「神君家康公御出生の岡崎城」です。家康公は、天文11年(1542)岡崎城内で生まれました。6歳から他国で人質生活を続けていましたが、永禄3年(1560)の桶狭…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
「神君家康公御出生の岡崎城」です。家康公は、天文11年(1542)岡崎城内で生まれました。6歳から他国で人質生活を続けていましたが、永禄3年(1560)の桶狭…
「神君家康公の御出生のお城=岡崎城」です。 家康公は、御誕生から6歳までと20代の頃を、此の御城で過ごされました。乱世の頃で、松平家とその郎党たちは、強力な隣…
岡崎松平家菩提寺「大林寺(浄土宗西山深草派)」です。岡崎城の北にあります。 明応2年(1493)に松平光重が、明大寺にて創建しました。享禄3年(1530)に松…
彼方此方で、家康像を見ます。東京は江戸東京博物館裏で、静岡は駿府城内で、浜松は浜松城内で。 大樹寺境内にある家康像は、これです。 ポーズは、良く見るポーズ。お…
松平家・徳川家の菩提寺として世に名高い「成道山松安院大樹寺」です。文明7年(1475)松平4代親忠(家康から6世の祖)の創建です。将軍のことを「大樹」といいま…
豊橋は、海山の食材に恵まれ、食事が美味しい街でした。宿泊したホテル内のレストラン「穂のはな」で、「松茸釜飯会席」を戴きます。(時期は、10月下旬) 魚介類は、…
「湊築島弁天社」の創建は、戦国時代といわれています。 天正元年、江北の浅井家滅亡の際、その重臣の浅井与次右衛門が琵琶湖の竹生島明神の「都久夫須麻神社」から、守…
豊橋にある「湊神明社」です。 御祭神は「天照大神」で、地元では「田町の神明様」と呼ばれています。 創建は「白鳳時代(飛鳥と天平の間)」とされています。 伊勢神…
JR蒲郡駅ちかくにある「涼みが杜」です。俊成さんの屋敷跡といわれています。 「大島や 小島がさきの 仏嶋 すずめの森に 恋の松原」と詠まれています。俊成さんが…
竹島への参拝は、長い間、渡船により行われていました。昭和7年に、名古屋在住の滝信四郎氏に拠り、竹島橋が架橋され、楽に参拝出来るようになりました。 氏は、陸側に…
「八百富神社」は、三河国国司であった藤原俊成が、1181年に、琵琶湖の竹生島から「市杵島姫命」を勧請したと言われています。 家康が「会津遠征」に向かう途中に、…
藤原俊成。 言わずと知れた平安末期~鎌倉前期の歌人です。「千載和歌集」の編纂者。かの(百人一首の選者)藤原定家の父であり、冷泉家の祖。 その藤原俊成は、蒲郡の…
浜松から東三河へ入ります。まずは蒲郡から。 蒲郡は、東海道線の新快速で豊橋から1駅。交通至便の地で、そのシンボルとも言える「竹島」は、川端康成を始め多くの文人…
浜松城鬼門鎮護「浜松八幡宮」です。 家康公も、浜松城主のとき、鬼門鎮護、開運招福、武運長久の神様として厚く信仰し、度々参拝したと言われています。 仁徳帝の御世…
「元城町東照宮」から少し東へ行くと、「椿姫観音」があります。悲運の曳馬城主の正室「お田鶴の方」を、地元の方々が丁寧に祀っておられます。 永禄11年(1568)…
出世城と呼ばれる「浜松城」。街の彼方此方にパワースポットが散在しますが、此の「二公像」も人気のスポットです。 実は秀吉も、若い頃、引間に来たと言われています。…
新年、明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願い申し上げます。 家康は永禄11年(1568)三河から遠江へ進出し、引間(曳馬)城へ入城します。そして…
2024年の最後の掲載です。昨年までは、年末には、丸の内などのイルミネションや国際フォーラムの来る年の干支人形を掲載していましたが、今年は、通常の掲載を続けて…
浜松市役所の西側に残る「家康公鎧掛け松」。 此の松は、「三方ヶ原の戦い」に敗れて居城(浜松城)へ逃げ帰った家康が、ようやく安心して鎧を脱いで掛けた伝説の松と言…
永禄5年(1562)、家康は信長と「清須同盟」を結び西の脅威を消滅させると、義元亡き後の今川領への侵攻を開始しました。自身の居城も岡崎城から、引馬(曳馬)城を…
新シリーズ「東三河」へ入ります。浜松から豊橋へ。豊橋を中心に、蒲郡、岡崎、豊川、田原などを巡ります。時期的に年末になり、今年は例年のような丸の内のイルミネショ…
9月に猛暑の中を仙台を訪問し、塩釜(鹽竈)へ足を延ばしました。ところが、旅行初日に早速に「デジカメが壊れ」てしまいました。 なので、残念ながら、此のブログの「…
赤穂藩浅野家の菩提寺「台雲山花岳寺(曹洞宗)」です。浅野家のみならず、赤穂藩を継承した永井家、森家の歴代藩主の菩提寺も務めました。 大石良雄の祖先が眠る「大石…
「義士史跡」が続きます。 「大蓮寺(浄土宗)」で、赤穂浅野家第2代藩主:浅野長友の室「波知の方(戒珠院)」の菩提寺です。 乗蓮社台誉上人により、16世紀に開か…
「萬福寺(真宗大谷派)」です。 当寺には、堀部弥兵衛や不破数右衛門、矢頭右衛門七、大高源吾など多くの赤穂義士の遺墨が保存されています。 本堂です。 元禄15年…
「忠臣蔵郵便局」の少し先に、赤穂藩藩校「博文館」設立に尽力した「赤松滄洲」旧宅跡がありました。 滄洲は江戸期の儒者。京で宇野明霞に学び、折衷学を奉じました。赤…
土佐・高知には「龍馬郵便局」がありましたが、赤穂には「忠臣蔵郵便局」があるとか。 探してみれば、やはり、ありました。 「赤穂忠臣蔵郵便局」です。 土地土地に、…
赤穂城の米蔵跡に建てられた白壁の土蔵風建築物があります。愛称:塩と義士の館。平成元年に建設された「赤穂市立歴史博物館」です。 赤穂の製塩の歴史は、古代に遡りま…
討ち入りの時、吉良邸に響き渡る「山鹿流陣太鼓」。「忠臣蔵」には「山鹿流兵学」が欠かせません。 山鹿素行は、江戸前期の儒学者・兵学者。会津若松生まれ。 9歳で林…
赤穂城大手門から直ぐの、赤穂藩家老屋敷:大石邸です。 此の屋敷は、間口:28間、奥行き:45間5尺、畳数:308畳の豪勢な建物でしたが、享保14年の大火災で焼…
赤穂の製塩業は、余りにも有名ですが、かつての赤穂は、井戸を掘っても塩水が出る(よく言えば、磯の香りがする)土地でした。そこで、千種川を約7Km遡った地で取水し…
赤穂浪士の吉良邸討ち入りを指揮した大石良雄を祀る「大石神社」です。赤穂城の大手門を入って直ぐの場所にあります。右手は、大石良雄邸跡です。 正面参道脇には、四十…
赤穂城は、寛文元年(1661)完成。播磨国には、既に姫路城、明石城、龍野城があり「一国一城令」の例外として築城許可されました。 浅野家は、広島の本家は、秀吉正…
赤穂城は、正保2年(1645)に常陸国笠間から3万3500石で入封した浅野長直が、近藤正純(藩家老・軍学者)に命じ、寛文元年(1661)までの13年を費やし、…
元禄14年(1701)に起こった「赤穂義士事件」は、「忠臣蔵」として、余りにも有名です。赤穂義士の故郷「赤穂城」。姫路城に近いので、やや影が薄いのかも知れませ…
ライトアップされた「世界遺産・姫路城」を一望しつつ食事が出来る「ソラニワ」です。「播州の大地の恵みと新鮮な海の幸を使った和洋折衷料理」が提供されます。 姫路城…
姫路駅前で「万葉牛の炭火焼き」を戴けるイタリアンレストラン「アンティーコアルベルコ」です。 何度かリピートしていますが、やはり美味しい。 ●前菜8種盛り合わせ…
姫路の五軒邸(上寺町)にある「円光寺(日蓮宗、六条門流、旧本山は本圀寺)」です。 文明6年(1474)本乗院日全を開山として創建されました。 慶長7年(160…
やはり五軒邸にある「姫路山正明寺(天台宗)」です。五軒邸は、かつては「上寺町」という町名で、昭和20年の姫路大空襲で一面焼け野原となりましたが、大伽藍が軒を並…
姫路の寺町(五軒邸)にある「妙立寺(顕本法華宗妙満寺派)」です。やはり、昭和20年の姫路大空襲で殆どの伽藍が焼失しましたが、此の山門は焼失を免れました。 格式…
姫路/寺町筋(五軒邸)にある「法華寺(日蓮宗)」です。通称:六条門流播磨本山。かつて六条堀川(現在は山科)にあった大本山六圀寺の末寺です。 境内には、寛延年間…
播州路へ。 播磨は京都に近く大国で、播磨守護職は、武家で最も人気がある官職のひとつでした。一国一城令に関わらず、姫路城を筆頭に、赤穂城、龍野城、明石城など多く…
東京から新幹線で九州へ行くと、筑前、肥前方面の結節点は「博多駅」ですが、豊前、豊後方面への結節点は「小倉駅」です。 そんな訳で、小倉駅から帰京へ。九州での最後…
JR大分駅から真っ直ぐに伸びる中央通り沿いに「大分銀行赤レンガ館(旧二十三銀行本店、旧府内会館、国登録有形文化財)」があります。市内に残る唯一の明治時代の洋風…
万寿寺の直ぐ近くにある「来迎寺(西山浄土宗)」です。 文亀元年(1501)大友氏第18代:親治公が勧請。文忠梵栄上人により開山されました。 浄土宗の由緒ある寺…
大友氏の庇護のもと、豊後の宗教・政治・文化面で重要な役割を果たした「万寿寺(臨済宗)」です。徳治元年(1306年)に大友氏第5代:貞親が創建しました。開山は、…
「大友館」跡の発掘調査は平成10年から始まっているが、館の一辺は200m。館跡の南東部、東西83.6m・南北16m以上の「庭園跡」が発見されています。 池庭に…
豊後王・大友宗麟に出会い、触れて、理解する「南蛮BVNGO交流館」
約400年にわたり豊後を支配した大友氏。「大友氏館跡」は、塀や築地で囲まれ、広さが1辺200mほどもある全国屈指の規模を有する広大な屋敷跡です。 発掘調査の結…
豊後の英雄「大友宗麟公」は大友氏の第21代にあたりますが、大友氏は、初代:大友能直から、実に400年間、豊後国を治めました。 相模国の「大友郷」を領有していた…
好漁場として全国に名を馳せる「豊後水道」。その豊後水道の激しい潮流に揉まれて育った「大分ふぐ(臼杵ふぐ)」は、身が引き締まってぷりぷりの食感が最高です。 此の…
府内城の堀の北側(廊下橋を渡った先)に「松栄神社」が鎮座しています。この場所は、府内城の山里丸があった場所でした。 府内藩松平家第6代:松平近儔(ちかとも)が…
大分の英雄は大友宗麟で、JR大分駅前には大きな像も立っています。そして大分は「府内城を中心とした城下町」です。しかし府内城は大友氏の居城ではなく、大友氏が大分…
大友宗麟の時代には、日本有数の先進地帯だった大分府内。府内城から南へ伸びる「遊歩公園通り」には、広い道路の中央分離帯に「遊歩公園」が整備されています。 そこに…
大分県庁の直ぐ前に「史跡:瀧廉太郎終焉の地」碑が立っています。 瀧廉太郎と言えば、竹田が有名です。竹田は岡藩7万石の城下町として興味ある地で廉太郎が幼少期に過…
臼杵から大分へ戻ります。JR大分駅が再開発され、ひとつの街になっています。屋上には「日本最大級の屋上ひろば」が。 「ぶんぶん広場」あるいは「くろちゃん ぶんぶ…
大友宗麟は、公治2年(1556)本拠地の大分府内城を離れて、新たに築いた「臼杵城(丹生島城)」へ移ります。 なぜ? イエズス会修道士ルイス・デ・アルメイダの記…
公治2年(1556)大友宗麟(義鎮)は、臼杵湾に浮かぶ小島(丹生島)に城を築きました。当時、宗麟は九州6カ国「豊前・豊後、肥前・肥後・筑後・日向の一部、筑前の…
「稲葉家下屋敷」の直ぐ裏に位置する「古都の酒家/海鮮かわ村」です。地元の方たちの厚い支援を受け、既に満席。予約して良かった。 「割烹の味を身近に」をコンセ…
「旧稲葉家別邸(下屋敷、国登録有形文化財)」は、廃藩置県により東京移住した旧藩主(稲葉家)の「臼杵滞在所」として、明治35年に建設された建物です。 江戸時代に…
「稲葉家下屋敷」の解説の前に、「臼杵藩主稲葉氏」について。 稲葉氏は、関ヶ原の戦い後、慶長5年(1600)12月に臼杵へ封入し、江戸時代全時期を通じて臼杵藩主…
臼杵の総鎮守「八坂神社」です。臼杵藩主稲葉候の尊崇厚く、住民からも「祇園様」と親しまれてきました。 苦難の連続の神社です。 もとは奥州磐前の鶴ヶ峰に鎮座してい…
臼杵出身の大作家:野上弥生子さんの記念館があります。99歳で世を去るまで、文筆活動を送った偉業の持主です。 代表作は、「秀吉と利休」、「海神丸」など。記念館は…
江戸時代末期の1868年に臼杵・浜町に建設され、永年、酒屋の久家本店が酒の貯蔵庫として使用されてきた酒蔵です。「久家の大蔵」と呼ばれています。 平成12年に、…
臼杵城下町の大手筋にあたり、臼杵城から本町、畳屋町へ伸びる「八町大路」。元禄14年(1702)に臼杵藩第6代:知通公の時代に「令」が出され、本町・畳屋町で、毎…
手元の「古地図(臼杵城下絵図)」を見ると、臼杵城から臼杵川へ、真っ直ぐに伸びる「八町大路(現:中央通り商店街)」があります。「大手筋」に役割で、永禄期に造営さ…
稲葉家(分家)屋敷跡の直ぐ前にある「仁王山善正寺(浄土真宗本願寺派)」です。 何と言っても、此の素晴らしい鐘楼門です。 寺の創建は慶長7年(1602)。開山は…
寛永5年(1628)~万治3年(1660)の「臼杵城下町の古地図」を見ています。 臼杵城下町は、大友宗麟の構築した市街地をベースに、関ヶ原の戦い後に、郡上八幡…
「二王座歴史の道」には、多くの寺院もあります。 「竹生山善法寺」は、近江佐々木氏ゆかりの「廓玄(かくげん)上人」が鎌倉末期に臼杵末広の地に草創した、九州最古の…
「国の都市景観100選」に選ばれ「歩く歴史博物館」と呼ばれる「二王座歴史の道」。阿蘇山が約9万年前に噴出した凝灰岩で形成された岩丘を削り取った「切通し」で造ら…
臼杵川沿いの大橋寺や龍原寺から右折。国の「都市景観100選」にも選定されている「二王座歴史の道」へ。 「二王座」は、約9万年前の阿蘇山の火山灰(阿蘇溶結凝固岩…
「龍原寺」の対面、臼杵川畔に建つのは「法雲山大橋寺(だいきょうじ、浄土宗西山禅林寺派)」です。 大友宗麟の帰依深く、宗麟婦人「悟真院」殿が祀られている寺院でも…
福良天満宮から少し進むと、「龍原寺(浄土宗)」があります。「臼杵八カ所霊場巡礼参拝の第7番札所」です。 慶長5年(1600)円誉上人により創建されました。 …
宗麟が大分府内から居城を移した「臼杵」へ向かいます。臼杵駅の1つ手前の「上臼杵」駅で下車し、市内の見どころを一巡して、臼杵駅から大分へ戻ることに。 まずは、「…
JR大分駅前、駅正面に立つ「大友宗麟公像」です。キリシタン戦国大名らしい像で、「天正遣欧使節400年記念」として昭和57年に建立されました。富永直樹さんの作品…
大分は、美味しいものの宝庫です。「ふく」などの新鮮な魚介類、豊後牛などなど。 我が家はイカが大好物なので、今日は、「いかや」さんの「いか満腹コース」を戴くこと…
「鉄輪温泉」の「地獄めぐり」から。「かまど地獄」です。 1丁目から6丁目までの地獄があり、バラエティーに富んだ地獄が目白押しで、テーマパークのように愉しみなが…
東京からは、やや遠いですが、日本有数の温泉地「別府」です。「おんせん県」とも称せられる大分県。別府以外にも、多くの温泉が湧出しています。 「地獄めぐり」とは、…
江戸期後期の剣豪、島田虎之助の生誕地の碑が、JR中津駅前にあります。直心影流島田派を名乗りました。 男谷信友、大石進と並ぶ、幕末の三剣士に数えられています。 …
天正15年(1587)に黒田官兵衛により創建された、中津市寺町の「合元寺(通称:赤壁寺)」です。 黒田氏は中津城内で宇都宮氏を討ち、合元寺で待機していた家臣た…
中津市寺町にある「合元寺(通称:赤壁寺」です。 天正15年(1587)に、姫路から官兵衛に従い中津へ来た空誉上人が開山となり、開創されました。 黒田氏の宇都宮…
中津で最も有名なお寺「合元寺」です。黒田官兵衛が開いた寺院ですが、歴史上の事件発生場所として「宇都宮氏の滅亡に繋がる悲劇の寺院」として有名です。 では、宇都宮…
中津で最もユニークなお寺です。「通称:河童寺」と呼ばれ、河童伝説が残る「円応寺」。 享保年間(18世紀)、この寺の住職が境内に現れる河童と問答し、ついには河童…
隣りの「円龍寺(浄土宗)」です。「閻魔さまのお寺」として庶民の信仰を集めています。山門も独特。 閻魔さまは地獄を支配し、死者の生前の罪を裁き、相応の罰を与える…
中津の城下町で、寺町は確りと残っています。中津駅から「福澤諭吉旧宅」へ通じる「福澤通り」の2本東の通りに、多くの寺院が並んでいます。 計画都市である近世の城下…
中津城「松の御殿」跡に鎮座する「中津神社」です。明治16年に、六所神社、丸山神社、稲荷社、蛭子神社、八幡大江神社が合祀し、「中津神社」と改称しました。 毎年7…
中津城内に鎮座する「中津大神宮」です。「豊前国のお伊勢さま」と親しまれています。 明治14年に、伊勢神宮のご分霊を奉迎鎮祭しました。 神明造りの「本殿」、妻入…
黒田如水が天正16年に築城した「中津城」。黒田家の後に入城した細川氏は「小倉城」を本城としたため、「一国一城令」に照らし、存続が危ぶまれました。 ときの老中:…
中津市内をとうとうと流れる「中津川(山国川)」の畔に「中津城」があります。 中津城。 天正16年(1588)に黒田官兵衛が築城した「日本三水城のひとつ」ですが…
「福澤諭吉旧宅」の前面道路を西へ。1Kmほど進むと、中津川に架かる「北門橋」へ出ます。橋の袂には「武家屋敷」跡が。 秀吉の九州平定の後、黒田官兵衛は「中津16…
「福澤諭吉旧宅」にほど近きに「和田公園(和田豊治生誕地)」があります。 和田豊治は、富士紡績や理化学研究所など数十社の創設に貢献し、富士紡績や日華紡績の社長を…
中津市に今も残る「福沢諭吉旧居」です。諭吉が、長崎に遊学するまでの幼年・青年期を過ごした住宅です。 享和3年(1803)築の木造茅葺き平屋建て。僅か13石2人…
「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して 人たるの品位を辱めざるもの、 これを独立自尊の人という」(諭吉の「修身要領」) 諭吉は、天保5年(1835)に堂…
中津へ。 今の中津は大分県の端っこにありますが、「豊前国」の地図を見ると、国の中央近くで、日田(中津)街道と日向街道の分岐点に当たり、小倉城と宇佐八幡宮を結ぶ…
ホテルでの夕食を終え駅前へ出ると、今年も「港町浪漫コンサート」が行われていました。「日本遺産《関門ノスタルジック海峡~時の停車場、近代化の記憶》」を具現化した…
門司港は、関門海峡で獲れた新鮮な魚介類や後背地の豊かな野菜が豊潤で、和洋何もかも美味しい処です。 宿泊した「プレミアホテル門司港」のイタリアンレストランから。…
「はね橋/ブルーウイングもじ」を渡り右手にあるのが「旧門司税関」です。 建物は明治5年の建築で、赤煉瓦造り、木骨構造、瓦葺きです。デザインはルネサンス様式にセ…
眼前に「関門橋」を臨みつつ。 「はね橋:ブルーウイングもじ」を渡ります。全国でも唯一の歩行者専用の「はね橋」です。 定期的に「はね橋」が上がり、下を船が通行し…
最も狭い処で約700m。本州最西端と北九州が「指呼の間」です。此の関門海峡で、古来、「壇ノ浦の戦い」、「馬関戦争」だけではなく、多くの歴史が動いてきました。 …
門司港駅前に建つ「バナナの叩き売り発祥の地」碑です。 門司港は、バナナの叩き売り発祥の地といわれ、今でもイベントで、バナナの叩き売りが行われています。 「門司…
林芙美子は明治36年、門司で生まれました(諸説あり)。 三井俱楽部2階にある「林芙美子記念室」では、林芙美子の生涯と作品を、資料とパネルで紹介しています。 自…
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「神君家康公御出生の岡崎城」です。家康公は、天文11年(1542)岡崎城内で生まれました。6歳から他国で人質生活を続けていましたが、永禄3年(1560)の桶狭…
「神君家康公の御出生のお城=岡崎城」です。 家康公は、御誕生から6歳までと20代の頃を、此の御城で過ごされました。乱世の頃で、松平家とその郎党たちは、強力な隣…
岡崎松平家菩提寺「大林寺(浄土宗西山深草派)」です。岡崎城の北にあります。 明応2年(1493)に松平光重が、明大寺にて創建しました。享禄3年(1530)に松…
彼方此方で、家康像を見ます。東京は江戸東京博物館裏で、静岡は駿府城内で、浜松は浜松城内で。 大樹寺境内にある家康像は、これです。 ポーズは、良く見るポーズ。お…
松平家・徳川家の菩提寺として世に名高い「成道山松安院大樹寺」です。文明7年(1475)松平4代親忠(家康から6世の祖)の創建です。将軍のことを「大樹」といいま…
豊橋は、海山の食材に恵まれ、食事が美味しい街でした。宿泊したホテル内のレストラン「穂のはな」で、「松茸釜飯会席」を戴きます。(時期は、10月下旬) 魚介類は、…
「湊築島弁天社」の創建は、戦国時代といわれています。 天正元年、江北の浅井家滅亡の際、その重臣の浅井与次右衛門が琵琶湖の竹生島明神の「都久夫須麻神社」から、守…
豊橋にある「湊神明社」です。 御祭神は「天照大神」で、地元では「田町の神明様」と呼ばれています。 創建は「白鳳時代(飛鳥と天平の間)」とされています。 伊勢神…
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「八百富神社」は、三河国国司であった藤原俊成が、1181年に、琵琶湖の竹生島から「市杵島姫命」を勧請したと言われています。 家康が「会津遠征」に向かう途中に、…
藤原俊成。 言わずと知れた平安末期~鎌倉前期の歌人です。「千載和歌集」の編纂者。かの(百人一首の選者)藤原定家の父であり、冷泉家の祖。 その藤原俊成は、蒲郡の…
浜松から東三河へ入ります。まずは蒲郡から。 蒲郡は、東海道線の新快速で豊橋から1駅。交通至便の地で、そのシンボルとも言える「竹島」は、川端康成を始め多くの文人…
浜松城鬼門鎮護「浜松八幡宮」です。 家康公も、浜松城主のとき、鬼門鎮護、開運招福、武運長久の神様として厚く信仰し、度々参拝したと言われています。 仁徳帝の御世…
「元城町東照宮」から少し東へ行くと、「椿姫観音」があります。悲運の曳馬城主の正室「お田鶴の方」を、地元の方々が丁寧に祀っておられます。 永禄11年(1568)…
出世城と呼ばれる「浜松城」。街の彼方此方にパワースポットが散在しますが、此の「二公像」も人気のスポットです。 実は秀吉も、若い頃、引間に来たと言われています。…
新年、明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願い申し上げます。 家康は永禄11年(1568)三河から遠江へ進出し、引間(曳馬)城へ入城します。そして…
2024年の最後の掲載です。昨年までは、年末には、丸の内などのイルミネションや国際フォーラムの来る年の干支人形を掲載していましたが、今年は、通常の掲載を続けて…
浜松市役所の西側に残る「家康公鎧掛け松」。 此の松は、「三方ヶ原の戦い」に敗れて居城(浜松城)へ逃げ帰った家康が、ようやく安心して鎧を脱いで掛けた伝説の松と言…
永禄5年(1562)、家康は信長と「清須同盟」を結び西の脅威を消滅させると、義元亡き後の今川領への侵攻を開始しました。自身の居城も岡崎城から、引馬(曳馬)城を…
最近、「勝興寺」が国宝に指定されましたが、永い間、富山県唯一の国宝建築物として高みにあり続けました。「国宝:高岡山瑞龍寺(曹洞宗)」。加賀藩第2代藩主:前田利…
高岡といえば、この人。加賀前田家第2代:前田利長公です。この像は、国宝:瑞龍寺の参道に立っています。 利長公は隠居後、富山城へ入城しました。ところが、慶長14…
お寺巡りの後は、お寿司です。北陸4県(越=高志の国)福井、金沢、富山、新潟。何れも東京から見れば、お寿司が美味しい町ですが、富山のお寿司は群を抜いているような…
「清源寺」の筋向かいに2寺がありました。まずは「大雲寺(浄土真宗本願寺派)」です。 そして、水掛地蔵(浄行菩薩)さまがいらっしゃる「本証寺」です。水掛地蔵…
光厳寺から少し西へ行くと、入り口に「力強い仁王像」が見えました。「清源寺(曹洞宗)」です。 くっきりした山門で、見過ごしは出来ません。参拝させて戴くことに。 …
富山の市街地に突然に三重塔が現れ、びっくりしました。「春日山光厳寺(曹洞宗)」。富山藩前田家の菩提寺で、当然に、7寺のひとつに選定されています。能登の総持寺の…
円隆寺の西隣にある「浄禅寺(時宗)」です。県内唯一の時宗寺院とのことで、当然ですが、「合寺事件」では7寺院に選定されました。 ご本尊は、「歯吹の阿弥陀如来像(…
富山藩前田家初代:前田利次以降、代々、富山藩前田家の祈願所とされてきた「正覚山円隆寺(天台宗)」です。創建は寛文6年(1666)です。 古来より婦女子の参詣が…
まずは「真興寺(真言宗)」です。明治3年の「合寺事件」では、旧富山藩内の真言宗寺院は、古義・新義派を問わず、此の「真興寺」に合寺されました。 そして、…
妙国寺のはす向かいにある「真称寺(浄土真宗本願寺派)」です。 そしてその奥には「来迎寺(浄土宗)」が。明治3年の「合寺事件」では、旧富山藩内の浄土宗寺院が、西…
その隣には「応声寺(浄土真宗本願寺派)」があります。 そして「妙国寺(日蓮宗)」。 富山に反魂丹の製法を伝えた「万代常閑」と全国に販路開拓をした売薬行商人の…
富山寺町(梅沢町)を更に進みます。 「妙伝寺(日蓮宗)」です。長谷川等伯筆の掛け軸「鬼子母神十羅刹女像」が見つかったとされているお寺です。 次に「守長山本陽…
「大乗山蓮華寺(臨済宗国泰寺派)」です。なお明治3年の「合寺事件」では、臨済宗寺院と曹洞宗寺院が「光厳寺」に合寺されました。 御本尊は「釈迦如来」。 元享年間…
大法寺の少し東、もう1筋南に「補陀山海岸寺(曹洞宗)」があります。佐々成政の祈願所として栄えましたが、成政没後の寛政15年(1638)加賀藩3代藩主前田利常の…
元日早々の大地震には驚きました。被害を受けられた方々には、心からお見舞い申し上げます。年末・年始で中断したおりました「富山・高岡シリーズ」を再開させていただき…
新年おめでとうございます。本年も、宜しくお願いします。 今年は、「エスカーレ ホテルモントレ銀座店」のフレンチから。 ●前菜 プティオードブル5種の盛り合わ…
毎年恒例の「干支人形」です。東京国際フォーラムで展示中です。 今年は良い年だった方も、イマイチだった方も どうか、良い新年をお迎え下さい。 1年間。どうもあ…
イルミネーションも、コロナ禍前よりも随分と大人しいものになりました。静かな歳末です。 今年の丸ビルのイルミネーションのテーマは、ディズニーとの協賛で「ウィッシ…
年末・年始の1週間は、東京の様子から掲載します。 まずは、今年3月にグランドオープンした「東京ミッドタウン八重洲」の庭園から。秋も深まり暮れゆく東京駅前です。…
富山城址公園から県庁側へ向かうと、旧神通川の舟橋跡があり、「松川遊覧船」が発着し「常夜灯」が残されています。 約100年前までは、現在の富山市街地は神通川の川…