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コトバの試し斬り=(どうぶつ番外物語) https://blog.goo.ne.jp/s1504

斬新な切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設17年目に入りました。

自然と共生しながら、生きてきました。 ここでは4,000字(原稿用紙10枚)程度の短い作品を発表します。 <超短編シリーズ>として、発表中のものもありますが、むかし詩を書いていたこともあり、コトバに対する思い入れは人一倍つよいとおもいます。

正宗の妖刀
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2010/09/26

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  • 替え歌 『センバツV・横浜高校』

    街の灯りがとてもきれいね〈昼の光がとてもきれいね〉ヨコハマブルー・ライト・ヨコハマ〈ヨコハマホワイト・ライト・ヨコハマ〉あなたと二人幸せよ〈選手もファンも幸せよ〉いつものように愛のことばを〈いつものようにVのサインを〉ヨコハマブルー・ライト・ヨコハマ〈ヨコハマ昼の光を・ヨコハマ〉私にくださいあなたから〈私にください市民にも〉歩いても歩いても〈歩かせても打たれても〉小舟のようにわたしはゆれて〈ベイエリアのようにこころはゆれて〉ゆれてあなたの腕の中〈ゆれて選手の腕の中〉足音だけがついて来るのよ〈歓声だけがついて来るのよ〉ヨコハマブルー・ライト・ヨコハマ〈ヨコハマ投打にクレバー・ヨコハマ〉やさしいくちづけもういちど〈うれしいⅤサインもういちど〉<19年ぶり4回目の優勝>替え歌『センバツV・横浜高校』

  • ポエム407 『おいらんそう』

    女郎があるなら花魁もと思ったらなんと花魁草があった北アメリカ原産の多年草だそうだ色とりどりの花を咲かせ花魁の衣装そのものだ春の吉原しゃなりしゃなりと高下駄履いて練り歩くおっとごめんよ女郎花あなたを見ながらうつらうつらの白日夢下司な男を許してくんなましおいらんそう画像は〈季節の花300〉よりポエム407『おいらんそう』

  • 芭蕉の名句㉔ 『小袖も今や土用干し』

    「無き人の小袖も今や土用干し」芭蕉は史上もっとも有名な刀工を念頭にこの句を詠んだ。村正〈むらまさ、初代の生年は文亀元年(1501年)以前)、通称千子村正(せんごむらまさ)は、現在の三重県桑名市で活躍した。千子派は六代以上あり、中でも右衛門尉村正(文亀・永生頃(1501–1521年頃)に活躍)と藤原朝臣村正(大永・天文頃(1521-1555年頃)に活躍)が最大の名工だが、名跡そのものは少なくとも寛文8年(1668年)[まで存続した。歌人の西行に心酔するばかりでなく、切れ味鋭い戦の武器製作の刀工にも思いが及んでいる。芭蕉の時代にはまだ美術品として扱う意識はなくあくまでも武器としての刀で。戦は日常の一端だったのかもしれない。ちなみに小袖は刀工も作業用の衣類として着用した〈当時〉ことから連想し、〈今は〉虫干しの時...芭蕉の名句㉔『小袖も今や土用干し』

  • 新企画『ととのいました』30

    〇「専業主婦」とかけまして「消防署員」とときますそのこころは「どちらも家事〈火事〉が主な仕事」でしょう〇「引っ越し先が決まった後の本棚の本」とかけまして「腹回りがきつくなった礼服」とときますそのこころは「捨てるに捨てられません」〇「オペラ」とかけまして「ワイン酒場」とときますそのこころは「どちらもグラス」が必要でしょう〇「アシスト自転車」とかけまして「野球のポジション」とときますそのこころは「どちらもバッテリーが重要」でしょう〇「アユ解禁」とかけまして「満員電車」ときますそのこころは「どちらも釣り〈吊り〉川〈革〉に目が行く」でしょう新企画『ととのいました』30

  • 俳句川柳20

    〇高安はトップに立つとすぐ負ける〈昨日は美ノ海にしてやられた〉〇春彼岸暑さ寒さも高安天気〇ちょっと待って大の里が言ったわけじゃなし〈プレイバック、プレイバック〉〇千秋楽に誰が笑うか3敗ふたり〈大の里・高安〉〇琴櫻昨日も負けたりギリチョンパ〈カド番は脱しているが〉俳句川柳20

  • 芭蕉の名句㉓ 『青葉若葉』

    「あらたふと青葉若葉の日の光」芭蕉が旅の途中で目にした日光の山々は、初夏のみずみずしい青葉若葉で覆われていたのだろう。奥の細道の初めのころの作で目に映る風景が日の光を受けて輝いていた。もちろん掛詞ではあるが、そうした常套句を陳腐かさせないのが「あらたふと」と敬虔な思いを隠さない芭蕉の率直さであろう。蕉風の基本に数えられる<わび・さび・しおり・ほそみ>などが、旺盛な若葉の生命力のうちから暗喩されている。ものが枯れる前から蕉風を感じてしまうのは、あるいは思い込みかもしれないが芭蕉の影響力と言っても過言ではないだろう。本格的な夏の暑さにさらされる前の初夏を季語とする代表的な名句が日光で詠まれたことは、後世のわれわれにとっても「あらたふと」〈尊い〉ではないだろうか。近代俳句の提唱者・正岡子規の作「柿くへば鐘が鳴る...芭蕉の名句㉓『青葉若葉』

  • 紙上大喜利87 『じじいの時事ばなし』

    〇「おい、高安が大の里に勝って優勝戦線のトップに立ったぞ」「豊昇龍、琴櫻、大の里と3大関を下しての9勝1敗ですから本物ですね」〇「このままいけば悲願の初優勝もありそうだ」「今日の霧島戦がカギですね。突いたり引いたりバランスを崩すのがうまいから土俵際に気を付けないと・・」〇「高安の優勝パレードを見たいなあ。ああ神様、これまでの悲運を全部吹き払ってください」「何度涙を飲んだか、辛すぎましたからね」〇「大の里はまだ甘い、はたきこみで勝とうとする悪い癖がつい出たんだな」「自分でも苦笑いしてましたね」〇「二所ノ関親方〈稀勢の里〉は愛弟子の大の里にも勝たせたいし代貸の高安にも勝たせたいし悩みは深いな」「強い方が勝つ。達観してますよ」〇「高安優勝なら土浦の街は大盛り上がりするんだがな・・」「まだ5日間も残っていますから...紙上大喜利87『じじいの時事ばなし』

  • 記憶に残る掌編小説『桜の樹の下には・・』

    梶井基次郎という作家をご存じだろうか。代表作『檸檬』と書けば思い出していただけると思う。表題作「桜の樹の下には死体が埋まっている」は、その『檸檬』という小説集の中の一編である。梶井基次郎(かじいもとじろう、1901年〈明治34年〉生まれ、1932年〈昭和7年没。20篇余りの小品を残し、文壇に認められてまもなく、31歳の若さで肺結核で亡くなった。感覚的なものと知的なものが融合した簡潔な描写と詩情豊かな文体で死後次第に評価が高まり、今日では近代日本文学の古典のような位置を占めている。日本の自然主義や私小説の影響をうけながらも、詩人的な感覚の作品が多い。梶井基次郎は明治・大正・昭和の名だたる小説家や批評家から、その魅力を語られ賞讃されている。檸檬や「桜の樹の下には死体が埋まっている」は青空文庫で無料で読めるので...記憶に残る掌編小説『桜の樹の下には・・』

  • 芭蕉の名句㉒ 『しばらくは花の上なる・・』

    「しばらくは花の上なる月夜かな」関東地方は3月下旬にはサクラの開花予報が出ている。高めの気温が続けば4月を待たずに満開になる。千鳥ヶ淵や北の丸公園は例年花見の客でごった返す。芭蕉の目の前にはサクラだけがある。今を盛りと咲き誇る桜の花を上空から月が照らしている。季節的にまだ寒さを感じる夜更け、月光を受けて満開の櫻花が輝いている。見る者は芭蕉ただ一人。ワビ-サビの極致である。桜花が輝いているのは月が上空にある間だけ。ほんのしばらくの間は我が世の春だが、やがて月が傾けば輝きも失われる。〈人生の栄華もつかの間のことでいずれ凋落する〉・・芭蕉がそんな感慨を抱いたとは思えないが自然が織りなす風景は人の心をおのずから無常観に導く。日本人なら誰もが感じるであろうワビ-サビの文化である。芭蕉の名句㉒『しばらくは花の上なる・・』

  • 当世呆れ節 17 『備蓄米入札開始』

    〇備蓄米の入札結果はどうなったアーソレソレコメ高騰を抑える決め手と期待を集めたがソレカラドーシタ集荷業者が高値落札を厭わずに入札したので何も変わらない〇備蓄米が出ても店頭〈スーパーなど〉価格は微動もしないアーソレソレ3,900円台の高値どまりのままだソレカラドーシタ泣きを見るのは消費者ばかり〇放出備蓄米には「備蓄米」の表示をしないらしいアーヤレヤレ低温保管で品質劣化がないとの見解だソレカラドーシタ古米・古古米じゃないかと不満を言うやつにゃこまいこというなと突き放す〇農家の方でもせっかく上がった売り渡し価格を維持したいアーソレソレ農機具〈トラクター1,500万円など支払いに追われている〉と理由付けソレカラドーシタ得をするのはコメ供給側だけ当世呆れ節17『備蓄米入札開始』

  • 紙上大喜利86 『じじいの時事ばなし』

    〇「寒い寒いと引きこもっていたらいつの間にか春場所が始まってたな」「へえ、ご隠居も引きこもりするんですか」〇「力士たちはこの寒空にみんな裸で頑張ってる」「裸が商売ですから」〇「豊昇龍は初日から突き出されて牡丹餅横綱のメッキがはがれた」「阿炎の突き押しは威力がありましたね」〇「大の里は連勝、琴櫻は初日に負けてズルズルかと思ったらなんとか踏みとどまった」「今場所はカド番ですから悲壮感がありますね」〇「霧島が小結まで落ちてたとは知らなんだ」「元大関はなかなか再浮上できませんから辛い位置ですね」〇「尊富士は順調だし、高安は下位力士の壁となって本領発揮だな」「ご贔屓力士にも注目ですね」紙上大喜利86『じじいの時事ばなし』

  • 芭蕉の名句㉑ 『岩にしみいる蝉の声』

    「閑さや岩にしみいる蝉の声」この句もよく知られている。奥の細道の中でもトッップ10に数えられる名作だ。若いころ山寺を訪れたことがあるが、岩と樹木で覆われた急な階段を登りつめると遥か下方に今降りたローカル線の駅が見えた。芭蕉が登ったころは階段途中の出店もなかっただろうから、一歩一歩足元を確かめながら登ったのであろう。昇りつめてふと気が付くと全山が蝉の声で揺れるほどだ。それにしても「閑〈しずか〉さや」と言い「岩にしみいる」と受ける表現は芭蕉ならではのものだ。たぶんアブラゼミ〈油蝉〉の大合唱を聞いたのであろうが、全身で感じた音響を岩に吸収させたのちの静かさを<切れ字>で強調している。昔から蝉の種類を特定〈芭蕉が山寺を訪れた季節から推理〉しようとする方も多いが、ぼくは自分の感覚で油蝉と書いた。縁側で昼寝しながら聞...芭蕉の名句㉑『岩にしみいる蝉の声』

  • ポエム406 『仏の座』

    仏の座がやんわり葉を広げる季節になったこの葉っぱに誰が座るんだろう親鸞や日蓮のような布教者だろうかそれとも昨日まで身近にいた家族や友達だろうか〈画像はウィキぺディア〉よりポエム406『仏の座』

  • 俳句川柳 19 『生きていた「森友学園」事件』

    〇森友学園とつじょ闇から浮上する〈モリカケ論争はあの首相の時だった〉〇赤木さん〈近畿財務局〉告発文書開示なる〈大阪高裁により国が敗訴〉〇隠蔽は隠してもペイしないという言葉〈閻魔さん〉〇赤木さん奥さん無念の日々覆り〈やすらう日は来るか〉俳句川柳19『生きていた「森友学園」事件』

  • 芭蕉の名句⑳ 『雲雀より空にやすらふ』

    「雲雀より空にやすらふ峠かな」(ひばりよりそらにやすろうとうげかな)引用した解説によれば、<意味>は峠の風に吹かれていると、下の方から雲雀の鳴く声が聞こえて来た。なんと雲雀より高いところで休息しているのだなあ。雲雀は雀よりやや大きく褐色の地味な色をしているが、鳴き声が良く、高空をさえずりながら飛ぶ。雲雀が鳴く高いところより上で休息しているので、臍〈ほぞ〉峠からの眺望の素晴らしさが暗示されている。その眺望を目の前にした時の愉快な気持ちが「やすらふ」という言い方になっている。峠の頂上まで歩いて来たという旅の心地よい達成感や疲労感まで詠んだ句である。〈注〉臍(ほぞ)峠=奈良県桜井市と吉野郡吉野町との境にある峠。標高467m。上下とも急峻な坂である。ぼくは若い時に桜井市や吉野町の史跡も含め多くの場所を訪ねて出歩い...芭蕉の名句⑳『雲雀より空にやすらふ』

  • 新企画『ととのいました』29

    〇「安売りのポテトチップス」とかけまして「大相撲の懸賞金」とときますそのこころはどちらも「ゴッツァン」です〇「将棋の内藤国夫」とかけまして「にっぽん昔話」とときますそのこころはどちらにも「おゆき〈雪〉という女」が出てきます〇「フキノトウ」とかけまして「時代劇のワキ役」とときますそのこころはどちらも苦みが受けます〇「めじろ」とかけまして「蔦屋重三郎〈NHKドラマ〉での人物」とときますそのこころは読み本〈黄表紙〉に客がいっぱいでどちらも「目白押し」でしょう〇「大谷翔平」とかけまして「ヒロシです」㋨芸人とときますそのこころはどちらも「キャンプに注目」でしょう新企画『ととのいました』29

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