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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 11月の要チェックイベント

    10月もあっという間に過ぎ去り、明日からは11月。見逃せない11月のイベントをチェックしておこう。熊本城流鏑馬期日:11月3日(金・祝)時間:14:00~15:30場所:熊本城二の丸広場数年前に比べると「秋のくまもとお城まつり」が寂しくなってしまったが、今年も「武田流騎射流鏑馬」は健在。千年を超える歴史を有する古武道としての流鏑馬を今に伝える。熊本城下町・菓子祭り期日:11月19日(日)時間:10:00~17:00場所:熊本県護国神社(熊本市中央区宮内3−1)「〽上中下の職人町は九州一の菓子の町…」と謡われた新町の菓子文化と芸術の祭典!今回は4年ぶりの開催。梅林天満宮例大祭期日:11月25日(土)時間:11:00~18:00場所:梅林天満宮(玉名市津留499)菅原道真公を御祭神とする太宰府天満宮の第一分霊...11月の要チェックイベント

  • 上天草市に乾杯!

    今夜のNHK「鶴瓶の家族に乾杯」は先週に続き熊本県上天草市の旅。亡父が若い頃勤務していたのが大矢野島(現上天草市)の上小学校(旧上村尋常高等小学校)。なにしろ昭和10年頃のこと、まだ天草五橋なども架かっていない頃で島々へ渡るには渡船を使うしかなかった。上村尋常高等小は大矢野島のほぼ中心部の小高い丘の上にあるが、父は同僚の先生とともに少し南へ下った、江樋戸港近くの旅館に下宿していた。今はもうないが大宮旅館といったらしく、この旅館に、島の娘を「からゆきさん」として買いに来た女衒がよく泊っていたという。当時はとにかく貧しい寒村で娘を売ったり、子守奉公に出して口減らしをすることが普通に行われていたらしい。「家族に乾杯」を見ながら今の子どもたちは幸せだなぁと思う。大矢野島を中心としてまわりの島々には分教場があったら...上天草市に乾杯!

  • 漱石気分で秋を楽しむ

    今日は夏目漱石の熊本五番目の邸である「夏目漱石内坪井旧居」で舞踊団花童による舞踊公演「漱石気分で秋を楽しむ」が行われた。お座敷に観客20名限定というこぢんまりとした公演だったが、2部構成で熊本民謡、端唄・俗曲、各地の民謡など全18曲が披露された。花童メンバーと観客のトークの時間も設けられ参加者はみな満足してお帰りになったようだ。漱石先生もどこかでご覧になっていてニンマリとされているような気がした。舞踊団花童メンバー夏目漱石内坪井旧居花童かな&花童あかり漱石気分で秋を楽しむ

  • 標石が語るもの

    熊本城周辺を歩いていると、ところどころで「陸軍所轄地」と刻まれた標石がひっそりと佇んでいるのを見る。明治4年から昭和20年の終戦までの74年間、熊本城が日本陸軍の用地だった歴史を示す遺物なのである。明治4年(1871)に鎮西鎮台が熊本城に置かれたことに始まり、以後、明治6年(1873)には熊本鎮台、明治21年(1888)には第六師団へと変遷した。この間には神風連の乱や西南戦争の現場となった。その後、日清・日露戦争、日中戦争そして太平洋戦争と軍事基地として派兵・兵站の拠点となったのである。散歩の足をとめて標石をじっと眺めていると、ここで軍務に就いた人、ここから戦地へ赴いた人など多くの人々の魂が込められているような気がしてくる。監物櫓下の標石熊本地震からの復旧なった監物櫓かつて陸軍施設が軒を連ねていた二の丸広...標石が語るもの

  • 肥後菊/肥後さざんか

    季節は晩秋から初冬へ。昨年3月から5月にかけて開催された「くまもと花博」にちなみ制作された舞踊団花童の創作舞踊「花七変化肥後六花」の中から、秋の花「肥後菊」と初冬の花「肥後さざんか」のパートをあらためて視聴してみました。なお、「くまもと花博」の歓迎アトラクションとして披露された舞踊団花童の「花七変化肥後六花」が公式記録に記載されています。🌸肥後菊神無月凛と気高く匂(ただよ)う菊の花つつましやかに命つとうあゝ肥後菊は🌸肥後さざんか霜月にほのかに香り咲き乱る散り染めし花びらのなお美しくあゝ肥後さざんか▼肥後菊【肥後菊の歴史】文政二年(1819)には、肥後菊栽培の花祖と呼ばれる藩士秀島七右衛門が、肥後菊栽培要綱を指示した「養菊指南車」を著しました。そこには、肥後菊の花壇作法が定められており、明治二十年、肥後愛好...肥後菊/肥後さざんか

  • 「瀬戸」のはなし。

    「瀬戸」という地名や町名は日本国中至るところにあるが、わが町にも「瀬戸坂」という名の坂がある。そもそも「瀬戸」とは何ぞやというと、いくつかの辞書の解説を総合すると「瀬戸(せと・せど)」とは「狭門 ・迫門 」とも表記され、海あるいは川の幅が狭くなっているところのこと。ということになるようだ。そこでわが町の「瀬戸坂」の由来についてあらためて現地を見ながら確かめてみた。僕が子供の頃から聞いているのは、坂が瀬戸に向かって降りているからそう呼ばれるようになったらしい。というわけでその瀬戸というのがどういうところだったのか。瀬戸坂を真っすぐ降りて行くと潮音寺の脇を通って坪井川に突き当たる。この辺りの川はかつては淵になっていて、僕らが子供の頃は夏の絶好の川遊び場だった。一番下の大正7年頃の河川改修前の古地図を見ると、赤...「瀬戸」のはなし。

  • 失われゆく熊本弁

    昨日散歩の途中、中坂を登っていると中学生の男子二人が談笑しながら坂を下ってきた。ひと休みしながら彼らの会話を聴いていると、一人の男子が「おれ、最近自分が年寄りじゃないかと思うんだよ」。なんとなく可笑しくてついクスッと笑った。そしてその言葉の意味するところはさておき、二人の会話にまったく熊本弁が出て来ないことに感心した。どうやらこれは今の子どもたちに共通しているらしい。やはりメディアの発達によるものなのだろうか。僕が高校1年生の時に初めて上京し、親戚の家を訪ねた時、言葉のコンプレックスでろくにしゃべれなかったことを考えると、隔世の感を禁じ得ない。しかし、一方では熊本弁が段々失われていくのではないかという寂しさも感じる。おそらく各地方でも同じような傾向にあると思われるが、これから50年後、百年後、方言は消えて...失われゆく熊本弁

  • 玉女サウンドが奏でる “たま”讃歌

    昨日、名古屋国際会議場で行われた「第71回全日本吹奏楽コンクール」において、玉名女子高等学校が10回連続金賞受賞を達成しました。昨年も同じことを書いたと思いますが、もはや何回目の金賞受賞とかどうでもよくなった感すらあります。これからもあの研ぎすまされた玉女サウンドを全国の吹奏楽ファンに聴かせ続けてもらいたいと思います。今回コンクールで演奏した課題曲「煌めきの朝」と自由曲「Crossfire-November22」は、いずれまたコンサートで聴けるとして、今日は昨年収録した細川ガラシャ讃歌「華の伽羅奢~花も花なれ人も人なれ~」を聴いてみました。華の伽羅奢~花も花なれ人も人なれ~(作編曲:樽屋雅徳)▼細川ガラシャについてガラシャは明智光秀の娘で、本名を玉子という。織田信長の仲立ちで細川忠興の妻となったのは天正六...玉女サウンドが奏でる“たま”讃歌

  • 京都時代祭

    今日の午後は京都時代祭のライブ配信を観て過ごした。昨日、FB友の竹中邦彦さんから「まめ藤さんが常盤御前に扮する」という情報を得ていたので特にその場面に注目して観た。時代行列は時代の新しい方から遡って行く順番なので、常盤御前が登場する平安時代はだいぶ後の方だった。「平安時代婦人列」というくくりで騎馬武者姿の巴御前を先頭に、歴史に名を残す平安時代の女性が次々と登場する。この「平安時代婦人列」に参列しているのは京都五花街の中から三花街の芸妓さんたちである。その中の一人、まめ藤さんが扮する常磐御前(ときわごぜん)は、源義朝の側室で牛若(源義経)の母。時代行列では、義朝の没後、牛若ら3人の子(今若・乙若・牛若)を連れ六波羅の平清盛のもとに向かう時の様子という設定。まだかまだかと待っていると常磐御前のすぐ後ろに紫式部...京都時代祭

  • 秋吉台と民謡「男なら」

    今夜の「ブラタモリ」は山口県のカルスト台地・秋吉台が舞台。約3億5千万年という長い年月をかけて、この地形が形成された過程とそこに住みついた人々の暮らしについて解き明かしていた。僕が秋吉台を初めて訪れたのは高校3年の時。この年1963年の国体夏季大会は山口県で行われ、僕が参加した水球競技は美祢市の大嶺高校プールが会場となった。秋吉台へは車で1時間もかからない所で、大会終了後にはバス観光で秋吉台と秋芳洞を見て回った。その10数年後、ブリヂストン防府工場に勤務していた間にも何度か訪れた思い出の地である。番組を見ながら当時を思い出して懐かしかった。高校時代最後の公式大会となった山口国体では、宿舎となった美祢市内の旅館に到着したその日、歓迎の夕べが開かれ、地元婦人会の方たちの唄と踊りにより民謡「男なら」が披露された...秋吉台と民謡「男なら」

  • 三代目 藤間紫

    朝ドラ「ブギウギ」に今週からヒロイン・スズ子の幼なじみタイ子が美しく成長して登場。「芸者の子」といじめられていた頃とは見違えるばかり(役者が替わっているから当たり前か)。母の後を継いで芸者見習いをしているらしい。そしてこのタイ子を演じているのが藤間爽子(さわこ)、日本舞踊家としての名前は三代目藤間紫。女優として大活躍されたお祖母様の初代藤間紫さんとは異なる(?)たおやかな女性のイメージ。お名前だけはだいぶ前から存じ上げていたが、これまで出演した朝ドラなどもほとんど見ていないので初見に近い。今後、物語のなかで舞踊を披露することがあるだろうか。昨年の舞踊公演の中から「藤娘」を観てみた。8:50あたりから「〽藤の花房色よく長く」と舞う「藤音頭」の部分が特にウットリする。タイ子役の藤間爽子三代目藤間紫

  • 萩桔梗

    数日前、藤田嗣治画伯の旧居跡を訪ねた時、萩の花が今を盛りと咲き匂っていた。そう言えば「萩」は秋の七草のひとつだったなと思い出した。秋の七草は「萩・桔梗/葛・藤袴/女郎花/尾花・撫子/秋の七草」(はぎ・ききょう・くず・ふじばかま・おみなえし・おばな・なでしこ/あきのななくさ)と憶えたものだ。ついでに端唄の「萩桔梗」も思い出した。よく芸舞妓さんの演目としてYouTubeなどで見ることがあるが、昨年の鶴屋百貨店「大京都展」で祇園東の舞妓さん・満彩尚(まさなお)さんが踊っていた。動画撮影NGだったので録画できなかったのが残念だった。江戸端唄・俗曲の笹木美きえ師匠のサイトから詞章と解説をお借りして掲載してみた。〽萩桔梗中に玉章忍ばせて月に野末に草の露君を松虫夜毎にすだく更けゆく鐘に雁の声恋はこうしたものかいな〽波の...萩桔梗

  • 秋の詩歌

    散歩コースの周辺も日に日に秋色が濃くなっていくようです。歩きながら俳句の一つも詠みたいのですが一向に出てくる気配がないので、帰宅してから熊本ゆかりの二人の詩歌をあらためて読み直してみました。まずは平安時代の閨秀歌人・檜垣嫗が詠んだと伝えられる秋の歌を二首。「秋風のこころやつらき花薄吹きくる方をまづそむくらむ」(秋風の心は冷たいのか、ススキの穂が、秋風の吹いてくる方に、最初に背をむけるだろう)「鹿の音はいくらばかりの紅ぞふりいづるごとにやまの染むらむ」(鹿の鳴く声は、いくらばかりかの紅色をふりだして、野山が赤く染まっていくのだろう)檜垣媼の最晩年は岩戸観音に近い山下庵で暮らしたと伝えられており、岩戸山麓の里山は秋になるとそれはそれは美しく彩られたことでしょう。時には鹿の音も聞こえて来たと思われます。次は夏目...秋の詩歌

  • 漱石と芸能

    今月29日、ちょっと面白いイベントがある。夏目漱石の熊本五番目の邸である「夏目漱石内坪井旧居」で行われる「漱石気分で秋を愉しむ~舞踊団花童公演~」である。漱石がここに住んでいた頃、こんな宴が行われたかどうかはわからないが、伎芸典籍に明るかった漱石の小説には様々な芸能が節々に登場する。自ら嗜んだ謡曲(能)を始め、浄瑠璃、長唄、端唄、常磐津、義太夫、吟詠等々。漱石一家が1年8ヶ月を過ごした内坪井旧居が漱石は熊本で最も気に入っていたという。長女筆子もここで生まれ、五高や俳句結社の多くの仲間たちが集ったこの旧居のお座敷で、和楽の音色と舞踊を楽しみながら漱石の心に迫ってみませんか。席に限りがありますので興味のある方はお早めに内坪井旧居まで。(℡096-325-9127)夏目漱石内坪井旧居・正門お座敷から庭を眺める舞...漱石と芸能

  • 国民体育大会から国民スポーツ大会へ

    連日、鹿児島県で行われている国体のテレビ観戦をしている。その「国民体育大会」という名称で行われるのは今年が最後だそうだ。来年開催される佐賀県大会から名称が「国民スポーツ大会」に変わる。略称も「国体」から「国スポ」とするらしいがはたして定着するだろうか。かつて「インターハイ」と呼んでいた「高校総合体育大会」が未だに「インターハイ」で通用することを考えると「国体」も残って行くような気もする。それはさておき、国体出場経験者の一人として名称変更はちょっぴり寂しさも感じる。僕が初めて国体に参加したのは今から62年前の昭和36年(1961)福島県の会津若松で開催された夏季国体(水球)だった。高校1年生で残念ながら試合出場の機会はなかったものの、大会期間中、台風に見舞われ、競技が一日延期になったり、停電で真っ暗な旅館の...国民体育大会から国民スポーツ大会へ

  • 山形愛羽、国体も2冠達成!

    かごしま国体陸上は今日が2日目。熊本の山形愛羽選手(熊本中央高)が期待通りの快走を見せ、見事インターハイに続いて2冠を達成した。100mは予選・準決勝とも1位のタイムで決勝進出。決勝は彼女が狙っていた11秒4台にはわずかに届かなかったが、大会新記録の11秒50でまず制覇。ここまで既に3本走った彼女の体力消耗を心配したが、4本目の300m決勝は疲れを全く感じさせないタフな走りで他を圧倒した。しかもこれは高校記録。これまで何度か彼女の走りを競技場で見ているが、今日のレースの映像を見ながらあらためてその総合的な運動能力の高さを見せつけられた気がする。300mの高校記録を示すボードの前での撮影を促される山形選手▼少年A女子100m準決勝および決勝決勝RESULT▼少年A女子300m決勝山形愛羽、国体も2冠達成!

  • かごしま国体陸上が始まる!

    今日から「かごしま国体」の陸上競技が始まった。今日は早くも成人の男女100㍍などが行われ、男子では多田修平や山縣亮太、女子では兒玉芽生の復活が印象的だった。来年に迫ったパリ五輪に向けて良いステップになったと思われる。熊本期待の女子短距離、山形愛羽(熊本中央高)は、夏のインターハイ100㍍・200㍍の2冠に続き、今大会では女子少年Aの部で300㍍と100㍍の2冠に挑む。今日は300㍍の予選が行われ、難なく全体1位の記録で決勝へ進出した。明日は300㍍の決勝とともに100㍍の予選・準決・決勝も行われるので体力的な面が心配だ。なお、300㍍は国際大会では行われないが、400㍍走者を育成するための戦略的種目として国体で実施されているもの。かごしま国体陸上が始まる!

  • 新堀のみなと

    今日、千葉城町から磐根橋のたもとまで歩いて来た時、ふと思いついて下の県道への曲がりくねった坂道を降り始めた。途中で県道の向こう側に錦坂と暗渠化された坪井川の旧流路が見えたのでしばらく眺めていた。明治時代の一時期、ここが港だったなんて気づく人はまず居るまい。父の教員仲間だったI先生が師範学生時代の昭和10年にまとめた京町についての研究レポートがある。各種文献や地区の長老の話などをまとめたものであるが、その中にこんな記述がある。――商業都市としての京町の本通りには遊郭が生じて、今の加藤神社(新堀)の所は坪井川の河江の港として、天草、島原よりの薪船等が、百貫の港のようにどんどん港付し、一つの港町として栄えたのである。ゆえに港町にふさわしい遊郭ができるのももっともである。――明治7年に錦山神社(後の加藤神社)が城...新堀のみなと

  • 藤田嗣治(レオナール・フジタ)の少年時代

    「ここに藤田嗣治画伯少年期を送る明治27年~31年」久しぶりに出町・稗田町・池田町界隈を散歩した。稗田町の藤田嗣治画伯旧居跡はいつも必ず通過ポイントにしている。藤田画伯について書かれたネット記事などを読むと、よく画伯が熊本にいたのは「明治27年~31年」と書かれているのを見かける。おそらくこの石碑に「明治27年~31年」と刻まれているのを見てそう理解されているのだろう。実際には画伯は陸軍軍医だった父親の熊本鎮台赴任の明治21年(1888)に帯同し、明治32年(1898)までの10年間を熊本で過ごしているそうだ。「明治27年~31年」というのは石碑が建てられた場所にあった旧居に住んだ期間のことだ。画伯が熊本県師範学校附属小学校に入学したのは明治26年(1893)だが、ちょうどこの年に師範学校が藪ノ内から京町...藤田嗣治(レオナール・フジタ)の少年時代

  • Heal The World ~Make a better place~

    先週土曜日に放送されたNHKBS1の「街角ピアノスペシャル角野隼斗ニューヨークを行く」はなかなか感動的な番組だった。YouTuber「かてぃん」としても知られる気鋭のピアニスト・角野隼斗さんがニューヨークの路上ライブやジャズのセッションに初挑戦していた。中でも印象的だったのは、「9・11同時多発テロ」の現場であるワールドトレードセンター駅「オキュラス」コンコースの駅ピアノでは平和への祈りを込めてマイケル・ジャクソンの「HealTheWorld」の演奏を披露、駅に居合わせた大勢の人々から盛んな拍手が送られていた。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は終わりが見えず、イスラエルとハマスは戦争状態、アルメニアとアゼルバイジャンもいまだ紛争が続くなど、世界の平和が脅かされ、毎日子供を含む大勢の命が失われている。MJ...HealTheWorld~Makeabetterplace~

  • 福連木の子守歌/五木の子守歌

    YouTubeマイチャンネルの「2023年1~9月動画視聴ベスト10」に「五木の子守唄」が初めてランクインしましたので、この唄についてあらためてご紹介します。父が天草の大矢野島(現在の上天草市)上村小学校に赴任した昭和10年頃、天草は大小100余りの島々に20数万人の人が暮らす貧しい地方でした。父の備忘録には、40名ほどのクラスの4分の3が、弁当に「かんちょ(上天草の言葉でさつま芋のこと)」を持ってきていたと記されています。当時はまだ「からゆきさん」の風習も残っていたほどで、家が貧しいために「口減らし」として八代や人吉方面などに子守奉公に出された少女たちも多かったといいます。天草下島の福連木(ふくれぎ)から子守奉公に行った少女たちが自らの不幸な境遇を子供に歌って聴かせ、自らをも慰めるため歌った「福連木の子...福連木の子守歌/五木の子守歌

  • 桜の馬場城彩苑 ~花魁道中~

    今日からの3連休で熊本は本格的な秋のまつりが各地で始まり、熊本城・桜の馬場城彩苑では呼び物の「花魁道中」が行われた。前回に続き、一般公募で選ばれた花魁3名とそれぞれに付く妓夫太郎たちだけの縮小規模の花魁道中。今回からフル企画に戻るかと期待していたのでちょっと残念。前回同様、歌舞伎「助六由縁江戸桜」をモチーフとした演出で行われた。実際に熊本で「花魁道中」が行われたのは昭和10年3月から5月にかけて開催された「新興熊本大博覧会」の際、二本木遊郭で行われた記録が残っており、これが熊本最後の花魁道中だったのではないかという。▼外八文字三様桜の馬場城彩苑~花魁道中~

  • 2023年1~9月動画視聴ベスト10

    今年も4分の3が過ぎましたが、YouTubeマイチャンネルの「2023年1~9月動画視聴ベスト10」は次のとおりでした。今回のトピックスは「五木の子守唄」の初のベスト10入りでしょうか。熊本県五木村の民謡であるこの唄は「日本一悲しい唄」といわれ、再生回数が急激に伸びることはありませんが根強い人気があるようです。映像は12年前のもので可愛らしい踊りを見せている子たちも今年高校を卒業したか高校3年生になっています。サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。1.伊勢音頭(26,051回)2.おてもやん(23,151回)3.幸若舞「敦盛」(19,225回)4.南部俵積み唄(17,075回)5.熊本民謡おてもやん(13,873回)6.ひえつき節(13,771回)7.かっぽれ(12,409回)...2023年1~9月動画視聴ベスト10

  • 少女と地蔵尊

    今日、日中は秋らしいやわらかい日差しだったので2時頃から散歩に出かけた。新坂を下り、中坂との合流点から中坂を上って熊本城二の丸広場へ向かった。中坂を上り始めると10㍍くらい先をランドセルを背負った女の子が歩いていた。壺川小学校の3年生くらいと思われた。しばらく歩いていたが春木坂との分岐点あたりまで行った時、突然、反対側の専念寺の山門めがけて走り出した。何ごとかと思って近づいていくと山門脇の地蔵尊の前で土下座をしてお詣りし始めた。じっと手を合わせてお詣りする姿を僕はしばらく立ち止まって眺めていた。お詣りを終えて僕の方に歩いて来たので、「今日はもう学校終わったの?」と声を掛けた。こっくりうなづいた。「給食は食べたの?」とたずねると、またこっくりうなづいた。「今日は早く終わったんだね」というと「今日は学童だから...少女と地蔵尊

  • 最近のテレビ番組から

    ▼通潤橋先月23日、BSプレミアム「よみがえる新日本紀行」では「水のわたる橋〜熊本県矢部町〜」を放送した。通潤橋(現山都町)の国宝指定にタイミングを合わせたものと思われるが、昭和49年放送の「新日本紀行」に、50年近く経った現在の状況を加えた内容だった。僕が仕事で矢部町や清和村や蘇陽町へ行っていたのは昭和43年頃だったが、必ず通潤橋でひと休みしていたものだ。昭和49年の放送は記憶にないが、画面を見ながら当時の通潤橋周辺の様子を懐かしく思い出していた。今から169年前、水源に乏しい白糸台地へ水を送るために石造りの水路橋を企画した惣庄屋の布田保之助や橋を築いた橋本勘五郎と石工集団には敬意を表するばかりだ。通潤橋が貴重な歴史的建造物として、そして現役の用水路として活用され、全国から観光客を集め続けることを願って...最近のテレビ番組から

  • 熊本の地下水量「琵琶湖の水の3.2倍!」

    今日の熊日電子版で「熊本地域の地下水量は琵琶湖(滋賀県)の貯水量の約3.2倍に当たる」という記事が目についた。最新技術で推計したところ、従来の推計を大幅に上回り、約871億トンの地下水があるという。このうち約100億トンが、地下水に利用している地表に近い帯水層に貯留していて、残る約771億トンは深部の帯水層に存在するという。僕は彦根勤務時代、仕事で琵琶湖を何周もし、その広大さを実感していたので、その琵琶湖貯水量の3倍以上の地下水が熊本地域の下に蓄えられていると聞いて驚くばかりだ。熊本の地下水について、昨年4月熊本市で行われた「第4回アジア・太平洋水サミット」で、オンラインで参加された天皇陛下は記念講演の中で「熊本市周辺は阿蘇山の噴火に伴う火砕流が降り積もってできた台地の上に立地しており、火砕流堆積物は水を...熊本の地下水量「琵琶湖の水の3.2倍!」

  • 実りの秋

    今年も実りの秋を実感したくて七城町や菊鹿町の田園風景を見て回った。菊池川中流域に広がる田圃は黄金色に染まって壮観だ。コースの最後はやはり菊鹿町の「番所の棚田」まで足を延ばした。途中、好きなスポット「上内田神社」周辺の風景を見ようと畦道に車を停めた。2年前、同じ場所で高齢の農夫のおじさんと出会い、世間話をしたことを思い出した。当時84歳とおっしゃっていたので現在は86歳のはず。まだお元気に農作業をしておられるだろうか。最終目的地の「番所の棚田」は彼岸花が盛りを過ぎていたこともあって、毎年見ている目には随分寂しい風景に見えた。今年もまた休耕田が増えたようだ。農家の高齢化や後継者不足の厳しい現実と棚田というハードな耕作環境を聞いているのでやむを得ないとは思うが、14年前初めて訪れた時、この世のものとは思えないほ...実りの秋

  • 栗御こわとサイコドン

    10月朔日。わが家は朔日は原則として赤飯を炊く。今日は秋の味覚である栗を炊き込んだ栗御こわ。栗を味わいながら、やっと秋らしい気候になるのかななどと考えていると、ふと明治・大正期に流行った「さいこどん節」に、栗を歌った一節があったことを思い出した。「はやり歌さいこどんどん新板」(明治19年発行)より〽人はみめよりナア心ににしき栗は見かけによらぬあぢズイトコキャエカイデモかまことないサイコドンサイコドンサイコドンドンサササイコドンドンつまり、栗は見かけは悪いが味の良さは格別。人も見た目ではなく内面で評価しなくてはいけないと唄う。しかし、別の意味もあるようだ。お座敷唄は決して品のいい唄ばかりではなく、艶歌も多かったのである。▼「さいこどん節」の熊本バージョン「肥後の俵積出し唄」栗御こわとサイコドン

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