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今週の話題から https://ameblo.jp/pandausagi37/

テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。

最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。

嵯峨野の青竹
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2011/03/10

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  • 高井郡内一之宮「墨坂(芝宮)神社」

    須坂に鎮座する「墨坂(芝宮)神社」です。 「延喜式」神名帳に記載のある「信濃国高井郡の式内社」です。高井郡内6社の筆頭で、郡内一之宮です。  白鳳2年(647…

  • 本邦初の製糸結社「東行社」を創設した小田切辰之助の住居

    明治から昭和初期にかけて「製糸の街」として栄えた須坂。街の中心地に続く「土蔵造りの町並み」が、当時の繁栄振りを今に伝えています。 此の「小田切家住宅」は、大笹…

  • 須坂藩居館跡「奥田神社」

    「旧須坂藩居館跡」に鎮座する「奥田神社」です。 「旧須坂藩1万2千石の居館」は、記録によれば、茅葺き50間四方で、家臣の長屋、評定所、柔術場、剣道場、馬屋、内…

  • 須坂藩御用達酒蔵「遠藤酒造所」

    「奥田神社(旧須坂藩居館跡)」の手前にある「遠藤酒造所」です。 創業は元治元年(1864)。須坂藩御用達の酒蔵として、歴代藩主へ御酒の献上を続けました。  美…

  • 秀吉の護持仏を祀る「北向山寿泉院観音堂」

    「寿泉院」の起源ですが、桓武天皇の延暦年間(782~805)に、弘法大師空海により創建されたと言われています。当時は遠州の「顕實寺(真言宗)」でした。  暫く…

  • 須坂藩主:堀家の菩提寺「寿泉院」

    須坂にある藩主:堀家の菩提寺「寿泉院」です。奥に見える赤い屋根の建物が本堂です。  「北向観音を祀る観音堂」があります(後述)。「北向観音堂」と呼ばれている建…

  • 須坂藩御用達の豪商「田中本家」

    普願寺の北隣に「田中本家博物館(国の登録有形文化財)」があります。 此処は、江戸時代に、穀物や酒を商った須坂藩御用達の豪商「田中本家」の博物館です。ほぼ1町四…

  • 歴史の散歩道を散策出来る「大岩山普願寺」(2)

    それでは、「大岩山普願寺(浄土真宗本願寺派)」を見て参ります。 浄土真宗としては県内最大の本堂伽藍を有する大寺院なのですが、境内の「歴史の散歩道」あるいは「も…

  • 所蔵作品2000点を超える「おぶせミュージアム/中島千波館」

    「おぶせミュージアム/中島千波館」は、北斎以来の文化の香り高い小布施町の文化拠点として、平成4年に開館した町立美術館です。 敷地:9000㎡。広い庭には、四季…

  • 文化サロン悠然楼も残る「高井鴻山記念館」(2)

    葛飾北斎を何度も小布施へ招聘した、北信濃きっての豪農商で文化サロン主催者:高井鴻山の記念館です。 小布施の栗の小径に沿ってあります。  高井鴻山の人格、好みを…

  • 文化サロン悠然楼も残る「高井鴻山記念館」(1)

    栗の街:小布施の中心街、「栗の小径」沿いに「高井鴻山記念館」があります。 北信濃きっての豪農商であり陽明学者でもある「高井鴻山」の邸宅跡で、鴻山は此処で「悠(…

  • 市の守護神「市神」

    「小布施の市神」と呼ばれている、自然石の御神体です。かつての街道の交差点に祀られています。 恐らく、寛永2年(1625)に開設された「六斎市」の守護神ではない…

  • 高井鴻山の菩提寺「祥雲寺」

    「北斎館」から国道403号の反対側へ出ると「金龍山祥雲寺(曹洞宗)」が有りますす。 北斎を何度も小布施へ招いた豪商の高井鴻山の菩提寺です。 鴻山は、豪商で文人…

  • 画狂人:北斎の世界へ「北斎館」

    北斎は天保13年(1842)に此の地の豪商:高井鴻山に招かれ訪れ、以来、数度に亙り此の地を訪れました。鴻山は師の北斎のために作業所まで設け、1年以上も滞在させ…

  • 心なごむ「小さな栗の木美術館」

    「泉石亭」の隣にある「小さな栗の木美術館」です。 食後の散歩として、良く手入れされた日本庭園を入ります。  空気が奇麗です。  小布施の旧家「高津家の土蔵」を…

  • 和みの館で郷の味わいを「桜井甘精堂/泉石亭」

    長野電鉄「小布施」駅から「皇大神宮」を抜け、国道403号へ。 「観音通り」や「大日通り」とクロスする交差点周辺が、小布施の中心地です。 「桜井甘精堂」、「竹風…

  • 栗と北斎と福島正則の「小布施」へ

    長野電鉄で「小布施」へ。 「小布施」と言えば、まず栗です。勿論、栗以外の果物も美味ですが……。 小林一茶は、「拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ」と謳いましたが、…

  • ホテルJALシティ長野「美麗華」

    JR長野駅から善光寺にかけての一帯には、美味しいお蕎麦屋さんが沢山あり、ついつい、蕎麦を戴く機会が多く、宿泊したホテルでは、中華にしてみました。  ホテルJA…

  • 善光寺と共に栄えた絵解きの寺「かるかや山西光寺」(2)

    長野市の繁華街にある「苅萱(かるかや)山寂照院西光寺(浄土宗)」です。「絵解きの寺」として有名で、善光寺七福神のうち「寿老人」を祀っています。  寺宝として「…

  • 善光寺と共に栄えた絵解きの寺「かるかや山西光寺」(1)

    「絵解きの寺」として有名な「苅萱山寂照院西光寺(浄土宗)」です。 長野市の中心街に位置し、開祖である「苅萱上人」とその御子「信照坊道念上人(幼名:石童丸)」の…

  • 島の寮と呼ばれた「黄梅山栽松院」

    宿泊したホテル(ホテルJALシティ長野)の直ぐ隣りにあった「黄梅山栽松院(曹洞宗)」です。 両脇を旧裾花川(今は埋め立てられている)に挟まれた「島(嶋)」にあ…

  • 福禄寿を祀る「秋葉神社」

    善光寺七福神のうち「福禄寿」を祀る「秋葉神社」です。十念寺というお寺と敷地を同じくしています。    十念寺では、出世大仏が有名です。   西国33,阪東33…

  • 弁財天を祀る「権堂の往生院」

    長野市の繁華街「権堂」にある「蓮池山往生院(浄土宗)」です。善光寺七福神のうち「弁財天」を祀っています。 御本尊は「円光大師(法然)像」です。  善光寺本堂が…

  • 親鸞聖人ゆかりの「本願寺長野別院」

    「本願寺長野別院」の「深谷山(普門山とも)蓮華院正法寺」です。   建久9年(1198)信濃国見登山城主の和歌月石見守の次男:重勝が開基となり、建暦年間(13…

  • 善光寺三寺の一つ「西方寺」

    善光寺の周辺にある関連3寺院の「西方寺」、「寛慶寺」、「康楽寺」は、善光寺三寺と呼ばれています。 なかでも「西方寺」は、元和の善光寺本堂焼失時や現本堂建立時な…

  • 善光寺三鎮守の一つ「武井神社」

    「善光寺三鎮守」と並称される古社があり、「妻科神社、湯福神社、武井神社」の3社を言います。 「武井神社」は、善光寺東エリアに広がる19町を氏子とする神社で、地…

  • 善光寺七福神/恵比寿「西宮神社」

    善光寺門前の横町通り(旧北国街道)に鎮座する「西宮神社」です。 もともと武井神社の北に鎮座し、武井えびすとも呼ばれていました。  武井神社鎮座とともに祀られた…

  • 蘇我馬子の娘/尊光上人が開基「大本願」

    「大勧進」が天台宗の大本山であるのに対し、「大本願」は浄土宗の大本山です。    「大本願」は、642年に皇極天皇の命により、蘇我馬子の娘の「尊光上人」により…

  • 善光寺25ケ院の本坊/大本山「大勧進」

    善光寺の山門手前の左に「大勧進」があります。 天台宗大本山で、善光寺の25ケ院の本坊でもあります。近世の善光寺の運営を担ってきました。   「大勧進」とは、人…

  • 全国で最大級の木造建築物「本堂」

    「善光寺本堂(国宝)」です。宝永4年(1707)に完成しました。 設計は幕府方棟梁の甲良宗賀。大勧進72世の慶運が全国行脚を行い、浄財を集めたといわれています…

  • 二層入母屋造りの「山門」

    善光寺の山門(三門)は、寛延3年(1750)に5年かかりで完成しました。二層入母屋造りの巨大な建築物で、国の重要文化財に指定されています。  正面に見える「扁…

  • 六地蔵と濡れ仏

    山門辺りの広場に「六地蔵と濡れ仏」がおられます。 まず「六地蔵」。宝暦9年(1759)に、浅草天王町の祐昌が願主となり、造立されました。  壮観ですね。  昭…

  • 頼朝が駒を返した「駒返り橋」

    善光寺の参道入口に「駒返り橋」と呼ばれる石橋があります。 建久8年(1197)に頼朝が参拝したとき、馬(駒)の蹄が穴に挟まれ、仕方なく、駒を返したと言われてい…

  • 毘沙門天を祀る「世尊院(釈迦堂)」

    善光寺の旧本堂(現:延命地蔵尊)の直ぐ東側(正面)にある「世尊院(釈迦堂)」です。 善光寺七福神のうち「毘沙門天」を祀ります。毘沙門天は、仏の北方の世界の守護…

  • 旧本堂(如来堂)跡に建つ「延命地蔵尊」

    仲見世通り左手中ほどに「延命地蔵尊」があります。此処は、善光寺草創以来、旧本堂があった場所です。 宝永4年(1707)に現在の本堂が再建されると、その5年後の…

  • 高村光雲作/仁王像「善光寺仁王門」

    布袋像がある「藤屋旅館(The Fujiya Gohonjin)旧御本陣藤屋」の交差点から先が、善光寺の境内となります。左手に「大本願」右手は宿坊が有ります。…

  • 善光寺七福神のうち「布袋」

    「信州シリーズ」に入ります。宿泊地は長野。訪問地は、善光寺界隈および参道、小布施、須坂、飯山、松代です。 まずは、JR長野駅から善光寺までの「表参道」界隈に祀…

  • 鬼祭:豊橋鬼祭で賑わう「安久美神戸神明社」

    豊橋に春を告げると言われる奇祭「豊橋鬼祭(国の無形民俗文化財)」で有名な「安久美神戸(あくみかんべ)神明社」です。毎年2月11日に行われ、「赤鬼と天狗のからか…

  • 全国でも10指に入る巨大城郭「吉田城」

    「吉田城址」は、東西約1400m、南北約600m。総面積は、約83.7万㎡にも及ぶ「巨大城郭」です。令和3年度までに、58回もの発掘調査が実施されましたが、そ…

  • 豊橋祇園祭で有名な「吉田神社」

    「吉田大橋」の畔、豊川沿いに鎮座する「吉田神社(御祭神:素戔嗚尊)」です。毎年7月の第3金曜から日曜日に開催される「豊橋祇園祭」で有名です。 創建は天治元年(…

  • 市役所展望台から見た「豊橋」

    我がブログも、今回が【No.4000】。お陰様で、4000回を数えます。引き続き、各地の「城下町」を訪ね、ご紹介したいと思います。 さて、豊橋市ですが、日本の…

  • 昭和初期の貴重なロマネスク建築「豊橋市公会堂」

    「映画の街・ロケの街/豊橋」。豊橋市は、ロケの誘致・支援・ロケ地としてのプロモーションや映画祭の開催による映画文化の醸成、次世代の映画人育成など、映画の力で人…

  • 絶品のひつまぶし「羽子吾」

    豊橋は、食事が美味しい街です。宿泊したホテル(ホテルアソシア豊橋)内のレストランも満足でしたが、此処「羽子吾(はねご)」のひつまぶしも大満足でした。 JR豊橋…

  • 二川宿の氏神さま「二川八幡神社」

    二川宿の氏神「二川八幡神社」です。 永仁3年(1295)、鶴岡八幡宮から勧請したといわれています。  慶長6年(1601)には、伊奈備前守から、神領2石の寄進…

  • 二川宿に江戸の面影を残す「商家/駒屋」

    東海道第33番目の宿「二川宿」には、本陣、旅籠屋以外に、「商家」も残されています。「駒屋」です。 「駒屋」は、江戸時代に、米穀商、質屋を営む傍ら、「問屋役」や…

  • 今、江戸時代の旅が蘇る「二川宿本陣資料館」(2)

    「二川宿本陣資料館」です。 「草津宿」と「二川宿」。日本に2カ所しかない、江戸時代の「本陣」を知る貴重な設備です。 「本陣」の外観です。 資料館の入口です。 …

  • 今、江戸時代の旅が蘇る「二川宿本陣資料館」(1)

    今も江戸時代の「本陣」が保存されていて私たちが見学出来る建物は、東海道53次のうちでも、2カ所しか残されていません。草津宿と二川宿です。 「二川宿本陣資料館」…

  • 豊橋市内屈指の氏子数「大岩神明宮」

    「二川宿本陣資料館」見学の前に大岩村の氏神「大岩神明宮」に参拝します。 寛永20年(1643)幕府は二川村と大岩村を、吉田藩領から天領とし、翌年、両村を現在地…

  • 宿場町の遺構が残る「二川宿」

    東海道本線で豊橋から(浜松寄りに)1駅。「二川駅」を下車し東へ800m程行くおと、かつての「宿場町」の面影を色濃く残す町並みが見えてきます。 「二川宿」は東海…

  • 通称:豊川稲荷「豊川閣妙厳寺」(3)

    歴史上の人物で、特に深い信仰を寄せたのが、名奉行で有名な「大岡越前守忠相」です。彼は、信奉する「吨枳尼真天」を自身の屋敷内で祀り、今も、赤坂に「豊川稲荷東京別…

  • 通称:豊川稲荷「豊川閣妙厳寺」(2)

    通称:豊川稲荷の「豊川閣妙厳寺(曹洞宗)」です。御本尊は、日本では御稲荷さんと同一視される「吨枳尼真天」像です。  鎌倉時代、順徳天皇の皇子「寒巖義尹(かんが…

  • 通称:豊川稲荷「豊川閣妙厳寺」(1)

    いよいよ、念願の「豊川稲荷」です。正式には「豊川閣妙厳寺」と言い、曹洞宗のお寺です。 商売繁盛・家内安全・福徳開運を願い、全国から、年間数百万人もの参拝客が訪…

  • 豊川稲荷の表参道に「薬師瑠璃光如来薬師堂」

    豊川稲荷の表参道を進むと、「お薬師参道」があります。 此の両脇に「千本幟」がはためくなかを進むと  「薬師瑠璃光如来薬師堂」があります。豊川稲荷の御堂のひとつ…

  • 弘法大師の錫杖井戸がある「徳城寺」

    「豊川進雄神社」からほど近い「徳城寺(曹洞宗)」です。見事な山門です。    本堂です。    「弘法大師の錫杖井戸伝説」で有名です。  あるとき、弘法大師が…

  • 豊川へ。まずは「豊川進雄神社」へ。

    「豊川稲荷」へ参拝します。 JR「豊橋駅」からJR「豊川駅」は、約10分と便利です。名鉄「豊川稲荷駅」もあります。 駅から「豊川稲荷」までは、参道に沿って、お…

  • 渡辺崋山を祀る「城宝寺」(2)

    田原の誇り:渡辺崋山を祀る「城宝寺(浄土宗)」です。 「蛮社の獄」で罪を得た崋山ですが、1年9月の蟄居生活後、「不忠不孝渡辺登」としたため自刃し、直ぐ、「城宝…

  • 渡辺崋山を祀る「城宝寺」(1)

    渥美鉄道の「三河田原駅」から、比較的近いエリアにある「城宝寺(浄土宗)」があります。渡辺崋山の菩提寺として有名です。 田原城の防衛上の「寺町」は、もう少し上に…

  • 田原に崋山あり「渡辺崋山像」

    「蛮社の獄」で罪人とされ、自ら「不忠不孝渡辺登」としたため自刃に及んだ崋山ですが、明治になり田原藩に対する功績や開国論の正しさの見直しがあり、今や、「歴史が息…

  • 崋山が蟄居した屋敷がある「池ノ原公園(史蹟)」

    田原城の500mほど西北に「池ノ原公園」があります。此処は「史蹟」とされ、渡辺崋山が晩年、罪人として、自殺までの数年を起居した「幽居」があります。 当初、此処…

  • 田原城出丸後に鎮座する「崋山神社」

    「田原城」の出丸跡に鎮座する「崋山神社」です。 「蛮社の獄」で蟄居処分を受け切腹した崋山ですが、明治になり、藩政における功労や開国論そのものが再評価され、没後…

  • 田原城内に鎮座「巴江神社、冨多満瑠稲荷社」

    「田原城(巴江城)」内に鎮座する「巴江(はこう)神社」です。八坂神社系の神社です。文明12年(1480)に築城された「田原城」ですが、築城当時は周りを海に囲ま…

  • 渡辺崋山ゆかりの「田原城」

    「田原城下町」へ入ります。 場所を確認します。 伊勢湾の東に三河湾を構成する「知多半島と渥美半島」があり、東にある半島が「渥美半島」です。その中が渥美湾。半島…

  • 中国料理「梨杏」ホテルアソシア豊橋

    豊橋は、食べ物が美味しい地でした。今日は、宿泊したホテルの中華を。 宿泊するホテルでのディナーは、食後直ぐ部屋へ戻れるので、安心です。 【前菜盛り合わせ】蒸し…

  • 江戸時代から残る旅籠宿「大橋屋(旧旅籠鯉屋)」

    江戸時代、東海道五十三次「赤坂宿」エリアは天領で、赤坂代官所が治めていました。治安も良く、遊興の地としても、吉田、御油と主に栄えていました。 赤坂宿の中心エリ…

  • 芭蕉の句碑も残る「関川神社」

    「長福寺」の少し御油寄りに「関川神社」が鎮座しています。なお、もう少し御油寄りに進むと、有名な「御油の松並木」が広がります。 街道沿いに鎮座する素朴な神社です…

  • 悲恋伝説を残す赤坂宿「長福寺」

    赤坂宿の中ほどに「長福寺(浄土宗)」があります。  長保年間(999~1004)に、此の地の長者の宮路弥太次郎長富が、娘の力寿の為に此の寺を建立し、三河国司:…

  • 東海道「赤坂宿」本陣跡

    往年は、旅籠62軒、家数349戸の繁栄を見た「東海道・赤坂宿」。「参勤交代利用大名数(文政期)」では、中山道=41家に対し、東海道=146家と、東海道が優勢の…

  • 東海道五十三次「赤坂宿」

    「東海道五十三次」とは言っても、駿府や浜松、掛川、吉田(豊橋)宿のような交通至便の宿場は別として、なかなか電車では行き辛い宿場が殆どです。 そんな中で、吉田宿…

  • 岡崎城下町「二十七曲がり」を構築した田中吉政

    秀吉が総力を結集した「小田原・北条氏攻め」で北条氏が滅び、秀吉は家康を関八州へ移転させます。その後の東海道筋(旧家康領)には、駿府に中村一氏、掛川に山内一豊、…

  • ルネッサンス様式が目を引く「岡崎信用金庫資料館」

    「岡崎宿二十七曲がり」に沿って建つ「岡崎信用金庫資料館」です。此の日は月曜日で、資料館は生憎お休みでしたが、その外観は本格的なルネッサンス様式で、辺りでも、ひ…

  • 岡崎城下町名物「二十七曲がり」

    天正18年(1590)家康の関東移封後に岡崎城主に赴任した「田中吉政(関ヶ原の戦いまでの10年間を岡崎城主で)」は、豊臣系大名として、関東の家康に対する備えを…

  • 岡崎で生まれ変わった「家康像」

    岡崎城内に建つ「神君家康像」です。「しかみ石像」ではなく、昭和40年に没後350年を記念して建立された銅像です。高村泰正氏の製作で、堂々としています。 家康公…

  • 絶品の木の芽田楽「八千代本店」

    岡崎公園内、岡崎城天守閣の袂にある「八千代本店」です。 地元の八丁味噌と備長炭で焼き上げた「木の芽田楽」は、絶品です。家康公も愛されたとか。 八千代は、創業1…

  • 神君家康公「産湯の井戸」

    天文11年(1542)12月26日、岡崎城内で神君家康公が生誕されました。時あたかも、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝承もあります。 産…

  • 家康と忠勝を祀る「龍城神社」

    岡崎城天守閣の脇に鎮座する「龍城(たつき)神社」です。家康と忠勝を祀っています。 家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝承が残…

  • 岡崎城内に建つ「神君のしかみ像」

    世に有名な神君家康公の「しかみ像=三方ヶ原戦役画像」の石像です。 浜松城を出て三方ヶ原で信玄軍に挑み、大敗を喫しつつ、自戒の念を忘れないようにと絵師に描かせた…

  • 岡崎生まれの「本多忠勝像」

    岡崎城内に建つ「本多忠勝像」です。本多忠勝は、天文17年(1548)、岡崎生まれです。 忠勝(通称:平八郎)は「徳川四天王」のひとり。「家康に過ぎたるものが二…

  • 神君出生の御城「岡崎城」(2)

    「神君家康公御出生の岡崎城」です。家康公は、天文11年(1542)岡崎城内で生まれました。6歳から他国で人質生活を続けていましたが、永禄3年(1560)の桶狭…

  • 神君出生の御城「岡崎城」(1)

    「神君家康公の御出生のお城=岡崎城」です。 家康公は、御誕生から6歳までと20代の頃を、此の御城で過ごされました。乱世の頃で、松平家とその郎党たちは、強力な隣…

  • 岡崎松平家菩提寺「大林寺」

    岡崎松平家菩提寺「大林寺(浄土宗西山深草派)」です。岡崎城の北にあります。 明応2年(1493)に松平光重が、明大寺にて創建しました。享禄3年(1530)に松…

  • 大樹寺の福顔の家康像

    彼方此方で、家康像を見ます。東京は江戸東京博物館裏で、静岡は駿府城内で、浜松は浜松城内で。 大樹寺境内にある家康像は、これです。 ポーズは、良く見るポーズ。お…

  • 松平・徳川家の菩提寺「大樹寺」

    松平家・徳川家の菩提寺として世に名高い「成道山松安院大樹寺」です。文明7年(1475)松平4代親忠(家康から6世の祖)の創建です。将軍のことを「大樹」といいま…

  • 日本料理「穂のはな」ホテルアソシア豊橋

    豊橋は、海山の食材に恵まれ、食事が美味しい街でした。宿泊したホテル内のレストラン「穂のはな」で、「松茸釜飯会席」を戴きます。(時期は、10月下旬) 魚介類は、…

  • 国登録有形文化財「湊築島弁天社」

    「湊築島弁天社」の創建は、戦国時代といわれています。 天正元年、江北の浅井家滅亡の際、その重臣の浅井与次右衛門が琵琶湖の竹生島明神の「都久夫須麻神社」から、守…

  • 伊勢神宮との関係が深い「湊神明社」

    豊橋にある「湊神明社」です。 御祭神は「天照大神」で、地元では「田町の神明様」と呼ばれています。 創建は「白鳳時代(飛鳥と天平の間)」とされています。 伊勢神…

  • 藤原俊成ゆかりの「涼みが杜」

    JR蒲郡駅ちかくにある「涼みが杜」です。俊成さんの屋敷跡といわれています。 「大島や 小島がさきの 仏嶋 すずめの森に 恋の松原」と詠まれています。俊成さんが…

  • 常盤館跡に建つ「海辺の文学記念館」

    竹島への参拝は、長い間、渡船により行われていました。昭和7年に、名古屋在住の滝信四郎氏に拠り、竹島橋が架橋され、楽に参拝出来るようになりました。 氏は、陸側に…

  • 藤原俊成が竹生島から勧請した「八百富神社」

    「八百富神社」は、三河国国司であった藤原俊成が、1181年に、琵琶湖の竹生島から「市杵島姫命」を勧請したと言われています。 家康が「会津遠征」に向かう途中に、…

  • 蒲郡の基礎を築いた藤原俊成「俊成苑」

    藤原俊成。 言わずと知れた平安末期~鎌倉前期の歌人です。「千載和歌集」の編纂者。かの(百人一首の選者)藤原定家の父であり、冷泉家の祖。 その藤原俊成は、蒲郡の…

  • 蒲郡のシンボル・アイランド「竹島」

    浜松から東三河へ入ります。まずは蒲郡から。 蒲郡は、東海道線の新快速で豊橋から1駅。交通至便の地で、そのシンボルとも言える「竹島」は、川端康成を始め多くの文人…

  • 浜松城鬼門鎮護「浜松八幡宮」

    浜松城鬼門鎮護「浜松八幡宮」です。 家康公も、浜松城主のとき、鬼門鎮護、開運招福、武運長久の神様として厚く信仰し、度々参拝したと言われています。 仁徳帝の御世…

  • 悲運の曳馬城主、椿姫の伝承地「椿姫観音」

    「元城町東照宮」から少し東へ行くと、「椿姫観音」があります。悲運の曳馬城主の正室「お田鶴の方」を、地元の方々が丁寧に祀っておられます。 永禄11年(1568)…

  • 若き日の秀吉と家康が交錯した引間(曳馬)城

    出世城と呼ばれる「浜松城」。街の彼方此方にパワースポットが散在しますが、此の「二公像」も人気のスポットです。 実は秀吉も、若い頃、引間に来たと言われています。…

  • 引間城跡に建つ「元城町東照宮」

    新年、明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願い申し上げます。 家康は永禄11年(1568)三河から遠江へ進出し、引間(曳馬)城へ入城します。そして…

  • 浜松城内の「若き日の家康」像

    2024年の最後の掲載です。昨年までは、年末には、丸の内などのイルミネションや国際フォーラムの来る年の干支人形を掲載していましたが、今年は、通常の掲載を続けて…

  • 逃げ帰った家康が鎧を掛けた「家康公鎧掛松」

    浜松市役所の西側に残る「家康公鎧掛け松」。 此の松は、「三方ヶ原の戦い」に敗れて居城(浜松城)へ逃げ帰った家康が、ようやく安心して鎧を脱いで掛けた伝説の松と言…

  • 家康の出世城「浜松城」(2)

    永禄5年(1562)、家康は信長と「清須同盟」を結び西の脅威を消滅させると、義元亡き後の今川領への侵攻を開始しました。自身の居城も岡崎城から、引馬(曳馬)城を…

  • 家康の出世城「浜松城」(1)

    新シリーズ「東三河」へ入ります。浜松から豊橋へ。豊橋を中心に、蒲郡、岡崎、豊川、田原などを巡ります。時期的に年末になり、今年は例年のような丸の内のイルミネショ…

  • 幻の「仙台・塩竈シリーズ」(晩翠草堂」

    9月に猛暑の中を仙台を訪問し、塩釜(鹽竈)へ足を延ばしました。ところが、旅行初日に早速に「デジカメが壊れ」てしまいました。 なので、残念ながら、此のブログの「…

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