跳び越えて団栗踏まず通りけりひよどり一平(とびこえてどんぐりふまずとおりけり)・・・・・・・団栗を踏まなかったからと言って、自慢したいわけではない。ほんのちょっとの気遣いをしただけのこと。何のために、誰に気遣ったのか?団栗に気遣ったのかもしれない。・・・・・・・はからずも団栗五個と向き合へり一平片方の足を下ろす段になって、落ちたばかりの団栗が眼に入った。「あつつ、いけねえ!」踏む足を少しずらして、どんぐりを跨いだ。団栗は、それぞれつるんとした顔で、私を見上げた。喜んでくれたのかどうか、私にはわからない。どんぐり
朝顔のしっかり咲いて小紫ひよどり一平(あさがおのしっかりさいてこむらさき)・・・・・・・正直なハナシ、大輪の花と呼べない朝顔だ。しかし、小ぶりながらも、しっかり咲いた紫の朝顔だ。どのように詠もうかと案じたが、「しっかり咲いて小紫」が精一杯であった。・・・・・・老化に向かって、一歩また一歩と遅滞なく進んでいる。身体中に不都合な点が出て来てはいるが、これはこれでやむを得ないこと。しっかり咲いて
いのち減る迅さで征けり秋の水ひよどり一平(いのちへるはやさでゆけりあきのみず)・・・・・・・白い奔流を見たら、いのちを削って流れる奔流のように見えた。もっとも、いまの私のいのちは、こんなに激しく流れない。これはどう考えても、青年、壮年のいのちにしか見えない。このいのちの強さは、私の強い願望かもしれない。今の私は、このいのちの流れを願っているわけではない。秋の水
穂芒や寄り添ふて待つ次の風ひよどり一平(ほそそきやよりそうてまつつぎのかぜ)・・・・・・・昨日は久しぶりのカラオケだった。遠路、駅前のカラオケ店に、幾人かの友人が集まってくれた。私を激励する意味合いだったらしい。カラオケということになれば、多少のアルコールは入る。さほど呑んだつもりはないが、禁酒生活が永かったので、私は酔った。帰りのタクシーは気分がよかった。・・・・・・・ここのところ、カメラ持参の散歩が乏しくなっている。復活させたい。足腰の鍛錬にとっても肝要だ。久し振りのカラオケ
鴨来るや道を通るも我がもの顔ひよどり一平(かもくるやみちをとおるもわがものがお)・・・・・・・公園の池に今年も鴨がやってきた。公園の管理者の言によれば、多い頃で何百羽かの鴨だと言うことだった。作業車以外に自動車は通らないので、鴨たちはわがもの顔。まったく気分がいい。時には珍しい鴨がやってくるとか。カメラ持参の多くの人が、息をつめて鴨を追っている。その鴨がどれなのか、私には区別がつかない。・・・・・・・明日は、久し振りに友人たちに逢える。駅前のカラオケ店で、思うさま唄おうという試みだ。私は長い間歌を唄っていない。大袈裟なハナシだが、声が出るかどうかさえ危ぶまれる思いだ。ダメでモトモトのつもりで、参加することにした。何曲でも歌えれば儲けモノではないか。鴨来る
限りあるいのちなりけり秋の蝶ひよどり一平(かぎりあるいのちなりけりあきのちょう)・・・・・・・蝶にしても花にしても、観る側の心情によって感じが変わってくる。観る人の勝手次第で変わってしまうのだ。観る人が、「悲しいなァ」と観れば悲しいし、「楽しいなァ」と思えば楽しく見える。秋の花にむさぼりついている蝶を見て、「精一杯生きているのだなァ」と観ていたら、ちょっぴり哀れを感じた。蝶やトンボに限ったことではない。人間とて同じこと。・・・・・・・このブログ作成にも、だいぶ馴れてきた。今度こそ忘れないようにしよう。しかし、まだマニュアル作成とまでは行っていない。秋の蝶
老残を持て余しをり秋の蝶ひよどり一平(ろうざんをもてあましをりあきのちょう)・・・・・・・持て余しているかどうか、私には判らない。蝶はひたすら秋の花にむさぼりついている。人が近寄ればさっと飛び去り、離れればまた寄って来てむさぼりつく。外聞なんぞは埒外。これが生きると言うことなのだ。・・・・・・・身を持て余しているのは、蝶ではなく実は私だ。カーテンの向こう側には、深い秋の日差しが溢れている。冬に入る前のいっとき、秋の日差しが私をもてなしてくれている。・・・・・・・はらわたの会のカラオケが、私の出渋りを見て、「大宮でやりましょう」となった。私の出渋りの元凶は我が家のカミさんで、なんやかんやと口煩い。いっときの私の「大弱り」を観察すれば、慎重になるのは当然なのかもしれない。そんな内情を察知したメンバーが、「カラ...老残
穂芒や風に吹かれて右往左往ひよどり一平(ほすすきやかぜにふかれてうおうさおう)・・・・・・・後悔は先に立たず。今さら、後悔して狼狽えたり泣いたりしても始まらない。このブログも、後悔の嘆きを吐露しているのだが、泣いて花実が咲くものか。しからば、今後の事態に備えて、マニュアルの整備を考えないでもないが、いざその段になると、「面倒臭え~」となってしまう。今まで、私はそんなことの繰り返しで、身を処してきた。もちろん、重要な仕事のことをはじめ、少し重たい事柄であれば、少しは丹念に考えたのであろうが、遊びっぽいブログのこととなれば、扱いが軽くなり、記憶が落ちてしまうと、再出発が大ごとだ。・・・・・・・「今、この時がなんとかしのげれば、後のことは後のこと」そんなことの繰り返しで、一生を終わるのかも知れない。いい性格と言...風に吹かれて
烏瓜ぶらりと垂れてゐたりけりひよどり一平(からすうりぶらりとたれてゐたりけり)・・・・・・・私は烏瓜が好きだ。すべてを達観していて、そのくせ色合いもいい。私は幾歳になっても、このようにはぶら下がれない。ご近所を窺いながら、風に揺れたり堪えたりするに違いない。この烏瓜は用水の向う岸にぶら下がっていた。向こう岸なので、手に取って楽しむわけにはいかない。せいぜい写真に撮って喜んでいるのが精一杯だ。烏瓜
五臓六腑両親に受く新松子一平(ごぞうろっぷりょうしんにうくしんちぢり)思い出せないこともいろいろあり、体調はまだ本調子に戻ったとは言えない。ブログの作成ひとつを考えても、まだまだ不十分だ。足腰の動きは僅かづつもとに戻って来ているように思うが、どうだろうか。このブログについては、半ば以上諦めていたのだが、励まして下さる方がいたので、なんとかここまで思い出した。いつまで続けられるかが私にとっての新たな課題です。新松子(しんちじり)
鶏頭は他人行儀で馴染めぬ花ひよどり一平(けいとうはたにんぎょうぎでなじめぬはな)・・・・・・・鶏頭の花はなんとも馴染にくい。つんと澄ましているわけでもないが、どこか他人行儀なのだ。私はその「他人行儀」が苦手なのだ。私だけの印象なのかもしれないのだが・・・・。・・・・・・・身体全体に力がついて来たようには思うが、脳の働きはまだまだだ。記憶にすがって行う作業はパッとしない。焦らずに行くしかあるまい。馴染めぬ花
老いぬれば病多き身芙容咲くひよどり一平(おいぬればやまいおおきみふようさく)不覚にも病んでしまった。そのため、多くの記憶を失った。「ほろ酔い気分」のつくりかたも、忘れた。苦心惨澹の末、なんとか今日に到った。まだ不十分だ。・・・・・・・表題の芙容は、友人がスマホで撮って送ってくれたもの。幸いにも、偶然にアップすることができた。明日のことは判らない。友の家に嫁来るはなし芙容咲く一平(とものいえによめくるはなしふようさく)老いぬれば
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