函館山の麓、基坂を上りきった処は、かつて箱館奉行所や北海道開拓使、渡島支庁などが置かれた道南行政の中心地でした。 もっと昔、松前藩初代藩主:武田信広と津軽から…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
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函館山の麓、基坂を上りきった処は、かつて箱館奉行所や北海道開拓使、渡島支庁などが置かれた道南行政の中心地でした。 もっと昔、松前藩初代藩主:武田信広と津軽から…
基坂の「旧英国領事館」の直ぐ前に「ペリー広場」があり、「ペリー提督来航記念碑」が立っています。 安政元年(1854)に「日米和親条約」が締結され、下田と箱館の…
基坂を上ると左手にあるのが「旧英国領事館(開港記念館)」です。 大正2年の建築の旧外国公館で、英国人設計士の設計建物です。コロニアル様式が採用され、レンガ造り…
函館の西部地区、函館山の麓ですが、坂が沢山あり、函館港・ベイエリアを見下ろしています。最も有名でガイドブックの表紙に出ている坂は「八幡坂」ですが、地図で数えて…
基坂と市電通りの交差点にモスグリーンの壁色が印象的な相馬㈱の社屋が有ります。壁枠など随所にお洒落な装飾が施されており、窓(ドーマー窓)などルネッサンス様式をベ…
ベイエリアの赤レンガ倉庫群から市電通りへ出ると、「函館市文学館」があります。大正10年に旧第一銀行函館支店として建設された、煉瓦及び鉄筋コンクリート造3階建て…
更に進むと、「新島襄ブロンズ像」があります。襄は安中藩士に生まれ、幕府の軍艦操練所で訓練を受けた後、元治元年(1864)に函館から密航しました。 元治元年とい…
七財橋を渡ると、ベイエリア一面に赤レンガ倉庫群が広がっています。「金森赤レンガ倉庫群」で、函館ヒストリープラザ、金森洋物館、BAYはこだて、金森ホールの4つの…
函館ベイエリアの歴史を見つめてきた「七財橋」です。海運業が盛んだった頃、船荷を運ぶために利用された「掘割」と呼ばれる水路に架かっている石造りの橋です。橋の上か…
「はこだて明治館」の直ぐ前(対面)にある「紫ぜん」です。一軒家の絶品フレンチ。 テーブルも落ち着いています。 ●小エビのマリネ 直ぐ近くの市場から仕入れたとい…
函館ベイエリア地区のランドマークとも言える建物です。はこだて明治館。 明治44年に北海道で初の「箱館郵便局」として建てられた赤レンガ造りの倉庫を利用したショッ…
函館市電の要衝「十字街」に「坂本龍馬記念館」があります。函館で土方歳三ではなく坂本龍馬? 司馬さんが「竜馬がゆく」の「あとがき」に書いておられます。 明治4年…
弘前から函館へ。到着すると、駅前のホテルで荷物を預けて、直ぐ隣りの朝市へ。 江戸時代の北海道(蝦夷地)は、松前藩(10万石格)がある程度でしたが、嘉永6年(1…
羽田空港の滑走路が見える部屋が有るホテル「羽田エクセルホテル東急」のレストラン「フライヤーズテーブル」です。 多くの乗降客が行き交う第2ターミナルビルの2階に…
世界第5位(年間乗降客数:5075万人)にまで大きくなった羽田空港。第1ターミナルから第3ターミナルまであり、少しづつ離れているので、その間を連絡バスで結んで…
私は九州への旅行でも新幹線を使用していますが、東京国際空港が、どのように進化しているのか知りたく、羽田へ出掛けました。一休で検索すると、「羽田エクセルホテル東…
天王洲アイルから新東海橋を渡ると、直ぐ左に「キャプテンズワーフ」があります。新鮮でワイルドな素材を繊細な味付けで戴けるイタリアン・レストランです。 運河に面し…
京浜運河、天王洲運河に囲まれた「天王洲アイル」です。江戸時代の第四台場を中心に、全域が埋立地です。総面積は約22ha。 りんかい線と羽田モノレールがクロスする…
「上野の森美術館」の前にある「天海僧正毛髪塔」です。 南海坊天海と言えば、江戸の都市計画のプランナー兼推進者であり、日光PJのプランナー兼推進者であり、河越・…
上野公園の西郷像の後ろに、ひっそりと残された彰義隊の墓です。三ノ輪の円通寺に小さな彰義隊の墓地がありますが、上野公園には、この1基があるのみ。 司馬さんの「花…
松江城が国宝になる「決め手」となる「祈祷札」が発見された「松江神社」です。松江城内の二之丸に鎮座します。 明治10年、旧松江藩有志の面々が、市内楽山に、松平直…
姫路城や大坂城を見慣れると小さく感じますが、歴とした「現存12天守」のひとつ「松江城」です。先般、姫路、彦根、松本、犬山に続き、5番目の「国宝城郭」に昇格しま…
松江城前広場に立つ「堀尾吉晴」像です。吉晴は「築城名人」として知られ、近代城郭としての松江城を築城しました。それまでの出雲の中心は、月山富田城でした。 吉晴は…
松江城主は、堀尾家が2代で京極家が1代で断絶した後、信州松本から松平直政が入封し、目出度く「家門」入りし、そのまま松平家は、幕末まで継続します。 島根県庁前広…
宍道湖畔に佇む老舗旅館「皆実館」です。島崎藤村がいたく気に入り、「いっそ松江のひとにでも、なってしまおうか」と言ったとか。明治21年創業の老舗宿で、確かに、居…
「松江宍道湖畔・文人ゆかりの宿/皆実館」は、明治21年創業で、島崎藤村などの文人も好んで宿泊した名宿です。日本海や宍道湖の珍味を盛り込んだ食事には、定評が有り…
水の都/松江を横切る「大橋川」には、4本の橋が架かっています。宍道湖側から順に、「宍道湖大橋」、「松江大橋」、「新大橋」、「くにびき大橋」です。このうち、最も…
松江市出身の園山俊二氏の代表作「はじめ人間ギャートルズ」の世界をイメージしたオブジェがある「ギャートルズ広場」です。京店商店街の一角にあります。 オブジェは、…
松江の中心地「京店」にある「カラコロ広場」です。京橋川に沿っており、堀川めぐりの船の発着場もあります。大きな日傘が目印です。 広場にある「カラコロ大黒」で…
松江に滞在中、リピートしてしまいました。「珈琲館 京店店」です。京橋川のほとりにあり、蔦の絡まる煉瓦造りの外観は特徴的です。 京橋川を挟んで、「カラコロ工房」…
松江の中心地、京橋川から南へ下る「紺屋小路」。そして、宍道湖へ至る「京屋小路」です。江戸時代に、豪商「京屋萬五郎」の大店があったことから、名が付けられました。…
元日銀の松江支店だったレトロな建物を、観光施設に転用しています。松江の中心地、京橋川のほとりに建つ、存在感ある「カラコロ工房」です。 館内には、和菓子や彫金、…
松江です。 江戸期は、松平家18万6千石の落ち着いた城下町です。松平家は、結城秀康の三男「直政」を藩祖とする「(徳川)家門」の家格を誇りました。 ただ、雨が多…
明治32年鴎外37歳のとき、陸軍第12師団軍医部長として、小倉勤務を命じられました。鴎外は小倉で、アンデルセンの「即興詩人」の翻訳を完成させ、講義、講演会、地…
小倉「京町銀天街」にある「湖月堂本店」です。明治28年創業の老舗。地元のリピータで人気の喫茶室があり、開店前には行列が出来ます。ただ、中は広いので、それほどは…
清張は、明治42年、今の小倉北区に生まれました。昭和25年に、朝日新聞西部本社に勤務する傍ら書いた「西郷札」が週刊朝日の懸賞に入選し、昭和28年には、第28回…
JR九州ステーションホテル小倉内の「八くら」です。 「銘々皿 華会席」を戴きました。季節は暑さの残る10月初旬です。 (先付け)白和え、(お造り)鯛の薄造り、…
小倉の中心街「魚町銀天街」から脇へ入ると、「鳥町食堂街」があります。小倉らしい路地裏のアーケード街です。 戦後すぐの闇市から生まれ、小倉の台所として、庶民の胃…
江戸時代、九州の諸大名は、主要街道(長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道など)を経て小倉/常盤橋へ。常盤橋付近の本陣で宿泊し、門司往還をへて門司の大里湊へ出…
JR小倉駅前ロータリに、「森鴎外京町住居跡碑」が建てられています。 鴎外は、第12師団軍医部長として、明治32年6月から明治35年3月まで小倉に住まいしました…