この度 私 小波野ケンは名前を変えまして「孤波のケン」と名乗ることにいたします。名前を変えることによって 運が開けるらしいです。お世話になっている方からのアドバイスです。小波野ケン ↓孤波のケンサーフィンだけに限らず いろいろな分野(出来れ
熱血サーフィンブログ!! 田舎のポイントで繰り広げられるオヤジ達のドタバタ・サーフィンライフ!
この度 私 小波野ケンは名前を変えまして「孤波のケン」と名乗ることにいたします。名前を変えることによって 運が開けるらしいです。お世話になっている方からのアドバイスです。小波野ケン ↓孤波のケンサーフィンだけに限らず いろいろな分野(出来れ
A君 38才(独身)オシャレなサーファーである。いつもファッションに気を遣っている。ヨレヨレのいい感じのジーンズとセンスのいいTシャツやカラーシャツ・・・有名なブランドのものではないが、いつもバランスのいい組み合わせで着こなしている。彼が着ると、ど
数十年前のサーフショップ店長との飲み会・・・いつものように飲み始めたのだが、この日は店長さんのテンションがひどく低い・・当たり障りのない話題が続いたあと、突然 店長さんがまじめな顔で聞いて来た。店長 「税理士に経理を頼むと、いくらぐらいかかるんです
うちの嫁さんは日焼けに強い。すぐに日焼けをする。紫外線の吸収にすぐれた肌なのだ。サーファーは地黒でも問題はないが、普通の女性にとっては気になるらしい。俺は日焼けをするとすぐに赤くなり、2~3日で皮がむけてくる。もともと肌は白いほうで、なかなか黒く
とてもモテルサーファーがいた。自他共に認めるイケメン君だった。ただ、女性関係にはとてもだらしなく、典型的な自己チューサーファーでもあった。彼には15年以上付き合っている女性がいる。彼女が高校を卒業してからすぐに付き合い始めたので、彼女も今は33~34才
このブログを始めて1か月ぐらいの頃(約20年前)の記事より・・・俺には20年以上一緒にサーフィンをしている友達が3人いる。1人は店長さん。(サーフショップをしている。)それと板前サーファー。(もちろん板前をしている。)そしてNK君だ。(設計の仕事をしてい
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★冬の或る夜・・・地元の紳士淑女の集まる社交場にて しこたま飲んだ俺・・・午後11時過ぎ・・・イイ感じに出来上がった俺は セクシー淑女達に見送られ、店をあとにしたのであった。(今日は
どこのポイントも爆裂噴火をしている日曜日・・・仕方なく・・・ 南浜ポイントに入ることに決めた俺だった。ここは北側の突き出た堤防と南側のテトラがうねりをブロックし、こんな日でもギリギリ入れるポイントである。浜辺でいちゃつく若いカップルのそばで 柔軟体
米島、ビーチとも波が無い日だった。ショップの自販機の前で途方に暮れる俺とカズだった。俺 「いやさ~! 俺 さっき変なもの見ちゃったんだけど・・・」カズ 「なんスか??」俺 「ここに来る途中に 米島をチェックしてた時に 一人のサーファーが 米島にパ
オヤジ達との話に夢中になり、米島に先に行かせた原チャリ・カズを忘れていた俺・・・「どうせ遅れるなら もうちょっと待たせよう!」と自販機でジュースを買うのであった。ギャハハハハハ・・・そして その15分後、ゆっくりと米島に出発したのである。俺 「あ
台風通過後の秋の或る日・・・朝 8時過ぎにショップに行くと 俺の数多い弟子達の末席を汚す(!?)原チャリ・カズが 店の前で立っていた。(数多いと言っても キャバ、チュー、カズの3人ですけど・・・ デヘヘヘヘ・・)カズ 「ケンさん! お待ちしておりまし
いよいよケンズ・クラシック表彰式が始まった。参考までにケンズ・ルールでは とにかく長い距離を乗った人が優勝である。また 途中でどんな技を入れようとも加点にはならない。とにかく愚直なまでに淡々とボードに乗っていることが求められる。究極の『こちら側サ
午後3時・・・大会を終えたサーファー達が 表彰式会場のビーチ・バーガーに集まっていた。(ビーチバーガーはポイント傍にあるサーファー御用達のビールとハンバーガーの店である)俺、O平さん、梅さん、キャバ夫妻、原チャリ・カズ、チュースケ夫妻、その他数人・
しばらくぶりのサーフィンで すっかり体が鈍ってしまっていたため、スナメリに 伊勢海老をあとで持ってくることを条件に ボードの後ろを押して貰い ポイントまで運んでもらった俺なのであった。俺 『アリガトネ!! あとで波に乗るときに合図するから そしたらまた
パドルで片道15分ちょっとのリーフの米島ポイント!!梅さん、O平さん、森君、カズのあちら側サーファー達が 遥かかなたの水平線上に ゴマ粒のように浮かんでいるのが見えた。いつものハワイ・ピークと その先のカリフォルニア・ピークの2手に分かれて波待ちをしてい
集合時間になっても みんなが海に来ていないことをLINEで確かめ、ソファで二度寝を決め込んだ俺・・・次に目が覚めたのは9時半だった。(そろそろカズも駐車場に着いた頃かな・・・??? それじゃ 俺も用意をするか!! ギャハハハハハハ・・・)大会にまでサー
8月24日 PM8時・・・ケンズクラシック 前夜祭が 某地方都市の高級料亭(!?)で行われた。出席者は選りすぐられた有志達によってであった。俺 「とりあえず生ビールね! それと つまみは焼き鳥と刺身盛り合わせと大盛サラダを人数分ね!!で え~~と・・
現在 良さげな波を狙い、ウェイティング中のケンズ・クラシック!!(デカい波を待っているのではなく、小さ目で安全な波を待っているのであった)ぶひょ!ときどきケンズ・ホットラインで会議をする重鎮達・・・(普通のLINEですが・・・)原チャリ 「今度の日
ケンズ・クラシック・・・日時は 一回順延後 適当に開催!!エントリーは 当日 海に居るサーファー・・・ジャッジは 自己申告・・・画期的(!?)な大会なのであった。俺 「あとは ヒート後のBBQと表彰式だな!!」原チャリ 「場所は いつものビーチ
ケンズ・クラシック復活のため 会議を重ねる重鎮達であった。俺 「それじゃ 一回順延してから もったいぶって再度 開催日を決定するということと、当日 海に居るサーファーを誘って出場させるっていうことでいいかな???」原チャリ(カズ) 「えっ!? それ決
今 河原子ポイントで密かに進んでいる計画がある。ケンズ・クラシックの復活である。今年の春頃に話が出て、ケンズ会の重鎮たちが会議に会議を重ねて来た重要案件なのであった。ぶひょ!ここ数年 マンネリ化した大会に嫌気がさし、放り投げておいたケンズ・クラシ
舞台の幕が開き、元締めの三味線の音をBGMにして 芸者5人が現れた。元締めは 歌舞伎の人間国宝の女形(おやま)のような性別不明の妖怪であった。たぶん 軽く60は超えているだろう。その妖怪は まっすぐ前を睨み、ニコリともせずに三味を弾いている。愛想の無い
水曜日は午前中から隣の県に出張。親会社の研修会である。俺は退屈な研修会を 後ろのほうの席で 居眠りをこきながら聞いてる振りをしていた。「為替の仕組み」というタイトルの講演会であった。そんな話は聞いていてもよく分からない。というか、タイトルを聴い
最近は親子でサーフィンを楽しむ家族が増えてきた。また 自分はサーフィンをやらずに、子供にサーフィンを教える親も多いようだ。その親子は いつも子供(小学校高学年!?)がサーフィンをしている間、父親が岸辺に立って子供のサーフィンを見ていた。そして 気に
10年以上前の話です。最近大工の熊さんから飲みの誘いの電話がよく入る。よっぽど 夜 家にいるのが面白くないみたいだ。もう子供も大きくなって、親を相手にしてくれない年頃だ。(22才、20才、18才の3人の娘)嫁さんと顔をつき合わせて飯を食べたり、テレビを見
その日は 久しぶりに野暮用が無い休日だった。しかし 残念なことに 窓から見える風力発電のプロペラは 北東の風を受け クルクルと勢い良く回っていたのである。(ウッ ヤバッ! こんな風の時は あそこしかない!!)俺はチャチャッと用意をして 「ちょっと出
俺が 南浜ポイントをグーグル・アースで見ていることも知らずに サーフィンをする2人・・・店長さんの「ゴー!!」という合図で 執念ピークからテイクオフしたキャバヒロだった。リーフブレイク特有の三角波のど真ん中から滑り降りたキャバヒロ・・・集音マイクは「
最近の科学の進歩は目覚ましく、刻々と変化する波もパソコン上でチェック出来るようになって来た。とは言っても・・・、「波伝説」や「波ある?」等の波情報ではなく、政治家も 中国船の領海侵犯の監視に使っている(!?)と言っていた例のアレ・・・、グーグル・アース
このブログを始めた頃の看板ネタ・・・それは ウンコネタ...今から20年前ぐらいの話。当時 俺達は20人ぐらいでサーフチームを作り、毎週休日は俺達だけのシークレットポイントでサーフィンを楽しんでいた。そのポイントは砂浜を数キロ走ったところにあり、4駆の
いつもの浜辺で 遥か遠くのポイントを眺めるサーファー達が居た。朝8時から 潮が引くのをずっと待ち続けるオヤジ達・・・何故なら沖のリーフの米島ポイントは 干潮直前がベストなのである。米島ポイントのサイズアップを待つ事2時間・・・AM10時を過ぎると 遥か
俺の最近の口癖は 「どうでもいいけど」である。自分ではあまり意識してないのだが、よく言うらしい・・ジジイになると 世の中で起きているほとんどのことに興味がなくなってくる。「どうでもいいこと」が多すぎるのである。そんな「どうでもいいこと」を いちい
晩秋の頃・・・、いつものように地元の居酒屋で 第15,609回定例会議が開かれた。出席者は ISU会長、HSA支部長、俺の3人だった。生ビールをみんなで注文したあと カバンの中の資料を取り出す会長・・・この日の議題は 15日に開催されるISU第3戦のエントリーの確認
小寒い秋の日の午前10時・・・県北地方は 北東の風がやや強く どんよりとした曇り空だった。こんな日に面がいいのは 南浜ポイント(リーフ)のみ!!干潮1時間前ということで 潮回りも良く 勇者達が続々と集まって来ていた。参加者 俺、O平さん、M路さん(
或る年の夏の終わり・・・ビーチの喧騒を逃れて 米島ポイントに浮いている2人・・・時間は早朝 7時前だった。俺 「思ったよりデカイね!! 岸から見た感じでは腹胸ぐらいかなと思っていたけど、セットは肩ぐらいが来るね!! ブヒョヒョヒョ・・・」T鍋 「
真夏の或る日の河原子ポイント・・・小波のテトラ脇ピークには 7~8人のサーファー達が浮かんでいた。メンバーは ローカルがバード一人で、他はすべてビジターだった。それを眺めながらウエットに着替えていると ボードを抱えた片ピー大佐が通りかかった。(片
ある夏の日の午後・・・いつもより長めの米島サーフィンを終え、ショップ近くの海の家へと飛び込んだ俺とカズだった。サーフィンの後の生ビール!!夏は これを飲むためだけにサーフィンをしてるといっても過言ではない!?(キッパリ!!)俺 「おやっさん!!
休日の或る日・・・早朝 死にそうな声で カズが電話をかけて来た。俺 「何か有ったのか??」カズ 「実は・・・」まあ 彼の話を要約すると 某サーフショップ店長に「知り合いの主催する大会があるから お前がショップの代表で出ろ!」と言われて、大会が開催
アラスカ方面からのうねりを目で追いながら サーファーとしての心構えを弟子に説く俺だった。「おい カズ! デカい波が来て 行くかヤメるか迷った時には 必ず行けよ!!」カズ 「えっ!? 『迷った時はヤメロ!』がケンさんの口癖じゃないスか??」俺 「それ
台風の置き土産が炸裂する南浜ポイント・・・ワカメピークやテトラ脇ピークに浮かぶビジター達を横目に 遥か沖の執念ピークに向かってパドルをする俺なのであった。その目指すピークには セットでダブルオーバーというお化けサイズが押し寄せていたのである。岸から4
10月の或る日、時間はAM9時・・・俺は 南浜ポイント前の防波堤の上で 遥か彼方の太平洋を見つめていた。前々日に台風27号、28号が通り過ぎ 「そろそろ 置き土産が押し寄せているのではないか!?」と胸騒ぎがしていたからである。その予想通りに、目の前では 「
台風のビッグウェーブが迫る中 南浜ポイントに果敢にアタックする2人・・・(俺とチュースケ)なぜそんな危険なサーフィンをするのか!?それは『自然と一体になりたい!!』というピュアな気持ちからなのであった。ぶひょ!日本の領海外・・、中国の潜水艦も行
初秋の或る日・・・AM9時半・・・南浜ポイント前で腕組みをする2人のサーファーがいた。面はまあまあ・・・、しかし台風が近づいているためか 不気味なうねりが押し寄せていたのであった。テトラ脇でヘッドサイズくらいか!?いやいや 500メートル沖の執念ピーク
2030年、9月・・・これは数年後の未来の話である。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★昼下がり・・・南浜防波堤の上で 日向ぼっこをする俺とNALU君の姿があった。俺も70をとっくに過ぎ いい加減ヨボヨボだった。NALU
数日後、俺は病室に見舞いに行った。彼女は明るくとても元気そうだった。あの朝泣いていたのが信じられないくらいだった。「しばらくは会えなくなるから、治療が終わったら電話するね」別れ際、彼女はそう言った。彼女なりに決心をしたのだろう。俺は正直ホッと
俺がとても若く、髪の毛もフサフサだった頃の話。その頃の俺は、サーフィンを始めて2年ぐらいの時で、メラメラとサーフィンに対する情熱が燃えたぎっていた。その日も仕事の前に海に入ろうと、5時ごろ起きて、いつものポイントに入っていた。1時間ほどサーフィンをし
三回も彼の前から姿を消した彼女だった。しかし その時は置手紙を残していた。なんでも 武田君と知り合う前に付き合っていた彼氏に 親子3人で歩いているのを見られ、付きまとわれていたらしい・・・それで その男があまりいい人では無かったらしく、『遠回しにお
武田君の前から姿を消した彼女・・・ところが 離婚を経験した彼の前に 10数年ぶりに現れたのだった。俺 「どうして突然いなくなったか聞きましたか??」武田 「同棲していた時に 妊娠に気が付いたと言ってました。私の将来を考えて身を引いたとも・・・ ホス
武田君にとっては 彼女との2度目の別れだったのであった。武田 「彼女の失踪後 数年間は仕事の合間に探したりとかしてたんですが さっぱり消息も分からなくて・・・ で その数年後に 上司の勧めも有って個人病院の娘と結婚ということになったんです。いつまで引き
俺 「で・・ そのあと どうしたんですか??」武田 「まあ 私は中学生だったので 何も出来ずに・・・ そのあと何回か その辺りには行ったんですけど それ以来 あの女の子には会えませんでした」俺 「じゃ 遠い親戚に 引き取られてしまったんですかね!!」
地元に戻って来た同級生の武田・・・日本各地の病院で勤務医をして来たらしい・・・その彼が 50を過ぎて戻って来たには訳が有ったのであった。武田 「私が中1のときに ちょっとした事件が有りましてね!!」俺 「事件??? 俺も知っているような事件ですか?
遥か昔の中学校時代の同級生と 行きつけのバーで再会した俺・・・俺 「そういえば武田さんは 東京に転校して行ったんですよね!? いつ戻って来てたんですか???」武田 「実は 今 ここで働いてるんですよ!!」そう言ってポケットの名刺入れから1枚の名刺を
その日は仕事絡みの忘年会が有った日だった。午後11時ごろ・・・、オヤジ達との騒がしい忘年会も終わり、千鳥足気味に いつものカフェバーに入った俺・・・ママ 「あら ケンさん イラッシャ~~イ!! あっ もう出来上がっているようね!!」俺 「うん 今日は
防災無線の津波情報がガセネタだったことが分かり、カズとM路さんは そのまま正面ビーチへと向かったのであった。しかし 一度ケチが付いたこの日のサーフィン・・・繊細な俺の心は 元には戻らないのであった。ぶひょ!『本日 これにて打ち止め~!!』そう叫
或る日の米島サーフィン・・・リーフポイントの米島は 岸から4~500メートルは離れているのだった。ポイントで浮いていると どこかのスピーカーから 風に乗って流れて来る防災無線らしきものが聞こえて来た!?『こちらは・・・○×△◇・・・です・・・ ■△×◎
栃木からサーフィン武者修行のため 茨城に移住していた女性サーファーがいた。その名はミナちゃん・・・そのミナちゃんが 結婚のために地元に戻るというのでサヨナラBBQが行われた。しかし 肉を焼いているのはミナちゃん本人であった。周りにいる女の子達も食い
或る日の河原子ポイント・・・ISU第3戦を翌週に控え、エントリーしている選手達は 最後の調整に余念がなかった。波はイマイチだったが、そんなことは言ってられない。みんな思い思いに 自分の技をチェックしているのだった。そして 浜辺の防波堤の上には それ
小波の土曜日の午前中・・、俺はニューボードを試すべく 河原子ポイントに入っていった。その日の満潮は夕方頃ということもあり、潮がだいぶひいていた。みんなが波待ちをしているあたりでさえ、胸ぐらいの水深だった。俺はサーフテックのウッディー(HAP JACOBS、9
俺が「小波のケン」と呼ばれるようになったいきさつ・・・数十年前の話である。・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆俺は前の晩に 水戸で旧友(!?)と久しぶりに再開し、ヘベレケになるまで飲み、夜中の3時ごろに自宅に帰ってきた。しかし
或る休日の朝・・・俺は河原子ポイントの前で 考え込んでいた。目の前のポイントでは久々にでかい波が割れていた。そこには若いサーファー達がオーバーヘッドの波に立ち向かっていた。彼らのヤル気に触発されて すぐにでも入ろうと思ったが、諸事情を考慮して(
台風が過ぎ去った或る日の休日の朝だった。前日までの爆裂クローズはおさまり、サイズはでかいが(ヘッドぐらい)、なんとかサーフィンが出来そうな波が立っていた。「今日を逃したら 次はいつサーフィン出来るか分からない!!」俺は 急いで自宅に帰り、用意をして
左端の防波堤側からパドルアウトをする2人・・・先に行く板前サーファーがテレパシーを送って来た。(昭和のサーファーは 海の上ではテレパシーで会話をするのが普通である。)板前 「ケンさん! どこに浮かぶんですか?? テトラ脇ですか??」彼が言うテトラ
或る日の南浜ポイント、時間はAM9時・・・ポイント前には腕組みをする2人のサーファー(俺と板前サーファー)が立っていた。板前サーファーは かつての『新島四天王』の一人であり、未だにバイアグラを飲んで 夜な夜な駅前をうろつくと言う現役バリバリのエロ・オヤジ
地元の某サーフショップはサーフポイントの目の前にあるため ケガをして担ぎ込まれるサーファーが多い。その時に 取りあえず応急処置をするのがショップの天使、イチゴ姉さんの仕事でもあった。その日もサーフィン中にケガをしたサーファーが運び込まれてきた。(こ
我が家のアイドル ナル君!!御年11歳!!人間でいうと66歳!?最近 だいぶ老化が進んできた。特に気になっているのは 彼のお腹の具合である。朝夕2回の彼との散歩が俺の日課となっている。ほぼ11年間 出張で出かけた時以外は俺の仕事なのだ。しかし こ
嫁さんから「人から良い人に見られたい欲望を捨てれば楽になる」と言われた俺・・・俺 「そうは言われても 最初から悪い人にはなりたくないし・・・」嫁 「いい人に見られたいと言うよりも あなたの場合は『実際の自分より良く見せたい』と言ったほうが正しいかも・
俺は自宅で飲んでるときに 嫁さん相手に愚痴をこぼすことが多い。熊さんが会社に来たその日も 「『あいつが また領収書を探せ!』と言って来たんだよ!! まあ さすがに断ったけどね!!」と愚痴をこぼした。俺は いつものように「そうだね!! いい加減にしてほ
俺の会社からの領収書を持って行ってから 半年ぐらい経った頃・・・あの男が またやって来たのである。大工の熊さん 「や~~! ケン! 久しぶり・・・」やけに機嫌がよく見えた。俺 「もしかして・・・ また例の話か??? 裁判終わらないの??」熊 「
工事の領収書のコピーを渡すため、熊さんに電話した俺・・・「ああ・・ 俺だけど この前の領収書の件、探したら8枚見つかったぞ!!」熊 「そうか ありがとね!! 8枚か??? で 合計いくらになった??」俺 「え~~と 800万ちょっとかな! 結構多かった
3千万~5千万ほど 売り上げの中から嫁さんに抜かれていたと主張する熊さん・・・俺 「しかし その金額だけど 3千万と5千万じゃ だいぶ違うような気もするけど・・・」熊 「実は・・・」 話が長くなるので要約すると・・・嫁さんは 集金して来た金の一
昔 大工の熊さんは 何度か嫁さんとケンカをしてはバイクで一人旅に出かけていたという。フーテンの熊さん だったのである。その熊さんとは いつも年に数回飲みに行っていたのだが、ここ2~3年は会っていない。そんな熊さんから久々に連絡が有った。熊 「よ~!
愛する熊さんに捧ぐ・・・まだ生きてるけどね!!・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆フーテンの熊さん・・・自分なりの男の美学を持っている。ビッグバイク(ハーレー)を乗り回し、ライターは銀のジッポー。BBQしているその脇で、バイ
その日の午前中・・・俺はクソ波にも拘わらず 正面ポイントに浮いていた。しかし何度テイクオフをしても ダンパな波にまかれ続けたのだった。1時間ほど入っていただろうか・・・いい加減 嫌になり、ボードを担いで上がった。いつもより諦めが早い俺・・・何
かなり前に書いた猫ネタ・・・・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆俺は朝6時に自宅を出て会社に向かう。会社といっても自宅から50メートルも離れていないので、すぐに着くのだが・・6時30分から仕事をする人(早番)がいるので、その準備をす
ヒモパン前ポイントで 波乗りをするオヤジ会・・俺とY形さんとK柳さん・・いつの間にか ヒモパンオネエチャンは ボディーボードをしている彼氏の背中に乗ってイチャついていた。ヒモパンのケツが波間に浮かんでは消えている。こちらにしてみると サーフィンど
ヒモパン前ポイント(勝手に命名)には Y形さん、K柳さん(共にオヤジ会) そして その他2名(ビジター)が浮かんでいた。沖に浮かんでいるロングボーダーは 俺を含めて5名である。一箇所のピークから レギュラー、グーフィーと左右に割れるため、波取り合戦はほ
昔々の大昔・・・或る年の夏の終わりだった。・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆見た目は悪いが ロングには最高の小波が立つポイントを目指して 浜辺を歩く俺・・いつも入るところよりも 北側に300メートルほど離れたピークである。俺
数十年前のお盆休み・・・・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆この日は 「午後から子守りをやってね!!」という嫁さんの命令があったため、朝8時半に 河原子ポイント駐車場に向かった。この時期 海水浴客が多いため、駐車場は有料になってい
或る昼下がりの河原子ビーチ・・・俺は ショップから外の様子を「ボーッ」と眺めていた。テトラ脇のピークには サーフィンを始めたばかりの若者達が5~6人浮いていた。全員スクールの卒業生である。今年 地元の大手企業に就職したエリートサラリーマンの卵達であ
「ショップのバーベキューは ほとんど俺が払っている」と 口が滑ってしまった俺・・・奥様 「ちょっと待って! それってまずくない!?? あなたがいつもお金を出してるの??」俺 「えっ あっ その・・・ いつもというわけじゃなく、ときどきというか たいて
いつも黒い服を着ているブラックさん・・・(ホームレス)年齢は50歳ぐらい・・・!??(でも本当はもっと若いのかもしれない!???)奥様に 「彼はバーベキュー仲間だ」と言うと、「どういう関係かを詳しく言って!!」と迫られた。いきなり家に連れて来られて
「海で一度 話をしただけの見知らぬサーファーを家に泊めて酒を飲み、翌日 朝イチをするのがサーファー」という話を書いた。しかし ほとんどの奥様連中は「ふざけんな!!それに付き合う家族のことも考えろ!!」というのが世間一般の常識である!!ところが それに
本当にあった怖い話。数年前の夏・・知り合いのサーファーのY君は 会社で残業をしていた。そのとき 携帯に電話が入った。夜の8時ごろである。嫁 「あんた!! ○本さんていうサーフィンの友達が 家に来ているんだけど・・」Y君 「○本!? サーファー!
約20年前の元ザレより・・・☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★日曜日の夕方 俺は河原子ポイント前に立っていた。北東の風が吹き荒れ、海は「さつま白波」になっていた。サーファーが数人・・、ヤケクソで入っていた。とてもサー
20年以上前のサーフィン日記最近の俺のライディングは ワンパターンである。テイクオフして横に走り、場合によってはアップスンを数回入れる。波の先に行き過ぎないように フィーリングカットバックをして、隙を見ては前に3歩ほど歩く。あとはダラダラと 岸ま
O君との20年ぶり以上のサーフィン・・ヘタレなバトルを続ける2人だった。40~50分経っただろうか、O君が言った。O 「おい ケン! 今日 レギュラーに乗ったか?」俺 「1本も乗ってないよ!! さっきから 1本乗ったら上がろうかなと思って待ってるんだけど・・
20数年ぶりにO君と一緒に海に入った俺その日は あいにくのグーフィーオンリーで、俺もO君も苦手な波だった。テトラ脇のピークのそばで波待ちを始めた俺・・しばらくして O君も俺のほうにパドルをして来た。ぎこちないパドルが O君の最近のサーフィンライフを物
昔むかしのサーフィン日記。前日の晩 嫁さんは 久しぶりの熟女の会(近くに住む同級生のオバチャンの会)で 居酒屋のオープンラストを決めてきたため 朝から機嫌が良かった。たまには 嫁さんも気晴らしに 飲みに行かせるべきである。むしろ 1日、2日ぐらいだっ
思い出話・・・サ吉君(サーフィン・キチガイからあだ名が付いた)が 20年前以上前に俺と会った事があると言い出した。しかも そのときの事をハッキリと覚えているという・・俺は そんなことなど全然覚えていない。彼にとって 絶対に いい思い出ではないはず
昔 昔 俺が40代の頃・・・☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★先週の土曜日。前の晩の水戸修行を終え、俺は朝10時頃河原子ポイントに立っていた。前の日は 「明日は早いから 11時には帰りましょう!!」と言っていた店長さんだっ
或る日の日曜日・・・クソ波でサーフィンする男達がいた。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★「ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア・・・」「ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア
数か月前に 近所の老舗のレストランが閉店すると聞いて 慌てて食べに行ったら、帰り際に「良かったら 好きな観葉植物を持って行って下さい!!」と店内に置いてあった鉢植えを指さして言われた。俺が子供のころから家族で行っていたレストランなので、思い出深い店であ
悪徳サーフショップ(!?)の店長さんに 『来週 また出直して来い!!』と言われて 泣く泣く栃木に帰って行くYさんの背中を見送る俺・・・俺 「しかし タチの悪いヤツだな!! 前日の約束を忘れて花見に出かけ 待たせた挙句に 結局ブッちぎるるんだから・・・
時は春・・・穏やかな日曜日のお昼頃・・・珍しく来客が多い某サーフショップであった。しかし こんな日に限って 店長はいないのである。何故なら 花見に行っているから・・・!!(あいつの事だから 既に酒を飲んでいるに違いない・・・)サーフィンを終え
近所に住むA子さん(45歳)は お上品な専業主婦・・・この日も子供や旦那を送り出すと、食事の後片付けや 掃除、洗濯をサッサと終わらせて、お気に入りの韓国ドラマを見始めたのであった。「しかし 何で韓国の人達は いつもケンカばかりしているのかしらね!! 頭
遠い昔のサーフィン日記。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★初夏の河原子ポイント・・・タカヤマ・DT-2を小脇に抱え 浜辺を歩く俺だった。目の前のテトラ脇ピークには 原チャリ・カズなどのローカル連中が数人浮かんでいた。
僕は3才、みんなにジュニアと呼ばれている。お父さんもお母さんもサーフィンをしている。どっちもとても上手なサーファーだ。特にお母さんはプロサーファーと呼ばれている。休みの日には いつも3人で海に行く。海に行くと 変なオジさんやオバさんがたくさんいる
正面ビーチを眺めながら 口をヘの字に曲げて悩む俺が居た。1時間前・・・、偵察に来た時は こんなにサーファーは多くなかったのに・・・目の前の河原子ビーチには 7~80人のサーファー達が浮いていたのであった。その中でも 一番デカいうねりが来る管理棟前ポイン
珍しくしんみりとした話を・・・・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆とてもモテルサーファーがいた。自他共に認めるいい男だった。ただ、女性関係にはとてもだらしなく、典型的な自己チューサーファーでもあった。彼には15年以上付き合って
或る日の週末・・・家庭内戦力外の俺は いつものように河原子ポイントへと出かけるのであった。AM9時半にショップに着くと 珍しいことに店長さんの車が停まっていた。(あれっ!? 普通だったら 昼頃にしか来ないはずなのに・・・)開店時間は一応10時だけど・・
前回の続き・・・(10年以上前の飲み会話・・)時間は午後9時半を回っていた。親会社の新社長就任披露パーティーも無事終わり、2次会のキャバクラに流れ着いた4人・・・青木(51歳)→地元 宇都宮の製造業の社長であり、この協力会の役員でもある。今回のパーテ
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A君 38才(独身)オシャレなサーファーである。いつもファッションに気を遣っている。ヨレヨレのいい感じのジーンズとセンスのいいTシャツやカラーシャツ・・・有名なブランドのものではないが、いつもバランスのいい組み合わせで着こなしている。彼が着ると、ど
数十年前のサーフショップ店長との飲み会・・・いつものように飲み始めたのだが、この日は店長さんのテンションがひどく低い・・当たり障りのない話題が続いたあと、突然 店長さんがまじめな顔で聞いて来た。店長 「税理士に経理を頼むと、いくらぐらいかかるんです
うちの嫁さんは日焼けに強い。すぐに日焼けをする。紫外線の吸収にすぐれた肌なのだ。サーファーは地黒でも問題はないが、普通の女性にとっては気になるらしい。俺は日焼けをするとすぐに赤くなり、2~3日で皮がむけてくる。もともと肌は白いほうで、なかなか黒く
とてもモテルサーファーがいた。自他共に認めるイケメン君だった。ただ、女性関係にはとてもだらしなく、典型的な自己チューサーファーでもあった。彼には15年以上付き合っている女性がいる。彼女が高校を卒業してからすぐに付き合い始めたので、彼女も今は33~34才
このブログを始めて1か月ぐらいの頃(約20年前)の記事より・・・俺には20年以上一緒にサーフィンをしている友達が3人いる。1人は店長さん。(サーフショップをしている。)それと板前サーファー。(もちろん板前をしている。)そしてNK君だ。(設計の仕事をしてい
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★冬の或る夜・・・地元の紳士淑女の集まる社交場にて しこたま飲んだ俺・・・午後11時過ぎ・・・イイ感じに出来上がった俺は セクシー淑女達に見送られ、店をあとにしたのであった。(今日は
どこのポイントも爆裂噴火をしている日曜日・・・仕方なく・・・ 南浜ポイントに入ることに決めた俺だった。ここは北側の突き出た堤防と南側のテトラがうねりをブロックし、こんな日でもギリギリ入れるポイントである。浜辺でいちゃつく若いカップルのそばで 柔軟体
米島、ビーチとも波が無い日だった。ショップの自販機の前で途方に暮れる俺とカズだった。俺 「いやさ~! 俺 さっき変なもの見ちゃったんだけど・・・」カズ 「なんスか??」俺 「ここに来る途中に 米島をチェックしてた時に 一人のサーファーが 米島にパ
オヤジ達との話に夢中になり、米島に先に行かせた原チャリ・カズを忘れていた俺・・・「どうせ遅れるなら もうちょっと待たせよう!」と自販機でジュースを買うのであった。ギャハハハハハ・・・そして その15分後、ゆっくりと米島に出発したのである。俺 「あ
台風通過後の秋の或る日・・・朝 8時過ぎにショップに行くと 俺の数多い弟子達の末席を汚す(!?)原チャリ・カズが 店の前で立っていた。(数多いと言っても キャバ、チュー、カズの3人ですけど・・・ デヘヘヘヘ・・)カズ 「ケンさん! お待ちしておりまし
いよいよケンズ・クラシック表彰式が始まった。参考までにケンズ・ルールでは とにかく長い距離を乗った人が優勝である。また 途中でどんな技を入れようとも加点にはならない。とにかく愚直なまでに淡々とボードに乗っていることが求められる。究極の『こちら側サ
午後3時・・・大会を終えたサーファー達が 表彰式会場のビーチ・バーガーに集まっていた。(ビーチバーガーはポイント傍にあるサーファー御用達のビールとハンバーガーの店である)俺、O平さん、梅さん、キャバ夫妻、原チャリ・カズ、チュースケ夫妻、その他数人・
しばらくぶりのサーフィンで すっかり体が鈍ってしまっていたため、スナメリに 伊勢海老をあとで持ってくることを条件に ボードの後ろを押して貰い ポイントまで運んでもらった俺なのであった。俺 『アリガトネ!! あとで波に乗るときに合図するから そしたらまた
パドルで片道15分ちょっとのリーフの米島ポイント!!梅さん、O平さん、森君、カズのあちら側サーファー達が 遥かかなたの水平線上に ゴマ粒のように浮かんでいるのが見えた。いつものハワイ・ピークと その先のカリフォルニア・ピークの2手に分かれて波待ちをしてい
集合時間になっても みんなが海に来ていないことをLINEで確かめ、ソファで二度寝を決め込んだ俺・・・次に目が覚めたのは9時半だった。(そろそろカズも駐車場に着いた頃かな・・・??? それじゃ 俺も用意をするか!! ギャハハハハハハ・・・)大会にまでサー
8月24日 PM8時・・・ケンズクラシック 前夜祭が 某地方都市の高級料亭(!?)で行われた。出席者は選りすぐられた有志達によってであった。俺 「とりあえず生ビールね! それと つまみは焼き鳥と刺身盛り合わせと大盛サラダを人数分ね!!で え~~と・・
現在 良さげな波を狙い、ウェイティング中のケンズ・クラシック!!(デカい波を待っているのではなく、小さ目で安全な波を待っているのであった)ぶひょ!ときどきケンズ・ホットラインで会議をする重鎮達・・・(普通のLINEですが・・・)原チャリ 「今度の日
ケンズ・クラシック・・・日時は 一回順延後 適当に開催!!エントリーは 当日 海に居るサーファー・・・ジャッジは 自己申告・・・画期的(!?)な大会なのであった。俺 「あとは ヒート後のBBQと表彰式だな!!」原チャリ 「場所は いつものビーチ
ケンズ・クラシック復活のため 会議を重ねる重鎮達であった。俺 「それじゃ 一回順延してから もったいぶって再度 開催日を決定するということと、当日 海に居るサーファーを誘って出場させるっていうことでいいかな???」原チャリ(カズ) 「えっ!? それ決
「ショップのバーベキューは ほとんど俺が払っている」と 口が滑ってしまった俺・・・奥様 「ちょっと待って! それってまずくない!?? あなたがいつもお金を出してるの??」俺 「えっ あっ その・・・ いつもというわけじゃなく、ときどきというか たいて
いつも黒い服を着ているブラックさん・・・(ホームレス)年齢は50歳ぐらい・・・!??(でも本当はもっと若いのかもしれない!???)奥様に 「彼はバーベキュー仲間だ」と言うと、「どういう関係かを詳しく言って!!」と迫られた。いきなり家に連れて来られて
「海で一度 話をしただけの見知らぬサーファーを家に泊めて酒を飲み、翌日 朝イチをするのがサーファー」という話を書いた。しかし ほとんどの奥様連中は「ふざけんな!!それに付き合う家族のことも考えろ!!」というのが世間一般の常識である!!ところが それに
本当にあった怖い話。数年前の夏・・知り合いのサーファーのY君は 会社で残業をしていた。そのとき 携帯に電話が入った。夜の8時ごろである。嫁 「あんた!! ○本さんていうサーフィンの友達が 家に来ているんだけど・・」Y君 「○本!? サーファー!
約20年前の元ザレより・・・☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★日曜日の夕方 俺は河原子ポイント前に立っていた。北東の風が吹き荒れ、海は「さつま白波」になっていた。サーファーが数人・・、ヤケクソで入っていた。とてもサー
20年以上前のサーフィン日記最近の俺のライディングは ワンパターンである。テイクオフして横に走り、場合によってはアップスンを数回入れる。波の先に行き過ぎないように フィーリングカットバックをして、隙を見ては前に3歩ほど歩く。あとはダラダラと 岸ま
O君との20年ぶり以上のサーフィン・・ヘタレなバトルを続ける2人だった。40~50分経っただろうか、O君が言った。O 「おい ケン! 今日 レギュラーに乗ったか?」俺 「1本も乗ってないよ!! さっきから 1本乗ったら上がろうかなと思って待ってるんだけど・・
20数年ぶりにO君と一緒に海に入った俺その日は あいにくのグーフィーオンリーで、俺もO君も苦手な波だった。テトラ脇のピークのそばで波待ちを始めた俺・・しばらくして O君も俺のほうにパドルをして来た。ぎこちないパドルが O君の最近のサーフィンライフを物
昔むかしのサーフィン日記。前日の晩 嫁さんは 久しぶりの熟女の会(近くに住む同級生のオバチャンの会)で 居酒屋のオープンラストを決めてきたため 朝から機嫌が良かった。たまには 嫁さんも気晴らしに 飲みに行かせるべきである。むしろ 1日、2日ぐらいだっ
思い出話・・・サ吉君(サーフィン・キチガイからあだ名が付いた)が 20年前以上前に俺と会った事があると言い出した。しかも そのときの事をハッキリと覚えているという・・俺は そんなことなど全然覚えていない。彼にとって 絶対に いい思い出ではないはず
昔 昔 俺が40代の頃・・・☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★先週の土曜日。前の晩の水戸修行を終え、俺は朝10時頃河原子ポイントに立っていた。前の日は 「明日は早いから 11時には帰りましょう!!」と言っていた店長さんだっ
或る日の日曜日・・・クソ波でサーフィンする男達がいた。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★「ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア・・・」「ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア
数か月前に 近所の老舗のレストランが閉店すると聞いて 慌てて食べに行ったら、帰り際に「良かったら 好きな観葉植物を持って行って下さい!!」と店内に置いてあった鉢植えを指さして言われた。俺が子供のころから家族で行っていたレストランなので、思い出深い店であ
悪徳サーフショップ(!?)の店長さんに 『来週 また出直して来い!!』と言われて 泣く泣く栃木に帰って行くYさんの背中を見送る俺・・・俺 「しかし タチの悪いヤツだな!! 前日の約束を忘れて花見に出かけ 待たせた挙句に 結局ブッちぎるるんだから・・・
時は春・・・穏やかな日曜日のお昼頃・・・珍しく来客が多い某サーフショップであった。しかし こんな日に限って 店長はいないのである。何故なら 花見に行っているから・・・!!(あいつの事だから 既に酒を飲んでいるに違いない・・・)サーフィンを終え
近所に住むA子さん(45歳)は お上品な専業主婦・・・この日も子供や旦那を送り出すと、食事の後片付けや 掃除、洗濯をサッサと終わらせて、お気に入りの韓国ドラマを見始めたのであった。「しかし 何で韓国の人達は いつもケンカばかりしているのかしらね!! 頭
遠い昔のサーフィン日記。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★初夏の河原子ポイント・・・タカヤマ・DT-2を小脇に抱え 浜辺を歩く俺だった。目の前のテトラ脇ピークには 原チャリ・カズなどのローカル連中が数人浮かんでいた。
僕は3才、みんなにジュニアと呼ばれている。お父さんもお母さんもサーフィンをしている。どっちもとても上手なサーファーだ。特にお母さんはプロサーファーと呼ばれている。休みの日には いつも3人で海に行く。海に行くと 変なオジさんやオバさんがたくさんいる
正面ビーチを眺めながら 口をヘの字に曲げて悩む俺が居た。1時間前・・・、偵察に来た時は こんなにサーファーは多くなかったのに・・・目の前の河原子ビーチには 7~80人のサーファー達が浮いていたのであった。その中でも 一番デカいうねりが来る管理棟前ポイン
珍しくしんみりとした話を・・・・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆とてもモテルサーファーがいた。自他共に認めるいい男だった。ただ、女性関係にはとてもだらしなく、典型的な自己チューサーファーでもあった。彼には15年以上付き合って