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新発田の繁栄は、佐々木三郎盛綱から始まった
新潟から電車で1時間ほどの新発田へ。歴史の宝庫ともいえる土地です。 新発田の繁栄は、源氏の武将:佐々木三郎盛綱から始まったと言われています。佐々木氏は近江の名…
2024/07/31 01:34
中華「慶楽」新潟グランドホテル
新潟では、新潟グランドホテルに宿泊しました。信濃川沿いの落ち着いた、食事も美味しいホテルでした。和食・中華・フレンチと一通り戴きましたので、まずは中華レストラ…
2024/07/30 01:14
最上階の「そらの広場」新潟日報メディアシップ
JR新潟駅から「東大通」を萬代橋の方向へ徒歩10分。「ボトナム通」との交差点に「新潟日報メディアシップ」があります。20階建て、高さ105mの複合ビルです。 …
2024/07/29 01:50
地上125mから日本海、佐渡まで一望「ばかうけ展望室」
「新潟市歴史博物館(みなとぴあ)」の信濃川の対岸に「朱鷺メッセ(新潟コンベンションセンター)」があります。2003年5月にオープンした施設で、ホテル日航新潟、…
2024/07/27 01:55
国の登録文化財に指定されている「旧第四銀行」支店
旧新潟税関の敷地内には、「旧第四銀行住吉町支店」の建物も保存されています。昭和2年に建築された建物で、昭和初期の新古典主義の建築様式として貴重な建物で、200…
2024/07/26 01:43
懐かしい港町新潟を再現した「新潟市歴史博物館みなとぴあ」
明治の開港から150年余の新潟は、全国一~二の流域面積を誇る信濃川、そして阿賀野川という二大河川の河口部に開けた港の街です。10世紀ごろから蒲原津が設けられ、…
2024/07/25 01:22
港の基本施設「新潟税関」
新潟港が開港されたのは明治元年11月とされていますが、新潟運上所(後の税関)が開設され国際港として機能したのは、翌年秋のことでした。新潟運上所は1873年に新…
2024/07/24 01:07
西堀寺町「勝念寺」
新潟のメインストリートを「柾谷(まさや)小路」といい、柾谷小路と西堀通りが交差する処に「NEXT21」という高層ビルが建っています。此処は旧新潟市役所があった…
2024/07/23 01:09
古町の鮨・割烹「丸伊」
新潟沖で寒流と暖流がぶつかる関係もあり、新潟では美味しい新鮮な魚介類が沢山獲れます。新潟は、寿司も美味しい。 新潟で最も古くから開けた街が「古町」。その両側が…
2024/07/22 01:57
萬代橋たもとにある「新潟ブルース」歌碑
かつて「ご当地ソング」なる歌謡曲が流行し、各地の湊町(港町)を舞台にヒット曲が多く誕生しました。「新潟ブルース」も、美川憲一の7枚目のシングルとして1967年…
2024/07/21 01:29
浦賀の歴史がよくわかる「浦賀郷土資料館」
横須賀は、ペリー艦隊来航前は戸数わずか200強の寒村でしたが、明治40年に市制に移行した時には、その人口6万3000人余り。横浜市に次ぐ県内第2の都市となりま…
2024/07/20 01:35
源氏再興を叶えたとも「西叶神社」
此の辺りには大きな蔵が散在しており、江戸時代には廻船問屋街であった、当時の繁栄ぶりを偲ぶことができます。 「西叶神社」の御祭神は応神天皇で、養和元年(1181…
2024/07/19 01:14
浦賀園と呼ばれていた「愛宕山公園」
浦賀園と呼ばれ、明治26年に開園された、横須賀では最古の公園「愛宕山公園」です。咸臨丸出航の碑もあります。 この先の石段を上るので、浦賀港を見下ろす景勝地です…
2024/07/18 01:45
松陰が象山が、広重も宿泊した「徳田屋」跡
黒船が来航し浦賀が江戸湾防衛の最前線になると、浦賀へ来る人が多くなりました。しかし浦賀は宿場ではないので、船乗り以外の旅人の宿泊は禁止。 知人宅に宿泊を依頼し…
2024/07/17 01:06
東西浦賀を3分で結ぶ「渡し船」
天然の良港である浦賀港。入り江が深く入り込んでおり、東西浦賀を行き交う人々の交通手段は重要です。 浦賀に奉行所が設置された頃から、此の「浦賀の渡し舟」は続いて…
2024/07/16 01:58
勝 海舟が水垢離・断食した「東叶神社」
浦賀は古くから港町として栄え、大きく入り江が入り込んでいるため、東西を「渡船」で結んでいます。僅か3分の航路ですが、その渡船で結ばれている2つの「叶(かのう)…
2024/07/14 01:32
浄土宗鎮西派の「東林寺と専福寺」
「東耀稲荷神社」から「東叶神社」へ至る途中、浄土宗鎮西派の2寺があります。 まずは「東林寺」から。 開山は、唱阿上人です。ペリー提督の応接を一手に引受け、地元…
2024/07/13 01:03
東浦賀の繁栄振りが偲ばれる「東耀稲荷神社」
干鰯の交易で栄えた東浦賀の繁栄振りが偲ばれる「東耀稲荷神社」です。創建は天明2年(1782)で食保命(うけもちのかみ)を祀ります。 「東耀稲荷」の名は、隣接す…
2024/07/12 01:44
一世を風靡した浦賀の「干鰯問屋」
東浦賀は、かつて、干鰯(ほしか)問屋が軒を並べる商業の街として栄えていました。干鰯(ほしか)とは、カラカラに干した鰯のことで、関西地方で綿花栽培のための肥料と…
2024/07/11 01:25
曽我兄弟の兄の子息が開基「乗誓寺」
さて舞台は、久里浜から浦賀へ。京急本線の浦賀駅が起点の散策です。 まずは「東教山乗誓寺」です。当寺は、「曽我物語」でお馴染みの曽我兄弟の兄「曽我十郎祐成の子=…
2024/07/09 01:28
「ビストロ・ブルゴーニュ」メルキュールホテル横須賀のディナー
京急「汐入」駅前の再開発ビルの「メルキュールホテル横須賀」の19階にある「ビストロ・ブルゴーニュ」でのディナーです。 窓からは横須賀軍港が一望出来ます。目の前…
2024/07/08 01:11
ペリー上陸地にある「ペリー公園」
嘉永6年(1853)6月3日に浦賀沖が現れたペリー艦隊。武力を背景とするペリーの強硬な態度=艦隊が戦闘態勢を解かず=に、幕府は6日後の6月9日(新暦では7月1…
2024/07/06 01:29
頼朝も参拝した「久里浜住吉神社」
「久里浜天神社」から真っ直ぐに海岸方面へ。「東京湾フェリーターミナル(浜金谷との航路)」の右に、住吉神社が鎮座しています。 約1000年前の創建と伝わる古社で…
2024/07/05 01:24
三浦半島唯一の学問の神様「久里浜天神社」
「日米和親条約」の結果、開港された下田と箱館を見てきた処で、少し遡り、ペリーが最初に訪れた浦賀と久里浜を訪問します。 歴史的事実としては、嘉永6年(1853)…
2024/07/04 01:57
下田の典型的な建築様式「旧澤村邸」
「了仙寺」から「ペリーロード」を南下すると、突き当りが「旧澤村邸」です。旧「下田ドック」の創始者で戦前に旧下田町長も務めた澤村久右衛門氏により、大正4年に建築…
2024/07/03 01:29
日露和親条約が締結された「長楽寺」
「ペリーロード」の脇道を少し上ると「長楽寺(真言宗)」があります。ロシア使節海軍大尉プチャーチンとの交渉の結果、「日露和親条約」が調印された場所です。 安政元…
2024/07/03 01:11
なまこ壁のレトロな街並み「ペリーロード」
「日米和親条約」及び「下田条約」により開港地となった下田ですが、江戸時代、「出船入船3000艘」と言われ、東西を往復する船の「風待ちや避難の寄港地」として繁栄…
2024/07/02 01:58
2024年7月 (1件〜100件)
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