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テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。

最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。

嵯峨野の青竹
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2011/03/10

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  • 新発田の繁栄は、佐々木三郎盛綱から始まった

    新潟から電車で1時間ほどの新発田へ。歴史の宝庫ともいえる土地です。 新発田の繁栄は、源氏の武将:佐々木三郎盛綱から始まったと言われています。佐々木氏は近江の名…

  • 中華「慶楽」新潟グランドホテル

    新潟では、新潟グランドホテルに宿泊しました。信濃川沿いの落ち着いた、食事も美味しいホテルでした。和食・中華・フレンチと一通り戴きましたので、まずは中華レストラ…

  • 最上階の「そらの広場」新潟日報メディアシップ

    JR新潟駅から「東大通」を萬代橋の方向へ徒歩10分。「ボトナム通」との交差点に「新潟日報メディアシップ」があります。20階建て、高さ105mの複合ビルです。 …

  • 地上125mから日本海、佐渡まで一望「ばかうけ展望室」

    「新潟市歴史博物館(みなとぴあ)」の信濃川の対岸に「朱鷺メッセ(新潟コンベンションセンター)」があります。2003年5月にオープンした施設で、ホテル日航新潟、…

  • 国の登録文化財に指定されている「旧第四銀行」支店

    旧新潟税関の敷地内には、「旧第四銀行住吉町支店」の建物も保存されています。昭和2年に建築された建物で、昭和初期の新古典主義の建築様式として貴重な建物で、200…

  • 懐かしい港町新潟を再現した「新潟市歴史博物館みなとぴあ」

    明治の開港から150年余の新潟は、全国一~二の流域面積を誇る信濃川、そして阿賀野川という二大河川の河口部に開けた港の街です。10世紀ごろから蒲原津が設けられ、…

  • 港の基本施設「新潟税関」

    新潟港が開港されたのは明治元年11月とされていますが、新潟運上所(後の税関)が開設され国際港として機能したのは、翌年秋のことでした。新潟運上所は1873年に新…

  • 西堀寺町「勝念寺」

    新潟のメインストリートを「柾谷(まさや)小路」といい、柾谷小路と西堀通りが交差する処に「NEXT21」という高層ビルが建っています。此処は旧新潟市役所があった…

  • 古町の鮨・割烹「丸伊」

    新潟沖で寒流と暖流がぶつかる関係もあり、新潟では美味しい新鮮な魚介類が沢山獲れます。新潟は、寿司も美味しい。 新潟で最も古くから開けた街が「古町」。その両側が…

  • 萬代橋たもとにある「新潟ブルース」歌碑

    かつて「ご当地ソング」なる歌謡曲が流行し、各地の湊町(港町)を舞台にヒット曲が多く誕生しました。「新潟ブルース」も、美川憲一の7枚目のシングルとして1967年…

  • 浦賀の歴史がよくわかる「浦賀郷土資料館」

    横須賀は、ペリー艦隊来航前は戸数わずか200強の寒村でしたが、明治40年に市制に移行した時には、その人口6万3000人余り。横浜市に次ぐ県内第2の都市となりま…

  • 源氏再興を叶えたとも「西叶神社」

    此の辺りには大きな蔵が散在しており、江戸時代には廻船問屋街であった、当時の繁栄ぶりを偲ぶことができます。 「西叶神社」の御祭神は応神天皇で、養和元年(1181…

  • 浦賀園と呼ばれていた「愛宕山公園」

    浦賀園と呼ばれ、明治26年に開園された、横須賀では最古の公園「愛宕山公園」です。咸臨丸出航の碑もあります。 この先の石段を上るので、浦賀港を見下ろす景勝地です…

  • 松陰が象山が、広重も宿泊した「徳田屋」跡

    黒船が来航し浦賀が江戸湾防衛の最前線になると、浦賀へ来る人が多くなりました。しかし浦賀は宿場ではないので、船乗り以外の旅人の宿泊は禁止。 知人宅に宿泊を依頼し…

  • 東西浦賀を3分で結ぶ「渡し船」

    天然の良港である浦賀港。入り江が深く入り込んでおり、東西浦賀を行き交う人々の交通手段は重要です。 浦賀に奉行所が設置された頃から、此の「浦賀の渡し舟」は続いて…

  • 勝 海舟が水垢離・断食した「東叶神社」

    浦賀は古くから港町として栄え、大きく入り江が入り込んでいるため、東西を「渡船」で結んでいます。僅か3分の航路ですが、その渡船で結ばれている2つの「叶(かのう)…

  • 浄土宗鎮西派の「東林寺と専福寺」

    「東耀稲荷神社」から「東叶神社」へ至る途中、浄土宗鎮西派の2寺があります。 まずは「東林寺」から。 開山は、唱阿上人です。ペリー提督の応接を一手に引受け、地元…

  • 東浦賀の繁栄振りが偲ばれる「東耀稲荷神社」

    干鰯の交易で栄えた東浦賀の繁栄振りが偲ばれる「東耀稲荷神社」です。創建は天明2年(1782)で食保命(うけもちのかみ)を祀ります。 「東耀稲荷」の名は、隣接す…

  • 一世を風靡した浦賀の「干鰯問屋」

    東浦賀は、かつて、干鰯(ほしか)問屋が軒を並べる商業の街として栄えていました。干鰯(ほしか)とは、カラカラに干した鰯のことで、関西地方で綿花栽培のための肥料と…

  • 曽我兄弟の兄の子息が開基「乗誓寺」

    さて舞台は、久里浜から浦賀へ。京急本線の浦賀駅が起点の散策です。 まずは「東教山乗誓寺」です。当寺は、「曽我物語」でお馴染みの曽我兄弟の兄「曽我十郎祐成の子=…

  • 「ビストロ・ブルゴーニュ」メルキュールホテル横須賀のディナー

    京急「汐入」駅前の再開発ビルの「メルキュールホテル横須賀」の19階にある「ビストロ・ブルゴーニュ」でのディナーです。 窓からは横須賀軍港が一望出来ます。目の前…

  • ペリー上陸地にある「ペリー公園」

    嘉永6年(1853)6月3日に浦賀沖が現れたペリー艦隊。武力を背景とするペリーの強硬な態度=艦隊が戦闘態勢を解かず=に、幕府は6日後の6月9日(新暦では7月1…

  • 頼朝も参拝した「久里浜住吉神社」

    「久里浜天神社」から真っ直ぐに海岸方面へ。「東京湾フェリーターミナル(浜金谷との航路)」の右に、住吉神社が鎮座しています。 約1000年前の創建と伝わる古社で…

  • 三浦半島唯一の学問の神様「久里浜天神社」

    「日米和親条約」の結果、開港された下田と箱館を見てきた処で、少し遡り、ペリーが最初に訪れた浦賀と久里浜を訪問します。 歴史的事実としては、嘉永6年(1853)…

  • 下田の典型的な建築様式「旧澤村邸」

    「了仙寺」から「ペリーロード」を南下すると、突き当りが「旧澤村邸」です。旧「下田ドック」の創始者で戦前に旧下田町長も務めた澤村久右衛門氏により、大正4年に建築…

  • 日露和親条約が締結された「長楽寺」

    「ペリーロード」の脇道を少し上ると「長楽寺(真言宗)」があります。ロシア使節海軍大尉プチャーチンとの交渉の結果、「日露和親条約」が調印された場所です。 安政元…

  • なまこ壁のレトロな街並み「ペリーロード」

    「日米和親条約」及び「下田条約」により開港地となった下田ですが、江戸時代、「出船入船3000艘」と言われ、東西を往復する船の「風待ちや避難の寄港地」として繁栄…

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