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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 今日、熊本城で思ったこと

    今日は午前10時ごろには雨も止んだのでしばらく控えていた散歩をしようと熊本城へ出かけた。平日なので土日祝日に比べれば観光客ははるかに少なかったが、二の丸広場や加藤神社を回る間に何組もの観光客とすれ違った。日本人、外国人半々といった印象だった。熊本城を見に来てくださる観光客の皆さんはありがたいのだが、何だか申しわけないような気がしてならなかった。天守閣の遠望は下の写真のとおりだし、お金を払って特別公開コースに入場しても限られたコースしか通れない。大天守には上れるけれど本丸御殿には入れない。熊本地震前「行ってよかったお城」のナンバーワンに評価された頃と比較すると・・・。観光客の皆さんに自信をもって案内できる日が来るのはいつのことだろう。今日の一・二・三天守の遠望(二の丸広場より)熊本地震の半年前の一・二・三天...今日、熊本城で思ったこと

  • When I'm Seventy-Seven

    先日、熊日新聞に「熊日金婚夫婦表彰」の記事が載った。県内で2500組に近い夫婦の名が掲載されていた。そういえばウチも今年50年だったなと思い出し、掲載された夫婦の名はどうやって調べたんだろうと思って、熊日に問い合わせてみた。なんでも7月ごろ募集記事を載せていたらしいが全然記憶にないので見落としたのだろう。それはさておき、毎年、結婚記念日になると思い出すのが、ビートルズの「WhenI'mSixty-Four」という歌。僕がまだ学生時代に好きだった歌で、若者が「僕が64になっても愛していてくれるかい」と恋人に問いかけるラブソングだ。僕も妻もとっくに64を過ぎてしまったが、この歌に込められた若々しい感性をいつまでも失いたくないものだ。一方では最近「WhenIGrowTooOldToDream」の心境である。「夢...WhenI'mSeventy-Seven

  • 「高島節」異聞

    水野詩都子&﨑秀五郎コンビによる「しずごろう民謡わがままチャンネル」に新たにアップされた曲は長崎県民謡「高島節」。かつて長崎の離島炭鉱として栄えた島の民謡です。明治2年、佐賀藩とスコットランド人のグラバーとの共同出資で採掘が始まり、昭和61年に閉山するまで118年の長きにわたり日本の近代化に貢献し続けました。開業当初から炭鉱就労者の間で歌われていたといわれるのがこの「高島節」です。この「高島節」は民謡番組で紹介されることもありましたが、じっくり聴いたのはこの「しずごろうチャンネル」が初めてです。聴きながら、どこかで聴いたことがあるなぁという思いが湧いてきました。記憶の糸を手繰り寄せていくと「アッ!これは火の国育ちだッ!」と気が付きました。「火の国育ち」というのは昭和9年に作詞:野口雨情、作曲:大村能章とい...「高島節」異聞

  • 頭がクラクラするような猛暑のバス停で

    今日は熊本市役所に母のマイナカードを代理受取りに行った。昨日から提出書類を揃えていたので登録はすぐに済んだが、しばらく待たされた後、受け渡しの窓口での年配の係員の説明が気に食わない。カードを保険証として使いたければスマホで何かのQRコードを読み取って認証手続きしてくださいと。しかもそれは本人しかできませんという。母はスマホなんか使えませんよと言うと、それじゃ誰かにやってもらってください、だと。いやしくも国の制度ですよ!そんないい加減なものなのかと段々腹が立ってきた。いずれカードが保険証と一本化するまで保険証として使う気などさらさらないがまだいろいろ問題が発生しそうだ。モヤモヤしたので市役所の14階に上って久しぶりに熊本城を眺めた。帰りにバス停に向かうとこれが日陰もなく尋常じゃない暑さ。予定時刻になってもバ...頭がクラクラするような猛暑のバス停で

  • マイ ミックスリスト

    YouTubeで動画を見ていると右側の列に関連する動画のサムネイルがズラッと表示される。その中に「マイミックスリスト」というのが混じっている。自分がこれまでどんな動画を見たのかをまとめたものだろうが、今までこれをクリックして確認してみようとは一度も思わなかった。たまたま今日、何の気なしにクリックしてみた。するとリストの頭から再生が始まると同時にその右側にリストが表示される。そのリストを上から順に見て行くと、ふだん自分がどんな動画を見ているか傾向がわかって面白い。上から15曲を下に表示してみた。そして今日の「マイミックスリスト」の中から再生してみたのがニューオリンズ・ストンパーズの「OnTheSunnySideOfTheStreet」。OnTheSunnySideOfTheStreet-NewOrleans...マイミックスリスト

  • 京町濱田屋はどこ?(3)

    2年ほど前、ブログ「津々堂のたわごと日録」さんが、旧熊本藩士吉田如雪が書き残した「明治十年日記」の中の、熊本城天守閣が炎上した明治10年2月19日の日記に「朝飯後四時過京町濱田屋ノ湯ニ行ク」と記された「京町濱田屋」とはいったいどこにあったのかが不明というブログ記事を投稿された。京町で生まれ育った僕としては明らかにしておきたいと思い、以来、古くからの京町住人で僕らよりも年長の方々に尋ねたり、史料がどこかに残っていないか探してみたりした。しかし、年長者でも僕らよりひと回り上くらいになるとご存命の方は限られており、史料もいまだ見出せず、京町濱田屋の位置を特定するまでには至っていない。これまでにわかったことを整理してみると、「濱田屋ノ湯」とあるが必ずしも風呂屋とは限らないこと。吉田如雪が天守閣炎上を目撃したのは濱...京町濱田屋はどこ?(3)

  • 愉しみな「新日本風土記」2本

    大好きなBSプレミアムの「新日本風土記」で近々愉しみな番組が2本放送される。1本目は8月29日(火)午後9:00放送の「越中八尾風の盆」。これは2014年10月に初回放送のものをセレクションとして再放送するもの。「風の盆」は「新日本風土記」の前身である「新日本紀行」で1976年9月に放送された「おわら風の盆」の強い印象が残っている。この祭の存在もその番組で知った。【NHK解説】人口2千人あまりの山間の町、富山市八尾町。立春から数えて二百十日にあたる9月1日、「風の盆」が始まると、町は3日間にわたり、民謡「越中おわら節」一色に染まる。人々はそのかなしげな調べに、人生の機微を映しながら生きてきた。今年最後のおわらに挑む踊り子。三味線に魅せられて70年の達人。長年連れ添った伴侶を失い、おわらの唄を聴いて思いをは...愉しみな「新日本風土記」2本

  • 盆踊り やがて寂しき・・・

    残暑と言うにはあまりにも猛烈な暑さが続く。それでも朝晩には秋を感じる瞬間がある。夏まつりのシーズンも終わりに近づき、わが町内の校区夏まつりも今週末に行われるが、それがシーズン最後になるのではないだろうか。他府県では「おわら風の盆」など9月のまつりもあるにはあるが。今年の夏はまつりやイベントには一切行かなかった。それでもゆく夏のメランコリックな気持には変わりがない。やっぱりユーミンの「晩夏」を聴きたくなった。(竹中邦彦氏撮影)盆踊りやがて寂しき・・・

  • 幻の「海達公子物語」

    明後日は大正から昭和初期にかけて天才少女詩人と謳われた海達公子の生誕107年に当たる日。わが母の高瀬高女の6年先輩になる。2017年に他界された規工川佑輔先生の「評伝海達公子」に感動し、先生がたまたま僕が熊大附中を卒業する時、入れ替わりに赴任された先生だったこともあり、お願いして初めてお会いしたのは15年ほど前だった。以来、先生の玉名のご自宅を訪問したり、海達公子関連の行事にご一緒したりして先生の研究成果を聞くのが楽しみだった。そんなある日「評伝海達公子」のテレビドラマ化に挑戦してみませんかと僕が持ちかけ、先生も過去に実際ラジオドラマ化の話があったそうで乗り気になられた。手始めに静止画を使ったショートムービーを試作し、松田真美さんのナマのナレーションで試写会をやったりした。そして脚本づくりに当っては玉名、...幻の「海達公子物語」

  • 細川藤孝公

    今日の津々堂のたわごと日録さんのブログに、今日は肥後細川家初代藤孝(幽斎)公の御命日であることが書かれていた。今日は清水の方に行く用事があったので帰りに立田自然公園(泰勝寺跡)に立ち寄って四つ御廟にお参りした。帰ろうとしたとき大勢の人たちが四つ御廟に入って来た。聞けば、今日が藤孝公のご命日ということで御廟の清掃に集まったボランティアの皆さんだという。蒸すような暑熱の中、奇特な方たちだなぁと思いながら、「ご苦労様!」と声を掛けて失礼した。※写真は水前寺成趣園の藤孝公像今日の四つ御廟。正面が細川藤孝公御廟藤孝公ご命日ということで参集した御廟清掃のボランティアの皆さん▼細川藤孝公鞠生(まりふ)の浦で連歌の会を催す。天正十五年(1587)七月この年7月、藤孝公は九州平定のために出陣した関白秀吉を福岡・筥崎宮に陣中...細川藤孝公

  • 「みずあかり」から始まった

    一昨日の熊日新聞の連載コラム「一筆」に古町案内人の瑠璃さんが、12年前の上村元三さん(上村元三商店店主)との出逢いとその後の交流をユーモラスに書いておられた。読みながら、僕もその頃から上村さんご夫妻に懇意にさせていただくようになったことを思い出した。そのきっかけは、2009年10月、熊本城周辺のイベント「みずあかり」を見に行った時、NTTビル前庭の特設舞台で見た少女舞踊団「ザ・わらべ」の不思議な世界に魅了されたことだった。どこのグループだろうと心あたりに問い合わせたりして調べまくったが全然わからない。そのうち彼女たちのことはすっかり忘れていた。翌年、夏も近づいてきた頃、急に思い出してインターネットで情報検索していたら、偶然、上村元三さんのブログに行き当たった。いきなり電話をかけておたずねしてみると、なんと...「みずあかり」から始まった

  • 今年の山鹿灯籠まつり

    4年ぶりの通常開催となった山鹿灯籠まつり。久しぶりに見られると思っていたのだが8月初めの義兄の他界。服喪中なので今年も断念した。するとFB友の竹中邦彦さんが動画を撮影して送ってくださった。ありがたい。映像はおまつり広場や山鹿温泉さくら湯の前で行われた「流し踊り」の風景。「千人灯籠踊り」もいいが僕は「流し踊り」の方が地方の音色とともに風情を感じて好きだ。このまつりは古墳時代、景行天皇の筑紫(九州)巡幸に由来を持つ。天皇一行が有明海から玉名に上陸し山鹿方面を目指したものの濃霧が立ち込めて立ち往生していたところ、里人が松明を掲げて一行を迎え、山鹿の地へ導いたという。その松明が灯籠に形を変えて今日に伝わったという説がある。つまりそもそも道中踊りこそこのまつりにふさわしいともいえる。竹中さんは現在四国にお住まいだが...今年の山鹿灯籠まつり

  • 漱石俳句あれこれ

    昨日も夕食後散歩へ。京陵中学校前の漱石記念緑道のベンチでひと休み。漱石句碑「すみれ程の小さき人に生れたし」を見るといつの間にかコスモスに覆われ、上半分しか読めない。もう季節は秋を感じる。この句と似たような自らを卑下するような句があったことを思い出し、家に帰ってから調べた。それは「能もなき教師とならんあら涼し」という句だった。この句は漱石の熊本時代、漱石を主宰に寺田寅彦らが中心となっておこした俳句結社「紫溟吟社」が発行した俳誌「銀杏(いちょう)」に盛んに投句した井上微笑という俳人に宛てた漱石の手紙の中に書かれたものという。日付が明治36年6月17日というから、漱石がロンドン留学から帰国して半年足らず、東京帝大講師としての適性に疑問を感じていた頃と思われる。漱石の覚えめでたかった井上微笑という人は筑前秋月の生...漱石俳句あれこれ

  • 盆の終わり

    昨日までと打って変わって今日は風がありだいぶ過ごしやすかった。しばらく散歩をしていなかったので、夕方食事を済ませてから歩いて二の丸公園へと向かった。新堀橋近くに差し掛かると西の空が開け、あかね空に金峰山が見えた。明日でお盆も終わり。父や祖母や弟、そして先日他界した義兄たちも西方浄土へと帰って行くのだろう。思わず西の空へ向かって手を合わせ「また来年・・・」とつぶやいた。陽がすっかり沈んだ薄暮の中を歩いていると路傍のオシロイバナが開き始め芳香を放っていた。散歩から帰ると長崎の「精霊流し」風景を唄った「流れ灯」を聞きたくなった。盆の終わり

  • 神楽坂まつり

    台風7号は徳島の阿波踊りに影響を及ぼしそうで心配だ。最近では日本各地のまつりがライブ配信されたり、すぐにYouTubeに投稿されたりでパソコンで見ることができるようになってありがたい。そんな中、今日、YouTubeで視聴したのは東京神楽坂で7月に行われた「神楽坂まつり・阿波踊り」の映像。学生時代、4年間通った市ヶ谷キャンパスから外堀を渡れば神楽坂で、よく名画座の映画を見に行ったものだ。当時から神楽坂料亭街は有名だったが、僕ら貧乏学生には縁がなかった。映画を見た後、風情のある石畳の小路や黒塀に囲まれた料亭の辺りをよく散策した。そんな思い出がある神楽坂のまつりなのだが、始まったのは僕が卒業してから数年後らしいので見たことはない。東京勤務の頃、高円寺の阿波踊りを一度見に行ったことがあり、予想を覆す本格的なまつり...神楽坂まつり

  • 猛暑の日の出来事

    今日も家から一歩も出ずに過ごした。ゴロゴロしながらテレビを見ていると各地の猛暑、台風7号、Uターンラッシュなどの話題が続く。昔、東京から熊本まで車で夏休み帰省していた頃のことを思い出しながら、こんな時でも移動しなくてはならない人は大変だなぁと思う。テレビにも飽きてパソコンの前に座ると、先日、メッセージを送っていた西村直子さんから返事が届いていた。内容は2015年10月に西光寺で行われた中村くるみさんの名取り披露の中の1曲「牛深ハイヤ節」で唄囃子として参加された西村さんに当時の思い出をおたずねしていたもの。「牛深ハイヤ節」ところで昨日、西村さんは大変な一日だったらしい。昨日は「川上校区夏まつり」が行われ、西村さんは出店に備え早朝からおはぎづくり、その後、参加女子の浴衣着付け、花火やステージイベントの司会など...猛暑の日の出来事

  • 御巣鷹山の悲劇から38年

    520人の犠牲者を出した御巣鷹山の悲劇から今日でちょうど38年、御巣鷹山に眠る犠牲者の皆様のご冥福を祈り手を合わせた。当時、栃木県の那須に在勤中で夏休みになると、まだ小学生や幼稚園児だった子供たちを祖父母がいる熊本まで航空機の「子供一人旅」で帰していた。この時も数日前に長男と次男を帰したばかりだったので事故の第一報を聞き戦慄を覚えたあの日の衝撃は今でも鮮明に憶えている。しかし、今日、この事故を題材にした映画「クライマーズ・ハイ」をBSPで放送していたので見始めたのだが、途中で辛くなって最後まで見ることができなかった。やはり自分自身の中でも風化が始まっているのではないかという気がした。千体地蔵(蓮台寺)御巣鷹山の悲劇から38年

  • 坊っちゃんと「さのさ」

    街中に出勤する息子を車で送迎するので毎日「夏目漱石内坪井旧居」前を通る。この漱石旧居に最近、観光客用のシェアサイクルが置かれた。5台ほど置いてあるが結構利用されているようだ。この赤い自転車を見る度になぜか漱石の「坊っちゃん」の一節を思い出す。「坊っちゃん」における「うらなり」の送別会のシーンで、出席者の一人が花月巻、白いリボンのハイカラ頭、乗るは自転車、弾くはヴァイオリン、半可の英語でぺらぺらと、Iamgladtoseeyouと唄って聞かせるシーンがある。これは明治時代後期に流行ったといわれる「さのさ」である。江戸後期に清(中国)から長崎の唐人屋敷に伝わった「九連環」という曲が各地に伝わり、即興的に歌詞や旋律をさまざまに変えて歌い継がれた中の一つが「さのさ」で、「坊っちゃん」に登場した英語混じりの歌詞もあ...坊っちゃんと「さのさ」

  • 観音坂地蔵菩薩のゆくえ

    5月下旬、京町の熊本地方裁判所近くの掲示板に京町拘置支所の発信で「観音坂の途中にある地蔵尊を移転または供養を検討しているので、設置の経緯をご存じの方、日頃お世話をされている方はご連絡をお願いします。」という告知が貼られた。京町拘置支所が移転し、拘置支所を解体することになり、擁壁下にあった「地蔵尊」を撤去せざるを得なくなったので設置の経緯を知っている住民に確認した上で取り掛かりたいという趣旨だったようである。結局、経緯を知っている人は見つからなかったようで、先月、観音坂を通りかかったら、既に「地蔵尊」の姿はなく石の祠だけが残されていた。「地蔵尊」はどこへ行ったのだろうと思っていたら、一昨日の熊日新聞に「観音坂菩薩尊」が7月下旬、瀬戸坂下の眞光寺に移されたという記事が載った。拘置支所が眞光寺に引き取りを依頼し...観音坂地蔵菩薩のゆくえ

  • 夏だ!ロックだ!ハイヤ節だ!

    こう暑い日が続くとつい涼やかな音楽を聞きがちなのだが、逆に暑っ苦しく思えるロック・ミュージックもいいものだ。暑気を吹っ飛ばしてくれるような気もする。今日はまず僕の大好きなヒューイ・ルイスの「IfThisIsIt」を聞いた。ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは80年代を代表するロックバンドで、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主題歌「ThePowerofLove」でも知られている。もう1曲はわが熊本民謡の代表として「牛深ハイヤ節」を聞いた。「ハイヤ節」は70年代後半にアメリカで流行った「GOGO」にそっくりという人もいて、8ビートでも踊れそうである。夏だ!ロックだ!ハイヤ節だ!

  • 宇土櫓を見るのはこれが・・・

    今年の夏は服喪ということもあってお祭りやイベントにはいまだ一切行っていない。そんな中、熊本城宇土櫓が解体工事のための素屋根組立てがだいぶ進んで、櫓が見えなくなりつつあるという情報があり、夕方慌てて見に行った。確かに櫓は組み立てられた足場の隙間からしか見えなくなっていた。現状でも既に観光の対象ではなくなっていると思うが、もうしばらくすると素屋根で覆い隠されるので再建されてその姿を再び現すのは10年後ということになる。ひょっとしたら僕は宇土櫓の姿を見るのはこれが最後かもしれないと思うと急に愛おしくなった。今日の宇土櫓素屋根完成予想図川瀬巴水が描いた昭和23年頃の宇土櫓宇土櫓を見るのはこれが・・・

  • 進駐軍がいた頃

    先週、NHK-Gの「TheLife〜人生はジャズとともに齋藤悌子87歳〜」というドキュメンタリーを見た。戦後、18歳の頃から沖縄の米軍基地にあるクラブで米兵のリクエストに応えて歌い始め、87歳となった今も現役ジャズシンガーとしてステージに上がる齋藤悌子さんの半生にスポットを当てた番組だった。銀髪の下の深いしわがきざまれた顔で齋藤さんが「サマータイム」を歌い始めると、僕はなぜか胸がキュンとして、戦後間もない幼かった頃の自分に意識が飛ぶ気がした。新坂をはさんだわが家の向かいには大地主の細谷氏(りそなホールディングス会長などを務めた故細谷英二氏実家)の邸宅が広がっていた。邸内は鬱蒼と茂った木々に囲まれていた。ある時、その邸内の一角に、小さな平屋が建った。2DKほどだったろうか。そこには米兵とオンリーさんが入居し...進駐軍がいた頃

  • 今日の出来事

    キツネの嫁入り(日照り雨)今日のお昼ごろ猛暑の日照りの中、突然雨が降り出した。それも一時は土砂降り状態。これまでいわゆる「キツネの嫁入り」は何度か遭遇したが、いずれも小雨で今日のような強い雨は初めてだ。怪異現象とも思える今日の雨は何かの前触れなのか。台風6号もやってきそうだし警戒を怠らないようにしなければ。山形愛羽選手2冠!北海道札幌市で行われている全国高校総体陸上第4日の今日、200m決勝が行われ、一昨日の女子100mを制した山形愛羽選手(熊本中央)が、期待通り200mも制して2冠に輝いた。2012年の野林祐実選手(九州学院)以来11年ぶりの快挙となった。今日の出来事

  • 山鹿灯籠踊り ~よへほ節~

    今月15・16日は熊本県山鹿市の夏の風物詩・山鹿灯籠まつりの日。そして4年ぶりに「千人灯籠踊り」も行われる。きっと4年分の熱気で盛り上がることだろう。山鹿灯籠まつりで主に歌い踊られるのが「よへほ節」。この歌はもともと明治初期からお座敷唄として唄われていたもの。昭和初期、かつての温泉町の輝きを失いつつあった山鹿の町を再興させたいと願う町衆が、「よへほ節」をご当地ソングとすべく大作詞家・野口雨情に改作を依頼した。元山鹿市立博物館長の木村理郎先生によれば、実は野口雨情が作詞した「山鹿小唄」と山鹿市民グループが作った「山鹿温泉小唄」を合成して出来上がったのが現在の「よへほ節」だそうだ。下に3曲の「よへほ節」を掲載したが、1曲目はまだお座敷唄だった頃の「よへほ節」。2曲目が山鹿灯籠まつりの初日、大宮神社奉納灯籠踊り...山鹿灯籠踊り~よへほ節~

  • 山形愛羽(熊本中央)100mを制する!

    全国高校総体陸上が北海道札幌市で行われているが、第2日の今日、男女100mの決勝が行われた。女子は熊本期待の山形愛羽選手(熊本中央)が予選、準決勝と1位通過、決勝ではスタートでやや出遅れたものの、後半の伸びで圧勝した。記録は11.92と狙っていた自己ベストの11秒4台はならなかった。山形選手は、残る明後日の200mが楽しみになってきた。熊本県勢の女子短距離陣で高校総体を制したのは2012年の野林祐実選手(九州学院)以来11年ぶり。スタートゴールリザルトインタビュー山形愛羽(熊本中央)100mを制する!

  • 八朔の日

    今日は八朔。36℃という猛暑の中、藤崎八旛宮へお詣りに行った。さすがに今日は徒歩はあきらめ車で行った。例年、八朔の参拝者はもっと多かったと思うが今年は少ない。暑さを避けて時間を選んでいる人が多いのかもしれない。帰ってからテレビを見ていると、京都祇園の八朔の習わし、芸舞妓さんたちが日頃お世話になっているお師匠さんやお茶屋さんをお礼参りする風景が今年もニュースで流れていた。そんな映像の中に祇園甲部の芸妓まめ藤さんの姿があった。ふとまめ藤さんがまだ初々しい舞妓さんだった頃の八朔の映像があったことを思い出した。9年の月日が流れ、現在のまめ藤さんはすっかり貫禄のある芸妓さんとなった。9年前の今日も暑い日で、猛暑日の地域があったり台風が迫って荒れた天候の地域もあったことがわかる。今日の京都祇園の八朔風景(左端がまめ藤...八朔の日

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