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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • あれから50年

    明日から早くも10月。今朝の熊日新聞に「RKKラジオ、10月1日に開局70年」という記事が載った。RKKラジオ(熊本放送)は昭和28年(1953)、現在のびぷれす熊日会館(熊本市中央区上通町2)の場所で「ラジオ熊本」として開局して70年を迎えるのだそうだ。この記事を見て50年前の懐かしい思い出が甦った。昭和48年(1973)10月、RKKは放送開始20周年の特別番組をやった。番組の企画として中継車が市内を回った。たまたまわが家の近くを中継車が通りかかり、生まれたばかりの長男を抱いて歩いていた家内がつかまった。そして、スペシャル・インタビュアーの永六輔さんが家内にマイクを向けた。そして永さんはギャグのつもりか、家内に抱かれた長男にもマイクを向けた。長男はひとこと「グー(goo!)」と言った。仕事でいなかった...あれから50年

  • 中秋の名月

    今夜は中秋の名月。夕食後、熊本城二の丸広場へ出かけてみた。いつも天守閣越しの月の絵をねらうのだが、予想はしていたものの、宇土櫓が解体工事の足場で覆われていて全然絵にならない。撮影はあきらめてしばらくじっと眺めていた。一二三天守越しの月を撮れるのは10年後かと思うと寂しくなった。その後、城彩苑に下ると親水空間ステージで代継太鼓保存会の太鼓演奏が行われていた。城彩苑入口前では野点も行われていたが、だいぶ順番待ちをするようだったので横目で見ながら帰路についた。昔は満月のことを「望月(もちづき)」と言い「もちづき」が「餅つき」となり、帝釈天が自分のために火の中に身を投じたうさぎを憐れに思い、うさぎが餅をつく姿を月に映したと言い伝えられている。中秋の名月

  • 舞妓はん随想

    昨日から始まった毎秋恒例の鶴屋百貨店「大京都展」。今年も開会に華を添える舞妓さんの舞披露を見に行った。会場の1Fサテライトスタジオには30席ほどが用意されその回りを立ち見の観客が取り囲む。舞にトークをはさみながら女性MCが進行して行くのだが、まず「アレ?」と思ったのは舞妓さんが昨年と同じ祇園東の満彩尚(まさなお)さんだったこと。これまで同じ舞妓さんが2年続けて来ることはなかった。やっぱり祇園の舞妓さん不足という話は本当なのか。満彩尚さんは2019年にお見世出しをしたというベテランでまもなく襟替えが控えているという。舞の曲目は祝舞の「松づくし」に始まり「京の四季」と「祇園小唄」の3曲で、いずれも舞妓さんにとって必修科目みたいなものだ。ところで、京都祇園を象徴する唄である「祇園小唄」の作者が熊本ゆかりの長田幹...舞妓はん随想

  • リアル・ジャパン!!!

    昨夜のNHK「クローズアップ現代」はインバウンドがコロナ前のレベルに戻りつつある一方で、訪日観光客の行動に見られる変化の傾向を取り上げていた。今年1月、ニューヨーク・タイムズでは「今年行くべき世界の52か所」としてロンドンに次いで2番目に紹介されたのが岩手県盛岡市だった。なぜ盛岡なのか?いや盛岡に限らず、これまで定番だった観光ルートから外れた場所へ足を伸ばす外国人観光客の実態が見えてきた。彼らが日本に求める「5つのポイント」があるという。オリエンタル(神社仏閣・古民家)デリシャス(ラーメン・居酒屋・屋台)ネイチャー(自然・里山)リアル(日常の暮らし・地元の人)クール(歌舞伎町・秋葉原・アニメ)なかでも特筆すべきは「リアル」だと思う。つまり創られたテーマパークのようなところではなく、リアルな日本人の生活や人...リアル・ジャパン!!!

  • 民謡魂 ふるさとの唄~青森県むつ市編~

    昨日のNHK「民謡魂ふるさとの唄」は青森県むつ市から。津軽と南部はまさに民謡の宝庫。あいや節、じょんから節、三下り、よされ節など塩っ気の効いた唄と津軽三味線の響きそして手踊りが花を添えて45分間を飽きさせなかった。中でも最も興味深かったのは最後に出演者全員で唄った「南部俵積み唄」と「鯵ヶ沢甚句」の二つ。「南部俵積み唄」は僕がYouTubeにアップした中で最も人気の曲であること。一方の「鰺ヶ沢甚句」は、僕の大好きな北海道の「いやさか音頭」の元唄ではないかといわれていること。いずれも僕が住む熊本とは異なる気候風土の中で唄い継がれた名曲である。民謡魂ふるさとの唄~青森県むつ市編~

  • 古町小町とブリジット・バルドー

    今日、RKKラジオ「村上美香のヒトコト」に城下町古町案内人の古町小町こと瑠璃さんがゲスト出演、案内人を始めた動機や日頃の活動などを話された。案内人を始めて12年だそうだ。だいぶ前から存じ上げているがもうそんなに経っていたかと驚いた。熊本地震直後、熊本城は復旧するかもしれないが城下町は消滅するのではないかと盛んに言われた。たしかに多くの町屋は姿を消したが、残された城下町の風情を守り、それを一人でも多くの方に知っていただきたいと有志の方々が頑張っておられる。彼女もそんなお一人である。2012年クリスマスの上村元三商店前今日の放送の中でフランス語に堪能な彼女が2曲紹介されたが、そのうちの1曲がなんとブリジット・バルドーの「ÇaPourraitChanger(変わるかも)」だった。聴きながら、僕が映画少年だった頃...古町小町とブリジット・バルドー

  • 彼岸の中日

    今日は秋彼岸の中日。家内と墓参りに行った。朝は涼しかったのに日中は日差しが強かった。夕飯をすませてから散歩に出た。薄暮の中を歩いていると路傍のオシロイバナが開き始めていた。昼は花を閉じているのに夕方になるとやつらは間違うことなく開き始める。いつものことながら自然のメカニズムには感動する。京町本通り沿いの正善寺の掲示板の前で足を止めた。今日の言葉は「亡き人を案ずる私が亡き人から案ぜられている」と書いてあった。さっき父や弟や、つい最近逝った義兄や息子の姑など亡き人に手を合わせて来たばかりだったので、この言葉が心に沁みた。彼岸の中日

  • 浅草と谷汲観音様

    今日、高平の浄国寺の前を車で通りかかった。久しぶりに立ち寄って谷汲観音様にお詣りしようかと思ったが、つい停車しそびれた。来月にでもまた訪れることにしよう。先日、テレビでインバウンドが回復したというニュースで浅草寺雷門が賑う風景が映ったが、谷汲観音様が一躍有名になったのも浅草だったことを思い出した。幕末から明治時代にかけて一世を風靡した稀代の生人形師・松本喜三郎が浅草奥山で行なった「西国三十三カ所観音霊験記」の第三十三場面「美濃国谷汲寺縁起」に登場するのが谷汲観音。彼自身あまりに快心の作であった為、急遽もう一つ造り舞台にはそれを出したと伝えられている。最初に造った観音像は浅草伝法院を経て現在は松本家菩提寺の熊本・浄国寺に観音像として祀られている。(旅ムック・シリーズ熊本偉人伝松本喜三郎)より。谷汲観音像浄国...浅草と谷汲観音様

  • 自己実現の夢

    5,6年ぶりに車で九州自動車道を走った。車窓から高良山を遠望しながら遠い昔のことを思い出していた。僕がブリヂストン防府工場に勤めていた1977年、工場建設の第一期工事が終わり開所式が行われた。その関連行事として久留米工場の吹奏楽団を招き、開所式および防府市公会堂での演奏会を開催した。その演奏会の前日、吹奏楽団員の一人から悩みを聞く機会があった。彼は高校時代、吹奏楽部で活躍し、その腕をさらに磨きたいと、実業団ではトップクラスの吹奏楽団を持つブリヂストンに入社した。しかし、入社後数年経過し、このまま会社員の余技として吹奏楽を続けて行くのか、はたまたプロの音楽の世界にチャレンジするべきか悩んでいた。僕はその時、何のサジェスチョンもできなかったが、演奏会では生き生きとしていた彼らが日頃そんな悩みを抱いていることを...自己実現の夢

  • チャリのはなし。

    先月「夏目漱石内坪井旧居」にシェアサイクルが5台ほど置かれたという話を書いた。この熊本市の観光客向けサービスのことを「チャリチャリ」というらしい。自転車のダウンチューブにも「chari」の文字が書かれている。ところで自転車のことを「チャリ」と呼ぶのは「チャリン」というベルの音からきているらしいが、「チャリンコ」「ママチャリ」「原チャリ」などの言葉はいったいいつ頃から定着したのだろうか。昨日、YouTubeマイチャンネルの「牛深ハイヤ節」にSさんという方から面白いコメントが寄せられた。曰く「裾上げて踊る、かつての散財の踊りチャリ舞の伝統が受け継がれてるのでしょうか。因州因幡、御所のお庭とか。・・・」「チャリ舞」という言葉は久しぶりに聞いた。お座敷芸のちょっとお道化た滑稽味のある舞のことをいう。大正6年に発行...チャリのはなし。

  • 敬老の日

    今日はいまだに納得していない「敬老の日」。「敬老の日」が第3月曜日と変わったのはもう20年前のこと。かつて「敬老の日」が9月15日だった頃は、熊本市民にとって最大の祭である「藤崎八旛宮秋季例大祭」の随兵行列や飾り馬の奉納が行なわれる日。僕らが子供だった頃、年中で一番心浮き立つ日でもあった。国民の祝日である「敬老の日」が第3月曜日ということになってしまったあおりを受け、「藤崎八旛宮秋季例大祭」の日程も毎年日にちが変わることになった。それはさておき、今朝は家内が炊いた赤飯で母を含めた三人で祝った。「老々敬老」などと言いながら笑い合った。先日、町内会の敬老祝いが三人分届いてあらためて現実を認識したのだった。今日のNHKニュースでは「敬老行事を支える人たちも高齢化が進み、行事の継続を断念せざるを得ない地区もある」...敬老の日

  • 御旅所の風景

    今日は藤崎八旛宮例大祭のクライマックス、神幸行列(随兵)の日。朝から新町御旅所へ。随兵の2団体の到着を待った後、能楽殿での能奉納を見る。【番組】喜多流素謡「翁」喜多流半能「高砂」…脇能物金春流能「経政」…修羅物和泉流狂言「太子手鉾」喜多流半能「東北」…鬘物金春流半能「鵜飼」…切能物3年ぶりに行われた昨年の神幸行列は台風の影響で10月に延期され、能奉納の演目も大幅に変更となり、能や半能は行われなかったので今年は随分久しぶりに御旅所能奉納を見た気がする。個々の演目についてはまた別の機会に。能を見た後、薬師坂を登り、漆畑を通り抜けて帰ったが、馬追い勢子たちの昼食と休憩所になっており、いつもは寂しい三の丸に人が溢れているという不思議な光景を見た。喜多流半能「高砂」後シテ住吉明神狩野了一喜多流半能「東北」後シテ和泉...御旅所の風景

  • まつり囃子

    ラフカディオ・ハーンが「それは気違いじみた大祭で、おかしな飾りをつけた馬をひきまわし、ボシタリ!ボシタリ!と叫ぶ。これは朝鮮出兵前に加藤清正が八旛様に唱えて以来の記念すべき掛け声・・・」と言い、種田山頭火は「熊本は今日が藤崎宮の御神幸、飾馬のボシタイ/\の声が聞えるやうな気がする、熊本は第二の故郷、なつかしい・・・」と言った。明日はそのまつり囃子が熊本の街に響き渡る。46年前に他界した僕の祖母は、明治16年、藤崎宮にほど近い一番被分町(現在の水道町)に士族の子女として生まれ育った。西南戦争で焼失した藤崎宮が藤崎台から井川渕に遷座したのは明治11年だが、本殿が整ったのは明治17年という。祖母は新しい藤崎宮とほとんど同じ時代に生まれ、生きてきたとも言える。幼い頃から「お八旛さん」と呼び、産土神として藤崎宮を篤...まつり囃子

  • 藤崎八旛宮例大祭 ~飾馬飾卸~

    熊本に秋の訪れを告げる藤崎八旛宮例大祭も今日が三日目。熱中症警戒アラートが発せられる中、「飾馬飾卸(かざりうまかざりおろし)」が行われ、今年飾馬を奉納する57団体が次々と鳥居をくぐった。楼門前で団体ごとにお祓いを受け、明後日行われる神幸行列への参加認定証を受け取り、気勢をあげて鉦太鼓ラッパの音と「ドーカイドーカイ」の声も高らかに暑さをものともせず街へ繰り出した。藤崎八旛宮例大祭~飾馬飾卸~

  • 妖しい美術図書

    今日は散歩を兼ねて久しぶりに上通の熊本市現代美術館へ。美術図書が並べられたギャラリーを見て回っていると、とある本棚の隅に、まるで僕を誘うようかのように置かれた図書が目についた。手に取って室内のテーブルにつき表紙を確かめてみた。「甲斐荘楠音の全貌」とあった。名前はどこかで聞いたことがあるような気がした。表紙を開け、ページをめくっていくと、主に女性を描いた日本画集のようだ。しかし、上村松園とも鏑木清方とも明らかに違う画風である。女性をただ美しく描こうとしているのではない。女の情念をおどろおどろしく描いているように見えた。その画風に引き込まれ、つい時間の経つのも忘れて見入っていたが、キリがないのであらためてもう一度見に来ようと思い美術館をあとにした。※甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)帰り道はいつものとおり「夏...妖しい美術図書

  • 新日本風土記 ~うたう九州 長崎、佐賀、熊本の旅~

    2ヶ月待たされたBSプレミアム「新日本風土記~うたう九州長崎、佐賀、熊本の旅~」を昨夜やっと見ることができた。長崎・佐賀・熊本は民謡、わらべ歌、歌謡曲、Jポップまで幅広い「うた」の宝庫ということで、ジャンルを問わずいろんな「うた」と人々の生き様が映し出された。個人的には日頃、ご好誼を賜っている本條流直門師範の本條秀美さんが「おてもやん」と「田原坂」を唄っておられる映像を拝見できて嬉しかった。できればフルコーラス聴きたかったのだが…。今回は「うたシリーズ」の第4弾ということなので、今回の肥前・肥後以外の九州編をいずれまたやるのだろう。ちょっと1時間に詰め込み過ぎの感もあったが、「おてもやん」や「田原坂」や「五木の子守唄」など1曲でも1時間番組ができるほどのエピソードがあるので、また別の機会があればいいのだが...新日本風土記~うたう九州長崎、佐賀、熊本の旅~

  • 「新日本紀行」思い出の2本

    明日のBSプレミアム「新日本風土記」で「うたう九州長崎、佐賀、熊本の旅」がやっと放送される。当初7月18日に放送される予定だったが、九州北部豪雨災害のため延期されていたもの。どんな内容になっているか楽しみだ。この「新日本風土記」の前身が「新日本紀行」で、ちょうど僕が高校生の頃から放送が始まったので、かなりの本数を見ているはずだ。しかし、内容はとなるとほとんど憶えていないが、再放送があると「あゝこれ見たな」と思い出す場合が多い。そんな中で妙に印象深い放送が二つある。一つは8月23日のブログ記事でも触れた1976年9月に放送された「おわら風の盆」。そしてもう一つが1975年5月に放送された「都をどりのころ~京都・祇園」である。それまで興味もなかった京都祇園の舞妓さんに興味を抱いた最初だったかもしれない。そして...「新日本紀行」思い出の2本

  • 初秋の無常観

    今日は日差しもだいぶ和らぎ、涼しい風も吹いて来たので熊本城二の丸から三の丸にかけて歩いた。足場の取れた監物櫓新堀橋のたもとまで来ると数日前に通った時と何か様子が違う。「あ!足場が無くなっている!」と気付いた。石垣や建物の復旧工事で随分長い間、監物櫓の周りに組まれていた工事用の足場が無くなっていた。見映えがよくなったのはもちろんだが、櫓の向こうの樹木園が再開されるのもそう遠いことではないことが嬉しい。チアダンスでひと息二の丸広場を通り抜け、護国神社の前を通って三の丸方面へ。藤崎台球場ではプロ野球独立リーグ・九州アジアリーグの火の国サラマンダーズの試合日のようで、球場前広場ではチアガールのSallysや地元のダンスキッズたちがファンにパフォーマンスを披露していた。しばらく拝見、ひと息ついた。また来ん春の種にな...初秋の無常観

  • 旧井芹川の石橋

    今日は1年前の胃カメラ・大腸内視鏡検査後の経過観察のために新町の服部胃腸科に受診した。受診後、家内に迎えに来てもらうまでしばらく時間があったので北岡自然公園まで歩いてみた。ここを訪れるのは何年ぶりだろう。熊本地震後訪れた時、山門前石橋の酷い崩壊ぶりを見て絶句したものだ。久しぶりに見ると個々の石に一部欠けたものもあるが地震前と同じように美しい石橋が復元されていた。北岡自然公園は江戸時代、細川家の菩提寺である妙解寺があったところで、昭和初期の河川改修で井芹川が流路を西の方に変えられるまで、この石橋の下を井芹川が流れていた。そして150㍍ほど下流で坪井川と合流していたのである。明治初期には妙解寺は廃寺となり、細川家北岡別邸が置かれた。「おてもやん」の作者として知られる永田イネは、幼い頃、井芹川の遊舟上での唄声が...旧井芹川の石橋

  • The Streets of Laredo(ラレドの大通り)

    今日のBSプレミアムシネマは、巨匠ジョン・フォード監督の「三人の名付親」。最初に観たのは昭和28年、小学2年生の時だった。僕が映画に目覚めた記念すべき一本である。この映画で忘れられないのが、要所要所で流れる音楽「TheStreetsofLaredo」である。カウボーイソングの名曲として知られているが、元歌はアイルランドの古い民謡らしい。多くの歌手が歌っていて、中でもマーティ・ロビンスのバージョンが一番有名だと思う。映画の中ではこの曲がアンダースコアとして時にはマイナーに転調しながら雰囲気を盛り上げる。また、ならず者の一人キッドが赤ん坊を抱いて歌って聞かせるシーンは感動的。映画音楽を担当したのは「駅馬車」などのフォード映画で知られるリチャード・ヘイグマン。【あらすじ】銀行を襲撃した3人のならず者たち。砂漠を...TheStreetsofLaredo(ラレドの大通り)

  • これならわかる!「草枕」

    夏目漱石の「草枕」は言葉が難しくて途中で断念したという方が案外多いようです。かくいう僕もその一人で、若い頃、父の蔵書で読み始めたものの途中であきらめていました。歳をとってからやっぱり地元が舞台の小説だからきちんと読み直そうと思って再び手に取ったもののなかなか先に進みません。そんな時、救世主があらわれました。それが、熊本市西区のホームページにある「これならわかる!夏目漱石の「草枕」」というコーナー。難解な言葉の読みや意味を解説し、参考事項まで説明されていて、楽しみながら「草枕」を通読することができました。そして小説の舞台となった「草枕の道」を歩いてみると一層漱石の小説世界を楽しむことができます。「草枕」をこれから読みたい方、途中で断念した方などにぜひお勧めしたいと思います。※熊本市西区のホームページこれなら...これならわかる!「草枕」

  • 漱石記念緑道の秋

    JR上熊本駅から京町台を通り坪井へ抜ける道を新坂という。明治24年(1891)に九州鉄道が熊本まで開通した時、池田停車場(上熊本駅)から坪井方面へ馬車を通すために新設された道路である。明治29年(1896)には第五高等学校の教師として熊本に赴任した夏目漱石が人力車でこの道を通った。上熊本駅から新坂を登り始めると、左側に九州森林管理局の丘が見えてくるが、ここは加藤清正公の時代、熊本城の外城として、北からの侵入を防ぐ役割を持つ「赤尾丸城」があったところである。慶長16年(1611)に清正公が亡くなった時、この丘の上で荼毘に付された殯(もがり)の丘でもある。現在は明治42年の「清正公三百年遠忌」の際に建てられた「静慶庵」の跡に碑が建てられているだけである。さらに新坂を上ると右側に合流する古い小さな坂道がある。こ...漱石記念緑道の秋

  • 掛川茶とかっぽれ

    今夜の「鶴瓶の家族に乾杯」は静岡県掛川市の旅。ゲストの広瀬アリスは、鶴瓶と別れて一人旅の最初の訪問先として、道の駅で得た情報をもとに掛川茶の製茶工場を目指す。その工場に着くとその地区は「伊達方」とあった。一瞬で4年前の出来事がよみがえった。あれは2019年の夏のこと。静岡県掛川市伊達方地区のKさんという方から、YouTubeで舞踊団花童が踊る「かっぽれ」の音源を提供いただけないかというご依頼があった。さっそく舞踊団花童の中村花誠先生にお願いしてCDを作成していただき送付した。伊達方地区ではこの音源を使ってみんなで練習を重ね、10月の地域の祭りで見事な群舞を披露することができたという。その映像はYouTubeにアップされ、その見事な踊りに感心したものだ。そんなことを思い出しながら、農林水産大臣賞を3年連続受...掛川茶とかっぽれ

  • 実りの秋と米節

    二百十日も過ぎ、日中の暑さは続いているものの、朝夕の風にはさすがに秋を感じるようになった。季節はこれから実りの秋に入って行く。そんな日々の中でふと口をついて出るのが「米節(こめぶし)」。宮城県の民謡として知られているが、実はこの歌の元歌は、昭和歌謡のレジェンド東海林太郎の「博多小女郎波枕(はかたこじょろうなみまくら)」。元禄時代の浄瑠璃・歌舞伎の作者・近松門左衛門の世話物を題材にした歌謡曲である。東海林太郎は同じく浄瑠璃・歌舞伎の「お染久松」を題材にした「野崎小唄」という大ヒット曲もある。僕が幼稚園児だった頃、祖母に連れられて熊本市公会堂で行われた東海林太郎の公演を見に行った。「野崎小唄」は誰もが知っていてこの歌の時は会場が大盛り上がりだったことを憶えている。しかし、「米節」の元歌となった「博多小女郎波枕...実りの秋と米節

  • ジェーンズ邸と水前寺の湧水

    昨日から新しいジェーンズ邸が水前寺成趣園南側の公園の一角に再公開されたというので今日見に行った。ジェーンズ(LeroyLancingJanes)とは明治4年、廃藩置県直後の熊本県に招かれて若者の教育をしたアメリカ人である。ジェーンズが教鞭をとった熊本洋学校からは多くの人材が育った。このジェーンズ邸は、当時ジェーンズ一家が住んでいた家で、もともと、現在の熊本県立第一高校がある熊本城域にあったもの。水前寺成趣園の東に移築されていたが、7年前の熊本地震で倒壊し、今回場所を変えて再建されたものだ。ベランダが張り出したコロニアル様式は、映画「風と共に去りぬ」や「大いなる西部」「ジャイアンツ」などを思い出す。また、明治10年の西南戦争をきっかけとして、この建物が日本赤十字社の発祥の地ともなった。なお、映画「ラストサム...ジェーンズ邸と水前寺の湧水

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