須坂に鎮座する「墨坂(芝宮)神社」です。 「延喜式」神名帳に記載のある「信濃国高井郡の式内社」です。高井郡内6社の筆頭で、郡内一之宮です。 白鳳2年(647…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
「福澤諭吉旧宅」の前面道路を西へ。1Kmほど進むと、中津川に架かる「北門橋」へ出ます。橋の袂には「武家屋敷」跡が。 秀吉の九州平定の後、黒田官兵衛は「中津16…
「福澤諭吉旧宅」にほど近きに「和田公園(和田豊治生誕地)」があります。 和田豊治は、富士紡績や理化学研究所など数十社の創設に貢献し、富士紡績や日華紡績の社長を…
中津市に今も残る「福沢諭吉旧居」です。諭吉が、長崎に遊学するまでの幼年・青年期を過ごした住宅です。 享和3年(1803)築の木造茅葺き平屋建て。僅か13石2人…
「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して 人たるの品位を辱めざるもの、 これを独立自尊の人という」(諭吉の「修身要領」) 諭吉は、天保5年(1835)に堂…
中津へ。 今の中津は大分県の端っこにありますが、「豊前国」の地図を見ると、国の中央近くで、日田(中津)街道と日向街道の分岐点に当たり、小倉城と宇佐八幡宮を結ぶ…
ホテルでの夕食を終え駅前へ出ると、今年も「港町浪漫コンサート」が行われていました。「日本遺産《関門ノスタルジック海峡~時の停車場、近代化の記憶》」を具現化した…
門司港は、関門海峡で獲れた新鮮な魚介類や後背地の豊かな野菜が豊潤で、和洋何もかも美味しい処です。 宿泊した「プレミアホテル門司港」のイタリアンレストランから。…
「はね橋/ブルーウイングもじ」を渡り右手にあるのが「旧門司税関」です。 建物は明治5年の建築で、赤煉瓦造り、木骨構造、瓦葺きです。デザインはルネサンス様式にセ…
眼前に「関門橋」を臨みつつ。 「はね橋:ブルーウイングもじ」を渡ります。全国でも唯一の歩行者専用の「はね橋」です。 定期的に「はね橋」が上がり、下を船が通行し…
最も狭い処で約700m。本州最西端と北九州が「指呼の間」です。此の関門海峡で、古来、「壇ノ浦の戦い」、「馬関戦争」だけではなく、多くの歴史が動いてきました。 …
門司港駅前に建つ「バナナの叩き売り発祥の地」碑です。 門司港は、バナナの叩き売り発祥の地といわれ、今でもイベントで、バナナの叩き売りが行われています。 「門司…
林芙美子は明治36年、門司で生まれました(諸説あり)。 三井俱楽部2階にある「林芙美子記念室」では、林芙美子の生涯と作品を、資料とパネルで紹介しています。 自…
大正11年の冬。ノーベル物理学賞を受賞したアインシュタイン博士が、日本の出版社の招きで来日しました。 43日間に及ぶ長期の講演旅行で日本を縦断した博士が、最も…
大正期を中心に、門司港エリアは、大陸貿易や大陸航路・欧州航路の客船が絶え間なく往来し、大変な繁栄期を迎えていました。街にはビジターを楽しませる洋食店、カフェ、…
「旧大阪商船(国登録文化財)」です。八角形の尖塔とオレンジ色鮮やかな外壁が印象的な建物です。 大阪商船は1891年に門司出張所を設置し、大正6年に、この建物を…
「豊前・豊後の旅」を始めます。具体的には、「門司港→→中津→→大分府内→→臼杵」と進んでいきます。 スタートは「門司港」駅です。此処は大陸に近く、明治以降、国…
新潟グランドホテルのフレンチレストラン「Belle Vue」です。和食や中華レストランもそうでしたが、新潟の美味しい食材を丁寧に調理して提供し遠来の客をもてな…
江戸時代後期から新潟で活躍していた商家・小澤家の店舗兼住宅です。新潟市文化財に指定されています。 小澤家は、江戸時代後期には「小澤屋七郎」と名乗り、米穀商を営…
新潟の豪商・齋藤家の4代:齋藤喜十郎が大正期に建設した別邸「旧齋藤家別邸」です。回遊式庭園と近代和風建築が見事です。 明治から昭和初期にかけて、新潟の「三大財…
「新潟大神宮」の境内に「坂口安吾生誕の地」碑があります。 坂口安吾は新潟出身の小説家。昭和6年、「風博士」で文壇に認められる。第2次世界大戦後間もなく発表した…
西大畑町の閑静な住宅地に鎮座しています。「新潟のお伊勢さま」と愛称される「新潟大神宮」です。明治9年の創建です。 境内には、「会津藩士殉節の碑」や「坂口安吾生…
「白山公園」の東隣に、屋上に尖塔を有する2階建ての見事な洋風建築があります。「新潟県政記念館」で、明治16年に建てられた「新潟県議会旧議事堂(国重文)」そのも…
曾津八一の歌書と良寛の墨蹟を展示しています。登録文化財「北方文化博物館新潟分館」です。会津八一終焉の地で、八一は、此処の洋館「南浜秋艸堂」にて、最晩年の10年…
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須坂に鎮座する「墨坂(芝宮)神社」です。 「延喜式」神名帳に記載のある「信濃国高井郡の式内社」です。高井郡内6社の筆頭で、郡内一之宮です。 白鳳2年(647…
明治から昭和初期にかけて「製糸の街」として栄えた須坂。街の中心地に続く「土蔵造りの町並み」が、当時の繁栄振りを今に伝えています。 此の「小田切家住宅」は、大笹…
「旧須坂藩居館跡」に鎮座する「奥田神社」です。 「旧須坂藩1万2千石の居館」は、記録によれば、茅葺き50間四方で、家臣の長屋、評定所、柔術場、剣道場、馬屋、内…
「奥田神社(旧須坂藩居館跡)」の手前にある「遠藤酒造所」です。 創業は元治元年(1864)。須坂藩御用達の酒蔵として、歴代藩主へ御酒の献上を続けました。 美…
「寿泉院」の起源ですが、桓武天皇の延暦年間(782~805)に、弘法大師空海により創建されたと言われています。当時は遠州の「顕實寺(真言宗)」でした。 暫く…
須坂にある藩主:堀家の菩提寺「寿泉院」です。奥に見える赤い屋根の建物が本堂です。 「北向観音を祀る観音堂」があります(後述)。「北向観音堂」と呼ばれている建…
普願寺の北隣に「田中本家博物館(国の登録有形文化財)」があります。 此処は、江戸時代に、穀物や酒を商った須坂藩御用達の豪商「田中本家」の博物館です。ほぼ1町四…
それでは、「大岩山普願寺(浄土真宗本願寺派)」を見て参ります。 浄土真宗としては県内最大の本堂伽藍を有する大寺院なのですが、境内の「歴史の散歩道」あるいは「も…
「おぶせミュージアム/中島千波館」は、北斎以来の文化の香り高い小布施町の文化拠点として、平成4年に開館した町立美術館です。 敷地:9000㎡。広い庭には、四季…
葛飾北斎を何度も小布施へ招聘した、北信濃きっての豪農商で文化サロン主催者:高井鴻山の記念館です。 小布施の栗の小径に沿ってあります。 高井鴻山の人格、好みを…
栗の街:小布施の中心街、「栗の小径」沿いに「高井鴻山記念館」があります。 北信濃きっての豪農商であり陽明学者でもある「高井鴻山」の邸宅跡で、鴻山は此処で「悠(…
「小布施の市神」と呼ばれている、自然石の御神体です。かつての街道の交差点に祀られています。 恐らく、寛永2年(1625)に開設された「六斎市」の守護神ではない…
「北斎館」から国道403号の反対側へ出ると「金龍山祥雲寺(曹洞宗)」が有りますす。 北斎を何度も小布施へ招いた豪商の高井鴻山の菩提寺です。 鴻山は、豪商で文人…
北斎は天保13年(1842)に此の地の豪商:高井鴻山に招かれ訪れ、以来、数度に亙り此の地を訪れました。鴻山は師の北斎のために作業所まで設け、1年以上も滞在させ…
「泉石亭」の隣にある「小さな栗の木美術館」です。 食後の散歩として、良く手入れされた日本庭園を入ります。 空気が奇麗です。 小布施の旧家「高津家の土蔵」を…
長野電鉄「小布施」駅から「皇大神宮」を抜け、国道403号へ。 「観音通り」や「大日通り」とクロスする交差点周辺が、小布施の中心地です。 「桜井甘精堂」、「竹風…
長野電鉄で「小布施」へ。 「小布施」と言えば、まず栗です。勿論、栗以外の果物も美味ですが……。 小林一茶は、「拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ」と謳いましたが、…
JR長野駅から善光寺にかけての一帯には、美味しいお蕎麦屋さんが沢山あり、ついつい、蕎麦を戴く機会が多く、宿泊したホテルでは、中華にしてみました。 ホテルJA…
長野市の繁華街にある「苅萱(かるかや)山寂照院西光寺(浄土宗)」です。「絵解きの寺」として有名で、善光寺七福神のうち「寿老人」を祀っています。 寺宝として「…
函館市電の要衝「十字街」に「坂本龍馬記念館」があります。函館で土方歳三ではなく坂本龍馬? 司馬さんが「竜馬がゆく」の「あとがき」に書いておられます。 明治4年…
弘前から函館へ。到着すると、駅前のホテルで荷物を預けて、直ぐ隣りの朝市へ。 江戸時代の北海道(蝦夷地)は、松前藩(10万石格)がある程度でしたが、嘉永6年(1…
羽田空港の滑走路が見える部屋が有るホテル「羽田エクセルホテル東急」のレストラン「フライヤーズテーブル」です。 多くの乗降客が行き交う第2ターミナルビルの2階に…
世界第5位(年間乗降客数:5075万人)にまで大きくなった羽田空港。第1ターミナルから第3ターミナルまであり、少しづつ離れているので、その間を連絡バスで結んで…
私は九州への旅行でも新幹線を使用していますが、東京国際空港が、どのように進化しているのか知りたく、羽田へ出掛けました。一休で検索すると、「羽田エクセルホテル東…
天王洲アイルから新東海橋を渡ると、直ぐ左に「キャプテンズワーフ」があります。新鮮でワイルドな素材を繊細な味付けで戴けるイタリアン・レストランです。 運河に面し…
京浜運河、天王洲運河に囲まれた「天王洲アイル」です。江戸時代の第四台場を中心に、全域が埋立地です。総面積は約22ha。 りんかい線と羽田モノレールがクロスする…
「上野の森美術館」の前にある「天海僧正毛髪塔」です。 南海坊天海と言えば、江戸の都市計画のプランナー兼推進者であり、日光PJのプランナー兼推進者であり、河越・…
上野公園の西郷像の後ろに、ひっそりと残された彰義隊の墓です。三ノ輪の円通寺に小さな彰義隊の墓地がありますが、上野公園には、この1基があるのみ。 司馬さんの「花…
幕末きっての西洋通、佐久間象山が41歳のときに木挽町に開いた兵学塾は、晴海通りの歌舞伎座対面、岩手県のアンテナショップの1筋西にありました。 象山が勝 海舟の…
弘前の次は「函館シリーズ」へ進みますが、一寸、東京の様子を。「銀座、天王洲アイランド、羽田空港」を。 東銀座で、気軽に和食を愉しめるお店を発見しました。歌舞伎…
弘前の郷土料理を食べようと、地元の方々に人気が有る「佐和家」へ。弘前公園にほど近い繁華街にあります。 海鮮中心ですが、肉もあります。リンゴを使ったフレンチとは…
新寺町の寺院は、まだまだ有りますが、最後に「円明寺(浄土真宗)」を。此処の本堂は、浄土真宗寺院では、県内最古(県重宝)と言われています。 明応8年(1499)…
袋宮寺の右隣りにある「一輪山桂光院報恩寺(県重宝、天台宗)」です。明暦2年(1656)に津軽家第4代藩主:津軽信政公が、先代を供養するべく創建した寺院ですが、…
弘前高校の直ぐ隣りに「袋宮寺(たいぐうじ、天台宗、県重宝)」があります。江戸時代は、樋口村(現:弘前市茜町)にある「熊野宮(県重宝)」の別当寺でしたが、神仏分…
繰り返しますが、弘前には「寺町」が2カ所あります。まずは茂森町にある「長勝寺を筆頭とする曹洞宗の33寺院を擁する《禅林街》」そして、弘前高校近くにある「新寺町…
弘前には、「禅林街」以外に「第二寺町」もあります。此方の筆頭寺院は「最勝寺」で、寺領300石を誇ります。そして、最勝寺と同じ敷地であるのが「八坂神社」です。 …
弘前は、教会も目立つ都市です。まずは「日本基督教団弘前教会教会堂(県重宝)」です。 高さ20mのフランスゴシック風の双塔形式で、外観は白のオイルペイント仕上げ…
金沢を始め、全国各地の「伝統的建造物群保存地区」で、多くの武家屋敷が保存されています。これ等を鑑賞すると、中世の武士や医者などの日常が見えてきます。弘前市にも…
石場家住宅の北側の約10.6haが、国選定の「弘前市伝統的建造物群保存地区(重要伝統的建造物群保存地区)」です。弘前城は、当初、北門(亀甲門)を「追手門」とし…