chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
コトバの試し斬り=(どうぶつ番外物語) https://blog.goo.ne.jp/s1504

斬新な切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設17年目に入りました。

自然と共生しながら、生きてきました。 ここでは4,000字(原稿用紙10枚)程度の短い作品を発表します。 <超短編シリーズ>として、発表中のものもありますが、むかし詩を書いていたこともあり、コトバに対する思い入れは人一倍つよいとおもいます。

正宗の妖刀
フォロー
住所
東京都
出身
東京都
ブログ村参加

2010/09/26

arrow_drop_down
  • 俳句川柳 18 『ああ、ウクライナ』

    〇レアメタル採掘拒否もすぐ折れた〈ゼレンスキー大統領〇軍事費のねこばばバレて帳消しか〈バイデン米大統領時代の旧悪〉〇トランプはすかさず付けこみ味方顔〈戦争を止めさせたと吹聴〉〇こっちにもよこせとプーチン利権ねだる〈近々米ソ会談の予定〉〇ドナルドとウラジーミルの脅迫仲間〈ファーストネームで呼び合う仲〉〇ゼレンスキーは正規の大統領選経てないと〈レアメタル得るために非難も〉〇石破ーもトランプの強請〈ゆすり〉に白旗か〈応分の防衛予算なんちゃって〉俳句川柳18『ああ、ウクライナ』

  • 心に残る『幻想小説』2

    ぼくが読んだ幻想小説をもう一編紹介しよう。その作品はニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」である。ニコライ・ヴァシリエヴィチ・ゴーゴリ(1809-1852)は、ロシアに初めてリアリズム文学を確立した人物として知られています。代表作には、「鼻」、「外套」、「検察官」、「死せる魂」などがあり、いずれも独特の人物描写が印象的な作品になっている。「死せる魂」は青空文庫で無料で詠めるのであらすじは省略する。ただ、いかにもロシア文学という登場人物について触れておく。『死せる魂』は、1842年に出版された長編小説である。彼はロシア版のダンテ『神曲』を作り出すつもりだった。1814年に第1部が完成するが、モスクワでは検閲に通らず、翌年サンクトペテルブルクで出版された。本来は第2部も書かれたが、最晩年になってゴーゴリが暖炉に投げ...心に残る『幻想小説』2

  • ポエム405 『タゲリ』

    タゲリという野鳥がいる名前が面白いからいろんなことを想像するこの野鳥は田圃を歩き名ながら足で表面を蹴って水中昆虫を慌てさせ浮き上がったところをウマウマと啄むんだろうな実際はどうなんだろう調べてみるとドンピシャリではなかった北印旛沼や牛久沼では稲刈り後の田起こしした田圃で採餌する足で蹴って虫を啄む手間はいらないすでに用意された餌が狙いの冬鳥だった氷や凍土に覆われる北方からのお客さんだ貴婦人〈冠羽のある〉とも称される美しい鳥だった関東地方では千葉県〈印旛沼〉や茨城県〈牛久沼・涸沼〉で見られ野鳥観察のメッカらしいさて命名の由来はどうなのか足で地面をたたいたり揺するようにしてミミズなどを捕食する日本名のように思いたいが生息地〈北方ユーラシア大陸〉でタゲリ族の名があるはずだ小規模の群れを作り上空から襲い掛かるノスリ...ポエム405『タゲリ』

  • 芭蕉の名句⑲ 『むざんやな』

    「むざんやな甲の下のきりぎりす」タイトルは奥の細道に収められた芭蕉の句「むざんやな甲の下のきりぎりす」から取った。当時は「きりぎりす」は「こおろぎ」をさしていう言葉で現在の「キリギリス」は「はたおり」と呼んだようだ。ここに登場する甲〈かぶと〉は恩人実盛の首に涙した義仲は、多太神社に兜を奉納したという史実が句の背景にある。〈義仲=清和源氏の祖〉また「むざんやな」は謡曲『実盛』の一節「あなむざんやな」を踏まえる。再掲すると句意は「意に添わぬ戦い」に巻き込まれて命を落とした敵将実盛の首に涙した義仲は、小松市〈石川県〉多太神社に兜を奉納した。〈実盛は老いを隠すために白髪を染めて出陣したと伝えられ、そのことが「むざんやな」であり涙を誘う因である〉芭蕉の名句⑲『むざんやな』

  • 俳句川柳 17 『コメ高騰』

    〇白米が恋し懐かしコメ高騰〇居候でなくとも三杯目はそっと出し〇お代わり自由そんな時代もあったのに〈昭和・平成〉〇大盛めしあったればこそ大盛り上がり〈何杯食べたか競い合った〉〇コメ操る流通業者にタックルだ〈ラグビー部員〉〇食レポも味のことより量のこと〇大食い女王流行らぬ時代にトドメ刺す〇植田総裁あなたに追加消費税〈トランプの追加関税に倣って〉〇消費者物価2%〈超え〉維持民殺し〈日銀・政府政策〉〇物価高騰スマホ片手に食品選び〈スーパーマーッケット風景〉俳句川柳17『コメ高騰』

  • 芭蕉の名句⑱ 『あけぼのや』

    「あけぼのや白魚白きこと一寸」この句は「のざらし紀行」に典拠する。「まだほの暗きうちに浜のかたに出でて」との前詞がある。鋭い感覚的な句であり、桑名の東郊、浜の地蔵堂で詠まれた。「白魚」は一般的には春の季語であるが、この句では「白魚一寸」として冬に扱った。初案は「雪薄し・・・・・」であったが、雪の白と白魚の白とで印象が分裂する。後に「雪薄し」の五文字を「明けぼのや」に変えて完成した。優れた解説なのでそのまま披露する。ことさら付け加えることは何もない。芭蕉の句は各方面で研究されていて、二つ三つの解釈を合わせ読むと芭蕉の試行錯誤まで浮き彫りになって興味深い。有名な句でも完成形になるまでには何度か手を入れている。言葉〈感覚〉を大切にする芭蕉ならではの作業である。芭蕉の名句⑱『あけぼのや』

  • ポエム404 『なぜかトニー・ベネットが・・』

    トニー・ベネットの歌も知らないのになぜかニコニコ顔が目に浮かぶ鼻が大きくて声に艶があるから印象深いそうだ「思い出のサンフランシスコ」は大好きだシナトラよりもトニー・ベネットだゆったりしていて懐が深そうだ亡くなったのは残念だが96歳まで長生きしたらしい孫子に囲まれて幸せな人生を送ったと思う晩年にはレデイー・ガガと共演して長老の余裕を示したいい時代だったんだよな1950年代ぼくらにも夢をいっぱい与えてくれたもん<ウェブ画像>ポエム404『なぜかトニー・ベネットが・・』

  • 当世呆れ節 16

    〇兵庫県知事アドバイザーのPR会社に司直の手が入ったアーソレソレ公職選挙法違反の立件ができるのかソレカラドーシタ神戸県警・検察のメンツもあるから何とかするのだろう〇兵庫県知事斎藤さんは相変わらずの平身低頭アーソレソレ一方で裁判に訴え県民の支持受けたと開き直るソレカラドーシタ選挙参謀のPR会社と首突き合わせ総べてはボランティアと言い張ることにする〇一部の主婦や若者の頭にアホウドリが舞い降りたアーヤレヤレ柵の外からガンバツテなんて手を振ってソレカラドーシタヒーロー気取りでカメラにVサイン当世呆れ節16

  • 芭蕉の名句⑰ 『行く春や』

    「行く春や鳥啼き魚の目に涙」あまり知られていない句を二回続けたので今回は誰でも知っているが句の意味がイマイチ理解しづらい作品を取り上げた。この句が読まれた状況は、芭蕉がいよいよ奥の細道の旅に出発するのを俳諧の弟子たちが見送る場面である。この時、芭蕉は40歳だから45歳の没年から考えると最晩年に近い。当時、未開の東北地方〈失礼〉を徒歩で旅するということは命がけであった。そのことを芭蕉も弟子たちもよく知っているから見送りの際の惜別の感情は特別のものであった。行く春「や」と初句切れで「や」を使ったあたりに芭蕉の詠嘆の情が見て取れる。あとは弟子たちの様子を「鳥啼き」「魚の目に涙」と擬人化の表現で詠み下している。旅に出発する段階で誰もが過酷な旅と死の危険を感じている。あらためて当時の旅の困難さを思い知らされる。ゆく...芭蕉の名句⑰『行く春や』

  • 心に残る『幻想小説』

    ぼくが読んだ小説の中でもう一度読んでみたい作品が数編ある。「香水・ある人殺しの物語」はその一つだ。パトリック・ジュースキントの小説で、18世紀のフランスを舞台に展開する物語だ。超人的な嗅覚を持って生まれた孤児ジャン・バチスト・グルヌイユの生涯を描いた作品で、著者の初の小説作品。1985年の刊行以降シュピーゲル紙のベストセラーリストに316週連続で載り続ける記録を打ち立てたほか、46の言語に翻訳され全世界で2000万部以上を売り上げるベストセラーとなった。1987年度世界幻想小説大賞を受賞した。2006年に映画化されているので、そちらで知っている方が多いかもしれない。旧作ではあるが、あらすじを紹介すると興ざめ〈ネタばれ〉なので興味のある方は邦訳のタイトルをもとに取り寄せてみたらいかがだろうか。奇想天外な異能...心に残る『幻想小説』

  • 芭蕉の名句⑯ 『窓の月』

    「盗人に取り残されし窓の月」この句の出典は生涯寺を持たなかった良寛禅師の作に拠る。句意は「盗人はモノにばかり目が行って窓にかかる美しい月は盗んで行かなかったよ」といったところだろうか。子供にも親しまれている良寛さんは生活に不可欠の茶碗ぐらいしか持っていなかったが泥棒はその茶碗まで盗っていった。そんなものまで盗むほど世情は困窮しているのだろうか。良寛さんは自分のことより世の中のことを心配している。それはさておき、禅僧良寛の作は人々の心を掴んでいたのだろう。すでに歌枕として定着していたのかもしれない。芭蕉は良寛の意を受けて「盗り残されし窓の月」の句を残した。貧しい人からもモノを取っていく盗人を咎めるのではなく、盗んでいけなかった窓の月の美しさに禅の神髄を感じ取っていた。良寛といい芭蕉といい、先人の心の在り方は...芭蕉の名句⑯『窓の月』

  • 紙上大喜利85 『じじいの時事ばなし』

    〇「きのうはちゃんと豆撒きしたか」「えっ、ご隠居あっしに言ってるんですか」〇「いや、そっちの青いの二人だ」「それじゃ、やっぱり孫とあっしのことを言ってるんだ・・」〇「おまえ青鬼になって、豆を投げつけられていたじゃないか」「かみさんまで一緒になって豆をぶつけてくるんですから堪りませんよ」〇「我慢しろ、天気予報の兄さんによれば明日になれば立春だ」「節分と立春は同じじゃないんですか。もっとも立春と言っても、今季最強の寒波が来るというじゃないですか」〇「寒波の後ろに春がついてきている」「へっ、ご隠居にsちゃあ気の利いたことをおっしゃいますね」紙上大喜利85『じじいの時事ばなし』

  • 芭蕉の名句⑮ 『万歳』

    「山里は万歳遅し梅の花」芭蕉の作品の中ではあまり知られていない句を取り上げた。三河万歳という伝統芸能は昭和の初めごろまでは残っていた。新年になると各家の戸口に立って縁起のいい万歳を披露し祝い金をもらう。実入りの良い都会を先に回るので辺鄙な山里へやってくるのは梅の花が咲くころになる。ちょうど今頃~3月初旬の時期になろうか、それでも山里の村人は万歳を迎えてめでたい気分を味わうのである。現在では「漫才」は知っていても「万歳」は知る人も少なくなった。ほとんど死語に近くなった。わたくしたちは身の回りからこうした言葉がなくなっていくのを意識することもなく受け入れている。毎年、国語審議会が使われなくなった言葉と新語を入れ替えて発表しているのでニュースなどで話題になることも多い。また、名前に使用できる漢字にも変遷があり、...芭蕉の名句⑮『万歳』

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、正宗の妖刀さんをフォローしませんか?

ハンドル名
正宗の妖刀さん
ブログタイトル
コトバの試し斬り=(どうぶつ番外物語)
フォロー
コトバの試し斬り=(どうぶつ番外物語)

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用