西行桜狸山鍛冶屋町孔明祈水山中堀町天孫神社例祭大津祭04
説明文にある通り、四分の一の曳山(源氏山)です、大津駅に展示されていました。三枚目は天井画です。天孫神社例祭大津祭源氏山03
天孫神社例祭大津祭源氏山02
国指定重要無形民族文化財大津祭の曳山よりからくりの彩り。天孫神社例祭大津祭
鉄道のある情景 第15回(2019)京大鉄研写真展より 01
久しぶりに京都へ出かけた、懐かしい写真が多い写真展でした。情景にふさわしいかもしれません。鉄道のある情景第15回(2019)京大鉄研写真展より01
手元に飽きもせず記録してきたが本当は建設中屋出来上がりの記録のほうが見栄えすると思ってます。私自身建設工事に関わっていましたが残された記録は掘削時の記録か失敗の記録、今回のような解体時の記録ばかりでした。これも人生かな。忘れ去られた髙島屋呉服店大阪長堀店07
ようやく髙島屋長堀店の痕跡がでてきた。岡田信一郎の研究者から「小川三知作」のステンドグラスの欄間が残ってるかもしれないと連絡があり、調べてみたが見当たらなかった。ただ髙島屋東館には終戦時に残されていたようだ。忘れ去られた髙島屋呉服店大阪長堀店06
少し退屈かもしれませんね、大事なことなんです。忘れ去られた髙島屋呉服店大阪長堀店05
この髙島屋が増築の形で丸善石油の本社ビルに変貌を遂げた。しかし大正時代の外観は大坂大空襲によって被災したため増築に合わせて変貌してしまった。忘れ去られた髙島屋呉服店大阪長堀店04
現物(建物)の姿が見られないので当時の絵葉書を紹介したい。また、建設当時の手書きの構造設計図も合わせて紹介します。構造計算書も数メージの手書きのものでした。隔世の感もありますが現在がやりすぎと感じるのは私だけでしょうか。忘れ去られた髙島屋呉服店大阪長堀店03
大阪で最初の鉄筋コンクリート造の高層建築でした。設計は岡田信一郎で構造は内藤多仲でした。忘れ去られた髙島屋呉服店大阪長堀店02
数奇な運命に翻弄された髙島屋呉服店大阪長堀店、ご存じの方も少なくなってしまったようだ。特に堺筋は大正6年から昭和のはじめにかけて、高島屋(T11長堀橋)、松坂屋(T12日本橋筋)、三越(T06高麗橋)、白木屋(T11備後町)が並び、市電の幹線が走る堺筋は、“百貨店通り”とも言われれ、大阪のメインストリートになった。今も残るのは松阪屋(日本橋筋)現髙島屋東別館のみである。ここにタイトルの「髙島屋呉服店大阪長堀店」の記録を残せることは、私の好奇心の最たるものと思います。</fon忘れ去られた髙島屋呉服店大阪長堀店01
双頭レールといえばDARLINGTON,錬鉄のものが重宝されている。今回、鋼製の双頭レールが手に入った。三越の発掘でも鋼製の双頭レールが出ていたがCAMMELLSの標記にばかり目が行ってスライスを残すことに気が付かなかった。今になって、錬鉄よりも鋼製の方が遥かに少ないことに気がついた。写真右が1878年製の鋼鉄製双頭レールです。鉄の匂い双頭レールの揃い踏み
解体工事からこれだけの情報が出てくることもありますね。実はこの現場の道路を挟んで神戸新聞の本社があり、記者の方がこのことなどを記事にしたいと取材がありました。しかし事業の関係者から工程に支障が出るからと新聞発表は見事見断られました。もったいないことでした。まあ色々とお立場や見方があるように思いました、せめてこのブログに記録だけはしておきたい。神戸ハーバーランドやレンガ倉庫の話は、完産廃が見せた神戸ハーバーランドの一断面05完
「何やこれ」地中に昔の山留め壁、驚いている見出しだがそんな昔じゃないよ。工事は昭和42~5年までですよ。大阪千里万博が幕をおろした翌日から千里中央駅は営業開始です。千里中央駅の建設に関わった私に聞けば、即解決したのに。工事に掛かる前には施工に関わったものに意見を聞く耳を持たないといけませんな。地下の構造物はT社、K社の土木技術者が担当、地下一階から上は建築が担当しましたよ。千里中央付近は千里丘陵の竹やぶでした、H形鋼で山留めをして掘削をしました。記事から見ると、工事着工前の調査ができてませんね、計画前に驛舎の施工者にお聞きになれば、3年延期はなかったよ。俗に言う、計画段階の怠慢と言ってもいい代物ですよ。メゾン千里、住友信託、三井住友海上(旧大正海上)なども山留めはH形鋼の横矢板でした。このような経験が今大阪市内...号外延伸まさかの壁3年延期20190910朝日夕刊
三菱倉庫の歴史を語る高浜構内図と構内倉庫群のレンガ倉庫の基礎、壊されるのが怖かった。産廃が見せた神戸ハーバーランドの一断面04
貨物駅からの錆びたレールからは得るものがなかったが同時に発掘されたれんが基礎からは得られるものが多かった。産廃が見せた神戸ハーバーランドの一断面03
神戸貨物驛設計平面図、三菱倉庫への引き込み線用に書かれたもののようだ。産廃が見せた神戸ハーバーランドの一断面02
旧神戸貨物駅跡でのレールとレンガの記録です、何事もなかったようにマンションが。単なるそれだけの話しです。産廃が見せた神戸ハーバーランドの一断面01
明治初期の日本最古のコンクリートかのかの字は取ってもいいようだ。そのうち日本のコンクリートの歴史が書き替えられるでしょう。明治初期の日本最古のコンクリートか07
説明は写真の説明でお願いします。単なる台なんですが深く考えればこれまた面白い。明治初期の日本最古のコンクリートか06
明治初期の日本最古のコンクリートか05
大阪府の文化財センターの記録は細部まで見やすいように縦置きとした、あしからず。後出の写真をご覧いただけると調査図の詳細がより深くご理解いただけると思います。この調査も炎天下の下であった。明治初期の日本最古のコンクリートか04
番外 終戦記念日に寄せて 戦艦赤城の開戦時の電令(再掲)02
旬のものは旬に、当たり前です。如何でしょうか。非常に貴重な資料だったようでした。以て瞑すべしか。番外終戦記念日に寄せて戦艦赤城の開戦時の電令(再掲)02
番外 終戦記念日に寄せて 戦艦赤城の開戦時の電鈴(再掲)01
読み取りにくいところを読み取るのも楽しみかな。ご覧の通りの原本のコピーです。番外終戦記念日に寄せて戦艦赤城の開戦時の電鈴(再掲)01
白えびの昆布〆め珍味です、富山の友人からの贈り物。番外お盆休み白えびの昆布〆め
この期に及んで難しいことですみません。落ちがないようにと報告書にするとこうなってしまった。明治初期の日本最古のコンクリートか03
少し硬いスタートですがご勘弁を。昔々のことなので寫眞以外はすでに語られていた。礼を尽くして御礼を。報告書のタイトルは私のこだわりです。明治初期の日本最古のコンクリートか02
20年以上前のベネチェア土産、楽しい時期でもありました。あつ~い小休止。
新しいテーマ「明治7年に竣工した旧大阪府庁舎の基礎に見られた石灰コンクリート」学術的に研究されたものを文献として紹介したい。次回から報告する私の写真集、より吉田夏樹先生の論文が興味深く再読できるのではないでしょうか。明治初期の日本最古のコンクリートか
双頭レールに関しての付録です。次回の予告・導入編産業廃棄物から産業遺産をまとめ編完々々
第一報、私自身のレベルが恥ずかしながら出ている。隠していたのにバレてしまった、エイプリルフールの第一報。すべてが終わった跡だった。喜んでいただいた一例。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編完々
旧三越百貨店の解体工事から多くの双頭レールが発掘された、2005年の9月に基礎関係の先生方に助けを求めたところ八幡製鐵・新日鉄の技術研究所でご活躍された「松尾宗次」先生から、多くの鉄鋼関係の先生方を紹介していただき多くのご指導をいただきました。その上松尾先生から月刊専門誌「金属」で「建築の基礎に使われた幻の双頭レール」というテーマで今回の解体記録を連載させていただくことになりました。おまけに巻頭言として今回紹介の記事、NHKのスペシャル番組の「その時歴史は動いた」第278回「鉄は国家なり」との関係までご披露いただきました。御礼の申し上げようもありません、本当に有難うございました。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編完
数年前ですがこんなこともありました。番外今日の大阪は天神祭昔の思い出
整理した野帳ここまでで、記録した寫眞と標記のリスト、引き取られたレールたちの行き先までが読み取れる。それぞれの行き先では、博物館などの鉄道やレール歴史展示、材料分析による鉄鋼材の発展や生産歴史、レール歴史の研究、冶金研究、三木市の鍛冶職など思いもしなかった方々にも古レールは引き取られていった。古レールのマニア、鍛冶を本職、趣味とされる方の方々へもご依頼に応じて最大限お渡しでききました。マニアの中には、収集された貴重な資料を私蔵され公表をされないで多くの知見を持ちながら評論家のように行動される方もいらっしゃいます。私自身が古レールのマニアではなくド素人であったがために古レールの貴重さに気が付かず多くの方々に資料をお配りしたことは良かったと今でも思っています。特に、交通科学博物館(現、京都鉄道博物館)や舞鶴赤レンガ...産業廃棄物から産業遺産をまとめ編野帳16
面白くもないが記録としては寫眞よりも役に立つかもしれない。結構手間ひまがかかっている。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編野帳15
今回から数回、現場でのレール配布時に作成していた野帳(現場でのメモ書き)を紹介します。多忙なさなかに配布できそうな古レールのリストで博物館の方々へ参考までにお配りしたものであります。いろいろと間違いなども見られますがご容赦ください。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編野帳14
ここまでがわが人生の行方<を否応なく変えてくれた「双頭レール達との出会いでもありました。好奇心で何事にも挑戦そのものずばりの成り行き任せの人生となりました。「産業廃棄物から産業遺産を」ここ数年の各地の博物館などで展示され目に触れる機会が増えてきました、嬉しい限りです。後期高齢者の私にとっての暇つぶしを、これからも紹介していきたいと思います。飽きずにお付き合いくださいね。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編13
ここで発掘された鋼矢板は、昔のカタログなどでは見たが現物を確認できたのは初めてであった。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編12
かき集められた古レールの山から標記のある部分を切り取り野丁場で撮影。後日標記お確認をする目的だった。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編11
2-10のDOWLISSTEEL996NISHINARI(189609)は古レールでは本邦初出土?と言える。自慢の一品であります。西成鉄道(にしなりてつどう)は、現在の西日本旅客鉄道大阪環状線の一部及び桜島線を建設した明治時代の私鉄である。1898年、大阪-安治川口間を開業。旅客営業は福島-安治川口間のみであったが、翌1899年に大阪-福島間でも旅客営業を開始した。WIKIより産業廃棄物から産業遺産をまとめ編10
産業廃棄物から産業遺産をまとめ編09
今見ても、すごいなーと自分でも思う。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編08
淡々と紹介産業廃棄物から産業遺産をまとめ編07
標記(レールの側面に記された記号等)を文字だけでなくで寫眞でも残せたことは今回の調査での最大の成果と自称している。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編06
古レールが存在するところから整理配布までを見ていただけたようです。中締め一言感想、なにせ重たかった。我ながらよくやったと思う。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編05
産業廃棄物から産業遺産をまとめ編04
大きくしてみました。文字も読めるようです。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編03
双頭レール達と出会うまで。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編02
ブログではだらだらと寫眞を綴っていたがお世話になった方々へ報告用に整理したものをこれから紹介することにした。文字などは読みづらいと思いますが少し拡大するとそこそこ読めそうです。いやいやきちんとしたものをというご意見があればPDFにしてますので何らかの方法で見ていただけるようにいたします。今までにメールの交換などでお世話になってる方にはメールやコメントで知らせいただければお送りいたします。産業廃棄物から産業遺産をまとめ編01
富山売薬の置き薬のときのお土産、紙フーセンでしたが今もお土産用にあるようでした。朝の山、八村と富山では号外が続いています。売薬のフーセン?今昔完
はらくすりですよ昭和20年代のもの、和紙に手摺りとあり。売薬のフーセン?昔03
売薬フーセンだけではわかりにくいかも、富山の売薬・家庭への置き薬のときのお土産といえばご理解いただけるかも。売薬のフーセン?今02
売薬のフーセン?今01
無事31日に二葉すしさんへお渡しすることができた。大阪・豊中近辺の方々の目に触れればいいな、と思いながら・・・。豊中蛍池二葉すしの食べロク?その6
我が家の古いレール博物館も今日でお別れです、明日嫁入りとなりました。豊中蛍池二葉すしの食べロク?その5
下手な説明はないほうがいいようだ、快晴の下で良い船旅だった。娘に感謝。忙中閑びわ湖疏水船京都・蹴上~滋賀・大津寸景02
京都・蹴上からのスタートです。娘の招待です。忙中閑びわ湖疏水船京都・蹴上~滋賀・大津寸景01
いい加減な拓本ですが当時は大変だった。前回の写真のレールの右からです。このレールと拓本たちはいずれ豊中近辺でどなたにも見ていただけるようにと考えております。しばらくお休みになりますが...ではまた。祝令和元年5月我が家の古レールたちの拓本
向かって右からPHOENIXR1910東京市電とかCAMMELLSSTEELW1893SEC467B.T.T.K播但鉄道開業時のレールDARLINGTONIRONCo70I.G.J.R我が国鉄道で最初に敷かれた双頭レール、明治5年(1870)DOWLAISSTEEL9.96NISHINARI大阪環状線のルーツと呼ばれてる西成鉄道、大阪~安治川口間のもので西成鉄道と特定されたレールは本邦初では。祝令和元年5月我が家の古レールたち
二葉すしは現在リニューアル中とか。これらの三越から掘り出した古レールもグッズの仲間に入れていただけそう。お寿司屋さんにかこつけて、これらの古レールのブツ切りもお願いしょうかな。案外、すしとぶつ切りレールは合うかもしれない。と勝手に想像している。豊中蛍池二葉すしの食べロク?その4
一見カフェルーム、鉄道模型やグッズなど目線の位置にうまく飾られている。豊中蛍池二葉すしの食べロク?その3
お寿司を頂いた小部屋、昔の2等車の雰囲気。音にまで気を配っている。豊中蛍池二葉寿司の食べロク?その2
蛍池の二葉寿司でランチを頂いた。食べロクでは美味しそうなお寿司が多数紹介されていた。私は玄関を入った壁面を紹介したい。お寿司もいいがこちらもよろしい。お寿司屋店主のこだわりかな。豊中蛍池二葉寿司の食べロク?その1
手元に残されていた最後の双頭レールが兵庫県立歴史博物館でお目見えすることになりました。多くの方に観ていただければ何よりです。最近嫁いだ双頭レール兵庫県立歴史博物館
妻と娘が行ってきた。2019-04-03皇居乾通りの桜
H31近所の桜
20050903このブログはここから始まった、全くの無知であることがわかる。20060401エイプリルフールかと目を疑った、この日が後期高齢者の私にとっての記念日になってしまった。20050903から20060401まで
東京中野の娘から桜の便り、この風景も平成最後春だ桜だ西武新宿線中野通り
桜が咲いたのかと思ったら、アーモンドだった。本物の桜はまだまだだ。春近しオー勘違い
生きているあかしかも春近し近所の池にて
20190302我が家のひな祭り
番外ばかりですが・・・番外一日前のスーパームーン
明けの明星と千里丘陵の朝日を見る羽目になってしまいました。まあ年相応かな。番外明けの明星と朝日
十六夜の月翌朝の月番外十六夜の月と朝の月
東芝IHI館住友童話館大阪にまた万博が戻ってきた。昔?工事に関係した私にとっての工事写真を紹介した。完成後や開会中の写真は今でも多く見ることができるが苦労の塊としてみていただければありがたい。このような賑やかさの再来になればいいのですが。番外プレイバック大阪万博(工事中の寸景)08完
チリー館古河パビリオンガスパビリオン番外プレイバック大阪万博(工事中の寸景)07
ベルギー館タカラビューテイリオンブルガリア館番外プレイバック大阪万博(工事中の寸景)06
20190101恭賀新禧玄関
20190101恭賀新禧
エキスポタワーオーストラリア館右ブリティッシュコロンビア館、左古川パビリオン番外プレイバック大阪万博(工事中の寸景)05
押しかけ女房じゃないが兵庫県立歴博へ押し付けプレゼント、これが最後の双頭レールで錬鉄製と鋼鉄製のペアです。押しかけクリスマスプレゼント
我が家のクリスマス
小休止かな番外冬のあさやけ
ドイツ館ブリティシュコロンビア州館左からビルマ館、手前ワコール・リッカーミシン館、奥はサントリー館おっさん目線の70年大阪万博かな番外プレイバック大阪万博(工事中の寸景)04
オーストラリア館ソ連邦館お祭り広場大屋根のジャッキアップ完了時番外プレイバック大阪万博(工事中の寸景)03
富士グループ・パビリオン日本館日立グループ館番外プレイバック大阪万博(工事中の寸景)02
色々ありました、懐かしいものばかりです。番外プレイバック大阪万博(工事中の寸景)01
番外十六夜の月
少し手を加えられました。番外せんちゅうパル(千里中央駅)の装飾その後
大学図書館へ立ち寄ったときの昼食、窓際が楽しい。番外大阪市大学食堂(野のはなハウス)の窓辺
標記がみえますかね、見れない方は現物でどうぞ。番外編久しぶりに面会02
同じ大学の敷地なのにかたや数千万、こなた仮置き??番外編久しぶりに面会
番外せんちゅうパル(千里中央駅)の装飾
24日の夕方でした。番外久しぶりに御堂筋
朝、出発前詳しくは下記へhttp://www.otsu-matsuri.jp/festival/番外2018大津祭本祭寸景完
二階の寝室、飲み物、階段番外2018大津祭1007KOOで宿泊04
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