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奥井みさき
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2010/04/17

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  • 紋別市立鴻之舞中学校・碑

    小学校の向かいにあったのが鴻之舞中学校、開校は1947(S22)年となっています。この碑にある開校日は学制改革で正式名称が鴻之舞中学校となった日ですね。中学校の始まりは昨日の鴻之舞小学校のところで書きましたが、1926(T15)年に鴻之舞尋常小学校に高等科が併置された時に始まります。これが鴻之舞高等小学校で、変遷を経て1947(S22)年に鴻之舞中学校になりました。開校当初の校舎は小学校に間借りしていましたが、生徒数の増加により1950(S25)年に校舎を新築し独立しています。1959(S34)年には在校生が509名になりピークを迎えましたが、その後は小学校と同じく在校生が減り1973(S48)年に閉校しています。略歴は以下になります。1926(T15)年鴻之舞尋常小学校に併置され、鴻之舞尋常高等小学校と...紋別市立鴻之舞中学校・碑

  • 紋別市立鴻之舞小学校・碑

    鴻之舞での碑を紹介した場所から少し奥に行ったところに道路を挟んで小学校と中学校がありました。紋別方面から行くと左に小学校、右に中学校でした。鴻之舞での教育の始まりは1918(T7)年、元山鉱夫浴場を模様替えし仮教授場が置かれてから。翌年には正式許可を得て藻鼈尋常小学校所属元山教授場となり、1926(T15)年まで続きました。これとは別に1919(T8)年、鴻之舞特別教授場が開校、1921(T10)年から元山は鴻之舞の所属になります。前述のように1926(T15)年には元山が廃止になり鴻之舞に統合され更に高等科が併置されました。鉱山の発展と共に児童数が増え、1942(S17)年には在校生が1,593名でオホーツク管内最大規模になっています。その後も盛衰がありましたが、鉱山の閉山と共に1973(S48)年に閉...紋別市立鴻之舞小学校・碑

  • お米の価格

    お米が高騰し、『令和の米騒動』と言われています。その騒動の際に江藤前農相が余計なことを言って更迭され小泉氏が農相になりました。就任した途端、備蓄米をそれまでの競争入札ではなく随意契約にするとした。その随意契約米の市販価格の目標は5㎏2,000円とのこと、さて実際にはどれくらいになるのやら。さて今普通に流通しているお米は2024年産のお米です。「令和の米騒動」を受けて競争入札で放出した備蓄米は2024年と23年産のお米です。23年米は“古米”と呼ばれる収穫して1年以上経っているもので、市販価格は5㎏3,500円ほどだったと報道されています。“古米”であれば保存状況次第で24年産米と変わらない食味で、実際にも新米と変わらない味だったようです。今回、随意契約で放出されたお米は2022年産のお米が主になっています...お米の価格

  • また出かけます

    今日と明日はまた滝上に行きます。滝上は今月3回目だよ、どうなってんのかな?今日は行くだけ、明日は帰ってくるだけというシンプルなスケジュール、行き帰りは寄り道などせず直行直帰します(多分)。余計なことすると疲れるしな。では、行ってきます。また出かけます

  • 鴻紋軌道について

    昨日ご紹介した鴻紋軌道記念碑は実はもう一つあります。どこにあるかというと、鴻紋軌道の起点だった紋別市街地、旧紋別駅跡にある「オホーツク氷紋の駅」の前です。そこには鴻之舞にある記念碑と同じ趣旨のものが建てられています。もちろん、金鉱石も鎮座しています。鴻紋軌道の遺構はいくつかあるのですが一番わかりやすいのは「五号杭橋」で、紋別から鴻之舞に向かう道道の途中に道を跨いで架かっています。この橋は現在も鴻之舞鉱山跡の沈殿池への送水管を渡すために使われています。廃坑後の処理は大変なのですね。そもそも鴻紋軌道は鴻之舞地区への生活物資の運搬を目的として着工されました。軌道が完成した1943年には戦時統制の影響で鴻之舞鉱山は休山命令を受けていました。そのためこの鉄道は鴻之舞から解体された物資を他の鉱山に転用するために活用さ...鴻紋軌道について

  • 鴻紋軌道記念碑

    碑の名前は「鴻紋軌道記念碑」、そこに“銀色の道誕生の地”とあり、汽車が描かれておりその後ろに大きな岩があります。いろいろ情報が多い一角ではあります。“銀色の道”は1966年に発表された歌謡曲でザ・ピーナッツとダークダックスが歌っていました。作曲は宇宙戦艦ヤマトなどで有名な宮川泰氏で、一時鴻之舞に住んでいました。曲のイメージになったのが鴻之舞だということで、ゆかりの曲になっています。「鴻紋軌道」は紋別から鴻之舞を結んだ軽便鉄道で、「日本鉄道旅行地図帳(新潮社)」によると1943年開業、1950年頃廃止となっています。動力は碑にある通り、蒸気機関車でした。鴻紋軌道が廃止になって公共交通機関がなくなったので北紋バスが開業しました。そして後ろの大きな岩は金鉱石と思われます。無造作に置いているところを見ると低品位な...鴻紋軌道記念碑

  • 鴻之舞鉱山慰霊碑

    鴻之舞は鉱山です。『東洋一の金鉱山』といわれ繁栄を極めましたが、当時としては当然のように災害もありました。昭和初期はタコ労働者、戦時中は朝鮮半島からの強制連行者も多数おり、その中から多数の犠牲者も出ています。日本の近代史の光と闇がここにあります。その方々を慰霊する碑です。碑文をご覧ください。建立された平成元年は1989年、閉山の16年後です。<碑文>鴻之舞鉱山は大正六年二月以来、住友によって営々と稼行され、長年にわたり東洋一の大金山と謳われて住友の諸事業を力強く支え、国家と地域社会に大きく貢献して来た。しかし、鉱量の枯渇という鉱山の宿命には抗し難く、昭和四十八年十月をもって五十六年に及ぶ輝かしい歴史を閉じた。この間、幾多の人々がこの鉱山の事業に携り、苦楽を共にしてきたが、鉱山の維持発展に捧げられたその苦心...鴻之舞鉱山慰霊碑

  • 鴻之舞鉱山 開山100周年記念碑

    かつての鴻之舞地区の中心部あたり、鴻恩寺があった跡地にいくつか記念碑があります。今日から3日間、その碑をご紹介します。鴻之舞鉱山は1917年に住友が鉱業権を取得しました。この碑はそれ以来100年を記念し、2017(H29)年に住友金属鉱山によって建てられました。天下の住友が記念碑を建てると、立派になるなぁ。その右側の下半分に賑やかだったころの簡単な地図があります。地区のあちこちに坑口がある、最盛期には1万3千人も住んでいたというのですからさぞやねぇ。裏には碑文があり、鴻之舞鉱山の簡単なあらましが書いてあります。閉山は1973年、操業期間は56年間でした。この期間に算出した金は73トン、銀は1,243トンとあります。閉山した1973年は私が小学校5年の時、鴻之舞の賑わいは聞いていました。閉山後は急速に寂れ今...鴻之舞鉱山開山100周年記念碑

  • 上藻別駅逓所

    東洋一の金山と言われた“鴻之舞鉱山(金山)”、紋別から鴻之舞に至る途中にあるのがこの駅逓です。開設は1926年、官設駅逓所として平屋建てで建てられました。1934年に2階建て部分を増築、1940年に駅逓業務を廃止し旅館となりました。旅館としては1949年まで、その後は住宅として使われていましたが、今は上藻別駅逓保存会により修復され今は内部は鴻之舞鉱山の資料などを展示しています。さて道道に面した駅逓の写真を見ると右が平屋建て、左が2階建ての建物となっています。平屋建て部分が最初に建てられたもの、2階建て部分はのちに増築されてものとわかります。中は中央に廊下があり、その両側に客室や台所、トイレなどが配置されています。この辺りは北見市留辺蘂にある「武華駅逓」と似ています。当時の駅逓の標準的なつくりで、それが今に...上藻別駅逓所

  • 黒岳の湯

    札幌から滝上に行く途中、寄り道して「黒岳の湯」に行きました。層雲峡温泉街の中にある日帰り温泉施設です。車で行っても施設の前に公共駐車場があるので安心だ。建物は3階建て、1階はレストラン、2階に受付と大浴場、3階にサウナと露天風呂があります。ロッカーもあるので荷物を持っていても大丈夫、これは私にとっては大事なこと。泉質は弱アルカリ性低張性高温泉(単純硫黄泉)ということですが、9泉源からなる混合泉で、湯温が高いので加水していますがかけ流しです。層雲峡温泉の泉質は単純泉と硫黄泉とされていますが、その両方が含まれているわけだ。さてオフシーズンの日中、館内は非常に空いています。私はひたすらのんびり、湯に浸かり天然温泉を堪能しました。層雲峡は大きなホテルというイメージがありますが、温泉街には小規模なホテルや旅館、ペン...黒岳の湯

  • 芝ざくら滝上公園、今日明日が見ごろ!

    13日に、芝ざくら滝上公園に行ってきました。芝ざくら滝上公園では6月1日まで芝ざくらまつりを開催中、週末にはいろいろなイベントも行われています。肝心の芝ざくらの咲き具合は、画像の通り。そして昨日の咲き具合は町のHPをご覧ください。今が満開、来週になると少し色あせてきそうだ。日本一の芝ざくらを観るなら今週だぞ。上湧別のチューリップも見頃です。途中の紋別では出塚水産で揚げたてのかまぼこをご賞味ください。さぁ、出かけよう!芝ざくら滝上公園、今日明日が見ごろ!

  • ロピア琴似店、オープン

    5月8日、1月5日に閉店したイトーヨーカドー琴似店跡にロピア琴似店がオープンしました。琴似店は道内4店舗目、ロピアでは今後5年で25店舗の出店を目指しています。私はオープン当日の昼下がりに行きましたが、入店規制などもなく売り場に入ることができました。入店規制がないとはいえ売り場は大混雑、ゆっくり買い物できるはずもなく早々に退散。オープン初日なんぞそんなもの、雰囲気だけを味わっただけですがそれでよし。2回目に行ったのは昨日、混雑はしていましたが比較的のんびりお買い物ができました。お値段は安いといえば安い、しかしいちいちボリュームがあり過ぎる。買いたいと思う商品はいろいろありましたがなかなか手が伸びない。食べきれないんだよなぁ。ですがだからこそ、“買い物”にイベント感がある。これがロピアのロピアたる所以だ。さ...ロピア琴似店、オープン

  • 糠平ダムのダムカード

    糠平ダムは十勝川水系音更川に築造された発電専用ダムで、湛水面積は道内3位、貯水量は道内4位の規模があります。このダムによって出現したのが糠平湖で、士幌線は清水谷―幌加間のルート変更が行われました。これによりタウシュベツ川橋梁が廃止となり、結果的に現在は観光名所となりました。→https://www.kamishihoro.jp/place/00000072配布場所は「ひがし大雪自然館」、訪問時に偶然見つけてゲットしました。いろいろなところでいろいろなカードを配布しています。いろいろ目を光らせていると楽しいよ。糠平ダムのダムカード

  • 今日から出かけます

    GW中に出かけたばかりですが、また今日から出かけます。今回も滝上、今日は夕方までに滝上に行けばいいだけ、明日は夜にささやかな飲み会、明後日は昼過ぎに帰札すればいいというのんびりしたスケジュールになります。明日の日中がヒマなんだよなぁ。どこかに行くかと思うのですが、さてどうしよう。どこか温泉にでも行きたいわなぁ。ブログは14日までお休みします。では出発。今日から出かけます

  • 上士幌町鉄道資料館

    廃止になった士幌線(帯広ー十勝三股間)の資料館です。同線は1925年に帯広ー士幌間が開業、1926年に上士幌まで、1935年に清水谷、1937年に糠平と延伸し1939年に十勝三股まで全通しました。過疎化が進み1978年に糠平ー十勝三股間がバス転換され、1987年に全線廃止となっています。館内は士幌線にまつわるきっぷ、時刻表、看板などが展示されています。この辺りは廃止になった鉄道記念館の定番ですね。特筆すべきは帯広ー糠平間を走る前面展望映像を見ることができること。それも1駅間ずつとなっているので、気になる区間だけを見ることも可能です。帯広を出発した列車は軽快に走っていますが、糠平が近づくとかなり鈍足になる。厳しい登り勾配の末、糠平に到着していたとわかります。尚、同館は糠平駅跡に建てられており、駐車場の奥には...上士幌町鉄道資料館

  • ひがし大雪自然館

    ひがし大雪自然館はぬかびら源泉郷の十勝バス案内所の向かいにあります。こちらの役割は主に3つ、ひとつは国立公園内によくある「ビジターセンター」。大雪山国立公園の東大雪エリアの自然や歴史の魅力を展示・解説しています。映像やパネルもわかりやすく、他の「ビジターセンター」に比べ充実しているように感じました。私は『丸山噴泉塔群』に非常に興味を持ちました。大自然はまだわからないことがたくさんあるな。2つ目は「ひがし大雪博物資料館」という、このエリアの自然博物館であること。魚類や水生昆虫の生態展示をはじめ、昆虫の標本がこれでもかと並んでいます。これは苦手な人もいるだろうな。もちろん昆虫だけではなく他の生き物やこのエリアの地層、地形などの解説もあり、東大雪エリアの自然とは何かを知ることができます。それから3つ目、「上士幌...ひがし大雪自然館

  • 幌加駅跡

    幌加駅は廃止になった士幌線の終点・十勝三股駅一つ手前の駅でした。糠平駅と十勝三股駅の間の中間駅ですね。士幌線の糠平ー十勝三股間の廃止までの経緯は複雑なので割愛します。国道沿いに「幌加除雪ステーション」がありますが、駅跡はそのすぐ南側になります。開業は1939年、1978年に糠平ー十勝三股間の列車運転が休止され代行バスに転換、1987年の士幌線全線廃止により廃駅となりました。駅跡はホームと線路が残され、レプリカの駅名標が設置されています。訪問時は雨だったのでホームまで行かず手前から写真を撮っています。今は上士幌町のぬかびら源泉郷以北はほぼ無人、木材の運搬で賑わった当時の面影は全くありません。最盛期には三股地区だけで1,200人も住んでいたそうで、幌加地区も木材の搬出で賑わっていたそうです。ちなみに2020年...幌加駅跡

  • オホーツク湧鮮館(湧別漁業協同組合直営店)

    遠軽から国道242号をまっすぐ北上、湧別市街地をさらにまっすぐ進んでどん詰まりが漁港、そこを右折し少し行くと「オホーツク湧鮮館」があります。サロマ湖です、ホタテとカキが名物、漁協の直営店なので安い。今の時期はホタテと毛ガニが旬、カキは冬が旬なのでそれまでお待ちください。オホーツクの毛ガニはこれからが本番、お店でもボイルとボイルしていない毛ガニが並んでいました。札幌で買うよりは安いですが、私は昔の安い時期を知っているので買うのに躊躇するな。躊躇なく買えるのはホタテです。この日も前日揚がったばかりの殻付きホタテが12枚入りが1袋1000円で売っていました。袋に入れてザクっと無造作に売っているところが産地らしいですね。他にも干し貝柱やウニなど、様々な海産物や加工品を売っているので立ち寄ってみて下さい。ところでこ...オホーツク湧鮮館(湧別漁業協同組合直営店)

  • 復活した遠軽駅の「北一そば店」

    駅そば店が減っています。3月に東北を回った時もそれはひしひしと感じました。北海道も同じ、日本最北の駅そばだった士別駅も店主がお亡くなりになり今年閉店しました。そのような中で、かつては私も大変お世話になった遠軽駅の駅そばがCFにより復活しました。遠軽駅の「北一そば店」は2019年に店主がお亡くなりになり閉店、その後も店舗は開店当時の雰囲気のまま残されていました。それを復活すべく地元の飲食店経営者がクラウドファンディングを実施、そして今年4月8日にプレオープンし25日にグランドオープン、見事復活となりました。となれば行くしかなかろう、日本最北の駅そば、5月2日にお邪魔しました。かけそば550円、かき揚げ天ぷら650円、月見(半熟)650円、全部乗せ770円、更に遠軽ジビエそば(エゾシカのソーキ)1,300円に...復活した遠軽駅の「北一そば店」

  • サルレイ直売所(沙留漁業協同組合冷凍工場直売所)

    紋別と興部の間に沙留(さるる・興部町)という街があります。興部町は酪農が盛んですが、沙留は漁業の街ですね。沙留にはオホーツクでは3か所しかない海水浴場があり、私も行ったことがあります。そこの漁港の冷凍工場は『サルレイ』というブランドで、その技術力には定評があります。私は何度か、『サルレイ』のことをここで書いています。セールとはいえ雑かにがひと箱1,500円だからな、さすが直売所だ。この度初めて、その直売所に行ってきました。場所は漁港の近く、付近には漁業関係の様々な施設が集積しています。冷凍工場の直売所なので主な海産物はほとんど冷凍もの、お値段も普通でした。毛ガニも高くなったよのう…。通常は直売所だからといって特に安いというわけではない。行くならセールの時に行くべし、年末ですがその時は激安だ。他の時期は通販...サルレイ直売所(沙留漁業協同組合冷凍工場直売所)

  • 連休中はヒマなので、ちょっとお出かけ

    私は毎年、この大型連休はヒマなのです。なので5月1日から3日まで、道東までちょっと出かけてきました。1日は11時頃まで札幌にいて滝上まで。芝ざくら滝上公園はこの日、公園開きをしましたがもちろん芝ざくらは開花前。前の日には雪が降ってたしな。2日は滝上を出て沙留(どこだ、それ?)、紋別、遠軽、湧別と回って滝上へ。滝上のこの日の最高気温は25.3℃で今年初めて道内での夏日を記録しています。天気の振れ幅が半端ない。3日は滝上を出て浮島峠、三国峠を通って帯広へ、そして帰札しました。三国峠は濃い霧と雨、雨は上士幌市街の手前まで続きましたが、帯広では晴れていました。途中の上士幌の道の駅は駐車場が満車で入れず、士幌の道の駅は中がごった返していました。さすが観光シーズンだね。参ったのは帯広からの帰り、サンデードライバーのノ...連休中はヒマなので、ちょっとお出かけ

  • 川崎市のマンホールカード(第5弾)

    デザインのモチーフは川崎の『川』の字、それを光の三原色で描き、そんな「色」にでもなれる多様性と自由をあらわしています。とのことです。そして周りを「川」の字が囲んでいます。この『川』のデザインは川崎市のブランドメッセージになっているそうですが、そのメッセージは定着しているのかな?川崎市は2024年に市制100年を迎えたそうです。それを控えこのブランドメッセージは2016年に制定されました。市政100年の8年も前か。私は3月と4月、2か月連続で川崎市に行ってきました。その時に感じたことは、“川崎市はいろいろな顔を持っているな”でした。そして住みやすそうな街という印象を持った。それはこのブランドメッセージと同じだ。川崎市は奥深い。また機会があれば行ってみたいな。川崎市のマンホールカード(第5弾)

  • 今日から出かけます

    世間はGWですよ、普通なら行楽シーズンなのですが北海道は雪に見舞われました。そうなんです、北海道はGW中までは雪の警戒をしなければいけないのです。その当たり前が今年はやって来たというだけなのですが。ということで道東の各地では雪が降りました。中山峠でも積雪があったということで、さすが北海道だな。その峠の雪が解けているのかどうか知りませんが、今日から出かけます。今日は昼前に札幌を出て浮島峠超えなのですが、まずは問題なかろう。明日は滝上界隈で過ごし、明後日は帯広に行ってから帰札します。遠軽駅の駅そばを賞味してみたいのですが。ブログは3日までお休みします。その間のことは私のSNSでご覧ください。どれだけ更新できるかはわかりませんが。では、行ってきます。今日から出かけます

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奥井みさき、旅の記録と徒然日記
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