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国鉄があった時代blog版 https://blog.goo.ne.jp/blackcat_kat

日本国有鉄道にこだわったblogです。 国鉄の歴史その他鉄道の話題で盛りだくさんです。

国鉄というかって存在した組織を徹底的に多方面の角度から検討するサイトです。 姉妹サイトとして、「国鉄があった時代」というサイトも運営しております。 http://freett.com/blackcat_kat/index.html

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2009/06/20

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  • 「知鉄話」 80系電車の後継として計画された。153系準急電車

    「知鉄話」80系電車の後継として計画された。153系準急電車当時の東海道本線は、当時の陸上輸送のほぼ全てを受け持っていて、80系10両編成でも輸送力が不足するとして、新たに増備することが画策されて、101系の足回りに80系電車の室内設備を採用した車両を開発することとなり、153系(設計・導入当初は91系)が誕生しました。ただし、151系の製造時期とも被っていたことから、落成は10月中旬に10両1編成、その後下旬に3両が完成して12両1編成が完成、(1両は予備車)11月1日から東海2号(東京15:05発)にこっそり充当したのが最初だったそうで、151系の華やかな出発式などと比べると非常に地味で、そのまま西下して大垣電車区に到着ということだったようです。新車を受け取ってそのまま、旅客を乗せてタクシーが営業所に...「知鉄話」80系電車の後継として計画された。153系準急電車

  • 国鉄時代の代表ランナー 165系電車の話

    国鉄時代の代表ランナー165系電車の話165系電車は昭和38年3月から。上越線・信越本線で運転を開始しました。当初は、山陽本線向けに163系が計画されましたが、将来の転用などの問題もあり、ひとまず増備が急がれていたサロ152に代えてサロ163だけが先行して製造されたものの、最終的には163系電動車ならびに制御車は誕生することはありませんでした。165系は、信越線も11両編成で通過させる予定でしたが、実際には粘着運転時の問題から碓氷峠の通過には旅客は360tの制約が課せられ、電車は8両編成となりました。これが解消するのは、協調運転用の169系が誕生まで待たねばなりませんでした。165系の話、少し長いですが、是非ご覧ください。直流電車#加藤好啓#railwayhistory国鉄時代の代表ランナー165系電車の話

  • 日本国有鉄道研究家 加藤好啓が主催する動画チャンネルです。

    日本国有鉄道研究家加藤好啓が主催する動画チャンネルです。今回も、交通権学会で発表した内容を元に、内容を修正したものをアップしています。国鉄は赤字決算を受けて、行動を開始します。国鉄の中でも最も大きな負担となっていた、地方納付金の減免を自治省に申請しますが、既得権益であるとして減免は認められず。文部省にも同様に、通学定期割引に対する補助を働きかけますがこれも拒否、こうした背景を受けて国鉄は赤字83線として、今後も利用の増加が見込まれない路線の廃止に取り組みますが、引き続き鉄道建設公団への出資という名の建設資金を拠出していました。道路や港湾が国の予算で行われるのであれば、国鉄の地方開発線木にが責任を負うべきだったと思うのですが、こちらも昭和47年度まで拠出しています。さらに、CD線と呼ばれた幹線・都市路線など...日本国有鉄道研究家加藤好啓が主催する動画チャンネルです。

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