〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
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(前日からの続き)肉体人間としての私は凡夫でありますがひとたび世界平和の祈りを祈るとき私どもはすべての宇宙人類とともに光の使徒として世界平和を実現してゆく一人となってゆくのでありますそれはすべて神の愛と守護の神霊宇宙天使の加護によるのであります人が自らのうちに自在に働く自分自身を覚知したときとらわれから解き放たれてゆくのでありますがそれは絶えざる祈りによって覚知されてゆくのでありますそして朗らかに生きる何物も自分をさえぎるものがなくただ光明のいのちばかりが自分をとらえてはなさない神の愛のもとにたしかにとらえられてもう二度とさ迷うことがないことをしるのが私どもの天命であるのであります世界平和の祈りは私どもにこの天命の尊さを教えてやまないのでありますどうか世界平和の祈りのうちに神の大愛を味わって下さい世界人類が平和...自在ないのちであることをしるための祈り(4)
(前日からの続き)神のみこころみいつそのままの祈り本源の光の祈りである世界人類が平和でありますように日本が平和でありますように私達の天命が完うされますように守護霊様守護神様ありがとうございますという祈りを唱えるとき私どもは私どものふるさとである神へ本源のいのち光へと回帰し自らそのいのちの光を身におびて生かされている一人一人であることを神の大愛のうちにしらされてゆくのであります生かされているいのち光のいのち神とともにありつねに平和の祈り言のなかですきとおってゆくいのちそのいのちを自他にかがやかしてこの世に生きて参りますとき私どもは一生活者一常識人のすがたのままに神のいのちにつらなり平和の果実を実らせてゆく一人とならせていただくのでありますさりげなく祈りただ祈り呟きをも祈りにかえてゆくときに私どもは光のいのちを発揮...自在ないのちであることをしるための祈り(3)
(前日からの続き)自分を好きになること自分をほめること自分を労わることこれらは何よりも大事なことですなぜなら自分を責めるところからは何も生まれてこないからです自分は駄目だというおもい自分をいやしめおとしめて暗くくらくなってゆくところから生じてくるのは我でありとらわれであり自分はこれだけの人間でしかないという限定であります人はそういうふうに思うことに慣れて今日までを生きてきたのでそれは肉体を自分自身とみるところから生じた点で無理のないところもあったのですが人間というものは無限定の神の愛から生まれてきたものであり神からわかれてきたものであることを一人のこらずしってもらうために世界平和の祈りが私に託されたのでした人が闇のすえではなく光のすえであり光の子であること人は自らきづかないままにつねに神に祈りをささげている存在...自在ないのちであることをしるための祈り(2)
神を信ずるということは神にすなおになるということでありますすべてを神に任せ切りゆだね切って何のとらわれも不安もなく世界平和の祈りのもとに人類のいのちがひとつとなり愛の光がこの祈りを柱として世界を駆けめぐってゆくそれらは肉体人間のわざではなく光のいのちである神とこの神のわかれのいのちである本来の人の霊なるいのちが結ばれたときになされてゆくのでありますすべてを消えてゆく姿としてながめすべてを変化(へんげ)するものとして祈りのなかに投げ込みますと最後にのこるものは神の愛であり光でありますそしてこの神の愛と光とが私ども一人ひとり個々の天命のなかに分けられていることをおもいますと実に私どもはほろびざるいのち滅することなきいのちをこのからだに戴いていることに気付かされるのでありますもとより肉体はこの地上を生きるためにまとっ...自在ないのちであることをしるための祈り(1)
〇私の安らぎは神にかえり天命にかえることいのちの本源が光であり限りない光明であることをしるとき人は本当の意味で孤独ではなくなる寄り合ういのち支え合ういのち祈り合いともに神の前に座するいのち神の心が世界人類への愛一念であることを心に覚えたとき私の胸はどれ程の感激にむせんだことだろう世界人類が平和でありますように日本が平和でありますように私達の天命が完うされますように守護霊様、守護神様ありがとうございますという世界平和の祈りに全世界の人々がやがて心を寄せすべてをこえてこの祈りに結集してゆくとき白光はかがやくのである私の安らぎ
〇人は神からわけられた光のすえであることを祈りのうちにしる天命は神のかぎりない愛のうちにつつまれ一人びとりはいつくしみのまなざしにとらえられて世界平和の祈りのなかでみずからのやすらぎどころにかえってゆく神よ世界平和の祈りに込められたあなたの愛をあかしするひとりとして我等の器を用い給え神よ我等の器を用い給え
〇すべてのいつくしみと愛とは神にあり神は慈愛そのもの
〇神への賛美はくちびるよりいでいのちを保たしめる永遠の愛は一神にして多神の神よりながれくることをうたう神につながる我等がいのち神よりわけられし我らがいのちは汝をたたえて黙すときなし神を賛美
〇神の誠と愛とが人をつつむとき人はおのずから愛に生きるすがたにめざめて祈りをささげずにはいられない神の誠と愛とにつつまれて
人類の進化というものにはかぎりがありません純朴に神を求めて自分自身のすがたを祈りのうちに求めてゆくときに私たちは自分自身がはめた自分はこういう人間だというたがから一つ一つ外されてゆくことになるのであります本来いのちというものに区切りがないように(役目の終了、はじまりはありますが)自分というもの人間というものは宇宙大にもなり無限にひろがって存在してゆくものなのでありますすなわち自分自身をすなおにして人に神につくして参りますとき人間というものはおのずから透明になってすきとおり自分もなく人もなくあるがままのいのちを楽しむものなのでありますこの地上にはさまざまなことがあって我々はその一つ一つにとらわれよろこびかなしみ苦しんでおりますが我々の本来のいのちとすがたとはすべてのものから解き放たれてただ光をながし光を受ける神の...人類の進化
(前日からの続き)人よ世界平和の祈りのもとにあつまろうそして自在となってそれぞれの天命を朗らかないのちを完うしてゆこう人は本来光としてながれているものなのだ自由に天地を創りまた天地を駆けて歓喜の唄をうたいつづけているものなのだすべての業は神のいのちの前には神の光の前には永遠ではない永遠(とわ)なるものはただ神の愛私たちは世界平和の祈りを祈るときこの神の愛につながった自分自身であることをしる私たちをもとのすがたに還そうと神はさまざまな聖者を降し祈りをくだしてそのなかで働かれたそして今すべての人の心に神性を呼び覚ます霊性を呼びさます愛の祈りをしめされたのだ人々は世界人類が平和でありますように日本が平和でありますように私達の天命が完うされますように守護霊様、守護神様ありがとうございますというこの世界平和の祈りのなかで...自由なあなた自身へ(2)
こころにたえることのない火をもやしてゆこう愛というやさしさという火をいきおいよく燃え上がらなくともよいパチパチと音をたてていなくともよい声高になることも決していらないただしずかに守護の神霊と神を呼びつづけてゆけば自然にこころに火がともってゆくその火種が消えないように多くの聖賢たちはさまざまな祈りをささげた阿弥陀如来を呼び大日如来を呼びイエスの名を唱えあるときは苦行のなかに己れを投げ込み激しく山野をひたすらに駆け抜いたりしたまた仏を刻むうちに無を求めたりした坐ることで眠らないことで経をよむことで彼らはみな朗らかないのちの源であるあなたとひとつになろうとしたみなそれぞれに祈りの火をかかげてあなたを求めたが私は今しずかにあなたから賜わった世界平和の祈りのうちにあなたを呼ぶ世界平和の祈りよこの数行のうちにあなたの本心(...自由なあなた自身へ(1)
人は本来光であることをあなたは私たちの涙をその掌に受けながらささやいて下さいました私たちはそのささやきをおききしてもすぐにはかなしみからたち上がることができませんでしたがあなたはじっと私たちをやさしさのうちに見守って下さいました私は涙のかれた声で最初は何の期待もなく祈りの言葉を呟きましたそれは祈りというよりもこれまでの習慣からくる単なるつぶやきだったのですつぶやいているうちに私はふと私のかなしみを忘れた一瞬がありましたそしてそのとき私自身があなたの大きな愛と智恵の光にしっかりとらえられていることにきづきました私は私だけではなく私をみまもっていて下さる多くの霊人の存在をみました彼らはみななつかしい笑顔を私にむけてともに如来印を組み平和の祈り言をささげていますそして彼らからまた守護の神霊からそしてあなたから私のかな...神様私の祈りを浄めて下さい
青空はどこまでも澄み切って神の愛の深さをしめす青はやがてあおとなり藍となってその目にしみるほどの深いかがやきは神の智恵をしめしてゆく神よあなたの前に私たちは私たちの祈りをささげよう私たちがあなたの愛と光のすえであることを世界平和の祈り言のなかにしめして下さったあなたによろこびの平和の祈りをささげてゆこう平成2年1月16日平和の祈りをささげよう
こちらから答を用意して話をしてはいけませんそれでは何も相手がいえなくなってしまう大事なのは無になってその人の話をきくことですこちらが返して欲しい答を用意してしまうとそれは枠にはめることになってしまいます今とても祈れませんという人にそれでも祈りというのは大事ですとやったのではこれは何をしているかわからなくなってしまいますそうですねえ祈れませんねえでもあなたのうしろでいつも守護霊さんや守護神さんがみまもっているから心配しなくても祈れないときはかわりに祈って下さいますよ大丈夫大丈夫といって安心させてあげるってことがまず一番しなきゃなんないことですね安心をあたえないでおどかしたんじゃどうしようもないですよ祈りもへったくれもあったもんじゃないみんな今までおどかしたでしょうそれで駄目だ駄目だといって責めちゃあ祈れ祈れって云...一番は安心させてあげること
光はどこにでもとどまってこの世界が平和であることをしらせようとする光は世界中を駆けめぐって人が神の愛のすえであることをしらせようとする光は平和とよろこびの使者光は一人一人の身内にやさしさとなり祈りとなってともされているあなた方が世界平和の祈りを祈るときあなた方は光となって世界を駆けるのだ平和の光となりやわらぎの光となってすべての人の心にともる平和の祈り言のなかで人は神の光をおくる器となってこの地上と天とを愛でむすんでいるのである平成2年1月14日人は神の光をおくる器
本心というのはいつも光りかがやいていますゆったりとしています悠々としているんですその本心がみなさん一人一人のなかにあるそうしてこのいのちを私たちをみちびいているわけですからちっともあせることはないのんびりやればいいんですとにかく世界平和の祈りを祈っていろいろ湧いてくるおもいをああこれで消えていくんだなあありがとうございますと祈りつづけていけばね本心のかがやきが表面にあらわれてきてあせらなくなるんですうれしくなってくるそれで本心と一つにとけ合って祈ってゆくと自分が祈っているとかそんなことも忘れちゃうそういうところをつきぬけて自由になってゆくんですあるがままになってゆくんですよそれはもとがそうなんだから自分というものがもともと光っていてかがやいていて何のこだわりもとらわれもない朗らかな神様から分けられてきた生命なん...本心のかがやき
すなおになるということすなおになるってことはりくつじゃないんですおのずからよろこびが湧き上がってくる生かされているとおもえてうれしくなる思わず天地自然にありがとうございますといいたくなる本当にすなおなこころになってくるとこうしなきゃこう思わなきゃと思わなくても思えるようになるんですだけどそれは業想念の渦がいっぱいある肉体のゆれ動く感情にスイッチを合わせちゃうともう滅茶苦茶になってしまう感情にアンテナを合わせてスイッチを入れちゃ駄目なんですじゃあどうするかというと祈りでもってこの肉体のまま光の自分自身というものをだんだん自覚してゆくわけです祈りによってしかこれはできないんです法然さんが出て南無阿弥陀仏を説きイエスが出て主の祈りを説いたそして今私がきて世界平和の祈りを説き伝えるんです南無阿弥陀仏も主の祈りもともに光...すなおになるということ
よく肩に力の入ってる人というのをみかけますよね夫に対して子どもに対してかたくなっていつのまにかカチカチになってしまっている笑ってもその笑顔がこおりついてるなんてそういう人によく出会いますそういう人は自分のまわりにああして欲しいこうして欲しいと思うわけだけどでも何よりも自分自身を愛せていないんですねゆるせていないこれでいいと思えないんですこれはねこれほど苦しいことはないですよねまわりがみんなよくみえて自分一人いつまで経っても駄目だと思ってるんだからねそれでこういう人と話をしていますとまず自分自身に緊張してるからガチガチになってるんです肩の力を抜いて何いったってかまわないからと声をかけるとでも夫を愛せません子どもを愛せませんといったら五井先生にどんなふうにおもわれるかってみんな思っちゃうんですねそれでもぼちぼちいい...肩ひじはらないで
(前日からの続き)ながれのままにというと自己がないみたいだけれどそうじゃない草花なら草花樹なら樹は自己のすがたをしってそしてそのすがたのまますなおに生きてるんですだからすっきりしたいさぎよさをささえているものはさりげなさなんですよ自分のいのちのすがたというものを識ってるんですだから声高にならないなる必要がないんです本当は人間だってそうなのですもともとが神様からわかれてきたいのちですから自分のいのちというのが自分の想いにかかわりなく本来さりげなくすっきりしているものなんだということがわかるとこんな楽なことはないんですけどなかなかそうはいかなくて苦しむしかしそれはみなさん自身が苦しむのではなくて過去世からのみなさんのおもいがあらわれて消えようとするときに苦しむんですだから自分自身(本体、本心)はちっとも苦しんじゃい...さりげなさ(2)
さりげなさというのがいいですね大げさというのはさりげなさの反対だけれどつい人間というのは大げさに自分をふりむいてもらいたくていろいろ言ったりするでしょ何だ何だとおもってきいてみるとあんまり内容がなかったりする自分が充実してたしかに生きているなとおもえる瞬間がないんですねいそがしすぎるんですたしかに自分が生きてるというより時間に追われて生きてるっていう感じですよねだから今の世の中でじっくりとさりげなさがいいなあと感じるゆとりを持ってる人はすくないんですけれどその人が感じるとか感じないとかより前にさりげなさってのはいのちのすがたの本質なんですねいのちというものを考えてみるといのちそのものは何の自己主張もしないただあるがままにそのすがたのままにながれてゆくんです〝逝く河の流れはたえずして〟っていうあれですよね草にした...さりげなさ(1)
祈りというものとすなおな心というものとは直結してるおんなじだといってもいいんですそんなことありません私は腹立てながら世界平和の祈りをやっていますとか祈れないという人もいっぱいいるだろうけれどそれは過去世からのおもいが今出てやっとあらわれて消えようとしてるんだからあなたのようだけれど今のあなた自身じゃないし本体ってものはすなおに祈るということを知ってるわけですだから平和の祈りのなかに私がいつもいってるように投げ込んでしまえばいいわけですねそれで祈ろうとする心祈り心祈りというものとすなおさというものはこれはもう血肉の間柄っていいますかね肉親的だというんじゃなくたとえば肉体のその皮膚の下に肉があって血がながれているというふうにかならず絶対条件としてこの二つは二つながらにひとつだということがいえるんです祈りは自分のいの...祈る心すなおな心
(前日からの続き)天命というものはその人のいのちの本質本体をいうんですひびき、その人の本心の音色をいうんですよね人間というものは本来神様からわかれてきた生命であり霊ですからずっとさかのぼってくるともうホントに微妙なながれというかね七つの極光というのがあるんですけどね我々のいのちのもとをささえている光ですけどそれは幾重にも沢山の色がかさなり合ってその末にたとえば青なら青という色になってるわけですそれは神界にいるあなたたち天の私ですよねその天の私が一人じゃなくて何人も何十人も何百人も何千人も沢山の人があつまってねそしてそれぞれがその個性に応じて自分のこころの色現在のいのちの相(すがた)祈って祈って今あるそのながれってものをですね出してゆくわけですそれがそれぞれの色になってかさなってすきとおればすきとおるほど青なら青...天命について(2)
天命は朗らかないのちの働きです何物もしばらず何物をも自由にしてゆくそういう働きです愛と大元の光のもとに自らのいのちのありどころをしってゆくのです人はみずから道を切りひらいて自分だけの力で生きていると思いがちです勿論自分でやるってことは大事なんだけれどでも根本は神様の愛によって生かされてるんだからああさせていただいてるんだなさせていただいたんだなっておもうこと気付くことが大事なんですそれを気づいてゆくにはすなおにすなおに祈ってくことです世界人類が平和でありますように日本が平和でありますように私達の天命が完うされますように守護霊様、守護神様ありがとうございますという世界平和の祈りをただもう無心になって祈ってゆくと支えられているいのち祈られているいのち愛されているいのちそしてかがやいているいのちという自分のいのちの本...天命について(1)
〇祈れないと思う時でも、世界平和の祈りを口に出して、心に浮かべて祈ってゆくと、肉体のあなたではなくて、本体のあなたが、グーッと光の方に昇ってゆくんだ。そうして、光そのもののながれに溶けてゆくんだよ。祈れないと思う時でも…
生命のながれというものは、実に悠々とした、それでいて穏やかな流れであります。それは、我々のいのちの源である大生命が、全く愛とゆるしにみちた寛やかさそのものであるからであります。この寛やかさのなかに入ること、それが信仰でありまして、信仰とは、大生命の流れに入り切って、神様の愛の光を浴びるということなのであります。愛というものは、これはもう理屈ではありません。抱きしめて抱きしめて、そうして、その一人びとりのいのちの流れを見守っている。これが神様の愛、宇宙の大元を保っている調和の源なのであります。で、この愛の光と申しますものは、すべて我々のいのちの中に入っている。我々は肉体で生きている、身体が動いて心臓が動いて生きていると思うけれども、実は、その奥底は、神様の愛の光によって生かされている生命なのであります。神様の愛念...生命のながれ
神を信ずる者にとって、神がいるということは、ごく自然なあたり前な事実であります。私どもは、そこに神の愛の姿をみるのであります。この信ずるというところから、すべてが生まれ出てくるのであります。信ずるということなしに、我々の生命は発現致しません。今、私がここで、生命と申しましたのは、目に見える肉体の生命だけのことではないのであります。肉体を支え、さらに、我々自身をありのままに動かしめているもの、奥の奥の朗らかな生命をいうのであります。この生命を覚知する時、人は信仰に入ってゆくのである。目に見える世界が、実は目に見えないさまざまの力、愛情によって支えられているということを知る時、人は信仰に入るのであります。これを私は、神の愛と呼ぶのであります。信仰とは、神の愛に抱きとられていることを知った人間が、もはや、引き返すこと...世界平和の祈りは易行の頂きの祈り
〇一つとして同じ言葉はないと思わせる人の雄弁は感心させられるね。けれど、愛一筋に同じことを、かんでふくめるように言っていらっしゃるのが神様。分かるかな。昭和62年8月29日神様の御言葉は愛一筋
〇神の愛はいつも流れている。とだえることなく流れて、いつ人がその愛に気付いても、一人一人を抱けるようにして下さっているのだ。神の愛はいつも流れている
〇みこころに従うことが大事なのです。そのみこころとは、大神様の愛であります。みこころに従う
〇気どらずにね、神様はいつもあるがままなのよ。気どらずに
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〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている
〇神様ごめんなさい、といっぺんいえばいい。くよくよ思っているのは、いのちの流れをとどこおらせる。くよくよ思わない
〇私は光と光を結ぶために来たんだよ。光と光を結ぶために
〇人はいろいろと迷うものだ。けれど、本当のことをいえば、迷っているその奥に、こゆるぎもしない自分がいる。それが本心であり、それが本当の自分なんだ。本心はこゆるぎもしない
〇光一元、光一元、私のからだは光一元そう思えばいい。私のからだは光一元
〇素直な人。ただ、いい人を目ざすのではない。はじめは、善意にあふれた思いやりの深い人というのでも、段々、そこにつよさとたくましさを加えて、内のいのちが光りかがやくようになる。そこまでを神様は考えていらっしゃるし、私はそれを手伝っている。つよさとたくましさを加えて
〇神に不可能はない。ただ愛念を送る方法を、一人一人の器にしたがってかえているだけである。神に不可能はない
〇神のしらべはいつも流れて、光に溶け込んでいる。神のしらべは光の中に
〇自然は神と調和し、人と調和するすがたをあらわしたものである。皆様、明けましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いいたします自然というもの
〇生かされているということはありがたい。生かされていることに感謝
〇 神々の助けがいつも及んでいる。いつも神々が…
〇こころを鎮めれば、消えてゆく姿がみえる。こころを鎮めれば
〇愛を入れなさい。 〇 身もこころも神にゆだねなさい。身もこころも神に
〇沈思黙考というのは大事なことだ。沈思黙考を
〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている