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およそ80年前の東京の街を孤独な魂は歩いた。その日の魂に見合う詩(うた)を探して…。その歌は2013年の今、数々の文庫として書店の棚にある。ポケットに歌を! さあ、中原中也の魂と会いに出かけよう!

ブログタイトル
中原中也インナープラネット
ブログURL
http://chuya-ism.cocolog-nifty.com/
ブログ紹介文
中原中也ファンのブログです。
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87回 / 365日(平均1.7回/週)

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チューヤさんの新着記事

1件〜30件

  • モフセン・マフマルバフ監督作品「カンダハール」(イラン、2001年)メモ

    「合地舜介の思い出シネマ館2」より再掲載■メモその1モフセン・マフマルバフ監督の「カンダハール」が、東京フィルメックス特別招待作品として、東京・朝日ホールで上映されたのを見た。カナダに移住したアフガニスタン女性ナファスが、カンダハールに住む妹からの手紙に込められた絶望を聞き取り、単身、アフガンに入...

  • 再掲載/]2013年1月11日 (金) 「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」7

    (前回からつづく)昭和初期から昭和10年代の日本という地方(=くに)の空模様は暗雲にすっぽりと覆(おお)われていても夜ともなれば蛙は必ず鳴きその声が水面を走って暗雲に迫るのです。夜が来ればというのは条件を意味しているのではなく夜は毎日必ず訪れるものですから必ず毎日蛙は鳴くということです。蛙が鳴...

  • 再掲載/2013年1月10日 (木) 「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」6

    (前回からつづく)「くに」が湿潤(しつじゅん)に過ぎるといった時に湿潤は天候のことを述べているのでないことは明白です。日本海型気候とか瀬戸内型気候などでいう湿潤ではありません。ではどのようなことを湿潤と言っているかといえば何にも言っていません。どうぞ自由勝手に想像してくださいと言っているような...

  • 再掲載/2013年1月 9日 (水) 「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」5

    (前回からつづく)第3、4連を読んでいてよし此の地方《くに》が、の地方をなぜ「くに」と読ませるのかくに(地方)が湿潤に過ぎる、とはどういう意味か疲れたる我等が心、の疲れたる我等とは誰のことか柱とは何の比喩か柱が乾く、とはどういう状態かなぜ、思われでなく、感《おも》われ、かなぜ、頭は重く、肩は凝る...

  • 再掲載/2013年1月 8日 (火) 「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」4

    (前回からつづく)昭和8年に蛙(の声)を続けて歌った詩人は最後4作目のQu'est-ce que c'est? で蛙の声を聞く時は、何かを僕はおもい出す。何か、何かを、おもいだす。――と、まだ十分に歌い切っていないかのように何か、何かと言い残しました。4年後の昭和12年にまた蛙声をモチーフに...

  • 再掲載/2013年1月 7日 (月) 「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」3

    (前回からつづく)「ノート翻訳詩」に書かれた「蛙声(郊外では)」(蛙等は月を見ない)(蛙等が、どんなに鳴こうと)(Qu'est-ce que c'est?)――は、みんな昭和8年(5月~8月)の制作と推定されていますから「在りし日の歌」の「蛙声」まで丸4年の歳月が流れたことになります。両者にどの...

  • 再掲載/2013年1月 6日 (日) 「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」2

    (前回からつづく)ガマガエルとか青蛙とか痩せた蛙とか――。中原中也の「蛙声」には動物としてのカエルのイメージはまったくありません。それはなぜでしょう。◇ここで寄り道になるようですが「ノート翻訳詩」(昭和5~8年)に書かれた詩「蛙声(郊外では)」(蛙等は月を見ない)(蛙等が、どんなに鳴こうと)(...

  • 再掲載/2013年1月 5日 (土) 「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」1

    「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」は昭和12年5月14日に作られ同年の「四季」7月号に発表されました。「四季」に発表されたとき末尾に制作日の記載があります。この頃、「在りし日の歌」の編集は急展開し詩集タイトルを「在りし日の歌」とすることやこの「蛙声」を最終詩とし「含羞(はじらい)」を詩集の冒頭詩と...

  • 再掲載/2013年1月 4日 (金) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」7

    (前回からつづく)「春日狂想」は全行が口語会話体で書かれていますが2の末行、まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、話をさせたら、でもうんざりか?それでも心をポーツとさせる、まことに、人生、花嫁御寮。――に現われるやんちゃな口ぶりは詩人の地(じ)が露わになったようでテンポ正しい散歩が...

  • 再掲載/2013年1月 2日 (水) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」6

    (前回からつづく)玩具の兵隊になったような毎日が日曜日のようなテンポ正しい散歩を続けている詩人はある時空に舞い上がるゴム風船を目撃しはかなさのようなものを感じ美しさを見ます。人生は短い一瞬の夢まるであのゴム風船のようだ美しいというほかに言いようがないものだ。愛児文也の死をも詩人はこのように受け...

  • 再掲載/2013年1月 1日 (火) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」5

    (前回からつづく)鎌倉らしき街を散歩中の詩人は神社の日向(日陰)知人飴売り爺々鳩地面草木苔参詣人ゴム風船茶店馬車電車……など次々と目に触れてくるものの一つ一つが取り立てて新鮮なものでもなければ取り立ててつまらないものでもないどうといったこともないお天気の1日で参詣人がゾロゾロ歩いていても腹が立たな...

  • 再掲載/2012年12月31日 (月) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」4

    (前回からつづく)「春日狂想」のコロスの合唱を思わせる《まことに人生、一瞬の夢、ゴム風船の、美しさかな。》――にある「まことに人生」という詩句は地の声の「まことに人生」に引き取られてまことに人生、花嫁御寮まことに、人生、花嫁御寮――と歌われる構造になっていることがわかってきます。2のこの後半部...

  • 再掲載/2012年12月30日 (日) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」3

    (前回からつづく)「春日狂想」の1は内容は強烈でありながら詩が詩人の心のうちを明らかにするという形の上では普通にはじめられていますが2の後半の《 》でくくられたまことに人生、一瞬の夢、ゴム風船の、美しさかな。――にさしかかって詩のその形(構造)に変質が生じています。この《 》の前に参詣人等...

  • 再掲載/2012年12月29日 (土) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」2

    「春日狂想」は「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」の前にあり「正午」に続いています。「永訣の秋」のラインアップをここで再度見ておきますとゆきてかえらぬ一つのメルヘン幻影あばずれ女の亭主が歌った言葉なき歌月夜の浜辺また来ん春……月の光 その一月の光 その二村の時計或る男の肖像冬の長門峡米子正午春日狂想...

  • 再掲載/2012年12月28日 (金) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」

    「永訣の秋」に採るためには「わかれの歌」でなければならない。内容は現在ではなく過去のものでなくてはならないということで「夏の夜の博覧会はかなしからずや」は採られなくて「また来ん春……」や「春日狂想」や「冬の長門峡」は選ばれました。愛児文也を追悼した詩「春日狂想」もこの流れに沿って読むことが可能にな...

  • 再掲載/2012年12月22日 (土) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」9

    (前回からつづく)「在りし日の歌」のとりわけ「永訣の秋」に「夏の夜の博覧会はかなしからずや」を採らなくて「また来ん春……」や「春日狂想」や「冬の長門峡」を選んだ理由が見えてきました。「夏の夜の博覧会はかなしからずや」をよーく味わっていればそれを理解できる気がしませんか?この詩を何度も何度も読ん...

  • 再掲載/2012年12月21日 (金) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」8

    (前回からつづく)中原中也は中村古峡療養所に入院中の一定期間に創作を禁じられていたのですがなにも書いてはならないという厳格な禁止期間はそう長くはなく特に後半期には詩篇さえ残していますから創作意欲は旺盛にあったものの療養に専念したといえることでしょう。◇昭和12年2月27日、鎌倉へ引っ越した日か...

  • 再掲載/2012年12月20日 (木) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」7

    (前回からつづく)「文也の一生」「夏の夜の博覧会はかなしからずや」「冬の長門峡」――をインクのペン書きから毛筆に変えて書いたのは特別な思いを込めたからに違いありません。このことは愛児文也の突然の死が詩人に与えた衝撃のすべてを物語るようです。毛筆で書くなどは前例がないものでしたし日記から詩へ詩か...

  • 再掲載/2012年12月19日 (水) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」6

    (前回からつづく)「文也の一生」は日記の8ページにわたって毛筆で書き付けられました。そして7月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。――と書いたところで途切れます。同じ毛筆で書かれたのが「夏の夜の博覧会はかなしからずや」でこ...

  • 再掲載/2012年12月18日 (火) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」5

    (前回からつづく)やや迂回(うかい)しますが「文也の一生」というタイトルのある「日記」を読んでみましょう。文也が死んだのは昭和11年11月10日でしたが翌々日の12日付けで届けられた香典の内訳をメモして以来途絶えていた日記が1か月後の12月12日付けで再開されます。再開されても年明けてすぐに療...

  • 再掲載/2012年12月17日 (月) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」4

    (前回からつづく)5次にわたる編集期は全集委員会が考えた便宜的な「期間区分」であって中原中也がいつからいつまでと期間を区切ったものではありません。創作や編集的な作業を禁じられていた療養中にですら「頭の中」には「在りし日の歌」の構想が進められていたかもしれないのにそれは表面に出てくることはありません...

  • 再掲載/2012年12月16日 (日) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」3

    (前回からつづく)昭和11年11月10日、長男文也が小児結核で死亡するという不幸に見舞われた詩人は悲嘆の底に沈み、精神に変調をきたしたため家人のはからいで千葉の中村古峡療養所へ入院したのは明けて昭和12年1月9日。1か月以上の療養の末、2月15日に退院し、2月27日に四谷・市谷の住まいを払い鎌倉の...

  • 再掲載/2012年12月15日 (土) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」2

    (前回からつづく)中原中也が第2詩集の編集をはじめたことを確定する具体的資料は実のところなんら残存しません。「山羊の歌」出版以後に詩人が著(あら)わした日記や書簡にも編集を開始したという明確な記述は見つかっていません。つまり全ては日記や書簡などを参考にして立てられた仮説です。日記、書簡は詩人本...

  • 再掲載/2012年12月14日 (金) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」

    「在りし日の歌」の編集はどのような経過で行われたか――。「永訣の秋」を集中して読んできて残すのは「また来ん春……」「春日狂想」「蛙声」の3作品というところにさしかかりました。「永訣の秋」の読みがフィニッシュ段階に入るということで「在りし日の歌」の編集が愛息・文也の死によって被(こうむ)ったある変...

  • 再掲載/2012年12月11日 (火) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」7

    (前回からつづく)中原中也が「現代と詩人」にさあさあ僕は、詩集を読もう。フランスの詩は、なかなかいいよ。――と記したとき念頭にあったのは真っ先にアルチュール・ランボーとポール・ベルレーヌの二人の詩人のはずでした。ほかにボードレールやラファルグやネルバルやデボルト=バルモールがいたとしてもこの二...

  • 再掲載/2012年12月10日 (月) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」6

    (前回からつづく)「言葉なき歌」の「あれ」に似ている使い方をされている詩がいくつかあることが分かっていますがそのうちの一つ「現代と詩人」を読んでみましょう。「新字・新かな」表記にしてあります。◇現代と詩人 何を読んでみても、何を聞いてみても、もはや世の中の見定めはつかぬ。私は詩を読み、詩を書く...

  • 再掲載/2012年12月 9日 (日) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」5

    (前回からつづく)「ランボウ詩集」の「後記」の後半部は中原中也のランボー論が展開されています。そして少しはベルレーヌ論も混ざっています。◇その中のはじめの部分のパイヤン(異教徒)の思想だ彼にとつて基督教とは、多分一牧歌感性的陶酔陶酔の全一性といふことが全ての全て悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発し...

  • 再掲載/2012年12月 8日 (土) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」4

    (前回からつづく)はじめに「芸術論覚え書」が書かれ次に「言葉なき歌」(第1次形態)が書かれその次に「ランボウ詩集」の後記が書かれた――というのが制作順序だったようですが「言葉なき歌」(第2次形態)は「在りし日の歌」の最終編集過程で若干の修正を経て選ばれたのですから「ランボウ詩集」の後記が書かれたの...

  • 再掲載/2012年12月 7日 (金) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」3

    (前回からつづく)「芸術論覚え書」は昭和9年(1934年)12月から翌10年3月に書かれたらしいことが分かっています。「山羊の歌」刊行後でこの期間に詩人は生地・山口に帰省中でした。内容は「名辞」「名辞以前」「現識」という概念を軸にした詩論であり硬軟の混ざった芸術論であり第一詩集をようやく発行しさ...

  • 再掲載/2012年12月 6日 (木) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」2

    (前回からつづく)「言葉なき歌」にはいくつかの指示代名詞や場所・方角を表わす名詞(句)・形容詞が使われ近くから遠くから本体(場所)に代わってその内容が指し示されますが本体の内容は具体的に示されるところまでいきません。「あれ」「ここ」(此処)「あすこ」「とおいい」(遠いい)「遙か」「彼方」「その方...

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