女 房の温習会の出演は3回目である。前の名簿から見ると会員の減少が目立つ。師匠格では16人が8人に。白鳥だけの会員は10数名が2人の激減。何故だろう?でも我が家の大奥は生き残ってきた。弟子の孫もへこたれなかった。バーバはこれが最後だろうと老体にムチ打った
4月で満85歳となり、少し考えた。会社での立場は相談役である。今のところ積算以外に決まった仕事はない。自分史やブログを書いている時間の方が多い。時折、相談はあるが、多くはない。これを機に、勤めを非常勤にしてはと相談。報酬は会社の方で決めてもらってい
今年の雪は56豪雪に次ぐと言われた。我々が整備した油坂峠の旧道も被害があった。手摺が雪で谷側に倒された。頂上の説明看板も柱が沈下して歪んでしまった。登坂道も一部削られていた。大きな木が倒れて歩道を塞いでいる。前年までは、こんな事はなかった。今年はい
おつかれ山のはじめ殿。古田さん20年間岐阜県知事ご苦労様でした。“心熱く岐阜を愛する会”が慰労の宴を催す。その親方は書・詩・絵作家加藤としえ女史。古田元知事とは先輩後輩の間柄。赤ではなくピンクの糸で繋がっていたと自白?古田をほおっては置けないと何か
今年は何かと区切りのいい年回りである。昭和100年、終戦80年。愚性がUターンして50年。従って、郡上高原CCが着工して50年。ここは自分がUターンして造成を開始した。大元締めが岐阜相互銀行。その下に現地法人・奥美濃高原開発㈱。そこから天領総合開発が請け負っ
自衛隊の練習ジェット機が入鹿池に墜落した。機体はバラバラで乗組員二人は絶望的とか。練習機は小牧基地から九州新田原基地に向かう予定だった。このニュースを聞いて入鹿池が気になった。入鹿池のどのあたりに墜落したのか?と言うのは、入鹿池の畔には祖父の痕跡が
89歳で天国に召された。9年前来日して、その言動に感動。そして、その生きざまに大きな衝撃を受けた。通称“世界一貧しい大統領”で親しまれている。その時、知った事を復習してみる。貧困家庭の出身。キューバ革命に影響を受け改革に目覚める。ゲリラ組織にも身を
友人が涙腺が壊れたと進めてくれた。女房を連れて、関までドライブ。どんな映画か?事前に調べず席に着いた。友人が泣いたのだから、間違いないだろう。花まんまとはどうゆう意味なのか?花のごはん?子供がままごとで作る花のごはんが正解のようだ。大切な人におく
唯一の参加コンペは月一の栄クラブ。年が変わるとハンデキャップも改まる。昨年はHcap26でスタートした。いきなりぶっちぎりのアンダーで優勝。その後、2位が一回あった。Hcapは一気に14迄下がり後半は苦戦した。今年はHcapは19でのスタートとなった。91でパープレ
著者・笹本稜平は“帰るべき場所”で知った。世界第2の高峰、ヒマラヤのK2。未踏ルートで翔平はパートナーの聖美を失う。4年後、不明の聖美を求めK2に帰ってきた。この純粋な物語に心打たれた。 最近ストーカー殺人事件が頻繁にある。この“山狩”の話もどこか
己より6歳若い人が急逝された。前日まで農作業をしておられた由。気分が悪くなり急遽入院。病院では軽い脳梗塞で、2週間ほどで退院可能の診断。入院の翌日、身罷られた。病院へ死ぬ為に行ったようなものだ。何とも理不尽な事に感じた。その人との大きな思い出が二
我が町の春祭りは年々淋しくなる。何故だろう?商店街の衰退が最大の原因だろうか?町中の小さい店が次々と閉めている。郊外の大型店進出の煽りを食らって。車に乗れない老人は大型店は遠くて行けない。行けたとしてもセルフレジ?いやだ!高齢者無視の町になってき
今回の旅のメインは軍艦島上陸作戦。先ずは平和公園に行き、原爆犠牲者の御霊に黙祷。ここも何回か来ているが今回は爆心地を訪れた。投下で出来た穴の地層の一部が残されていた。大浦海岸常盤ターミナルで軍艦島行ジュピターに乗り込む。軍艦島までの45分間、航路の周
九十九島から佐世保中心地へ。ここは海上自衛隊と米軍が駐留している。港には大きなドックが見える。くねくねと山道を抜けて長崎市の中心へ。大浦天主堂、グラバー亭は今まで何度も来ている。付き合いで歩を運ぶ。大浦天主堂への坂道は来る度にきつくなる。高齢者は
田平天主堂のマリア様と別れて佐世保に向かった。平戸の東対面に九十九島がある。佐世保観光は今やハウステンボスが主流。だがそこは人工的に作られたユートピア。九十九島は大自然からの贈り物。愚生、今回初めて足を運んだ。展望台に上り、よく似た景色を思い出し
この名前は子供の頃に聞いた記憶がある。親達がこの歌を口ずさんでいた。題名は“長崎物語”♪赤い花ならマンジュシャゲ阿蘭陀屋敷に雨が降る濡れて泣いてる じゃがたらお春未練な出船の ああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る♪その主人公が“ジャガタラお春”バスが平戸
博多から特急緑で佐世保に2時半に到着。観光バスで平戸島に向かう頃から雨になる。島と結ぶ平戸大橋は雨に煙っていた。長崎は今日も雨だったと前川清が歌うな!平戸の雨はジャガタラお春の涙だ。お春は混血が故にジャカルタに流された若き娘。涙で迎えてくれたお春の
一昨年、会社創立30周年旅行は岩手だった。東日本大震災の復興をつぶさに見てきた。創立32周年の今年は大阪万博を目論んだ。諸般の事情で中止になり、矛先は長崎に向いた。メインテーマは“軍艦島上陸作戦”となった。午前4時前に高鷲を出て名古屋で新幹線に乗り込む
今年の社内旅行はダイエットで始まった。午前3時30分起床、脱糞、洗顔。4時10分、お迎えの車で一路名古屋へ。名古屋駅に5時40分に到着するも早過ぎた。朝ご飯を食べるお店が、まだお寝んね中。弁当なども売っていない。7時06分、のぞみ博多行きに乗り込む。今迄なら
「ブログリーダー」を活用して、寅次郎さんをフォローしませんか?
女 房の温習会の出演は3回目である。前の名簿から見ると会員の減少が目立つ。師匠格では16人が8人に。白鳥だけの会員は10数名が2人の激減。何故だろう?でも我が家の大奥は生き残ってきた。弟子の孫もへこたれなかった。バーバはこれが最後だろうと老体にムチ打った
10年ぶりに開催された。この一か月、我が家は大騒動だった。門下の子供たちとバーバの踊り練習で。俺様だけ、蚊帳の外。畑の雑草も伸び放題、ジャガイモ収穫も忘れられていた。ソフトの試合を休んで、舞台を見に行った。下の孫の美夜は第二部の五番目に登場。樋口一
寅次郎の妹・さくら。男はつらいよの元題は“愚兄賢妹”だった由。絶妙の兄妹である。そのさくら・千恵子が綴った。倍賞自体はモノを残さない主義とか。モノが残ると次に進まないという。彼女は俺より一つ若い?84歳。晩年になり人生を振り返る事も大事かと思い直し
平家物語の白川天皇のたまう。予には三つのままならぬものがある。“賀茂川の水と賽の目と比叡山の僧兵だ”時の大権力者でも、この三つが思い通りに出来なかった。 寅にもままならぬものがある。一つは八十路越えのカカ殿。連れ添ってやがて60年になろうか?最初は
リモート同窓会、レター同窓会とも言う。コロナの副産物である。5年前に一度開催したことがある。その時の最後のセリフは“コロナが治まったら、この世の見納めに、最後の同窓会をやろうぜ!” だった。世界を震撼させたコロナ菌騒動も収まった。愚性も二回ほどコ
和田政宗参議院議員に初めて会った。藤井孝男議員の秘書だった浜崎氏はその後、縁あって、和田議員の秘書になった。その関係で、逢う機会が出来た。7月に参議院の選挙があり和田議員は改選期である。寸暇を割いて郡上に来られた。藤井後援会・藤政会の残党と面通し
今年は週末に天気がよく崩れる。今日までに13試合予定されていた。そのうち7試合が雨の野郎が邪魔した。梅雨前にこんなことは異例である。何故だろう?トランプのせいだろうか?中日が勝てないからだろうか?7月5日に大災害が起きると予言されている。その前兆なの
日本のトイレは世界で一番快適と言われる。ウオシュレットが行き届いている。数年前に中国の五つ星のホテルに泊まった。そこですらウオシュレットは手動である。脱臭装置も優れている。でも、臭いは完全とは言えない。先日、ある冊子を読んだ。トイレ研究家・白倉正
この時期、我が堤防道路は真っ黄色である。と言うのは去年までの話。今年は、真っ茶色である。何とも汚れた風景になってしまった。除草剤を撒いたのである。清流に除草剤を撒いていいのかねぇ?一面黄色のイエローロード。阪神ロードだとも思っていた。一転一面枯
50年前の事。小生35歳、江戸からUターンしてきたばかり。郡上に青年会議所をつくる話が聞こえてきた。そして誘いが来た。青年会議所って何もんだ?俺は正直、知らなかった。創立準備会に時の町長も呼んだ。商工会議所青年部の親戚かい?どうせ数年で消えるだろう
1936年(昭和11年)生まれ。1958年、立教大学から巨人に入団。1974年、38歳で現役引退。巨人軍は永久に不滅だと語る。2004年、68歳で脳梗塞で倒れる。2007年、妻・亜希子64歳で逝去。2025年、6月3日、89歳で旅立った。巨人は嫌いだが長嶋は憎めなかった。小生、ある
住民健診はおおむね良好だったが、血液検査から2点、指摘された。その1は、糖尿病予備候補生だと言う。今までは、その気配は全くなかった。甘いものを沢山食べていませんかと聞かれた。そう言われれば以前より少し多いかな?最近、孫と競って食べているから。競っ
今年の大雪はいろいろ被害を出した。このところ暖冬気味で雪が少ない年が続いた。それをいいことに庭木の雪囲いはさぼった。今年の雪は半端じゃなかった。量的にはそれ程とは思わなかったが重かった。毎朝、庭木に積もった雪は取り払った。でも枝はかなり折れた。近
4人目の孫娘が小学5年生になった。今年になり、急速に身長が伸びてきた。ついに165㎝に届いてきた。じーじはあっさり追い抜かれた。天真爛漫でよく遊ぶ!よく食べる!好き嫌いはない!量からするとじーじの倍は食べる。休みの日には間食も半端でない。それで太ら
6月1日 鮎の解禁日。友釣りは卒業して20年程になる。何故止めてしまったのだろう?原因は二つ位ある。一つはソフトボールである。休日には必ず試合がある。試合はチームプレーで欠席は許されない。チームの中にも釣りの好きなのがいた。そ奴は釣り優先で試合に出
一年一回の高齢者住民健診。朝8時に行き、白鳥病院で受けてきた。前夜の9時から、飲むな、食べるな!当日朝は少量の水以外はダメ!空腹で力が出ない。でも不思議と疲労感はない。むしろスッキリ感だろうか? 前日の朝に1回目の採便。当日朝に2回目の採便と小
4月で満85歳となり、少し考えた。会社での立場は相談役である。今のところ積算以外に決まった仕事はない。自分史やブログを書いている時間の方が多い。時折、相談はあるが、多くはない。これを機に、勤めを非常勤にしてはと相談。報酬は会社の方で決めてもらってい
今年の雪は56豪雪に次ぐと言われた。我々が整備した油坂峠の旧道も被害があった。手摺が雪で谷側に倒された。頂上の説明看板も柱が沈下して歪んでしまった。登坂道も一部削られていた。大きな木が倒れて歩道を塞いでいる。前年までは、こんな事はなかった。今年はい
おつかれ山のはじめ殿。古田さん20年間岐阜県知事ご苦労様でした。“心熱く岐阜を愛する会”が慰労の宴を催す。その親方は書・詩・絵作家加藤としえ女史。古田元知事とは先輩後輩の間柄。赤ではなくピンクの糸で繋がっていたと自白?古田をほおっては置けないと何か
今年は何かと区切りのいい年回りである。昭和100年、終戦80年。愚性がUターンして50年。従って、郡上高原CCが着工して50年。ここは自分がUターンして造成を開始した。大元締めが岐阜相互銀行。その下に現地法人・奥美濃高原開発㈱。そこから天領総合開発が請け負っ
会社で使っているPCがストライキ!出勤したら、画面が真っ暗!左上に小さな英文字が並んでいる。訳してみたら、ハードデスクに不都合!トーシロには手に負えそうもない。パソコン110番にTel。救急車を呼んだ。早速デスクトップをひっくり返して開腹手術。人
今年前半の収穫を終えた。イチゴは今迄で最低の出来だった。連作がダメだったのか?甘味は十分だったが量が採れなかった。玉ねぎも育ちが悪かった。昨年は豊作だったが・・・。ニンニクもジャガイモも小粒。植えた位置が悪かったか?畑の南側に大きなクルミの木が
小4の孫、女の子。ジジババが東京に行くと聞いたらみやげをと言う。何がいいの?可愛い猫柄のリュック!東京駅にあると言う。スマホで調べたと言う。どうやって調べたの?猫グッヅ+東京駅 と打ち込んだら出たらしい。行けば解るだろうと詳しくは聞かずに出かけた
表があれば裏があるのが世の常。表になれなかったモノたち・・・。二番目ではない。“人の行く 裏に道あり 花の山”裏の道の方が、味があるとも人は言う。第1集、尊敬する柴又の寅さんとのツーショット。(67歳)第2集、尊敬する寅さんの格言。(68)“それを言っちゃ
第5集は孫3人、泣き叫ぶ凌太郎に成長を見る。大河7歳、優3歳、凌太郎1歳。第6集は新穂高ロープウエー展望台。古希を迎えた愚妻と脳胞手術退院祝いで新穂高へ。槍、穂高等、3,000m級の山々に俗界を忘れる。第7集は成長した孫3人。この年に愚妻は喫茶店稼業卒業、孫の守
単なる自己満足を続けている。ブログも今年で第18集になる。表紙も18枚になった。第1集からベースは変えて居ない。中心に描くモノだけ変えてきた。それは、その年の象徴的な出来事にした。第1集は2006年にスタート。カテゴリーは決めず、徒然なるがままに。頭
“土方殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の三日も降ればよし”土建屋と致しましては、雨は天敵。仕事がやりずらい、進まない、出来ない・・・。休みになる、日当が出ない。パチンコに行く・・・負ける?踏んだり蹴ったり・・・雨、あめ、アメ。アウトドアー派には嫌われる、
夏になると深いラフに虐められます。ゴルファーなら“ラフ”は先刻ご承知。ゴルフの嫌な人も“裸婦”はご存じ? 得意?暇なのでラフと裸婦についてほじくってみました。カタカナと漢字ですが共通点がある、アル、有る。拙者のゴルフは仕事の接待から始まりました。
家の前の草むらに雀が沢山来る。何故だろう?そこには古いコメが捨てられていた。捨てたのは小生である。お米を捨てるとは、バチ当たりな奴だ。母が身罷って早や9年が過ぎた。母の住んだ隠居所はそのままにして来た。何時までも放置はできないと整理にかかった。そ
母が身罷って9年が過ぎた。母は晩年を気楽に過ごす事を望んだ。家の斜め向かいに隠居部屋を建てた。バストイレ完備の2DK。夫に先立たれ、還暦を過ぎた頃だった。以来、30年余を一人暮らしだった。大正琴、詩吟、宗教と気ままに楽しんだ。多くの友達が集まり、賑や
552ページある分厚い本。中々読む気が起きなかった。読み始めたら、止まらなくなって来た。そこには穴太積みが出て来たからだ。仕事柄、石積工事は土木につきもの。穴太積みを知ったのは10年前だった。仲間の新幹線会の旅で但馬の竹田城に行った。雲上の城が有名で
拝啓 今年に入り、二月が暖冬と言われたら、三月は急に冷え込みました。雪が命の我がスキー場群も、雪がなく、早々に店じまい。 同じく雪が金を産む、除雪作業も上がったり。 この地は雪が財布の紐を左右します。雪が早く消え、桜が早く咲くのかと花見に行けば、彼女
6月は衣変えの時期。最近は気候変動が激しくて暦が合わない。5月に真夏日が現れるトンチンカン。かと思えば梅雨入りを忘れている。梅雨って、いつ来るんだっけ?お互いにボケてりゃ世の中平和だ。 ソフトの試合が雨天の予報で中止になった。ところが予報が外れ雨
パーテー券キックバック問題が点火。裏金が表に出て来た。政治資金の不透明があぶり出された。自民党政治にピンチ到来。政治資金規制法案の改正に追い込まれた。その一つが政策活動費。これは合法的な裏金と言われる。この金の使い道は公開しなくて良かった。それ
59年振りに赤城山を訪れた。昭和40年(1965)年に赤城有料道路を作った。総てに厳しい現場だったが、思い出も多い。その道路は30年後に無料となる。今は赤城南面道路、赤城白樺ラインと変名。通称:東国文化歴史街道とも言われ名前が多い。 前橋市内を外れ、登り始
前会社のOB会を東京で終えて宇都宮へ。その夜は友人宅に泊めてもらい旧交を温める。翌朝、車で赤城山に向かった。今回の関東行きの主目的は赤城山だった。59年前(昭和40年)ここに現場が出来た。群馬県発注の赤城山有料道路建設工事。第4工区は、赤城の頂上まで
前会社のOB会が皇居の畔、竹橋で開かれた。昨年と同じ所のKKRホテル東京。1年過ぎたら、アクセスが怪しくなった。でも、今は安心。天下の宝刀、スマホ殿が御座る。これがあるから忘れると言う説もあるが。早く着いたので、お堀端を散策。気象庁前のポケットパークで
内閣総理大臣が施政方針演説を行う。これに対し与野党の代表者が質問を行う。各党が、ほぼ同じ事を聞いている。言葉の並びを変えただけで、中身は同じ。総理は楽である。答えは一つあればいいのだ。それを並び替えて、答えればそれで済んでゆく。総理の原稿は官僚が
何処かの総理は聞く力が無くなって来た。総理ばかりでなく、貴方も同じだと女房は言う。老いて総てに図々しくなったとも。図々しいとは自己中で、恥知らずの事。この期に及んで、いい子になろうなどとは思わない。ズケズケと言いたいことを言う。その方がストレスは
3年振りに90を切った。44,44,の88.この3年間は、ほぼ月一ゴルフ。月一では正直、上達はしない。練習場にもいかないのだから。月一では健康にもいいなどとも言えない。漠然とお付き合いをしているだけの感じ。アベレージは103前後をウロウロ。そろそろ道具