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テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。

最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。

嵯峨野の青竹
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2011/03/10

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  • 小倉経由帰京へ「JR九州ステーションホテル/八くら」

    東京から新幹線で九州へ行くと、筑前、肥前方面の結節点は「博多駅」ですが、豊前、豊後方面への結節点は「小倉駅」です。 そんな訳で、小倉駅から帰京へ。九州での最後…

  • 市内唯一の明治の洋風建築物「大分銀行赤レンガ館」

    JR大分駅から真っ直ぐに伸びる中央通り沿いに「大分銀行赤レンガ館(旧二十三銀行本店、旧府内会館、国登録有形文化財)」があります。市内に残る唯一の明治時代の洋風…

  • 戦国時代でも広大で華麗「来迎寺」

    万寿寺の直ぐ近くにある「来迎寺(西山浄土宗)」です。 文亀元年(1501)大友氏第18代:親治公が勧請。文忠梵栄上人により開山されました。 浄土宗の由緒ある寺…

  • 豊後の宗教・政治・文化で重要な役割「万寿寺」

    大友氏の庇護のもと、豊後の宗教・政治・文化面で重要な役割を果たした「万寿寺(臨済宗)」です。徳治元年(1306年)に大友氏第5代:貞親が創建しました。開山は、…

  • 京の「花の御所」に倣って造営された「大友館庭園」

    「大友館」跡の発掘調査は平成10年から始まっているが、館の一辺は200m。館跡の南東部、東西83.6m・南北16m以上の「庭園跡」が発見されています。 池庭に…

  • 豊後王・大友宗麟に出会い、触れて、理解する「南蛮BVNGO交流館」

    約400年にわたり豊後を支配した大友氏。「大友氏館跡」は、塀や築地で囲まれ、広さが1辺200mほどもある全国屈指の規模を有する広大な屋敷跡です。 発掘調査の結…

  • 400年間、豊後を治めた大友氏

    豊後の英雄「大友宗麟公」は大友氏の第21代にあたりますが、大友氏は、初代:大友能直から、実に400年間、豊後国を治めました。 相模国の「大友郷」を領有していた…

  • 臼杵も大分もふぐがうまい「ふぐ良」

    好漁場として全国に名を馳せる「豊後水道」。その豊後水道の激しい潮流に揉まれて育った「大分ふぐ(臼杵ふぐ)」は、身が引き締まってぷりぷりの食感が最高です。 此の…

  • 松平氏の氏神「松栄神社」

    府内城の堀の北側(廊下橋を渡った先)に「松栄神社」が鎮座しています。この場所は、府内城の山里丸があった場所でした。 府内藩松平家第6代:松平近儔(ちかとも)が…

  • 廊下橋もある「府内城」

    大分の英雄は大友宗麟で、JR大分駅前には大きな像も立っています。そして大分は「府内城を中心とした城下町」です。しかし府内城は大友氏の居城ではなく、大友氏が大分…

  • ザビエルや伊東マンショもいる「県庁前遊歩公園」

    大友宗麟の時代には、日本有数の先進地帯だった大分府内。府内城から南へ伸びる「遊歩公園通り」には、広い道路の中央分離帯に「遊歩公園」が整備されています。 そこに…

  • 天才音楽家「滝廉太郎終焉の地」

    大分県庁の直ぐ前に「史跡:瀧廉太郎終焉の地」碑が立っています。 瀧廉太郎と言えば、竹田が有名です。竹田は岡藩7万石の城下町として興味ある地で廉太郎が幼少期に過…

  • 夢かなう「ぶんぶん堂」JRおおいたシティー

    臼杵から大分へ戻ります。JR大分駅が再開発され、ひとつの街になっています。屋上には「日本最大級の屋上ひろば」が。 「ぶんぶん広場」あるいは「くろちゃん ぶんぶ…

  • 難攻不落だった「臼杵城(丹生島城)」

    大友宗麟は、公治2年(1556)本拠地の大分府内城を離れて、新たに築いた「臼杵城(丹生島城)」へ移ります。 なぜ? イエズス会修道士ルイス・デ・アルメイダの記…

  • 臼杵と大友宗麟について

    公治2年(1556)大友宗麟(義鎮)は、臼杵湾に浮かぶ小島(丹生島)に城を築きました。当時、宗麟は九州6カ国「豊前・豊後、肥前・肥後・筑後・日向の一部、筑前の…

  • 情緒溢れる臼杵の心落ち着く空間「古都の酒家/海鮮かわ村」

    「稲葉家下屋敷」の直ぐ裏に位置する「古都の酒家/海鮮かわ村」です。地元の方たちの厚い支援を受け、既に満席。予約して良かった。   「割烹の味を身近に」をコンセ…

  • 稲葉家下屋敷(旧稲葉家別邸)」

    「旧稲葉家別邸(下屋敷、国登録有形文化財)」は、廃藩置県により東京移住した旧藩主(稲葉家)の「臼杵滞在所」として、明治35年に建設された建物です。 江戸時代に…

  • 臼杵藩稲葉氏のことども

    「稲葉家下屋敷」の解説の前に、「臼杵藩主稲葉氏」について。 稲葉氏は、関ヶ原の戦い後、慶長5年(1600)12月に臼杵へ封入し、江戸時代全時期を通じて臼杵藩主…

  • 臼杵総鎮守の祇園社「八坂神社」

    臼杵の総鎮守「八坂神社」です。臼杵藩主稲葉候の尊崇厚く、住民からも「祇園様」と親しまれてきました。 苦難の連続の神社です。 もとは奥州磐前の鶴ヶ峰に鎮座してい…

  • 99歳まで文筆活動した「野上弥生子記念館」

    臼杵出身の大作家:野上弥生子さんの記念館があります。99歳で世を去るまで、文筆活動を送った偉業の持主です。 代表作は、「秀吉と利休」、「海神丸」など。記念館は…

  • 壁面にポルトガルの伝統絵「久家の大蔵」

    江戸時代末期の1868年に臼杵・浜町に建設され、永年、酒屋の久家本店が酒の貯蔵庫として使用されてきた酒蔵です。「久家の大蔵」と呼ばれています。 平成12年に、…

  • 市場の入口に設置された「石敢當」

    臼杵城下町の大手筋にあたり、臼杵城から本町、畳屋町へ伸びる「八町大路」。元禄14年(1702)に臼杵藩第6代:知通公の時代に「令」が出され、本町・畳屋町で、毎…

  • 城から伸びる大路「八町大路」

    手元の「古地図(臼杵城下絵図)」を見ると、臼杵城から臼杵川へ、真っ直ぐに伸びる「八町大路(現:中央通り商店街)」があります。「大手筋」に役割で、永禄期に造営さ…

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