〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
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いのちのながれは本心と私たちが祈りによって一体になる時に尽きず神の大愛へととけ込んでいることがわかります人類というものは全体であってまた個なのです世界人類が平和でありますようにと私たちが祈ってゆくとき自覚するしないにかかわらず人類のこころに本心にとけ込むのでありますまた私という人間以外の人々すなわち世界中の人々が世界平和の祈りを祈ってまいりますときにそのこころが祈りの光とともに私に流れ込んでくるのでありますあらゆる場所空間おもいを超えて世界平和の祈りを祈ってまいりますときに私たちはいつもひとつのいのちになってゆくのでありますひとつのいのちにむすばれ本心にむすばれ光明心によってむすばれた兄弟姉妹となってゆくのでありますそこでいつも私が申しておりますとおり世界平和の祈りというものはただ世界人類がすなわち地球人類がひ...地球人類は宇宙の先達とともに
祈ってゆくと私と神とが一つのいのちのなかにあることを感じる祈ってゆくと神と私とはひとつであることを感じる神のなかに私がおり私のなかに神がいる祈ってゆくと私が神からわかれてきた生命であることを感じるこのいのちは神の光光りゆくいのちの源は愛であり私はその愛に抱かれているのだ平成2年3月8日夜私のいのちは神の光
人間は神に愛されている存在なのです神とともに秩序をつくってゆく存在なのです愛と智慧と平和という秩序をやわらぎをこの地球にそして宇宙に満たしてゆく存在なのです人間は神とともに秩序をつくってゆく
人を大元の光にかえすことこれが五井先生の仕事なのです本来人間というものはこだわらず朗らかないのちを神から分けられてこの地上に降りてきた存在なのだということを消えてゆく姿と世界平和の祈りによって一人一人に悟らせてゆくそれも弱い人は弱いなりに我のつよい人はつよい人なりに現在の生活のなかから自然とかえてゆくいうならば観音さまの働きを私はしているのであります相手の心のなかに入ってともに泣きともに笑いながらその人の祈りを高めその人の本心をひらいてゆくさりげないけれども何に対しても明るい心をむけられるようにするために私は今も働いているのであります 平成2年3月8日私は観音さまの働き
世界平和の祈りとともに私たちが本心をよんでゆくとき私たちのいのちは光そのものになっているのでありますこの世におけるさまざまな思いわずらいも何もかもすべてを祈りのなかに投げ入れておまかせになってゆきますときに私どもはすでに光かがやいているのであります世界人類が平和でありますようにととなえるとき私どもはこの地上ばかりでなく三界において祈りをささげているのでありますすべてを祈りのなかに
私はずっと神の愛と人間の本当のすがたについて語ってきましたそれは人間を光あるいのちのながれへとかえしとけ込ませるためであります人間は神からわかれてきた生命であり霊なのですということはこの肉体のなかにそのまま神が宿っているということになるのであります否もともと神が神の光がこの肉体をつくったのでありますそう致しますとこの世に悪いものはあらわれてくる筈がないというのが本当のところなのですだのにこの世に争いがあり病いがあるのはもともと霊であり神の光であった本来のすがたを私どもが忘れ果ててこの肉体にまつわる想念を自分だと思いこの肉体を自分自身だと思い込んでしまったところからおこったことなのです自分のなかに神さまがいるのに自分のなかに神さまがいるなどとは思えなくなってしまったそして自分というものを人間というものをちいさくち...人間の本当のすがた
いっぽんの祈りの道世界平和の祈りの道が私たちの本心からずっと神へとつづいているのです神そして神の愛が私たちの祈りをたすけているのです平成2年3月7日祈りの道が神へとつづいている
役に立つ人間になりたい役に立つ人間でありたいというのが自然な私たちの心のながれなのです誰のためにか世界人類のために人類一人びとりの天命が完うされるために役に立つ人間になりたいのです役に立つ人間でありたいのですそのために私たちは消えてゆく姿で世界平和の祈りを祈るのですりきむことも気負うこともいらないただ世界人類が平和でありますようにと唱えるとき私たちはみんな光となって人類一人びとりの生命のなかにながれ込んでいるのですそれぞれの本心の光をかがやかせてゆくのですねていても歩いていても食べていても話していてもいつも私たちは平和の祈りのなかにあってこの世界を光にするための働きをしているのでありますそれは私たちが神の大愛からわかれてきた分生命(わけいのち)であり分霊(わけみたま)だからです私たちのなかに本心があり神の心が神...私たちの心のながれ
祈ってゆくと私たちのいのちは神につながっていることがわかる頭ではなくからだでわかるのだそのとき私たちは心からすなおになって今ここに生きていることをよろこぶことができる 平成2年3月6日祈ってゆくと…
──序── 五井昌久私どものいのちは神につらなっているそれはいのちが神から分けられてきたものだからである人は神にかえってゆく存在なのだ神にかえるとき神にむすばれたいのちであることをしるとき私たちは真に自在身となってゆくのである平成2年3月4日神にむすぶいのち序
いつもいうことですが神様というのは本当に無限の存在なのでありますこの地上にはたとえば国があり民族がありますそれぞれ今は公用語というものを持ってはおりますけれどもやはりそれぞれに国語を持ち国境というものを持って人々は生活しておりますそしてそのことに別段の不思議を感じる人はあまりありませんたとえて申しますなら神様という無限の存在にはこうした一切の枠がないのです神の愛と智慧をしるために無数の世界があり修行場があることは御存知のとおりですが神々のものには一切の枠はないのです大愛なのでありますですから神の我々人間に対する想いも本当に無碍なのであります人間はもともとこの神からの分かれで神にすれば親でありますから人類に対する愛は一入なのでありますその人類に対する愛を託されたのが世界平和の祈りなのでありますこれによって一人のこ...祈りとともに明るい毎日を
父の愛の尊さただじっと黙って子どもたちをみているだがその慈顔の深さよ子どもたちはいつその父の相(すがた)の深さに気がつくだろうかおそらくは彼らが父となったときその愛の深さに気づいていくのだろう母の愛のかなしさよどこまでも子どもを抱きしめてゆくその無限の愛のかなしさよ子どもたちはいつこの母の愛に気づくことだろう恐らくは彼らが母として子をみごもったときから母の愛の愛(かな)しみは彼らをとらえてやまぬだろう父の愛母の愛
すべてのおもいを一度神にかえしなさいあなたは無一物で何も持たずにこの世に生まれてきたのだからすべてのおもいを一度神にかえしなさい
ながながと言葉を連ねる必要はありませんただ黙って手を握ってあげるだけでもいいのですあなたの想いが純粋ならかならず相手にわかってもらえる筈ですあなたの想いが純粋ならわかってもらえる筈
神をしたう心のなかに人間は自分のふるさとを見出しているのです私たちはすなおに神にかえってゆくときをむかえているのでありますふるさとにかえる
水のながれのようにすなおに神にむかって私は流れていきたい祈りがあって人ははじめて生きることができる祈りの光神の愛をうけてはじめて人は生きることができる神よあなたのこころにかなうものとならしめ給えすなおに神にむかって流れていきたい
今あなたがいるその場所で世界平和の祈りを祈って下さい如来印を組まなくても正座をしなくてもかまいません世界人類が平和でありますようにというこの祈り言を心にうかべるだけで辺りが光明化されていくのであります思うだけではいけないのかという人もありますが思いですとそれはその人が思ったこととしてそこまでのエネルギーでおわってしまうのですが祈りになりますと祈りというのは神様に自分の全部を領けてしまうことでありますからつまり神様によってエネルギー切れすることのないすっかり新しくされた自分というものが瞬間瞬間にかえされてくるのでありますそうして私どもはその自分を力にしてさらに祈って大元の光にむかって進軍し人類の進化にむけて絶えざる歩みをつづけているのであります本来人間というものは祈りづめに祈っているものでございましてたとえ肉体の...人間はすでに安心立命している存在
やさしさというものは相手をおもう心と自分を責めさばかない心から出てくるものですいくら相手の立場に立ったって自分自身を駄目だ駄目だと思ってたんじゃあちっともひろやかにはなってかないね、こころ晴ればれとしないじゃありませんか心は晴ればれと大空のように澄み切ってそして朗らかに生きるということが何よりも大事なことなのですそりゃあ苦しいことも悲しいことも何でこうなるんだろうということだっていっぱいあるその悲しみは苦しみはみんな私がうけとってあげるからとにかく世界平和の祈りのなかで神様私を明るくして下さい朗らかにして下さいと祈ってごらんなさいいつの間にか自分を責める時間が少なくなってそして自分を苦しめるそういう自分もいつの間にかすっかり消えていますから自分は自分他人は他人それはそのとおりなんだけどこの言葉は本来自分には自分...私たち自身も地球もともに光の世界へ
国連で世界平和の祈りの場が持てたことでまたグローバルリンクが各地で覚えられ実行されたことで神様の計画になる世界平和の達成が今この地上に降ろされようとしているのです地球の霊的な地軸の修正つまりはすっかりこの地球をおおっていた亡びへとむかわせるための不安と絶望と悲嘆それに憎悪による深い業想念幽界波動というものを宇宙神のもとに心をひとつにして帰ってゆく祈りによってかえってゆく私ども一人一人が本来の永遠の生命の流れに身を託したところからはじまる霊波動に切りかえてゆく世界人類一人のこらず世界平和の祈りを実際知っている人も知らない人も何の区別もなくすべての人の本心に世界平和を希い祈る心をうえてそしてすっかりこの地球を大元の愛によって再生しようとするその最後の調整といいますか神霊方との共なる修行に昌美は今アメリカで命をかけて...世界平和の達成が地上に降ろされようとしている
(前日からの続き)神はかってみずから語られたように有ってあるものなのであります私どもはこの神の愛をまとって地上に降り立ったのでありましたがいつかこの地球での生活がつづくうちに永遠の人類の進化にむけての私ども自身の精進努力すなわち祈りのうちに神をよび求め神をしたいつつこの地上に働きをなしていくという大目的を忘れてしまったのでありますこの世というところは肉体人間の出す業想念と光とがまじり合って実に複雑なすがたになったのであります一人や二人の聖者が出てこの地球を救うというようなそんな生易しい事態ではなくなってしまったのです今や私ども一人びとり人類一人びとりがその本心本体の自分自身霊界神界に働いている自分自身に目をとめ本来の人間の相(すがた)に深く想いを致して何があっても神のなかに大元の光のなかに久遠のいのちのなかに自...神の大愛に勝るものはない(2)
すなおさがすべてを決定していきます自分にすなお人にすなおそして神にすなおであることここで私がすなおといっているのは自分の我に対してすなおであれといっているのではありません他人の感情想念に振りまわされるというのでもないのです自分にすなおというのはまず自分の本心本体に対してすなおということです光の自分自身に対してすなおであれということですどんな人でもその本心はかがやいているのです神界で生き生きと働いているその人自身がいるのですその人のいのちというのはとどこおることがありませんなぜならみんな神様からわかれてきた生命だからです神様からわかれてきた霊だからでありますそのいのちの流れをずっと追ってゆくと宇宙神の愛のみこころふかくにたどりつくのです村田さんの霊界通信のなかに木口さんが五井先生のなかとこたえているけれどあれなの...神の大愛に勝るものはない(1)
私は神の前にいのちを投げ出して朗らかになった消えてゆく姿と世界平和の祈りによってこの地球のすべての人々は救われていくという神の大愛の言葉をうけたとき私の心はよろこびにあふれそして本当にやすらかになった世界は神の愛のもとに平和になり神の愛と智慧とゆるしの光とがこの地上を支配していく神からわかれてきた神の光のすえである我々人類がその霊性に目覚め神の愛の結晶である世界平和の祈りを唱えてゆくとき光は宇宙で我々に光を送りつづけている沢山の兄弟たちのこころと呼応してつよめられてゆく世界平和になり人類は神の智慧の光の一すじとしての永遠の無心の進化の歩みを始める時が来たのである世界人類が平和でありますように地球のすべての人々は救われていく
私はいつもあなたの側にいるあなたが私を呼ぶとき私は必ずあなたの傍らにいてあなたに光を送りあなたとともに祈っている私はいつもあなたの側にいる
つよさとやさしさは神の心神の愛そこには自分だけを守ろうとする心はみじんもない神の光をあびたつよさとやさしさとはこの世界に生きるすべての人々の天命を完うさせずにはおかないこの神のつよさとやさしさとをあらわしたものが消えてゆく姿で世界平和の祈りなのだ友よ平和の祈りはいつも君のなかにあって君の本心に鳴りひびき美しい光明は絶えることなくその肉の身から放射されているいや君は君たちはすでに霊人なのだこの現界と神界霊界幽界をつらぬいて神のみこころのなかに生きる君たちは霊人なのだ肉体人間の君がたとえ迷いの波を出しても私の名を呼び世界平和の祈りを唱えるとき君がどこにいても光は君のところに届くだろう神は肉体人間が幾百度幾千度自分をはなれてもかならず極みのない愛でその人々を光の住者にすることを誓われたのだそして私が神様から預けられた...光の世界の住者
山のいただきから地上をながめると人々がより合って生きているその心がながれてくるそれはいとしいいとしい心のながれだ親は子を思い妻に夫に心をかよわせささやかな幸福を楽しんでいる様子が伝わってくる祈りのうちにある人間の姿すなおな心のままに相手をおもう姿それが本来の光のままの人のすがた私は人類一人びとりを光のすがたにかえすために消えてゆく姿で世界平和の祈りを説いてきたのだ世界人類が平和でありますように日本が平和でありますように私達の天命が完うされますように守護霊様ありがとうございます守護神様ありがとうございますこの神の愛のつまりにつまった祈り言を唱えるとき我々は人間本来の姿本心と合体した光になった自分自身へとかえることができるのだ光のままの人のすがた
山のまろやかな姿に出会うとそのやさしさに思わず合掌したくなる山のきびしくそそり立つ姿に出会うとその愛の峻厳さに思わず合掌したくなる山よ山よ汝神のすがたをうつしたものよ神のいのちのあらわれよ我等とともに祈りをささげ給え平成2年2月12日山は神のすがたをうつしたもの
真理は神は愛でありやさしさにみちているということです神の愛とやさしさはそんじょそこらのやさしさではありません何しろ今この地球上にいるすべての人類を全部救おうというんですからね肉体人間の世界ですと自分とこの人はウマが合うけどあの人はどうもとかいろいろえり好みをするでしょ選んじゃうんですよねだけど神様は選ばないなぜかといえばみんな一人のこらず自分のこどもだからみんな自分の生命から霊から分かれていったんですから好きとか嫌いとかじゃない世界人類すべてのいのちの親ですからね神様は私どもはつねに呼ばれてるんです神というふるさとに世界平和の祈りをするとそれが本当によくわかる勿論自分の魂は本心はとっくに知ってるんですよだけど日常の雑事に追われている我々が世界平和の祈りのなかで統一してゆくと自分の居場所もともと自分の生命がながれ...私たちは久遠の光のひと筋である
やさしさを求めて私はずっと歩いてきた自分に人にやさしくあること本当にやさしくありつづけるには何が一番大事なのかと私は考えつづけた私自身は人に嫌がられることをせず人によろこばれることをしようとただそれだけを努めてきたそれはよろこびを受ける人間の笑顔のすばらしさにひかれたからだもっとよろこんでもらいたい私の心はただそれだけを考えていたすなおということがやさしい自分になるためにはもっとも大切なことだと私は感じたすなおということは唯一の私自身の取柄だったけれどこのすなおさが人間のやさしさを愛をみちびき本来の光にみちたすがたにかえしてゆくのだということを私はあなたがたに伝えよう人に神にすなおであれこだわらずとらわれずそのいのちのおもむくところにおもむいてゆきなさいあなた方は宇宙をつらぬいてここに存在しているのだあなた方の...祈りのうちにやさしさと愛を求めなさい
誰でもつよさというものに憧れます憧れて勇士の物語なんかを読んだりするそして自分も物語のなかの主人公のようにああいうつよさを持ちたいと思う勇気を持ちたいとおもうんですだけど本当はただつよさに憧れるだけじゃなくてその主人公なら主人公が本当に生きているところそういう場面に感動してるんですその人の生命が生き生きと躍動しているところにぶつかると我々の心はよろこぶように出来てるんですなぜかそれはさながらのいのちを生きているからですその人に無理がなくいのちがスッキリと流れているからですなるほどこの人ならそう思うだろうそう行動しただろうとおもいながら我々は主人公の世界にひきこまれていくのでありますそうして全体をよみおわったときに印象にのこるのは主人公のつよさとか勇気でありますけれども我々は本当はその人をとおして人間というものに...本当の自分自身を識るために
序にかえて五井昌久つよさを極めてゆけばやさしさになりやさしさを極めてゆけばつよさになりますどちらも本当のつよさとやさしさは神の愛からわかれてきたものだからです愛があってつよさもやさしさもみがきがかかります本当のつよさとやさしさを自分のものにするために私たちは日々世界平和の祈りを行じて参りましょう平成2年2月11日識つよさとやさしさ序
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〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている
〇神様ごめんなさい、といっぺんいえばいい。くよくよ思っているのは、いのちの流れをとどこおらせる。くよくよ思わない
〇私は光と光を結ぶために来たんだよ。光と光を結ぶために
〇人はいろいろと迷うものだ。けれど、本当のことをいえば、迷っているその奥に、こゆるぎもしない自分がいる。それが本心であり、それが本当の自分なんだ。本心はこゆるぎもしない
〇光一元、光一元、私のからだは光一元そう思えばいい。私のからだは光一元
〇素直な人。ただ、いい人を目ざすのではない。はじめは、善意にあふれた思いやりの深い人というのでも、段々、そこにつよさとたくましさを加えて、内のいのちが光りかがやくようになる。そこまでを神様は考えていらっしゃるし、私はそれを手伝っている。つよさとたくましさを加えて
〇神に不可能はない。ただ愛念を送る方法を、一人一人の器にしたがってかえているだけである。神に不可能はない
〇神のしらべはいつも流れて、光に溶け込んでいる。神のしらべは光の中に
〇自然は神と調和し、人と調和するすがたをあらわしたものである。皆様、明けましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いいたします自然というもの
〇生かされているということはありがたい。生かされていることに感謝
〇 神々の助けがいつも及んでいる。いつも神々が…
〇こころを鎮めれば、消えてゆく姿がみえる。こころを鎮めれば
〇愛を入れなさい。 〇 身もこころも神にゆだねなさい。身もこころも神に
〇沈思黙考というのは大事なことだ。沈思黙考を
〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている