今年もよろしくお願いします。...
中原中也ファンのブログです。
およそ80年前の東京の街を孤独な魂は歩いた。その日の魂に見合う詩(うた)を探して…。その歌は2013年の今、数々の文庫として書店の棚にある。ポケットに歌を! さあ、中原中也の魂と会いに出かけよう!
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今年もよろしくお願いします。...
恍惚の鵯 ヒヨドリin ecstacy2 11月の初めの澄み渡った青空に忽然と現れた無数の金の珠がやっと赤黒いあんぽ柿みたいになったのは2023新年の初め ヒヨドリたちはいちはやくその変化を察知し誰よりも早く鈴なりの柿に飛びついた 結果、豆鉄砲を食らった鳩が脳天をやられ...
恍惚の鵯 ヒヨドリin ecstacy1 冬のアテネの街で粗末な衣服に身を包んだ哲人が日向ぼっこを楽しんでいた その頃東京郊外のとある病院の柿の巨木に鵯ヒヨドリの小群れが集合した ヒヨドリたちはいつになく興奮しているのが自動車の激しく行き来する道から見て取れた 鈴なり...
新年の朝新年の朝はいいなあといつも思います塵もホコリも一つもなくて空は真っ青で深くて底なし生きていてよかったと毎年思いますアテネの街の路地に日向ぼっこするディオゲネスを身近に感じ毎年思い出しますアレクサンドロスに小春日の幸せを邪魔しないように注文したディオゲネスとぴったりシンクロします毎年毎...
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今年はブログに力を注ぎたく頑張ります。背伸びしないで、続けようと努力します。...
今年は、なんとかブログ再開に漕ぎつけようと頑張ります。...
「合地舜介の思い出シネマ館2」より再掲載■メモその1モフセン・マフマルバフ監督の「カンダハール」が、東京フィルメックス特別招待作品として、東京・朝日ホールで上映されたのを見た。カナダに移住したアフガニスタン女性ナファスが、カンダハールに住む妹からの手紙に込められた絶望を聞き取り、単身、アフガンに入...
「合地舜介の思い出シネマ館2」より再掲載■メモその1モフセン・マフマルバフ監督の「カンダハール」が、東京フィルメックス特別招待作品として、東京・朝日ホールで上映されたのを見た。カナダに移住したアフガニスタン女性ナファスが、カンダハールに住む妹からの手紙に込められた絶望を聞き取り、単身、アフガンに入...
(前回からつづく)昭和初期から昭和10年代の日本という地方(=くに)の空模様は暗雲にすっぽりと覆(おお)われていても夜ともなれば蛙は必ず鳴きその声が水面を走って暗雲に迫るのです。夜が来ればというのは条件を意味しているのではなく夜は毎日必ず訪れるものですから必ず毎日蛙は鳴くということです。蛙が鳴...
(前回からつづく)「くに」が湿潤(しつじゅん)に過ぎるといった時に湿潤は天候のことを述べているのでないことは明白です。日本海型気候とか瀬戸内型気候などでいう湿潤ではありません。ではどのようなことを湿潤と言っているかといえば何にも言っていません。どうぞ自由勝手に想像してくださいと言っているような...
(前回からつづく)第3、4連を読んでいてよし此の地方《くに》が、の地方をなぜ「くに」と読ませるのかくに(地方)が湿潤に過ぎる、とはどういう意味か疲れたる我等が心、の疲れたる我等とは誰のことか柱とは何の比喩か柱が乾く、とはどういう状態かなぜ、思われでなく、感《おも》われ、かなぜ、頭は重く、肩は凝る...
(前回からつづく)昭和8年に蛙(の声)を続けて歌った詩人は最後4作目のQu'est-ce que c'est? で蛙の声を聞く時は、何かを僕はおもい出す。何か、何かを、おもいだす。――と、まだ十分に歌い切っていないかのように何か、何かと言い残しました。4年後の昭和12年にまた蛙声をモチーフに...
(前回からつづく)「ノート翻訳詩」に書かれた「蛙声(郊外では)」(蛙等は月を見ない)(蛙等が、どんなに鳴こうと)(Qu'est-ce que c'est?)――は、みんな昭和8年(5月~8月)の制作と推定されていますから「在りし日の歌」の「蛙声」まで丸4年の歳月が流れたことになります。両者にどの...
(前回からつづく)ガマガエルとか青蛙とか痩せた蛙とか――。中原中也の「蛙声」には動物としてのカエルのイメージはまったくありません。それはなぜでしょう。◇ここで寄り道になるようですが「ノート翻訳詩」(昭和5~8年)に書かれた詩「蛙声(郊外では)」(蛙等は月を見ない)(蛙等が、どんなに鳴こうと)(...
「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」は昭和12年5月14日に作られ同年の「四季」7月号に発表されました。「四季」に発表されたとき末尾に制作日の記載があります。この頃、「在りし日の歌」の編集は急展開し詩集タイトルを「在りし日の歌」とすることやこの「蛙声」を最終詩とし「含羞(はじらい)」を詩集の冒頭詩と...
(前回からつづく)「春日狂想」は全行が口語会話体で書かれていますが2の末行、まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、話をさせたら、でもうんざりか?それでも心をポーツとさせる、まことに、人生、花嫁御寮。――に現われるやんちゃな口ぶりは詩人の地(じ)が露わになったようでテンポ正しい散歩が...
(前回からつづく)玩具の兵隊になったような毎日が日曜日のようなテンポ正しい散歩を続けている詩人はある時空に舞い上がるゴム風船を目撃しはかなさのようなものを感じ美しさを見ます。人生は短い一瞬の夢まるであのゴム風船のようだ美しいというほかに言いようがないものだ。愛児文也の死をも詩人はこのように受け...
(前回からつづく)鎌倉らしき街を散歩中の詩人は神社の日向(日陰)知人飴売り爺々鳩地面草木苔参詣人ゴム風船茶店馬車電車……など次々と目に触れてくるものの一つ一つが取り立てて新鮮なものでもなければ取り立ててつまらないものでもないどうといったこともないお天気の1日で参詣人がゾロゾロ歩いていても腹が立たな...
(前回からつづく)「春日狂想」のコロスの合唱を思わせる《まことに人生、一瞬の夢、ゴム風船の、美しさかな。》――にある「まことに人生」という詩句は地の声の「まことに人生」に引き取られてまことに人生、花嫁御寮まことに、人生、花嫁御寮――と歌われる構造になっていることがわかってきます。2のこの後半部...
恍惚の鵯 ヒヨドリin ecstacy2 11月の初めの澄み渡った青空に忽然と現れた無数の金の珠がやっと赤黒いあんぽ柿みたいになったのは2023新年の初め ヒヨドリたちはいちはやくその変化を察知し誰よりも早く鈴なりの柿に飛びついた 結果、豆鉄砲を食らった鳩が脳天をやられ...
恍惚の鵯 ヒヨドリin ecstacy1 冬のアテネの街で粗末な衣服に身を包んだ哲人が日向ぼっこを楽しんでいた その頃東京郊外のとある病院の柿の巨木に鵯ヒヨドリの小群れが集合した ヒヨドリたちはいつになく興奮しているのが自動車の激しく行き来する道から見て取れた 鈴なり...
新年の朝新年の朝はいいなあといつも思います塵もホコリも一つもなくて空は真っ青で深くて底なし生きていてよかったと毎年思いますアテネの街の路地に日向ぼっこするディオゲネスを身近に感じ毎年思い出しますアレクサンドロスに小春日の幸せを邪魔しないように注文したディオゲネスとぴったりシンクロします毎年毎...
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今年はブログに力を注ぎたく頑張ります。背伸びしないで、続けようと努力します。...
今年は、なんとかブログ再開に漕ぎつけようと頑張ります。...