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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

その他趣味ブログ / 茶の湯・茶道

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村雨庵
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2009/04/21

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  • 初秋の水

    与謝野晶子松の幹泣ける女の目の色すその島かこむ初秋の水用事の無い土曜日朝と夕方に新聞を取りに外に出ただけで、外には一歩も出なかった手帳に出ていた10月の主な行事達磨忌、宇治茶祭り、時代祭り、後の月、江月忌、風炉の名残り10月の銘秋晴、嵐山、雲錦、小倉山、唐錦、桐一葉、錦秋、残菊、鹿の声、柴舟、千声、手向山、豊穣、豊年、群雀、山里、山紅葉、夜長、侘の友、蓑虫、浅茅、薄柿、白菊、晩鐘、鈴の音、柴の戸、金風、竜田姫、木守、烏羽玉、秋時雨、秋思、星月夜、豆名月、秋風、渡り鳥、秋高し、誓文払、芦刈、暮の秋、松風、夜寒、松琴、浦里、薄紅葉、菊日和、小柴垣、神楽歌、紅葉狩、鬼無里、夕霧、かちぐり写真は伽羅のお線香最近はちゃんと仏さんにお経を上げる初秋の水

  • 誠がほなる月見哉

    寺にねて誠がほなる月見哉芭蕉今日は金曜日いつまでも暑いまだクーラーを入れないと暑い写真は日比野白圭の「雁の図」日比野白圭とは1825~1914日本画家。名古屋の人。名は斎、通称は金吾。別号に竹翁・鳳声居など。中林竹洞や森高雅など様々な門に入り、画を学んだ。門人に森村宜稲などがいる。大正3年(1914)歿、90才とんと雁など見ることはなくなっただいたい空を見上げる事がない今日は十五夜誠がほなる月見哉

  • うつくしうなる月見哉

    何着てもうつくしうなる月見哉千代女明日は十五夜今日は小望月そして木曜稽古さて何を掛けるか筆者は不明だが古今和歌集の大伴黒主のうた思い出でて恋しき時は初雁の鳴きてわたると人知るらめや大伴黒主は六歌仙の一人六歌仙は平安初期の六人の和歌の名人。在原業平・僧正遍昭・喜撰法師・大伴黒主・文屋康秀・小野小町。大伴黒主は生没年不明?-?平安時代前期の歌人,官吏。六歌仙のひとりとして「古今和歌集」の序でその歌風が紹介されている。歌はそのほか「後撰和歌集」「拾遺和歌集」などに収録されている。貞観4年(862)近江滋賀郡の長官として,園城寺別当に円珍を任じたい旨を国司に要請した。名は別に志賀黒主。うつくしうなる月見哉

  • 盃の下

    盃の下ゆく菊や朽木盆クチキボン秋の五島美術館の茶会の案内がきたその五島美術館のマークは虫食いの模様朽木紋様だ国宝「紫式部日記絵巻」に描かれた几帳に朽木紋様があるらしい。朽木文様は腐食したり虫に食われたりした古木をかたどった有職文様。平安時代に流行り人気だったその朽木文様をデザイン化したと。60年に完成した館の内装にも使われていた。寝殿造りをイメージした平屋のロビーの光天井にほのかに浮かび上がる。五島美術館の茶の美友の会今回は日程が会わず行けない今日は一年に一度膝の手術を受けた病院に行く日右膝は五年前左膝は四年前手術して人工関節になった左は調子がよいが右は今も時々痛くなる先生が右膝をぐらぐら動かすはい。大丈夫。しっかりしてる。また一年後ねはい。お願いいたします。盃の下

  • わがまつ秋ぞ近くなるらし

    よみ人しらずなでしこの花ちりかたになりにけりわがまつ秋ぞ近くなるらし今日はお茶碗研究会高麗象嵌青磁から三島、刷毛目、粉引、無地ハケメまで勉強した高麗青磁は字面から高麗の青磁だろうとなんとなく理解できるが三島とか無地ハケメこれから勉強する井戸やソバ又熊川や御本など文字もなんと読めば正解かそしてその茶碗はいったいどのようなものか習わなければわからない焼物の事は普通は学校では教えてくれないから各自勉強しないと知るべくもない国宝と言われる茶碗がある国焼では二碗ひとつは光悦の楽茶碗「不二山」もうひとつは志野の「卯花墻ウノハナガキ」また中国で焼かれた曜変天目茶碗が三碗油滴天目、玳玻天目茶碗と韓国で焼かれた井戸茶碗「喜左衛門キザエモン」国宝は八碗のみ先生の講義を受けたり、本を読んだりするばかりか茶会や美術館での鑑賞...わがまつ秋ぞ近くなるらし

  • 門前の秋風

    曼珠沙花門前の秋風紅一点漱石曼珠沙華は梵語で「赤花」を表すそしてヒガンバナのことだ多年生で、地下に鱗茎(りんけい)を有す薬用には鱗茎を用う生薬名は「石蒜(せきさん)」鱗茎にはリコリンやガランタミンなどのアルカロイドを含み、鎮咳去痰や鎮痛、降圧、催吐などの薬理作用がありこの石蒜から得られたエキスは、別名を白色濃厚セキサノールと、市販の鎮咳薬に配合されているとのこと。ただヒガンバナのアルカロイドは作用が激しく、一般的には毒草として取り扱われ、暗いイメージの多くの別名を持つ。わが庭にもいつもなら毎年秋に咲くのだがことしはまだ出てない今日は日曜日近くのコンビニに行ったお金を払う段に財布がバックの奥に入ってしまいなかなか出てこないレジには感じの悪いと噂の店長が立っている財布がでないのでカードを出したらクレジットです...門前の秋風

  • 二つ三つ

    二つ三つ十とつもらぬむくげ哉千代女今日は土曜日最近は朝早く起きるので夜更かしは殆どできない朝は5時半頃起きて眠るのは夜9時とか10時とかには横になっている一眠りすると一度目が覚めるまだ11時半のときもあるが丑三つ時にも目が覚める「丑三つ時」とは、午前2時~午前2時30分昔は一日を十二支で分けていたのでひとつの干支はそれぞれ二時間その二時間を「一つ時」「二つ時」「三つ時」「四つ時」の四つに分けていたから「丑三つ時」は丑の刻を四つに分けた三番のことつまり午前2時から2時30分までとなるようだ木曜稽古のアイテラ氏が持ってきてくれた木槿と高砂芙蓉水屋の花溜めに静かに咲いていた二つ三つ

  • 秋の夜は

    和泉式部たのめなる人はなけれど秋の夜は月みで寝べき心ちこそせね今日は木曜稽古掛物は懐紙題は海上雲遠筆者は大江広海おおえひろみ江戸後期の国学者。越後五泉生。通称復蔵・靱負、字は師龍・景迹、名は匡道、号は檉園・健斎・謙斎等。村田春海門人。歌文を能くし、のち一家を成す。江戸・京都に住した。天保5年(1834)歿、66才。秋の夜は

  • こうろげの

    夏目漱石こうろげの飛ぶや木魚の声の下こうろげ→コオロギのこと今日は水曜稽古お弟子様のだちこさんがお料理を持参し振る舞ってくれたお茶のお稽古の合間に午後の部の四名と点心を頂戴したお昼は食べて来たばかりのはずでも皆、難なくお腹にはいったもよう美味しくて嬉しいね写真は縁高に料理を盛り込んだ栗ご飯の物相白和えおくらえびぶり茄子の田楽万願寺唐辛子またお願いねこうろげの

  • 声澄みて

    声澄みて北斗にひびく砧かな芭蕉砧キヌタとは木槌で布を和らげるために棒や杵などで打つ台をいう。麻・葛などの繊維はかたいので、打って和らげる。女性の夜なべ仕事とされた。秋の夜長、遠くに聞こえるその音はもののあわれを誘う。碪打ちて我に聞かせよや坊が妻芭蕉「野ざらし紀行」針立や肩に槌うつから衣芭蕉「江戸新道」猿引は猿の小袖をきぬた哉芭蕉「猿舞師」声澄みて

  • わが庵はみやこの乾イヌイ

    寂蓮わが庵はみやこの乾イヌイ住みわびぬ憂き世のさかと思ひなせども乾は北西今日はお弟子様のサカチカさんちでお茶事待合は森村冝稲の薄に月の画森村冝稲もりむらよしね1872-1938明治4年12月26日愛知生まれ。昭和13年10月4日死去。68歳。明治-昭和の日本画家。幼名は悌二。号は雲峰,稲香村舎。木村金秋や日比野白圭にやまと絵を学ぶ。大正元年文展に初入選,文展,帝展を中心に活躍。子は冝永。本席は寂蓮筆の青木切れ寂蓮は寂蓮じゃくれん保延五年頃~建仁二年1139頃~1202平安最末期から鎌倉前期にかけての歌人。僧侶。俗名は藤原定長さだなが父は俊成の兄弟、醍醐寺阿闍梨俊海。俊成の養子となり、のちに出家。「新古今和歌集」の撰者の一人となったが、撰なかばで没。優艷で技巧的な歌風。狂歌も得意だった。家集に「寂蓮法師集」...わが庵はみやこの乾イヌイ

  • 雲おりおり

    雲折おり人をやすむる月見哉芭蕉今日は日曜日どこへも出かける用事はない日曜は楽しみのテレビがある新日曜美術館サンデージャポン大河ドラマとTBS日曜劇場今日は最終回楽しみ雲おりおり

  • 三井寺の門

    三井寺の門たたかばやけふの月芭蕉三井寺には二回しか行ってないがまた行きたいお寺のひとつだ今日は文の会待ち合わせは久しぶりにいつもの中華屋ネギそばとチャーハンのランチそれと酢豚のランチランチには卵スープとお豆腐それに杏仁豆腐が付くそれを倍さまとシェアする生ビールを頼んで乾杯でも、シェアした写真が上手く取れなかった。考えて撮らないと駄目だった今日は伊勢物語六十九段「狩の使い」から読み始めた狩の使いとは平安時代、11月の五節のときなどに、朝廷用の鳥獣を狩るために諸国に遣わされた使者。諸院・宮家からも派遣されたが、のちには禁止された。とのことこの段は割りと長い段有名なだんでもあるらしく入試などに出るようだ二人で読み下しも読んだが難しいまあ何だか分からなくとも原文で読むことくじけず続けることに意味があると思ってる三井寺の門

  • 秋の野ににほひて咲ける藤袴

    良寛秋の野ににほひて咲ける藤袴折りておくらん其の人なしに昔の本をみていたらS先生の随筆が掲載されていた題は「寂びもの」写真は小森松庵の耳付花入焼き締めのものは、ことさら侘びた道具とされ、小間席の濃茶にふさわしい。とまた茶の湯は日常の生活の中に生かされるものであると同時に、その日常性を超えて美につながり、芸術に昇華する。と書かれてる最近、通りすぎた時間を懐かしいと思う、ぼーっとした時間が増えた今もぼーっとテレビを観ていたら「不安って何」チコちゃんに叱られるのテレビでの質問その答えは「人類誕生から備わっている、生き抜く為の武器」と。不安なとき「私はワクワクしている」と声に出して、体をキビキビ変な風に身体を動かして楽しいのだと脳をだますのだそうだ「ワクワクしてる」「ばたばた動く」やってみよう秋の野ににほひて咲ける藤袴

  • まつちの山の女郎花

    小野小町たれをかもまつちの山の女郎花秋をちぎれる人ぞあるらし今日は木曜稽古午前中二名午後一名夜一名お休みがありちょっと寂しい感じ何日か前にお弟子様からの案内あり三渓園の茶会に申込んだ。10/28の土曜日会費は35,000円令和5年10/28(土)三渓園の茶会。[三渓園完成茶会から100年]記念の茶会。原三渓ゆかりの名品茶道具も。大正12年1923に三渓園にて「大師会茶会」が開催されその記念茶会茶会の主催、公益財団法人三渓園保持会共催、東京美術青年会後援、東京美術商協同組合茶席は①9:30~可②10:30~可③11:30~満員④12:30~可⑤13:30~可⑥14:30~可各席15名濃茶-席春草盧、薄茶-臨春郭閣、点心-白雲邸会費は35,000円申込みは三渓園へ10時から。電話は045-621-0635との...まつちの山の女郎花

  • 関屋の鎗

    日は斜関屋の鎗にとんぼかな蕪村今日は水曜稽古阪正臣の自画賛を掛けた阪正臣バンマサオミ安政2年3月23日(1855年5月9日)~昭和6年(1931年)8月25日)歌人。書家。古筆研究家。宮内省御歌所寄人。現在の愛知県名古屋市生まれ。正四位勲三等。幼名、政之介、字は従叟、号は茅田、観石、桃坪など、居を樅屋と称す。関屋の鎗

  • 清水流るる柳かげ

    西行道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ今日は東麻布へそれから中目黒想窓庵さまとランチご馳走になってしまったそれから上野毛五島美術館[館蔵]秋の優品展白・黒・モノクローム2023年8月26日[土]―10月15日[日]長次郎黒楽銘千声長次郎赤楽銘夕暮光悦赤楽銘十王のんこう黒楽銘三番叟瀬戸黒銘武蔵坊伯庵茶碗銘冬木志野茶碗銘梅が香黄瀬戸茶碗銘柳かげ最後は地元のドコモショップ携帯の機種変完了忙しかった写真はランチのメインのお肉の皿サラダにスープが付いてメインの肉か魚最後に小さなチーズケーキ珈琲付美味しかったご馳走さまでした清水流るる柳かげ

  • かごとがまし

    虫売のかごとがましき朝寝哉蕪村かごとがましきかごと‐がまし・い【託言カゴトがましい】1恨み嘆いて言うようすがありありと感じられる。ぐちめいている。2言いわけがましい。「つれづれとわが泣き暮す夏の日を―・しき虫の声かな」〈源・幻今日は○○研究会寂蓮のお勉強じゃくれん(1139ころ―1202)平安後期・鎌倉初期の歌人。本名藤原定長。父は醍醐寺の阿闍梨俊海。父の出家後、藤原俊成の養子となった。のち辞して出家。西行に倣い諸国行脚をする。歌人としても活躍した。御子左家の一員として九条家歌壇に属していたが、後鳥羽院による新古今歌壇形成とともに、活躍はさらに目覚ましく、1201年(建仁1)和歌所寄人に、ついで『新古今和歌集』の撰者に選ばれたが、翌年没し、選歌は上進していない。「六百番歌合」のおりの六条家の顕昭との論争...かごとがまし

  • 松虫の初声さそふ

    よみ人しらず松虫のはつこゑさそふ秋風はおとは山よりふきそめにけり今日は朝日カルチャーへ烏丸切烏丸光広(1579-1638年)が所蔵していたことからか。「右近切」とも言う。烏丸切は後撰集の断簡。烏丸光宏広(1579-1638年)が所蔵していたことからか。「右近切」とも。胡蝶装の冊子本。料紙は、小さい飛雲紙。表裏両面に金銀の砂子。縦20.8cm横16.8cm。歌一首2行。出かけた帰りは買い物両手両肩に荷物を掛けて帰る携帯を新しいのに変えた初期化などドコモに頼むピカピカのスマホは気持ち良い松虫の初声さそふ

  • 裾野のすすき いかばかり

    藤原定家しのぶ山裾野のすすきいかばかり秋のさかりを思ひわぶらむ今日は金曜日病院の予約をしてあったが台風の影響で大雨が降るとか朝は雨強しとてもとても出掛けていく気にはなれないキャンセルして家でのんびり食べて寝る1日だった裾野のすすきいかばかり

  • 雨を聞夜

    野分して盥タライに雨を聞夜哉芭蕉の‐わき【野分】(野の草を分けて吹き通る風の意)二百十日、二百二十日前後に吹く暴風。また、ひろく秋から冬にかけて吹く強い風をいうこともある。今日は木曜稽古台風が来てる9月の台風は大きいというから心配写真は先週金曜日の食事会ふくもとの写真雨を聞夜

  • いにしえを忘れぬ月や

    日野資枝ヒノスケキいにしえをわすれぬ月や野々宮の秋にとひきてひとりすむらむの‐の‐みや【野宮】皇女や女王が斎宮・斎院になるとき、潔斎のため1年間こもった仮の宮殿。斎宮のものは嵯峨、斎院のものは紫野に設けた。野宮【ののみや】能の曲目。鬘物(かつらもの)。五流現行。世阿弥作か。秋の夜,六条の御息所の霊魂が嵯峨野の野宮の旧跡に現れ,光源氏との恋の喜びや悲しみを回想する。夢幻能の代表作とされる今日は水曜稽古9月になるとこの軸を掛けたくなるいにしえを忘れぬ月や

  • 案山子哉カカシカナ

    秋かぜのうごかして行案山子哉カカシカナ芭蕉今日は読売カルチャー茶話指月集お昼に終わって今日はまっすぐ区役所へ新しい保険証が着き古い保険証を破棄確認したのだが切ったのは新しい保険証仕方なく再発行に来た区役所は整理番号を取って呼ばれるのを待つ私の番号の次の人はお弟子様の古志ちゃんでびっくり70才を過ぎるとバスや地下鉄が無料になるという73才になってるのになぜか私は持ってないので聞いてみたところ今月申込めば10月からの老人のバス乗車証が来ると負担額を区役所にある銀行で支払いその後ロビーを通って帰る途中催し物をチラチラ見てるとマイナポイントのお手伝いをしてくれると丁度マイナンバーも保険証も持ってる待ち時間なしで簡単に手続き完了やりかけの事のいくつかは済んだ茶話指月集に庭を掃除している者に「蜘蛛の巣一つは残しておい...案山子哉カカシカナ

  • 秋の夜は

    藤原定家秋の夜は雲地をわくるかりがねのあとかたもなく物ぞかなしき短歌をつくることを令和四年の師走に短歌の先生がなくなって一首も詠んでいない平成六年(1992)三月から令和四年(2022)まで30年間添削をしていただいた村雨庵短歌二首「弱法師ヨロボシ」を謡うわが声折りたたむ螺鈿の卓の足軋むごとR3.7.13雨戸閉め明かりもつけぬ床の間の軸の金蘭ひそかに煌めく2021.5.11写真はうちの庭秋の夜は

  • 朝戸出の

    源実朝きのふこそ夏は暮れしか朝戸出アサトデの衣手さむし秋の初風朝戸出アサトデ→朝、戸を開けて外に出ること。朝、外出すること。⇔夜戸出 (よとで) 。知らない言葉だった[問]たばこ盆を置くのはどういう意味ですかこの問いの答「莨」タバコとは香りの良い草の意味で濃茶での緊張感を和らげ雰囲気を変え「お気楽にどうぞ」という写真今日は日曜日はとこのトシコちゃんが崎陽軒のシュウマイ弁当を持ってお昼前にピンポンすごい勢いで茶の間に突入相変わらず元気だ羽織で作ったという和風花柄の素敵なブラウスに手作りのバック今年は傘寿とずっと隣に住んでいたが土地を処分して何年前に引越したたまに会う親戚お弁当を三人でむしゃむしゃ完食そのあとは葡萄と梨食べて珈琲にクッキー後の事は忘れて食べる朝戸出の

  • 秋のこゑ

    藤原定家荻の葉にかはりし風の秋のこゑやがて野分の露くだくなり藤原良経フジワラノヨシツネ嘉応元~建永元年(1169~1206)鎌倉前期の公卿・歌人。忠通の孫で、九条兼実の子。従一位摂政太政大臣に至り、後京極摂政、中御門殿と称された。藤原俊成・定家を後援し、新古今調樹立の基礎を築く多くの歌合を主催して、歌壇の育成に貢献した。「新古今和歌集」の仮名序を執筆し、巻頭歌の作者ともなった。書道にもすぐれて後京極様といわれた。九条良経。今日は朝日カルチャーくずし字の読み方読めない文字があった漢数字の二なのだが漢数字の「二」は普通「弐」と書くと思っていたところが正解を聞くと「貮」を草書で書いたもので全く読めなかった写真はその貮の草書実際はもっと崩れてた戈に二戈に貝いずれも「二」だとか勉強になったがすぐ忘れるので書いてお...秋のこゑ

  • 小はぎがもとや

    下露の小はぎがもとや蓼の花蕪村今日は食事会無花果の揚出し口取は山芋寄せ新銀杏鴨ロースサーモン酢はすシンジョ枝豆アワビチーズ博多ヤマモモなますハモと早松茸の土瓶蒸しお造りは焙りノドグロ鮪トロ伊勢海老ホタテ雲丹つまは大葉山葵黄菊むらめ酢橘より人参夏野菜の冷製子持鮎塩焼蓼酢ご飯みそ汁香の物お菓子は金団のこぼれ萩小はぎがもとや

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