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プロフィール
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嵯峨野の青竹さんのプロフィール

住所
千代田区
出身
左京区

最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。

ブログタイトル
今週の話題から
ブログURL
https://ameblo.jp/pandausagi37/
ブログ紹介文
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
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305回 / 365日(平均5.8回/週)

ブログ村参加:2011/03/10

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嵯峨野の青竹さんの新着記事

1件〜30件

  • 家康が江戸入府の前夜に宿所とした「鳳凰山天妙国寺」

    南品川にある顕本法華宗別格山「鳳凰山天妙国寺」です。弘安8年(1285)に、日蓮の弟子の天目が創建しました。天正18年(1590)8月(所謂「八朔」)、家康公…

  • 850年創建の古刹「常行寺」

    天台宗の「熊野山常行寺」です。慈覚大師が開基となり、嘉祥3年(850)に創建されたという古刹です。長保年間(999~1003)頃には恵心僧都が住持を務められ、…

  • 時宗「海蔵寺」と浄土宗「願行寺」

    品川宿には、今も多くの寺院が残されています。まずは「海蔵寺」。永仁6年(1298)に創建された遊行寺系の時宗のお寺です。  「投込寺」と呼ばれたほど、多くの無…

  • 越前宰相/忠昌の母が開基「瑞雲山天龍寺」

    京都嵐山ではなく南品川にある「瑞雲山天龍寺」です。越前宰相(3代藩主)忠昌の母/清涼院が開基となり、天正9年(1582)に創建されました。曹洞宗の寺院です。た…

  • 大大名が帰依した「清光院」

    慶長3年(1650)に(熊本藩の支藩である)宇土藩主細川行孝が母の為に創建した「清光院」です。奥平家の大きな墓域もあり、境内は清々しく整備されています。  綺…

  • 約4万7千坪もの境内地を有していた「東海寺」

    3代将軍・家光が深く帰依した正統臨済宗の僧「沢庵宗彭(そうほう)」のために用意した巨刹「東海寺」。寺領は朱印地500石、そして境内地は何と4万7千坪もあったと…

  • 三重塔が美しい「経王山本光寺」

    当寺も「顕本法華系単立寺院」です。もとは真言宗の寺院でしたが、永徳2年(1382)に顕本法華宗の開祖である日什上人が法華宗に改宗しました。 山門付近には、重厚…

  • 顕本法華系の単立寺院「恵日山妙蓮寺」

    「妙蓮寺」といえば、東横線の駅名にもなっている「妙蓮寺」や西陣にある日蓮宗21箇本山の一つ「妙蓮寺」を連想しますが、南品川(新馬場駅前)にも「恵日山妙蓮寺」が…

  • 家康が寺領を寄進した「本栄寺」

    京急「新馬場(しんばんば)」駅前に、日蓮宗の2寺があります。ますは「宝光山本栄寺」です。天正2年(1574)創建ですが、慶長8年に家康が寺領として1000坪を…

  • 品川区内で最古級の木像建築「海徳寺」

    南品川にあり区内で最古級の木像建築と言われる「海徳寺」です。日蓮宗の寺院で、寛延4年(1751)に再建されました。  山号は「自覚山松陽院」です。      …

  • 龍神を祀る南品川総鎮守「荏原神社」

    和銅2年(709)創建になる古社「荏原神社」です。「品川神社」が北品川の、そして当社が南品川の総鎮守社で、元「准勅祭社」でもあります。  源氏、徳川家そして上…

  • かっぱ狛犬がいる「寄木神社」

    慶長年間に創建され、江戸名所図会にも掲載されている「寄木神社」です。「江戸漁業根元之碑」も残されています。     「かっぱ狛犬」と呼ばれ、頭が「皿」になって…

  • 丑・寅年の守り本尊虚空蔵菩薩を祀る「養願寺」

    品川宿で、「虚空蔵菩薩(人の願いを叶えるための智慧や知識を与えてくれる菩薩)」を祀る「養願寺」です。「虚空蔵菩薩」は「丑・寅年の守り本尊」と言われています。 …

  • 井伊直弼が創建した「一心寺」

    安政2年(1855)に、時の大老井伊直弼が、国家鎮護、町民の繁栄などを祈願し、成田山から「不動明王」を勧請して創建しました。東海道「品川宿」の商店街の中にあり…

  • 桂昌院の帰依深かった「法禅寺」

    京都の青果店に生まれながら、その美貌を活かし3代将軍家光側室に、更に5代将軍綱吉生母にまで上り詰めたお玉さん。「玉の輿」という言葉を創り、親孝行な息子(綱吉)…

  • 伊豆長八の鏝絵が残る「品川宿/善福寺」

    伊豆長八作の鏝絵が残る品川宿の「善福寺」です。伊豆長八は、幕末から明治期に掛けて活躍した鏝絵(漆喰彫刻)作家。関東地方で作品を残したので、関東大震災で壊滅的打…

  • 東京に存在する唯一の鯨塚「利田神社」

    広重の浮世絵「東海道五十三次」などを見ると、品川宿は、海に面していたことが良く判ります。此処「利田神社」に今も残る「鯨塚」。寛政10年に地元の漁師たちが捕獲し…

  • 江府の喉口と呼ばれた「品川宿」

    新しい年を迎え、皆さまお元気のことと存じます。新年には成りましたが、なかなか外出がままならない状況なので、今暫くは、ここ数年間の「取り置き写真」で、ご容赦下さ…

  • 【恒例】東京国際フォーラムの歳末デコレーション

    静かに暮れゆく2020年。今年は(特に前半は)殆ど寺社参拝が出来ず、嵯峨野の青竹を名乗りながらも、一度も上洛が叶いませんでした。数年間に蓄積していた写真でカウ…

  • 歳末の「福徳神社」と「薬祖神社」

    日本橋室町の再開発エリアの真ん中に鎮座する「福徳神社/芽吹稲荷」です。社殿が整備されたのは最近ですが、そもそも、清和天皇の御世「貞観年間(9世紀)」と言われて…

  • 船橋宿の入口にあった「西向地蔵尊」

    江戸時代は、成田街道最大の宿場町だった「船橋宿」。その入口にあった「西向地蔵尊」です。此処では、地蔵尊像、阿弥陀如来像、聖観音像が、西の浄土を向いています。も…

  • 太宰が愛した船橋の借家の庭にあった「夾竹桃」

    昭和10年6月。パピナール中毒で入院していた経堂病院を退院した太宰は、療養のために、船橋に転居しました。それまでは学生や書生だった太宰が、曲がりなりにも一戸を…

  • 見事な大公孫樹「覚王寺」

    此処も、その一つで「長命山金剛院覚王寺」といいます。船橋市本町にあり、気持ち良く参拝出来る寺院です。 室町時代後半の開創と言われ、江戸時代(寛文から元禄期に掛…

  • 船橋「不動院」門前の釈迦石仏

    成田街道の中核的宿場町だった船橋。街道を少しずれると、今も、良き寺社が多く残されています。「不動院」も、その一つ。   文政7年(1824)の漁場を巡る猫実村…

  • 明治天皇「船橋行在所」跡

    明治天皇が千葉県へ来られたのは、明治6年4月29日から5月1日までが最初でした。習志野で行われた近衛兵の閲兵が目的でした。 そして、初日に昼食を摂られた場所が…

  • 絶妙の創作イタリアン「Farsi Largo!」

    かつての日本橋室町は、日銀に近いこともあり、銀行街で、休日はひっそりしていましたが、近年、三井不動産の再開発が進み(コレド室町など)賑わいが戻ってきました。こ…

  • 日本最大級の本の博物館「東洋文庫」

    日本最大の財閥Gである三菱G。美術館・博物館の分野でも、丸の内の「三菱一号館美術館」、世田谷の「静嘉堂文庫美術館」の他、本駒込に「東洋文庫」を所有しています。…

  • 六義園正門前の「アンパンマン像」

    六義園の正門前に、アンパンマンと仲間たちが勢揃い。  「フレーベル館」の本社です。  此の像が、看板の役割をしているようです。  本とグッズを揃えています。 …

  • 錦秋の大名庭園「六義園」(その2)

    綱吉没後の吉保の「出所進退」は見事なものでした。多くの寵臣がスポンサーが亡くなると左遷もしくは改易されるなかで、吉保は「さっさと隠居」し家督を子息の吉里に譲り…

  • 錦秋の大名庭園「六義園」(その1)

    5代将軍の御側用人として大老並みの権力を有した「柳澤吉保」の下屋敷として整備された「六義園」です。当時は将軍の御成りも度重なった由緒ある大名庭園です。此の秋は…

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