この度 私 小波野ケンは名前を変えまして「孤波のケン」と名乗ることにいたします。名前を変えることによって 運が開けるらしいです。お世話になっている方からのアドバイスです。小波野ケン ↓孤波のケンサーフィンだけに限らず いろいろな分野(出来れ
熱血サーフィンブログ!! 田舎のポイントで繰り広げられるオヤジ達のドタバタ・サーフィンライフ!
二日酔いの朝、ポイントに行くと オーバーヘッドの混じる波が待ち構えていたのであった。俺 「まあ サイズはいいとしても、ブレイクが早過ぎないか!?」カリ 「ちょっと早めですね!! でもこれぐらいは入らなきゃ・・。 ほらみんな入ってるでしょ!!」確かに
或る日曜日の朝・・・スッキリと目覚めて海に行きたかった俺だったが、 性懲りも無く 前の晩に2時まで飲んでしまったのであった。某サーフショップ店長の誘いに まんまと乗ってしまったのだ。某店長 「ケンさん!! 早めに帰ってくれば大丈夫ですよ!! 朝7時か
初夏の午後・・・俺は 河原子ポイントのサーフショップ前に置いてあるスケベ椅子・・・、じゃなくて セレブなソファーの上に腰を下ろして ボンヤリと浜辺を眺めていた。この場違いなソファーは 店長の知り合いがやっている超高級クラブで使用していたものである。
ケンプレ名物BBQ大会の続き・・・屋台で焼かれた肉をほおばり 酒を飲んでいると・・・、少し離れたところで女性サーファー達が立ち話をしているのが見えた。なにやら真剣な話をしているらしい。すると・・・ 彼女達の口から 思いも寄らない言葉が次々と飛び出し
サーフィン競技が終わった午後2時半・・・いよいよ・・・、KEN'Sロングボードクラシックの第二部(表彰式並びにBBQ)が始まったのであった。しかしそこは・・・、自称『カリスマ料理人達』が その腕を競い、いつの間にか『B級グルメ選手権』の様相を呈していたのである
10年以上前の夏の終わりの或る日・・・『KEN'Sロングボードクラシック最終日』が開かれようとしていた。最終日と言ってみたが 当然1日だけの大会である。(というか・・・ ヒートに関しては 実質3時間半というセコイ大会!?)ぶひょ!!AM7時半・・・集合
午前中のリベンジを心に秘めて 米島のハワイピークに浮かぶ俺・・・しかし もうひとり 先週のリベンジを固く心に誓う男がいたのである。その名は チュースケ!!ここ米島で 家庭内でのボスの座をかけたドロドロした戦いが 今始まったのであった。俺 「おい!
俺は ショップ脇のウッドデッキの上で さっきまでの米島サーフィンを思い出していた。思うように乗れずに ワイプアウトを繰り返した午前の部・・・ボードが動かずに 体だけが空回りしていたサーフィン・・・原因は分かっていた。普段乗っていたAVISOボード
お盆明けの或る日・・・時間は朝の8時半・・・この日は いつもの駐車場が有料になる最終日であった。もちろんこの日も 嫁さんタクシーでカリスマショップに到着・・・ついに今年は 夏の間に1回も駐車場代を払わなかった。俺はオネエチャンには金を使うが ジジ
俺は一時期「マッハのケン」と呼ばれていた。あまりにもアップスンの時のスピードが早く、「音速を超えていたのではないか!?」と言われたのが始まりである。ガハハハハハ・・・以下は その時のきっかけになった話である。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
或る日曜日の午後・・・河原子ポイントに向かって車を飛ばす俺が居た。この日は『2時からビーチクリーン』という連絡が来ていたのだが サーファーの集合時間には30分ぐらい遅れて行くと丁度いい!!(サーファーズタイム)どーせ 時間通りに来るヤツなど半分も居
或る休日の昼下がり・・・俺はNALU君を膝の上に置き ソファに座ってテレビを見ていた。すると下の方から 何やら熱い視線を感じたのだった。NALU 「ねえねえ ご主人様! お願いが有るんですけど・・・」俺 「お願い??? 何だい??」NALU 「僕 ずっと思
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A君 38才(独身)オシャレなサーファーである。いつもファッションに気を遣っている。ヨレヨレのいい感じのジーンズとセンスのいいTシャツやカラーシャツ・・・有名なブランドのものではないが、いつもバランスのいい組み合わせで着こなしている。彼が着ると、ど
数十年前のサーフショップ店長との飲み会・・・いつものように飲み始めたのだが、この日は店長さんのテンションがひどく低い・・当たり障りのない話題が続いたあと、突然 店長さんがまじめな顔で聞いて来た。店長 「税理士に経理を頼むと、いくらぐらいかかるんです
うちの嫁さんは日焼けに強い。すぐに日焼けをする。紫外線の吸収にすぐれた肌なのだ。サーファーは地黒でも問題はないが、普通の女性にとっては気になるらしい。俺は日焼けをするとすぐに赤くなり、2~3日で皮がむけてくる。もともと肌は白いほうで、なかなか黒く
とてもモテルサーファーがいた。自他共に認めるイケメン君だった。ただ、女性関係にはとてもだらしなく、典型的な自己チューサーファーでもあった。彼には15年以上付き合っている女性がいる。彼女が高校を卒業してからすぐに付き合い始めたので、彼女も今は33~34才
このブログを始めて1か月ぐらいの頃(約20年前)の記事より・・・俺には20年以上一緒にサーフィンをしている友達が3人いる。1人は店長さん。(サーフショップをしている。)それと板前サーファー。(もちろん板前をしている。)そしてNK君だ。(設計の仕事をしてい
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★冬の或る夜・・・地元の紳士淑女の集まる社交場にて しこたま飲んだ俺・・・午後11時過ぎ・・・イイ感じに出来上がった俺は セクシー淑女達に見送られ、店をあとにしたのであった。(今日は
どこのポイントも爆裂噴火をしている日曜日・・・仕方なく・・・ 南浜ポイントに入ることに決めた俺だった。ここは北側の突き出た堤防と南側のテトラがうねりをブロックし、こんな日でもギリギリ入れるポイントである。浜辺でいちゃつく若いカップルのそばで 柔軟体
米島、ビーチとも波が無い日だった。ショップの自販機の前で途方に暮れる俺とカズだった。俺 「いやさ~! 俺 さっき変なもの見ちゃったんだけど・・・」カズ 「なんスか??」俺 「ここに来る途中に 米島をチェックしてた時に 一人のサーファーが 米島にパ
オヤジ達との話に夢中になり、米島に先に行かせた原チャリ・カズを忘れていた俺・・・「どうせ遅れるなら もうちょっと待たせよう!」と自販機でジュースを買うのであった。ギャハハハハハ・・・そして その15分後、ゆっくりと米島に出発したのである。俺 「あ
台風通過後の秋の或る日・・・朝 8時過ぎにショップに行くと 俺の数多い弟子達の末席を汚す(!?)原チャリ・カズが 店の前で立っていた。(数多いと言っても キャバ、チュー、カズの3人ですけど・・・ デヘヘヘヘ・・)カズ 「ケンさん! お待ちしておりまし
いよいよケンズ・クラシック表彰式が始まった。参考までにケンズ・ルールでは とにかく長い距離を乗った人が優勝である。また 途中でどんな技を入れようとも加点にはならない。とにかく愚直なまでに淡々とボードに乗っていることが求められる。究極の『こちら側サ
午後3時・・・大会を終えたサーファー達が 表彰式会場のビーチ・バーガーに集まっていた。(ビーチバーガーはポイント傍にあるサーファー御用達のビールとハンバーガーの店である)俺、O平さん、梅さん、キャバ夫妻、原チャリ・カズ、チュースケ夫妻、その他数人・
しばらくぶりのサーフィンで すっかり体が鈍ってしまっていたため、スナメリに 伊勢海老をあとで持ってくることを条件に ボードの後ろを押して貰い ポイントまで運んでもらった俺なのであった。俺 『アリガトネ!! あとで波に乗るときに合図するから そしたらまた
パドルで片道15分ちょっとのリーフの米島ポイント!!梅さん、O平さん、森君、カズのあちら側サーファー達が 遥かかなたの水平線上に ゴマ粒のように浮かんでいるのが見えた。いつものハワイ・ピークと その先のカリフォルニア・ピークの2手に分かれて波待ちをしてい
集合時間になっても みんなが海に来ていないことをLINEで確かめ、ソファで二度寝を決め込んだ俺・・・次に目が覚めたのは9時半だった。(そろそろカズも駐車場に着いた頃かな・・・??? それじゃ 俺も用意をするか!! ギャハハハハハハ・・・)大会にまでサー
8月24日 PM8時・・・ケンズクラシック 前夜祭が 某地方都市の高級料亭(!?)で行われた。出席者は選りすぐられた有志達によってであった。俺 「とりあえず生ビールね! それと つまみは焼き鳥と刺身盛り合わせと大盛サラダを人数分ね!!で え~~と・・
現在 良さげな波を狙い、ウェイティング中のケンズ・クラシック!!(デカい波を待っているのではなく、小さ目で安全な波を待っているのであった)ぶひょ!ときどきケンズ・ホットラインで会議をする重鎮達・・・(普通のLINEですが・・・)原チャリ 「今度の日
ケンズ・クラシック・・・日時は 一回順延後 適当に開催!!エントリーは 当日 海に居るサーファー・・・ジャッジは 自己申告・・・画期的(!?)な大会なのであった。俺 「あとは ヒート後のBBQと表彰式だな!!」原チャリ 「場所は いつものビーチ
ケンズ・クラシック復活のため 会議を重ねる重鎮達であった。俺 「それじゃ 一回順延してから もったいぶって再度 開催日を決定するということと、当日 海に居るサーファーを誘って出場させるっていうことでいいかな???」原チャリ(カズ) 「えっ!? それ決
「ショップのバーベキューは ほとんど俺が払っている」と 口が滑ってしまった俺・・・奥様 「ちょっと待って! それってまずくない!?? あなたがいつもお金を出してるの??」俺 「えっ あっ その・・・ いつもというわけじゃなく、ときどきというか たいて
いつも黒い服を着ているブラックさん・・・(ホームレス)年齢は50歳ぐらい・・・!??(でも本当はもっと若いのかもしれない!???)奥様に 「彼はバーベキュー仲間だ」と言うと、「どういう関係かを詳しく言って!!」と迫られた。いきなり家に連れて来られて
「海で一度 話をしただけの見知らぬサーファーを家に泊めて酒を飲み、翌日 朝イチをするのがサーファー」という話を書いた。しかし ほとんどの奥様連中は「ふざけんな!!それに付き合う家族のことも考えろ!!」というのが世間一般の常識である!!ところが それに
本当にあった怖い話。数年前の夏・・知り合いのサーファーのY君は 会社で残業をしていた。そのとき 携帯に電話が入った。夜の8時ごろである。嫁 「あんた!! ○本さんていうサーフィンの友達が 家に来ているんだけど・・」Y君 「○本!? サーファー!
約20年前の元ザレより・・・☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★日曜日の夕方 俺は河原子ポイント前に立っていた。北東の風が吹き荒れ、海は「さつま白波」になっていた。サーファーが数人・・、ヤケクソで入っていた。とてもサー
20年以上前のサーフィン日記最近の俺のライディングは ワンパターンである。テイクオフして横に走り、場合によってはアップスンを数回入れる。波の先に行き過ぎないように フィーリングカットバックをして、隙を見ては前に3歩ほど歩く。あとはダラダラと 岸ま
O君との20年ぶり以上のサーフィン・・ヘタレなバトルを続ける2人だった。40~50分経っただろうか、O君が言った。O 「おい ケン! 今日 レギュラーに乗ったか?」俺 「1本も乗ってないよ!! さっきから 1本乗ったら上がろうかなと思って待ってるんだけど・・
20数年ぶりにO君と一緒に海に入った俺その日は あいにくのグーフィーオンリーで、俺もO君も苦手な波だった。テトラ脇のピークのそばで波待ちを始めた俺・・しばらくして O君も俺のほうにパドルをして来た。ぎこちないパドルが O君の最近のサーフィンライフを物
昔むかしのサーフィン日記。前日の晩 嫁さんは 久しぶりの熟女の会(近くに住む同級生のオバチャンの会)で 居酒屋のオープンラストを決めてきたため 朝から機嫌が良かった。たまには 嫁さんも気晴らしに 飲みに行かせるべきである。むしろ 1日、2日ぐらいだっ
思い出話・・・サ吉君(サーフィン・キチガイからあだ名が付いた)が 20年前以上前に俺と会った事があると言い出した。しかも そのときの事をハッキリと覚えているという・・俺は そんなことなど全然覚えていない。彼にとって 絶対に いい思い出ではないはず
昔 昔 俺が40代の頃・・・☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★先週の土曜日。前の晩の水戸修行を終え、俺は朝10時頃河原子ポイントに立っていた。前の日は 「明日は早いから 11時には帰りましょう!!」と言っていた店長さんだっ
或る日の日曜日・・・クソ波でサーフィンする男達がいた。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★「ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア・・・」「ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア ハア
数か月前に 近所の老舗のレストランが閉店すると聞いて 慌てて食べに行ったら、帰り際に「良かったら 好きな観葉植物を持って行って下さい!!」と店内に置いてあった鉢植えを指さして言われた。俺が子供のころから家族で行っていたレストランなので、思い出深い店であ
悪徳サーフショップ(!?)の店長さんに 『来週 また出直して来い!!』と言われて 泣く泣く栃木に帰って行くYさんの背中を見送る俺・・・俺 「しかし タチの悪いヤツだな!! 前日の約束を忘れて花見に出かけ 待たせた挙句に 結局ブッちぎるるんだから・・・
時は春・・・穏やかな日曜日のお昼頃・・・珍しく来客が多い某サーフショップであった。しかし こんな日に限って 店長はいないのである。何故なら 花見に行っているから・・・!!(あいつの事だから 既に酒を飲んでいるに違いない・・・)サーフィンを終え
近所に住むA子さん(45歳)は お上品な専業主婦・・・この日も子供や旦那を送り出すと、食事の後片付けや 掃除、洗濯をサッサと終わらせて、お気に入りの韓国ドラマを見始めたのであった。「しかし 何で韓国の人達は いつもケンカばかりしているのかしらね!! 頭
遠い昔のサーフィン日記。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★初夏の河原子ポイント・・・タカヤマ・DT-2を小脇に抱え 浜辺を歩く俺だった。目の前のテトラ脇ピークには 原チャリ・カズなどのローカル連中が数人浮かんでいた。
僕は3才、みんなにジュニアと呼ばれている。お父さんもお母さんもサーフィンをしている。どっちもとても上手なサーファーだ。特にお母さんはプロサーファーと呼ばれている。休みの日には いつも3人で海に行く。海に行くと 変なオジさんやオバさんがたくさんいる
正面ビーチを眺めながら 口をヘの字に曲げて悩む俺が居た。1時間前・・・、偵察に来た時は こんなにサーファーは多くなかったのに・・・目の前の河原子ビーチには 7~80人のサーファー達が浮いていたのであった。その中でも 一番デカいうねりが来る管理棟前ポイン
珍しくしんみりとした話を・・・・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆とてもモテルサーファーがいた。自他共に認めるいい男だった。ただ、女性関係にはとてもだらしなく、典型的な自己チューサーファーでもあった。彼には15年以上付き合って