大垣城の直ぐ東。水都大垣らしい空間が整備されています。 「名水大手いこ井の泉」と呼ばれています。 安定して水が自噴できるよう、周りの地盤から約1.5m掘り下…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
大垣城の直ぐ東。水都大垣らしい空間が整備されています。 「名水大手いこ井の泉」と呼ばれています。 安定して水が自噴できるよう、周りの地盤から約1.5m掘り下…
大垣城の西門前に建っている「戸田氏鉄(うじかね)」像です。 大垣藩戸田家では、「一西(かずあき)」を「藩祖」、「氏鉄」を「初代」としています。「初代:氏鉄」か…
関ヶ原の戦い後、慶長6年(1601)上総成戸(現在の山武市)から石川氏が5万石で入府。そして、石川氏は3代、松平氏が2代、岡部氏2代、松平氏1代が続いた後、寛…
大垣城下町は、陸運では美濃路が通り(現在でも西濃運輸がある)水運では船町に川湊があり、水陸とも東西交通の要衝で、人や物の集積地です。 天文4年(1535)に…
大垣城の城門前に鎮座する「常葉(ときわ)神社」です。藩祖を祀る神社で、大垣藩戸田氏の藩祖:戸田一西(かずあき)ほか、戸田氏歴代の藩主を御祭神としています。 大…
「大垣市郷土館」は、昭和60年に、戸田公大垣城入城350年を記念して開館しました。大垣城のある「大垣公園」に隣接し、歴代大垣藩主戸田公を顕彰し、大垣に関する歴…
「全昌寺」の少し東部に、「大垣城西総門(京口門)」がありました。この橋は「京橋」といいます。 水門川が大垣城の外堀で、大垣城の東総門(名古屋口門)が貴船神社の…
「奥の細道むすびの地記念館」の近くにある「全昌寺(曹洞宗」です。 小原鉄心ほか、多くの大垣藩士が眠っています。 戸田氏鉄夫人の大誓院が、叔父にあたる戸田甚…
元禄2年(1689)3月、芭蕉は「奥の細道の旅」に出、奥州から新潟路、北陸路を経て、8月に敦賀から美濃入り。 8月21日に大垣入りしました。 大垣では、北村季…
芭蕉が初めて大垣を訪ねたのは、貞享元年(1684)に「野ざらし紀行」の旅のときでした。 この時以降、芭蕉は大垣を何度も訪問し、俳友とも旧交を温めています。 芭…
延宝4年(1680)、芭蕉は、深川の自らの庵に「芭蕉」を1株植え、その芭蕉が茂るように成長したことから、「芭蕉庵」と名付けました。 しかし、2年後の「天和の大…
昼食は、「芭蕉水御膳」を戴ける、「駅前にしき」へ。 季節は5月です。 「芭蕉水御膳」は、大垣の新名物を創ろうと、市と協力して誕生させたメニューです。 大垣の…
大垣藩主:戸田家の菩提寺「円通寺(浄土宗)」です。大垣城の400m程西にあります。 慶長6年(1601)戸田氏鉄が膳所藩主だったときに、膳所にて創建しました…
「水都」として有名な大垣。 街の至る処で「湧水」が見られます。 この街は、豊富な「自噴水」に恵まれています。 木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)流域は、雨の…
当地は天平勝宝元年(749)以降、「大井荘」と呼ばれ「東大寺領」でした。 この「八幡神社」は、その関係で、東大寺の鎮守社である「手向山八幡宮」を勧請し、創設さ…
大垣市保健センター前にある「旧大垣藩校敬教堂跡」です。 孔子像の後ろに「大きなトネリコ」が繁茂しています。 第10代氏彬公のとき、孔子像を祀る「大成殿」を設け…
大垣城は、三成が関ヶ原の戦いの前夜に自らの居城とした程の「要塞堅固な城」で、惣郭には、「七口の門」がありました。 此処は七口のひとつ「東総門(名古屋口)」があ…
水質が良い水が豊富で水運も発達しているので「水都」と呼ばれる大垣。その大垣市が選定した「水都20選」の井戸が、高屋稲荷神社にあります。 大垣駅前にあった「亀…
江戸時代初期の大垣は、舟運と陸運が交わる「東西交通の要衝」として経済発展が著しく、新しい文化が大きく花開く「水の都」でした。 芭蕉に縁が深い俳人も多く存在し、…
水が豊富で奇麗な大垣を象徴するような遺構です。 「掘抜井戸発祥の地」とされています。 天明2年(1782)に岐阜町の「こんにゃく屋」文七が、水門川の川端に、2…
奥の細道むすびの地 大垣「ミニ奥の細道・芭蕉句碑巡り」スタート地点の「愛宕神社と岐阜町道標」
「美濃路/大垣」へ。 「奥の細道むすびの地」としてPR中です。 JR大垣駅からは少し離れていますが、景勝地「住吉燈台と船町港跡」が「国指定名勝:おくのほそ道の…
近鉄「伊勢市」駅から徒歩15分程、勢田川の水運を利用して、戦国末期から江戸・明治にかけて、「伊勢の台所」として、伊勢神宮周辺の「経済・物流の中心地」として、大…
「河邊七種(ななくさ)神社」です。 河崎の中心部にあり、古くから「天王さん」として町のひとに親しまれ、毎年7月中旬の「天王祭」には、街中が祭り一色となり、近在…
江戸時代の伊勢は、大変な消費都市でした。伊勢神宮の参拝客をもてなすための酒類、食料品、衣類などの生活物資や消費財が、上方から此の街(河崎の勢田川河畔)に陸続と…
「近鉄伊勢市駅北口」バス停近くに「山田奉行所」跡があります。 伊勢は重要な地で天領とされ、遠国奉行のひとつである「山田奉行」が設置されていました。 かの大岡忠…
夫婦岩一帯は、「二見興玉神社」の境内です。 その東端には音無山が迫り、海中に夫婦岩(立岩)があり、沖合700mの海中には、「興玉神石(御祭神:猿田彦命の霊跡)…
約2000年前、倭姫命が此の地を訪れたとき、余りにも美しい風景だったので、2度振り返ってご覧になったことから、「二見浦」と名付けられたと言われています。 か…
内宮からCANばすに乗り、二見浦へ。二見浦は、内宮よりむしろ鳥羽に近い位置にあります。 「伊勢シーパラダイス前」で下車し、夫婦岩への参道に設置されたショッピン…
内宮の門前に延びる町が「おはらい町」です。内宮の宇治橋前から猿田彦神社前あたりまで、約800mの参道に、飲食店や土産物店が続きます。 五十鈴川沿いの参道に、約…
天照大御神をお祀りする我が国最尊の「皇大神宮(内宮)」(その2)
天照大御神をお祀りする、我が国で最も尊い宮といわれる「皇大神宮(内宮)」です。 神聖な雰囲気の下、五十鈴川に架かる宇治橋を渡り、玉砂利を踏みながら表参道を進み…
いよいよ「皇大神宮(内宮、ないくう)」です。天照大御神をお祀りする、我が国で最も尊いといわれているお宮です。 五十鈴川の川上に、千年の森に囲まれ、2000年の…
伊勢は、やはり神社が多い土地柄です。伊勢神宮以外にも、神社が、彼方此方に散見されます。 そんななかで、伊勢市駅前に鎮座する「世木(瀬木)神社」を。 外宮の門前…
時々、地方の旅先で、思いがけず素晴らしい(何故かビストロが多い)お店に出会い、「こんなお店が近くにあれば、月に何度も行くのに……。」と無念に思うことがあります…
豊受大神宮(外宮)の域外別宮「月夜見宮」です。 外宮の北御門口から真北へ伸びる「神路通り」を突きあたると鎮座されています。 「神路通り」は「神様の通行される道…
「伊勢神宮」へ参拝しています。 基本ルールは、「外宮」から「内宮」へ。宮域内では、「外宮」は左側通行、「内宮」は右側通行です。 「正宮」です。 社殿の写真は…
新年、明けましておめでとうございます。 本年も、どうか宜しくお願いします。 新年は、最も日本人らしい地のひとつ、「お伊勢さん」への参拝からスタートします。 正…
明治から昭和初期にかけて活躍した詩人で医師の「伊良子清白の住宅兼診療所」が公開されています。 全国を漂泊した清白は、45歳から23年間。此処(鳥羽の小浜)で村…
天正6年(1578)の「第2次木津川口の戦い」。 此の戦いは、信長の織田水軍vs毛利水軍の決戦でしたが、実際は、九鬼水軍vs村上水軍の決戦でした。 第1次木津…
真珠王:御木本幸吉、攻玉社の近藤真琴と並び「鳥羽の三賢人」のひとりに数えられる「門野幾之進」の立派な記念館があります。 幾之進は13歳で故郷:鳥羽を出て、福沢…
遊覧船に乗ってイルカ島へ行く「鳥羽湾めぐりとイルカ島」です。 三ツ島を始めとする島々が浮かぶリアス式海岸の鳥羽湾をめぐる遊覧船の旅。 ミキモト真珠島→鳥羽マリ…
自らの成功の地「ミキモト真珠島」内に建つ「御木本幸吉翁像」です。 大正8年、世界初の養殖真円真珠が、ロンドン市場で販売されました。 関東大震災の翌年、大正13…
その後、真円真珠の養殖実験は困難を極め、半ば諦めかけた時、明治38年、赤潮で85万個の真珠貝はダメになりましたが、現在のミキモト真珠島にて、待望の成功例(真円…
明治26年に、御木本幸吉が世界で初めて真珠養殖に成功した記念の地です。今は、奇麗に整備され、観光島となっています。 「御木本幸吉記念館」です。 幸吉の実家で…
明治26年に御木本幸吉が初めて「真珠の養殖」に成功した「ミキモト真珠島」です。 近鉄特急「鳥羽駅」から「カモメの散歩道」を数分、海岸に沿って歩くと、見えてきま…
御木本幸吉の実家が、伊勢うどんの名店だったことに想いを馳せながら、「七越茶屋」へ。 此処で、伊勢うどんの美味しさを知ることになりました。 ●手こね寿司膳(さざ…
中世、熊野灘と遠州灘の中間に位置する「鳥羽港」は、廻船などの「風待ち港、避難港」として大いに賑わいました。 鳥羽は、戦国時代までは「泊(とまり)」と呼ばれ、醍…
近鉄鳥羽駅から直ぐの「鳥羽水族館」。 日本屈指の巨大水族館で、その飼育数も、日本一と言われています。 巨大な水槽も多く、沢山の魚が悠々と泳いでいます。 日本…
近鉄特急は、名古屋・難波・京都と「伊勢市・宇治山田・五十鈴川・鳥羽」を結んでいます。なので、「伊勢市・維持山田・五十鈴川・鳥羽」は、かなりの「交通利便性」があ…
伊勢路へ。 例年ですと、この時期、年末イルイネーションや東京国際フォーラムの来年の干支人形などを掲載するのですが、今年は、年末・年始を通して「伊勢路」を進めま…
「保和苑」から那珂川の岸エリアへ少し下ります。 常陸秋蕎麦を出す人気の蕎麦店「蕎麦処みかわ」です。 お店の拘りは、「なるべく茨城産の食材を使用すること」。…
元禄時代、光圀が「大悲山保和院桂岸寺」の庭を愛し、「保和園」と命名しました。 今でこそ「保和苑」は、紫陽花の名所として有名ですが、光圀の頃は、名所の「明星ケ池…
幕末期の動乱の水戸藩。 藩主:徳川斉昭が藩政改革を断行し、改革急進派の「天狗党」と反対派穏健派の「諸生党」とが、激しい抗争しました。 元治元年(1864)には…
明治維新の魁となった水戸藩。 藤田東湖を始めとした先覚者の登場もそうですが、水戸烈公と言われた徳川斉昭の藩政改革のもと、尊王攘夷派の「天狗党」と穏健派の「諸生…
「霜月三夜は逃げても詣れ」といわれるほど篤く信仰されている「大悲山保和院桂岸寺」です。 地元では、「谷中の二十三夜尊」と呼ばれています。 水戸藩との関係も…
「霜月三夜は逃げても詣れ」ということわざもあるほど篤く信仰されている「谷中の二十三夜尊」です。 正式には「大悲山保和院桂岸寺」といい、当寺の庭園が「保和苑」で…
JR水戸駅から西へ2Kmほど離れています。那珂川を臨む崖上に「水戸八幡宮」が鎮座しています。 かつては、水戸徳川家の崇拝篤き、水府の総鎮守とされていました。 …
JR水戸駅は、水戸城、弘道館、東照宮などがある北口がメインですが、南口の駅前再開発により、南口にも、近代的なホテルなどの施設が出来ています。 そんななかで、「…
「備前堀」は、「銷魂(たまげ)橋」から「道明橋」へ進みます。「銷魂(たまげ)橋」は、「江戸街道の起点」でもあり、橋の袂には「高札場」も設けられ、藩士の江戸への…
京都では女性の神社として参拝者が多い「市杵姫神社」が、何と、備前堀沿いにも鎮座していました。 水戸の「市杵姫神社」は、大和国高市から勧請されたと言われていま…
朝井まかて「恋歌」の舞台/江戸街道の起点「銷魂(たまげ)橋」
備前堀に架かる橋で「荒神橋」の1本南の橋「銷魂(たまげ)橋」です。 直木賞作家「朝井まかて」さんの長編「恋歌(れんか)」の舞台にもなった橋です。 「恋歌」の…
「伊奈橋」の次に架橋されている「荒神橋」です。 「荒神橋」の袂に鎮座する「三宝荒神/竈神社」です。 「三宝荒神」と称し、旧水戸七社の一でした。水戸城猪山東…
JR水戸駅から少し南郊になりますが、今も水戸市民の「歴史と水辺のプロムナード」として愛されている「備前堀」です。 慶長14年(1609)関東郡代の伊奈忠次によ…
TVの旅番組などでお馴染みの「水戸黄門像」です。JR水戸駅前、ペデストリアンデッキに建っています。 黄門さんが諸国を旅し悪を成敗していくという「水戸黄門漫遊…
水戸城薬医門からの坂を下ると、「水戸黄門神社(義公生誕地)」があります。 光圀(義公)は側室の子で、生母の久子(水戸家家臣谷氏の娘)が妊娠したとき、別の側室の…
家康の第11男:水戸徳川家藩祖「徳川頼房」像です。薬医門(水戸第一高校)から少し下ると「柵町坂下門」があり、其処に建っています。 家康は、関ヶ原の戦い後に生…
近年、水戸城では、「大手門」、「二の丸角櫓」など、復元が相次いでいます。 そんななかで、此の「橋詰門(薬医門)」は、現存する唯一の藩政時代の建造物です。 安土…
「水戸城」は水戸徳川家の居城ですが、藩主が江戸常府であることもあり、その規模は意外に小さいもので、天守閣もなく堀には石垣もありませんでした。 城内は土塁と堀に…
水戸藩第2代藩主:水戸光圀は、歴史書「大日本史」編纂のために、明暦3年(1657)江戸藩邸内に「史局(後の彰考館)」を設け、貞享3年(1686)水戸城内二の丸…
水戸城大手門が、綿密な調査のもとに復元されています。門の寸法や建物の意匠を含め、現存する古写真、絵図などの史資料などを調査研究されました。 構造:木造2階建て…
水戸城大手門前に建つ「徳川斉昭像」です。 斉昭は「烈公」と称される「熱烈な攘夷家」でした。 水戸藩主としては、「藩政改革」を断行しました。ただ、急進…
全国有数の規模を誇る藩校「弘道館」。敷地面積は約17.8haもあり、多くの施設は、失われましたが、まだ、多くの施設を有しています。 「孔子廟」の先の鳥居、そし…
藩校として、全国一の規模を誇る「弘道館」です。正門と正庁、藩主の休息所で諸公子の学問所で、徳川慶喜が謹慎した「至善堂(国の重文)」は、戦災等の被害を免れ、今な…
日本最大規模の藩校で、初春の頃は「梅の名所」でもある「弘道館」です。 「弘道館」は、天保12年(1841)に、藩政改革の一環として、徳川斉昭が創建しました。(…
水戸東照宮の境内には、色々あります。水戸藩初代藩主:頼房公御寄進の「銅灯籠」、斉昭公御考案の日本で最初の戦車「安神車」、水戸城から時刻を知らせた「常葉山の時鐘…
JR水戸駅の西側高台に鎮座する「水戸東照宮」です。 地元では「権現さん」と親しまれていて、元和7年(1621)に、水戸藩初代藩主:徳川頼房(威公)が父である家…
維新の魁となった水戸藩。水戸城下町を散策すると、彼方此方で、維新の群像の像や碑に出会います。 ただし、水戸学は幕末の尊王攘夷派の理論的・精神的支柱となったもの…
天保4年(1833)徳川斉昭は、藩内巡幸の際、此の地を気に入り、庭園を構築することを決意しました。 南に千波湖や緑ケ岡を臨み、遥かに筑波山や大洗の海までも遠望…
「金沢兼六園」、「岡山後楽園」と並び、日本三名園に数えられる「偕楽園」です。 本来は「表門」から入り吐玉泉や大杉森を抜けて好文亭へ向かうコースが、作庭者や徳川…
日本三名園に数えられる「偕楽園」の入口前にある「門のまえ」です。この「門のまえ」を左に向かうと「偕楽園」、右に向かうと「常磐神社」です。 「偕楽園」へ入ると結…
水戸藩第2代藩主:光圀が、明暦3年(1657)に、駒込邸内で始めたとされる「大日本史の編纂事業」は、明治になっても継続され、明治39年に、此処、偕楽園の南崖中…
維新の魁となった水戸藩志士の精神的支柱だった藤田東湖を祀る「東湖神社」です。「常磐神社」の境内に鎮座しています。昭和18年に創建されました。 東湖は、水戸藩内…
水戸へ。 水戸は、徳川御三家のひとつ「水戸徳川家」の本拠地です。確かに、徳川御三家の城下町としての格式はあります。 ただ、水戸徳川家は、尾張徳川家、紀州徳川家…
姫路駅前にある「レストラン アンティーコアルベルゴ」です。 パスタとお肉が美味しいイタリアン・レストランです。 ●小さな前菜 生ハムとチーズ ●本日の8…
正式には「射楯兵主(いたてひょうず)神社」という「播磨国総社」です。 御祭神は、射楯大神(伊太代神)と兵主大神(大己貴命)。 此の大鳥居(兵庫県重文)は、姫路…
姫路城の大手門近く、内堀沿いに鎮座する「姫路護国神社」です。かつては、この右側エリアに、姫路市役所、姫路郵便局、姫路商工会議所などが並ぶ官庁街が構成されていま…
「法隆寺」と共に、平成5年に、日本で最初の世界文化遺産に選定された「姫路城」です。 また、「大天守、西小天守、乾小天守、東小天守、イロハニの渡櫓(附台所)1棟…
立派な山門が見えて来ました。因みに、山門前は、旧国鉄高砂駅の駅前ロータリーで、現在は、ちょっとした広場になっています。春には、多数の桜が咲き誇ります。 此の…
高砂市内にある「高砂町」は、「兵庫県歴史的景観形成地区」に選定された、歴史が息づく美しい街。 日本遺産「荒波を越えた男たちが夢を紡いだ異空間~北前船寄港地・船…
高砂港は、加古川の河口に位置し、加古川舟運と瀬戸内船運の中継地として繁栄しました。 「松右衛門帆布」の発明者として、幕命や藩の依頼による択捉島、函館、鞆の浦…
変わったところでは、新選組隊士:河合耆三郎(きさぶろう)も、高砂の出身です。「工楽松右衛門旧宅」の直ぐ前に、「生誕地の碑」がありました。 此の地は高砂港にも…
「高砂神社」の境内に建つ「工楽(くらく)松右衛門」の像です。 「工楽松右衛門」は、帆船の帆に改良を加え、幕命で択捉島に埠頭を築いた江戸時代の人物ですが、高砂を…
昔の結婚式で必ず謡われた謡曲「高砂」の舞台=「高砂神社」です。 古くは「牛頭天王社」と呼ばれ、御祭神は、「素戔嗚尊、大己貴命、奇稲田姫命」です。 南面する大鳥…
姫路でクラシカル・フレンチ「レストラン サンヴェルジュ・メゾン」
中央に大きな暖炉があり、彫刻された木の柱。アンティークなシャンデリアや絵画など、中世的雰囲気を再現しています。 姫路市紺屋町にある「レストラン サンヴェルジ…
「四国村」の入口にある「わら家」です。江戸時代末期のわら屋根の民家を移築して、さぬきうどんを提供しています。 「四国村」の散策で疲れたひとも、「四国村」の外…
「四国村」の詳報も、いよいよ最終回です。 まずは、「アーチ型橋」です。 かつては、金毘羅街道に沿って架橋されていた「アーチ型橋」ですが、県道の拡張工事に伴い、…
「四国村に移築・再現されている施設」を順次、ご紹介しています。 「大久野島灯台」および「江崎灯台退息所」、「鍋島灯台退息所」、「クダコ島灯台退息所」がある「…
茶堂「遊庵」です。江戸時代末期、伊予国内にあり、地蔵菩薩を祀る、祈りと癒しの場でした。 土間と床張りの一間があり、奥に祭壇を設け、仏様をお祀りしています。 …
「左甚五郎の墓碑」です。 左甚五郎と言えば、江戸時代初期の彫刻の名手で、日光東照宮奥宮の「眠り猫」などの名彫刻で知られています。 ただ、出生地を始め経歴に…
「石畳広場」です。 村の入り口からのメインロード「流れ坂」、彫刻家の「流(ながれ)政之氏の創作」ロードですが、「流れ坂」の最終地点です。 大きな石が敷き詰めら…
「丸亀藩御米蔵」です。 主として米を貯蔵していた、丸亀藩の御用蔵です。かつては、米の積み出しに便利なよう、丸亀港の入り江に面して建っていました。 建物は…
大垣城の直ぐ東。水都大垣らしい空間が整備されています。 「名水大手いこ井の泉」と呼ばれています。 安定して水が自噴できるよう、周りの地盤から約1.5m掘り下…
大垣城の西門前に建っている「戸田氏鉄(うじかね)」像です。 大垣藩戸田家では、「一西(かずあき)」を「藩祖」、「氏鉄」を「初代」としています。「初代:氏鉄」か…
関ヶ原の戦い後、慶長6年(1601)上総成戸(現在の山武市)から石川氏が5万石で入府。そして、石川氏は3代、松平氏が2代、岡部氏2代、松平氏1代が続いた後、寛…
大垣城下町は、陸運では美濃路が通り(現在でも西濃運輸がある)水運では船町に川湊があり、水陸とも東西交通の要衝で、人や物の集積地です。 天文4年(1535)に…
大垣城の城門前に鎮座する「常葉(ときわ)神社」です。藩祖を祀る神社で、大垣藩戸田氏の藩祖:戸田一西(かずあき)ほか、戸田氏歴代の藩主を御祭神としています。 大…
「大垣市郷土館」は、昭和60年に、戸田公大垣城入城350年を記念して開館しました。大垣城のある「大垣公園」に隣接し、歴代大垣藩主戸田公を顕彰し、大垣に関する歴…
「全昌寺」の少し東部に、「大垣城西総門(京口門)」がありました。この橋は「京橋」といいます。 水門川が大垣城の外堀で、大垣城の東総門(名古屋口門)が貴船神社の…
「奥の細道むすびの地記念館」の近くにある「全昌寺(曹洞宗」です。 小原鉄心ほか、多くの大垣藩士が眠っています。 戸田氏鉄夫人の大誓院が、叔父にあたる戸田甚…
元禄2年(1689)3月、芭蕉は「奥の細道の旅」に出、奥州から新潟路、北陸路を経て、8月に敦賀から美濃入り。 8月21日に大垣入りしました。 大垣では、北村季…
芭蕉が初めて大垣を訪ねたのは、貞享元年(1684)に「野ざらし紀行」の旅のときでした。 この時以降、芭蕉は大垣を何度も訪問し、俳友とも旧交を温めています。 芭…
延宝4年(1680)、芭蕉は、深川の自らの庵に「芭蕉」を1株植え、その芭蕉が茂るように成長したことから、「芭蕉庵」と名付けました。 しかし、2年後の「天和の大…
昼食は、「芭蕉水御膳」を戴ける、「駅前にしき」へ。 季節は5月です。 「芭蕉水御膳」は、大垣の新名物を創ろうと、市と協力して誕生させたメニューです。 大垣の…
大垣藩主:戸田家の菩提寺「円通寺(浄土宗)」です。大垣城の400m程西にあります。 慶長6年(1601)戸田氏鉄が膳所藩主だったときに、膳所にて創建しました…
「水都」として有名な大垣。 街の至る処で「湧水」が見られます。 この街は、豊富な「自噴水」に恵まれています。 木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)流域は、雨の…
当地は天平勝宝元年(749)以降、「大井荘」と呼ばれ「東大寺領」でした。 この「八幡神社」は、その関係で、東大寺の鎮守社である「手向山八幡宮」を勧請し、創設さ…
大垣市保健センター前にある「旧大垣藩校敬教堂跡」です。 孔子像の後ろに「大きなトネリコ」が繁茂しています。 第10代氏彬公のとき、孔子像を祀る「大成殿」を設け…
大垣城は、三成が関ヶ原の戦いの前夜に自らの居城とした程の「要塞堅固な城」で、惣郭には、「七口の門」がありました。 此処は七口のひとつ「東総門(名古屋口)」があ…
水質が良い水が豊富で水運も発達しているので「水都」と呼ばれる大垣。その大垣市が選定した「水都20選」の井戸が、高屋稲荷神社にあります。 大垣駅前にあった「亀…
江戸時代初期の大垣は、舟運と陸運が交わる「東西交通の要衝」として経済発展が著しく、新しい文化が大きく花開く「水の都」でした。 芭蕉に縁が深い俳人も多く存在し、…
水が豊富で奇麗な大垣を象徴するような遺構です。 「掘抜井戸発祥の地」とされています。 天明2年(1782)に岐阜町の「こんにゃく屋」文七が、水門川の川端に、2…
田原城の500mほど西北に「池ノ原公園」があります。此処は「史蹟」とされ、渡辺崋山が晩年、罪人として、自殺までの数年を起居した「幽居」があります。 当初、此処…
「田原城」の出丸跡に鎮座する「崋山神社」です。 「蛮社の獄」で蟄居処分を受け切腹した崋山ですが、明治になり、藩政における功労や開国論そのものが再評価され、没後…
「田原城(巴江城)」内に鎮座する「巴江(はこう)神社」です。八坂神社系の神社です。文明12年(1480)に築城された「田原城」ですが、築城当時は周りを海に囲ま…
「田原城下町」へ入ります。 場所を確認します。 伊勢湾の東に三河湾を構成する「知多半島と渥美半島」があり、東にある半島が「渥美半島」です。その中が渥美湾。半島…
豊橋は、食べ物が美味しい地でした。今日は、宿泊したホテルの中華を。 宿泊するホテルでのディナーは、食後直ぐ部屋へ戻れるので、安心です。 【前菜盛り合わせ】蒸し…
江戸時代、東海道五十三次「赤坂宿」エリアは天領で、赤坂代官所が治めていました。治安も良く、遊興の地としても、吉田、御油と主に栄えていました。 赤坂宿の中心エリ…
「長福寺」の少し御油寄りに「関川神社」が鎮座しています。なお、もう少し御油寄りに進むと、有名な「御油の松並木」が広がります。 街道沿いに鎮座する素朴な神社です…
赤坂宿の中ほどに「長福寺(浄土宗)」があります。 長保年間(999~1004)に、此の地の長者の宮路弥太次郎長富が、娘の力寿の為に此の寺を建立し、三河国司:…
往年は、旅籠62軒、家数349戸の繁栄を見た「東海道・赤坂宿」。「参勤交代利用大名数(文政期)」では、中山道=41家に対し、東海道=146家と、東海道が優勢の…
「東海道五十三次」とは言っても、駿府や浜松、掛川、吉田(豊橋)宿のような交通至便の宿場は別として、なかなか電車では行き辛い宿場が殆どです。 そんな中で、吉田宿…
秀吉が総力を結集した「小田原・北条氏攻め」で北条氏が滅び、秀吉は家康を関八州へ移転させます。その後の東海道筋(旧家康領)には、駿府に中村一氏、掛川に山内一豊、…
「岡崎宿二十七曲がり」に沿って建つ「岡崎信用金庫資料館」です。此の日は月曜日で、資料館は生憎お休みでしたが、その外観は本格的なルネッサンス様式で、辺りでも、ひ…
天正18年(1590)家康の関東移封後に岡崎城主に赴任した「田中吉政(関ヶ原の戦いまでの10年間を岡崎城主で)」は、豊臣系大名として、関東の家康に対する備えを…
岡崎城内に建つ「神君家康像」です。「しかみ石像」ではなく、昭和40年に没後350年を記念して建立された銅像です。高村泰正氏の製作で、堂々としています。 家康公…
岡崎公園内、岡崎城天守閣の袂にある「八千代本店」です。 地元の八丁味噌と備長炭で焼き上げた「木の芽田楽」は、絶品です。家康公も愛されたとか。 八千代は、創業1…
天文11年(1542)12月26日、岡崎城内で神君家康公が生誕されました。時あたかも、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝承もあります。 産…
岡崎城天守閣の脇に鎮座する「龍城(たつき)神社」です。家康と忠勝を祀っています。 家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝承が残…
世に有名な神君家康公の「しかみ像=三方ヶ原戦役画像」の石像です。 浜松城を出て三方ヶ原で信玄軍に挑み、大敗を喫しつつ、自戒の念を忘れないようにと絵師に描かせた…
岡崎城内に建つ「本多忠勝像」です。本多忠勝は、天文17年(1548)、岡崎生まれです。 忠勝(通称:平八郎)は「徳川四天王」のひとり。「家康に過ぎたるものが二…
「神君家康公御出生の岡崎城」です。家康公は、天文11年(1542)岡崎城内で生まれました。6歳から他国で人質生活を続けていましたが、永禄3年(1560)の桶狭…