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わだつみの華 https://blog.goo.ne.jp/wadatsumihirohime

あなたの心のなかを、ここちよい風が吹き抜けますように。

ライフスタイルブログ / 感謝と祈りの暮らし

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wadatsumi−hirohime
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2010/05/20

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  • 本当の姿は 光りかがやいている

    自分の本当の姿を掴んでゆきましょう光そのものの何も迷いもさわりもない姿それが人間の本当の姿なのです自分は本当は一切まよっていないかなしんでいないおそれていないただ光りかがやいているそういう姿なのですその姿をしっかりとらえて迷いもなげきもみんな世界平和の祈りのなかに入れてすすんでゆきましょう昭和62年2月6日夜本当の姿は光りかがやいている

  • あるがままの いのちを生きる

    今愛が神様の愛が無尽蔵に宇宙にみちていてその愛が私ども一人一人のなかにダーッとながれこんでいるのです光のシャワーをあびつづけている愛というやさしさという祈りといういのちの水をのみつづけているこれが私たちの本来です私たちの本来は何かというと霊のいのちなのですさわりというものの一切ない明るいいのちなのです神様は明るい方です愛にみちた方ところが肉をまとって地球で生活している内に自由な愛そのものの霊のいのちよりも肉体の方を主人だとおもっちゃった不自由な入れ物の方を自分だと勘違いしちゃったんですそれじゃ追っ払われた霊のいのちは今どこにどうしているかというとみなさんの肉体の奥にちゃあんと生きてるんですみなさんの肉のいのちをやしなっているこころを魂をやしなっているんですこのいのちは人間から決してはなれたことがないなぜな...あるがままのいのちを生きる

  • 神の器に盛るのは 愛と祈り

    私たちは神の器器には何を盛ればいいのかときかれたら愛と祈りといおう私たちのいのちは愛と祈りによって生かされているのだからこの肉の身をつらぬいて神の愛の光がみちているのだから愛と祈りを私たちのなかに盛ってゆこういくら盛ってもあふれることがない愛と祈りを昭和62年2月6日夜神の器に盛るのは愛と祈り

  • やさしさのある人に

    やさしいやさしい人になって下さいいたわりのある人に人の気持ちのわかる人にいくら地位があったって財産があったってやさしさがなければ何もならない人の痛みを傷の深さをおもいやることのできる人間にならなければ何も、ならないやさしさは愛なのですやさしくあろうとするとき人のいのちがかがやいて光そのものになってゆくのですやさしさのある人に

  • 世界平和の祈りを やってゆくうちに…

    優等生になろうとおもわないでいいのですそのままで世界平和の祈りをして下さいそうやってゆくうちに自分も自分のまわりもおちついてきます世界平和の祈りをやってゆくうちに…

  • 神の愛という ふるさとに帰る

    世界平和の祈りはかみさまの言葉神様の愛の言葉神からわかれた私たちがこの祈りをとなえる時私たちは私たちのふるさとに帰っているのだ神の愛というふるさとに帰っているのだ神の愛というふるさとに帰る

  • みんな 神の愛が守っている

    神様神様神様自分の内も外も天も地もたてもよこも前もうしろもみんな神様が神の愛が守っているのだということを知ったらもう何もこわいものはありはしない昭和62年2月6日みんな神の愛が守っている

  • みんな 神の愛へかえってゆこう

    自分をまもるというところからでてきた愛ややさしさはまだ本物ではありません神様の愛をごらんなさい神様は何もなしでただただ人間を愛している人間を救って救って救い抜きたいとおもっているただそればかりの愛なのです深いながれなのですそうしてこの流れは私たちのなかにみんなあるのだけれどまっすぐにこの流れをみつめるにはあまりにいろいろなことがありすぎてどうもみつめられないこだわりだとかねくやしさだとかね怒りだとかそういったものが流れをみつめようとする人間の眼を遮(さえぎ)るのです神様の愛というのはりくつじゃあないちょうど親が子をおもうようにごく自然なこころの働きなのですいとしいとおもうかわいいとおもう本心の光にみちた大生命の元の元からの愛なのですだから一度すべてを神様のなかに返してしまって光をあび切ると今度はどんなおも...みんな神の愛へかえってゆこう

  • 愛をよびおこす祈り

    みんな神様の愛を受けたいのちなのです神様の愛というのはどういうのかというととにかく人間を愛して愛してゆるしてゆるしてゆるし抜くそういう愛なのです責めもさばきも何一つとしてありはしないだって神様は人間がかわいいばっかりなんですからそれを自分が悪いんだあの人が悪いんだとおもってしまうのは人間の想念です神様からはなれていたころのおもいというものがでるんですこのおもいはなかなかつよいんですよなまじのことではなくならないでどうすればいいかと一生懸命考えたわけです神様のみこころというものは愛なんだからその大愛のなかにこの身このままを投げ込んでですね神様おねがいしますとまかせちゃうとこれが一番だとおもったそれには個人も人類も同時に救われる祈り世界人類が平和でありますように日本が平和でありますように私達の天命が完うされま...愛をよびおこす祈り

  • 神様の愛は この上なくあたたかい

    みんな神様に帰るいのちなのです神様の愛は無限大今日はここまではいこの列の人でおしまいなんてことはない神様!とよべば神様の愛のなかにみんなすっぽり入れるそうしてあたたかい愛で辛いところ苦しいところをのぞいてもらって明るくなってゆくんですそれはもうすっかり明るくなる愛というのはあったかいものなんですよ神様の愛はこの上なくあたたかいのだってみんなを救おう救おう一人のこらず光のいのちに目覚めさせようという愛なんですからねながい間人間は業を主人だとおもってきたおもいを主人だとおもってきたそうじゃないみなさんの直霊はもう光かがやいているんですそれは何でかがやいているかというと神様の愛で光かがやいている人間はもともと神様からずっとわかれてきたいのちなんですからね光ってない方がおかしいので、こういうやさしいやさしい神様の...神様の愛はこの上なくあたたかい

  • 愛について 序

    序五井昌久愛とは何かときかれれば、それは、やさしさだとこたえましょう。愛はどこまでもどこまでもやさしいもの。そして、宇宙の奥の奥の奥までそのきわみのないゆるしの光を拡がらせているものなのです。それはもう無限大に。私たちは、そういう愛を、この身の奥に持って生きつづけてゆく光なのであります。昭和62年2月4日愛について序

  • 自殺した人の霊について(子供の自殺も含む)

    (問)自殺した人の霊はどうなるかということをお教え下さい。(答)どこへ行くかということですか。自殺するって、本当にいろんな原因があって、誰も自殺したくってする人はないんだけれども、ただ稀に菩薩行で自殺する人があるんですよね。全部業を引き受けちゃって、そういう自殺の場合は、自殺しても苦しい世界に行かないんですよ。自分が全部引き受けて死にますのでね。(問)子どもなんかどうなんですか。自殺しますが、あれなんかどう解釈したらいいのか、また、残された遺族の方については。(答)あれは本当にね、菩薩行もあるけれども、あの多くは、何か遊ばれてね、いろんなものにとり憑かれて死んじゃうという事あるんですよ。つまり、それこそ幽界の低級霊なんかに憑依されてね、あるんですね。それはその人が、神様を信じないから良くないとかそんなこと...自殺した人の霊について(子供の自殺も含む)

  • 老人の生き方について(3)

    (前日からの続き)神様の流れのままに生きるということは、私はよく書きますけれど、その神様から来る流れの中ではいろんなものがあるんです。調和しているものもあれば、一見して不調和のものもある訳です。大波小波もある訳なんです。だから、流れのままに生きる事は、その大波小波に覚悟していけますよという、そういう事なんですよ。そこの所を間違えて、いい事ばかり解釈していると、悪いとみえるような事があった時に、何で神様がいるんだろう、何で仏様がいるんだろうになっちゃうんです。ところが、その流れというのは、本質的には人間を良くしよう、もっと調和させてやろうという神様の心ですからね。それに本当に乗っかって任せきっていればですね、必ず光も送るし、必ず道が開けるんですよ。そこの所で、ああ本当に私は生かされている、本当に祈りがある、...老人の生き方について(3)

  • 老人の生き方について(2)

    (前日からの続き)老人が生きるのが何で難しいかというと、そこの所に鋭さが鈍くなっていませんとね、自分の経験によって生きて来た世界によって、虚しさの方が多いじゃないかと観てしまいますからね、そこで負けてしまうんです。その自分の経験の中に引き込まれちゃうんです。で、それを跳ね返す力が弱くなるんですよね。ところが老人というのは、人間世界から観た年令のことであって、これが魂の側から観れば、魂の古い新しいはありますが、しかし、生まれてくる生命の中には古い新しいというものは無い訳です。みんな同じ資質といいますかね、神の性といいますか、違いはありますが、そういうものを持って生まれて来ているんですよ。だから、この世的に60になろうが70になろうが、その人の魂が、やっぱり自分は生かされてる、体が動かなくても、何かしたい何か...老人の生き方について(2)

  • 老人の生き方について(1)

    (問)老人の生き方についてお尋ねします。(答)この頃は、若い人があんまり長く生きたくないとか言う人が多いですよ。誰かさんもどこかでそんなことを言ってたけれども、何で生きたくないかというと、どこかでね老醜を晒すという恐怖、それから、体が弱くなってくるという、それを認めていかなくてはならないでしょう。老いるということはそういうことですよね。老いるということは、体力的な気力的なものの衰えというものを認めてゆかなければならない。つまり、記憶もなんか悪くなってきたとか、そういうマイナスの部分を認めてゆかなければいけない。だから切なさとの戦いですよね。本当にそうなんです。60になったら60になった途端全部忘れてしまっちゃって、今聞いたこと全部忘れちゃって、また最初から読まなけりゃならない、人の話もまた最初から聞かなけ...老人の生き方について(1)

  • 排卵誘発剤を使用しての出産について(2)

    (前日からの続き)で逆に、産児制限をしている(当時の)中国なんか一人っ子しか駄目という、あれは悖(もと)るんです。どんな形であっても、人間が生活してゆくことで、地球だって狭いしね、人間の生きてゆく都合というものがありますから、どんなに広い家を建てたいと思っても、狭ければ広く出来ないということと一緒で、人間がここまではいいよといって許された枠というものをはみ出した時には、それは畏れを知らないということになる訳ですね。その範囲で産児制限を、原則的には私は産児制限は反対なんですけれど、また、排卵誘発剤を使って産むということは、その枠を、人間の良心、宗教的に言えば本心、そういうものに悖るかどうかというぎりぎりのところで判断して、そこでどうなんだという、そこで考えてゆかないと、徒らに人を責めることになるし、自分を責...排卵誘発剤を使用しての出産について(2)

  • 排卵誘発剤を使用しての出産について(1)

    (問)水子オペとはちょうど逆になるんですが、排卵促進剤というものも、脳死の問題と一緒に論じられ、あまり良くないと、神様の御心を汚すものだと言われており、一方バイオテクノロジーで遺伝子の組み替えも出来るという現状において、子どもが欲しいという人たちは、手段があればどうしても使いたくなるものですが、このことについてどうお考えでしょうか。(答)人間というものは、自分の願望をいつか現実にかえたいというものがあって、そういう想いがあって、だから、科学の発達、現代文明の発達があり、今でこぼこのところもあるけれども、こんなに便利になったでしょう。そういう中で、生命について、たやすく排卵誘発剤を使って、生命がポコポコと出て来るというようなことは、人間が生命を管理するということになってくるから、それに対してどうなんだという...排卵誘発剤を使用しての出産について(1)

  • 水子供養について

    (問)水子供養とか水子地蔵とかありますが、最近のお寺のああいうものは、あれでも浄まるんですか。水子の形をかりた幽界の感情霊のようなものでしょうか。(答)あれはなかなか浄まらないんですが、なかなかそんなものじゃないんですが、愛念というものはね。水子供養などが何で成り立ってゆくかというと、ああ悪いことをした、生まれてくるべき生命を自分が絶っちゃったという想いでしょう。それがずっと自分の中にたまり過ぎちゃうと、キリスト教の原罪みたいになって、自分を責めることになるんだけれど。でも、水子というものはないんだといって、不感性になって、何をしてもいいんだということになったら、これまた人間として失格な訳です。やっぱり思いやりというのか、生命に対する極みのない想いというのか、それを失ったら人間が人間でなくなる訳ですからね...水子供養について

  • 水子の霊について

    (問)水子の霊についてお聞きしたいんですが、水子というのは菩薩行の魂なので、幽界みたいなものと違い、簡単に祟るというものにはならないという話を聞いたことがありますが。実際に水子の霊がついている方というのは、俗に耳にするんですが、そういうものというのは、何がそういう形になって、何を守護の神霊達がこの本人に伝えたいのか、お伺い致します。(答)水子の霊というのは、前にも言いましたように、菩薩行なんで、自分は生まれない中途で生命を絶たれてしまうんだということを分かってる訳なんです。分かっていますから、絶たれちゃっても、そちらのところの子どもに生まれて、親なり家族達を栄えさせてゆく。また、こちらが悪かったなと思って子どもの霊を祈っていれば、その光が届いて、向こうからも光が来て、両方良くなってゆくという霊体ですけどね...水子の霊について

  • 問答集 序

    ──序──五井昌久質問にこたえるというかたちで一巻を編んでみた。しかし、やはり私の説いたものは、神の愛であり、人間の無限である。くわしくは内容をみられたい。平成2年3月31日問答集序

  • 世界平和の祈りと五井先生の唱名(8)

    (前日からの続き)今現在、私たちがこの世界の中に生きていて、人類の一人なんだし、そして、人類が我々が平和であるように、平和に生きて行けるようにというのは、我々人間の念願なんだし、本願なんだし、しかし、その本願をつくったもの、念願を生み育てたもの、それが何かというと、それは神様なんですね。やっぱり。神様の根っこに我々は深く入って行って、そして、そこから生命の声を出して行かないと、祈りの声を出して行かないとだめなんです。そういう意味で、私は、世界人類が平和でありますようにという、あの世界平和の祈りの中にも、五井先生と言う唱名ランニングの中にも、それは全部一つであって、どれを唱えようと唱えまいと、五井先生というのは、どこをどうとっても五井先生に辿り着くんだということを、この際覚えていただいて置いたら、大変良かろ...世界平和の祈りと五井先生の唱名(8)

  • 世界平和の祈りと五井先生の唱名(7)

    (前日からの続き)だから、往相も還相も一つ。円環なんですよ。円環の印ってやったでしょう。円環の印なんですよ。だから、本当に宇宙をぐるぐる廻っている。印の結びなんです。だから、どういう印だろうと、どういう形をとろうとね、人間は形をとらないとなかなか人間というのは弱いんで。何かの形をとらないと、何かの名前を呼ばないと、何か対象を持たないとやっていけないというのがありましてね。無目的では何も出来ない。ね、平和のピース塔だってそうだし、いろんな事を目的を持ってやらなければ集まって来ない。だから、〇〇がピースポールを何本買ったとかどうとかという話だって、そういう事をしないと行動が出来ないという、人間の弱さがあるし、また可愛いさもあって、そういう事をこっちは見抜いているから、そういう風な形にして流してゆくんだけれども...世界平和の祈りと五井先生の唱名(7)

  • 世界平和の祈りと五井先生の唱名(6)

    (前日からの続き)我々は毎晩毎晩、前に言いましたように、霊界に行って霊要素をとって帰って来て、そうして、また日常のエネルギーにかえて、それで毎日を生きている訳ですね。眠らないと死んじゃうというのは、霊要素とらないと死んじゃう訳だから、そうなる訳だから。そうなるんだけれども、しかし、それというのは、やっぱり真実の自己を本当の意味で養っていく。真実の自己が何処にあるかを、常に常に自分の本心に照らして、そうして祈りの中で覚えてゆく。で、その為にやはり祈りというものがある訳で、そうして、世界人類が平和でありますようにという、世界平和の祈りも、五井先生というのも、みんな連らなって一つであって、何がどうの、こっちが良いとか悪いとか、そういう問題ではない訳なんです。だから、仮に私がね、五井昌久という人間として個性として...世界平和の祈りと五井先生の唱名(6)

  • 世界平和の祈りと五井先生の唱名(5)

    (前日からの続き)決して私を個人崇拝するのではなくて、五井先生という人間がたどりついた、一つの極点ですよね。つまり、神界に自分の本当に朗らかな生命が働いている、霊界にも働いている、そして、肉体の奥にも働いている、それが燦然となって合体して、そうして貫いているものが我々をまたつき動かしている。その真理を私は五井先生という中へ入っている。だから、お釈迦様と言うのと、キリストと言うのと、私と言うのと、どれ呼んでも一緒なんですよ。で、五井先生と呼びたくなきゃ、他のものを呼んだって、結局、私の所へ連らなってやって来ます。だから、唱名ランニングの時にね、世界人類が平和でありますようにと言ったって、五井先生五井先生と言ったって、結局一緒なんで、どっちにも私が生きてるしね。私が生きてるということは、神様のみ心の中に私が入...世界平和の祈りと五井先生の唱名(5)

  • 世界平和の祈りと五井先生の唱名(4)

    (前日からの続き)だけれども、私の本当の所というのは、それはもう神様と本当に一つになった、朗らかな生命そのものである自分が、それから以後は働いて行った訳なんです。だから、五井先生と呼びなさいという時には、その五井昌久という、小っちゃいね、こういう個性を持ったね、そういう個人を呼んでどうのこうのじゃなくて、私の真実の自己、誰もがみんな持っている真実の自分自身、光り輝いている迷いようのない疑いようのないね、把われようのない自己自身ですね、神様の愛ですよ、その自分自身を拝みなさいという事なんですよね。だから、それが私という名前、五井先生という名前になる。例えば、クリスチャンの人だったら、それがイエス・キリストになる。キリストはね、神様の言葉を語った時には、やっぱり光そのものになっているんです。あの人の中にはイエ...世界平和の祈りと五井先生の唱名(4)

  • 世界平和の祈りと五井先生の唱名(3)

    (前日からの続き)いろんな霊修行もしましたでしょう。交差点の車の激しい通りを目をつぶって歩けとか、何とか言われたりして行こうと思ったけれど、行けなくなったりとか。そういう無駄なことは、守護霊さんはね、ささやきでいろんなこと言ってためしてくるけれど、結局、私という人間を死なせないような形でもってね、神様というのは、一人びとりの天命を果たさせるためには、決して生命のある間は死なせない。そういう神様の愛護を、あの時私は知った訳なんですが。つまり、自分の天命を、あの時に思い知らされてですね、そして、私がもう一人の自分、神様の、神界の光り輝いている、自分の生命をつき動かしている、真実の自己というものに出会って、それを肉体の奥から取り出して、肉体をそえものにして、それを主(あるじ)にして出来ていった時にですね、私はみ...世界平和の祈りと五井先生の唱名(3)

  • 世界平和の祈りと五井先生の唱名(2)

    (前日からの続き)例えば、私は前にも、会に来ているね、統一会に来ている人に、高校生だったかな、その人に尋ねたことがあるけれども、本にもあると思いますよ。今、世界人類が平和でありますようにと言えませんと。それで、五井先生と言えるっと聞いたら、五井先生だったら言えると。じゃあ五井先生と言いなさい。五井先生と世界平和の祈りは一緒なんだからということを言う。これは、私が始めた祈りだから、私の名前を言えば世界平和の祈りと私は同体なんだよ。つまり、五井昌久という個人を高見の所に持って行って、私を拝めば、御利益的なものも現世のものも来世のものも、全部救われると。救われるというのはそういう風なことではないんです。そういうことではなくて、私は、こうして宗教の活動をする前まで、何を考えていたかというと、悟る前は、人類の為に私...世界平和の祈りと五井先生の唱名(2)

  • 世界平和の祈りと五井先生の唱名(1)

    世界人類が平和でありますようにという言葉で始まる、世界平和の祈りと申しますのは、私が神様のみ心を受けて、そしてまあ人意的に申しますと、私が始めたということになっている、唱導したということになっている、祈りでございますけど。これは、本当に神様のみ心そのものなのであります。つまり、それは一言で言えば、神様というものは愛なのだということ。そうして、その神様の愛であるということを我々に告げ知らせる為に、守護霊さん守護神さんというものが、もう絶えることなく働いている。我々は眠ったり自分を休めたり致しますけど。そういう休息をする暇もなく、我々のこの肉体生命も奥の生命も、向こうの世界へ霊界移行しても、もう本当に最後の最後まで、神様の愛というものを本当に知らせる為に、我々一人一人を支えて、そうして、我々の天命が完うされる...世界平和の祈りと五井先生の唱名(1)

  • 私が 神様につないであげる

    私が神様につないであげるだから何にも心配しなさんな私が神様につないであげる

  • 人間 神の子論が暗示にならないように(4)

    (前日からの続き)我々に一番大事なのは何かというと、それは祈りなんです。祈るということを離れたら、我々は何にも出来ない。祈りは、神様と我々を結びつける。神様の愛と我々の愛を結びつける。神様からいただいている、我々の中にあるいろいろなおもいやりだとか、肉親への愛情だとか、子どもへの愛情だとか、師弟の愛だとか、いろんな愛がありますよね。それだけじゃなくて、それを世界人類に広げてゆく。そういう神様からいただいてる大きな恵みというものを、もう一度自分の中に、何ていいますか、振り返ってみてね、そうして、暗示だけに終わらないように、今、白光は、勇ましくして、何とか世界人類全体の業といいますか、そういう暗い想いというのをはね飛ばさなきゃいけない為に、いろいろ行進をしています。そうすると、砂埃がたってしまって、その砂埃が...人間神の子論が暗示にならないように(4)

  • 人間 神の子論が暗示にならないように(3)

    (前日からの続き)私が生きている時に言いましたようにね、守護霊さんを想っていると、守護霊さんの世界に行くと言いましたでしょ。それと同じなんですよ。そこの世界へ行くんです。だからね、苦しいと想ってる時は、その苦しいという流れの世界に行くんですよ。で、あなた方が皆ね、大変だ苦しい、これは困ったどうしようかというのは、それは確かに現実のいろいろなことが迫って来て、苦しいというのがあるんだけれどもねえ、その苦しいなら苦しいの想いの中へ入って、さっきも申しましたけどねえ、その世界へ連れて行かれる訳ですよね。自分の中の本体が行きたくないのにね、光の方へ行かないでそっちの方へ行くから、自分の中のものが詰まっちゃって、もう息苦しくなっちゃって、何とかならないかなあっていう、そういう想いが一杯出てくる訳です。やっぱり人間と...人間神の子論が暗示にならないように(3)

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