊函館基地隊本部です。 「箱館運上所」は、安政6年(1859)の箱館開港に伴い設置されました。明…
緑の島へ渡る「新島橋」の袂に「新島襄海外渡航の地」碑があります。 襄は「意を決して福音の自由に宣伝せらるる国土に赴かん」と、元治元年(1864)に箱館に到来。…
函館港にあるシンボル緑地「緑の島」です。散策、遠足、釣りなどにベストな場所です。スポーツや各種イベント会場にもなります。 島の中は、多目的広場、カラー舗装広場…
少し歩きベイエリアへ出ると、お洒落な函館らしい住宅があります。「太刀川家住宅(国重文)」です。 太刀川家初代:太刀川善吉は、近世末期に越後から箱館へ来て、米穀…