江戸時代、東海道五十三次「赤坂宿」エリアは天領で、赤坂代官所が治めていました。治安も良く、遊興の地としても、吉田、御油と主に栄えていました。 赤坂宿の中心エリ…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
「福澤諭吉旧宅」の前面道路を西へ。1Kmほど進むと、中津川に架かる「北門橋」へ出ます。橋の袂には「武家屋敷」跡が。 秀吉の九州平定の後、黒田官兵衛は「中津16…
「福澤諭吉旧宅」にほど近きに「和田公園(和田豊治生誕地)」があります。 和田豊治は、富士紡績や理化学研究所など数十社の創設に貢献し、富士紡績や日華紡績の社長を…
中津市に今も残る「福沢諭吉旧居」です。諭吉が、長崎に遊学するまでの幼年・青年期を過ごした住宅です。 享和3年(1803)築の木造茅葺き平屋建て。僅か13石2人…
「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して 人たるの品位を辱めざるもの、 これを独立自尊の人という」(諭吉の「修身要領」) 諭吉は、天保5年(1835)に堂…
中津へ。 今の中津は大分県の端っこにありますが、「豊前国」の地図を見ると、国の中央近くで、日田(中津)街道と日向街道の分岐点に当たり、小倉城と宇佐八幡宮を結ぶ…
ホテルでの夕食を終え駅前へ出ると、今年も「港町浪漫コンサート」が行われていました。「日本遺産《関門ノスタルジック海峡~時の停車場、近代化の記憶》」を具現化した…
門司港は、関門海峡で獲れた新鮮な魚介類や後背地の豊かな野菜が豊潤で、和洋何もかも美味しい処です。 宿泊した「プレミアホテル門司港」のイタリアンレストランから。…
「はね橋/ブルーウイングもじ」を渡り右手にあるのが「旧門司税関」です。 建物は明治5年の建築で、赤煉瓦造り、木骨構造、瓦葺きです。デザインはルネサンス様式にセ…
眼前に「関門橋」を臨みつつ。 「はね橋:ブルーウイングもじ」を渡ります。全国でも唯一の歩行者専用の「はね橋」です。 定期的に「はね橋」が上がり、下を船が通行し…
最も狭い処で約700m。本州最西端と北九州が「指呼の間」です。此の関門海峡で、古来、「壇ノ浦の戦い」、「馬関戦争」だけではなく、多くの歴史が動いてきました。 …
門司港駅前に建つ「バナナの叩き売り発祥の地」碑です。 門司港は、バナナの叩き売り発祥の地といわれ、今でもイベントで、バナナの叩き売りが行われています。 「門司…
林芙美子は明治36年、門司で生まれました(諸説あり)。 三井俱楽部2階にある「林芙美子記念室」では、林芙美子の生涯と作品を、資料とパネルで紹介しています。 自…
大正11年の冬。ノーベル物理学賞を受賞したアインシュタイン博士が、日本の出版社の招きで来日しました。 43日間に及ぶ長期の講演旅行で日本を縦断した博士が、最も…
大正期を中心に、門司港エリアは、大陸貿易や大陸航路・欧州航路の客船が絶え間なく往来し、大変な繁栄期を迎えていました。街にはビジターを楽しませる洋食店、カフェ、…
「旧大阪商船(国登録文化財)」です。八角形の尖塔とオレンジ色鮮やかな外壁が印象的な建物です。 大阪商船は1891年に門司出張所を設置し、大正6年に、この建物を…
「豊前・豊後の旅」を始めます。具体的には、「門司港→→中津→→大分府内→→臼杵」と進んでいきます。 スタートは「門司港」駅です。此処は大陸に近く、明治以降、国…
新潟グランドホテルのフレンチレストラン「Belle Vue」です。和食や中華レストランもそうでしたが、新潟の美味しい食材を丁寧に調理して提供し遠来の客をもてな…
江戸時代後期から新潟で活躍していた商家・小澤家の店舗兼住宅です。新潟市文化財に指定されています。 小澤家は、江戸時代後期には「小澤屋七郎」と名乗り、米穀商を営…
新潟の豪商・齋藤家の4代:齋藤喜十郎が大正期に建設した別邸「旧齋藤家別邸」です。回遊式庭園と近代和風建築が見事です。 明治から昭和初期にかけて、新潟の「三大財…
「新潟大神宮」の境内に「坂口安吾生誕の地」碑があります。 坂口安吾は新潟出身の小説家。昭和6年、「風博士」で文壇に認められる。第2次世界大戦後間もなく発表した…
西大畑町の閑静な住宅地に鎮座しています。「新潟のお伊勢さま」と愛称される「新潟大神宮」です。明治9年の創建です。 境内には、「会津藩士殉節の碑」や「坂口安吾生…
「白山公園」の東隣に、屋上に尖塔を有する2階建ての見事な洋風建築があります。「新潟県政記念館」で、明治16年に建てられた「新潟県議会旧議事堂(国重文)」そのも…
曾津八一の歌書と良寛の墨蹟を展示しています。登録文化財「北方文化博物館新潟分館」です。会津八一終焉の地で、八一は、此処の洋館「南浜秋艸堂」にて、最晩年の10年…
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江戸時代、東海道五十三次「赤坂宿」エリアは天領で、赤坂代官所が治めていました。治安も良く、遊興の地としても、吉田、御油と主に栄えていました。 赤坂宿の中心エリ…
「長福寺」の少し御油寄りに「関川神社」が鎮座しています。なお、もう少し御油寄りに進むと、有名な「御油の松並木」が広がります。 街道沿いに鎮座する素朴な神社です…
赤坂宿の中ほどに「長福寺(浄土宗)」があります。 長保年間(999~1004)に、此の地の長者の宮路弥太次郎長富が、娘の力寿の為に此の寺を建立し、三河国司:…
往年は、旅籠62軒、家数349戸の繁栄を見た「東海道・赤坂宿」。「参勤交代利用大名数(文政期)」では、中山道=41家に対し、東海道=146家と、東海道が優勢の…
「東海道五十三次」とは言っても、駿府や浜松、掛川、吉田(豊橋)宿のような交通至便の宿場は別として、なかなか電車では行き辛い宿場が殆どです。 そんな中で、吉田宿…
秀吉が総力を結集した「小田原・北条氏攻め」で北条氏が滅び、秀吉は家康を関八州へ移転させます。その後の東海道筋(旧家康領)には、駿府に中村一氏、掛川に山内一豊、…
「岡崎宿二十七曲がり」に沿って建つ「岡崎信用金庫資料館」です。此の日は月曜日で、資料館は生憎お休みでしたが、その外観は本格的なルネッサンス様式で、辺りでも、ひ…
天正18年(1590)家康の関東移封後に岡崎城主に赴任した「田中吉政(関ヶ原の戦いまでの10年間を岡崎城主で)」は、豊臣系大名として、関東の家康に対する備えを…
岡崎城内に建つ「神君家康像」です。「しかみ石像」ではなく、昭和40年に没後350年を記念して建立された銅像です。高村泰正氏の製作で、堂々としています。 家康公…
岡崎公園内、岡崎城天守閣の袂にある「八千代本店」です。 地元の八丁味噌と備長炭で焼き上げた「木の芽田楽」は、絶品です。家康公も愛されたとか。 八千代は、創業1…
天文11年(1542)12月26日、岡崎城内で神君家康公が生誕されました。時あたかも、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝承もあります。 産…
岡崎城天守閣の脇に鎮座する「龍城(たつき)神社」です。家康と忠勝を祀っています。 家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝承が残…
世に有名な神君家康公の「しかみ像=三方ヶ原戦役画像」の石像です。 浜松城を出て三方ヶ原で信玄軍に挑み、大敗を喫しつつ、自戒の念を忘れないようにと絵師に描かせた…
岡崎城内に建つ「本多忠勝像」です。本多忠勝は、天文17年(1548)、岡崎生まれです。 忠勝(通称:平八郎)は「徳川四天王」のひとり。「家康に過ぎたるものが二…
「神君家康公御出生の岡崎城」です。家康公は、天文11年(1542)岡崎城内で生まれました。6歳から他国で人質生活を続けていましたが、永禄3年(1560)の桶狭…
「神君家康公の御出生のお城=岡崎城」です。 家康公は、御誕生から6歳までと20代の頃を、此の御城で過ごされました。乱世の頃で、松平家とその郎党たちは、強力な隣…
岡崎松平家菩提寺「大林寺(浄土宗西山深草派)」です。岡崎城の北にあります。 明応2年(1493)に松平光重が、明大寺にて創建しました。享禄3年(1530)に松…
彼方此方で、家康像を見ます。東京は江戸東京博物館裏で、静岡は駿府城内で、浜松は浜松城内で。 大樹寺境内にある家康像は、これです。 ポーズは、良く見るポーズ。お…
松平家・徳川家の菩提寺として世に名高い「成道山松安院大樹寺」です。文明7年(1475)松平4代親忠(家康から6世の祖)の創建です。将軍のことを「大樹」といいま…
豊橋は、海山の食材に恵まれ、食事が美味しい街でした。宿泊したホテル内のレストラン「穂のはな」で、「松茸釜飯会席」を戴きます。(時期は、10月下旬) 魚介類は、…
「高岡御車山会館」の直ぐ近くに、タカジアスターゼ・アドレナリンを発明・発見し世界の医学・薬学界に貢献した「高峰譲吉の生誕地」があります。譲吉は1歳まで、此処で…
山町筋を更に進みます。富山銀行本店のはす向かいに「高岡御車山会館」があります。1年中「高岡御車山祭」を味わえる、とても贅沢なプレミアム・スポットです。 「高岡…
「土蔵造りの町並み(山町筋)」の真ん中あたりに「室崎琴月生誕の家(室崎家)」が残されています。琴月は、大正10年に「夕日」を作曲しました。「夕日」は♬ギンギン…
「滝の白糸文学碑」から、もう1筋奥へ。土蔵造りの町並みが現れます。「山町筋」です。明治後期の高岡大火の後に建てられた土蔵造りの旧家が立ち並びます。「重要伝統的…
電停通り(片原町)へ出ると、「滝の白糸の文学碑」があります。泉鏡花の名作「義血侠血(後に川上音二郎により浅草座で上演された際に「滝の白糸」)」の冒頭場面。 秀…
高岡関野神社から高岡大仏へ通じる通り(商店街)を「御旅屋通り」と言いますが、その謂れは、此の「高岡御旅屋」です。江戸時代の初期、加賀藩では、藩主の鷹狩、民情視…
柔和なお顔が特徴です。青銅製の「阿弥陀如来坐像」は、奈良、鎌倉と並ぶ「日本三大仏のひとつ」に数えられます。高岡は、日本有数の鋳物技術を有する都市で、全国の青銅…
奈良時代前の創祀とされ、越中国内唯一の「名神大社」である「射水神社」です。 「名神(みょうじん)大社」とは、律令制下において、「名神祭」の対象となる神々(名神…
加賀藩前田家第2代:前田利長が隠居城として、高山右近に命じて築城させた「高岡古城」です。利長没後、「一国一城令」に従って廃城とされ、天守閣や櫓があるわけではあ…
高岡駅前にある「大伴家持」像です。 家持は「万葉集」に最多の歌を残し、編者のひとりとも言われています。風景と情感を調和させた繊細な歌風で、代表的な万葉歌人です…
加賀藩前田家第2代藩主:前田利長は、秀吉没後の徳川家台頭の風雲期に、母の芳春院(松)を江戸へ人質に出す一方、加賀藩主の地位を弟の利常に譲り、自らは高岡城にて隠…
最近、「勝興寺」が国宝に指定されましたが、永い間、富山県唯一の国宝建築物として高みにあり続けました。「国宝:高岡山瑞龍寺(曹洞宗)」。加賀藩第2代藩主:前田利…
高岡といえば、この人。加賀前田家第2代:前田利長公です。この像は、国宝:瑞龍寺の参道に立っています。 利長公は隠居後、富山城へ入城しました。ところが、慶長14…
お寺巡りの後は、お寿司です。北陸4県(越=高志の国)福井、金沢、富山、新潟。何れも東京から見れば、お寿司が美味しい町ですが、富山のお寿司は群を抜いているような…
「清源寺」の筋向かいに2寺がありました。まずは「大雲寺(浄土真宗本願寺派)」です。 そして、水掛地蔵(浄行菩薩)さまがいらっしゃる「本証寺」です。水掛地蔵…
光厳寺から少し西へ行くと、入り口に「力強い仁王像」が見えました。「清源寺(曹洞宗)」です。 くっきりした山門で、見過ごしは出来ません。参拝させて戴くことに。 …
富山の市街地に突然に三重塔が現れ、びっくりしました。「春日山光厳寺(曹洞宗)」。富山藩前田家の菩提寺で、当然に、7寺のひとつに選定されています。能登の総持寺の…
円隆寺の西隣にある「浄禅寺(時宗)」です。県内唯一の時宗寺院とのことで、当然ですが、「合寺事件」では7寺院に選定されました。 ご本尊は、「歯吹の阿弥陀如来像(…
富山藩前田家初代:前田利次以降、代々、富山藩前田家の祈願所とされてきた「正覚山円隆寺(天台宗)」です。創建は寛文6年(1666)です。 古来より婦女子の参詣が…
まずは「真興寺(真言宗)」です。明治3年の「合寺事件」では、旧富山藩内の真言宗寺院は、古義・新義派を問わず、此の「真興寺」に合寺されました。 そして、…