「蛸壺やはかなき夢を夏の月」この句は「笈の小文」からの選定で元禄元年に行った芭蕉の小紀行文には若さというか色気が感じられる。わび・さびに慣れた目にはこの句をはじめとする諸作が眩しく映る。とくに蛸壺の句が好きだ。現代の文芸作品と比べても優れている。芭蕉は若い時も老境になっても色あせない。才能が頭抜けている。6月18日、明け方になっても蒸し暑い。ぼくはこれから眠るから蛸と一緒に「はかなき夢」でも見よう。芭蕉の名句㊱『はかなき夢を夏の月』
斬新な切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設17年目に入りました。
自然と共生しながら、生きてきました。 ここでは4,000字(原稿用紙10枚)程度の短い作品を発表します。 <超短編シリーズ>として、発表中のものもありますが、むかし詩を書いていたこともあり、コトバに対する思い入れは人一倍つよいとおもいます。
その夜、隣人は帰ってこなかった。何があったのだろうと考えて、おれの眠気も吹っ飛んでしまった。明け方になって、とろとろと眠ったようだったが、なんとも不快な気分で目覚まし時計に起こされた。梅割り焼酎のげっぷが突き上げてきた。二日酔いというほどではないが、胃の調子が悪いのは確かだ。湯で薄めた牛乳と共に、胃腸薬を飲んで家を出た。しばらく顔を合わせていなかった紺野が、新たな事務所開設の挨拶を兼ねて、昼前にやってきた。万世橋に格安の貸事務所を見つけたとのことで、紺野はご機嫌だった。もともとの神田一帯のお得意さんにも近いし、秋葉原の電機街から上野周辺までカバーできるということで、前途洋々の展望を語ってひとり悦にいっていた。おれは、内心そんなに旨くいくかよと、紺野の見通しの甘さをあざ笑っていた。いくら場所が好いといっても...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(40)
その日は、午後から大学に行くアルバイトの写植オペレーターと入れ替わりに、懸案の『こども相撲大会』用チラシ作成に取り掛かった。こどもの日の前日、五月四日の縁日を開催日としているから、それほど、のんびりとはしていられない。おれは、レイアウトを考え、写植を打ち、台紙を作り、その夜のうちに貼りこんだ。出来上がった版下を元に、校正用の清刷りを作り、翌日、巣鴨地蔵通り商店会会長宅を訪れた。前もって連絡をしておいたので、『こども相撲大会』の実行委員でもある若手の事務局員が同席して、その場で校正をしてくれた。たいした手直しをすることなく、責任校了にこぎつけた。おれの提案で近隣の小学校までチラシ配布の範囲を広げることになり、受注枚数が大幅に増えた。「うん、よかったね。企画段階からアドバイスできるようになれば、最高だよ」多々...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(39)
なにを言うのかと、不満もあらわに、立会いの係官を振り返った。「しゃべらなくても、会話をしているんです・・」きびしく思いを口にしながら、声を荒げなかったことで、なんとか治まりは付きそうだと直感した。年恰好をみても、看守と呼ばれる職業に就いて、かなりの経験を積んできたはずの男である。制帽の下の表情は判らなかったが、定位置で平然と立っている姿勢からは、おれの言葉に、ことさら反応した様子は見られなかった。むしろ、挑発するぐらいの気持ちで先制打を放ち、面会をコントロールしているのかもしれない。それが彼らの楽しみになっている可能性もあった。おかげで、金縛りがいっぺんに解けた。この場の状況に即して、急に頭が働き始めた。「すみません、もう少し時間をいただけませんか」おれは、言葉を選んで申し立てた。係官はあっさりと認めた。...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(38)
綾瀬駅で降りると、東京拘置所までの道順が矢印で示されていた。降りてみて、初めて、おれの乗ってきた電車が、地下鉄千代田線との共用車両であることを知った。このところ、国鉄と私鉄の相互乗り入れが進んでいて、利用者には便利になったわけだが、むかしの知識や経験にとらわれている者には、すんなりと理解しがたいところもあった。再編を進めて、効率化を図る。世の中、大胆に仕組みを変えて、より利潤を追求していく考え方が、広範に受け入れられつつあった。早い話が、これから向かう東京拘置所だって、巣鴨プリズンとも呼ばれた歴史ある拘置所が廃止されて、ほんの数年前に小菅の地に移転してきたものである。ちょっと油断をしていると、東京裁判の記憶とともに、古びた塀を回らした暗鬱な拘置所の存在そのものまで、忘れ去られそうな雰囲気であった。現に、旧...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(37)
おれは、机の上の原稿をじっと見つめた。紺野は、彼なりの感覚でチラシのレイアウトを考えたのだろうが、きのう暗室で乾燥させていた印画紙を思い出すかぎり、飾り文字の選び方、変形文字の組み合わせ方なども、いかにも平凡で面白みに欠けていた。見出し用の書体ひとつを取ってみても、もっと柔軟に考れば、子供たちの躍動する姿にぴったりのものが選び出せただろうにと、まだ目に残っている文字列の数々を検証していた。その印画紙は、いま、ここにはない。多々良の指示で、破棄されたのかもしれない。その上で、おれに新たな版下の作成をうながして、元原稿を置いて行ったに違いなかった。だが、一度汚された原稿は、すぐには立ち上がってこなかった。この紙片を初めて目にしたのであれば、うれしさもあって、紙の上の文字が、こども相撲のようにぐるぐると回りなが...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(36)
たたら出版で、写植を打ち、冊子の編集を手伝い、営業にも力を注ぎながら、おれはミナコさんとの面会のチャンスを探っていた。渦中の自動車内装会社の所在地から見当を付け、巣鴨署を尋ねると、管轄は大塚署だと教えられ、その足で護国寺に近い大塚警察の殺風景な窓口を訪れた。入口で、六尺棒を突いて来署者を威圧する武闘服姿の警官は、いずこにあっても似たような体型をしていた。いきなり暴漢に刺されても、肉の厚さで致命傷を免れるに違いないと思わせるような頑丈な体躯だ。刑事との攻防で、警察に対して過敏になっているおれは、肉体の強靭さまで加わった迫力に圧倒されて、つい尻込みをしそうになっていた。だが、おれ自身への疑惑は晴れたはずだと思いなおして、面を確かめる警備要員の鋭い視線に耐えた。この調子では、ちかごろ叫ばれるようになった<地域密...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(35)
数日後、おれのもとに二人の刑事が尋ねてきた。ミナコさんについての詳しい状況は教えずに、ミナコさんとおれの関係について、ひたすら聞き出そうとした。気に障るような質問も厭わず、ただただミナコさんの犯罪が、おれに起因しているのではないかという見込みで、動いているようにみえた。おそらく、刑事たちの頭の中には、昨年の秋ごろ世間を騒がせた『滋賀銀行女子行員9億円詐取事件』の概要があったのだろう。あのときは、途方もない金額のカネを貢がせた愛人の男まで逮捕しているから、初めからそうした図式で捜査を進めていたようだ。おれは、最近やっと作った郵便局の貯金通帳まで見せて、身の潔白を訴えた。刑事たちは、薄ら笑いを浮かべて「そんなカネの話を訊いているのではない」と、あからさまに首を振った。「それほど疑うのなら、家宅捜索でも何でもや...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(34)
アパートに帰り着くと、さすがに疲れを覚えた。病み上がりの身には、きょう一日の出来事はきつ過ぎた。ミナコさんの消息が、こんなかたちで明らかになろうとは、想像もしていなかった。心の隅に、安堵に似た気持ちが湧いていたが、大きな愕きに圧倒されて、思考の道筋を辿れないでいた。(ミナコさんは、いま、どこにいるのだろう?)新聞を確かめると、宮城県警によって身柄を拘束されたらしい。東京に居られず、ふるさとの山形にも帰れず、中途半端な仙台あたりで一ヶ月あまりを過ごしていたのだろう。自動車内装会社社長から逃げ、おれとの約束も寸前で回避し、ひとり不安に耐えていたことを想像すると、おれの胸も切なさに震えた。(会いに行きたい。・・すぐに、会いたい)だが、それが望み通りに叶う状況とは思えなかった。おれの身の回りの限られた世界から見る...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(33)
あの男は、素人ではあるまいと睨んだ。人のいいチンピラか、組に属さない日陰者だろうと結論付けた。上京したてのミナコさんが引っかかったインチキ芸能プロダクションの男よりは、ずっとマシなのではないか。彼の話が嘘でなければ、自分の腕が腫れ上がるほど仕事に打ち込む、見上げた根性の職業人なのである。それにしても、楽に見える商売ほど苦労は多いのだと悟らされた。おれは、マンダ書院で味わった半端者の悲哀を思い出し、現在の充実した毎日と比べて、どれほど心のゆとりに違いがあったかを反芻した。多々良に対する感謝の気持ちが、おれの中でますます膨らんだ。一方、ミナコさんへの心配は募るばかりだった。おれの思いあがった行為は許されないとしても、ひと言、詫びをいう機会を与えてもらうことは出来ないのだろうか。あまりにも唐突な別れの決断に、手...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(32)
翌朝、おれは、ふらつきながら家を出た。朦朧とした意識のなかで、たたら出版への執着がおれを衝き動かしていた。会社に着くと、社長の多々良に、たちまち最悪の体調を見抜かれた。誰が見ても憔悴した顔付きだったから、見抜かれたというより、気付いてもらうための出勤といってもよかった。「いやあ、これはひどい」多々良は、おれの額に手を当てて診断を下した。「・・すぐに、病院へ行ったほうがいい」おれは、社長が呼んだタクシーで、九段坂にある病院へ運ばれた。まだ壮年の多々良は、痩躯のわりには力があって、おれに肩を貸し、ときには抱えるようにして、救急受付の看護婦におれを引き渡した。マスク代わりに巻いていた襟巻きを外され、若い当直医によって診察を受けた。あと一時間もすれば、通常の診療時間帯に入る微妙さに、医師はちょっぴり浮かない表情を...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(31)
次の日も、その次の日も、連絡はとれなかった。おれは、焦燥の真っ只中に置かれていても、たたら出版への出勤を止めることはなかった。理由は判っていた。一字、一字、写植の文字を打ち込んでいる瞬間だけは、苦しさを忘れていることができたからだ。それでも、昼休みの休憩に入ると、おれは信号ひとつ分、九段下方向へ歩いて、雑貨屋の角にある電話ボックスまで、電話をかけに行った。何度ダイアルを回しても、受話器が取られることはなかった。昼だけではなく、夜も同じことをした。仕事が終わると、帰りがけに、あっちこっちで電話をかけた。飯田橋で電車に乗る前にかけ、新宿では乗り換えの合間に鉄道弘済会の売店に走って、電話機を確保した。そうしていないと、ミナコさんの存在が、おれの目の前から永久に消えてしまいそうな恐怖を覚えるのだ。呼び出し音が鳴っ...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(30)
翌週、おれは、たたら出版に出勤し、残業も含めてくたくたになるほど働いた。ミナコさんが会社を辞めることになれば、アパートの家賃をはじめ、ふたりが当面暮らしていくための生活費を確保しなければならない。中野のアパートは、狭いとはいえ二部屋あり、バストイレ付きの所帯用だから、おれの給料から捻出するにはなかなか大変な金額だった。自動車内装会社社長をあれだけ痛めつけたのだから、ミナコさんは当然辞めることになる。そうすれば、ミナコさんからの援助は、すぐにも途絶えてあたり前だった。その上、新婚まがいの生活をするのだから、おれの肩にかかる負担は想像を超えたものになりそうだった。(一生懸命働けば、何とかなるだろう)おれは、急に現実味を帯びてきた不安を吹き飛ばすように、首を振った。週末になって、おれは、ミナコさんが現れるのを、...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(29)
おれは、暴力で打ちのめされたものが、容易に立ち直れないことを知っていた。マインドコントロールなしには、ボクサーでさえ無理なはずだ。それが、恐怖というものだ。だが、万が一ということもある。おれは、奴の目を覗き込みながら、耳に息がかかるほど口を近付けて、コトバを押し込んだのだった。「おまえ、赤ちゃんプレーが好きらしいな」奴の耳元で囁いた駄目押しの効果を、推し量った。切り札が、完全におれの手に移っていることを、認識させたのだ。おれは、奴の喉仏に金属の冷たさを押し当て、胸元から体をずらした。右膝で最後まで押さえ込んでいた利き腕から、体を放した。先に立ち上がり、奴がサウスポーであったことを、無意識のうちに考慮していた自分に気付いた。この男は、いま、やむなく退場せざるを得なくなった事態を、まったく予測していなかったの...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(28)
一月末の引越しを念頭に、おれは段取りをつけることにした。「今度の休みの日に、荷物の下見に行ってもいいですか」「そうねえ・・」ミナコさんは、ためらいを見せた。「大きなものは、みな処分するつもりなんだけど」できるだけ、おれの手を煩わせたくないという気持ちは、わからないわけではなかった。「・・でも、引っ越しって、なかなか考えた通りに行かないものですよ。こっちも狭いところだから、何をどこへ置くか、多少の見積もりをしておかないと拙いでしょう」おれの押しに屈して、ミナコさんも同意した。当日、おれが白山上のマンションに着くと、すでにミナコさんは身の回りの衣類などを、堅牢なプラスチックの箱に収納しはじめていた。「忙しいのに、ごめんなさい」おれを迎えて、少し恥ずかしそうにした。太腿から足首にかけて漏斗状に細くなる黒のスキー...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(27)
イノウエの話を聞いているうちに、おれの中ではひとつの結論が出ていた。「こうなったら、別れるしかないな」何分かあとには、そう答える自分の姿が目に浮かんでいた。おそらく、イノウエも離婚を念頭に置きながら、おれに背中を押してもらいたくて、今日ここに来たのだろう。どのように取り繕ってみても、いったん目覚めさせてしまった怪獣は、もう押さえ込むことなど出来ないのだ。おれは、マンダ書院で一緒に働いていたころの佐鳥さんを思い出し、そういえば、本を抱えてマイクロバスから出て行く反り気味の後ろ姿が、妙に女らしさに欠けていたようだと、いまさらながら思い当たる気がする。新宿でのささやかな披露宴の席で、花嫁らしく振舞っていた佐鳥さんに普通以上の感銘を覚えたのも、訪問販売に向かう際の彼女の背中に、男だけが持つ悲哀のようなものを見てい...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(26)
本郷通りに出て、左に曲がったところに、フランス風田舎料理を食べさせる小さな店があった。ミナコさんはときどき訪れるらしく、濃いルージュをつけ、大胆なカーブの眉を描いた女主人が、満面の笑みを浮かべて迎えてくれた。「きょうのメインは、霧島産の雛鳥と西洋野菜の付け合せよ。スープはそら豆をうらごししたもの。シャンピニオンのクリーム煮もあるわよ」説明しながら、おれの方にもちらりと視線を流す。笑みを絶やさないから、なにやら勝手な想像をされているようで落ち着かなかった。最初、怒っているように見えたミナコさんも、前菜が終わり、メインディッシュにかかるころには、機嫌を直していた。「わたしねえ、いずれ、あのマンションを出るわ。でも、それまでは、目立たないで居たいの」確かに、ふたりの男が交互に出入りしていたら、周囲の噂にもなろう...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(25)
はっきりと了解を取ったわけではなかったが、おれは名画座を出た足で、白山上にあるミナコさんのマンションに向かった。水道橋まで一駅電車に乗り、そこから白山通りをたどる路線バスに乗り換えた。数年前までは、都電が走っていたころの名残で一部石畳の狭い道路が残っていたが、現在はほぼ拡幅工事も終えたようで、ある時期まで立ち退きを拒んでいた西片町境の中華飯店やビリヤード場も、いまは跡形もなく消えていた。白山二丁目を過ぎると、おれは、紺野から聞いたメメクラゲのオペレーターのことを思い出し、その男はどの辺りで仕事をしているのだろうかと、バスの窓から写植屋の看板を探した。もっとも、そんな思いつきに答えてくれるほど東京の街は狭くない。ただ、左側に見える街並みは、区画整理にもまったく関係しなかったのか、古い木造の家が軒を接して続い...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(24)
〇「そうそう神風は吹かなかったな」「そうですね、なでしこジャパンはスウェーデン戦でクロスバーに嫌われましたね」〇「大谷のホームランも40号でストップしちゃったし今週はツキがない」「さすがに疲れたんですね、痙攣というのが心配です」〇「台風だけは疲れ知らずだ。6号は沖縄を二度もいたぶるし、7号は本州直撃の構えだしな」「ご隠居、もう一人疲れ知らずの人がいますけど・・・・」紙上『大喜利』(31)
おれが木更津から戻った夜、ウイークデイにも係わらず、ミナコさんがやってきた。チャイムに応じて玄関のドアを開けると、そこに項垂れたミナコさんの姿があった。「どうしたの・・」トラブルがあったことは、現れ方で明らかだった。おれは、ずぶ濡れで転がり込んできた雷雨の時と同じように、腕を広げて受け止めようとしたが、ミナコさんは俯いたまま三和土に立っていた。「えっ、その顔どうしたのよ」おれは、初めて異変に気付いて、ミナコさんの顎を上に向けさせた。右目の下から頬骨にかけて、野球のボールでも当たったように、紅く腫れ上がっていた。「まさか、殴られたんじゃないでしょうね」おれの頭の中で、閃光が走った。「あの野郎、ミナコさんを殴ったんだね!」地方の大学で、サウスポーの投手として活躍したこともあるという証拠の写真を、社長室で見たこ...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(23)
秋の一日、おれは、木更津まで本の納品に行く多々良社長に同行して、ドライブをすることになった。写植の仕事は、紺野ともう一人のパートナーに任せ、軽自動車に自費出版の歌集五百冊を積み込んで、飯田橋を出発した。京葉道路から国道十六号に入り、海岸沿いの工場地帯を経て、袖ヶ浦を通過するころには、もう昼の十二時半を過ぎていた。「いやァ、渋滞ですっかり時間を食ってしまったね。ところで、きみ腹が減ったんじゃないか」「はい。でも、我慢できますよ」「いや、このままお客さんの家に行ったら、食事をする暇がなくなるよ。どこか、車を停められそうな店があったら、そこで食べていこう」おれは、まもなく藍染の暖簾を下げた蕎麦屋を見つけ、ここでいいかと多々良に了解を求めた。店の横に、ニ三台停められる駐車場があり、おれはそこに軽自動車を乗り入れた...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(22)
その夜のカミナリは、いったん去ったかに見えたが、夜半になって再び舞い戻ってきた。まれにみる規模の界雷であった。おれとミナコさんは、またも電燈を消して、夏掛け布団を頭からかぶった。そうやって二人で作った暗がりに潜んでいると、誕生の秘密に出会えるような不思議な感覚に包まれる。退行催眠とは、このようにして導かれるものかもしれないと、おれは思った。暗がりの質は違っても、被験者をその中に誘導し、見え隠れする記憶の断片を拾い集めながら、川を遡らせるのではないか。おれは、断続的に続くミナコさんの物語を聞きながら、いつしか、おれ自身の思い出を手繰りはじめていた。何度も繰り返した仕事探しの雑な記憶の先に、上京するおれを見送ってくれた叔父との別れが、ぼんやりと浮かんできた。叔父は、おれが電車に乗り込む寸前まで、胸に抱えた風呂...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(21)
別れるまでには、紆余曲折があっただろうと、おれはミナコさんを思いやった。婚姻届まで出した関係を解消するには、想像もつかないエネルギーが要ったに違いない。いきさつを聞こうとは、思わなかった。ミナコさんも、こまごまと話そうとはしなかった。ひとたび時間を遡りはじめれば、山形から希望に満ちて上京した少女が東京という罠にかかって苦しんだ日々を、すべて再現しなければならなくなる。「ひどい奴だ!絶対に許せない」おれは、義憤にかられて、うなり声をあげる。いま、目の前にその男がいたら、有無を言わさず殺してやりたいと思う。<ヒモ>と呼ばれる男たちの用意周到なたくらみを知って、同じワルでも最低の部類に属する悪党だと、歯軋りした。ミナコさんは、挫折はしたが自暴自棄にはならなかった。当時、結婚して横浜に住んでいた姉が、なにかと面倒...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(20)
暗い中でドアノブに手をかけながら、もう一方の手で室内灯のスイッチを探していた。「どなた?」「あけて・・」紛れもないミナコさんの声だった。玄関の、それほど高くもない天井の蛍光灯がパチパチと瞬いて点き、おれが押した鉄扉の隙間から、ミナコさんが転がりこんできた。「どうしたの、こんな日に・・」おれは、思わず手を差し伸べてミナコさんを抱きとめた。ポロシャツに短パン姿のおれの胸部に、ずぶぬれのブラウスが張り付いた。身構える間もなく押し付けられた湿り気と冷たさが、おれの意志を無視して、生理的な反応を見せた。「ううッ。・・可哀そう。一番ひどい降りに出くわしちゃって」おれは、一瞬見せてしまったためらいをかき消すように、あらためて強く抱きしめた。ミナコさんは、濡れていることなど眼中にないように、「来たわよ、わたし来たわよ」と...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(19)
家庭菜園というジャンルにかろうじて入るのは5~6月まで相手をしてくれたヒラサヤエンドウのみ。7月になると暑くて、ほとんど手入れをしない庭畑は青じそとオシロイバナに占領されている。そうした中、野生の勢いで毎年実りを与えてくれる茗荷の花芽が顔をのぞかせた。7月下旬~8月中旬の暑い盛りに密集した茗荷の葉茎の根元に這いつくばって収穫する。最初は十数本でやめたが次の日は30本以上、その次の日は20本ぐらい摘み取って一部はそうめんのツマ、その他は酢漬けにして保存している。密閉できる保存瓶に茗荷と梅干しと大葉を詰め込み、塩と酢を塩梅して寝かせ、適宜取り出しては副菜にしている。ささやかな暑気払いには欠かせない一品だ。茗荷の収穫
夕方五時から、新宿区役所通りに面したレストランの一室を借り切って、イノウエと佐鳥さんの結婚披露パーティーが催された。おれが会場となる部屋に入って、受付の女性に会費を払っていると、友人に囲まれて談笑していたイノウエがおれを見つけて近寄ってきた。「やあ、おめでとう」先手を打って、挨拶した。「いやあ、うれしいです。忙しいところを来て頂いて、ほんとに申し分けなかったです」イノウエは、ほんの少し大人になった表情を見せて、おれに謝った。礼を言うつもりが、詫びの言葉になるのがいかにもイノウエらしかった。佐鳥さんは同年配の女性たちと並んで、写真を撮られていた。すでに、おれに気付いていて、写真が終わると、髪に挿した大輪の花を揺らしてイノウエの傍にやってきた。「お久しぶりです」白いドレスが似合っている。マンダ書院にいたときに...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(18)
「ぼくは、何があっても別れないからね」おれは、呟くように言った。「わたしだって、あなただけなのよ」ミナコさんも、眩しそうにおれを見返した。「・・覚えているかしら、わたしの顔を、まじまじと見てくれた日のこと。あの時、営業のひとと話をしていても、ポーッとして何も覚えてないのよ。わたし、あんなふうに見つめられたの初めてだから、もう気が飛んでしまって」ミナコさんは、頬を上気させていた。おれは、たしかに魅入られたように立ち尽くしていたはずだ。そのときの情景を思い出し、闇を銜えていたミナコさんの唇が、いまも、そのまま、目の前にあるのを静かな喜びのなかで確認していた。「おんなって、他のものは一切目に入らない・・というほど、見つめられてみたいものなのね」ミナコさんは、自分に確かめるような口調で呟いた。「・・あなた、あの日...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(17)
東大安田講堂に立てこもった学生が排除されて以来、目標を見失った若者たちは、呆然とした思いで日を送っていたはずだ。放水という変幻自在の弾圧の前に、誇りをぐしゃぐしゃにされた学生たちは、拠って立つ抵抗原理まで濡れ鼠にされ、へたったダンボールとともに地に落とされた。銃で撃ちもせず、時計塔から飛び降りもさせなかった権力側の冷酷な計算が、いまになって明瞭に意識される。一方、社会の底辺で隠者のごとく生きてきたおれは、騒然とした時代の終焉を冷ややかに眺めていた。多少の無気力さは、むしろ歓迎するぐらいの気持ちで、その後の推移を見守っていた。写植機の操作にも慣れ、出版社や印刷会社のほか、商店や公共機関からの仕事をこなせるようになると、おれの意欲は高まり、世間の沈滞とは逆に元気を増していった。ゴシック体や太明朝体の見出しを作...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(16)
おれが、もっとましなアパートを借りたいと言うと、ミナコさんは一も二もなく賛成した。もちろん、すぐに住居を変えることなど出来るはずはなく、おれも真剣に働いて早くそれを実現したいとの願望を述べただけだった。ところが、ミナコさんは、来月にも引っ越しが出来るように、明日から部屋探しを始めようという。仕事の合間を縫って、おれを手助けしてくれるつもりらしい。自動車内装会社の経理責任者として、また、認めたくはないが、週の半ばに訪れる社長を待つものとして、時間の重なりをどう捌くつもりなのか。おれの願いが、期せずしてミナコさんの立場を狂わせ、事態をこじらせ始めたことに、まだ気が付いていなかった。「新しいアパートに移ってから、ゆっくりと仕事を探せばいいわ。お給料が入るまでは、わたしが立て替えておきます」それで好いかと、一応お...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(15)
沸騰した薬缶の湯も、部屋に持ち帰リ急須に注ぐころには、ちょうど緑茶に適した温度になっているはずだ。おれは日常の経験をもとに、間合いを計る要領でゆっくりと部屋に戻った。ミナコさんが後ろを振り返った。本箱に本を戻し、もう一度おれの手元に視線を向けた。「あらあら、わたしが淹れましょうか」「いえ、危ないからぼくがやります」薬缶を小机の上に置き、金属製のトレイに伏せてある急須と湯飲みを据え直す。いま洗ってきた客用の茶碗も共に並べて、準備完了となる。スーパーマーケットで買ってきた緑茶の袋から、直接茶葉を小出しする。薬缶からお湯を注ぎ、一呼吸置いて二つの湯飲み茶碗に注ぎ分ける。値の安い茎茶であっても、心をこめて淹れれば味も香りも引き出せると思った。「このお茶の飲みごろは、一瞬ですから」おれは、冗談を言いながら勧めた。「...思い出の連載小説『<おれ>という獣への鎮魂歌』(14)
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「蛸壺やはかなき夢を夏の月」この句は「笈の小文」からの選定で元禄元年に行った芭蕉の小紀行文には若さというか色気が感じられる。わび・さびに慣れた目にはこの句をはじめとする諸作が眩しく映る。とくに蛸壺の句が好きだ。現代の文芸作品と比べても優れている。芭蕉は若い時も老境になっても色あせない。才能が頭抜けている。6月18日、明け方になっても蒸し暑い。ぼくはこれから眠るから蛸と一緒に「はかなき夢」でも見よう。芭蕉の名句㊱『はかなき夢を夏の月』
月の裏側はわからないことばかりだ何年か前に中国がロケットを着地させたらしいがその後の様子は皆目わからないもしかしたすでに基地を作っていて秘密の地下壕に宇宙飛行士が住んでいるかもしれない太陽風や隕石に耐えながら暗闇の生活に慣れる訓練も月は地球を回る公転と自転の関係で地球の人にいつも良い顔を見せている三日月から満月まで風流の極みを提供して月にはかつて水が存在したらしい井戸掘りしなくても光さえあればプラントの中で野菜を栽培することもできるなのになんで月の裏側にこだわるのか月面裏側の地下シェルターの奥深くに会議室を設け核戦争後の地球支配を協議するつもりか1959年に初めて月の裏側を見たルナ3号も地球は青かったのボストーク1号もソ連だった習近平さんウラジーミル・プーチンさん仲良くしましょポエム413『月の裏側では』
「野を横に馬牽きむけよほととぎす」この句は「おくの細道」に載っている。この句が読まれた場所は、宇都宮から日光街道と分岐する奥州街道の拓けた場所らしい。〈白河の関へ向かう直前の作〉野の端っこからホトトギスの鳴き声が聞こえてきたので、すかさず芭蕉が反応した即興の名句である。絶えず句作のことに留意している芭蕉ならではの馬子への命令「馬牽き向けよ」に切迫感を感じないだろうか。今この瞬間を逃したらホトトギスはどこかへ行ってしまう。忍者まがいの健脚で知られる芭蕉がたまには馬に乗ることもあったのかと思う一方、江戸時代初期には馬子という職業が定着してとも考えられる。もともと伊賀の武士出身の芭蕉に職業意識はあるまいが、とっさの言葉に馬子への優位が覗かれる。いろんな面白さを含んだ名句として取り上げた。芭蕉の名句㉟『野を横に馬牽きむけよ・・』
〇古・古・古米ニワトリ啄みコケッコー〈結構〉*立憲民主の原口さんが「くず米〈家畜用〉」と呼んだ備蓄米です。〇六方を踏んで「どうだ」と進次郎*JA・全中〈農協〉を相手に富樫〈総理・農水省〉承知の勧進帳俳句川柳21『コメ騒動余波』
〇「退院のとき禁酒を申し渡された肝臓病患者」とかけて「看護婦なんぞに命より大事なものがあるのがわかるめえ、と帰りしなに蕎麦屋で祝杯をあげるオッサン」とときますそのこころは「おれの辞書には婦も屋も酒もちゃんと載っている、サ別用語じゃありません」*謎かけ問答変則版新企画『ととのいました』34
〇「長嶋茂雄が死んだな」「89歳というのはミスターらしいですね」〇「どのテレビ局も特集を組んで悼んでいるな」「エピソード満載の人ですから材料に事欠きませんね」〇「ジャイアンツでの活躍と慌て者のイメージが目立つ人だった・・」「そのギャップが愛されましたね」〇「やっぱり白鵬が相撲界を去ったな」「ご隠居の言った通りでした」〇「辞めさせられた白鵬の反撃で相撲協会もおちおち眠れないか」「何を言われても沈黙を押し通すらしいですよ」紙上大喜利91『じじいの時事ばなし』
栃木県の白河の関は奥の細道の入り口とあって芭蕉は待ち構えていた門人たちの大歓迎を受けた。そのため、かなりの期間黒羽町に滞在したと記されている。ある解説によれば「白河の関は東北の玄関口とされ、芭蕉は古歌や故事を偲ぶのに夢中で句を詠む余裕がなかったとされています。一カ所一句の原則は後に紀行文「おくの細道」を編纂する際に確立したものである。立ち寄らなかった場所でも俳句を載せて紀行文の体裁を整えた。『田一枚植えて立ち去る柳かな」尊敬する西行の五百年祭を記念する「遊行柳」などには実際に足を延ばしたが、門人のいない場所では連歌や連句を巻くこともできず早々に通過したことは前にも記した。「俤(おもかげ)や姨ひとりなく月の友」数年前の中秋9月10日、千曲市八幡の長楽寺で、松尾芭蕉の没後を偲ぶ会が催された。この句は「亡き母の...芭蕉の名句㉞『姨ひとりなく月の友』
〇新国劇のヒーローは月形半平太「春雨じゃ濡れて行こう」〇深刻劇に登場は斎藤兵庫の輔「責められても蛙の面にしょんべん」〇魔手・訴え返しで職員を告発「立花孝志さんに立ち話以上の秘密を洩らした」時代変われば主役も変わる『月形半平太もどき』
お土産にもらった魚沼産こしひかりの塩にぎり舌が感じるほんのり甘いコメの味ふるさとの川に戻った鮭が嗅ぎ取る匂いのように新潟の味が鼻腔をくすぐるうまいうまいよう何も足さない何も引かない思わずコピーライターの顔が浮かぶほど完璧な商品魚沼産こしひかりの味は三日過ぎてもまだ舌に残っているポエム412『塩にぎり』
「夏の夜や崩て明し冷し物」物知り博士の解説によれば以下の通り。前月下旬から嵯峨落柿舎に滞在していた芭蕉は、膳所に戻った翌日、元禄七年六月十六日(1694年8月6日)曲翠亭にて夜遊の宴、支考らと五吟歌仙を巻きました。掲句はその発句です。脇は曲翠、露ははらりと蓮の縁先。「今宵は六月十六日のそらみずにかよひ、月は東方の乱山にかゝげて、衣装に湖水の秋をふくむ。されば今宵のあそび、はじめより尊卑の席をくばらねど、しばしば酌みてみ(乱)だらず。人そこそこに涼みふして、野を思ひ山をおもふ。(中略)しからば湖の水鳥の、やがてばらばらに立わかれて、いつか此あそびにおなじからむ。去年の今宵は夢のごとく、明年はいまだ来たらず。今宵の興宴何ぞあからさまならん。そぞろに酔てねぶ(眠)るものあらば罰盃の数に水をのませんと、たはぶれあ...芭蕉の名句㉝『崩て明し冷し物』
松島トモ子という元子役は長じてライオンにがぶりと噛みつかれて有名になった最近では芦田愛菜ちゃんや鈴木福くんが印象に残る活躍をした中でも忘れられないのはひとひとピッチャンひとピッチャン万屋金之助映画「子連れ狼」の子役だろうか「大五郎」は役の上とはいえ毎回幼くして命を狙われる劇画家・小島剛夕が作りだした独特の死生観を付与されたまさか大五郎が実人生で事件を起こすとは子役の時に与えられた死生観が実人生に影を落としたのか不思議な縁だが深淵を覗き込んだ気がする子役のたどる運命は難しい芦田愛菜ちゃんのように親のサポートがしっかりしていて才能をどう伸ばすか方針が決まっている親の役割は成人になるまで卒業できない鈴木福くんも大学生になってそろそろ卒業するころだろう有名大学で学んだ学業を生かして実りある社会人生活を送るのももう...ポエム411『子役』
〇「大相撲夏場所は大の里の優勝で終わったな」「惜しくも全勝はできませんでしたが圧倒的な強さでした」〇「翌日には理事全員一致で横綱審議委員会に諮問された」「初土俵以来13場所での横綱は異例の速さだそうですね」〇「しかし千秋楽で豊昇龍に突き落とされたのは不覚だった」「14日目から緊張してましたものね」〇「二所ノ関〈稀勢の里〉親方がコメントして「アドバイスはほとんどない。この負けを来場所以降の糧にしてほしい・・と手放しのほめようだった」「稀勢の里以来の日本人横綱というんですから因縁を感じますね」〇「優勝2回の師匠を早くも上回っているぞ」「ご隠居、朝青龍・白鵬・日馬富士などモンゴル勢全盛時代に2回優勝した稀勢の里は立派でした」紙上大喜利90『じじいの時事ばなし』
「曙はまだ紫にほととぎす」「曙」は言うまでもなく、清少納言の『枕草子』の「春は曙。やうやう白くなりゆく山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。‥を下敷きにしている。曙はまだむらさきにほとゝぎす(真蹟)(あけぼのはまだむらさきにほととぎす)元禄3年(1690)。芭蕉47歳。前書きに、「勢田に泊まりて、暁、石山寺に詣。・・とあるように、やはり芭蕉は近江にも縁が深い。前に「石山の石より白し秋の風」を取り上げた際にも触れたが、奥の細道以前の小紀行文にも優れた句が載せられている。あらためて伊賀時代からの学識の厚みに敬服する。47歳で病没する最晩年の句業「奥の細道」がいかに過酷な行脚だったか、胸が痛む。芭蕉の名句㉜『曙はまだ紫に・・』
〇コメがない張り紙貼って店閉じる〈大阪のコメ販売店〉〇江藤農相「コメ買ったことない」で辞任する〈正直な人だ〉〇次期農相進次郎さん就任で失言待ち?〈コメ見たことない・・とでも〉〇備蓄米政府と農協で高値維持〈古米を高く売りさばき新米を高値で買い付ける=政府もJAもホクホク〉〇5キロ袋を買えずに2キロ選ぶ人〈庶民の生活苦は深刻だ〉俳句川柳20『コメがない』
「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」出羽三山の一つ湯殿山には、そこでの修行〈体験〉を他人に漏らしてはいけないという決まりがある。修験者にとっては掟と言ってもいい。芭蕉の句の「語られぬ」は「湯殿山のことは」の意味で「ぬらす袂かな」は修行の有難さに感激して涙で袂を濡らすほどだと詠んでいる。芭蕉が実際にどんな体験をしたのかは知る由もないが、ここで作った句は俳諧師松尾芭蕉の得意とする言葉遊びも若干顔を覗かせている。別の解説を見ると、湯殿山は女人禁制で「恋の山」という別名があるそうだ。また、湯殿山でのことは昔から「語るなかれ、聞くなかれ」とされており、この俳句が収められている「おくのほそ道」の文章の中にも、「惣而此山中、微細(総じてこの山の中の微細)、行者の法式として他言する事を禁ず。」という部分があるらしい芭蕉の名句㉛『湯殿にぬらす袂かな』
〇「五月場所も中日を過ぎて大の里が全勝で突っ走ってるな」「強いし安定してますね」〇「15日間白星を並べて横綱昇進に花を添えてほしいな」「白鵬みたいに何回でも全勝優勝できそうな逸材ですからね」〇「その白鵬に近々引退のうわさが流れているのを知っているか」「親方になって相撲解説などで活躍してましたが弟子の暴力事件を黙認していた責任を問われてミソを付けましたね」〇「弟子の伯桜鵬が必死に頑張っているみたいで痛々しい」「親がなくとも子は育つんじゃないですか」〇「青い目の力士が強くなって早晩上へあがってきそうだ」「琴欧州みたいな大関が誕生してほしいですね」紙上大喜利89『じじいの時事ばなし』
最近、佐藤浩市の顔を頻繁に見る「ファミリー・ヒストリー」にも登場したから何ごと?と思っていたら映画で吉永小百合の夫役を演じたのが話題になっているらしい父親の三国廉太郎も吉永小百合と共演しているから親子二代の縁とは珍しい父親は「釣りバカ日誌」のマドンナ吉永と佐藤浩市はエベレスト女性初登頂の田部井順子モデルの夫役佐藤浩市も渋い演技〈田部〉役で存在感を出しているが80歳の吉永小百合の妻役〈登山家〉にはビックリだ映画の完成報告会見だそうだから十何回忌の三国廉太郎も「てっぺんの向こうあなたがいる」を喜んでいるだろうポエム410『あの親子』
〇「大相撲五月場所も3日目が終わっておおむね期待通りの成績だな」「大の里の綱取りはほぼ固いんじゃないですか」〇「もう一人の横綱も負けて優勝が見えてきたな」「ご隠居、大の里はまだ横綱じゃないですからね」〇「おまえが固いというからついその気になった」「それにしても王鵬は絶好調ですね、豊昇龍を破って自分も大関を目指してますよ」〇「三役復帰した高安は負け先行だな」「先場所の優勝決定戦に負けてガックリしているんでしょうね」〇「尊富士は3連勝で力通りの相撲を取っている」「精悍で気持ちのいい力士ですよね」〇「心配なのは琴櫻だ、なにが原因なんだ」「先場所やっとカド番を脱したばかりなのにまたカド番もあり得ますね」紙上大喜利88『じじいの時事ばなし』
「象潟や雨に西施がねぶの花」象潟に義母の親せきがあるので結婚当初はよく遊びに行った。鳥海山もいいが、親せきが夏には海の家を経営していたので口に余るほどの岩ガキをごちそうになって思い出になっている。さて、この句は「奥の細道」の中でもよく知られた一句である。雨降る象潟で花びらを閉じた合歓の花を見かけたのだろう。「まるでまつ毛を閉じた西施の横顔を見るようだ。憂いに沈んだ表情が胸を打つ。・・」と漢籍にも強い芭蕉が思ったのかどうか。西施は歴史上中国の古代四大美女として楊貴妃らとともに登場した。生没年は不明だが、呉の時代に陰謀を託されて王に献上された美女の一人として古来から人気が高い。芭蕉の俳句も西施の印象を決定づけたのかもしれないが。参考=〈ウィキぺディアより〉本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋...芭蕉の名句㉚『象潟や・・ねぶの花』
〇走るのも地獄降りても税地獄〈ゴールデン・ウィーク〉〇梅雨寒とともに自動車税期限〈6/2〉〇お土産ははしか?近場の渡航客〇トランプの関税破綻も友〈英国〉ありて〇寝ていても太刀筋きわめホームラン〈早くも11号〉俳句川柳23
〇大谷の20号ホームランは飛距離145メートル〇高地にあるロッキーズ本拠地しかと見た〇コロラド州デンバー標高1600メートル〇クアーズ・フィールド外野の後ろは巨木群〇それもそのはずロッキー山脈が名付け親〈球団名の由来〉〇今季1位のジャッジ〈144.3メートル〉を抜いて大谷最長〈145.1メートル〉〇ドジャースも大逆転でミラクル勝利〇代打ヘイワードのポール直撃の満塁弾〈11対9〉俳句川柳7『
ホタルブクロ画像は〈季節の花300より〉昼間白いホタルブクロの前でふたりの女の子がしゃべっていたねえクレハちゃんこのホタルブクロの中に妖精が隠れているのようそだメミルちゃん見たことあるの?クレハのことだましちゃいやだよ見たことはないけどきっと妖精がいる夜中にホタルブクロを見るとボウっと明るいんだって道草していた女の子二人はお布団の中でスヤスヤきっとたくさんの妖精がダンスをしている夢でも見ているんだろうなポエム383『ホタルブクロの秘密』
〇「芦田愛菜ちゃんはますます活躍してるな」「ご隠居、急にどうしたんですか。鈴木福君ともども成人になって知的なタレントになりましたよ」〇「いや、親がここまでよく育てたなと思ってさ」「そうですね、2人とも反抗期とかなかったんですかね。子育ての本でも出せば売れますね」〇「北朝鮮のゴミ風船は飛ばした50パーセントは韓国に届いているらしいぞ」「いやですね、イメージが・・飛ばす方の品格が問われますね」〇「日本も先の戦争末期には風船爆弾を飛ばしたけれど何個かアメリカ本土に届いただけだ」「太平洋を越えてよく届きましたよ。北朝鮮と韓国は隣同士の諍いで始末が悪いですね」〇「大谷翔平は背番号と同じ17号に到達したけど、ヤンキースのジャッジに大差をつけられたな」「相手投手の攻め方にも大差があるように見えますよ」〇「小池百合子さん...紙上大喜利60『じじいの時事ばなし』
駐車場の奥の崖下に黄色い百合が咲いていた梅雨入り前の真夏日の午後人間どもがあえぐ日盛りに黄色い百合はいとも涼しげに大きな花を咲かせていたなんだかノカンゾウに似ているがきみは野の百合だよね群れてないところが最高だ花言葉は「陽気」というんだってきみに出合ってよかったよ運勢がよくなる前兆だってさ駐車場の雑草の中で輝く黄色い百合これから仕事に出かけるけどよろしくなポエム382『黄色い百合』
茨城県に五浦海岸〈いづらかいがん〉という場所がある。岡倉天心のもとに集まった横山大観、下村観山、菱田春草らが日本画の美を極めようと切磋琢磨した北茨城市の景勝地である。海水浴場にもなる砂浜には海風にもめげず松が枝を伸ばし、岩場を望む六角堂にこもると打ち寄せる波の音が思索を深化させるようだ。天心は後に六角堂を日本美術院の本拠地にした。横山大観のいわゆる朦朧体などは五浦で生まれたものである。冬場はボストン美術館の中国・日本美術部長を務める天心は、夏場は五浦に戻って日本美術界の改革に注力した。もともと日本美術品の研究・収集に造詣の深かったフェノロサの通訳を務めていた天心は、自らも日本美術の研究にのめりこむ。弟子たちはみな家族とともに五浦で夏を過ごし、橋本雅邦ら若き天才画家たちが日夜日本画の可能性を追求した歴史的な...真夏の怪談その5『五浦海岸』
昨日のニュースで嘴太ガラスを肩に乗せて散歩する青年のインタビューに答える様子を放映していたとにかくカラスは頭がよくて可愛い同居していて新たな発見があり伴侶として申し分のない存在だという話変わって都内の繁華街からカラスが激減いま何が起こっているのかとミステリー仕立ての特集でもあった有力な答えは頑丈なゴミ箱の設置だカラスを兵糧攻めにする施策がやっと浸透してきたのだろうというその一方で鷹やハヤブサが増えているらしい都心の高層ビルは崖みたいなもので天敵を避けて営巣するには最適なんだとか新たな悩みに都知事候補はどう応えますか小池さんはまだ出馬表明せず蓮舫さんならビルに網かけろとでも・・ポエム381『カラスをペットにする男』
海野太吉は千葉県内をよくドライブした。勝浦や御宿が好きで、家族を乗せて行楽に引き回した。自宅が都内にあったので、あるとき茂原から四街道を経由して家に帰ることにした。自動車の道路ナビなどない時代に地図を頼りに近道を探して強行突破してきた。すると四街道に近づいたと思われる頃いきなり目の前に竹襖が現れた。「えーっ、なんじゃこれ?」家族も身を乗り出して怖がった。「おとうさん、引き返しましょう」「いや、竹藪が道までせり出しただけだ、道がないわけじゃない」農道なのか畑の中の私道なのかわからないがギリギリ通り抜けられそうだ。太吉は運転席のミラーを引っ込め、竹の幹にこすりそうになりながらなんとか通過した。「いやー、水木しげるの妖怪が出たかと思った・・」「お父さん無謀だから、いつもヒヤヒヤするわよ。いつか青梅の方でコンクリ...真夏の怪談その4『四街道の竹藪』
〇10代二人がバールを持って民家に押し入ったアーソレソレ主人殴って妻からカネ奪うソレカラドーシタあわてて逃げたが忽ち捕まった〇架空の投資で60億円集めたアーソレソレ社債を印刷くばってその場をごまかしたソレカラドーシタいくら稼ごうが悪銭身につかず〇詐欺をしようが強盗だろうがお札に色はないアーソレソレ金を使えばクラブは恵比須顔ソレカラドーシタ焼酎飲み飲みマルサ対策考えた当世あきれ節2
「羽衣の松」という小説を書いた仲間がいた。老境に入ってロマンスには無縁と感じ始めていた時、突然女性の方から思いを告げられたのだ。彼は驚き、うれしくも感じた。若い時は何度か恋愛をしたことがあったが、縁あって現在の女房と結婚し40年を共に過ごしてきた。それだけに同じ同人誌に所属する女性に誘われて食事をし、その後一夜を共にしたことはそれとなく記録しておきたかった。天女からふわりと羽衣をかけられたと表現したのは彼の心境そのものだ。富士山が世界遺産になったとき三保の松原もその一部に認定された。羽衣伝説は世界中に説話として存在し、日本では滋賀県や京都府の風土記に残されているのが最も古いのだが、富士山がよく見える場所として世界遺産に含まれたことから三保の松原が有名になった。本来、羽衣伝説とは関係のない話であるが、三保の...真夏の怪談その3『三保の松原浮気考』
〇八冠が叡王戦で踏みとどまる〇連敗のあと1勝返し2対2に〇挑戦者伊藤匠はAI通〇子供のころから聡太のライバル互角の才〇現棋界勝率1位の匠立つ〇21歳聡太・匠の若武者戦〇八冠は先に名人位防衛す〇藤井聡太に過密日程発汗やまず〇AIにもまれて予備軍虎視眈々〇もはや大人の出る幕なしか将棋界俳句川柳7『藤井聡太八冠』
〇牽制球が足に当たって痛い顔〇そんな翔平見たことなかった心配だ〇監督が復調予言ほっとした〇翔平が10試合ぶり14号〇トップまで2本差いずれ追いつくさ〇とはいうが守りの姿勢が垣間見え〇水原に受けた裏切りトラウマに〇新住居〈十数億円〉へ移って心機一転か〇ロバーツ〈監督〉のおねだり〈自動車〉変じてミニチュア・カー〇背番号〈17〉譲った選手と違うわい〈奥さんにポルシェ贈って話題に〉俳句川柳6『心配させんなよ』
現在はにかほ市になった秋田県の象潟町で重吉は炭焼きを生業にしている。東京の大学を卒業したあと実家の山を預けられ、楢や橡の木を切り倒しては木炭づくりを目指した。ところが重吉は炭窯に火を入れた後持ち込んだ哲学書を読みふけるものだから、火を止めるタイミングを失い出来上がった木炭はほとんど灰に近い状態になってしまった。「重吉さんなばダメなもんだ。炭つくってんだか灰つくってんだか売り物になるのは一本もなかった」口さがない住民が噂するうちはよかったが、そうち呆れて誰も近寄らなくなった、そうして一年が過ぎ炭の材料になる木を伐りに遠くまで足を運ばなくてはならなくなttころ、重吉さんの炭の品質がきゅうによくなった、聞きつけた住民が重吉さんから話を引き出したところでは本に夢中になっていても木の精が勝手に話しかけてくるのだとい...真夏の怪談その2『にかほ市の哲学者』
〇「どうだ、やっぱり大の里が優勝したろう?」「ご隠居の言う通りでしたね。しかし、中日のあと2敗したんでハラハラしましたよ」〇「負けを肥やしにしてどんどん強くなったよ」「最後の3日間は自信に満ちた顔をしてましたね」〇「大の里はあと何場所かで大関になる、横綱も遠くないだろう」「そう簡単にいきますかね、人生何が起こるかわかりませんよ」〇「大丈夫だ。オーラがある。謙虚さもある。相撲の型もある」「へえへえ、ご隠居を信じますよ」〇「ライバルの琴桜もうまく育ってほしいな、尊富士も復帰してくれば面白くなる」「平戸海や熱海富士も見どころありましたしね」紙上大喜利59『じじいの時事ばなし』
市ヶ谷駅は僕がよく利用した駅である。夏の深夜、大急ぎで改札口に降りていくと頭上から人のすすり泣く声が降ってきた。声の主はたぶん女性だろうと気になったが、こちらも電車に乗り遅れる心配があったので確かめることなくホームへ走った。何日か経って市ヶ谷駅のすすり泣きのことが週刊誌に載っているのを中吊り広告で知った。早速買って読んでみると、僕が体験したよりも大分前から噂になっていたらしい。誌面によると夫に捨てられた女性がJRの線路上で飛び込み自殺した事件があり、その時の状況がこだまのようによみがえって夜な夜な誰かしらの耳に届いていたらしい。よほど無念だったのか、聞いたのは男性ばかりで男への恨みも感じられる話だった。週刊誌の記事を読んで以来、僕は市ヶ谷での乗降を避けるようになった。総武線ではなく中央線の快速や準急電車を...真夏の怪談その1『市ヶ谷のすすり泣き』
天・点天を仰ぐ暑い直視できない点黒点子供の絵なら簡単ゴマのような黒点太陽フレアまでクレヨンカナダでオーロラ電離層パニック気象衛星多数墜落・点天天を仰ぐ熱い直視できない黒点気象も天文学も天に始まり点に終わる人生は天の思し召しポエム380『天』
〇社長が一瞬目をかけたアーソレソレ早くあと継がせろと焦る娘婿ソレカラドーシタ魂胆読まれると匿名人間を雇って深い闇深い闇〇政党交付金の使い道報告下限はいくらアーソレソレ与党の協議はいくらやっても折り合わずソレカラドーシタ自民は10万以下に切り下げず国民無視国民無視〇クマがやたと人を襲うアーソレソレ暖冬で冬眠短め腹が減ってたまらないソレカラドーシタ民家に侵入し貯蔵庫開けて好き放題好き放題当世あきれ節1
〇「おい、小相撲って知ってるか」「えッ?大相撲なら今やってますが」〇「横綱照ノ富士をはじめ大関貴景勝、霧島、関脇若隆景、朝乃山など注目力士がみんな休場で元気なのは小物ばかり」「それで小相撲ですか、ご隠居」〇「今場所の優勝は大の里で決まりだな」「またまた、気が早い。まだ8日目ですよ」〇「先場所だって尊富士か大の里のどっちかといったろう、今場所は大の里の番だ」「へえへえ、外しても知りませんよ」〇「大谷翔平が13号を打ってトップに並んだな」「打率もトップだし三冠王が狙えるんじゃないですか」〇「ロサンゼルス市が大谷翔平の日を制定したな」「5月はアメリカ政府がアジアやハワイ、太平洋の島々にルーツを持つアメリカ人の歴史・文化や功績をたたえる月間でそれにあやかったらしいですよ」紙上大喜利57『じじいの時事ばなし』
巣鴨プリズンが解体されたとき、ある独房の壁の中から奇妙な塊が転がり出てきた。公には報道されなかったが、それは高温の熱によって溶かされたコンクリートが、冷えて固まった状態に見えた。普通、ブルドーザーで破砕された壁は、捻じ曲がった鉄筋を除けば、セメントと砂、砂利による組成が一目瞭然だった。それに対し、発見された塊は内部でガラス質の粒子が滾り、流れ出たような形跡が見られた。飴を塗りつけたような表面には、わずかながら人をほっとさせる暖色系の彩りがあった。なぜ、コンクリートが溶けたのか。壁の一部だけが、どうして他と違う様相を見せるのか。独房に収監された囚人が、脱獄を図るために薬品で壁の腐食を狙ったと考える者もいた。壁の解体に携わった業者は、上司を通じて拘置所の責任者に報告した。あり得ないことだが、少しの疑いでもあれ...思い出の短編小説『壁の中』
『東海道中膝栗毛』〈とうかいどうちゅうひざくりげ〉で名の知られた十辺舎一九は1802年~1814年にかけて初刷りされた滑稽本である。「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意で人気作品となり刊行は『東海道中膝栗毛』と『続膝栗毛』あわせて20篇に及んだ。後世に読みつがれ、主人公の弥次郎兵衛と喜多八コンビのキャラは歌舞伎や映画等で現在でも活躍が続いている。文才とともに絵心のあった作者による挿絵が多く挿入され、江戸時代の東海道旅行の実状を記録する、貴重な資料でもある。版木による出版が何版にもおよび、今でいうベストセラー作家となった十辺舎一九は文筆業だけで生計を立てたわが国最初の人物ともいわれている。通称「弥次喜多道中記」のあらすじは、江戸の神田八丁堀の住人である栃面屋弥次郎兵衛と居候の喜多八が二人と...新作KAIDANその10『十辺舎一九』
那須野が原には「九尾の狐」が住んでいるといわれている。最近、那須野が原を舞台にいやな事件が勃発しているが、ご当地の九尾の狐がどう思っているか世間の口端も喧しい。「ぼくは九尾の狐はワルだから冷ややかな顔で見ていたんだと思う」「いや、わたしは九尾の狐は憤慨していると思います。もともと伝説では神獣といわれて王朝を支えてきたのだから今回の事件はイメージダウンになると怒っているはずです」「読み本屋、曲亭馬琴の受け売りだな?」「そういう貴方こそ玉藻前〈平安時代末期に登場する『玉藻草紙』で鳥羽上皇の姫に化けた狐〉にたぶらかされているんでしょう」「九尾の狐をワルだと言っているぼくが騙されるわけがないだろう、何を考えているんだ」「全身〈心〉全霊で化かすというから、あんたなんかイチコロよ」「ちょっと待った,お二人さん、九尾の...新作KAIDANその9『九尾の狐』