10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
与謝野晶子松の幹泣ける女の目の色すその島かこむ初秋の水用事の無い土曜日朝と夕方に新聞を取りに外に出ただけで、外には一歩も出なかった手帳に出ていた10月の主な行事達磨忌、宇治茶祭り、時代祭り、後の月、江月忌、風炉の名残り10月の銘秋晴、嵐山、雲錦、小倉山、唐錦、桐一葉、錦秋、残菊、鹿の声、柴舟、千声、手向山、豊穣、豊年、群雀、山里、山紅葉、夜長、侘の友、蓑虫、浅茅、薄柿、白菊、晩鐘、鈴の音、柴の戸、金風、竜田姫、木守、烏羽玉、秋時雨、秋思、星月夜、豆名月、秋風、渡り鳥、秋高し、誓文払、芦刈、暮の秋、松風、夜寒、松琴、浦里、薄紅葉、菊日和、小柴垣、神楽歌、紅葉狩、鬼無里、夕霧、かちぐり写真は伽羅のお線香最近はちゃんと仏さんにお経を上げる初秋の水
寺にねて誠がほなる月見哉芭蕉今日は金曜日いつまでも暑いまだクーラーを入れないと暑い写真は日比野白圭の「雁の図」日比野白圭とは1825~1914日本画家。名古屋の人。名は斎、通称は金吾。別号に竹翁・鳳声居など。中林竹洞や森高雅など様々な門に入り、画を学んだ。門人に森村宜稲などがいる。大正3年(1914)歿、90才とんと雁など見ることはなくなっただいたい空を見上げる事がない今日は十五夜誠がほなる月見哉
何着てもうつくしうなる月見哉千代女明日は十五夜今日は小望月そして木曜稽古さて何を掛けるか筆者は不明だが古今和歌集の大伴黒主のうた思い出でて恋しき時は初雁の鳴きてわたると人知るらめや大伴黒主は六歌仙の一人六歌仙は平安初期の六人の和歌の名人。在原業平・僧正遍昭・喜撰法師・大伴黒主・文屋康秀・小野小町。大伴黒主は生没年不明?-?平安時代前期の歌人,官吏。六歌仙のひとりとして「古今和歌集」の序でその歌風が紹介されている。歌はそのほか「後撰和歌集」「拾遺和歌集」などに収録されている。貞観4年(862)近江滋賀郡の長官として,園城寺別当に円珍を任じたい旨を国司に要請した。名は別に志賀黒主。うつくしうなる月見哉
盃の下ゆく菊や朽木盆クチキボン秋の五島美術館の茶会の案内がきたその五島美術館のマークは虫食いの模様朽木紋様だ国宝「紫式部日記絵巻」に描かれた几帳に朽木紋様があるらしい。朽木文様は腐食したり虫に食われたりした古木をかたどった有職文様。平安時代に流行り人気だったその朽木文様をデザイン化したと。60年に完成した館の内装にも使われていた。寝殿造りをイメージした平屋のロビーの光天井にほのかに浮かび上がる。五島美術館の茶の美友の会今回は日程が会わず行けない今日は一年に一度膝の手術を受けた病院に行く日右膝は五年前左膝は四年前手術して人工関節になった左は調子がよいが右は今も時々痛くなる先生が右膝をぐらぐら動かすはい。大丈夫。しっかりしてる。また一年後ねはい。お願いいたします。盃の下
よみ人しらずなでしこの花ちりかたになりにけりわがまつ秋ぞ近くなるらし今日はお茶碗研究会高麗象嵌青磁から三島、刷毛目、粉引、無地ハケメまで勉強した高麗青磁は字面から高麗の青磁だろうとなんとなく理解できるが三島とか無地ハケメこれから勉強する井戸やソバ又熊川や御本など文字もなんと読めば正解かそしてその茶碗はいったいどのようなものか習わなければわからない焼物の事は普通は学校では教えてくれないから各自勉強しないと知るべくもない国宝と言われる茶碗がある国焼では二碗ひとつは光悦の楽茶碗「不二山」もうひとつは志野の「卯花墻ウノハナガキ」また中国で焼かれた曜変天目茶碗が三碗油滴天目、玳玻天目茶碗と韓国で焼かれた井戸茶碗「喜左衛門キザエモン」国宝は八碗のみ先生の講義を受けたり、本を読んだりするばかりか茶会や美術館での鑑賞...わがまつ秋ぞ近くなるらし
曼珠沙花門前の秋風紅一点漱石曼珠沙華は梵語で「赤花」を表すそしてヒガンバナのことだ多年生で、地下に鱗茎(りんけい)を有す薬用には鱗茎を用う生薬名は「石蒜(せきさん)」鱗茎にはリコリンやガランタミンなどのアルカロイドを含み、鎮咳去痰や鎮痛、降圧、催吐などの薬理作用がありこの石蒜から得られたエキスは、別名を白色濃厚セキサノールと、市販の鎮咳薬に配合されているとのこと。ただヒガンバナのアルカロイドは作用が激しく、一般的には毒草として取り扱われ、暗いイメージの多くの別名を持つ。わが庭にもいつもなら毎年秋に咲くのだがことしはまだ出てない今日は日曜日近くのコンビニに行ったお金を払う段に財布がバックの奥に入ってしまいなかなか出てこないレジには感じの悪いと噂の店長が立っている財布がでないのでカードを出したらクレジットです...門前の秋風
二つ三つ十とつもらぬむくげ哉千代女今日は土曜日最近は朝早く起きるので夜更かしは殆どできない朝は5時半頃起きて眠るのは夜9時とか10時とかには横になっている一眠りすると一度目が覚めるまだ11時半のときもあるが丑三つ時にも目が覚める「丑三つ時」とは、午前2時~午前2時30分昔は一日を十二支で分けていたのでひとつの干支はそれぞれ二時間その二時間を「一つ時」「二つ時」「三つ時」「四つ時」の四つに分けていたから「丑三つ時」は丑の刻を四つに分けた三番のことつまり午前2時から2時30分までとなるようだ木曜稽古のアイテラ氏が持ってきてくれた木槿と高砂芙蓉水屋の花溜めに静かに咲いていた二つ三つ
和泉式部たのめなる人はなけれど秋の夜は月みで寝べき心ちこそせね今日は木曜稽古掛物は懐紙題は海上雲遠筆者は大江広海おおえひろみ江戸後期の国学者。越後五泉生。通称復蔵・靱負、字は師龍・景迹、名は匡道、号は檉園・健斎・謙斎等。村田春海門人。歌文を能くし、のち一家を成す。江戸・京都に住した。天保5年(1834)歿、66才。秋の夜は
夏目漱石こうろげの飛ぶや木魚の声の下こうろげ→コオロギのこと今日は水曜稽古お弟子様のだちこさんがお料理を持参し振る舞ってくれたお茶のお稽古の合間に午後の部の四名と点心を頂戴したお昼は食べて来たばかりのはずでも皆、難なくお腹にはいったもよう美味しくて嬉しいね写真は縁高に料理を盛り込んだ栗ご飯の物相白和えおくらえびぶり茄子の田楽万願寺唐辛子またお願いねこうろげの
声澄みて北斗にひびく砧かな芭蕉砧キヌタとは木槌で布を和らげるために棒や杵などで打つ台をいう。麻・葛などの繊維はかたいので、打って和らげる。女性の夜なべ仕事とされた。秋の夜長、遠くに聞こえるその音はもののあわれを誘う。碪打ちて我に聞かせよや坊が妻芭蕉「野ざらし紀行」針立や肩に槌うつから衣芭蕉「江戸新道」猿引は猿の小袖をきぬた哉芭蕉「猿舞師」声澄みて
寂蓮わが庵はみやこの乾イヌイ住みわびぬ憂き世のさかと思ひなせども乾は北西今日はお弟子様のサカチカさんちでお茶事待合は森村冝稲の薄に月の画森村冝稲もりむらよしね1872-1938明治4年12月26日愛知生まれ。昭和13年10月4日死去。68歳。明治-昭和の日本画家。幼名は悌二。号は雲峰,稲香村舎。木村金秋や日比野白圭にやまと絵を学ぶ。大正元年文展に初入選,文展,帝展を中心に活躍。子は冝永。本席は寂蓮筆の青木切れ寂蓮は寂蓮じゃくれん保延五年頃~建仁二年1139頃~1202平安最末期から鎌倉前期にかけての歌人。僧侶。俗名は藤原定長さだなが父は俊成の兄弟、醍醐寺阿闍梨俊海。俊成の養子となり、のちに出家。「新古今和歌集」の撰者の一人となったが、撰なかばで没。優艷で技巧的な歌風。狂歌も得意だった。家集に「寂蓮法師集」...わが庵はみやこの乾イヌイ
雲折おり人をやすむる月見哉芭蕉今日は日曜日どこへも出かける用事はない日曜は楽しみのテレビがある新日曜美術館サンデージャポン大河ドラマとTBS日曜劇場今日は最終回楽しみ雲おりおり
三井寺の門たたかばやけふの月芭蕉三井寺には二回しか行ってないがまた行きたいお寺のひとつだ今日は文の会待ち合わせは久しぶりにいつもの中華屋ネギそばとチャーハンのランチそれと酢豚のランチランチには卵スープとお豆腐それに杏仁豆腐が付くそれを倍さまとシェアする生ビールを頼んで乾杯でも、シェアした写真が上手く取れなかった。考えて撮らないと駄目だった今日は伊勢物語六十九段「狩の使い」から読み始めた狩の使いとは平安時代、11月の五節のときなどに、朝廷用の鳥獣を狩るために諸国に遣わされた使者。諸院・宮家からも派遣されたが、のちには禁止された。とのことこの段は割りと長い段有名なだんでもあるらしく入試などに出るようだ二人で読み下しも読んだが難しいまあ何だか分からなくとも原文で読むことくじけず続けることに意味があると思ってる三井寺の門
良寛秋の野ににほひて咲ける藤袴折りておくらん其の人なしに昔の本をみていたらS先生の随筆が掲載されていた題は「寂びもの」写真は小森松庵の耳付花入焼き締めのものは、ことさら侘びた道具とされ、小間席の濃茶にふさわしい。とまた茶の湯は日常の生活の中に生かされるものであると同時に、その日常性を超えて美につながり、芸術に昇華する。と書かれてる最近、通りすぎた時間を懐かしいと思う、ぼーっとした時間が増えた今もぼーっとテレビを観ていたら「不安って何」チコちゃんに叱られるのテレビでの質問その答えは「人類誕生から備わっている、生き抜く為の武器」と。不安なとき「私はワクワクしている」と声に出して、体をキビキビ変な風に身体を動かして楽しいのだと脳をだますのだそうだ「ワクワクしてる」「ばたばた動く」やってみよう秋の野ににほひて咲ける藤袴
小野小町たれをかもまつちの山の女郎花秋をちぎれる人ぞあるらし今日は木曜稽古午前中二名午後一名夜一名お休みがありちょっと寂しい感じ何日か前にお弟子様からの案内あり三渓園の茶会に申込んだ。10/28の土曜日会費は35,000円令和5年10/28(土)三渓園の茶会。[三渓園完成茶会から100年]記念の茶会。原三渓ゆかりの名品茶道具も。大正12年1923に三渓園にて「大師会茶会」が開催されその記念茶会茶会の主催、公益財団法人三渓園保持会共催、東京美術青年会後援、東京美術商協同組合茶席は①9:30~可②10:30~可③11:30~満員④12:30~可⑤13:30~可⑥14:30~可各席15名濃茶-席春草盧、薄茶-臨春郭閣、点心-白雲邸会費は35,000円申込みは三渓園へ10時から。電話は045-621-0635との...まつちの山の女郎花
日は斜関屋の鎗にとんぼかな蕪村今日は水曜稽古阪正臣の自画賛を掛けた阪正臣バンマサオミ安政2年3月23日(1855年5月9日)~昭和6年(1931年)8月25日)歌人。書家。古筆研究家。宮内省御歌所寄人。現在の愛知県名古屋市生まれ。正四位勲三等。幼名、政之介、字は従叟、号は茅田、観石、桃坪など、居を樅屋と称す。関屋の鎗
西行道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ今日は東麻布へそれから中目黒想窓庵さまとランチご馳走になってしまったそれから上野毛五島美術館[館蔵]秋の優品展白・黒・モノクローム2023年8月26日[土]―10月15日[日]長次郎黒楽銘千声長次郎赤楽銘夕暮光悦赤楽銘十王のんこう黒楽銘三番叟瀬戸黒銘武蔵坊伯庵茶碗銘冬木志野茶碗銘梅が香黄瀬戸茶碗銘柳かげ最後は地元のドコモショップ携帯の機種変完了忙しかった写真はランチのメインのお肉の皿サラダにスープが付いてメインの肉か魚最後に小さなチーズケーキ珈琲付美味しかったご馳走さまでした清水流るる柳かげ
虫売のかごとがましき朝寝哉蕪村かごとがましきかごと‐がまし・い【託言カゴトがましい】1恨み嘆いて言うようすがありありと感じられる。ぐちめいている。2言いわけがましい。「つれづれとわが泣き暮す夏の日を―・しき虫の声かな」〈源・幻今日は○○研究会寂蓮のお勉強じゃくれん(1139ころ―1202)平安後期・鎌倉初期の歌人。本名藤原定長。父は醍醐寺の阿闍梨俊海。父の出家後、藤原俊成の養子となった。のち辞して出家。西行に倣い諸国行脚をする。歌人としても活躍した。御子左家の一員として九条家歌壇に属していたが、後鳥羽院による新古今歌壇形成とともに、活躍はさらに目覚ましく、1201年(建仁1)和歌所寄人に、ついで『新古今和歌集』の撰者に選ばれたが、翌年没し、選歌は上進していない。「六百番歌合」のおりの六条家の顕昭との論争...かごとがまし
よみ人しらず松虫のはつこゑさそふ秋風はおとは山よりふきそめにけり今日は朝日カルチャーへ烏丸切烏丸光広(1579-1638年)が所蔵していたことからか。「右近切」とも言う。烏丸切は後撰集の断簡。烏丸光宏広(1579-1638年)が所蔵していたことからか。「右近切」とも。胡蝶装の冊子本。料紙は、小さい飛雲紙。表裏両面に金銀の砂子。縦20.8cm横16.8cm。歌一首2行。出かけた帰りは買い物両手両肩に荷物を掛けて帰る携帯を新しいのに変えた初期化などドコモに頼むピカピカのスマホは気持ち良い松虫の初声さそふ
藤原定家しのぶ山裾野のすすきいかばかり秋のさかりを思ひわぶらむ今日は金曜日病院の予約をしてあったが台風の影響で大雨が降るとか朝は雨強しとてもとても出掛けていく気にはなれないキャンセルして家でのんびり食べて寝る1日だった裾野のすすきいかばかり
野分して盥タライに雨を聞夜哉芭蕉の‐わき【野分】(野の草を分けて吹き通る風の意)二百十日、二百二十日前後に吹く暴風。また、ひろく秋から冬にかけて吹く強い風をいうこともある。今日は木曜稽古台風が来てる9月の台風は大きいというから心配写真は先週金曜日の食事会ふくもとの写真雨を聞夜
日野資枝ヒノスケキいにしえをわすれぬ月や野々宮の秋にとひきてひとりすむらむの‐の‐みや【野宮】皇女や女王が斎宮・斎院になるとき、潔斎のため1年間こもった仮の宮殿。斎宮のものは嵯峨、斎院のものは紫野に設けた。野宮【ののみや】能の曲目。鬘物(かつらもの)。五流現行。世阿弥作か。秋の夜,六条の御息所の霊魂が嵯峨野の野宮の旧跡に現れ,光源氏との恋の喜びや悲しみを回想する。夢幻能の代表作とされる今日は水曜稽古9月になるとこの軸を掛けたくなるいにしえを忘れぬ月や
秋かぜのうごかして行案山子哉カカシカナ芭蕉今日は読売カルチャー茶話指月集お昼に終わって今日はまっすぐ区役所へ新しい保険証が着き古い保険証を破棄確認したのだが切ったのは新しい保険証仕方なく再発行に来た区役所は整理番号を取って呼ばれるのを待つ私の番号の次の人はお弟子様の古志ちゃんでびっくり70才を過ぎるとバスや地下鉄が無料になるという73才になってるのになぜか私は持ってないので聞いてみたところ今月申込めば10月からの老人のバス乗車証が来ると負担額を区役所にある銀行で支払いその後ロビーを通って帰る途中催し物をチラチラ見てるとマイナポイントのお手伝いをしてくれると丁度マイナンバーも保険証も持ってる待ち時間なしで簡単に手続き完了やりかけの事のいくつかは済んだ茶話指月集に庭を掃除している者に「蜘蛛の巣一つは残しておい...案山子哉カカシカナ
藤原定家秋の夜は雲地をわくるかりがねのあとかたもなく物ぞかなしき短歌をつくることを令和四年の師走に短歌の先生がなくなって一首も詠んでいない平成六年(1992)三月から令和四年(2022)まで30年間添削をしていただいた村雨庵短歌二首「弱法師ヨロボシ」を謡うわが声折りたたむ螺鈿の卓の足軋むごとR3.7.13雨戸閉め明かりもつけぬ床の間の軸の金蘭ひそかに煌めく2021.5.11写真はうちの庭秋の夜は
源実朝きのふこそ夏は暮れしか朝戸出アサトデの衣手さむし秋の初風朝戸出アサトデ→朝、戸を開けて外に出ること。朝、外出すること。⇔夜戸出 (よとで) 。知らない言葉だった[問]たばこ盆を置くのはどういう意味ですかこの問いの答「莨」タバコとは香りの良い草の意味で濃茶での緊張感を和らげ雰囲気を変え「お気楽にどうぞ」という写真今日は日曜日はとこのトシコちゃんが崎陽軒のシュウマイ弁当を持ってお昼前にピンポンすごい勢いで茶の間に突入相変わらず元気だ羽織で作ったという和風花柄の素敵なブラウスに手作りのバック今年は傘寿とずっと隣に住んでいたが土地を処分して何年前に引越したたまに会う親戚お弁当を三人でむしゃむしゃ完食そのあとは葡萄と梨食べて珈琲にクッキー後の事は忘れて食べる朝戸出の
藤原定家荻の葉にかはりし風の秋のこゑやがて野分の露くだくなり藤原良経フジワラノヨシツネ嘉応元~建永元年(1169~1206)鎌倉前期の公卿・歌人。忠通の孫で、九条兼実の子。従一位摂政太政大臣に至り、後京極摂政、中御門殿と称された。藤原俊成・定家を後援し、新古今調樹立の基礎を築く多くの歌合を主催して、歌壇の育成に貢献した。「新古今和歌集」の仮名序を執筆し、巻頭歌の作者ともなった。書道にもすぐれて後京極様といわれた。九条良経。今日は朝日カルチャーくずし字の読み方読めない文字があった漢数字の二なのだが漢数字の「二」は普通「弐」と書くと思っていたところが正解を聞くと「貮」を草書で書いたもので全く読めなかった写真はその貮の草書実際はもっと崩れてた戈に二戈に貝いずれも「二」だとか勉強になったがすぐ忘れるので書いてお...秋のこゑ
下露の小はぎがもとや蓼の花蕪村今日は食事会無花果の揚出し口取は山芋寄せ新銀杏鴨ロースサーモン酢はすシンジョ枝豆アワビチーズ博多ヤマモモなますハモと早松茸の土瓶蒸しお造りは焙りノドグロ鮪トロ伊勢海老ホタテ雲丹つまは大葉山葵黄菊むらめ酢橘より人参夏野菜の冷製子持鮎塩焼蓼酢ご飯みそ汁香の物お菓子は金団のこぼれ萩小はぎがもとや
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
短夜のともし火残る御堂哉子規今日は山の誕生日会場所は東京駅すぐのpommed'Adamポムダダン丸ノ内ホテルの八階外の景色はすこぶる良い珈琲のあとプレゼントも交換してないし喋り足りないし少し歩いてパレスホテルへ珈琲を注文して御祝を渡してお菓子などの物々交換今日のお料理などのお喋り次は11月今度はイタリアンが良いと言うことになった短夜のともし火残る
大伴旅人橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き今日は跡見の茶事水屋は大したことをしないが私めは一応水屋担当茶会には7種類の方式がある茶事七式という暁の茶事、朝の茶事正午の茶事夜咄の茶事不時フジの茶事飯後ハンゴの茶事跡見アトミの茶事今日はその跡見茶事朝茶事または正午茶事の後引き続き行なうまたは日時をかえて行う茶事参会できなかった招待者や当日招待されなかった人々の申込みにより茶事の趣向や道具を使って披露ただし懐石は同様にせずその時々で考慮する融通無碍な茶事だ下記は2016/3/5の拙ブログの記事跡見の時知らせの鳴り物うたぬ事なり鳴らさぬように客は早くはいる濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶立ち炭をしても良い中立なくば諸荘又は濃茶の後花を軸に買えてもよし軸の所望をしても良い茶の順などは決まってなく薄...たちばなの花散里
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会
昨日は水曜稽古だがブログも書けずねてしまった木曜稽古松波資之のほととぎすの和歌を掛ける湖遠郭公遊山から崎のまつとはなしにほととぎすききつるばかりうれしきはなし松波資之マツナミスケユキ1831*-1906幕末-明治時代の歌人。天保元年12月19日生まれ。安芸広島の商人岡田集介の次男。京都徳大寺家につかえ,のち北面の武士松波家の養子となる。香川景樹にまなび,景樹没後はその子の景恒をたすけて東塢塾を主宰。維新後は皇太后宮の内舎人ウドネリ,雑掌をつとめた。明治39年9月13日死去。77歳。通称は直三郎,大学大允。号は遊山,随所。歌集に「花仙堂家集」。(日本人名大辞典ヨリ)唐崎というと近江八景の「唐崎夜雨」を思い浮かべる唐崎は『万葉集』の「さざなみの志賀の辛崎幸あれど大宮人の船待ちかねつ」『蜻蛉日記』では都人が唐...唐崎夜雨