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ブログタイトル
奥井みさき、旅の記録と徒然日記
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/okui-m
ブログ紹介文
仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。 札幌在住のフリーライタ・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
更新頻度(1年)

322回 / 365日(平均6.2回/週)

ブログ村参加:2010/04/17

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奥井みさきさん
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奥井みさき、旅の記録と徒然日記
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奥井みさき、旅の記録と徒然日記

奥井みさきさんの新着記事

1件〜30件

  • 北海道、警戒ステージを引き上げ

    北海道は新型コロナウイルスの警戒ステージを“2”に引き上げました。「感染が徐々に広がり始める状況であり、感染防止対策を徹底し、感染拡大を早期に抑え込み、社会経済活動との両立を進めるための重要なステージです」というのが“警戒ステージ2”だそうです。具体的には・体調が悪いときには外出を控える・マスクの着用を意識する・「テレワーク」の推進、「時差出勤」の更なる活用などの要請がなされています。テレワークや時差出勤を北海道が要請している、さてどうしたことか。ということで、北海道の関係者に仕事がどう変わるかを聞いてみました。『何も変わりません』とのことです。要請元の道が変わらないのであれば民間企業も変わらないな。何であれ北海道で感染が拡大しているのは間違いないこと。今までより一段上の予防策を取らなければならないのは警戒ステ...北海道、警戒ステージを引き上げ

  • 上名寄駅跡

    駅名に“名寄”とありますが、所在地は下川町です。開業は名寄線(当時)が下川まで開通したと同時の1919年10月20日。当時、ここがいかに栄えていたのかわかりますね。駅の痕跡は何もありません。国道沿いの「上名寄12線」の前に駅名板のレプリカがあります。本来の駅は国道より少し入ったところにありました。その場所に駅の痕跡は全くありません。駅名板のレプリカだけがここに駅があったことを物語っています。周辺は典型的な農村地帯、今では大正時代に駅ができたとは思えません。わずかな痕跡は上名寄郵便局があることくらいか。郵便局が現存していることこそが、ここがかつて栄えていた証なのですが。駅名板のある場所は名士バス「上名寄12線」バス停の前、「上名寄地区バス待合所」の小屋があります。せめて私が高校生の頃に来ていれば、何かを感じること...上名寄駅跡

  • 中名寄駅跡

    廃止になった名寄本線の、名寄の隣の駅です。1947月9月21日、仮乗降場として開業、1950年1月15日に駅に昇格しました。1989年5月1日に名寄本線の廃止とともに駅も廃止になっています。ウィキペディアによると荷物扱いもしていたらしい。プレハブの駅舎が残っており、日中は中も見学できます。地域の方が今でも駅を大切に思い、残しているらしい。駅舎自体も廃止になって31年も経つのに外観が綺麗に整備されています。駅周辺も雑草が放置されることなく、地域の方に本当に大切にされているのがわかります。駅の中には昔の鉄道風景を写した写真パネルが飾られています。今は考えられませんが、昭和の鉄道は賑やかだったな。場所は名士バスの「中名寄5線」の停留所の前、近くには中名寄小学校があります。中名寄小学校の児童数は今年度は19名。それがど...中名寄駅跡

  • 駅前交流プラザ「よろーな」

    私は最近、駅もそうですがバスターミナルにも興味が出てきました。JR北海道に対する興味が薄れてきた、ということもありますが。名寄の駅前にあるのが「よろーな」で、1階にはバス待合所や観光案内所、会議室、2階には商工会議所や消費生活センター、会議室などが入居しています。バスターミナルというより、市の公的施設を集約した場所という意味合いが強い。バスの待合所は道北バスの案内窓口があり、乗車券の発券などを行っています。バス乗り場は4番線まであり、2番線からは市内のコミュニティバスも発着しています。名士バスが担当するこのコミュニティバス、小型でなかなか可愛い。1乗車150円均一というのも乗りやすいですね。ちなみに1番線は札幌・旭川方面と枝幸・鬼志別方面の長距離バス、2番線は市内路線、3番線が風連・興部方面の郊外路線、4番線が...駅前交流プラザ「よろーな」

  • 名寄市のマンホールカード、その2

    現在の名寄市は名寄市と風連町が合併した自治体です。マンホールカードは旧風連町と旧名寄市、それぞれで発行しています。旧風連町のマンホールカードは昨年末にゲットしています。ということで今回は旧名寄市のマンホールカードです。モチーフは旧名寄市の花「オオバナノエンレイソウ」、市の木「カエデ」、市の鳥「アカゲラ」となっていて、非常にシンプル。わかりやすいと言えばわかりやすいが、工夫がないな。マンホールのデザインは一つだけではなかろうに…。「キマロキ」だったらよかったのになぁ。それこそ、ここにしかないものなのに。名寄市のマンホールカード、その2

  • 名寄朝日ボウル

    かつて空前のボウリングブームがあり、どこもかしこにもボウリング場がありました。滝上にも旭町にあった元の文化センターはボウリング場でしたし、温泉地の大きなホテルの中にもボウリング場があったりもしました。今はかつての賑わいはないとはいえ、まだあちこちにボウリング場があります。そして「ラウンドワン」などでボウリング設備を持つところも増えています。地味に地方でも頑張っているボウリング場がある。さて、名寄の『朝日ボウル』。ボウリングだけの単独施設ですが、今どき地方でこういうところは珍しい。2階建てで、1階と2階にそれぞれ5レーンで全10レーンあります。1階の入り口を入ると靴をロッカーに預け受付へ、そして目の前がすぐレーンだ。長方形2階建ての建物にボウリングの設備とレーンが“ギュっ”と詰まっています。それはいいとして、この...名寄朝日ボウル

  • 静内戸長役場跡

    静内の歴史は古く、1633年には和人が金山を開いたという記録があります。1869年、行政区画としての静内郡が置かれます。1881年(M14)、静内と新冠両郡の事務処理を行う『戸長役場』が置かれました。設置年については画像では明治13年となっていますが、新冠町と旧静内町の公式HPでは明治14年となっています。『戸長役場』とは今の役場に相当する役所で、開拓期には複数の自治体を管轄するものも相当数ありました。開拓が進むにつれ、自治体ごとに役場が置かれるようになります。静内戸長役場も新冠町を管轄していました。場所は北洋銀行静内支店、国道側の壁に張り付いています。えっ、ここが…?そんな場所です。静内駅から歩いて8分程、程よい散歩です。※日高郡新ひだか町静内御幸町1丁目1-1静内戸長役場跡

  • 日高本線、ラスト乗車へ … おわりに

    静内16:08=鵡川17:39、17:49-苫小牧18:19、18:41-南千歳19:02、19:10(快速「エアポート191号」)-札幌19:44来た道を淡々と戻るだけなので特に何もなく鵡川に向かいます。ところでこの区間、大狩部ー厚賀間には時刻表にもJR北のHPにも載っていない停留所があります。「大狩部高台」で、なぜここにこのようなバス停があるのかは謎。鉄道の代行バスで、駅とは無縁のところに停留所が置かれるのは珍しい。日が暮れて鵡川で乗り換え、再び鉄道の旅になります。浜厚真駅を過ぎると新日本海フェリー・苫小牧東FTが間近に見えてきます。土曜日のこの時間に停泊しているのは19:30発敦賀行(寄港便)の「らいらっく」。私は去年、この船に乗って敦賀に行くはずだったのですが台風でダメになった。苫小牧では前回までは待ち...日高本線、ラスト乗車へ…おわりに

  • 日高本線、ラスト乗車へ … 静内駅

    様似12:45=静内14:39様似から再びJRバスの代行バスで静内まで戻ってきました。道中、途中の乗り降りがあり乗客は11名~19名でした。さて静内駅はJR駅の他、新ひだか町観光情報センター「ぽっぽ」、売店、道南バス乗車券自販機、立ち蕎麦「にしや」などが入居しています。JR駅は建物の一番様似寄りにあります。このスペースが来年4月には空いてしまうことになりますが、その後はどうなるやら。毎度のことですが、静内では90分程待ち時間があります。お昼ご飯のなしでここまで来たのでまずは立ち蕎麦でカレー蕎麦(440円)を1杯。私の他にも蕎麦を食べる方が“鉄”と地元客とも結構いる。ここはしばらくは安泰、鉄道の来ない駅そばとして人気になるかもしれません。代行バスの担当バス会社が掲出されていました。2年前までは鵡川ー静内間は全便観...日高本線、ラスト乗車へ…静内駅

  • 日高本線、ラスト乗車へ … 静内から様似

    静内10:33=様似12:15終点静内では乗客は全員下ります。バスは乗務員を交替し、私は今下りた車両に再び乗車、様似へ向かいます。乗務員が変わっただけで車両は鵡川から様似までの通し運転だ。車両は休む間もなく酷使されますが、それに揺られるこちらも過酷だな。路線バスに3時間半以上通しで乗ってごらん、本当に疲れるから。バスはたまに国道を外れ海岸から離れた駅に寄りながら淡々と南下していきます。乗客は10名前後を維持しながら様似に到着、折り返しまで30分をユルユルと過ごします。駅舎は向かって左側が様似駅で窓口はJR北海道バスに委託、右側は観光案内所です。案内所は物販スペースもありますが、ずいぶん品薄になった。様似銘菓「尻餅」がなかったのでどうしたかと思っていましたが、閉店したのだとか。地方はどこも厳しい状況が続いています...日高本線、ラスト乗車へ…静内から様似

  • 日高本線、ラスト乗車へ … 静内まで

    10月10日(土)、まだ暗い琴似駅から始発に乗車、札幌へ参ります。まずは今回の行程をどうぞ。琴似5:39-札幌5:45、6:18-苫小牧7:45、7:52-鵡川8:20、8:38=静内10:25、10:33=様似12:15、12:45=静内14:39、16:08=鵡川17:39、17:49-苫小牧18:19、18:41-南千歳19:02、19:10(快速「エアポート191号」)-札幌19:44毎回、代わり映えしないコースではありますが、少しづつ変わってもいます。札幌駅では旭川行普通列車を見送りましたが、根室本線への接続が悪くなって客は減った。私はディーゼルカーに乗りたいのでいつも東室蘭行普通列車に乗ります。苫小牧でキハ40の2両編成に乗り換え鵡川まで、ここまでが鉄道の旅です。さて、静内行の代行バスに乗りましょう...日高本線、ラスト乗車へ…静内まで

  • 日高本線、ラスト乗車へ … 出かける前に

    日高本線のバス代行区間が来年4月で廃止になるのは既報の通り。となれば、廃止になる前に乗りに行かねばなるまい。このバス代行区間は何回か乗りに行きました。最初は土砂災害が起こった2015年の10月、このときは静内で折り返しました。2回目は2016年8月、代行バスのダイヤが改善され鵜苫駅まで足を伸ばしています。終点の様似までもう少しだったのですが、ここまでが限界でした。3回目は2018年5月、代行バスのダイヤ改正で終点の様似駅まで行くことができました。何だかんだといっても、年々便利になっているのがわかりますね。で、今回が4回目になります。そしてこれが代行バス最後の乗車になる予定です。ところで鉄道の廃止というと“葬式鉄”と呼ばれる方々がいらっしゃって騒ぎになる。ですが今回は廃止とはいっても『代行バス』だけの廃止です。こ...日高本線、ラスト乗車へ…出かける前に

  • 開拓記念木(剣淵町)

    再び剣淵町に戻ります。剣淵市街地、町役場の北側にある大きなヤチダモの木。町の天然記念物に指定されており、北海道名木100選のひとつ、「町木」にもなっています。調査の結果では室町時代(1336~1573)初期に芽生えた、とのことです。案内板から転記します。明治32年7月12日、北辺開拓と警備の大任を帯びた屯田兵が入地し、この老木の下で隊長の訓示を受けた後、丈余の笹を分けて兵屋に辿りついたのである。樹齢既に数百年を経て、栄枯盛衰をひとりで眺めてきたのであろう、この老木は、本町開拓を物語る唯一の記念物である。開拓当時はこれくらいの天然木など一面に生えていたのであろう。その中で何かの都合で伐採されずに残ったのがこの木だと推測されます。兵村配置図を見るとここは、南北に分かれていた兵村のうち南兵村の中と思われます。何であれ...開拓記念木(剣淵町)

  • 士別軌道9号車『モノコックバス』

    士別軌道本社については2年前に2日間にわたってブログに書きました。→https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/e1be433e8781c160ed5c00ab6837b3f4士別軌道といえば『モノコックバス』、全国に4台しか残っていないというレアものです。毎年、春から秋にかけて路線バスとして走っています。2年前は片道だけの運行だったのですが今年は往復の運行なのですね。往復運行は帰ってきてから気付きましたが、予め知っていたら乗ったかもしれません。片道だけでは乗りに行けないわな。ちなみに今年の運行は10月18日(日)までです。詳細は同社HPの案内をどうぞ。→http://www.s-kido.jp/その2年前に訪問したときにはモノコックバス、お尻しか画像に残すことができませんでした。今年はどう...士別軌道9号車『モノコックバス』

  • 士別駅・北の大地の入場券

    JR北海道では沿線自治体の協力を得て『北の大地の入場券』を発売しています。有人駅だけではなく、無人駅でも駅周辺の商店や施設で発売しています。→https://www.jrhokkaido.co.jp/kitanodaichi/index.html私はこの入場券を集めているわけではありませんが、気が向いたので士別駅で買いました。買ったら開駅120周年のオリジナルしおりが付いてくるというので、つい…。入場券にはスタンプが描かれていますが、士別駅はサフォーク種の羊です。市内にサフォークランドがありますからね。しおりの表には旧駅舎と現駅舎が写っています。旧駅舎は先代、2代目の駅舎ですね。しおりの裏は略年表です。簡単ですが、士別駅の北の大地の入場券の紹介でした。士別駅・北の大地の入場券

  • 士別駅「開駅120周年」記念展示

    昨日の続き、今日は士別駅です。士別駅は昨日の剣淵駅と同じ、1900年8月5日に官設天塩線が当駅まで延伸したことにより開業しました。1935年8月10日に本屋改築、1966年に現駅舎となっています。当時の典型的な国鉄の地方の中核駅の造り、紋別駅も同じような姿でした。1961年10月1日に急行「宗谷」「天北」の運行が開始されています(サブロクトウの白紙ダイヤ改正)。翌年には急行「紋別」が運行開始となるのですが、それはパネルの略歴に記載はない。1975年5月5日はSL「さよなら」列車運転、2000年3月11日には特急「スーパー宗谷」が運転開始。そして今年8月5日に開駅120周年となっています。駅舎の前とホーム側には記念の横断幕が掲出されています。待合室には記念フラッグと士別駅の歩みを記したパネルを2枚設置、略歴と昔の...士別駅「開駅120周年」記念展示

  • 剣淵駅「開駅120周年」記念展示

    宗谷本線の剣淵駅と士別駅は今年8月5日で開駅120周年を迎えました。それを記念し、JR北海道では両駅で記念展示を行っています。ということで今日は剣淵駅。剣淵駅は1900年8月5日、官設鉄道天塩線が和寒ー士別間が延伸開通したときに開業しました。ディーゼルカーが走ったのは1955年12月1日で、キハ48000形式だったそうです。48000形式は後のキハ11形で、時期的に当時の最新型の新製投入だったと思われます。最新型が入るというところも幹線の貫録でしょう。1986年11月1日に無人化、1988年11月3日には駅舎が改築されています。それが現駅舎で、当時は町の観光物産館とバスターミナルが併設されていました。観光物産館の入り口は今でも駅舎に残っています。そして今年、開駅120周年を迎えました。駅舎の前とホーム側には記念...剣淵駅「開駅120周年」記念展示

  • 日経電子版オンラインセミナー 健康経営大会議

    10月5日13:00~14:50、日経のオンラインセミナーが行われました。※日経電子版オンラインセミナー健康経営大会議supportedbyアアクサ生命~ワーク・エンゲイジメントを実現する健康経営とは~日時:10月5日、13:00~14:50基調講演:従業員のワーク・エンゲイジメントを実現する健康経営鶴光太郎氏(慶大大学院商学研究科教授)パネルディスカッション村田諒太氏(WBA世界ミドル級王者、ロンドン五輪ボクシングミドル級金メダリスト)島田由香氏(ユニリーバ・ジャパン・HD取締役人事総務本部長)樋口功氏(アクサ生命保険HPM事業開発部)モデレーター藤井省吾氏(日経BP総合研究所副所長兼メディカル・ヘルスラボ所長)アーカイブで視聴できます。パネルディスカッションはコチラ。→https://channel.nik...日経電子版オンラインセミナー健康経営大会議

  • 高いプライドと低い文化度、寿都町

    最初に断っておきますが、これから書くことは全て私の主観です。原発の高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場で話題の寿都町。私も何回か行ったことがあります。行けばその町のいろいろなものを見て、そこに住む方のお話を聞いて、町の空気を感じます。そこで感じた寿都町の素直な感想は「プライドが高い」でした。町の歴史は古く、商場所で交易がおこなわれていた1669年が開基とされています。当時栄えていたということは当然その前から和人が住んでいたことになります。明治になると寿都はこの地域の中心として早い時期からいろいろな施設ができました。病院、郵便局、郡役所、裁判所、測候所、税務署、支庁(寿都支庁)、女学校など様々。まるで今の中核都市のようですね。その名残が住民のプライドの高さとなって今に至ります。どうしてそう思ったか、細かい...高いプライドと低い文化度、寿都町

  • 豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅 … 金毘羅火口災害遺構

    ビジターセンターの山側には2000年の噴火で被害を受けた町営温泉や団地、その他諸々が被災当時のまま残されています。ビジターセンター2階の大きな窓からもよく見えますが、そこから見るととても噴火で被害を受けた建物とは思えません。歩いても近いので、行ってみましょう。ちなみにそのときに噴火した金毘羅山の火口は温泉街から350mほどの近さです。町営温泉は噴火の前年に1億円余りの費用をかけて修復したばかりでしたが、熱泥流に襲われ建物の内部は1mもの厚さの泥流に覆われました。またその泥流は国道230号線にかかっていた2本の橋を押し流し、その中の「木の実橋」は団地に激突、更に下流に流され町営温泉の手前で止まりました。団地は3棟ありましたが、その中でも一番被害が大きかった1棟を保存しています。画像に大きく破損した部分がありますが...豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅…金毘羅火口災害遺構

  • 豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅 … 洞爺湖ビジターセンター・火山科学館

    自然環境豊かな国立公園の要所にはビジターセンターがあり、周辺の自然環境などを解説したり様々な啓発活動を行っています。洞爺湖ビジターセンターはそういう施設です。その館内の一角にあるのが『火山科学館』です。私が洞爺湖温泉街に来たのはこれがあるからだ。洞爺湖で火山といえば有珠山で、長い活動休止後1663年の噴火から活動を再開しました。以来、20数年から50年ほどの周期で9回の噴火を記録しています。そもそも洞爺湖温泉自体が1910年の有珠山の活動によって湧出したものです。またこのときは噴火を事前に察知、住民の避難により被災者はゼロでした。最近では1977年に噴火し、泥流により3名の死者と不明者が出ました。このときの噴火で噴石などの被害を受けた自動車が展示されているのがここです。2000年には「有珠山の主治医」と呼ばれた...豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅…洞爺湖ビジターセンター・火山科学館

  • 豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅 … 三松正夫記念館

    「ミマツダイヤグラム」、ひたすらそれを見たい。三松正夫は壮瞥郵便局の局長でした。昭和新山が活動を始めたときから、彼は局舎の裏からその成長を正確に記録していきます。テグスを何本も張りそれを基準にして定点観測をし、グラフにしました。昨日のブログでも書きましたが時は1943年~45年、第2次世界大戦の最中でした。この地の地殻変動は当局の規制でその事実は報じられることはなく、公的観測も行うことができなかったそうです。それだけに、三松正夫の観測記録は世界的に貴重なものになりました。1948年、オスロで開かれた国際会議で三松が報告したグラフは高く評価され、「ミマツダイヤグラム」と名付けられました。そりゃそうだろう、ひとつの火山がゼロから出来上がるまでの詳細な記録なんぞ、そうそうあるわけがない。しかも、目と鼻の先でそれ観測し...豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅…三松正夫記念館

  • 豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅 … 昭和新山

    この旅で初めての有名観光地、昭和新山。駐車場は有料で、普通自動車は500円ですが“ビジット昭和新山キャンペーン”で1,000円の商品券がもらえます。ただし、使えるのは壮瞥町内だけなので洞爺湖畔ではほとんど使えないのでご注意を。昭和新山の略歴は以下の通り・1943年12月28日有感地震発生・1944年6月23日第1時噴火、以来10月30日の第17次噴火まで活発な活動が続く・1944年11月溶岩ドームの隆起が始まる・1945年9月20日活動停止、溶岩ドームの高さ175mざっくりとしていますが、もちろんこれ以外にもいろいろな出来事があったわけですが。ここは元は壮瞥町フカバ地区の畑でした。それが突然噴火をし新しい山ができた、そのこと自体が奇跡で自然の不思議なところ。そして今でも山肌から噴煙を上げているのが、昭和新山たる...豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅…昭和新山

  • 豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅 … 旧紋鼈製糖所製糖機械

    ビート(甜菜)の生産は日本では北海道が100%、日本産の砂糖生産量の80%あまり、製糖工場はオホーツク管内と十勝館内に各3か所、それと士別、伊達の8工場があります。伊達の製糖工場は北海道糖業(北糖)道南製糖所です。実はこの工場、発祥は日本初の甜菜による製糖工場でした。工場の正門を入ってすぐ左にあるのが「旧紋鼈製糖所製糖機械」です。フランスから機械を輸入して官設紋鼈(もんべつ)製糖所ができたのは1880年です。この機械はその時に導入されたものです。製糖所は1887年に払い下げられ紋鼈製糖会社になりましたが、輪作障害や病虫害により収量が減り1896年に会社は解散しました。機械は1900年に設立された台湾製糖に受け継がれました。台湾製糖は後に台糖となり1959年、伊達に道南製糖所を建設、この機械が台湾から戻ってきまし...豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅…旧紋鼈製糖所製糖機械

  • 豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅 … 伊達温泉(後)

    さて温泉への入り口は宿泊客と日帰り客それぞれ専用となっています。が、フロント(受付)は日帰り客と同じ場所。宿泊部屋は本館と新館合わせて58部屋と結構な部屋数。なかなかいい商売をしていると感じます。そうそう、宿泊予約は予約サイトも旅行代理店もGoToも関係ない強気ぶり。エージェントなんか要らないぜ、こういうところにもしたたかさを感じます。夕食は宿泊客専用の会食場で18時~20時まで、内容は画像の通り。私はこれで十分ですが、足りない方は日帰り客と一緒に食堂へどうぞ。その食堂も安い、私は夕食付にするか食堂で自由に何か頂くかを迷ったくらい。また売店では普通のお土産の他に、手作りの煮ツブ(5個入り300円)なども売っています。これは美味しそうだった…。でんぷん5㎏(1,080円)などというブツもあるぞ、一体誰が買うのか…...豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅…伊達温泉(後)

  • 豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅 … 伊達温泉(前)

    いよいよこの旅のきっかけとなった伊達温泉に投宿するときがやってきました。国道から少し入った田園の中にある一軒宿です。最初に同館のHPを見てもらいましょうか。→http://www.date-onsen.com/宿泊も日帰りもOK、館内には食堂もあり宴会も大丈夫、温泉は塩化物泉。大浴場は高温の浴槽があり、高めのお湯が好きな私には有り難いことです。客室はオール和室で定員は2名、4名、7名の3タイプ、全てアウトバストイレですが、お宿に大浴場さえあれば後はどうでもいいという私には関係ないこと。特筆すべきは宿泊料金で、2食付きなら1泊5,900円(税別)、それは週末や部屋に泊まる人数にかかわらず繁忙期を除き同じだということ。ということで私は連休中の土曜日でお部屋に一人で泊まったというのにこのお値段でした。てことは、このお...豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅…伊達温泉(前)

  • 滝上町プレミアム商品券(町外者用)

    滝上町ではプレミアム商品券を販売しています。“町民用”と“町外者用”があり、“町外者用”は道の駅とホテル渓谷で購入できます。お値段は1口5,000円で最大10口まで、30%のプレミアが付きます。昨日のブログでも書きましたが、私は“町外者用”の商品券を1口買いました。購入場所は滝上町のイベントが行われていたホテルポールスター札幌です。この1冊で6,500円分使えるのですがこれは今夜、「食事処みどちゃん」の飲食代でなくなる。ということで、今日と明日は出かけます。今日は剣淵と士別、そして名寄に行って滝上へ、夜は「みどちゃん」。明日は滝上を出てから東神楽に寄って帰ってきます。明日はどこかで温泉にでも入りたいな。ということなので、明日のブログは休みます。明後日からはお休みしていた旅行記を再開します。いつもだとこういうパタ...滝上町プレミアム商品券(町外者用)

  • 滝上町の特産品を販売、ホテルポールスターで今日と明日

    今日と明日、ホテルポールスター札幌(北4西6)で滝上町の秋の特産品を販売します。また会場や滝上町内で使える『滝上町プレミアム商品券』(30%プレミア)も限定販売します。場所はホテル1階エントランス「屋外特設会場」、時間は両日とも9:00~18:30。販売品目はSUUTCOOL(天然和ハッカスプレー)、ハーブティー、月のチーズ、野菜フレーク、あとは蜂蜜や旬の野菜、ばっこ柳のまな板なども販売します。天然ハッカは全国生産の95%を占める滝上の特産品だ、月のチーズは札幌でも人気商品、野菜フレークは詳しいことは申し上げられませんがある有名商品の原料にもなっています。また1階のレストラン「Dining&Bar179」では滝上の食材をふんだんに使ったメニューを、日替わりランチで提供します(11:30~14:30、数量限定)。...滝上町の特産品を販売、ホテルポールスターで今日と明日

  • 日高本線・鵡川ー様似間、来年4月廃止

    日高本線の不通区間(鵡川ー様似)は現在、代行バスが運行されていますが、来年4月に廃止することでJR北海道と沿線7町が大筋合意しました。廃止は既定路線でしたが、JR北の支援金を巡り調整が続いていました。報道によると沿線自治体は廃線を受け入れる代わりにその後18年間にバス運行費で20億円、駅周辺の整備などに5億円の計25億円を受け取ることで合意したそうです。JR北はこの支援金とは別に護岸の復旧工事も負担するそうです。これ、いくらかかるのだろうか。とりあえず、JR北の負担は18年間で25億円プラス護岸工事です。では、JR北が発表している同区間の収支状況を見てみましょう。2020年度第1四半期(4~6月)の収支は管理費を含め1億74百万円の赤字です。→https://www.jrhokkaido.co.jp/CM/In...日高本線・鵡川ー様似間、来年4月廃止

  • 豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅 … 有珠善光寺

    北海道には江戸時代、「蝦夷三官寺」という寺院がありました。厚岸の国泰寺、様似の等澍院(とうじゅいん)、そしてここ善光寺です。幕府が寺院を定めたのは民心の安定とアイヌ民族への布教が目的とされていますが、背景にはロシアに対して幕府が蝦夷地を支配している事を示す狙いがありました。有珠善光寺の開基は826年とされています。事実はともかく、北海道でもこのあたりは古い伝承が残っていますね。1804年、11代将軍家斉が「蝦夷三官寺」を定めました。2018年には本堂、庫裏の茅葺屋根の葺き替えなどが行われています(平成の大修理)。そのお陰ですね、建物は綺麗になっています。世間的には境内に咲く桜やツツジ、アジサイなど“花の寺”として有名です。HPでは境内に咲く花の様子を観ることができます。建物の画像をみると左が本堂、右が客殿、写っ...豊浦、伊達、洞爺へ、1泊2日の旅…有珠善光寺

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