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2010/08/09

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  • 第3405日目 〈荒俣さん、紀田さん、保土ヶ谷区尾上町、ってどこ!?〉

    荒俣宏『平井程一 その生涯と作品』感想は既に短いものを別に書いているのでそれに譲り、本稿はそこから切り出した疑問を、分量を拡大させて一稿と成すものである。たぶんわたくしが横浜市民でなければスルーしていたに相違ない疑問である──然り、読み始めて早々に引っ掛かりを感じてしまうた箇所が、本書にはあったのだ。その一節をまずは引用する。曰く、── 慶應義塾維持会加入者の報告にも、明治三十五年の三月六日から四月五日の間に、預金一口加入者として、「神奈川県保土ヶ谷 谷口喜作君」の名がある。この「保土ヶ谷」という地名は現在の神奈川県横浜市の保土ヶ谷区尾上町を指す。横浜の中心部である尾上町は単に「横浜」と記している例が多い。(P24) ──と。 谷口喜作は平井父、初代喜作をいう。「横浜の中心部である尾上町」とは中区尾上町だろう──まさか保土ヶ谷を指して「横浜の中心部」と曰う御仁もあるまい..

  • 第3404日目 〈荒俣宏『平井呈一 その生涯と作品』を読みました。〉4/4

    「他郷に住みて」の吉田ふみは、平井と起居を共にした人である。短いものながら、「土地の文化人と付き合うより漁師や農家の人達の話を聞くほうがよっぽどたのしい」(P414)といい、「子供好きな平井のところへは、近所の子供たちがよく遊びに来て、にぎやかだった」(P413)など、仕事を離れた平井の等身大の日常を伝えて余りある。 地にしっかりと足を着けて地域の人々との付き合いをとても大切にしていたわけだが、「よく遊びに来ていた子供たちは、それぞれ店の主になって、今一人暮らしの私に親しく声をかけてくれる」(P413)のはけっして平井1人の人柄などではなく、吉田自身の人柄にも起因するところであったろう。こうした縁が巡り巡って最終的に平井の遺品が原稿共々神奈川近代文学館に納められ、また、吉田の最晩年の生活を支えることになったのは至極当然、そうして極めて幸福なものであった、と感じるのである。 それだ..

  • 第3403日目 〈荒俣宏『平井呈一 その生涯と作品』を読みました。〉3/4

    3篇のうちで完成度の高さで最も優れているのが、「顔のない男」である。英国怪奇小説の匠たちの作劇術を自家薬籠のもとし、更に換骨奪胎して昇華してみせた、そうした面で「真夜中の檻」に肩を並べる作品である。もっといえば、本篇は平井の創作小説のうちで、「エイプリル・フール」と相和すジェントル・ゴースト・ストーリーの佳品といえるだろう。 ストーリーは、いまはもうない東京晴海は国際展示場での全日本自動車ショー(後の東京モーターショー)の場面から始まる、敷地中央のプロムナードも含めてわたくしには懐かしい景色だ──同じ思いを抱かれる方もあろう──。子供時分の「宇宙博」が最初だが、その後はコミケ初参加(一般)まで晴海とは縁がなかった。 そんなコミケ会場の雰囲気や光景──入場待ちの熱気や人いきれ、入場時と会場整理のてんやわんやぶり──を思い出してみると、昭和30年代に設定された「顔のない男」で描かれた..

  • 第3402日目 〈荒俣宏『平井呈一 その生涯と作品』を読みました。〉2/4

    戦後すぐの翻訳活動で目を引くのはワイルドとサッカレーの作品集である。本書にはサッカレエ『歌姫物語』解説が再録された。 平井のサッカレーといえば岩波文庫に入る『床屋コックスの日記・馬丁粋語録』(1951/04)が最もポピュラーだが、戦後間もない時分には森書房から『サッカレエ・諷刺・滑稽小説選』全6巻8冊の企画があった。『小説選』のラインナップは本書446ページに載るが、『歌姫物語』はこのうちの1巻で、唯一の刊行物らしい、とのこと。 『歌姫物語』は未見未読ながら前述の岩波文庫や改造社から出た『おけら紳士録』(昭和24/1949年)を読むと、そのやや古風で軽みと意気が調和した訳文のせいもあるのか、サッカレーと平井の親和性は八雲に次いで高く感じられる(由良君美もそう感じた一人のようで「最後の江戸文人の面影」並びに「回想の平井呈一」に発言がある。誰しも感じるところは同じか。いずれも『風狂 ..

  • 第3401日目 〈荒俣宏『平井呈一 その生涯と作品』を読みました。〉1/4

    小泉八雲を握翫鍾愛して代表的著作を個人訳したに留まらず、若いときは自由律俳句を提唱した俳人、河東碧梧桐の門に入り、また佐藤春夫や永井荷風に師事し、流転を経て迎えた戦後は怪奇小説の翻訳と研究の泰斗として斯界をリードした最後の江戸前文人、平井呈一(本名;程一)の、特に前半生はずっと暁闇のなかにあった。 それを此度、最後の門弟たる荒俣宏が関係者への聞き取りや埋没した資料の発掘てふ地道な作業を通して、出生前から歿時までの事績を掘り起こし、のみならず歿後の顕彰に至るまでの計約120年をここに取り纏めた。労作、とはこのような1冊のために準備された言葉である、とつくづく思う。 【年譜】というと基本的に2つの方向へ大別される。1つは丹念に地道に史的事実を諸史資料から拾って確定した年月日順に羅列してゆく方向へ。いちばんポピュラーなのは歴史の教科書の巻末に載る年表だろう。最もストレートかつ無味乾燥と..

  • 第3400日目 〈捜すのをやめようとしたとき、見つかることはよくある話ですね。〉

    すごく良いタイミングで……と思う。またまた片附けの話、が、それも今日が最終日。 発掘した、発見した。全身から力が抜けた、もうこれで捜索せずとも済むのだ。達成感を味わった、懐かしさに胸が熱くなった。 然り、例の古典の文法書が、廊下に積まれた小山を崩しながら最後に開けたダンボール箱からひょっくら顔を出したのだ。永野護『PLASTIC STYLE』と『MAJESTIC STAND』にサンドウィッチされているとは、流石のわたくしにも想定外であった、と告白しておきたい。 火事の片附けが間に合わなくなったのか。或いは気力が削がれていたためか。取るものも取りあえず片っ端からダンボール箱へ放りこみ、時間ができたらゆっくり(清掃も含めて)中身を確認しよう、とか考えていたのかもしれぬ。如何せん20年近く前の話だから、なんともいえぬが。 斯様なことはあったと雖も捜し物は見附かった。いま、それは..

  • 第3399日目 〈また見附けちゃった、また発掘しちゃった。〉

    諦めきれぬ古典文法書、飽きることなく捜索中。──今日は廊下のダンボール箱数箱を開梱、中身を徹底捜索したよ。 そうしたらさ、また見附けちゃったんだ、また発掘しちゃったんだ。処分を免れ、そこにあることもわかっていたけれど、実際に手にしたのは何年振りか、って文庫の群れをね。うん、それは岡本綺堂と久生十蘭の文庫だったんだ。 綺堂は高校時代から読み継ぎ読み継ぎしてきたが、いまは読むことを中断しているせいで買ってもさっと目を通したあとダンボール箱行きになったものが、ずいぶんと溜まってしまった。十蘭については岩波文庫の短編集2冊と河出文庫の数冊、現代教養文庫から出ていた『魔都』以外はどうしたわけか手着かずで、ダンボール箱の住人になってしまっている。 なんだか悲しいね。なんだか虚しいね。なんだか苦しいね。中途半端な読書の形跡を見せつけられると。咨、もうマジでイヤんなっちゃう。 とりあえず..

  • 第3398日目 〈”いま”必要な本を発掘しました。〉

    未だ文法書を捜索中。 もうタイムリミットかもしれない。捜索打ち切り、見切りをつける、といい換えてもよかろう。どうして見附からない? 隔靴掻痒、とはこのようなときに使う言葉か。 が、捜索の目的は達成できぬと雖もその途次、様々な、思うてもみなかったような発掘品に出合う体験を幾度もしたことで、わずかながら溜飲を下げることができているのも事実。 きっかけは、隙間から筺の上端が覗いていた新潮日本古典集成『雨月物語・癇癖談』だった。折しも「浅茅が宿」現代語訳を進めているところだったから、これは一種の共鳴事案かも。その下にケネディ元米大統領暗殺レポートの翻訳書が埋まっているとは、流石に思わなかったけれど。 既に所有しているとはつゆ思わず(=忘れていた)新たに古書店のサイトで購入検討していた本が、造り付け書棚のいちばん下の段から見附かったのは、幾らでもお話しできる数々の体験談の頂点を飾る..

  • 第3397日目 〈物持ちがいい男の話。〉

    また片附けの話。 かねて予告の通り、床からにょっきり生えて増殖する一方のダンボール山脈を引っ繰り返した。例によって例の如く、件の文法書はなかった。 代わりにずいぶんとむかしに書いた履歴書の書き損じや面接を受けた企業のパンフレット、求人雑誌の広告ページなど、目も背けたくなる負の遺産があとからあとから出てきて、困った。 娘がぐっすりお昼寝中だったこともあり、奥方様がすこしの時間、手伝ってくれた(しかしうちの子、よく寝るな……)。それを待っていたかのように上から3つ目のダンボール箱から出てきたものがある。有楽町の某催事場で行われていたイヴェント各種のスタッフ資料である。 資料というても公演名の細目、公演情報、タイムテーブル、当日スタッフの配置など記載されたA4片面のプリントに過ぎぬが、スタッフ参加した日の資料はぜんぶ残っていた(序に申せば、2008年GWのLFJAJホールCで行..

  • 第3396日目 〈ただいま捜索中!〉

    出掛けたいのに出掛けられない。家内のことゆえにではなく、捜し物が出て来ないためだ。昨日は造り付けの書架、今日はその反対にある本棚、どれだけ捜し回っても見附からぬ。 では明日は──床からにょっきり生えていくつもの山を作っているダンボール山脈の攻略を試みよう。ここにもなければ……処分した、ということになるのだが、そんなことはあるまい。 学生時代に先生から頂戴してその日からずっと机上にあり、その後も何度か見掛けた覚えのある本だからだ。要するに、思い出も思い入れも、序にいえば実績も、たっぷりある1冊なのである。 代替品は幾らでもこの世に出回っているし、正直なところ、贅沢さえいわなければ辞書の付録でもなんとか間に合うのだが、手に馴染み目に馴染み使い勝手の良い捜索中の1冊があるに越したことはない。 この1冊があれば、鬼に金棒なんだけれどなぁ。──とは、いま現物が手許にないことと、かつ..

  • 第3395日目 〈と或る人生への疑問。〉

    東京駅の改札でよく似た人に会った。その麗しき容に時間が刻まれた様子はなかった。 傍らの、中学生ぐらいと見える男児は子供か。12歳と仮定すれば24歳で母となった。 新卒入社した会社を2年ぐらいで退職したか。寿だったのか、出産を契機としたのか。 とまれ、いまの生活に満足し、家庭円満で、幸せでいてくれるなら本望です。◆

  • 第3394日目 〈葛飾郡真間郷の夫婦の物語を現代語訳したい。〉

    春らしい日もないまま梅雨入りしそうな感のある5月であります。「片岡に露みちて、/揚雲雀なのりいで、/蝸牛枝に這ひ、/神、そらに知ろしめす。/すべて世は事も無し。」とブラウニングが謳った春は、いずこに? それでも今日は朝、駅へ着く前に青空を見、虹を──彩雲を見た。思わず写真に撮った。 大型有給を満喫中、と優雅にいえればいいけれど、実体は然に非ず。昨日から腹の調子が思わしくないのだ。むろん、飲み過ぎでも食べ過ぎでも、コロナ感染でもない。……否、食べ過ぎはあるかな。 とまれ、具合が悪く、巣鴨詣から帰宅後は宵刻まで横になっていたのである。……ダチョウ倶楽部上島竜兵急逝のニュースを脇に聞きながらね。惜しい芸人を亡くしたなぁ。高校生の頃から見ていて年齢もそう離れていないと思うのに、こうやって若死にされてしまうとわが前途も不安になってしまう、というのが正直なところ。関係者の方々には失礼と承知し..

  • 第3393日目 〈2つの報告。〉

    たびたび、書いていた、と報告している荒俣宏・編『平井呈一 生涯とその作品』(松籟社)の感想文を数日後にお披露目致しますが、諸般の事情あり4日に分けて投稿しております。予めお伝えしてご容赦とご理解を求める仕儀でございます。 もう1つ報告したいのは、此度晴れて吉川英治『新編 忠臣蔵』上下巻を読了し、1日の間を置いて縄田一男・編『忠臣蔵傑作集』という旺文社文庫から出ていたアンソロジーに着手したことであります。 赤穂義士の事件を、当代の実力ある作家たちの短編で松の廊下の刀傷沙汰から義士たちの切腹までを時系列で再現した1冊であります。はじめましての作家もあり、お馴染みの作家もあり、でまたそれぞれの切り口を楽しむ意味でも本書を読むことにワクワクを抑えきれぬのであります。 それではみな様、お休みなさい。◆

  • 第3392日目 〈静夜思。〉

    〈眠られぬ夜〉は辛い。 この世に不眠症の人のあることを思えば、事情・支障あり寝の浅く頻繁に目覚めてしまう人のあることを思えば、──辛い、というのは贅沢な愚痴であろう。 されど〈眠られぬ夜〉は辛いもの。時間が異様に長く感じてならぬもの。さっき床に就いたと思い、夢を見るぐらいの時間は寝ていたろう、と時計へ目をやれば実際は30分ぐらいしか経っておらず、しかも実際は寝てもいなかった、とわかる瞬間程、嗟嘆したくなることもない。そんなときは余計に時間の流れるのが遅く感じられて、しかも睡魔の訪れは遠いもの。 が、しかし、そんな眠られぬ夜にこそ己の来し方を思い、人生を整理し、己を見つめ直す時間に充てよう。夜更けゆえ堂々回りしてドツボに嵌まり却って寝られぬこともあろうけれど、普段気忙しく動いて自分を見つめる時間も割けぬ生活を送っているならば、この時間を静かに活用するに如くはない。 眠られぬ..

  • 第3391日目 〈眠れぬ夜、吉川忠臣蔵を読んで過ごすこと。〉

    5月の連休にあった独り時間を殆どすべて荒俣宏の労作の感想文に費やしたこともあり、この間は該書と参考文献以外に本を読むことが皆無というてよかった。感想文もどうにか仕上げたあとはひたすらグウタラして過ごし、録画していた映画を観たり、家族と同じ時間を過ごすことを楽しんだ。そのせいではないだろうが、日付が変わって時計の針が午前2時を優に越しても眠気が訪れない。 やれやれ、である。様々な思い出や企みが千切れ千切れに脳裏をかすめてゆく。幸いとそれにより心騒ぐことはなかったけれど、とにもかくにも眠くならないその事実は変わらない。まさしく、いやはやなんとも、である。なんだかなぁ、である。 眠られぬ夜のためにできることはなにか? 否、なにもない。 ──いや、1つだけあったな、と、むくり、と起きあがって独り言ちた。この連休中、まるでページを進められなかった小説を読もう! そうだ、そうだ、この静寂..

  • 第3390日目 〈喫茶店は知的生活/生産の良きパートナー。〉

    喫茶店での会話が知的生活の活性化に有効である、と説いたのは渡部昇一であった。外国から新しい雑誌が届くとそれを持って近所の喫茶店に出掛けてともかくも1冊を読了してしまう、ゆえに読み残しはない、といったのも、渡部昇一である。また、小田島雄志は喫茶店を主たる仕事場にして、シェイクスピア全戯曲の翻訳を完成させた。 渡部、小田島の喫茶店のエピソードは、『知的生活の方法』正続(渡部 ※1)と『書斎の王様』(小田島 ※2)に載る。この3冊を10代後半から20歳ぐらいで読み、繰り返し繰り返し読んだ。その結果、喫茶店にこもって数時間を読書や執筆に費やす自分が出来上がる──常態化したのは30代からだけれど。 しかしどうして喫茶店は、斯様な知的生活(生産)に欠くべからざるパートナーであるのだろう。イギリス発祥のカフェ文化の歴史にもかかわるところになろうから詳細は省くが、とどのつまり、適度なる非日常とそ..

  • 第3389日目 〈弱音、本音。〉

    今日、というのは2022年05月06日ですがその夕刻、荒俣宏・編/紀田順一郎・監修〈松籟社〉の感想文への朱筆入れが終わりました。冗談でいうてたら、本当に連休を全部使っての作業になってしまった。しかし、なにはともあれ終わったのだ。 然り、終わったのです。出来映えはどれだけ悪かろうが、100の未完成品よりも1つの完成品、なのです。これから第一稿を複製して、そこに朱筆を反映させて、お披露目できる状態にまで仕上げましょう。あと、Ⅰ週間ぐらいかかるかな。 そろそろ図書館で借りた百物語怪談の本にも目を通したい。露伴や百閒の薄ら寒い話も読みたい。シェイクスピア読書の準備も始めたい。『ラブライブ!スーパースター!!』関係の文章も第2期開始前に片附けてしまいたい。なによりも、藤沢周平の時代小説を読めるようになりたい。──こんなささやかな希望さえ実現できぬ程、わたくしはいま生きづらさを感じているので..

  • 第3388日目 〈スマホを替え、メアドを変えたこと。〉

    一念発起して、という程のことではないかもしれないが懸念事項であったことを1つ、今日(昨日ですか)片附けてきました。約2年前の春、それまで使っていたiPhone6sが故障して(どうしたわけか或る朝突然、ディスプレイの照明が点かなくなったのだ)すぐに代替機が必要になったので、当座をしのげれば良かったこともありすぐさまAppleに電話して、iPhone8を購入した。 キャリアでないとよぅ分からん設定もあったので、駅近のショップへ出掛けたものの店員の不手際で今度はキャリアメールが使えなくなり、フリーメールの設定をせざるを得なくなった。それがこの約2年間、公式告知していた当方の携帯アドレスだ。良き人にも悪しき者にも、晴の人にも褻の者にも、この2年でなにかしらの関わりを持った人には教えているアドレスである。 以上、マクラ、というか、経緯の報告。 懸念事項は2つ;1つはiPhone8の放棄..

  • 第3387日目 〈貯えがあって、よかった。〉

    昨日の荒俣宏の本の感想文に連休中はかかりっきりで、新しいブログ原稿を書く機会が殆どなかった。それでも毎日定時に更新できたのは、「エズラ記(ラテン語)」の原稿を大車輪で完成させ、そのまま約2週間分のエッセイを書き溜め、予約投稿することができたから。 折節思うことではあるが、cloudに富を積むことの効用とは精神衛生上のみならず、こうした不測の事態に遭っても気を逸らすことなく、目前の作業に集中できることにあるのかもしれない。 そうしてこの原稿を書いている現在、本稿を含めてまだ数日分の貯蓄があるので、あと3日は感想文の朱筆入れに集中できそうだ。それから第二稿の作成、更なる推敲になるけれど、まだ余裕はある。集中しよう。◆

  • 第3386日目 〈ブツブツぼやく。──読書感想文、進捗記録。〉

    【前口上】 荒俣宏『平井呈一 生涯とその作品』(松籟社)の感想文をPagesに入力中。その進捗状況を記録してゆきます。進捗状況というより「ぼやき」とか「愚痴」かも。 印刷した余白に書きこんだことも、記録、という名目で残しておきます。 一、 【小説】のパートをPagesで入力しているが、われながら冗長と感じる。ここはかなり刈りこむ必要があるかもしれない。 二、 あのー、平井呈一の感想文ですが、Pagesでいま8ページ目。文字数にして10,000字を突破したんですけどぉ。あともうちょっとで終わるとはいえ、流石になんだか色々な意味で疲れてきた。 第二稿完成後は印刷して赤ペン片手に溜め息吐きながら、推敲作業→第三稿の作成です。予定通りお披露目できるのかなぁ? 2022年04月30日 20時44分 三、 平井呈一の感想文は、書評でもなければ感想文でも..

  • 第3385日目 〈鬼が腹を抱えて笑うだろう話。〉

    今年はもう予定が詰まっているから、うん、来年の話になるね。それも「できればそうしたい」だから、実際はさて、どうなることやら。 そう、シェイクスピア読書の話なのだ。来年は先頃からぼんやり考えていた、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲を1-2カ月に1作のペースで読んでゆこうかな、と。 主なるテキストを選ばねばならない。聖書のときは新共同訳一択で悩むこともなかったけれど、今度も白水uブックスの小田島雄志訳、一択である。手許に全作が揃って、過去にこれを読んできて馴染みがあるからだ。いろいろ翻訳に関していわれているようですが、わたくしにはやはりこれがいちばん肌に合うのです。 但し他のシェイクスピアの翻訳にご退場願うわけではない。就中3人目の個人全訳者、松岡和子(ちくま文庫)は副テキストとして侍らせることになるだろう。シェイクスピアを読んだ最初である新潮文庫の福田有恒訳も同様に侍らせて、適..

  • 第3384日目 〈横浜に残る吉川英治の痕跡。〉

    20代中葉のいつであったか。当時、八王子市に住んで鮮魚店を営んでいた叔父夫婦の家に泊まり、奥多摩へ連れていってもらったことがある。そのとき訪れて記憶に鮮やかに残っているのが、多摩川向こう岸の吉川英治記念館であった。 祖父の遺した蔵書のなかに『新・平家物語』があったとはいえ、わたくしが実際に吉川英治を読むようになったのは『新編 忠臣蔵』が最初である。つまり、いま。横浜ゆかりの作家と雖もどうしたわけか敬遠していたのだ。 わたくしの前に新潮社の〈新潮日本文学アルバム〉の第29巻、『吉川英治』がある(1985/08)。図書館の5階でいま、この本を開いている。偶々目にして手にし、開いたページには、まだ再開発の始まっていない現在のみなとみらい地区を撮ったカラー写真が載っていた。 中央に日本丸が浮揚係留されている。あたりにいまを彷彿させる建物は片鱗だになく、そも人影がない。地面には雨の跡が..

  • 第3383日目 〈ホームシックを支えた鏡花の小説。〉

    すっかりタイトルを忘れていた鏡花の小説がある。伊豆半島を巡って江浦や沼津が登場する小説だ。 偶々入ったブックオフで東雅夫編『妖怪文藝』全3巻(小学館文庫 2005/9-11)を見附けて懐かしさからすぐに手が伸び、順番に目次を開いていった。 1冊なら2年に1回ぐらいは見掛けるが全3巻揃いとなると実店舗で見ること稀で、わたくし自身こう書きながら倩思い返して全巻揃いを見たのはおそらく15〜16年ぶりか、と唖然としてしまうている。旧東海道脇の如何にもな古本屋の棚にそこそこなお値段でひっそりと飾られていたが、翌日仕事帰りに立ち寄ったら誰かが買ったあとらしくもう置いていなかった。 まぁ、そんな思い出もあっての懐かしさでね、と話を戻して。 第3巻「魑魅魍魎列島」の目次を開いたら、鏡花の名前が真っ先に飛びこんできた。当該ページを開いて1ページ読んですぐに、「これだっ!」と内心叫び──次の..

  • 第3382日目 〈或る読書感想文の進捗状況について。〉

    もう4日程、荒俣宏『平井呈一 生涯とその作品』(松籟社 2021/05)の感想文を書くのに励んでいる。いま頃? とかいわないでほしい。何度も書き倦ねて放り出して、を繰り返してようやく端緒を摑み、現在執筆中なのであるから。──昨日から全体の下書きに取り掛かったけれど、それもやっと1/2になるかならぬかの地点に、いまはいる。 これというのも途中、平井の創作集『真夜中の檻』に目を通したり、私家版『平井呈一句集』や河東碧梧桐の岩波文庫版句集を繙き、また雑誌掲載されたままの平井の文芸評論や近松秋江の作品を併読していたがゆえの手間取りである。まぁ、これをもっと具体的に、卑属にいえば、道草を食っていたのである。そうしてそれは御多分に洩れず、非常に楽しい時間でもあった……。 然り、この道草はとても楽しかった。今日夕刻(04月26日17時35分)、外は、激しく横嬲りの雨が止むこと知らず降っており、..

  • 第3381日目 〈H.P.ラヴクラフト「読書の指針」を読みました。〉

    高校2年の冬休みであったか。いまはもうない伊勢佐木モールの古書店で人生初めての「全集」と名の付く揃い本を買った。お小遣いとお年玉を貯めての購入で、当時の売価は18,000円であった、と記憶する(竹下内閣による消費税3%導入前)。『定本 ラヴクラフト全集』全10巻11冊がそれだ。 既にHPLの洗礼は受けており、創元推理文庫の全集は既刊分すべて読んでしまったか、最後の1冊を読み進めている時分であったろう。どれだけの影響を被ったか、ここでは語らぬとしても、そのHPLに全集がある、それがいま自分の前にある──店頭に並んだのは夏頃だったか、毎週日曜日にその古本屋へ行くたびまだ売れていないことを確かめて安堵し、焦燥に駆られもし、落ち着かぬ秋と年末を過ごしてようやっとそれを購ったときの感動と興奮! いまに至るもそのときの感情を上書きする全集との出会いを経験したことは、ない。 いちばん夢中になっ..

  • 第3380日目 〈記憶力の減退に悩む。〉

    芥川龍之介に、そぼ降る時雨を避けて書店へ駆けこみ洋書を愛で……という短歌があった。いまの自分と同じだ。降り始めた雨を避けようと地下街へ駆けこみ、寒さに震える体を温めたく目に付いたカフェへ席を取った。湯気立ちのぼるコーヒーがとても美味い。 すこしく落ち着いた後に、芥川の短歌を思い出しのである。が、内容は覚えていても肝心の三十一文字が思い出せない。時間を掛ければ可能だろうが、パッ、とすぐに口の端に上らぬようでは無意味じゃ。 どうやら視力だけではなく記憶力まで低下したらしい。百人一首すべてや『論語』の一節など覚えるともなく覚えられて、必要あらば文献に頼ることなくほぼ正確に誦せもしたのが……。 そこでゲームをしてみた。どれだけ覚えていて、それを引っ張り出せるか、のゲームである。いま飲んでいるコーヒー一杯の値段は? ストリート・ピアノで奏でられているピアノ曲の作曲者とタイトルは? 1年..

  • 第3379日目 〈目薬を使い始めたこと、白内障かもしれないこと。〉

    今年に入ってから目薬を使うようになった。左目が妙に痛み、水で洗ってもなにをしてもその痛み、一向やわらがぬため意を決して目薬のお世話になることを決めた次第である。 一昨年の春の頃だったか、地元の総合病院眼科にて目の痛みを訴えて目薬をいただいたことがあったけれど、当時の症状はもう覚えていない。覚えているのは目薬を差してもなかなか眼球に落ちてくれず困ったことぐらいだ。ついでにいえば今回もその「困ったこと」は解消できていない。 とまれ、目薬を購入して日常的に使用するようになったのである。此度は処方されたそれではなく、ドラッグストアで購入したものだ。……いやしかし、どうして目薬なる医薬部外品がこうも棚にたくさん、並んでいるのか……。 目が痛い、というのは角膜や水晶体がどうこうではなく、調べてみたらその外側にある外眼筋とかの痛みであるように感じられる。眼科の診療を受けたわけではないので所..

  • 第3378日目 〈こんな夢を見た(その11):This is Mine,〉

    われらは操を立てたに過ぎぬ。他へ与することを潔しとしなかっただけのことだ。侵入者を力持て排除することになんの後ろめたさを感じ、また世人はなどてそれを非道の行いとせしや。 かの日に記した夢には続きがある。正しく「続き」というてよいか迷うが、他の日に見た夢とはいえ舞台を同じうする点で「続き」というのは、ゆめ間違ってはいないだろう。 重ねていうが、別の日の夢である。われらは薄暗く、空気の湿った、果て知らぬ上階まで吹き抜けがある廃業したショッピング・モールにいる。今度は広場に坐りこんでいるのではない。吹き抜けに面して各階にあつらえられた回廊を歩いている。後ろには、子ら。 階上へ延びる棒状の、青白い灯が消えかけている。広場を見おろすと真ん中あたりに水溜まりができていた。ポツン、ポツン、と滴がしたたり落ちるたび、水面に波紋の広がるのが見える。 階段らしきものを登った覚えはない。が、わ..

  • 第3377日目 〈咨、困ったことに次の本がありませんよ、モナミ。〉

    なんということか……休憩時間はたっぷり残っているのに、読み終わってしまったのです。まだページはあるから、と油断して控えの本も用意していない。これはモナミ、由々しきことですよ。 咨、違いますよ、君。帰る前に本屋さんへ寄って新しいものを買えばいい、という単純な話ではないのです。だって読了した本というのは上下巻の小説で、しかも上巻だったのですからね。 続きがどうなるのか、どのように展開してゆくのか、気になって気になってなりませんよ。なぜって読み終えた小説(上巻)というのは吉川英治『新編 忠臣蔵』だったんですからね。歴史の本や映画・ドラマで事件のタイムラインを承知しているとはいえ、吉川英治描く忠臣蔵はまた格別ですからね。不慮(?)の中断が殊に堪えるのですよ。 傍訓の一周忌を赤穂で済ませた内蔵助が伏見で旧臣と偶会し、花街へ連れ行かんとする場面で上巻は終わりました。向かった先でこの「昼行..

  • 第3376日目 〈こんな夢を見た(その10):おぐゆーさんとの会話〜現実への帰還。〉

    こんな夢を明け方に見た。違う時間の世界のようだった。 小糠雨が前夜から降り続いている。薄暗いビルのなかにある円形の広場にいた。頭上はどこまでも吹き抜けだ。青白い人工の灯が棒状になって、途切れ途切れに吹き抜けの上部まで続いていた。人影が蠢いている。皆なにやら忙しく立ち動いている様子だ。 広場に店の看板と出入り口が面している。店内の照明が落とされているから、おそらく営業時間が終わっているのだろう。看板の電飾だけが辛うじて灯っている。そうしてわれらのいる広場は濡れている。空気も湿っていた。が、われらの体はどこも濡れていない。 われら? 然り、他に彼女がそこにいる。かつて「おぐゆーさん」と呼んでいた女性だ。そのまま働きに行けるような服装であった。なぜか2人して広場にしゃがみこんでいる。わたくしは胡坐、彼女は脚を横に揃えて投げ出して。手を伸ばさずとも、互いの息が届くぐらい近かった。 ..

  • 第3375日目 〈橘崑崙『北越奇談』から、幽霊船に遭った船頭の話を紹介します。〉

    わたくしにはいま、本ブログにてシリーズと云うべきものがあるそうです。 1つはヒルティに代表される「〜の言葉」、1つは「こんな夢を見た」 1つは「モルチャックが行く!」、もう1つは「YouTubeで懐かしの洋楽を視聴しよう!」 そうしてもう1つが、「近世怪談翻訳録」(仮題)であります。 むろんここに読書感想文などは含めない。あくまで折に触れ、気の向くままに筆を執るものであります。 話を戻して上掲、いずれも断続的に、本当に書くネタなくしては書き得ぬ類のもの。ゆえに何年も間があいて或る日唐突に1篇がお披露目と相成ることが専らなので。 今日(いつの”今日”じゃら)図書館で、分厚い本にはさまれて最下段へ仕舞われていた、200ページちょっとの新書版の1冊を見附けて読み耽り、借りてきました。著者は崑崙橘茂世(モヨ、と種彦の序文にフリガナがある)、書題云『北越奇談』。──鈴木牧之..

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