JR・東京メトロ荻窪駅南口から徒歩3分。17階建ての藤澤ビルの敷地内南側に入口に「明治天皇荻窪小休所」と書かれた石碑が建ち、格調高い「長屋門」が残されています…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
JR・東京メトロ荻窪駅南口から徒歩3分。17階建ての藤澤ビルの敷地内南側に入口に「明治天皇荻窪小休所」と書かれた石碑が建ち、格調高い「長屋門」が残されています…
「荻窪三庭園」の最後は「太田黒公園」です。 日本初と言われる「音楽評論」という分野のパイオニア「太田黒元雄」の邸宅跡を杉並区が整備し、昭和56年に開園させまし…
「角川庭園」は、角川書店の創業者で俳人だった「角川源義」の元邸宅で、現在は、寄贈を受けた杉並区が整備・一般公開しています。 庭には氏が俳句を詠むために植えた…
JR荻窪駅南口は、明治以来、武蔵野の風情を残す高級住宅地として人気のエリアです。この程、「国指定史跡/荻外荘(てきがいそう)」の改修工事が終わり、一般公開され…
東京23区内の最も西端に位置する「西荻窪」は、土日には中央線快速が通過することもあり、落ち着いた大人の街として人気の土地柄。駅前には3メガバンクの支店が軒を並…
「阿佐谷神明宮」の左隣りに立派な山門が印象的な寺院が有ります。「世尊院(真言宗豊山派)」です。隣りなのもそのはず、「世尊院」は、「天祖神社(現:阿佐谷神明宮)…
シリーズとしては、次は「奈良と西ノ京」なのですが、暫く、「中央線(荻窪と阿佐ヶ谷)ミニ・シリーズ」を。季節は、梅が満開の頃です。 JR阿佐ヶ谷駅から徒歩数分の…
「象山神社」前に建つ「佐久間象山先生の騎馬像」です。まるで戦国武将のようで、まことに堂々とされています。 近くに「象山記念館」があり、館内には、ダニエル電池、…
「松代藩文武学校」から「歴史の道」を100mほど南下すると、佐久間象山を祀る「象山神社」があります。 此の辺り、竹山町は、松代藩の上・中級の武家屋敷街で、今も…
「文武学校」の向かいに、「旧白井家表門」があります。 松代藩の中級藩士の典型的な武家屋敷門とは言いますが、巨大な「長屋門」です。間口は20mほど。瓦葺き、入母…
「真田邸」の西向かいに、「松代藩文武学校(国指定史跡)」があります。文武を奨励した松代藩第8代藩主:真田幸貫が、佐久間象山らの意見を採り入れ、水戸藩の「弘道館…
「真田邸(新御殿)」を出ると直ぐに「旧樋口家住宅」があります。樋口家は、藩の目付役などを務めた家柄で、江戸末期の「禄高」は230石。 此処は「松代城の大手門」…
「真田公園」内にある「松代藩祖:真田信之公像」です。 大坂の陣での戦功により、元和8年(1622)に上田城から松代城主:13万石に加増のうえ転封。以後、明治ま…
「真田公園」内にある「真田邸(新御殿、国指定史跡)」です。 全国でも有数の「御殿建築」として、歴史的に高い価値がある建築物です。 元治元年(1864)に、松代…
北に千曲川、3方向を山に囲まれた約5Kmのエリアが「松代城下町」です。伊予大洲や長府と共に、今に至るも、かつての城下町のよすがを色濃く残す、私の大好きな城下町…
「北陸新幹線:JR飯山駅」は、平成27年3月に開業しました。 記念に設置された「からくり時計」は、駅2階「パノラマテラス」入口で見られます。 毎時「00分」…
北陸新幹線「JR飯山駅」前広場に、立派な「仁王門」があります。 旧「善光寺」の「仁王門」です。 明治45年の「善光寺御開帳」の際、安置されていた「仁王門と仁…
「安養山笠原院真宗寺(浄土真宗本願寺派)」です。 創建は鎌倉時代で、慶長9年(1604)に当地へ移転してきました。 島崎藤村の「破戒」に登場する「蓮華寺」の…
「峰雲山慈月院蓮證寺(浄土真宗本願寺派)」です。 開祖は近江源氏の佐々木左衛門尉尚高。信長との抗争に敗れ、家臣16人と共に、信州芋川へ移ったといいます。 文明…
川中島の戦いのとき、武田信玄の身代わりになったとの伝承がある「木像聖徳太子像(長野県宝)」が太子堂に安置されている「倉科片雄山報恩院西敬寺(真宗大谷派)」です…
日本有数の豪雪地帯:飯山。このようなスキーのゲレンデが散見されます。 更に山道を進むと、名刹「正受庵(臨済宗)」に着きます。映画「阿弥陀堂だより」のロケ地と…
歴代飯山城主の祈願所として大切にされてきた「松壽山正覚院忠恩寺(浄土宗)」です。流石と思わせる格式ある風格です。 松平家と本多家の墓所もあります。 慶長6年…
親鸞聖人の弟子の「宗諦(しゅうたい)」が開き、元和6年(1620)に当地へ転入しました「浄光山顕正院称念寺(真宗大谷派)」です。 明治の南画家:長井雲坪ゆかり…
「愛宕町雁木通り(通称:仏壇通り)」から細い路地を入り、「青龍山安養院妙専寺(愛宕町、浄土真宗本願寺派)」へ。 1607年に、飯山城主:堀直寄から寺領の寄進…
長野県最北エリアの飯山。そこは、ブナの原生林が広がり、日本一の長さを誇る信濃川(千曲川)が悠々と流れる自然の魅力が溢れるエリアですが、冬の豪雪の凄さも想像を超…
10月も後半になると、飯山の秋は、ぐっと深まります。ただ、ここまで見事な公孫樹は、飯山でも、なかなか見られません。 堀家に次ぎ飯山藩主となった「佐久間備前守安…
親鸞聖人の高弟24人のひとり「常念坊」の開山になる「松雲山西念寺(真宗大谷派)」です。 寛永16年(1639)に創建されました。 飯山藩主・松平氏の移封に従…
天正10年(1582)に岩井備中守信能が飯山城を築城する際、居城である山口城にあった「七面大明神」を飯山城の真西に遷座させ、城を護る鎮守としました。 御堂は、…
「妙專寺」が近くに2寺あり、此方は神明町の「妙專寺」で、愛宕町の「妙專寺」の分院です。 愛宕町の「妙專寺(浄土真宗本願寺派)」を弟の了念が継ぐことになり、兄…
「寺の町」と呼ばれる飯山。市内には20余りの寺院が街道筋に点在し、なかでも、愛宕町の「仏壇通り」に並行する西側の山麓沿いに、多くの寺院があります。 人々の信仰…
島崎藤村が「雪国の小京都」と呼んだ飯山へ。もうすぐ越後という、信州最北の市です。 北陸新幹線で長野駅から1駅。在来線も通じてはいますが、間遠な時間帯では2時間…
東山魁夷画伯の詩碑が須坂にありました。 谷街道と善光寺街道の交差点。此処は、江戸時代に須坂藩の木戸口が設置されていた場所で、いわば、須坂の西の玄関にあたる場所…
7月21日から25日まで、「墨坂神社」の例祭「須坂祇園祭(長野県無形民俗文化財)」が、盛大に開催されます。 当初は、須坂藩堀家の御霊会でしたが、徐々に町人が力…
須坂に鎮座する「墨坂(芝宮)神社」です。 「延喜式」神名帳に記載のある「信濃国高井郡の式内社」です。高井郡内6社の筆頭で、郡内一之宮です。 白鳳2年(647…
明治から昭和初期にかけて「製糸の街」として栄えた須坂。街の中心地に続く「土蔵造りの町並み」が、当時の繁栄振りを今に伝えています。 此の「小田切家住宅」は、大笹…
「旧須坂藩居館跡」に鎮座する「奥田神社」です。 「旧須坂藩1万2千石の居館」は、記録によれば、茅葺き50間四方で、家臣の長屋、評定所、柔術場、剣道場、馬屋、内…
「奥田神社(旧須坂藩居館跡)」の手前にある「遠藤酒造所」です。 創業は元治元年(1864)。須坂藩御用達の酒蔵として、歴代藩主へ御酒の献上を続けました。 美…
「寿泉院」の起源ですが、桓武天皇の延暦年間(782~805)に、弘法大師空海により創建されたと言われています。当時は遠州の「顕實寺(真言宗)」でした。 暫く…
須坂にある藩主:堀家の菩提寺「寿泉院」です。奥に見える赤い屋根の建物が本堂です。 「北向観音を祀る観音堂」があります(後述)。「北向観音堂」と呼ばれている建…
普願寺の北隣に「田中本家博物館(国の登録有形文化財)」があります。 此処は、江戸時代に、穀物や酒を商った須坂藩御用達の豪商「田中本家」の博物館です。ほぼ1町四…
それでは、「大岩山普願寺(浄土真宗本願寺派)」を見て参ります。 浄土真宗としては県内最大の本堂伽藍を有する大寺院なのですが、境内の「歴史の散歩道」あるいは「も…
所蔵作品2000点を超える「おぶせミュージアム/中島千波館」
「おぶせミュージアム/中島千波館」は、北斎以来の文化の香り高い小布施町の文化拠点として、平成4年に開館した町立美術館です。 敷地:9000㎡。広い庭には、四季…
葛飾北斎を何度も小布施へ招聘した、北信濃きっての豪農商で文化サロン主催者:高井鴻山の記念館です。 小布施の栗の小径に沿ってあります。 高井鴻山の人格、好みを…
栗の街:小布施の中心街、「栗の小径」沿いに「高井鴻山記念館」があります。 北信濃きっての豪農商であり陽明学者でもある「高井鴻山」の邸宅跡で、鴻山は此処で「悠(…
「小布施の市神」と呼ばれている、自然石の御神体です。かつての街道の交差点に祀られています。 恐らく、寛永2年(1625)に開設された「六斎市」の守護神ではない…
「北斎館」から国道403号の反対側へ出ると「金龍山祥雲寺(曹洞宗)」が有りますす。 北斎を何度も小布施へ招いた豪商の高井鴻山の菩提寺です。 鴻山は、豪商で文人…
北斎は天保13年(1842)に此の地の豪商:高井鴻山に招かれ訪れ、以来、数度に亙り此の地を訪れました。鴻山は師の北斎のために作業所まで設け、1年以上も滞在させ…
「泉石亭」の隣にある「小さな栗の木美術館」です。 食後の散歩として、良く手入れされた日本庭園を入ります。 空気が奇麗です。 小布施の旧家「高津家の土蔵」を…
長野電鉄「小布施」駅から「皇大神宮」を抜け、国道403号へ。 「観音通り」や「大日通り」とクロスする交差点周辺が、小布施の中心地です。 「桜井甘精堂」、「竹風…
長野電鉄で「小布施」へ。 「小布施」と言えば、まず栗です。勿論、栗以外の果物も美味ですが……。 小林一茶は、「拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ」と謳いましたが、…
JR長野駅から善光寺にかけての一帯には、美味しいお蕎麦屋さんが沢山あり、ついつい、蕎麦を戴く機会が多く、宿泊したホテルでは、中華にしてみました。 ホテルJA…
長野市の繁華街にある「苅萱(かるかや)山寂照院西光寺(浄土宗)」です。「絵解きの寺」として有名で、善光寺七福神のうち「寿老人」を祀っています。 寺宝として「…
「絵解きの寺」として有名な「苅萱山寂照院西光寺(浄土宗)」です。 長野市の中心街に位置し、開祖である「苅萱上人」とその御子「信照坊道念上人(幼名:石童丸)」の…
宿泊したホテル(ホテルJALシティ長野)の直ぐ隣りにあった「黄梅山栽松院(曹洞宗)」です。 両脇を旧裾花川(今は埋め立てられている)に挟まれた「島(嶋)」にあ…
善光寺七福神のうち「福禄寿」を祀る「秋葉神社」です。十念寺というお寺と敷地を同じくしています。 十念寺では、出世大仏が有名です。 西国33,阪東33…
長野市の繁華街「権堂」にある「蓮池山往生院(浄土宗)」です。善光寺七福神のうち「弁財天」を祀っています。 御本尊は「円光大師(法然)像」です。 善光寺本堂が…
「本願寺長野別院」の「深谷山(普門山とも)蓮華院正法寺」です。 建久9年(1198)信濃国見登山城主の和歌月石見守の次男:重勝が開基となり、建暦年間(13…
善光寺の周辺にある関連3寺院の「西方寺」、「寛慶寺」、「康楽寺」は、善光寺三寺と呼ばれています。 なかでも「西方寺」は、元和の善光寺本堂焼失時や現本堂建立時な…
「善光寺三鎮守」と並称される古社があり、「妻科神社、湯福神社、武井神社」の3社を言います。 「武井神社」は、善光寺東エリアに広がる19町を氏子とする神社で、地…
善光寺門前の横町通り(旧北国街道)に鎮座する「西宮神社」です。 もともと武井神社の北に鎮座し、武井えびすとも呼ばれていました。 武井神社鎮座とともに祀られた…
「大勧進」が天台宗の大本山であるのに対し、「大本願」は浄土宗の大本山です。 「大本願」は、642年に皇極天皇の命により、蘇我馬子の娘の「尊光上人」により…
善光寺の山門手前の左に「大勧進」があります。 天台宗大本山で、善光寺の25ケ院の本坊でもあります。近世の善光寺の運営を担ってきました。 「大勧進」とは、人…
「善光寺本堂(国宝)」です。宝永4年(1707)に完成しました。 設計は幕府方棟梁の甲良宗賀。大勧進72世の慶運が全国行脚を行い、浄財を集めたといわれています…
善光寺の山門(三門)は、寛延3年(1750)に5年かかりで完成しました。二層入母屋造りの巨大な建築物で、国の重要文化財に指定されています。 正面に見える「扁…
山門辺りの広場に「六地蔵と濡れ仏」がおられます。 まず「六地蔵」。宝暦9年(1759)に、浅草天王町の祐昌が願主となり、造立されました。 壮観ですね。 昭…
善光寺の参道入口に「駒返り橋」と呼ばれる石橋があります。 建久8年(1197)に頼朝が参拝したとき、馬(駒)の蹄が穴に挟まれ、仕方なく、駒を返したと言われてい…
善光寺の旧本堂(現:延命地蔵尊)の直ぐ東側(正面)にある「世尊院(釈迦堂)」です。 善光寺七福神のうち「毘沙門天」を祀ります。毘沙門天は、仏の北方の世界の守護…
仲見世通り左手中ほどに「延命地蔵尊」があります。此処は、善光寺草創以来、旧本堂があった場所です。 宝永4年(1707)に現在の本堂が再建されると、その5年後の…
布袋像がある「藤屋旅館(The Fujiya Gohonjin)旧御本陣藤屋」の交差点から先が、善光寺の境内となります。左手に「大本願」右手は宿坊が有ります。…
「信州シリーズ」に入ります。宿泊地は長野。訪問地は、善光寺界隈および参道、小布施、須坂、飯山、松代です。 まずは、JR長野駅から善光寺までの「表参道」界隈に祀…
豊橋に春を告げると言われる奇祭「豊橋鬼祭(国の無形民俗文化財)」で有名な「安久美神戸(あくみかんべ)神明社」です。毎年2月11日に行われ、「赤鬼と天狗のからか…
「吉田城址」は、東西約1400m、南北約600m。総面積は、約83.7万㎡にも及ぶ「巨大城郭」です。令和3年度までに、58回もの発掘調査が実施されましたが、そ…
「吉田大橋」の畔、豊川沿いに鎮座する「吉田神社(御祭神:素戔嗚尊)」です。毎年7月の第3金曜から日曜日に開催される「豊橋祇園祭」で有名です。 創建は天治元年(…
我がブログも、今回が【No.4000】。お陰様で、4000回を数えます。引き続き、各地の「城下町」を訪ね、ご紹介したいと思います。 さて、豊橋市ですが、日本の…
「映画の街・ロケの街/豊橋」。豊橋市は、ロケの誘致・支援・ロケ地としてのプロモーションや映画祭の開催による映画文化の醸成、次世代の映画人育成など、映画の力で人…
豊橋は、食事が美味しい街です。宿泊したホテル(ホテルアソシア豊橋)内のレストランも満足でしたが、此処「羽子吾(はねご)」のひつまぶしも大満足でした。 JR豊橋…
二川宿の氏神「二川八幡神社」です。 永仁3年(1295)、鶴岡八幡宮から勧請したといわれています。 慶長6年(1601)には、伊奈備前守から、神領2石の寄進…
東海道第33番目の宿「二川宿」には、本陣、旅籠屋以外に、「商家」も残されています。「駒屋」です。 「駒屋」は、江戸時代に、米穀商、質屋を営む傍ら、「問屋役」や…
「二川宿本陣資料館」です。 「草津宿」と「二川宿」。日本に2カ所しかない、江戸時代の「本陣」を知る貴重な設備です。 「本陣」の外観です。 資料館の入口です。 …
今も江戸時代の「本陣」が保存されていて私たちが見学出来る建物は、東海道53次のうちでも、2カ所しか残されていません。草津宿と二川宿です。 「二川宿本陣資料館」…
「二川宿本陣資料館」見学の前に大岩村の氏神「大岩神明宮」に参拝します。 寛永20年(1643)幕府は二川村と大岩村を、吉田藩領から天領とし、翌年、両村を現在地…
東海道本線で豊橋から(浜松寄りに)1駅。「二川駅」を下車し東へ800m程行くおと、かつての「宿場町」の面影を色濃く残す町並みが見えてきます。 「二川宿」は東海…
歴史上の人物で、特に深い信仰を寄せたのが、名奉行で有名な「大岡越前守忠相」です。彼は、信奉する「吨枳尼真天」を自身の屋敷内で祀り、今も、赤坂に「豊川稲荷東京別…
通称:豊川稲荷の「豊川閣妙厳寺(曹洞宗)」です。御本尊は、日本では御稲荷さんと同一視される「吨枳尼真天」像です。 鎌倉時代、順徳天皇の皇子「寒巖義尹(かんが…
いよいよ、念願の「豊川稲荷」です。正式には「豊川閣妙厳寺」と言い、曹洞宗のお寺です。 商売繁盛・家内安全・福徳開運を願い、全国から、年間数百万人もの参拝客が訪…
豊川稲荷の表参道を進むと、「お薬師参道」があります。 此の両脇に「千本幟」がはためくなかを進むと 「薬師瑠璃光如来薬師堂」があります。豊川稲荷の御堂のひとつ…
「豊川進雄神社」からほど近い「徳城寺(曹洞宗)」です。見事な山門です。 本堂です。 「弘法大師の錫杖井戸伝説」で有名です。 あるとき、弘法大師が…
「豊川稲荷」へ参拝します。 JR「豊橋駅」からJR「豊川駅」は、約10分と便利です。名鉄「豊川稲荷駅」もあります。 駅から「豊川稲荷」までは、参道に沿って、お…
田原の誇り:渡辺崋山を祀る「城宝寺(浄土宗)」です。 「蛮社の獄」で罪を得た崋山ですが、1年9月の蟄居生活後、「不忠不孝渡辺登」としたため自刃し、直ぐ、「城宝…
渥美鉄道の「三河田原駅」から、比較的近いエリアにある「城宝寺(浄土宗)」があります。渡辺崋山の菩提寺として有名です。 田原城の防衛上の「寺町」は、もう少し上に…
「蛮社の獄」で罪人とされ、自ら「不忠不孝渡辺登」としたため自刃に及んだ崋山ですが、明治になり田原藩に対する功績や開国論の正しさの見直しがあり、今や、「歴史が息…
田原城の500mほど西北に「池ノ原公園」があります。此処は「史蹟」とされ、渡辺崋山が晩年、罪人として、自殺までの数年を起居した「幽居」があります。 当初、此処…
「田原城」の出丸跡に鎮座する「崋山神社」です。 「蛮社の獄」で蟄居処分を受け切腹した崋山ですが、明治になり、藩政における功労や開国論そのものが再評価され、没後…
「田原城(巴江城)」内に鎮座する「巴江(はこう)神社」です。八坂神社系の神社です。文明12年(1480)に築城された「田原城」ですが、築城当時は周りを海に囲ま…
「田原城下町」へ入ります。 場所を確認します。 伊勢湾の東に三河湾を構成する「知多半島と渥美半島」があり、東にある半島が「渥美半島」です。その中が渥美湾。半島…
豊橋は、食べ物が美味しい地でした。今日は、宿泊したホテルの中華を。 宿泊するホテルでのディナーは、食後直ぐ部屋へ戻れるので、安心です。 【前菜盛り合わせ】蒸し…
江戸時代、東海道五十三次「赤坂宿」エリアは天領で、赤坂代官所が治めていました。治安も良く、遊興の地としても、吉田、御油と主に栄えていました。 赤坂宿の中心エリ…
「長福寺」の少し御油寄りに「関川神社」が鎮座しています。なお、もう少し御油寄りに進むと、有名な「御油の松並木」が広がります。 街道沿いに鎮座する素朴な神社です…
赤坂宿の中ほどに「長福寺(浄土宗)」があります。 長保年間(999~1004)に、此の地の長者の宮路弥太次郎長富が、娘の力寿の為に此の寺を建立し、三河国司:…
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JR・東京メトロ荻窪駅南口から徒歩3分。17階建ての藤澤ビルの敷地内南側に入口に「明治天皇荻窪小休所」と書かれた石碑が建ち、格調高い「長屋門」が残されています…
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少し歩きベイエリアへ出ると、お洒落な函館らしい住宅があります。「太刀川家住宅(国重文)」です。 太刀川家初代:太刀川善吉は、近世末期に越後から箱館へ来て、米穀…
寛永10年(1633)に創建された函館最古の寺院「高龍寺(曹洞宗)」です。現在地には明治12年に移転しました。本堂は明治33年の建築ですが、国の登録有形文化財…
弁天崎台場からの坂を上ると「称名寺(浄土宗)」があります。 正保元年(1644)亀田村にて創建され、宝永年間(18世紀)に現在地へ移転しました。箱館開港時には…
函館市電の一方の終点「函館どつく前」で下車すると、「新選組最後の地」という標識が目立ちます。「弁天台場」跡です。 司馬さんの「燃えよ剣」によると、近藤が歳三の…
津軽海峡のイカ漁は6月1日解禁。半年間のイカ漁の開始です。夕方になると漁火が灯り、函館山山頂から見えるイカ釣り景色は、函館の夏の風物詩です。 イカ漁は、もとも…
電停「宝来町」の近くに、高橋掬太郎の歌碑があります。高橋が函館日日新聞の記者だったときに作詞した大ヒット曲「酒は涙か溜息か」の歌碑です。 高橋は明治34年に根…
司馬さんが「江戸時代の日本人のうちで最も英知と良心と勇気があった人物」と評した高田屋嘉兵衛。高田屋は出身地の淡路に本店を、箱館に北前船の拠点を置いていました。…
宝来町の函館山ロープウエイ下に巨大な「高田屋嘉兵衛」像が立っています。嘉兵衛の功績を讃えると共に「函館開港100年」を記念して、昭和33年に立てられました。 …
「土方歳三の終焉の地/一本木関門」です。現在でも、常に香華の絶えることがありません。司馬さんの「燃えよ剣」ラストシーンから。 「参謀府へゆく」歳三は、微笑すれ…
五稜郭タワーから五稜郭へ向かう途中、最上寺があります。 新選組の隊旗がはためいており、何となく、土方歳三を祀ってあるような雰囲気です。実は新選組とは関係はない…
「五稜郭タワー」1階に立っている土方歳三の像です。土方にとって函館は最後の地となりましたが、今でも、函館での土方人気は相当なものです。 鳥羽伏見の戦いの後、土…
平成22年「箱館奉行所」は、約140年ぶりに復元・公開されました。その場所は、五稜郭のど真ん中です。 「箱館奉行所」は、下田と共に開港場となった箱館で、諸外国…
それでは、「五稜郭(特別史跡)」へ。 土塁が五稜星型なので五稜郭と通称されていますが、正式名称は亀田役所土塁とか。江戸幕府により、蝦夷地経営と北方防備のために…
星の形をした西洋式城郭「五稜郭」を中心とした「五稜郭公園」は、函館でも人気の観光地です。まずは全体像を把握するべく、「五稜郭タワー」に入ります。 「五稜郭タワ…
函館ベイエリアに「豊川稲荷神社」があります。文久元年(1861)に町内守護神として創建されました。 本殿越しにベイエリアの高層建物が見えます。 神社創建時に社…
函館は何度も何度も、大火の被害を受けました。明治12年の大火の後、「どんな大火でも食い止められるように」、二十間(約36m)もの広い防火帯を有する道路が整備さ…
大三坂を下ると、日本初の鉄筋コンクリート造の本堂がある「東本願寺函館別院」があります。 寛文9年(1669)に松前専念寺が木古内に阿弥陀堂を建立したのが始まり…
大三坂の函館元町カトリック教会前に「亀井勝一郎生誕地」碑があります。昭和期の有名評論家:亀井勝一郎は1907年2月6日、当地で誕生しました。 亀井は早くから共…
大三坂にある「函館カトリック元町教会」です。大三坂の石畳とカトリック元町教会の荘厳な建物は、良く似合っています。 「函館元町カトリック教会(函館天主公教会)」…
元町エリアからベイエリアへ下る「大三坂」です。「日本の道100選」に選定された坂でもあります。名前の由来は、江戸時代、坂の入口に「大三」という名の郷宿(=公用…