〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
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(前日からの続き)人間というのは何が大事かというと、休養なんですね。休養を得るには、やはり自分を見つめる心が大事なんです。ところがみんな自分というものがわからなくなってる訳ですよ。 悩む自分、惑う自分、苦しい自分というのを自分だというふうにつかみ間違えてしまうと、執着の方へ行ってしまう、苦の方へ行ってしまう。しかし、自分というのは本当はそういうもんじゃない。自分というのは、空っぽになって本当に朗らかになった時に、その小さい人間の智恵なんてものは止まって、神様の方から、「こういうふうにすればいいんだよ」と、何も思わなくても、そのように運命というものは作られてゆく。それは支配されてゆくという事ではなくて、本当に神様と一つになった時に、朗らかな生命に変わってゆくわけですね。ですから、その朗らかな生命というものを...宝について(7)
(前日からの続き)合気道の植芝先生は、自分が宇宙だって言ったんですね。私も宇宙だって、あの先生に返したんです。ということは、宇宙というのは競争者がいないんです。そして、人間というものは誰一人として例外なく、この宇宙なんですね。本当に誰とも競争しない、誰とも競合しない。それはもう厳然としてそこに在る。存在そのものだとね。誰にも冒されない誰も冒していかない。それでいてそこにキッチリ立っていて光り輝いている。一人一人がそういう存在なんですね。その人間の本質に気が付いてゆくと、楽になるんです。苦しまなくていいわけですよ。苦しんでしまうと、無用な競争をしたり、嫉妬心が起こったり、独占欲が出たりして、そこで競争して疲れてしまって、ああ私は何で出来ないんだろう、なんで私はこんなに生まれついたんだろう─と思ってしまう。だ...宝について(6)
(前日からの続き)自分自身、こうやりたい、ああしたいとかいう意気込みは大事だけれど、我(が)を出して競争心が過剰になると、欲と二人連れになってね、そのことによって執着が生まれ、その執着から把われが出て来て、その把われがその人を離さなくなった時に、これが苦になっていく訳ですから、その苦にならないためには、大事なことは、その時に、守護霊さん守護神さんよろしくお願いします、私頑張りますが御心にお任せします─というような気持ちで頑張ってゆくと、これが執着にも苦にもならない。ところが、やっぱり人間ですから、いろいろ頑張ったのに、あっちの方が成績が良くて、私の方が成績が悪かったというようなことに把われてくると、純粋に頑張っていても、だんだんと頑張れなくなってきて、夜も眠れなくなってきてしまう。次の日に仕事に行くのに、...宝について(5)
(前日からの続き)自分が体験してくるとね、神様の智恵というのは私一人じゃなくね、いろんな人にいろんなかたちで分けられている。その分けられているものを、皆がそれぞれ自分自身をいとおしんで、自分自身をいたわって生きていく。神様から与えられたその宝物が出て来る。自分がその宝物を引き出すのではなくて、その宝物の方から、その人自身を導いてくれて、その人が本当に生き生きと生きてゆけるような所まで連れていってくれる訳ですよ。 (つづく)宝について(4)
(前日からの続き)自分が無くなるということは、自分らしさがなくなってしまうということではないんですね。つまり、自分自身が本当に神様というものに生命を返してしまう、朗(ほが)らかに生命を返してしまうと、そこから新しい自分が現われて、そのことによって自分が生き生きと生きていくことが出来る。そういう事が私の身の上に起こったわけですね。これは何も私だけの特別な事ではなくて、私の場合は、何がそうなったのか、そのスイッチは何だったのかというと、私は神様に対して素直であった。その事だけなんです。それと、世界人類のために私の生命を使って下さい─そういうお祈りをずーっとしてきたわけです。主の祈りの後にそういうことをずーっとつけ加えて祈っていたんです。どういうわけか、自分の存在を投げ出して、永遠者というものに対して、そうやっ...宝について(3)
(前日からの続き)人間というのは、何だかんだと思うもんですね。今晩のご飯は何かしらとか、人としゃべっても何かいろいろと浮かんで来るもんでしょ。ところが、全く何も考えちゃいけないということ。例えば、雨の降る日に傘もささずにね、車道の真中を歩いて、さあどうなる?というような事をさせられたわけですよ。だけど私はもともとが常識的な人間で、常識から一歩も出たことがない人間でね、カチンカチンの人間ではなかったけれど、そういう常識的なところを持たされた人間が、そういう一見すると非常識なところを通ってね、そうして超常識にさせられたというのは、個人としてはとても辛いことだった。けれども、それを通して、結局は人間の智恵ではなくて、肉体をもって生きているということは、神様の智恵が神様の方から流れてくるんだということが実感として...宝について(2)
話すときには何にも考えていないんです。空っぽなんです。思い浮かべるということもない、流れてくるままにしゃべります。どこかの本にも書きましたけれど、うしろに釈迦がいたり、キリストがいたり阿弥陀さんがいたり、まあいろいろ忙しいわけですね。私はその司会役をやっている。かといって、私の自分の中の人間性が壊れるということは全くなくって、五井昌久という人間性でもってしゃべっている。みんなそう思っているけれども、私には私というものは全く無いんですね。私心とか、あいつが憎いとか、そういう想いが全くなくって、ただ相手の心が映って来る。例えば、私に何を聞きたいのか、この人にとって何を答えてあげれば一番本心を開発してゆけるか、そういうところだけを見て、私という個人が何かを判断するのではなくて、そこで私を支えている守護霊や守護神...宝について(1)
神さまという言葉をつかわないで講話をしてごらんなさいあたりまえの日常の言葉をつかって宗教とか祈りとかいう言葉をもっともらしくつかわないで大きな大きな大河のなかであそびながらしゃべってごらんなさい第21巻「さやけき生命」了日常の言葉で講話を
単純な子どもでもわかるような言葉で語ることいつもいつも五井先生が心がけてきたことですやさしくわかりやすくしつこくなくひらがなのこころでやさしいこころでしゃべるときいつのまにかかみさまの舌になってゆくのです五井先生が心がけてきたこと
音楽おんがく私の心をかつてとらえ私をいやしたしらべたちしかし今はあらゆるところに神のしらべをきいているこの幸福はあなた方のためにあるのだ神のしらべをきく幸福
あおぞらのなかの神のこころそぼ降る雨のなかの天使たちの声みんなやさしく愛にとけてあなた方のところにやってくるみんなやさしく愛にとけて
釈迦もキリストも老子も孔子も法然さんも親鸞さんも役の行者もみんなみんな光の伝道者そしてわたしもあなたもみんな同じ光をもっていることに気づいたとき光の輪はいつのまにか私たちを包むもし人間が吸う息ばかりだったら青くなって倒れるでしょうもしも月がどこかにいってしまったら地球で私たちは生きてゆけなくなる潮の満ち引きそれらは絶妙のバランスでもってすべてがくずれてゆかないように少しの間もおかず私たちを守ってくれているのです押したり引いたりしてごらん人生のなかでよく耳にする言葉ですでもいつ押していつ引けばいいのかその間合いを一番御存知なのは神さまです私たちは神に愛されているのですみんな光の伝道者
詩は言葉の寺誰の言葉だったかいい言葉だと思うんですよ言葉の寺言葉はことだま、寺は祈る場所本来のいのちを宣り出す場所です詩は祈りなんだ私流にいうとこうなるんです祈るっていうのはしかつめらしく祈るんじゃないそうでしょう高村光太郎の智恵子を詠った詩なんて悲傷そのものです、叫びそのものですでもそれが魂の底から湧き出て真実をたたえているだから詩は祈りなんですこの祈りこそ天にも人にもとどくものなのですだから詩人は祈りをささげている人なんです詩は言葉の寺といったこの人は神様の智恵の言葉をたくまずしてかきつけたということがいえると思います何のてらいもなくだからこそ神の智恵を言葉としてかきつけることができたのですこれは無為の一つこれも無為のひとつ無為にして成すとき本当の人間の真実が輝きだすのであります私流にいうと詩は祈り
まるで写真のような景色という言葉やまた絵のような景色という言葉があるけれどそれがどんなに賛嘆の言葉であろうと実際の自然のすごさにはかないっこないんですただ美しいとか素晴らしいというんじゃないすごい、すさまじいエネルギーですそりゃあそうでしょうしょっちゅう地殻変動がおこったりどっかで爆発したり新しい泉が湧いたりものすごいいのちの躍動がいつもいつも起こってんですからなまやさしいもんじゃないその爆発で人や動物が死んだりもするわけですからそれはすさまじいもんです生きる死ぬ、また生まれる今、ここにあったものが次の瞬間には吹き飛んでしまう無常だと思ったって思うひまもあたえないぐらいに自然も人もすべて生命あるものは生々流転してとどまることがないゆく河の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず淀みにうかぶうたかたはかつ消えか...光も闇も宇宙神の絶えざる大愛による
耳を澄ませればそらのたかくやさしく澄みとおったひびきが私たちのもとにおりてきているのがよくわかりますそれらはたてよこ十字にすみとおった空気になり山河になり楽の音になりせせらぎのおとになり人家のけむりになり人を恋うる気持ちになり心からのおどろきや感動また涙となってそれぞれ私たちのいのちをうるおしてゆくのであります私たちはそのうるおいを受けとって私どものいのちのふるさとを心に想い起こし呼びおこして私たちが実にやさしい光のふるさと人であることを思い出すことができるようになっているのです神というふるさとはいつも私たちとともにあるこの安心のなかから祈りを深めていただきたいと思うものであります私たちは光のふるさと人
本音本心で話をしたいでもなかなかできないというのがよく皆さんと話していてなやみとして出てきたことですが神様の世界からみると本音も本心もそんなものはじめから本心ばかりの世界ですから神様と人間の世界ほどまっ正直な世界はないわけですまっ正直というよりそのものズバリの世界ですよねうそとかおもてとか裏なんて言っていたらどうにもならないそんなものが入り込むすき間のない充実そのものの世界ですたとえばこの宇宙を成り立たせるのに星雲があり星団があるそしてまたブラックホールもあるんですみなさんブラックホールというとみんなこわがってしまうけれどそんなことないんですよ宇宙中のマイナス意識というのは何億何十億年というあいだにつみ重なった宇宙生成の過程での星々のそれぞれの宇宙人類のあげてきた心の声といったものがたい積されているんです...すべては整然とした秩序のもとに
本当のことを言えば生きることも何もかもこの世の営為のすべてあの世ではたらくこともドア一枚のことなのでして私たちには死はないのです明るい無限の生命を光を生きてゆくのが本来なのでありますしかし以前にも言いましたようにこの地上に生きている時には肉体という器が一番必要ですからそれがどんなに上着であったってやっぱりかわいがってやらなくちゃあいけない肉体に感謝するというのはただ働いてくれてありがとうとみなさん思うかも知れませんがこの宇宙のなかの地球という星の上で私たちが健康に生きてゆくにはもっとも適した上着を神様が下さっているわけなんです金星には金星の土星には土星の名も知らぬ星々にいたるまでみんな霊人たちのそれぞれに合ったその場所その星そのところに合ったものが与えられているそれは非常に深い神様の御計画のなかから降ろさ...すべての進化は神のふところから
祈るということは本来の自分にかえるということです本来の自分というのは光ばかりのまばゆいというのもまだるっこしい世界そのもの宇宙そのものなのですながれがその光のただ中に私たちを連れてゆかずにはおかないのですそれが元のもとだからみんな宇宙なのですよこの宇宙は一点一画に到るまで神の慈愛によって成り立っていますすべてのものは神の大愛によってつくられすべての時は神によってそなえられすべての事象は神のみちびきによってすすめられてゆきますしかも神と人とははなれているのではなく私たち一人びとりのなかに宇宙があり神の最奥の智恵があり神のひびきが内包されているだからこそ我々は生きているのであります生かされているのであります聖書のなかにその小鳥の一羽の生死さえ神のみこころがなければ成らずとあるのはこのことであります本来の自分にかえる
神様は不思議なことをなさるけれど人間の眼からみれば不思議でも神からみれば一人のこらず光をしらしめたいという愛のはかりごとなのだだからどんな時にも自分を責め人を責めてはいけないよどんな時にも愛と祈りを心によびおこし愛して愛して愛し抜いてゆこうそれが人間なのだから神の愛を受けて生きる人間の真実の姿なのだから 昭和62年2月14日昼愛について稿了神様の愛のはかりごと
〇サウロはサウロの闇のなかでキリストの光を撲滅しようとおもっていたけれどキリストに出会って真実にイエスがキリスト(真理)であることを知った時サウロは自らをパウロ(いと小さき者)と名のって神のいのち光となって働いたのだサウロのこと
〇みんな神様のいのち誰一人責めてはいけないよいつどこで誰がお世話になるかも知れないこんな人がと思っているが立派になって神様の御用に立つということがあるのだみんな神様のいのち
〇器用に世の中を渡ろうとするよりも不器用でもいいから懸命に誠実に生きている人を私はありがたいとおもう懸命に誠実に
〇私は純朴な人を愛する神の前にまっすぐに立つたましいを愛する神の前にまっすぐに立つ魂に
人間の真実のすがたがどれほど愛深くなれるものかかがやいているものかということを私はいってきたんです神からきている人間の真実のすがたを知らなければ一番みじめになるのは人間自身です世の中ちっともよくなりゃしない災難も起こるし病気にもなる目に見えるところだけを追えばそのとおり先生平和になるっていうけどいつ世界が平和になるんですかってききにくる人もいるそうじゃないんですよあらわれの世界ってのはおもいの世界なんですよ想念(業想念)の世界その世界にとらわれている限り光はでにくいんです想念おもいぐせってものが全部悪いわけじゃありませんよそのおもいを光でみたしてゆけばいいんですじゃあ先生この貧乏は病気はってみんないうだからそれを預かるっていってるんですよ何でもかんでも苦しいものいやなものは私に下さいっていってるわけなんで...明るい自分を信じて
(前日からの続き)人間の真実の仕事は愛することなんです愛して愛して祈って祈って今までのとらわれやこだわりをなくした時になくそうとつとめている時に無限の神様の愛が我々を包むんです本当に愛されていることがわかる一人一人がこの地上に生きる地球上に生きる人類一人一人が兄弟姉妹だってことがわかるいのちというものがやさしくなってゆかなければ嘘なんだということがわかるそして宇宙の星々のすぐれた霊人たちが私たちによびかけていることがわかる宇宙そのものが我が家なんだってことがわかるんですわかってくるんです悟るっていうんじゃないんですわかるもうパーッとわかるんです心を明るくして愛でいっぱいにしているとわかってくるんです自然にわかってくる人間は神様の子どもなんだということがわかってくるんです世界人類が平和でありますようにってい...人間の真実の仕事(4)
(前日からの続き)人間一人一人みんなが持っている純なこころ素直に素直に絶対者をおもうこころそのこころを引き出して光らせてそれでもって世界を平和にしてゆくだから五井先生が偉いわけじゃないんです昌美(現・会長)が偉いわけじゃないんですみんな等しい神様のいのちそれでもってみんなの光をあつめてよびおこして一人一人が先頭に立ってこの世界を平和にしてゆきましょうとこういうんですよそりゃあそのためにいろんなお役目の人がいます村田さん(故・長老導師)のように霊界を訪ねて肉体を持ってる人間が一番こわいと思ってるその死の本当の意味を向こうの人たちに会ってねそれを記してつまり死は真実の永生往生むこうへ生まれにゆくその出発点なんだということねそれを知らせるそういう人もいますこれは村田さん以外には中々出来ないんですあの人が偉いとい...人間の真実の仕事(3)
(前日からの続き)世界人類が平和でありますように日本が平和でありますように私達の天命が完うされますように守護霊様ありがとうございます守護神様ありがとうございますという祈り言をいただいたこの祈りは大調和の祈りそして神様の大愛のなかにすっぽりと入る祈り神様の元の元に帰ってゆく祈りなんです現在どんな宗派のなかにいる人でも祈られていい祈りなんです今までこういう祈りはありませんでした狂言に宗論ってのがありますよね坊さん同志が南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経をいいあいっこしてゆずらないというやつ今みんな世界がこれなんですねで私の祈りはこれはそのままでいいから南無阿弥陀仏世界人類が平和でありますように南無妙法蓮華経世界人類が平和でありますようにってやっていただいていい祈りなんです己れ尊しじゃないんです祈りによる世界平和運動...人間の真実の仕事(2)
人間というものがどんなに神様に愛されているか私はようく知ってるんです私だけじゃない釈迦やキリストやマホメットやこれまでに地上におりてきた聖者たちもよく知っていました彼らはみんな神様の愛を真理を説きつづけたのですが国家や時代というものが光そのものの教えに枠をはめてしまったのです聖者達はかがやいているのに人間の想念が自分勝手なおもいがその光に顔をそむけてしまったのですその結果自分の教えだけが真理だ真実だこれを信じなければ地獄におちるなどという馬鹿気たことをいいはじめて己れ尊しの姿勢に終始してしまい自分が自分がの救われようのない想念の渦まきをこしらえてしまった安心を与えることをおいてこれを信じなければ大変なことになるぞという恐怖を与えてしまっているのですこれでは一人として人間は救われてゆきません神様は公平な平等...人間の真実の仕事(1)
祈ってゆく内に自分がなくなるってことがありますがこれは無我になって神様と一体になることであって決してその人がその人らしさを失ったということではないんですよく世間では法悦境っていいますよねこういう言葉をきくと何かしら浮世ばなれした世界のように感じちゃう人がいるんだけれどそうじゃないんですたしかにそのときは何ともいえないいい気持ちになりますがそれはぱーっとこう我々のいのちをあたらしくされる光を神様からいただいてるこういうことでしてね何のためにいただくかっていえばそれぞれの職場で学校で家庭で生き生きとはたらくためなんですねだから決して浮世ばなれじゃない浮世ひっつきなんです神様と一体になってああ自分のいのちはこころはおもいは自分のすべては神様からいただいてるんだな神様からきてるんだな神様ありがとうございます守護霊...人間の真性に深く目覚めますように
祈って祈って祈り抜いてゆくとただ朗らかになって自分のいのちと対面することができます世界平和の祈りは人間が朗らかになるためのエレベーターなんです昭和62年2月14日朝朗らかになるためのエレベーター
私の教えは余分なもの余計なものをみんなとっちゃってとにかく神様の愛につないでゆく人間の真実のすがた光そのもののすがたをしらせてすっきりと神様のいのちにつないでゆくそういう教えです理くつじゃあないんです神様が我々を愛して下さっていることも守護霊さんが不眠不休でみなさん一人一人を守って下さってることもみんなこれは事実なんです五井昌久って人はこの事実をそのままにつたえにきた人なんです私の教えは
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〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている
〇神様ごめんなさい、といっぺんいえばいい。くよくよ思っているのは、いのちの流れをとどこおらせる。くよくよ思わない
〇私は光と光を結ぶために来たんだよ。光と光を結ぶために
〇人はいろいろと迷うものだ。けれど、本当のことをいえば、迷っているその奥に、こゆるぎもしない自分がいる。それが本心であり、それが本当の自分なんだ。本心はこゆるぎもしない
〇光一元、光一元、私のからだは光一元そう思えばいい。私のからだは光一元
〇素直な人。ただ、いい人を目ざすのではない。はじめは、善意にあふれた思いやりの深い人というのでも、段々、そこにつよさとたくましさを加えて、内のいのちが光りかがやくようになる。そこまでを神様は考えていらっしゃるし、私はそれを手伝っている。つよさとたくましさを加えて
〇神に不可能はない。ただ愛念を送る方法を、一人一人の器にしたがってかえているだけである。神に不可能はない
〇神のしらべはいつも流れて、光に溶け込んでいる。神のしらべは光の中に
〇自然は神と調和し、人と調和するすがたをあらわしたものである。皆様、明けましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いいたします自然というもの
〇生かされているということはありがたい。生かされていることに感謝
〇 神々の助けがいつも及んでいる。いつも神々が…
〇こころを鎮めれば、消えてゆく姿がみえる。こころを鎮めれば
〇愛を入れなさい。 〇 身もこころも神にゆだねなさい。身もこころも神に
〇沈思黙考というのは大事なことだ。沈思黙考を
〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている
〇神様ごめんなさい、といっぺんいえばいい。くよくよ思っているのは、いのちの流れをとどこおらせる。くよくよ思わない
〇私は光と光を結ぶために来たんだよ。光と光を結ぶために
〇人はいろいろと迷うものだ。けれど、本当のことをいえば、迷っているその奥に、こゆるぎもしない自分がいる。それが本心であり、それが本当の自分なんだ。本心はこゆるぎもしない