「はこだて明治館」の直ぐ前(対面)にある「紫ぜん」です。一軒家の絶品フレンチ。 テーブルも落ち着いています。 ●小エビのマリネ 直ぐ近くの市場から仕入れたとい…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
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「はこだて明治館」の直ぐ前(対面)にある「紫ぜん」です。一軒家の絶品フレンチ。 テーブルも落ち着いています。 ●小エビのマリネ 直ぐ近くの市場から仕入れたとい…
函館ベイエリア地区のランドマークとも言える建物です。はこだて明治館。 明治44年に北海道で初の「箱館郵便局」として建てられた赤レンガ造りの倉庫を利用したショッ…
函館市電の要衝「十字街」に「坂本龍馬記念館」があります。函館で土方歳三ではなく坂本龍馬? 司馬さんが「竜馬がゆく」の「あとがき」に書いておられます。 明治4年…
弘前から函館へ。到着すると、駅前のホテルで荷物を預けて、直ぐ隣りの朝市へ。 江戸時代の北海道(蝦夷地)は、松前藩(10万石格)がある程度でしたが、嘉永6年(1…
羽田空港の滑走路が見える部屋が有るホテル「羽田エクセルホテル東急」のレストラン「フライヤーズテーブル」です。 多くの乗降客が行き交う第2ターミナルビルの2階に…
世界第5位(年間乗降客数:5075万人)にまで大きくなった羽田空港。第1ターミナルから第3ターミナルまであり、少しづつ離れているので、その間を連絡バスで結んで…
私は九州への旅行でも新幹線を使用していますが、東京国際空港が、どのように進化しているのか知りたく、羽田へ出掛けました。一休で検索すると、「羽田エクセルホテル東…
天王洲アイルから新東海橋を渡ると、直ぐ左に「キャプテンズワーフ」があります。新鮮でワイルドな素材を繊細な味付けで戴けるイタリアン・レストランです。 運河に面し…
京浜運河、天王洲運河に囲まれた「天王洲アイル」です。江戸時代の第四台場を中心に、全域が埋立地です。総面積は約22ha。 りんかい線と羽田モノレールがクロスする…
「上野の森美術館」の前にある「天海僧正毛髪塔」です。 南海坊天海と言えば、江戸の都市計画のプランナー兼推進者であり、日光PJのプランナー兼推進者であり、河越・…
上野公園の西郷像の後ろに、ひっそりと残された彰義隊の墓です。三ノ輪の円通寺に小さな彰義隊の墓地がありますが、上野公園には、この1基があるのみ。 司馬さんの「花…
幕末きっての西洋通、佐久間象山が41歳のときに木挽町に開いた兵学塾は、晴海通りの歌舞伎座対面、岩手県のアンテナショップの1筋西にありました。 象山が勝 海舟の…
弘前の次は「函館シリーズ」へ進みますが、一寸、東京の様子を。「銀座、天王洲アイランド、羽田空港」を。 東銀座で、気軽に和食を愉しめるお店を発見しました。歌舞伎…
弘前の郷土料理を食べようと、地元の方々に人気が有る「佐和家」へ。弘前公園にほど近い繁華街にあります。 海鮮中心ですが、肉もあります。リンゴを使ったフレンチとは…
新寺町の寺院は、まだまだ有りますが、最後に「円明寺(浄土真宗)」を。此処の本堂は、浄土真宗寺院では、県内最古(県重宝)と言われています。 明応8年(1499)…
袋宮寺の右隣りにある「一輪山桂光院報恩寺(県重宝、天台宗)」です。明暦2年(1656)に津軽家第4代藩主:津軽信政公が、先代を供養するべく創建した寺院ですが、…
弘前高校の直ぐ隣りに「袋宮寺(たいぐうじ、天台宗、県重宝)」があります。江戸時代は、樋口村(現:弘前市茜町)にある「熊野宮(県重宝)」の別当寺でしたが、神仏分…
繰り返しますが、弘前には「寺町」が2カ所あります。まずは茂森町にある「長勝寺を筆頭とする曹洞宗の33寺院を擁する《禅林街》」そして、弘前高校近くにある「新寺町…
弘前には、「禅林街」以外に「第二寺町」もあります。此方の筆頭寺院は「最勝寺」で、寺領300石を誇ります。そして、最勝寺と同じ敷地であるのが「八坂神社」です。 …
弘前は、教会も目立つ都市です。まずは「日本基督教団弘前教会教会堂(県重宝)」です。 高さ20mのフランスゴシック風の双塔形式で、外観は白のオイルペイント仕上げ…
松江に滞在中、リピートしてしまいました。「珈琲館 京店店」です。京橋川のほとりにあり、蔦の絡まる煉瓦造りの外観は特徴的です。 京橋川を挟んで、「カラコロ工房」…
松江の中心地、京橋川から南へ下る「紺屋小路」。そして、宍道湖へ至る「京屋小路」です。江戸時代に、豪商「京屋萬五郎」の大店があったことから、名が付けられました。…
元日銀の松江支店だったレトロな建物を、観光施設に転用しています。松江の中心地、京橋川のほとりに建つ、存在感ある「カラコロ工房」です。 館内には、和菓子や彫金、…
松江です。 江戸期は、松平家18万6千石の落ち着いた城下町です。松平家は、結城秀康の三男「直政」を藩祖とする「(徳川)家門」の家格を誇りました。 ただ、雨が多…
明治32年鴎外37歳のとき、陸軍第12師団軍医部長として、小倉勤務を命じられました。鴎外は小倉で、アンデルセンの「即興詩人」の翻訳を完成させ、講義、講演会、地…
小倉「京町銀天街」にある「湖月堂本店」です。明治28年創業の老舗。地元のリピータで人気の喫茶室があり、開店前には行列が出来ます。ただ、中は広いので、それほどは…
清張は、明治42年、今の小倉北区に生まれました。昭和25年に、朝日新聞西部本社に勤務する傍ら書いた「西郷札」が週刊朝日の懸賞に入選し、昭和28年には、第28回…
JR九州ステーションホテル小倉内の「八くら」です。 「銘々皿 華会席」を戴きました。季節は暑さの残る10月初旬です。 (先付け)白和え、(お造り)鯛の薄造り、…
小倉の中心街「魚町銀天街」から脇へ入ると、「鳥町食堂街」があります。小倉らしい路地裏のアーケード街です。 戦後すぐの闇市から生まれ、小倉の台所として、庶民の胃…
江戸時代、九州の諸大名は、主要街道(長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道など)を経て小倉/常盤橋へ。常盤橋付近の本陣で宿泊し、門司往還をへて門司の大里湊へ出…
JR小倉駅前ロータリに、「森鴎外京町住居跡碑」が建てられています。 鴎外は、第12師団軍医部長として、明治32年6月から明治35年3月まで小倉に住まいしました…
伊能忠敬は、寛政12年(1800)55歳のときに土地測量を始め、「日本全国の測量と地図の作成」を成し遂げました。 九州では、此処「小倉の常盤橋」から、測量を始…
今も木橋です。九州五街道の起点だった「常盤橋」。九州諸藩の大名は、参勤交代時、此の橋付近の本陣で一泊し、翌日、小倉城門司口から門司の大里湊へ旅立ちました。 細…
小倉城下「常盤橋」は九州五街道の起点で、小倉が、「九州の咽喉地」と言われる所以です。九州五街道のひとつ「中津街道」を扼する小倉城「中津口御門」に有名な「大石」…
小倉城内にある「武蔵と小次郎」像です。 武蔵は、まだ若く精悍な印象の像です。 小次郎も、若い。 武蔵は、自らが編み出した「二刀流」剣法を試すべく、13歳で武者…
池泉回遊式庭園と本格的木造建築の書院造りが楽しめる「小倉城庭園」です。 此処は、小倉の細川時代には「家老の長岡佐渡の屋敷地」であり、小笠原氏の治世下では、藩主…
関門海峡に面した小倉は、「海陸の要衝」として、古くから枢要な地でした。此の地の中心に建築された「小倉城」は、外様の大藩:毛利家を押さえる一方、九州全般に通じる…
北九州の各街道は、小倉を起点としています。 まずは「長崎街道」。黒崎→飯塚→内野→佐賀→長崎。「唐津街道」。若松→芦屋→赤間→博多→唐津。「中津街道」。小倉→…
小倉へ入ります。 小倉は北九州の中心地。江戸時代は、「常盤橋」に九州・五街道の起点があり(江戸で言えば日本橋)、九州エリアの諸大名は、常盤橋周辺の本陣で休泊し…
門司港レトロ地区の中心にある「プレミアホテル門司港」内のイタリアンレストラン「Portone」です。 関門海峡の海の幸、地元産の新鮮な野菜、自家製の手造り生パ…