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小倉経由帰京へ「JR九州ステーションホテル/八くら」
東京から新幹線で九州へ行くと、筑前、肥前方面の結節点は「博多駅」ですが、豊前、豊後方面への結節点は「小倉駅」です。 そんな訳で、小倉駅から帰京へ。九州での最後…
2024/11/30 01:14
市内唯一の明治の洋風建築物「大分銀行赤レンガ館」
JR大分駅から真っ直ぐに伸びる中央通り沿いに「大分銀行赤レンガ館(旧二十三銀行本店、旧府内会館、国登録有形文化財)」があります。市内に残る唯一の明治時代の洋風…
2024/11/29 01:57
戦国時代でも広大で華麗「来迎寺」
万寿寺の直ぐ近くにある「来迎寺(西山浄土宗)」です。 文亀元年(1501)大友氏第18代:親治公が勧請。文忠梵栄上人により開山されました。 浄土宗の由緒ある寺…
2024/11/28 01:45
豊後の宗教・政治・文化で重要な役割「万寿寺」
大友氏の庇護のもと、豊後の宗教・政治・文化面で重要な役割を果たした「万寿寺(臨済宗)」です。徳治元年(1306年)に大友氏第5代:貞親が創建しました。開山は、…
2024/11/27 01:28
京の「花の御所」に倣って造営された「大友館庭園」
「大友館」跡の発掘調査は平成10年から始まっているが、館の一辺は200m。館跡の南東部、東西83.6m・南北16m以上の「庭園跡」が発見されています。 池庭に…
2024/11/25 01:25
豊後王・大友宗麟に出会い、触れて、理解する「南蛮BVNGO交流館」
約400年にわたり豊後を支配した大友氏。「大友氏館跡」は、塀や築地で囲まれ、広さが1辺200mほどもある全国屈指の規模を有する広大な屋敷跡です。 発掘調査の結…
2024/11/23 01:09
400年間、豊後を治めた大友氏
豊後の英雄「大友宗麟公」は大友氏の第21代にあたりますが、大友氏は、初代:大友能直から、実に400年間、豊後国を治めました。 相模国の「大友郷」を領有していた…
2024/11/22 01:45
臼杵も大分もふぐがうまい「ふぐ良」
好漁場として全国に名を馳せる「豊後水道」。その豊後水道の激しい潮流に揉まれて育った「大分ふぐ(臼杵ふぐ)」は、身が引き締まってぷりぷりの食感が最高です。 此の…
2024/11/21 01:56
松平氏の氏神「松栄神社」
府内城の堀の北側(廊下橋を渡った先)に「松栄神社」が鎮座しています。この場所は、府内城の山里丸があった場所でした。 府内藩松平家第6代:松平近儔(ちかとも)が…
2024/11/20 01:36
廊下橋もある「府内城」
大分の英雄は大友宗麟で、JR大分駅前には大きな像も立っています。そして大分は「府内城を中心とした城下町」です。しかし府内城は大友氏の居城ではなく、大友氏が大分…
2024/11/18 01:18
ザビエルや伊東マンショもいる「県庁前遊歩公園」
大友宗麟の時代には、日本有数の先進地帯だった大分府内。府内城から南へ伸びる「遊歩公園通り」には、広い道路の中央分離帯に「遊歩公園」が整備されています。 そこに…
2024/11/16 01:00
天才音楽家「滝廉太郎終焉の地」
大分県庁の直ぐ前に「史跡:瀧廉太郎終焉の地」碑が立っています。 瀧廉太郎と言えば、竹田が有名です。竹田は岡藩7万石の城下町として興味ある地で廉太郎が幼少期に過…
2024/11/15 01:32
夢かなう「ぶんぶん堂」JRおおいたシティー
臼杵から大分へ戻ります。JR大分駅が再開発され、ひとつの街になっています。屋上には「日本最大級の屋上ひろば」が。 「ぶんぶん広場」あるいは「くろちゃん ぶんぶ…
2024/11/14 01:03
難攻不落だった「臼杵城(丹生島城)」
大友宗麟は、公治2年(1556)本拠地の大分府内城を離れて、新たに築いた「臼杵城(丹生島城)」へ移ります。 なぜ? イエズス会修道士ルイス・デ・アルメイダの記…
2024/11/11 01:37
臼杵と大友宗麟について
公治2年(1556)大友宗麟(義鎮)は、臼杵湾に浮かぶ小島(丹生島)に城を築きました。当時、宗麟は九州6カ国「豊前・豊後、肥前・肥後・筑後・日向の一部、筑前の…
2024/11/10 01:14
情緒溢れる臼杵の心落ち着く空間「古都の酒家/海鮮かわ村」
「稲葉家下屋敷」の直ぐ裏に位置する「古都の酒家/海鮮かわ村」です。地元の方たちの厚い支援を受け、既に満席。予約して良かった。 「割烹の味を身近に」をコンセ…
2024/11/09 01:58
稲葉家下屋敷(旧稲葉家別邸)」
「旧稲葉家別邸(下屋敷、国登録有形文化財)」は、廃藩置県により東京移住した旧藩主(稲葉家)の「臼杵滞在所」として、明治35年に建設された建物です。 江戸時代に…
2024/11/07 01:06
臼杵藩稲葉氏のことども
「稲葉家下屋敷」の解説の前に、「臼杵藩主稲葉氏」について。 稲葉氏は、関ヶ原の戦い後、慶長5年(1600)12月に臼杵へ封入し、江戸時代全時期を通じて臼杵藩主…
2024/11/06 01:41
臼杵総鎮守の祇園社「八坂神社」
臼杵の総鎮守「八坂神社」です。臼杵藩主稲葉候の尊崇厚く、住民からも「祇園様」と親しまれてきました。 苦難の連続の神社です。 もとは奥州磐前の鶴ヶ峰に鎮座してい…
2024/11/05 01:33
99歳まで文筆活動した「野上弥生子記念館」
臼杵出身の大作家:野上弥生子さんの記念館があります。99歳で世を去るまで、文筆活動を送った偉業の持主です。 代表作は、「秀吉と利休」、「海神丸」など。記念館は…
2024/11/04 01:38
壁面にポルトガルの伝統絵「久家の大蔵」
江戸時代末期の1868年に臼杵・浜町に建設され、永年、酒屋の久家本店が酒の貯蔵庫として使用されてきた酒蔵です。「久家の大蔵」と呼ばれています。 平成12年に、…
2024/11/03 01:01
市場の入口に設置された「石敢當」
臼杵城下町の大手筋にあたり、臼杵城から本町、畳屋町へ伸びる「八町大路」。元禄14年(1702)に臼杵藩第6代:知通公の時代に「令」が出され、本町・畳屋町で、毎…
2024/11/02 01:02
城から伸びる大路「八町大路」
手元の「古地図(臼杵城下絵図)」を見ると、臼杵城から臼杵川へ、真っ直ぐに伸びる「八町大路(現:中央通り商店街)」があります。「大手筋」に役割で、永禄期に造営さ…
2024/11/01 01:32
2024年11月 (1件〜100件)
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