「北陸新幹線:JR飯山駅」は、平成27年3月に開業しました。 記念に設置された「からくり時計」は、駅2階「パノラマテラス」入口で見られます。 毎時「00分」…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
「福澤諭吉旧宅」の前面道路を西へ。1Kmほど進むと、中津川に架かる「北門橋」へ出ます。橋の袂には「武家屋敷」跡が。 秀吉の九州平定の後、黒田官兵衛は「中津16…
「福澤諭吉旧宅」にほど近きに「和田公園(和田豊治生誕地)」があります。 和田豊治は、富士紡績や理化学研究所など数十社の創設に貢献し、富士紡績や日華紡績の社長を…
中津市に今も残る「福沢諭吉旧居」です。諭吉が、長崎に遊学するまでの幼年・青年期を過ごした住宅です。 享和3年(1803)築の木造茅葺き平屋建て。僅か13石2人…
「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して 人たるの品位を辱めざるもの、 これを独立自尊の人という」(諭吉の「修身要領」) 諭吉は、天保5年(1835)に堂…
中津へ。 今の中津は大分県の端っこにありますが、「豊前国」の地図を見ると、国の中央近くで、日田(中津)街道と日向街道の分岐点に当たり、小倉城と宇佐八幡宮を結ぶ…
ホテルでの夕食を終え駅前へ出ると、今年も「港町浪漫コンサート」が行われていました。「日本遺産《関門ノスタルジック海峡~時の停車場、近代化の記憶》」を具現化した…
門司港は、関門海峡で獲れた新鮮な魚介類や後背地の豊かな野菜が豊潤で、和洋何もかも美味しい処です。 宿泊した「プレミアホテル門司港」のイタリアンレストランから。…
「はね橋/ブルーウイングもじ」を渡り右手にあるのが「旧門司税関」です。 建物は明治5年の建築で、赤煉瓦造り、木骨構造、瓦葺きです。デザインはルネサンス様式にセ…
眼前に「関門橋」を臨みつつ。 「はね橋:ブルーウイングもじ」を渡ります。全国でも唯一の歩行者専用の「はね橋」です。 定期的に「はね橋」が上がり、下を船が通行し…
最も狭い処で約700m。本州最西端と北九州が「指呼の間」です。此の関門海峡で、古来、「壇ノ浦の戦い」、「馬関戦争」だけではなく、多くの歴史が動いてきました。 …
門司港駅前に建つ「バナナの叩き売り発祥の地」碑です。 門司港は、バナナの叩き売り発祥の地といわれ、今でもイベントで、バナナの叩き売りが行われています。 「門司…
林芙美子は明治36年、門司で生まれました(諸説あり)。 三井俱楽部2階にある「林芙美子記念室」では、林芙美子の生涯と作品を、資料とパネルで紹介しています。 自…
大正11年の冬。ノーベル物理学賞を受賞したアインシュタイン博士が、日本の出版社の招きで来日しました。 43日間に及ぶ長期の講演旅行で日本を縦断した博士が、最も…
大正期を中心に、門司港エリアは、大陸貿易や大陸航路・欧州航路の客船が絶え間なく往来し、大変な繁栄期を迎えていました。街にはビジターを楽しませる洋食店、カフェ、…
「旧大阪商船(国登録文化財)」です。八角形の尖塔とオレンジ色鮮やかな外壁が印象的な建物です。 大阪商船は1891年に門司出張所を設置し、大正6年に、この建物を…
「豊前・豊後の旅」を始めます。具体的には、「門司港→→中津→→大分府内→→臼杵」と進んでいきます。 スタートは「門司港」駅です。此処は大陸に近く、明治以降、国…
新潟グランドホテルのフレンチレストラン「Belle Vue」です。和食や中華レストランもそうでしたが、新潟の美味しい食材を丁寧に調理して提供し遠来の客をもてな…
江戸時代後期から新潟で活躍していた商家・小澤家の店舗兼住宅です。新潟市文化財に指定されています。 小澤家は、江戸時代後期には「小澤屋七郎」と名乗り、米穀商を営…
新潟の豪商・齋藤家の4代:齋藤喜十郎が大正期に建設した別邸「旧齋藤家別邸」です。回遊式庭園と近代和風建築が見事です。 明治から昭和初期にかけて、新潟の「三大財…
「新潟大神宮」の境内に「坂口安吾生誕の地」碑があります。 坂口安吾は新潟出身の小説家。昭和6年、「風博士」で文壇に認められる。第2次世界大戦後間もなく発表した…
西大畑町の閑静な住宅地に鎮座しています。「新潟のお伊勢さま」と愛称される「新潟大神宮」です。明治9年の創建です。 境内には、「会津藩士殉節の碑」や「坂口安吾生…
「白山公園」の東隣に、屋上に尖塔を有する2階建ての見事な洋風建築があります。「新潟県政記念館」で、明治16年に建てられた「新潟県議会旧議事堂(国重文)」そのも…
曾津八一の歌書と良寛の墨蹟を展示しています。登録文化財「北方文化博物館新潟分館」です。会津八一終焉の地で、八一は、此処の洋館「南浜秋艸堂」にて、最晩年の10年…
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「北陸新幹線:JR飯山駅」は、平成27年3月に開業しました。 記念に設置された「からくり時計」は、駅2階「パノラマテラス」入口で見られます。 毎時「00分」…
北陸新幹線「JR飯山駅」前広場に、立派な「仁王門」があります。 旧「善光寺」の「仁王門」です。 明治45年の「善光寺御開帳」の際、安置されていた「仁王門と仁…
「安養山笠原院真宗寺(浄土真宗本願寺派)」です。 創建は鎌倉時代で、慶長9年(1604)に当地へ移転してきました。 島崎藤村の「破戒」に登場する「蓮華寺」の…
「峰雲山慈月院蓮證寺(浄土真宗本願寺派)」です。 開祖は近江源氏の佐々木左衛門尉尚高。信長との抗争に敗れ、家臣16人と共に、信州芋川へ移ったといいます。 文明…
川中島の戦いのとき、武田信玄の身代わりになったとの伝承がある「木像聖徳太子像(長野県宝)」が太子堂に安置されている「倉科片雄山報恩院西敬寺(真宗大谷派)」です…
日本有数の豪雪地帯:飯山。このようなスキーのゲレンデが散見されます。 更に山道を進むと、名刹「正受庵(臨済宗)」に着きます。映画「阿弥陀堂だより」のロケ地と…
歴代飯山城主の祈願所として大切にされてきた「松壽山正覚院忠恩寺(浄土宗)」です。流石と思わせる格式ある風格です。 松平家と本多家の墓所もあります。 慶長6年…
親鸞聖人の弟子の「宗諦(しゅうたい)」が開き、元和6年(1620)に当地へ転入しました「浄光山顕正院称念寺(真宗大谷派)」です。 明治の南画家:長井雲坪ゆかり…
「愛宕町雁木通り(通称:仏壇通り)」から細い路地を入り、「青龍山安養院妙専寺(愛宕町、浄土真宗本願寺派)」へ。 1607年に、飯山城主:堀直寄から寺領の寄進…
長野県最北エリアの飯山。そこは、ブナの原生林が広がり、日本一の長さを誇る信濃川(千曲川)が悠々と流れる自然の魅力が溢れるエリアですが、冬の豪雪の凄さも想像を超…
10月も後半になると、飯山の秋は、ぐっと深まります。ただ、ここまで見事な公孫樹は、飯山でも、なかなか見られません。 堀家に次ぎ飯山藩主となった「佐久間備前守安…
親鸞聖人の高弟24人のひとり「常念坊」の開山になる「松雲山西念寺(真宗大谷派)」です。 寛永16年(1639)に創建されました。 飯山藩主・松平氏の移封に従…
天正10年(1582)に岩井備中守信能が飯山城を築城する際、居城である山口城にあった「七面大明神」を飯山城の真西に遷座させ、城を護る鎮守としました。 御堂は、…
「妙專寺」が近くに2寺あり、此方は神明町の「妙專寺」で、愛宕町の「妙專寺」の分院です。 愛宕町の「妙專寺(浄土真宗本願寺派)」を弟の了念が継ぐことになり、兄…
「寺の町」と呼ばれる飯山。市内には20余りの寺院が街道筋に点在し、なかでも、愛宕町の「仏壇通り」に並行する西側の山麓沿いに、多くの寺院があります。 人々の信仰…
島崎藤村が「雪国の小京都」と呼んだ飯山へ。もうすぐ越後という、信州最北の市です。 北陸新幹線で長野駅から1駅。在来線も通じてはいますが、間遠な時間帯では2時間…
東山魁夷画伯の詩碑が須坂にありました。 谷街道と善光寺街道の交差点。此処は、江戸時代に須坂藩の木戸口が設置されていた場所で、いわば、須坂の西の玄関にあたる場所…
7月21日から25日まで、「墨坂神社」の例祭「須坂祇園祭(長野県無形民俗文化財)」が、盛大に開催されます。 当初は、須坂藩堀家の御霊会でしたが、徐々に町人が力…
須坂に鎮座する「墨坂(芝宮)神社」です。 「延喜式」神名帳に記載のある「信濃国高井郡の式内社」です。高井郡内6社の筆頭で、郡内一之宮です。 白鳳2年(647…
明治から昭和初期にかけて「製糸の街」として栄えた須坂。街の中心地に続く「土蔵造りの町並み」が、当時の繁栄振りを今に伝えています。 此の「小田切家住宅」は、大笹…
元町エリアからベイエリアへ下る「大三坂」です。「日本の道100選」に選定された坂でもあります。名前の由来は、江戸時代、坂の入口に「大三」という名の郷宿(=公用…
正面、樹木に隠れていますが、大きな十字架が印象的な「函館聖ヨハネ教会」です。「函館聖ハリストス正教会」の東隣にあり、正式名を「日本聖公会函館聖ヨハネ教会」とい…
更に南東へ進むと「箱館ハリストス正教会(国重文)」が見えてきます。このときは、長期の改修工事が終了し間がない頃で、一層美しい外観を堪能出来ました。 「ハリスト…
函館山に向かって多くの坂が延びている函館でも、最も有名な「八幡坂」です。映画やテレビCMなどに多く登場する坂です。常に観光客が写真を撮ろうとしています。 車が…
「旧函館区公会堂」の近くに「船魂神社」があります。義経伝説を有する北海道最古の神社です。 崇徳帝の御世。融通念仏宗の開祖である良忍上人が此の地に到着されました…
基坂を上り切った処にある「旧函館区公会堂」です。明治40年の函館大火で住民の集会所だった町会所が焼失したので住民有志が「公会堂建設協議会」を結成し巨額の寄付を…
函館山の麓、基坂を上りきった処は、かつて箱館奉行所や北海道開拓使、渡島支庁などが置かれた道南行政の中心地でした。 もっと昔、松前藩初代藩主:武田信広と津軽から…
基坂の「旧英国領事館」の直ぐ前に「ペリー広場」があり、「ペリー提督来航記念碑」が立っています。 安政元年(1854)に「日米和親条約」が締結され、下田と箱館の…
基坂を上ると左手にあるのが「旧英国領事館(開港記念館)」です。 大正2年の建築の旧外国公館で、英国人設計士の設計建物です。コロニアル様式が採用され、レンガ造り…
函館の西部地区、函館山の麓ですが、坂が沢山あり、函館港・ベイエリアを見下ろしています。最も有名でガイドブックの表紙に出ている坂は「八幡坂」ですが、地図で数えて…
基坂と市電通りの交差点にモスグリーンの壁色が印象的な相馬㈱の社屋が有ります。壁枠など随所にお洒落な装飾が施されており、窓(ドーマー窓)などルネッサンス様式をベ…
ベイエリアの赤レンガ倉庫群から市電通りへ出ると、「函館市文学館」があります。大正10年に旧第一銀行函館支店として建設された、煉瓦及び鉄筋コンクリート造3階建て…
更に進むと、「新島襄ブロンズ像」があります。襄は安中藩士に生まれ、幕府の軍艦操練所で訓練を受けた後、元治元年(1864)に函館から密航しました。 元治元年とい…
七財橋を渡ると、ベイエリア一面に赤レンガ倉庫群が広がっています。「金森赤レンガ倉庫群」で、函館ヒストリープラザ、金森洋物館、BAYはこだて、金森ホールの4つの…
函館ベイエリアの歴史を見つめてきた「七財橋」です。海運業が盛んだった頃、船荷を運ぶために利用された「掘割」と呼ばれる水路に架かっている石造りの橋です。橋の上か…
「はこだて明治館」の直ぐ前(対面)にある「紫ぜん」です。一軒家の絶品フレンチ。 テーブルも落ち着いています。 ●小エビのマリネ 直ぐ近くの市場から仕入れたとい…
函館ベイエリア地区のランドマークとも言える建物です。はこだて明治館。 明治44年に北海道で初の「箱館郵便局」として建てられた赤レンガ造りの倉庫を利用したショッ…
函館市電の要衝「十字街」に「坂本龍馬記念館」があります。函館で土方歳三ではなく坂本龍馬? 司馬さんが「竜馬がゆく」の「あとがき」に書いておられます。 明治4年…
弘前から函館へ。到着すると、駅前のホテルで荷物を預けて、直ぐ隣りの朝市へ。 江戸時代の北海道(蝦夷地)は、松前藩(10万石格)がある程度でしたが、嘉永6年(1…
羽田空港の滑走路が見える部屋が有るホテル「羽田エクセルホテル東急」のレストラン「フライヤーズテーブル」です。 多くの乗降客が行き交う第2ターミナルビルの2階に…