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2010/08/09

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  • 第3636日目 〈萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読みました。〉04/12

    目次 零、朔太郎の事、『恋愛名歌集』を読むに至った事、及び本稿凡例のような物。←FINISHED! 一、朔太郎が『恋愛名歌集』「序言」で主張すること。←FINISHED! 二、朔太郎、「解題一般」にて本書の意図を語る。←FINISHED! 三、朔太郎の『万葉集』讃美は、時代のせいもあるか?(総論「『万葉集』について)←NOW! 四、朔太郎、平安朝歌風を分析して曰く。(総論「奈良朝歌風と平安朝歌風」) 五、朔太郎、『古今集』をくさす。(総論「『古今集』について」) 六、朔太郎、六代集を評す。(総論「六代集と歌道盛衰史概観」) 七、朔太郎は『新古今集』を評価する。(総論「『新古今集』について) 八、恋歌よりも、旅の歌と海の歌?(万葉集) 九、朔太郎『古今集』選歌に触れてのわが所感(古今集) 十、総じて朔太郎は「六代集」を評価する者に非ず。(六代歌集) 十一、朔太郎の定家..

  • 第3635日目 〈萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読みました。〉03/12

    目次 零、朔太郎の事、『恋愛名歌集』を読むに至った事、及び本稿凡例のような物。←FINISHED! 一、朔太郎が『恋愛名歌集』「序言」で主張すること。←FINISHED! 二、朔太郎、「解題一般」にて本書の意図を語る。←NOW! 三、朔太郎の『万葉集』讃美は、時代のせいもあるか?(総論「『万葉集』について) 四、朔太郎、平安朝歌風を分析して曰く。(総論「奈良朝歌風と平安朝歌風」) 五、朔太郎、『古今集』をくさす。(総論「『古今集』について」) 六、朔太郎、六代集を評す。(総論「六代集と歌道盛衰史概観」) 七、朔太郎は『新古今集』を評価する。(総論「『新古今集』について) 八、恋歌よりも、旅の歌と海の歌?(万葉集) 九、朔太郎『古今集』選歌に触れてのわが所感(古今集) 十、総じて朔太郎は「六代集」を評価する者に非ず。(六代歌集) 十一、朔太郎の定家評に、いまの自分は深..

  • 第3634日目 〈萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読みました。〉02/12

    目次 零、朔太郎の事、『恋愛名歌集』を読むに至った事、及び本稿凡例のような物。←FINISHED! 一、朔太郎が『恋愛名歌集』「序言」で主張すること。←NOW! 二、朔太郎、「解題一般」にて本書の意図を語る。 三、朔太郎の『万葉集』讃美は、時代のせいもあるか?(総論「『万葉集』について) 四、朔太郎、平安朝歌風を分析して曰く。(総論「奈良朝歌風と平安朝歌風」) 五、朔太郎、『古今集』をくさす。(総論「『古今集』について」) 六、朔太郎、六代集を評す。(総論「六代集と歌道盛衰史概観」) 七、朔太郎は『新古今集』を評価する。(総論「『新古今集』について) 八、恋歌よりも、旅の歌と海の歌?(万葉集) 九、朔太郎『古今集』選歌に触れてのわが所感(古今集) 十、総じて朔太郎は「六代集」を評価する者に非ず。(六代歌集) 十一、朔太郎の定家評に、いまの自分は深く首肯する。(新古今..

  • 第3633日目 〈萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読みました。〉01/12

    目次 零、朔太郎の事、『恋愛名歌集』を読むに至った事、及び本稿凡例のような物。←NOW! 一、朔太郎が『恋愛名歌集』「序言」で主張すること。 二、朔太郎、「解題一般」にて本書の意図を語る。 三、朔太郎の『万葉集』讃美は、時代のせいもあるか?(総論「『万葉集』について) 四、朔太郎、平安朝歌風を分析して曰く。(総論「奈良朝歌風と平安朝歌風」) 五、朔太郎、『古今集』をくさす。(総論「『古今集』について」) 六、朔太郎、六代集を評す。(総論「六代集と歌道盛衰史概観」) 七、朔太郎は『新古今集』を評価する。(総論「『新古今集』について) 八、恋歌よりも、旅の歌と海の歌?(万葉集) 九、朔太郎『古今集』選歌に触れてのわが所感(古今集) 十、総じて朔太郎は「六代集」を評価する者に非ず。(六代歌集) 十一、朔太郎の定家評に、いまの自分は深く首肯する。(新古今集) 零..

  • 第3632日目 〈萩原朔太郎『恋愛名歌集』からの書写が終わりました。〉

    産休・育休の延長申請をしようとしたら、イヤそれは延長ではなく新規取得の申請だよ、といわれて、それもそうだな、と合点しているみくらさんさんかです。 本日やっと、萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読み終わりました。──ううん、読了とは正しくない。昨年12月には終わっていますから。ここでいう読了とは、モレスキンに綴った各章の感想・メモと、万葉古今六代新古今の各章でわたくしが斜線を引いた各歌を読書ノートに書き写す作業が終わったことを指す。母の逝去を挟んだ、3ヶ月と2週間に及ぶ作業でした。 勿論、毎日毎夜ずっと書写していたわけではありません。各章の感想やメモの書き写しはその日以前に終えていましたが、各歌の書写はそれから3週間くらい経った頃から始めた。圧し潰されそうな孤独と不安を紛らわすために、予定になかった万葉古今六代新古今の歌をノートへ書き写すようになったのです。もとより斯様な和歌の書写は初めて..

  • 第3631日目 〈みんながきみを待っている。〉

    2人目を授かりました。3月のことです。出産は秋の予定。 どちらでもいい、まずは元気に、丈夫に、生まれてきてほしい。 ママもお姉ちゃんも、きみを待っている。 さて、パパ、がんばらねば。◆

  • 第3630日目 〈本ブログが生まれるまで。〉

    そうね、それはこうして始まったんだ。…… 書いた作品を寄稿させてもらっていたweb文芸誌や音楽ライターが主催するSNS、レビューサイトが相次いで閉鎖されてから、もしくは自分の意思で脱退してから、書いたもの/書いているものを発表するアテがどこにもないまま、何年も過ごした。 聖書を読み始めた頃だから、2008/平成20年のことだろう。読みながらメモを作る。そうしなければ内容理解が追いつかなくなるところまで、聖書読書が進んでいたのだ──「出エジプト記」の後半、神聖法典に踏みこんで間もない時分だ。いい方を変えれば、いつ読書を断念しても可笑しくない段階に差しかかってきた、と云うことである。 或る日、作り終わったメモ数枚をぼんやり眺めているとき、ふと、思い付いたのである。これをネット上で発表することはできないかな。そうすれば、せっかく始めた聖書読書は挫折しないかもしれない。 丁度、ダ..

  • 第3629日目 〈次に読む本を探す。〉

    「もうしばらく、本は買いません」 夕食の席でそう宣言した。冗談ではない。売り言葉に買い言葉なわけでもない。本気なのだ。とはいっても、未読の本を消化してゆくだけのことである。 事の発端は、書庫と化しつつある自分の部屋に、読む本を探しに行ったところから始まる。これまで読んでいた本が終わり、明日から読む本を物色する必要が生じたのだ。 うぅん、まだ読んでいない本が随分とあるなぁ。 買うときは読む気でいたのに、帰ってきた途端にその気がなくなるのはどうしてなんだろう。それが積もり積もって負のスパイラルを描いた結果が、この未読の本の山か……。こりゃあ、いままでと同じ感覚で買い物を続けていたら、ろくでもない事態が待ち構えているぞ。 そう思うたら途端に、ぶるっ、と体が震えた。──架蔵する未読本を片附けるのが先だ。これまで読んできた本を思い出しながら、次に読む本を未読の山から探し出す。1..

  • 第3628日目 〈官房長官の本を切り口に、政治史を過去へ遡ってみたい。〉

    間もなく大下英治『内閣官房長官秘録』を読み終わる。残り、30ページ。2023年04月14日20時09分時点の話だ。 それが決定的なターニングポイントになったわけでは勿論ないが、1月のあの日以後、小説なるものを受け付けられぬ体になり、ノンフィクションへと完全に軸足を移したことは、あれから今日まで読んできた本を並べてみれば自ずと明らかになる。 拾い読みや摘まみ読みができるのが、ノンフィクションの良いところと思う。全体像や流れを摑んだりするには初めから終わりまで読み通すのが必要だけれど、ひとたびそれができたら類書については拾い読みや摘まみ読みが可能になるのは、ノンフィクションならではの利点といえまいか。つまり、或るジャンルを踏破するには全体が把握できる基本書籍を数冊揃えて、それをとにもかくにも最初から最後まで読み倒してしまうのが入り口になる。 ──バテちゃうよ? 当たり前だ。でも大..

  • 第3627日目 〈春の抱負──戦争について理解を深めること。〉

    いつも必ずではないけれど、と或る用事でと或る場所へ行くたび開く本がある。それを読んで、暇な時間を過ごす──のだが、理由あって〈そこ〉で読んでいる最中の本を昨日、別の場所に移動させた。当然、本はなくなる。新たに補充しなくては。未読本山脈の前で暫し立ち呆けて、これにするか、と〈そこ〉へ移したのは2冊。今更ながら、ロシア−ウクライナ戦争の本だ。 1冊は昨年買って、何度か目を通したあと書架に仕舞いこんだ小山哲・藤原辰史『中学生から知りたいウクライナのこと』(ミシマ社)。もう1冊は開戦前からロシア軍の動向等についてメディアで発言していた小泉悠の『ウクライナ戦争』(ちくま新書)だ。ここに黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』(中公新書 2002/08)が加われば申し分無しだけれど、あるはずなのに見附からないんだ。困ったもんだね、オッペケペッポーペッポッポー。 戦争が始まって1年2ヶ月(2023年..

  • 第3626日目 〈心機一転、場所を変えての読書。〉

    持ち歩いている本が読み終わると、しばし内容を思い返したり、扉に一言二言の感想を書きつける。然る後に控えるは、大きなお愉しみだ。つまり。次に読む本を選ぶ、と云う悩ましくも悦ばしい作業。 今日先刻、松田賢弥『陰の権力者 内閣官房長官菅義偉』(講談社α文庫 2016/01)を読了した。感想は、ツイート済み。そちらをご覧ください。読み始めて……1ヶ月程を要したのかな。覚えているのは、馬車道のスタバで読み始めた事、母の四十九日を途中に挟んだ事、くらい。 読み終えて、読了日を記し、感想を綴った。巻を閉じる。両腕を組んで、むむむ、と沈思黙考。さて、次はなにを読もうか。 政治にまつわる本、政治家に取材した本になるだろう。『陰の権力者』を読んでいる最中から感じている事だった。──法律の本へシフトするかな、と思うていたが、色々な意味で時期尚早と判断。いまはまだ見送る事にした。候補は、ある。幾つか..

  • 第3625日目 〈5ヶ月ぶりに開いた本、今年はじめての本。〉

    今年2023/令和5年は幕開け早々から、生活を根底から引っ繰り返す事態が出来した。その影響で以後、普通に行っていた事ができなくなった。読書の中断、は或る面でその最たるものか。 それまで、かりに断続的であっても読んでいた本を、手にする事もページを繰る気にもならぬまま何ヶ月となく過ごしたのは、初めてである。読もう、という気にもならなかったのだ。部屋の片隅で、カバーを掛けたまま放置されて、そのまま打ち棄てられても不思議でない、本。 とはいえ、月日は流れる。視界の片隅を通り過ぎてゆくその本が再び気に掛かり始め、或る日外出の際リュックに詰めこんで、ちかごろ新たな行きつけとなった市内某所のスタバでそれを開いいたのは、つい数日前の事。 過去の営みに自分を呼び戻すだけの歳月がいつしか流れて、その間に自分でも気附かず心は快癒に向かっていたようである。それを俗に、〈時が傷を癒やす〉という。……。..

  • 第3624日目 〈希望の同盟。──或る夫婦に。〉

    “a Combination of Hope.” 夫婦間の信頼関係を、わたくしは「希望の同盟」と呼びましょう。 ──2015年4月29日でした。訪米中の安倍元首相は、アメリカ議会上下両院合同会議にて、「希望の同盟」”an Alliance of Hope.”と別に称される、約46分にわたる演説を行いました。 わたくしのこの原稿のタイトルはそれに倣うものですが、変更を加えた部分がございます。安倍元首相の演説は”an Alliance of Hope.”ですが、わたくしの方は"a Combination of Hope.”であります。 ”Alliance”ではなく、”Combination”。 日本語に訳せばどちらも「同盟」なのに、なぜ変えたのか。”Alliance”が「国家間の同盟」を専ら指すのに対して、”Combination”は「個人間の同盟」という意味合いを強..

  • 第3623日目 〈その読書は分断ではなく、連続であった。〉

    一人の人間の死は、遺された者の生活に大きな影響を及ぼす。一時的であれ、恒常的であれ。誰もこの弊からは逃れられない。その人が当事者として処断する立場であるならば。 然り、わたくしも例外ではない。実務的なところで云えば、経済は停滞し、打撃を被り、緊縮財政を断行し、この2ヶ月を過ごした。おそらく秋まで、現在の状況は続くだろう。段階的緩和はされてゆくが、緊縮財政の解除宣言は秋まで待つことになる。 人の死はこれまで漠とは知っていても、その実態や諸般の手続等について実は僅かも知らなかった事柄のあることを痛感させる。それを片附けなくては前に進めないこともあり、主体的に行う者は右往左往しつつも公的機関や人の手を借りて、どうにかこうにか作業を進めて、終わった時はグロッキー状態で呆とした時間をしばし、過ごすことになろう。 が、誰しも1日中それに携わって過ごすわけではない。そんなこと、あってたまる..

  • 第3622日目 〈この2ヶ月間で読んだ本。〉

    葬儀以後、必要な手続というのはおおむね日中で終わり、夜の時間も書類記入や洗濯など済ませてしまえば、僅かながらも自由な時間というのが生まれる。時が経てばかつての習慣も復活する。顧みて余裕が生じ始めた──気持の余裕ではなく時間の余裕──頃から、生活のなかに読書という習慣が戻ってきたようだ。1ヶ月半程前、か。2ヶ月経ったかどうか、というくらいかな。 ただ、読む本はだいぶ変わったな、という印象である。まず、小説というものが軒並みお払い箱になった。現代作家の小説、という意味だ。兆候はあった、昨秋あたりから。 そうして現在、right now、遂に村上春樹さえどうでもいいか、と思えている。来月発売予告されている新作小説になんの興味も湧かないのだ。発売日に買いに行かなくっちゃ、なんて気持は微塵もない。蔵書のスリム化を実施中のいま、村上小説はわずかを除いて古本屋行きと決定している──当然、紀行、..

  • 第3621日目 〈安倍の復活、みくらの復活。──同列に語るなYO。〉【第三稿、決定稿】

    最悪の形で総理を辞任した安倍は、正に政治家として地獄に落ちた。安倍が経験したのは二つの地獄である。一つは、「総理の座を投げ出した敗残者」としての外部からの酷評。そしてもう一つは、「自信の喪失」という内面の崩壊である。(山口敬之『総理』P64 幻冬舎 2016/06) 安倍元総理は第一次政権が不本意な結果に終わったあと、自民党総裁として返り咲くまで約5年、雌伏の期間を過ごす。この5年間という歳月が安倍晋三を変えた。しかしこの5年間は常人には想像しがたい試練の時期だった。決してなだらかでない再起への道を、よくぞ折れることなく歩んだと敬服するより他ない鍛錬の時期であった。 山口のいう「外部からの酷評」とは体調悪化というやむなき事情ありと雖も就任から1年足らずで退陣、ゆえに政権放り出しと周囲から容赦ない侮蔑の言葉を浴び、これまでは引きも切らず訪れていた人たちが潮の引いたように寄りつか..

  • 第3620日目 〈告白。──病気が発覚したこと。自分の病気について調べてみた。〉

    ──6月1日(水)午後、内科2診にて宣告の時を迎えたみくらさんさんかである。 担当医はMRで撮影された写真と骨髄検査の結果を見せて、まずは一言、すっぱりと病名を伝えてくれました。曰く、慢性リンパ性白血病です、と。地元の内科医と先日の担当医の話から覚悟していたが、「慢性リンパ性白血病」とな? それは一体どのよう病気なのか? 先般水泳の池江璃香子が発症して話題になったアレと、よく似た病名だがどのような違いがあるのか? それを知りたい。実は先日初めてこの病院に来た日の帰り、いちばん近くにあるスタバの隅っこの席で若干絶望オーラを出しながら、スマホで「白血病」を検索していた。白血病とは要するに血液の癌だ。血液中の白血球(系細胞)が無限に増殖してしまうことから起こる。 ここで高校生物のおさらい;白血球は単一の細胞に非ず。骨髄球系細胞やリンパ球系細胞、といった形態も役目も異なる細胞..

  • 第3619日目 〈告白。──病院で診察したこと。〉

    さて、翌る日のことです。すっかりだらけた生活に鞭打つように久しぶりの朝7時起き。いやぁ、辛い、辛い。地元の総合病院でもらった紹介状と保険証をリュックに仕舞い、コロナのお陰ですっかり乗客の減った通勤ラッシュ帯のJRに揺られて、みなとみらいの病院の最寄り駅に着。動く歩道をてくてく進んでむかしの通勤コースを辿り、おもわずランドマークタワーやクイーンズ棟へ行きかけるのを制して(ついでにいえば途中のスタバへ寄り道しそうになるのも制して)、母と一緒に病院への路を歩いて病院に。 受付で「紹介されたんっすけど」と伝えるや「内科に行け」と返事がありました。ぼけっとエスカレーターで2階に上がり、外来受付で来意を告げて、紹介状を預ける。受付の女性、しばらく奥に引っこんだかと思うとうっかり八兵衛みたいによっこらよっこら戻ってきました。カウンター越しに彼女曰く、地下でMR撮ってきてください、診察はそれからです..

  • 第3618日目 〈告白。──病気が発覚したこと。〉

    昨年の初夏のことでした。左目の視野の一部が霞んでいるように思えました。具体的にいえば、視野の左上、です。日射しのちょっとキツい日に外へ出ると、どうも視界がぼやけているようで歩くのが怖くなったこともある。それゆえに足許がよろけるとか、それゆえに事故につながった或いは事故になりかけたとか、そんな災厄とは無縁でいられたのは幸いだったかもしれません。 とはいえこれまで感じなかった違和感、経験しなかった怖さは拭いきれず、5月中葉の或る日、地元の総合病院眼科へ出掛けて検査を受けることに。視力の検査、眼底の写真撮影、光点を追いかけて反応を視る、などなどよくある眼科の検査を経て医師の診察。 眼球表面、所謂水晶体って奴ですが、そこの表面に傷が多く付いていることは確認できるけれど是が視野のかすみの原因となっているかは不明とて、血液検査をして他の原因があるか否かを確かめてみることになった。中待合で看護..

  • 第3617日目 〈いま、ぼくがいるところ。〉

    喪の作業には、ショック期から立ち直り期まで5段階の〈喪のプロセス〉を辿る心理面の他、亡くなって葬儀に始まる一連の法要行事と役所や金融機関等々に対して行う各種事務手続を核とした実務面の、2つが包括される。 実務面とはつまり、こういう事柄である……なにから手を着けるか。並行してせねばならぬ案件に於ける優先順位は。それはいつまでにされなくてはならないか。その過程で誰を頼り誰に専門的作業をお願いするか。……等々不馴れな作業がてんこ盛り。 わたくしだって例外ではない。まさにこの真っ只中にある。わけもわからぬまま目に付いたときに、気附いたときに、指示されたときに、着手しては右往左往しているのが現状だ。 手を着けねばならない案件は山積している。完結した案件はなに一つない。すべてが終わる日は訪れるのだろうか。 「十分にお別れのできなかった場合では、一人で喪の作業をしなければならない中..

  • 第3616日目 〈亡くなったあとも、その人たちは生きている。──近江国の大人へ。〉

    おお、親愛なる近江国の大人よ。しばらくの無沙汰を致しました。第二信に触れて拙の思ふところをお話させていただきたい。──よろしいでしょうか? 貴兄はそのなかで、自分が身罷ったあとは、として前置きして、こう仰った、「(家族や友人が)時々思い出してくれるだけでいい」と。 同感であります。貴兄のお考えに異を唱えるところはございません。元よりわたくしも同じように考えるからであります。 人が本当の意味で死ぬ(亡くなる)のは、この世からその人のことを覚えている人物がいなくなったときなのでしょう。 生前の故人をずっと後までも覚えていて、なにかの折に懐かしく思い出したり、誰彼に/誰彼と話してくれている人物の在る間は、たとえ肉体的には死者であっても記憶や語り継ぎという形で生者たり得るのでしょう。故人に子供や孫といった血を継ぐ存在があれば、なおのこと故人はかれらがこの世に在る限り生者であり続け..

  • 第3615日目 〈「喪」の日常に古典和歌書写を組みこむこと。〉

    明るい事象を語りたい。建設的な話をしたい。──と思えどもそれは難しいこと。いまのわたくしにそんな胆力も気持を維持する力もないのだ。ただ伝えられるとすれば、わたくしには大事であっても読者諸兄にはどうでもよいこと、なのである。萩原朔太郎『恋愛名歌集』にまつわる話だ。即ち、── モレスキンの各章メモをノートに書き写して、それっきりだった。斜線を引いた歌をノートに書き写すか考えているとき、中断を余儀なくされたのだ。考えていたことさえ忘れ果てていた。やるべきことの洗い出しが済んで、翌日の予定を立てて、それをこなしてゆくことで日々の営みが前進するようになった頃に、ふと思い出したのである。 邪な考えは、ふとした拍子に心のなかへ土足で上がりこみ、いつの間にかどっかと胡坐をかいて居坐っている。気がつかないうちにそれは居場所を広げて、健全な心を蝕んでゆく。自分のなかにいつ、それが忍びこんだのか、知る..

  • 第3614日目 〈われ、死者を愛する者なり。〉

    優先すべき役所や金融機関での手続き、書類請求が一段落。いまは「小休止」の時期なのだろうが、本人としてはそんな気持にまったくなれない。先を思えば、まだまだ沢山やることはある。四十九日までは気の休まらない毎日だ。 なんの予定もない日が週に1日くらいあるけれど(たいてい日曜日)、むりやりにでもやることを見附けないとそんな日は却って、悪しき思いに囚われて、喪のプロセスに異常を来すようなことばかり考えてしまう。先週はかなり、まずかった。 作品名は忘れたが、故人の思い出を訪れた人と語り合う場面のある古典を読んだ。いまではその場面を、心の底から羨ましく思う。まぶしく映って仕方ない。そんな人、わたくしにはいないからだ、そんな人。故人の友なる方らにそれを求めることは出来ぬ。母の属した友らのいるコミュニティに、わたくしは属していないからだ。いや、まァ、そういうものだとは思うけれど。 それゆえか、..

  • 第3613日目 〈海より深い母の愛情、鉱石より強い父の愛情にくるまれて生きてきたのに、どこでぼくの根太は腐って傾いたのか?〉

    こんなことがあってから、一切無になって身の回り、その諸事について思いを致し、行く末に考えをこしらえました。外的要因によって一旦、心のなかを空っぽにして、自分自身を見通すことが、必要だったようです。でも、もっと別の外的要因だったら良かったのに。 いま、わたくしの心を占めるのは、「正しく生きること」、この一点に尽きています。 正しく生きること──父がそうだったように。母がそうだったように。心正しく、だれにも等しく、一瞬の情や損得に流されることなく、慎ましくあり、礼を尽くし、そうして「徳」を積めるように。「天に徳を積め」と聖書にあるが、それは無縁の人でも心掛けてよい言葉。正しく生きること──そのために、すべてを失ってでも真実を告白するのが必要。 結ばれた〈縁〉に感謝し、大切にし、自ら損なう愚を犯さぬこと──子どもは親の背中を見て育つ、といいます。子を見れば親がどう育てたか、なんとな..

  • 第3612日目 〈だれかの悲しみや喪失に寄り添いたい。〉

    これから意識して書き残したい物──だれかの悲しみや喪失に寄り添うような文章。 それは平易な言葉と素朴な文章で綴られる。分量は長くなく、読んで誰もつっかえないような。当たり前を語っているようで実は、深い。 辛さを経験した者だけが、人に優しくなれるのです。 古典について、真言宗について、キリスト教について、こちらはこれまでと変わらぬスタンスで。◆

  • 第3611日目 〈たくさんの不安を抱えながら、もういちど歩き始める。〉

    今日から更新を再開します。従前通り、毎日定時更新です。 何度となく通常運転に戻そうとしましたが、そのたびに思い留まった。なぜかといえば、毎日書き継いでゆけるだけの時間的精神的余裕を持ち得るか、不安だったから。取り敢えず1ヶ月分のストックは持たないと、毎日定時更新はすぐに挫折するだろう、と感じていたのです。 まぁ、結果については読者諸兄お察しいただけていると存じます。更新再開を斯様に宣言しているということは、原稿のストックが溜まって、かつ時間的精神的余裕をどうにか(工夫して)生み出せる状態に復したことでもあるわけですからね。 せっかく生まれた余裕がいつ、損なわれることになるかという不安はありますが、そんなことをいうていたら再開なんて夢のまた夢。見切り発車ではありませんが、原稿ストックを消化している内にそんな危難も切り抜けられるであろう、現時点でストックしている原稿をお披露目して..

  • 第3610日目 〈みくらさんさんかからの挨拶。〉

    そろそろ戻ります。 倦怠と不安に呑みこまれる時はまだ有るけれど、どうにかわたくしは生きています。 モナミ、待っていて。◆

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