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寅次郎の徒然草 http://blog.livedoor.jp/torajiro0421/

芭蕉は日々詠む句が辞世だと言った。 寅が吐く、日々の駄文、これもつたない辞世だ。

寅次郎
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住所
郡上市
出身
郡上市
ブログ村参加

2009/09/22

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  • 「温習会雑感」

    女 房の温習会の出演は3回目である。前の名簿から見ると会員の減少が目立つ。師匠格では16人が8人に。白鳥だけの会員は10数名が2人の激減。何故だろう?でも我が家の大奥は生き残ってきた。弟子の孫もへこたれなかった。バーバはこれが最後だろうと老体にムチ打った

  • 「第7回温習会」

    10年ぶりに開催された。この一か月、我が家は大騒動だった。門下の子供たちとバーバの踊り練習で。俺様だけ、蚊帳の外。畑の雑草も伸び放題、ジャガイモ収穫も忘れられていた。ソフトの試合を休んで、舞台を見に行った。下の孫の美夜は第二部の五番目に登場。樋口一

  • 「倍賞千恵子の現場」

    寅次郎の妹・さくら。男はつらいよの元題は“愚兄賢妹”だった由。絶妙の兄妹である。そのさくら・千恵子が綴った。倍賞自体はモノを残さない主義とか。モノが残ると次に進まないという。彼女は俺より一つ若い?84歳。晩年になり人生を振り返る事も大事かと思い直し

  • 「ままならぬ」

    平家物語の白川天皇のたまう。予には三つのままならぬものがある。“賀茂川の水と賽の目と比叡山の僧兵だ”時の大権力者でも、この三つが思い通りに出来なかった。 寅にもままならぬものがある。一つは八十路越えのカカ殿。連れ添ってやがて60年になろうか?最初は

  • 「リモート同窓会・第Ⅱ弾」

    リモート同窓会、レター同窓会とも言う。コロナの副産物である。5年前に一度開催したことがある。その時の最後のセリフは“コロナが治まったら、この世の見納めに、最後の同窓会をやろうぜ!” だった。世界を震撼させたコロナ菌騒動も収まった。愚性も二回ほどコ

  • 「名前に惚れた」

    和田政宗参議院議員に初めて会った。藤井孝男議員の秘書だった浜崎氏はその後、縁あって、和田議員の秘書になった。その関係で、逢う機会が出来た。7月に参議院の選挙があり和田議員は改選期である。寸暇を割いて郡上に来られた。藤井後援会・藤政会の残党と面通し

  • 「夏仕様」

    今年は週末に天気がよく崩れる。今日までに13試合予定されていた。そのうち7試合が雨の野郎が邪魔した。梅雨前にこんなことは異例である。何故だろう?トランプのせいだろうか?中日が勝てないからだろうか?7月5日に大災害が起きると予言されている。その前兆なの

  • 「トイレの話」

    日本のトイレは世界で一番快適と言われる。ウオシュレットが行き届いている。数年前に中国の五つ星のホテルに泊まった。そこですらウオシュレットは手動である。脱臭装置も優れている。でも、臭いは完全とは言えない。先日、ある冊子を読んだ。トイレ研究家・白倉正

  • 「消えた黄色」

    この時期、我が堤防道路は真っ黄色である。と言うのは去年までの話。今年は、真っ茶色である。何とも汚れた風景になってしまった。除草剤を撒いたのである。清流に除草剤を撒いていいのかねぇ?一面黄色のイエローロード。阪神ロードだとも思っていた。一転一面枯

  • 「郡上JC創立50年」

    50年前の事。小生35歳、江戸からUターンしてきたばかり。郡上に青年会議所をつくる話が聞こえてきた。そして誘いが来た。青年会議所って何もんだ?俺は正直、知らなかった。創立準備会に時の町長も呼んだ。商工会議所青年部の親戚かい?どうせ数年で消えるだろう

  • 「長嶋茂雄」

    1936年(昭和11年)生まれ。1958年、立教大学から巨人に入団。1974年、38歳で現役引退。巨人軍は永久に不滅だと語る。2004年、68歳で脳梗塞で倒れる。2007年、妻・亜希子64歳で逝去。2025年、6月3日、89歳で旅立った。巨人は嫌いだが長嶋は憎めなかった。小生、ある

  • 「貧血気味」

    住民健診はおおむね良好だったが、血液検査から2点、指摘された。その1は、糖尿病予備候補生だと言う。今までは、その気配は全くなかった。甘いものを沢山食べていませんかと聞かれた。そう言われれば以前より少し多いかな?最近、孫と競って食べているから。競っ

  • 「屋根の点検」

    今年の大雪はいろいろ被害を出した。このところ暖冬気味で雪が少ない年が続いた。それをいいことに庭木の雪囲いはさぼった。今年の雪は半端じゃなかった。量的にはそれ程とは思わなかったが重かった。毎朝、庭木に積もった雪は取り払った。でも枝はかなり折れた。近

  • 「孫に負けた」

    4人目の孫娘が小学5年生になった。今年になり、急速に身長が伸びてきた。ついに165㎝に届いてきた。じーじはあっさり追い抜かれた。天真爛漫でよく遊ぶ!よく食べる!好き嫌いはない!量からするとじーじの倍は食べる。休みの日には間食も半端でない。それで太ら

  • 「初モノ」

    6月1日 鮎の解禁日。友釣りは卒業して20年程になる。何故止めてしまったのだろう?原因は二つ位ある。一つはソフトボールである。休日には必ず試合がある。試合はチームプレーで欠席は許されない。チームの中にも釣りの好きなのがいた。そ奴は釣り優先で試合に出

  • 「縮みつつある」

    一年一回の高齢者住民健診。朝8時に行き、白鳥病院で受けてきた。前夜の9時から、飲むな、食べるな!当日朝は少量の水以外はダメ!空腹で力が出ない。でも不思議と疲労感はない。むしろスッキリ感だろうか? 前日の朝に1回目の採便。当日朝に2回目の採便と小

  • 「非常勤勤務」

    4月で満85歳となり、少し考えた。会社での立場は相談役である。今のところ積算以外に決まった仕事はない。自分史やブログを書いている時間の方が多い。時折、相談はあるが、多くはない。これを機に、勤めを非常勤にしてはと相談。報酬は会社の方で決めてもらってい

  • 「油坂峠雪害」

    今年の雪は56豪雪に次ぐと言われた。我々が整備した油坂峠の旧道も被害があった。手摺が雪で谷側に倒された。頂上の説明看板も柱が沈下して歪んでしまった。登坂道も一部削られていた。大きな木が倒れて歩道を塞いでいる。前年までは、こんな事はなかった。今年はい

  • 「サンデー毎日」

    おつかれ山のはじめ殿。古田さん20年間岐阜県知事ご苦労様でした。“心熱く岐阜を愛する会”が慰労の宴を催す。その親方は書・詩・絵作家加藤としえ女史。古田元知事とは先輩後輩の間柄。赤ではなくピンクの糸で繋がっていたと自白?古田をほおっては置けないと何か

  • 「郡上高原CC50年」

    今年は何かと区切りのいい年回りである。昭和100年、終戦80年。愚性がUターンして50年。従って、郡上高原CCが着工して50年。ここは自分がUターンして造成を開始した。大元締めが岐阜相互銀行。その下に現地法人・奥美濃高原開発㈱。そこから天領総合開発が請け負っ

  • 「入鹿池」

    自衛隊の練習ジェット機が入鹿池に墜落した。機体はバラバラで乗組員二人は絶望的とか。練習機は小牧基地から九州新田原基地に向かう予定だった。このニュースを聞いて入鹿池が気になった。入鹿池のどのあたりに墜落したのか?と言うのは、入鹿池の畔には祖父の痕跡が

  • 「ホセ・ムヒカ」

    89歳で天国に召された。9年前来日して、その言動に感動。そして、その生きざまに大きな衝撃を受けた。通称“世界一貧しい大統領”で親しまれている。その時、知った事を復習してみる。貧困家庭の出身。キューバ革命に影響を受け改革に目覚める。ゲリラ組織にも身を

  • 「花まんま」

    友人が涙腺が壊れたと進めてくれた。女房を連れて、関までドライブ。どんな映画か?事前に調べず席に着いた。友人が泣いたのだから、間違いないだろう。花まんまとはどうゆう意味なのか?花のごはん?子供がままごとで作る花のごはんが正解のようだ。大切な人におく

  • 「春先の男」

    唯一の参加コンペは月一の栄クラブ。年が変わるとハンデキャップも改まる。昨年はHcap26でスタートした。いきなりぶっちぎりのアンダーで優勝。その後、2位が一回あった。Hcapは一気に14迄下がり後半は苦戦した。今年はHcapは19でのスタートとなった。91でパープレ

  • 「山 狩」

    著者・笹本稜平は“帰るべき場所”で知った。世界第2の高峰、ヒマラヤのK2。未踏ルートで翔平はパートナーの聖美を失う。4年後、不明の聖美を求めK2に帰ってきた。この純粋な物語に心打たれた。 最近ストーカー殺人事件が頻繁にある。この“山狩”の話もどこか

  • 「シルバーシート」

    己より6歳若い人が急逝された。前日まで農作業をしておられた由。気分が悪くなり急遽入院。病院では軽い脳梗塞で、2週間ほどで退院可能の診断。入院の翌日、身罷られた。病院へ死ぬ為に行ったようなものだ。何とも理不尽な事に感じた。その人との大きな思い出が二

  • 「白鳥春祭り」

    我が町の春祭りは年々淋しくなる。何故だろう?商店街の衰退が最大の原因だろうか?町中の小さい店が次々と閉めている。郊外の大型店進出の煽りを食らって。車に乗れない老人は大型店は遠くて行けない。行けたとしてもセルフレジ?いやだ!高齢者無視の町になってき

  • 「軍艦島上陸」

    今回の旅のメインは軍艦島上陸作戦。先ずは平和公園に行き、原爆犠牲者の御霊に黙祷。ここも何回か来ているが今回は爆心地を訪れた。投下で出来た穴の地層の一部が残されていた。大浦海岸常盤ターミナルで軍艦島行ジュピターに乗り込む。軍艦島までの45分間、航路の周

  • 「長崎観光」

    九十九島から佐世保中心地へ。ここは海上自衛隊と米軍が駐留している。港には大きなドックが見える。くねくねと山道を抜けて長崎市の中心へ。大浦天主堂、グラバー亭は今まで何度も来ている。付き合いで歩を運ぶ。大浦天主堂への坂道は来る度にきつくなる。高齢者は

  • 「美しき天然」

    田平天主堂のマリア様と別れて佐世保に向かった。平戸の東対面に九十九島がある。佐世保観光は今やハウステンボスが主流。だがそこは人工的に作られたユートピア。九十九島は大自然からの贈り物。愚生、今回初めて足を運んだ。展望台に上り、よく似た景色を思い出し

  • 「ジャガタラお春」

    この名前は子供の頃に聞いた記憶がある。親達がこの歌を口ずさんでいた。題名は“長崎物語”♪赤い花ならマンジュシャゲ阿蘭陀屋敷に雨が降る濡れて泣いてる じゃがたらお春未練な出船の ああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る♪その主人公が“ジャガタラお春”バスが平戸

  • 「臨時キリシタン」

    博多から特急緑で佐世保に2時半に到着。観光バスで平戸島に向かう頃から雨になる。島と結ぶ平戸大橋は雨に煙っていた。長崎は今日も雨だったと前川清が歌うな!平戸の雨はジャガタラお春の涙だ。お春は混血が故にジャカルタに流された若き娘。涙で迎えてくれたお春の

  • 「博多のトイレ」

    一昨年、会社創立30周年旅行は岩手だった。東日本大震災の復興をつぶさに見てきた。創立32周年の今年は大阪万博を目論んだ。諸般の事情で中止になり、矛先は長崎に向いた。メインテーマは“軍艦島上陸作戦”となった。午前4時前に高鷲を出て名古屋で新幹線に乗り込む

  • 「腹の虫が泣く」

    今年の社内旅行はダイエットで始まった。午前3時30分起床、脱糞、洗顔。4時10分、お迎えの車で一路名古屋へ。名古屋駅に5時40分に到着するも早過ぎた。朝ご飯を食べるお店が、まだお寝んね中。弁当なども売っていない。7時06分、のぞみ博多行きに乗り込む。今迄なら

  • 「置き土産」

    山の雪も解け、山に入った。祖父が一人で作り上げた宗教道場。今は後継者もなく、やや荒れ気味。それでも時折、状況を見には行く。そして年末には小さな鏡餅を飾りに行く。今年は大雪で、其処には置き土産があった。拝殿そばの、枯れた松の木が倒れた。太さは直径40

  • 「85」

    今年は昭和100年、終戦80年の節目。そして愚生は齢85の馬齢を重ねた。80年前、B-29は岐阜市を空襲した。母親に手を引かれ梅林の裏山に逃げた。その夜、岐阜市は火の海と化した。町中の防空壕に逃げ込んだ人は全滅。総てを失い、父母のふるさと白鳥に辿り着く。義務

  • 「俺の昭和歌謡史」ーⅤ

    此処までが忘れ得ぬ歌にまつわる我が生き様と言えるか。それ以後は申し訳ないが平和な歌が俺の心を癒す。瀬戸の花嫁に純真な娘を想い、赤ん坊が生まれれば今日は赤ちゃんを歌う、平凡な男になりさがる。ダークダックスの幼なじみに人生がダブり妻と苦笑。波乱の人生は

  • 「85」

    今年は昭和100年、終戦80年の節目。そして愚生は齢85の馬齢を重ねた。80年前、B-29は岐阜市を空襲した。母親に手を引かれ梅林の裏山に逃げた。その夜、岐阜市は火の海と化した。町中の防空壕に逃げ込んだ人は全滅。総てを失い、父母のふるさと白鳥に辿り着く。義務

  • 「俺の昭和歌謡史」-Ⅳ

    1966年正月、赤城の山を下りて、房州木更津に草鞋を脱ぐ。東京湾の埋め立て工事の一環。赤城の山賊が、一転房総の海賊に変身。この現場には昔出会った若い美しいカシキがいた。(カシキ=現場の食堂で炊事をしてくれる人)その子は、程なくキャバレーに勤めだした。

  • 「俺の昭和歌謡史」ーⅢ

    翌年の夏、福島県浜通りの原ノ町へ。国道6号線のバイパス工事。ここの飲み屋でも韓国系のぺっぴんに惚れられた。彼女と一緒に福島民謡を習った。新相馬節、相馬流山、相馬二辺かえし等。これは数年後、役に立った。岐阜の大銀行の頭取を囲み数人で飲むことになった。

  • 「俺の昭和歌謡史」ーⅡ

    藤沢から現場は東京芝浦へと移った。東京再開発で港近くの首都高速1号線工事へ。給料をもらうと銀座方面のキャバレーへ。キャバレーのネェチャン達は、現場まで遊びに来てくれた。思えは彼女達も地方から出て来た娘達で俺らと同じ境遇。ネオンの下では煌びやかな銀座

  • 「昭和歌謡史」-Ⅰ

    いしだあゆみが76歳で亡くなった。昨年は園マリ(80)、八代亜紀(73)が消えた。今年は昭和100年、色々と思い出される。歌は世につれ、世は歌につれ・・・。俺は小学校の頃から歌が好きだった。歌詞を帳面に書いて歌っていた。青い山脈、リンゴ追分、赤いランプの終

  • 「国道158号STOP」

    3月18日、国道158号線が止まった。大野市上半原地区で大規模な土砂崩れが発生。道路をふさぎ、通行できなくなった。原因は大雪により、雪解け水が山に浸透。それがすべり面を作り土砂崩落となった。 愚生、昔この地区で道路工事をした経験がある。地質は柔らかい岩

  • 「越冬キャベツ」

    トランプ関税で世界経済が震度8~9クラス。株はどんどん地盤沈下。株の下がるのも薬だとほざく。根拠など何もない処方箋。藪医者の独壇場だ!アメリカの親分はこんなに権力があるんだ?でも何だか幼稚に見える・・・。株は下がったがコメは上がりっぱなしだ。備蓄

  • 「安倍のクロニクル」下その参

    *G7 Vs ユーラシアアメリカとイランの対立と日本の立場。日本は昔、イランが苦境の時、日章丸でイランを救った。イランはそれを忘れていない。トランプはG7を嫌うが日本はそれには従わない。珍しくG7で日本は存在感を示している。日本はアメリカ追従でなくはっきり

  • 「どうも好かん!」

    春は選抜から・・・。その選抜高校野球も終わった。予想通りの強い学校が勝ち残ってきた。何故強いのか?いい選手が集まってくるのだ。いや、学校が集めているのだ。越境入学の選手が多すぎる。強いところが勝っては面白くない。高校野球は大好きだが・・・。選抜

  • 「飛騨生きびな祭」

    飛騨一ノ宮水無神社で行われる祭り。第72回と言うから立派な歴史がある。養蚕や農業の繁栄と女性の幸福を祈念するのが目的。飛騨一円から未婚の女性が9名選ばれる。平安絵巻の衣装をまとい奉納と行列を行う。内裏、后、左大臣、右大臣、官女に扮する。行列は先頭に赤

  • 「安倍のクロニクル」下その弐

    *金正恩トランプが金正恩と歴史的な会談をした。最初は雪解けを感じさせたが・・・。安倍はこの機に拉致を解決しようとトランプに接近。自分も金正恩と差しで話したいと願う・・・。拉致問題が核心に触れて行くと金は逃げる。拉致問題解決で北朝鮮に得るものはない。

  • 「ハイシニア開幕」

    シニアは先週、岐阜諏訪山で開幕した。シニアの部では84歳の寅は役に立たない。ベンチで声出しに終始した。見るだけとは何とも気楽である。野次は飛ばしたい放題、敵味方関係なく!今年から大和学習センターグランドが使える。今日はそこでハイシニアの開幕である。

  • 「安倍のクロニクル」下その壱

    下巻は人物毎、テーマ毎に纏められている。日常のメディアでは知りえない事が書いてある。全てが驚きである。*プーチン日本の主張は北方四島の一括返還。安倍は二島返還で決着しようとした。だがプーチンは最後に来てこれもノーと言い決裂。安倍政権は北方四島問題

  • 「50-50」

    昨年ドジャースの大谷は偉業を達成した。米大リーグで年間に50本塁打、50盗塁。30-30が凄いと言われたのに一気に50-50。それにピッチャーもやると言うから・・・。アメリカも降参だろう!“ヒフテー・ヒフテー”流行語にもノミネートされた。今年は60-60か?俺のソ

  • 「GSSR開幕」

    GSSR=岐阜県シニアソフトボール連盟。3月23日岐阜市諏訪山グランドで開幕。今年の連盟登録チームは5チームである。老舗であった岐南シニアが脱落していった。人数が集まらずチーム編成が出来ないと言う。かつては優勝の経験もある強豪だった。シニアの選手層は全

  • 「初任給」

    大企業の初任給が軒並み上がる。大卒で30万円を超える企業も出て来た。拙者は1959年(昭和34年)東京のサブゼネコンに入社した。その時の初任給は高卒\8,000、大卒\12,000だった。66年の歳月は初任給を30倍近くにした。当時ラーメンは\30だったと記憶する。今時、ラ

  • 「35年目のラブレター」

    笑福亭鶴瓶に泣かされた。主人公は読み書きできない夫・西畑保。それを支える妻・皎子の心温まる実話。保は貧困で学校に行けずに大人になった。すし屋で働いている時、皎子と結婚する。結婚半年後に読み書きできない事を皎子にばれる。離婚を覚悟し絶望的になる。だ

  • 「佐藤愛子」

    1923年(大正12年)11月5日生まれ。現在101才と4ヶ月。93歳の時に“90歳、何がめでたい”を書いた。これが空前のベストセラーで映画化もされた。これを機に、筆をおくと宣言。筆をおいたら体調が悪くなった。何もすることがなく、うつ病みたいに・・・。そんな時に

  • 「時期尚早」

    1月31日に“無表情の美”を書いた。豊昇龍が横綱に推挙された事をに疑問を持って。横綱審議委員会が満場一致はおかしい。誰も反対しなかったと言う。力量にも疑問はある。品位にも欠ける。土俵上の所作を見ても・・・およそ相撲取りらしくない。プロレスラーそのも

  • 「キャンプイン」

    プロ野球はオープン戦を終わろうとしている。阪神はカブス、ドジャースを完封した。高校甲子園選抜も始まろうとする今。我がチームはようやくキャンプイン。我がホームグランド・白鳥合併公園は銀世界。20分南の大和町のグランドへ。15日、今年初めて練習が出来た。

  • 「渥美清に逢いたい」

    彼が亡くなって30年近くなる。とてもそんなになったとは思えない。毎週土曜日“男はつらいよ”を見ているからだろうか?昨年、渥美清に逢いたいと言う本が出た。彼と深い繋がりがあった二人の対談集として。映画監督・山田洋次と何でも屋?・黒柳徹子。渥美清が浅草

  • 「風の電話」

    東日本大震災から14年が過ぎた。死者1万5900人、行方不明者2520人。この内、53人の遺体が身元不明との事。 先日、NHKスペシャルで“風の電話”を見た。この電話のある事は前々から知っていた。だがその詳細は知らなかった。被災者の一時的な慰め的なものかと思って

  • 「東北新幹線離婚」

    東北新幹線が離れた。昨年9月と今回で2度目とか。昨年6月に愚妻と上京した。その時、初めて東北新幹線をみた。そして宇都宮迄乗った。乗る前に写真を撮った。綺麗な車両が連結していたから。前にピンクのこまち。後ろにブルーのハヤブサ。何故この列車は繋がって

  • 「岐南服部代表挨拶」

    岐阜県シニアソフトボール連盟、退会。当連盟創立2年目から加入していた岐南バッテング。当初の名前はシニア岐南だった。バッテングセンターがスポンサーになり名を変えた。岐南バッテングと。2003年から22年間、ともに戦ってきた。2007年にはリーグ2位(14チームが

  • 「栄枯盛衰」

    岐阜県シニアソフトボール連盟の新年総会。美濃観光ホテルで開催。今季の活動方針を決めた。冒頭、岐南バッテングの退会が報告された。岐南からは服部代表と葛谷監督が出席。メンバーが集まらず、チーム編成が出来ない。連盟創立当初から参加してきたが断腸の思いだ

  • 「狂人走不狂人走」

    磐田市に越されたソフトボールの元監督。好きな新聞記事の切り抜きを送ってくださる。その中の一つに、この言葉があった。“狂人走不狂人走”(きょうじんはしればふきょうじんはしる)“狂人走れば不狂人も走る”と読む。これは江戸時代の臨済宗の僧侶の言葉とか。

  • 「仁義なき戦い」

    仕掛けたのはロシアである。10年まえ、クリミア半島を武力で占領した。3年前、ウクライナに軍事訓練と称して侵攻。ウクライナ東部を制圧して、なお続行中。30年前、ロシアとウクライナは同じソ連だった。簡単に言えば、独立を認めない。だから元のソ連、ロシアに戻れ

  • 「ノスタルジア」

    今年は戦後80年、昭和100年の節目。今年85になる己は昭和を歩んできたとも言える。物心ついた頃は敗戦直後で極貧の時代。社会人になる頃は戦後復興の始まり。その後は、経済成長著しく豊かさの時代。バブルが弾けて、難しい時代に入る。俺は、悪い時代も、いい時代も

  • 「透明人間」

    小学生の頃、探偵小説をよく読んだ。江戸阿川乱歩の“透明人間”にわくわくした。名探偵・明智小五郎に小林少年の活躍。自分も透明人間になりたいと思った。テストのカンニングは自由にできる。好きな女の子の家には堂々と行ける。風呂にも入れる・・・。透明人間に

  • 「独身老人貴族」

    愚妻は友達と小旅行に。喫茶店を辞めてから家にこもりがち。ガス抜きだと、喜び勇んで出て行った。これで俺は二日間の独居老人貴族だ。自由気ままである。うるさい世話役から逃れられる。いつも通り、会社から帰宅。電気は点いていなく、部屋は暗い。暖房も止まっ

  • 「スプリンクラー」

    どうやら大寒波も峠らしい。ここ数年、大した雪は降らなかった。ガキの頃は朝起きると50㎝はざらだった。温暖化様のご来場で大雪は来なくなった。雪不足でスキー場が泣く年も出て来た。てなわけで、冬将軍様を迎える準備は怠った。庭木などの雪囲いはしなくなった。

  • 「同級生の娘さん」

    東京から郡上八幡に来て講演をされた。郡上教育フォーラムの一環としての記念講演。その講師が同級生の娘さんで池江美由紀さん。プロフィールは、1965年で60歳。すらりとした長身は凄く若く見えた。スーパーアスリート池江瑠花子ちゃんのお母さんだ。美由紀さんのお

  • 「郡上JC相撲甚句」

    郡上JCは今年で50周年を迎える。よく続けたものだと思う。今年のJCOB会は長寿を祝うがテーマだった。最長老の俺達3人が主賓として招待された。この席で、自作の“郡上JC相撲甚句”を披露した。50年前の創立から、今日までを歌詞に織り込んで。♪郡上JCをー 甚句に説

  • 「一期一会の会」

    今年のJCOB会の会場は大和のおがたま。テーマは~長寿祝いの会~OB会員の中の最長老を祝い励まそうという趣旨。羽田野哲夫(83)広瀬猛(84)と拙者(84)。この三人を恭しくひな壇に据える。これを肴に、酒を喰らおうという算段。我ら3人は、若者の生け贄である。

  • 「トランプと信長」

    トランプが世界をかき混ぜている。関税の強化、グリーンランド、パナマ運河、メキシコ湾、難民拒否、パリ協定、WTO脱退、側近たちの恩赦、等々。自分勝手な振る舞いは横暴に見える。アメリカファーストは経済ファーストだ。儲けた奴が正義だと言う感じ。民主主義の中

  • 「雪と闘う」

    TV気象庁のお姐さんが叫ぶ。今季最大の寒波が襲来する。不要不急の外出は控えてください。停電に備えてください・・・。昨今の予報は大袈裟だと言う評判だ。加えて美人の姐さんでは迫力がない。てな事で甘く見ていた。このところ毎朝40㎝位の積雪が続いた。累計す

  • 「宿命の子」上

    副題は・安倍晋三政権クロニクル令和4年10月30日に初版が出たばかりの本。正直言って俺は、安倍は好きじゃなかった。祖父・岸信介、父・安倍晋太郎、バリバリの世襲。戦後生まれ、戦争知らずの苦労知らず。甘ちょろいボンボン総理だと思ってきた。だが、この本を読

  • 「避難鳥」

    今年の寒波は例年になく厳しい。今朝の朝刊に一茶の句が載っていた。“是がまあ 終の棲家か 雪五尺”我が故郷も、それに近くなってきた。大寒前には一時、暖かい日もあった。このまま、春が来るのか?と思わせた。だが自然は、そう甘くはない。物価高でふところは

  • 「ホワイトアウト」

    “今期MAXの寒波が数日襲う”気象庁の姐さんが“備えよ!”とうるさい。こちとら56豪雪を乗り越えたんだ。4、5日降ったぐれえどうってこたねぇやな。普通通り、会社に向かった。通勤路は、やまびこロードと言う山道。除雪は早朝からきちんとやってある。だがこの日

  • 「戦後80年・昭和100年」

    今年85になる己に身近な数字である。新聞が特集を組んで報道している。特攻で散った父親を息子が語っている。特攻を語り継ぐことが自分の使命だと。特攻と言っても分からない世代が多くなってきた。特攻とは80年前、アメリカの猛攻を前に日本は配色濃厚。最後の手段

  • 「黄楊と南天」

    我が家の玄関前に南天がある。黄楊の木と並んで立っている。この黄楊は女房殿の分身でもある。我が家に嫁ぐ時に、義父がくれたもの。高さ50cm程の苗木だった。茨城の庭にあったものを持参して植えた。黄楊の謂われはこうだった。黄楊は髪をすく櫛の材料である。自

  • 「無表情の美」

    豊昇龍の横綱昇進が決まった。満場一致だと言う。誰も反対しなかったと言う。まじかよ?横綱審議会なんぞは解散しろ!と言いたい。千秋楽の3番は素晴らしかったと言うだけ。平幕に3敗しても不問。3場所前は8勝しかしていない。成績からして疑問だ。横綱照ノ富士が

  • 「重文・拝殿踊り」

    白鳥の拝殿踊りが国重要無形民俗文化財に指定。無形民俗文化財とは、“衣食住、生業、信仰、年中行事等に関する風俗慣習、民俗芸能を理解するためのモノ“が概略の規定。言い換えれば、“平凡な人々の間に繰り返されてきた伝承文化”と言えるか。だが、昨今の社会変

  • 「トンビ様」

    雪の白鳥神社に行った。境内の拝殿上空を数羽のトンビが舞っていた。本殿裏の大木の上部に10羽位止まっている。長年神社に出入りしていたが、この光景は初めて。トンビは神の使いであるとも聞いた。日本書紀には金鶏として出てくるらしい。金色をしたトンビが神武天

  • 「自分史・その壱」完成

    10年程前から漠然と思っていた。つまらねぇ男だけれど、ここまで生きてきた。その足跡をたどってみようかな・・・と。それからぼつぼつ過去のメモなどを探し出した。自分史のプロローグには、こう書いた。昭和39年(1964)、24歳の俺は埼玉県行田市に居た。東京オリン

  • 「天然冷蔵庫」

    我が家の前に小さな畑がある。ここは奥方の縄張り。先輩百姓友達に教えを乞い、鍬を振る。奥方は秋になっても収穫をしない。ボケて忘れたわけではない。気温が下がると野菜は成長が止まる。やがて雪が降る。野菜達は雪を着て冬眠に入る。野菜の成長は止まるが生き

  • 「恵那峡GH倒産」

    恵那峡グランドホテル倒産を新聞が報じた。県シニアソフトボール連盟の納会会場であった。当連盟の納会は県内各地を巡回している。飛騨地区は高山宝生閣、下呂望川館、小川屋。岐阜地区は犬山、白川町、羽島簡保の宿、石金。中濃は関観光ホテル、美濃観光ホテル。郡

  • 「転 落」

    年末に天窓の掃除をしようとした。高さ70cm位の家具の上に登ろうとした。片足をかけ反動で登り、右手で長押の溝を掴もうとした。その溝は浅くて、手が滑った!やばいっ!背中から落下!右肩甲骨あたりで鈍い音がした!一瞬、折れた!?その瞬間、様々な事が頭をよ

  • 「寿 命」

    電気温水器の調子が悪い。天井に湯滴が沢山着いている。お湯が正常に沸かない。 我が家を建てて21年が過ぎた。とてもそんなに経ったとは思えない。その他、クッキングヒーターの調子が悪い。床暖のボイラーが点火しねぇ。換気扇が古くなったのか、臭いが逃げない。

  • 「荒れ地の種」

    東日本大震災での復興物語。福島のとある酒造場が総てを流された。12年間、途方に暮れた男が奇跡の復活を遂げる。それは、あるTV放送がきっかけとなった。そのTVを見た多くの人が、復活を望んで来る。主人公・光は震災当時に消防団員であった。光は近所の少女・智花

  • 「持ち時間」

    新聞のサンデー版に高倉健が出ていた。没後10年が過ぎ、生き様を振り返って。彼は俺より9歳年上である。若い頃はやくざ映画で暴れていた。晩年は寡黙な男を演じ、強くひかれた。“幸せの黄色いハンカチ”は何度か見た。ラストシーンは脳裏を離れない。彼68歳の時、

  • 「85円のラブレター」

    今年も各地から来てくれました。賀状しまいが囁かれる昨今。35%の値上げもにめげず、御来駕賜りました。35%のインフレ値上げなんぞは、後進国のやる事です。年賀状は、光る君の時代からの麗しき文化です。当時は、これが互いの心を揺さぶる手段の様でした。“しのぶ

  • 「消える風習」

    賀状しまいが目立ってきた。今年来た賀状の10%に賀状しまい宣言があった。賀状しまいは2年程前に企業が始めた。最初の止める言い訳はCO2の削減だった。これを錦の御旗の如く掲げて止める理由にした。どれほどCO2が削減されるかも検証せずに。虚礼廃止の声も聞いた。

  • 「多 笑」

    正月のTVを見ていて思った。ドタバタの底の浅い番組に呆れる。出演してる奴等が浮かれているだけじゃん。あれでも芸人かい?見ている者はシラケ鳥の閑古鳥だ。見なきゃいいじゃねぇか・・・。見なかったよ!“年末紅白歌バカ騒ぎ合戦”なんぞは。でも少し見た!け

  • 「酔って駄句」

    人生7回目の辰年を越しやや安堵。屠蘇を嘗めなめ賀状に見入る。TVは俺達の箱根駅伝を叫んでいる。ぼんやりと駄句を捻ってみる。元旦の朝、例年、初日の出を拝む。“おめでとう 君は平和の 初日の出” 人知の及ばぬ宇宙の神秘に最敬礼!祈願! 愚かな年寄りを見

  • 「85に向かう」

    ゴルフのスコアの事ではない。血圧の数字でもない。体重の事でもない。免許証痴呆試験の成績でもない。己の馬齢の事である。7回目の辰年は何とか無事に超えられた。8回目へ、スタートの年である。これを越せば、次の辰年は96である。エイジシュートが出来そうな数

  • 「84歳の総括」

    7回目の辰年で少しは期するものがあった。だが、終わってみると意外と平凡?いや、偉大なる平凡の84歳に感謝すべきか。元旦早々、能登半島大地震!日本中が緊張する。その夕方、羽田で日航機が全焼!さらに緊張!書初め 「我不驕」と墨し、己を戒める。映画”あの花

  • 「我が家の伝統」

    暮れの28日頃に搗く我が家の餅つきは、子どもの頃から続いている。皆で、揃って餅を搗く。貧乏な時代でも、餅は搗いた。竈でセイロを積み上げてもち米を蒸した。子供は竈の火の番であった。絶えず燃やしていなければ叱られた。親父が臼と杵を何処からか都合してきた

  • 「フクロウの巣箱」

    宇都宮の友人に感化された。彼は里山に巣箱を設け、フクロウを観察。自然の営みが面白いという。フクロウは肉食で、弱い動物を襲って食べる。そこには彼らのルールがあり、掟がある様だ。命のやり取りで、それぞれが生き延びている。自然界の厳しさ、面白さが覗ける

  • 「賀状書き」

    この時期、年賀状書きが忙しい。数年前までは250枚くらい書いた。今年は何と110枚である。老いたのか?自ら出すのを止めたわけではない。相手が止めてくるのだ。鬼籍に向かった人。老いて止めた人。最近はメール、ラインで簡単に済ます。加えて、賀状廃止宣言なる

  • 「黄金旅程」

    今年も有馬記念が波乱の内に終わった。その時、この本を読み終えた。愚生、競馬には多少の縁がある。高校が笠松競馬場の近くにあった。部活ではこのダートコスを走らされた。馬の辛さが嫌と言うほどわかった。当時、親戚の人がジョッキーを目指していた。東京の会社

  • 「三代目門松」

    12月の第三日曜日は神社の迎春準備。総代衆全員が出て、雪対策、新春準備にかかる。この頃は雪が降ったり降らなかったり。雪がなく境内を落ち葉が舞って居る歳。かと思えば社務所の屋根雪下ろしからの時。今年は積雪15cm位で、時折雪が舞った。主な仕事は縁起物売り

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