カメラ雑誌「フォトコン」に写真家の立木義浩さんが選・評を担当してる「モノクロ作品招待席」というコーナーがあります。ネットの電子書籍で見ていることもあるのかもしれませんが今月号(1月号)で少し気になったことがあります。選ばれた作品のほとんどが黒っぽいんですね。何度か書いてきましたが、最近の傾向なのでしょうか。モニターで見ているからでしょうか。紙上だともう少しディテールが出ているとしても少しツブレてい...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
カメラ雑誌「フォトコン」に写真家の立木義浩さんが選・評を担当してる「モノクロ作品招待席」というコーナーがあります。ネットの電子書籍で見ていることもあるのかもしれませんが今月号(1月号)で少し気になったことがあります。選ばれた作品のほとんどが黒っぽいんですね。何度か書いてきましたが、最近の傾向なのでしょうか。モニターで見ているからでしょうか。紙上だともう少しディテールが出ているとしても少しツブレてい...
写真の投稿だけです。...
写真撮影には練習はありません。いつだって本番なのです。試し撮りが傑作を生んだりするのですから。気合いの入ったカットが駄作だったりするのですから。ただ、本番だといって緊張しないことも大切ですでも、緊張したほうが練習と思って、だらけるよりはましなのです。...
(昨日の記事を少し編集し直して投稿します)写真撮影では要らないものは画面外へ、どかしましょうと言われます。画面外に出来ないなら、ボカしましょうとも言われます。その言い方って、そこにあるものに対してはけっこう失礼な言い方、不躾な言い方にも聞こえませんか。不要とか、邪魔とか言われても、あるべくしてそこにあるのですから、いるべくしてそこにいるのですから。居たくているわけでもありません。何らかの理由でそこに...
写真撮影では要らないものは画面外へ、どかしましょうと言われます。画面外に出来ないなら、ボカしましょうとも言われます。その言い方って、そこにあるものに対してはけっこう失礼な言い方にも聞こえます。不要とか、邪魔とか言われてもそこにあるのですからあるべくしてそこにいるのですから。でも、今はテレビの画面で街なかにいる人にボカシが入る時代です。その番組ではボカした人は要らないのです。画面の外へどいてもらうわ...
通りすがりの○△□241010・このまちに、わたしたちが 1
「 カメラは、撮る人を写している」という言葉があります。そうなんです。その写真には、その写真を撮った人しか写っていないのです。被写体は写っていないのです。ーえっ?写っているじゃん!いいえ、見る人には、写っている「ように」見えているだけです。撮った人には、自分の「思い」が見えているだけです。なにしろ「写」す時、思いを「それ(体)」に「被」せたのですから。「私の思い」「私の価値観」「私の好き」というベ...
真実という言葉があります。写真という文字にも真実を写すと書かれています。あの(どの?)少年は「真実はひとつ」と言っています。ところで写真ではストーリー性みたいなことが重宝がられています。それは、撮った人、見た人のストーリーのことです。だとすると年甲斐もなく、あの(どの?)少年に反論したくなるのです。写真は「見る人、見た人の数だけ真実はあるのでは」と。真実とはその人が、その人たちが見たいストーリーの...
輝く、未来、明日、青空、思い、希望、夢、涙、前へ、楽しい、幸せ、ポジティブ・・・歌の番組での字幕でよく目にする言葉です。マナーがよくないのですが、目が欠伸をしています。...
コミュニケーションで必要なこと⇒まず相手をよく知ることと言われていますよね。⇒写真もコミュニケーションについてよく触れられます。⇒そのためには見てほしい相手をよく観察し⇒相手の見たいものを知ること、だと。⇒その上で相手に合わせて分かりやすく撮りましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく仕上げましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく説明しましょう、と。⇒でも、気になることが・・・⇒相手に合わせるっ...
私は読んでいないのですが「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という本で森山(大道)さんは次のようにおっしゃっているそうです。「過去はいつも新しいという謂は、カメラマンであれば当然の日常感覚であり、未来がつねに懐かしいという謂も、きたるべき未知の時間や風景は、いま街角の片隅のそこそこに、予兆となって浮遊しているという日ごろのぼくの実感である。」(森山大道「過去はいつも新しく、未来はつねに懐か...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 1
写真というのはどうでもいいことを撮るほうが面白くなると思っています。「価値!価値!価値!」とカチカチの息苦しい世界から離れて無価値を楽しむというのでしょうか。美しい被写体そのものには写真ではかないません。綺麗な景色は全身で味わうものだと思います。大切なその人は、どうしても写真でしか会えない時以外は本人がそばにいてくれるに越したことはありません。逆に日常を写真に撮ると「非日常感」が出てくることで美化...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 1
SNSで投稿されている写真にはよく、カメラやレンズ名が併記されていますよね。でも、自分は写真の趣味がない人の知りたいのはいつ・どこで撮ったかではないでしょうか。それほど詳しくなくてもいいので「2024年12月、東京・新宿」もしくは「2024年、東京」くらいの明記があるといいなあと思います。...
世の中、ドンドン幼児化して行っているように感じています。写真でいえば、要らないもの、邪魔なものって今は簡単に消せますよね。まあ、嫌だから消しちゃえっということでしょうか。写真に写っているものを消したり、欲しいものを付け加えたり・・・それって、写真?と思うのです。それは写真というより、写真を使った別のもののような気がしますがそう思うのは、もう古い感覚なんでしょう。「そこのおっちゃん、ジャマ、ジャマ、...
あっ、軽い写真は明るい写真に成れるのでしょうか。...
写真を撮影した日は写真脳というのでしょうか、それが一種の興奮状態のように感じています。写真脳というものが医学的にあるかどうかは分かりませんがそのせいで、帰宅してチェックしていると撮った写真の中に傑作があるかも、のように見えたりするものです。当日を過ぎても数日くらいはその興奮状態が続きます。それで、写真選びは1週間以上くらい経ってから行うようにしたほうがいいと思っています。だけど、人によって違うと思...
他に言葉が見つからないので「いい写真」という言い方をしています。でも、とてもあいまいな言葉だと思っています。「いい」なんてコロコロ変わるのですから。ただ「良い写真」という言い方には慣れません。良い⇒悪いを連想するからでしょうか。「悪い写真」って何だろうと思うのです。「悪い写真」の中にも「いい写真」があるように思います。「良い写真」の中にも「つまらない写真」があるように思います。...
こらからもエモイ写真って流行っていくのでしょうね。私「あのう、私の写真、見てくれませんか?」行きずりの人「あっ、どんな写真を撮っているんですか?」私「説明しにくいのですが、あえて言えば絶〇写真です」行きずりの人「ほおーっ、では見せてくれますか」私「はい、お願いします」行きずりの人「どれ?どれ?ぎゃあっ!な、何ですか、この写真!」私「絶叫写真ですが・・・。まだ、たくさんありますよ」行きずりの人「えっ...
もう何十年も前のことです。ある人の写真展を見に行きました。「こ、こんなにきれいなプリント、どうしたら出来るねん!」。その人のモノクロプリントの作品を見た時、自分には、こんな綺麗なプリントは作れないと思いました。ショックは受けたのですが、もっと違った写真の楽しみ方を探すことにしました。まあ、正直言うとそのころには写真は絵画とは違うし工芸品でもないので、作品を目指さなくてもいいと思い始めてもいたのでい...
見たものを撮ればいいと写真を楽しんでいる人と映え狙いで写真を楽しんでいる人とカメラ沼に入って写真を楽しんでいる人と。一見、共通点がないみたいですが・・・。でも、あるのではと思ったりするのです。興味の中心、関心の中心にあるのは自分、つまり「私」なのではないでしょうか。写真は目的ではなくて手段なのです。「見たものを撮る」のは「私の好き」を見つけるため。「映えを狙う」のは「私の輝き」をみんなに受け入れて...
SNSやカメラ雑誌などを見ているとストリートスナップ=人を撮るものと思われているようですね。ファッション・ポートレート撮影などにもストリートスナップという言葉が使われています。街なかで撮影しているからでしょうか。ただ、私は必ず人が写っていないとストリートスナップではないとは思っていないません。人が写っていなくてもストリートスナップはあるんですね。ただ、落ちているゴミを撮ったり、壊れて捨てられたビニー...
人間のカラダの目は外を見るようにできています。人間のココロの目も外を見るようにできればよかったのです。でも、人間のココロの目は内を見るほうが圧倒的に多いです。そのため2つの目を分裂させてしまいました。そして外のアレと内のコレを見比べてばかりでいます。「勝負・好悪・正誤・善悪・美醜」などを秤にかけて判定に大忙しです。それはとても疲れることなのですが、回復する間もなくこう言うのです。 「なにか、面白い...
私は読んでいないのですが「過去はいつも新しく、未来は常に懐かしい」という本で森山(大道)さんは次のようにおっしゃっているそうです。「過去はいつも新しいという謂は、カメラマンであれば当然の日常感覚であり、未来がつねに懐かしいという謂も、きたるべき未知の時間や風景は、いま街角の片隅のそこそこに、予兆となって浮遊しているという日ごろのぼくの実感である。」とても文学的な文章で、意味深い感じがします。「過去...
人間の目には視野があります。人間は首や体を動かして、ぐるっと見渡すことが出来るので全体が見えているように思ってしまいます。でも実際は、視野というフレームの中の部分的なものを記憶して、それらをつなぎあ合わせて全体として脳の中で作り直しているんですね。写真を撮る時にはファインダー、あるいは液晶のモニター画面を見るわけですがそれもフレームです。人間のボンヤリした視野と違って、四角くてハッキリしています。...
「いいモノが売れるのではない。売れるものがいいモノなのだ」そのようなことを、大企業の経営者(?)の人が言っていたそうです。そんな話をだいぶ前ですが人から聞いた時、「なるほど、写真もそうかも」と思いました。「いい写真が人気になるのではない。人気になるのがいい写真なのだ」そのように言い換えれるような気がしたのです。SNSはそれを端的に反映しているのではないでしょうか。ただ、「人気」とは「人の気持ち」と書...
ヘルシーということに気を配るのはいいことですがヘルシーの食べ過ぎは反ヘルシーだとも思うのです。そのヘルシーで思い出しました。まあ写真するとは歩くことだと思っています。歩くことはヘルシーですよね。ところで今年も終わりが近づいてきました。それで凝り気味の首を振り返ってチェックしてみました。今年は自分比で撮影した日数の最多を更新していたのです。聖者の行進ならよかったのだけれど正邪の行進みたいやなと意味不...
写真の投稿だけです。...
SNSなどを見るとストリートスナップ =人を撮るものと思われているようですね。でも、必ず人が写っていないとストリートスナップではないとは思っていません。人が写っていなくてもストリートスナップはあるんですね。ただ、落ちているゴミを撮ったり、壊れて捨てられたビニール傘を撮ったり、道端の花や植木を撮ったり・・・そんなんこともストリートスナップかどうか悩ましいです。ゴミは時代を反映していると言われればそうな...
SNSを見ていると「写真を観る」と書かれていたりすることがあります。写真の場合、「みる」は主に「見る」か「観る」のどちらかですよね。その「見る」のほうは漠然と視線を向けることも含みますが、「観る」だとかなり意識的な視線になるように思います。それで写真の場合ですが、最初は「見る」で、「おっ!」と思うところから「観る」が始まるのだと思うのです。「観る」はかなり意識的で主体的、能動的な行為だとしたら、その...
イルミネーション、ライトアップが話題になる季節がやってきました。光るもの、あるいは光を当てたものは視覚に対して強烈にアピールしてきます。「でんき」は「げんき」に通じると言えば言葉遊びになりますが、写真を撮る時の光との接し方はけっこう微妙なところがあると思います。ピーカンの日本晴れの時のようなキツイ光線は作品をドラマチックに見せますが、写真そのもの、被写体そのものの強さかどうか判断しにくいこともあり...
写真の投稿だけです。...
意味があるから写真を撮るのではなく、意味はないけど写真を撮るのです。意味なんて後でいくらでも見つけて作り出せばいいのですから。人間には意味がなければ何もやる気がしない、起こらないという「意味必要病」みたいなものがあります。それから回復するには写真はピッタリの良薬です。写真を撮る意味が見つかるまで待つことはありません。時間と体力と費用があれば写真を撮りに出かけられます。写真を撮ることにはスランプはあ...
「ディスる」という言葉を目にした時、「えっ、いったい何のこと?」と思いました。みんな、外来語が好きなんですね。そして今、ディスることをディスっていたりします。「自分の好きなカメラのことを書くことをディスるなんて最低!」などと言ったりしてディスっているのではないでしょうか。ディス イズ ア ペン・・・ア ハッハで済ませてもいいような気もしますが・・・。「なに、しょうむないこと言ってんねん!」思わず自分で...
ほぼ1年ぶりの奈良公園です。ここに限らず公園でのスナップ撮影は街なかとは違った難しさがあります。空や地面を画面にどう入れるか悩むのです。空を入れすぎると情緒的になるし地面に影を入れるときつい感じになってしまうからです。あと草や木の扱いも気になります。画面に占める緑の部分をどうするかなんですね。まあ、実際は適当に撮っています。適当というか、「それほど悩んで撮っていないよな」というのがホントのところの...
昨日はまあまあの気温でしたが一気に寒くなりました。11月も半ば過ぎだから遅いくらいですね。昨日もテレビでやっていましたが日本は四季から二季になってしまうのでしょうか。ところで夏と冬ではどちらがたくさん趣味としての、作品としての写真が撮られるのでしょうか。...
人間は記憶で出来ていると言います。すなわち、「私」とは「記憶」なんですね。記憶を無くすことは私でなくなることの恐怖です。以前と比べるとミナミに来る回数が少し増えたのですが来るたびに、前回にいったい何を見ていたのかということがよくあるんですね。「アレ?こんなの、あった?」結局、「私はここを見た」気になっていただけなのです。断片の記憶、不確かな記憶、記憶と呼べない記憶・・・。写真も記憶のために撮ると言...
「カメラは何でもいい」と「カメラは何でもよくない」と言葉にすると相反することが両立するのが写真の面白いところだと思います。もちろん、どちらにも前提条件があります。作品の評価については「カメラは何でもいい」と言えます。カメラの価格と作品の価値は別なのですから。最初のカメラ選びは限定しないで「カメラは何でもいい」だと思います。懐事情の許容範囲で自分のお気に入りを決めるのが写真の楽しみですから。そして、...
SNSを見ていると「写真を観る」と書かれていたりすることがあります。「見る」は漠然と視線を向けることも含みますが「観る」はかなり意識的な視線になると思います。それで写真の場合ですが、最初は「見る」で「おっ!」と思うところから「観る」が始まるのだと思います。それでふつうは「写真を見る」でいいと思います。「観」は漢字を書く時に画数が多くなり間違えそうですし。...
ある意味、あらゆるジャンルで写真は撮りつくされたのではないでしょうか。勉強不足で断言はできませんが、見たこともない写真はもうどこにもないではないでしょうか。新しい写真表現が模索され発表されていますが、一般的な写真表現に関してはそう思うのです。風景、ポートレート、スナップ、花、ペット・・・。もしそうだとすると、どこかで見たことのある写真、誰かが撮っていたような写真でもいいのではないかなと思えて来ます...
行ってきました。「人が多そうだし・・・」ということで今年はまだ行っていませんでした。暖かい予報だったので「1回くらいは撮影したいし」と出かけたのでした。...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 12
昔は、と言うとカメ爺丸出しの言い方になりますが、まあ、個人的にははるかかなたなので、こう言いますね。写真の本と言うと「○○の撮り方」とか「写真撮影入門」のようなタイトル、内容の本が多かったです。でも今は、そのような本もあるみたいですが、ネットを見ていると写真に対する姿勢、考え方を含めて生き方論みたいな内容の本も(のほうが?)人気のようです。「あなたらしい撮り方をするために」「カメラは私を写している...
単写真、あるいは組写真のタイトルも考えてベテランの人、プロの人、写真に詳しい人などに自分から感想を聞くとします。仮にですがその時、その人が「つまらない」というようなことを言ったらそれは失礼なことなのでしょうか。そんなことはないと思います。その人は正直に気分が感じたことを言ってくれたかもしれないからです。感想というのは聞かれた時に言うのが原則です。プロの写真家に対して写真評論家の人たちが言うのは別に...
歳を取るということはいろんなことが分かってくることだと思っていました。写真も長くやっていると少しずつでも分かってくるようになると思っていました。どちらもそうでないことだけが分かってきたことのようです。...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 11
写真は時間、つまり瞬間をとても意識する表現手段であることは言うまでもないですよね。そのため「瞬間」の質、内容みたいなものにこだわります。普通の物事やありきたりの出来事は面白くないと思われやすいのです。誰もがそう考えるのは自然なことだと思います。それでも、何か「特別なこと」が起こったから撮る写真もいいのですが、何も「特別なこと」が起こっていない・・・ごくごく普通のこと、ありきたりのことを撮る写真・・...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 10
世の中には2つの残酷なものがあると思います。空間的には、それは「世間」と呼ばれています。嫌われないように、気に入ってもらえるように「世間様」と呼んだりするのです。時間的には、それは「時代」と呼ばれています。古びて合わなくなってくると、用済みとなっていつの間にか捨てられるのです。「世間」は大切かもしれないものは何も見ていなくて「時代」は必要かもしれない何かを残そうとしないからです。写真はそのことの証...
「絵になるもの」を撮って作品にするではなく「絵にならないもの」を撮って写真にするのが写真家だと思います。...
撮影してきました。...
「難波八阪神社」です。これまで難波八「坂」神社と書いていましたが正しくは難波八「阪」神社でした。間違っていてすみません。ネットで名前を確認したつもりだったのですが見ているようで見ていないんですね。私の場合は、ただの注意不足、思い込みやすいだけなのですが。...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 9
無理やりにでも撮って写真にするのです。撮りたい気になれないからシャッターを押せないのではなく、シャッターを押したい気になればいいだけです。カメラが壊れていたり、操作をミスったりしなければ写真は写るのです。写真なんて誰でも写せるのですから。ただ、その写真が評価されるかどうかは別なんですね。そんなことを考えていては写真は撮れないですからただただシャッターを押し続けるのです。シャッターを押すのはタダなの...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 9
「絵になるもの」を撮って、作品にするのではなくて「絵にならないもの」を撮って、写真にするのが写真家だと思います。...
同じ場所を何回も撮っているともう撮るところがないと思ってきます。撮りつくしたと。新しいうちは刺激があるのですがだんだん感じなくなってくるのです。何も感じなくなってくるとシャッターを押す気になりません。でも撮ろうとすれば撮れるんですね。指先をほんの少し動かせばシャッターを押せるのですから。写真撮影は商品開発とは違うのですから目新しさはあまり関係ないのです。器用な写真家もいますが別に不器用で同じような...
写真ほど自分が関われないアートはないように思います。「私は何をしたらいいの?」・・・です。カメラを自分で作ることなど出来ません。ピンホールカメラなどは器用な人は作りますが。画像編集ソフトを自分で作ることは出来ません。ほとんどの人には無理ですよね。さらに・・・被写体を作ることなど出来ません。自分で何かを制作した物以外は、不可能です。写真家はひたすらシャッターを切るのみなのです。そのためには動き回る必...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 8
デジカメが主流の座を奪ったころフィルムカメラはいずれ姿を消すだろうと言われていました。でも、そんなことなかったです。たしかにコストが掛かることはありますがそれにもかかわらず一定の人気があるのですね。予想は当てるためにすると思うのですが・・・。それとも外れてほしいからするのでしょうか。写真に関して言えば外れてくれてよかったと思っています。フィルムのほうが写真の持っている「儚さ」に合っているように思い...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 8
もし一点で写真を考えるのが私のように(いっしょにして、すみません)苦手なら、写真をもっと多数で組み合わせて考えてもいいのではないでしょうか。その時面白いのは1点傑作のような写真ばかりで組むと、不思議なことにつまらなく感じてくることがよくあります。自分ではもう一つかなとか、あまりいい写真ではないのでは、というカットを混ぜたほうが写真展や写真集のような写真群選びにはいいように思っています。まあ、本格的...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 7
写真は単写真と組写真があります。そのことは音楽のシングル盤とアルバム盤を連想させます。写真は1カットで考えるとどうしても1点傑作主義みたいなことに陥り勝ちだと思います。1枚で完成させるという考え方で、もちろんそれもいいのですがもっと組み合わせて考えてもいいのではと思っています。その時、1点傑作の写真ばかりで組むと結構面白くなかったりするんですね。音楽もヒット曲を集めたベスト盤というものがあります(あり...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 7
以前にも同じようなことを書いたのですがもう一度、大切だと思っていることなので書きたいと思います。それは写真はどこまで行っても全体を写すことは出来ないということです。部分しか写せないのが写真です。でも写真に限らず全部のことを把握することは人間には不可能なのではないでしょうか。全部であることが分かるためにはこれ以上、これ以外はないことを証明しなければならないからです。全体を外部から見ることは出来るので...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 6
写真の言語化について最近よく目にするのですが私の思う言語化とは少し違うんですね。「写真の言語化」というのは撮った写真について説明することではない気がします。撮った個々の写真について解説することではなく自分の写真観、写真への関わり方を文章化することではないでしょうか。そのような写真観で撮られた写真を見てみたいと思わせられる文章を書けるかなのですね。もともと、写真を表現としたら写真家が語るのではなく、...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 6
テレビドラマ大好きカメ爺ですが耳が悪いので字幕表示で見ています。それで時々気になることがあるんですね。<心の声>と表示されるシーンです。主人公などが心の中で思ったことが表示されます。音声では独り言のように語られているのだと思います。ただ、何回もそのシーンが出てくるとそんなの、表情やしぐさ、そして前後のシーンを描くことで視聴者に連想させる、察しさせるほうがいいのにと思ったりするのです。写真も写真を撮...
ミナミで写真を憑かれたように撮りました。家で写真を疲れたように見ています。...
「ワクワクしましょう」とかよく言われますが一年中、四六時中ワクワクしていたら病気になってしまいそうです。東洋の健康法(?)では「喜び」も心身に良くないことの一つに上げられているんですね。正確には「喜び過ぎ」らしいですが。そうなんです。「いつもニコニコ元気な笑顔!」・・・無理していませんか?基本的にはいいことだと思うのですが「ポジティブシンキング」という言葉も気にし過ぎるのは、時には「ネガティブシン...
現実の姿の表面を写したものが写真ですが、今はその現実の輪郭みたいなものが曖昧になって来ました。AIが作り出す画像のことを言う前に、人間がこの現実の世界をどう思っているかがハッキリしなくなったのではないでしょうか。客観的には現実は一つのハズです。でも人間の数だけ現実はあるのかもしれない・・・そんなことを写真は突きつけている気がします。そのことと関連して写真はこれから、どんどんデザイン的になっていくと思...
そのカメラを手に入れたからそのカメラを使えるようになるというのは違うと思っています。多機能のカメラを自由自在に扱えることと、つまりその機能を表現に生かせることはまた別のことなのではないでしょうか。多機能のカメラを自由自在に扱えることはオペレーターであって、アーティストとしてではないと思うのです。そしてそのことの以前にカメラマンがカメラを選ぶというよりカメラがカメラマンを選ぶのではないでしょうか。カ...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 5
つまらないと思う写真につまらないと言うのは失礼ではないと思います。ただし、つまらないと思う理由もいっしょに言う必要があります。ただ、つまらないと言うだけではそれは単にケチをつけているだけでつまらないことだと思います。...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 5
ネガティブ思考=暗くてよくないというのはとても短絡的で決めつけた捉え方だと思います。ネガとは陰であり、見えないところのことで暗いという意味とは少し違うのではないでしょうか。ネガとポジがあって、人は適切に考えるきっかけに出来るのだと思います。ネガとポジは一つのモノゴトの両面なのです。写真の感想でネガティブな評価というのは見た人その作品に違和感を感じたと言っているわけです。「私の感じ方とは違う、写真観...
通りすがりの○△□241002・近いけれど、とても遠いところ 1
「被写体の写真を撮る」ではなく「被写体を写真に撮る」だと思います。「被写体の写真を撮る」は写真家が主役ですが「被写体を写真に撮る」は被写体が主役なのです。前回はここまで書きましたがその続きです。少し、いいえだいぶ理屈っぽいことを書いた前回の記事に書き足したいと思います。被写体の写真を撮ろうとするのは自分の思い通りに被写体の写真を撮ろうとすることです。自分、つまり写真家優先と言ってもいいです。被写体...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 4
被写体の写真を撮るではなく被写体を写真に撮るだと思います。被写体の写真を撮るは写真家が主役ですが被写体を写真に撮るは被写体が主役なのです。...
撮影しました。10か月ぶりでした。雨予報が午後から回復したせいでしょうか人、いっぱいでした。涼しいというより、暑かったのですが確実に遅い秋が来ていました。...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 4
平均寿命というのは0歳の人が、あとどれだけ生きられるかという寿命のことでつまり0歳の人の平均余命のことなんですね。ところで森山(大道)さん、86歳になったんですね。森山さんのように80歳を過ぎても活躍している写真家さんもいる一方で50代くらい、あるいはそれ以前に亡くなった写真家さんもいます。まあ、平均というのはあってないようなものですから人それぞれと思うしかありません。平均という名の人はいません。平均とい...
「エモい」というのは感情が揺すぶらされることですよね。その「エモさ」ですが最初は元気が出てくるけれど、いつの間にか逆に元気が出てゆく気もしてきます。「エモさ」は度合い、強度ですが、何度も多量に摂取していると何も感じなくなってくるので次第に過激化してゆくように見えるのです。どんどん中毒化していって、それがないと落ち着けなくなり、気持ちよくなるために始めたのがいつのまにか苦痛になってしまうのではないで...
写真撮影を昆虫採集に例えて語る写真家さんもいます。写真撮影はコレクションと同じなんですね。骨董品、切手などと同じく、自分の好きなものを写真にして収集するということでしょうか。綺麗な風景、可愛いペットなどならいいのかもしれませんがあらゆる被写体に当てはまるかというと少し引っ掛かります。被写体をコレクションできないのが写真家だと思うのです。被写体の姿=イメージを借りる、拝借するのが写真撮影ですから昆虫...
プロの場合は依頼主が別にいますよね。依頼主がOKを出してくれる必要があります。もし、期待ハズレだったら次はないかもしれません。でも、アマチュアの場合、依頼主は自分なのですから自分がOKを出せばいいのです。もちろん、それは簡単なことではありませんが「とりあえず」という気持ちで選んでもいいのではないでしょうか。そうしないといつまでも、撮った写真の群れを前にして時間だけが過ぎてゆきます。私は「もしかしたら違...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 3
少しエラソーなことを書きますね。最近、森山大道の写真に興味がなくなってきています。もうだいぶ前になりますが、森山さん、外国のブランドとタッグを組んだことをカメラ雑誌で知りました。あれ?そのころから、森山さんの写真ってグラフィックというか、デザイン的なんだなあと思うようになったのです。もともと国鉄のポスターに森山さんたちのアレブレボケが使われたことがあるので、デザイン的だったんでしょうね。たくさん見...
デジカメになって、スマホカメラになって人はモノをよく見なくなったように思います。ものをよく見るには自分のことをいったんは忘れてモノに集中しないといけないのですが集中しているのは自分の思いの方ではないでしょうか。モノは自分の思いを伝えるための代理的な存在のように思います。レタッチは自分の思い制作作業なのです。...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 3
世の中には2つの残酷なものがあると思います。空間的には、それは「世間」と呼ばれています。時間的には、それは「時代」と呼ばれています。写真はそのことの証言者ではないでしょうか。「世間」は何も見ていなくて「時代」は何も残そうとしないことの。...
写真を作品として発表する場としてSNSは向いていないのでは?と思っています。あくまでSNSはカタログ的な、中間的な場だと思うのです。仮の場です。見てくれる人のモニターは様々ですよね。スマホの画面は小さすぎる気がします。まあ、それも面白いと言えば言えるのですが作品の発表にはリアルの場所や物が最適だと思います。...
いつもの公園で撮影していたらファインダーの中を黒いものが横切り「ハッと」しました。鳩でした。...
デジカメの最大の弱点、それは電気が要ることだと思います。デジカメは、蓄電、さよなら、ただ、荷物。...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 9
カメラは科学技術の産物で、科学は進歩しますからカメラの高機能化、高性能化はそれに伴った当然の結果ですよね。いっぽう写真は表現というのでしょうか、アートの世界に参加することが可能なメディアだと思います。人間の存在そのものが表現と言えなくもないところがあります。歩き方、食べ方、寝相、しゃべり方、姿勢、表情、しぐさ、癖・・・そういったことも広い意味でその人の表現と言えるのではないでしょうか。そう考えると...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 8
「近いけれど、とても遠いところ♪」そんな歌がありましたね。写真を撮っていると目の前にあるのに遠ざかってあるように感じることがあります。被写体に嫌われているのでしょうか。...
「道頓堀」は「Dotonbori」になったんやなとそこで写真を撮っていると、思えてきます。同じことを大阪城公園、奈良公園、新世界などでも感じます。ちょっと、ここ、どこなん?みたいな。まあそういった場所に限らずどこであれ、写真を撮るにはそうならざるを得ないところがあります。自分が場違いな人間に思えてくるのは仕方がないんですね。祭りに参加して熱中していては写真は撮れないし、ライブの演奏に聴き入っていては写真は...
昔、若いころ「写真を始めたんですよ」と言ったら「若いのにそんな(暗い)趣味が好きなの?」みたいなオーラがその人から出ていました。写真はおじいさんの渋い道楽みたい思われていたのです。今、カメ爺になって写真をやっていますというと「あっ、そう」みたいな、無反応オーラがその人から出ます。写真は若い人たち中心に、元気ハツラツの(明るい)趣味になりおじいさんの渋さは無味になったようです。...
まあ、いろいろあるけれど世の中、少しずつ良くなっていっているという意見もありますよね。そのまま受け取ると、マイナスが減ってゆき、プラスが増えてゆくことですから、後から生まれる人が得?ということになると思います。たしかに、世の中はどんどん便利になっています。私が写真を始めた昭和の時代にフィルムの要らないカメラの話をしたら、病院行きを勧められたと思います。そんな昭和から見たらSFの世界が目の前に広がって...
「いい人ね」と言われし我は「どうでもいい」人。「いい写真ですね」と言われし写真は「褒めておけばいいでしょ」写真。嗚呼。...
人を不幸にするホントより人を幸せにするウソ。写真はそんなことを示しているように思います。...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 7
「見たものを撮ればいい」というアドバイスが一部の人たちにSNSで受けているそうです。でもそれは「目に入ってきたものだけを撮ればいい」という意味ですよね。たしかに、その撮り方は楽チンだと思います。何しろ考えなくてもいいからです。迷うのはテーマが見つからなかったりするからですがそのようなことを考えないで片っ端から撮ればいいからです。でもそれでは、とても視野が狭くなるのではないでしょうか。「見たもの以外」...
たとえば艶歌とクラシックを同列に議論するよりも別々に言い合ったほうがいいですよね。どちらも音楽に変わりはないのですがその場合「音楽」とは何かをハッキリさせておかないと話がかみ合わなくなるのではないでしょうか。写真にも同じことが言えます。写真について語る時は、「写真」と「デジタル画像」に一応分けてはどうかなと思っています。「写真」はフィルム写真でできていたものであり「デジタル画像」はデジタル作業が可...
カメラ雑誌に、だったと思うのですが、あるプロの方が「構図」とか「フレーミング」とかを瞬間的に決める「感覚」が写真のセンスだと書かれていました。たしかにそう言うことはあるのですが、その感覚がいちばんに必要とされるのはコマーシャルフォト、広告写真の世界だと思います。あと、フォトコンテストの場合もそうですね。どちらも他者(消費者・広告主・選評者など)から評価されなければならない世界です。他人がその写真の...
写真の投稿だけです。...
AIがどうかという前にこの世界の何を現実だと、そしてどう思うのなんですよね。テレビドラマがその人にとっては切実な現実ということもあるのです。「○○ロス」という言葉がそれを表しています。そして現実を写したものが写真なのですが、私はとりあえず、写真と写真でないものの区別はレンズの前にあったものが写っているか・・・それを基準にしたいと思っています。あくまで基準、スタートラインなのでどこまで、それを広げるかが...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 2
この撮影の時は腕がなんとか水平までは上げられる状況でした。力が入りにくくてブルブル震えてシャッターボタンを押していました。カメラの手ブレ補正機能のおかげでほぼブレのない、目立たない写真が撮れました。...
写真を撮るということは、カメラマンが現実を操作して変えて撮ることではないと思っています。カメラの前にある現実に合わせてカメラマンが変わることで写真は撮られるのです。カメラマンは現実に従う人間であって、現実をコントロールして変えることができる人間ではないのではないでしょうか。「○○構図法」 で「その被写体=現実」を撮っていると、カメラマンである自分が現実を操作している気になって来ます。でも、そうではな...
行ってきました。「今回は道頓堀のほうへは行かへん!」そう決めて出かけました。道頓堀、週末でにぎわっていました。...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 2
ある写真家さんのSNSを見ていたら「9月も前半戦が終わり・・・」のようなことを書いていました。まあ半ばを過ぎたなあということなのですがその日々を「戦っている」という気持ちが強いのだろうかと思ったのです。私は「歩く白旗カメ爺」なのでちょっと恥ずかしかったりしました。でも、人って戦うのが好きな気もします。スポーツ、ゲーム・・・などなど。...
通りすがりの○△□240727・fu・きけん・na・なつ 1
「オレも森山大道みたいな写真を撮れるようになりたい!」と写真を始めたころは思っていました。なにしろ森山さんたちの写真はカッコよかったですから憧れの写真家の一人でした。でも歳を取ってくるにつれ、だんだんその気も失せてきました。「憧れ疲れ」。かと言って自分なりのとか、自分らしいとか自分にこだわっても仕方がないと考えました。「写真することが面白ければ、それでええやん」。写真は自己表現というより、被写体表...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 6
このカメラでいい⇒自分が撮りたい写真が撮れるならこのカメラでもいいし、このカメラでなくてもいいということ。このカメラがいい⇒自分はこのカメラで写真を撮りたいので他のカメラのことは今は候補にはないということ。...
撮影しました。瓢箪と写真はどちらも「コマ」に関係があるので相性は抜群だと思っています。あとは結果が伴えば言うことはないのですが。...
「自分語り写真」が流行っているようですね。説明を読むと「自分はこういうところが好きで撮った」みたいな解説をしています。「自分の好き」に共感してくれる人、募集!といったところでしょうか。私の写真?「自分ガッカリ写真」は流行らないようです。...
「道頓堀」は「Dotonbori」になったんやなとそこで写真を撮っていると、じんわりと思えてきます。同じことを大阪城公園、奈良公園、新世界などでも感じますね。自分が場違いな人間に思えてくるのでした。まあ写真を撮るにはそうならざるを得ないともいえるのですが。...
カメラを持つようになってから日常のさりげない光景に美しさを見いだすようになったとよく言われています。でもそれは日常をカメラのフレーム、つまり四角い枠に入れて見るようになったからなんですね。フレーミングの美化作用です。そのことによって日常が美しく見えるようになったのです。日常そのものの美しさはカメラに収める前に気づいていてもよかったのです。カメラに頼らなくても気づいてあげられたのですから。写真を撮る...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 1
人工物というのは基本的には直線です。一方 自然のものは曲線が中心です直線というのは合理的、功利的なんですね 。無駄がありません。そこへ行くのに最短距離は直線ですから。いっぽう、 曲線は遠回りです。つまり 無駄が多いのです。経費が掛かります。でも曲線多い自然風景に人は癒されます。直線多いビル群の街なかは少し息が詰まってきます。このグラングリーン大阪は螺旋階段、建物施設など曲線で出てきたものが多く、公園以...
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カメラ雑誌「フォトコン」に写真家の立木義浩さんが選・評を担当してる「モノクロ作品招待席」というコーナーがあります。ネットの電子書籍で見ていることもあるのかもしれませんが今月号(1月号)で少し気になったことがあります。選ばれた作品のほとんどが黒っぽいんですね。何度か書いてきましたが、最近の傾向なのでしょうか。モニターで見ているからでしょうか。紙上だともう少しディテールが出ているとしても少しツブレてい...
写真の投稿だけです。...
写真撮影には練習はありません。いつだって本番なのです。試し撮りが傑作を生んだりするのですから。気合いの入ったカットが駄作だったりするのですから。ただ、本番だといって緊張しないことも大切ですでも、緊張したほうが練習と思って、だらけるよりはましなのです。...
(昨日の記事を少し編集し直して投稿します)写真撮影では要らないものは画面外へ、どかしましょうと言われます。画面外に出来ないなら、ボカしましょうとも言われます。その言い方って、そこにあるものに対してはけっこう失礼な言い方、不躾な言い方にも聞こえませんか。不要とか、邪魔とか言われても、あるべくしてそこにあるのですから、いるべくしてそこにいるのですから。居たくているわけでもありません。何らかの理由でそこに...
写真撮影では要らないものは画面外へ、どかしましょうと言われます。画面外に出来ないなら、ボカしましょうとも言われます。その言い方って、そこにあるものに対してはけっこう失礼な言い方にも聞こえます。不要とか、邪魔とか言われてもそこにあるのですからあるべくしてそこにいるのですから。でも、今はテレビの画面で街なかにいる人にボカシが入る時代です。その番組ではボカした人は要らないのです。画面の外へどいてもらうわ...
「 カメラは、撮る人を写している」という言葉があります。そうなんです。その写真には、その写真を撮った人しか写っていないのです。被写体は写っていないのです。ーえっ?写っているじゃん!いいえ、見る人には、写っている「ように」見えているだけです。撮った人には、自分の「思い」が見えているだけです。なにしろ「写」す時、思いを「それ(体)」に「被」せたのですから。「私の思い」「私の価値観」「私の好き」というベ...
真実という言葉があります。写真という文字にも真実を写すと書かれています。あの(どの?)少年は「真実はひとつ」と言っています。ところで写真ではストーリー性みたいなことが重宝がられています。それは、撮った人、見た人のストーリーのことです。だとすると年甲斐もなく、あの(どの?)少年に反論したくなるのです。写真は「見る人、見た人の数だけ真実はあるのでは」と。真実とはその人が、その人たちが見たいストーリーの...
輝く、未来、明日、青空、思い、希望、夢、涙、前へ、楽しい、幸せ、ポジティブ・・・歌の番組での字幕でよく目にする言葉です。マナーがよくないのですが、目が欠伸をしています。...
コミュニケーションで必要なこと⇒まず相手をよく知ることと言われていますよね。⇒写真もコミュニケーションについてよく触れられます。⇒そのためには見てほしい相手をよく観察し⇒相手の見たいものを知ること、だと。⇒その上で相手に合わせて分かりやすく撮りましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく仕上げましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく説明しましょう、と。⇒でも、気になることが・・・⇒相手に合わせるっ...
私は読んでいないのですが「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という本で森山(大道)さんは次のようにおっしゃっているそうです。「過去はいつも新しいという謂は、カメラマンであれば当然の日常感覚であり、未来がつねに懐かしいという謂も、きたるべき未知の時間や風景は、いま街角の片隅のそこそこに、予兆となって浮遊しているという日ごろのぼくの実感である。」(森山大道「過去はいつも新しく、未来はつねに懐か...
写真というのはどうでもいいことを撮るほうが面白くなると思っています。「価値!価値!価値!」とカチカチの息苦しい世界から離れて無価値を楽しむというのでしょうか。美しい被写体そのものには写真ではかないません。綺麗な景色は全身で味わうものだと思います。大切なその人は、どうしても写真でしか会えない時以外は本人がそばにいてくれるに越したことはありません。逆に日常を写真に撮ると「非日常感」が出てくることで美化...
SNSで投稿されている写真にはよく、カメラやレンズ名が併記されていますよね。でも、自分は写真の趣味がない人の知りたいのはいつ・どこで撮ったかではないでしょうか。それほど詳しくなくてもいいので「2024年12月、東京・新宿」もしくは「2024年、東京」くらいの明記があるといいなあと思います。...
世の中、ドンドン幼児化して行っているように感じています。写真でいえば、要らないもの、邪魔なものって今は簡単に消せますよね。まあ、嫌だから消しちゃえっということでしょうか。写真に写っているものを消したり、欲しいものを付け加えたり・・・それって、写真?と思うのです。それは写真というより、写真を使った別のもののような気がしますがそう思うのは、もう古い感覚なんでしょう。「そこのおっちゃん、ジャマ、ジャマ、...
あっ、軽い写真は明るい写真に成れるのでしょうか。...
写真を撮影した日は写真脳というのでしょうか、それが一種の興奮状態のように感じています。写真脳というものが医学的にあるかどうかは分かりませんがそのせいで、帰宅してチェックしていると撮った写真の中に傑作があるかも、のように見えたりするものです。当日を過ぎても数日くらいはその興奮状態が続きます。それで、写真選びは1週間以上くらい経ってから行うようにしたほうがいいと思っています。だけど、人によって違うと思...
他に言葉が見つからないので「いい写真」という言い方をしています。でも、とてもあいまいな言葉だと思っています。「いい」なんてコロコロ変わるのですから。ただ「良い写真」という言い方には慣れません。良い⇒悪いを連想するからでしょうか。「悪い写真」って何だろうと思うのです。「悪い写真」の中にも「いい写真」があるように思います。「良い写真」の中にも「つまらない写真」があるように思います。...
こらからもエモイ写真って流行っていくのでしょうね。私「あのう、私の写真、見てくれませんか?」行きずりの人「あっ、どんな写真を撮っているんですか?」私「説明しにくいのですが、あえて言えば絶〇写真です」行きずりの人「ほおーっ、では見せてくれますか」私「はい、お願いします」行きずりの人「どれ?どれ?ぎゃあっ!な、何ですか、この写真!」私「絶叫写真ですが・・・。まだ、たくさんありますよ」行きずりの人「えっ...
もう何十年も前のことです。ある人の写真展を見に行きました。「こ、こんなにきれいなプリント、どうしたら出来るねん!」。その人のモノクロプリントの作品を見た時、自分には、こんな綺麗なプリントは作れないと思いました。ショックは受けたのですが、もっと違った写真の楽しみ方を探すことにしました。まあ、正直言うとそのころには写真は絵画とは違うし工芸品でもないので、作品を目指さなくてもいいと思い始めてもいたのでい...
見たものを撮ればいいと写真を楽しんでいる人と映え狙いで写真を楽しんでいる人とカメラ沼に入って写真を楽しんでいる人と。一見、共通点がないみたいですが・・・。でも、あるのではと思ったりするのです。興味の中心、関心の中心にあるのは自分、つまり「私」なのではないでしょうか。写真は目的ではなくて手段なのです。「見たものを撮る」のは「私の好き」を見つけるため。「映えを狙う」のは「私の輝き」をみんなに受け入れて...
SNSやカメラ雑誌などを見ているとストリートスナップ=人を撮るものと思われているようですね。ファッション・ポートレート撮影などにもストリートスナップという言葉が使われています。街なかで撮影しているからでしょうか。ただ、私は必ず人が写っていないとストリートスナップではないとは思っていないません。人が写っていなくてもストリートスナップはあるんですね。ただ、落ちているゴミを撮ったり、壊れて捨てられたビニー...
写真はコミュニケーションの手段だとよく言われます。また表現の手段とも言われます。そのコミュニケーションは相手が中心です。相手に正確に伝わらないのではコミュニケーションする意味がありません。アレを写したので見せたのに、相手がアレ?では困ります。 いっぽう表現は自分が中心です。自分の中にないものは外へ、つまり表へ現わせません。アレを写真に託して相手に見てもらいます。自分の中のモノが相手にとっても良き...
布施に用事があったので河内小阪で降りて永和へと向かいながら撮影しました。小阪はちょっと思い出の場所です。でもずいぶん変わりましたね。駅前の本屋さんが無くなっていたのですが吊り看板が残っていました。時間は記憶を裁断して葬り去るためにあるのだと思いました。ノスタルジーという甘美な響きとは裏腹に・・・。...
写真はたくさん撮ればいいというものではないのですがたくさん撮らなければ始まらないところもあります。「写真は質より量」と言われ、私もそう思っていましたが最近はどっちでもいい、どっちでもないと思うようになりました。たくさん撮っても腹いっぱいにならない時もあれば、これでもう十分の時もあります。「腹八分目」といっても個人差がありますよね。健康ばかり気にするのは不健康ではないでしょうか。時には「写真は質より...
最近、「ストリートスナップ」という言葉をよく目にします。でも私が思っているのとだいぶ違うようです。ストリートというより、街なかで人物を撮ったのが「ストリートスナップ」と言っているんですね。個人的には「スナップポートレート」だと思うのですがまあクリスマスも近いし、めちゃ寒いし、どうでもいいような気もします。...
光の三原色と色の三原色は違いますよね。でも写真では色と光を混同してます。光は一時的ですが色は持続性があります。デジタルは光ですからやや無責任です。紙は色なので光よりは信頼できるのです。...
写真の投稿だけです。...
上から目線ということばがありますよね。写真も撮影という行為はどうしても一方的になります。相手が何であれこちらからの視線は向こうへと向かうからです。それを上から目線だと決めつけるわけではないのですがその可能性がゼロではないこともあり得るのではないでしょうか。物理的な位置ではなく、まなざしの方向なんですね。まあ、普段の撮影でそんなことを考える必要はないと思います。自分も楽しい、相手も楽しい、それがいち...
デジカメが幅を利かせ出したころるデジタル画像ののっぺりさが気になっていました。やがてデジタル画像の空々しさが気になってきました。でも今はどちらかつてほど意識しなくなりました。どうやら慣れは人を麻痺させるようです。...
写真はおそらく被写体を超えることはできないと思っています。被写体の姿を借りて別の何かに変えること、それが被写体へのお礼のような気がします。何かを生み出せればいいのですかそれは簡単ではない気がしています。...
写真は記憶というものを強力に意識させるメディアだと思います。人間は、単純に言えば記憶でできていると思うのですが自分が撮った写真と、撮った時の記憶にズレが生じることは誰でも経験しているのではないでしょうか。それは、自分が記憶していることは必ずしも正確ではないことを意味します。つまりそんなあやふやなことを土台にして毎日を送っているんですね。...
前にも書いたので同じことの繰り返しになりますが写真を撮るということは程度の差はあれ、人を傍観者にさせるところがあると思うのです。自分と直接に関わっていないのに関わっているような気にさせる、自分が傍観者になっているかもしれないことを考えなくさせる、カメラにはそんなところがあるということですね。綺麗な風景の中にいるのに、スマホを含めたカメラで写真を撮ることに夢中になってしまうのは、実際には景色に触れて...
写真の場合、綺麗と美しいが曖昧に混同されている気がします。綺麗だけれど美しくない・・・そんなことがあるのではないでしょうか。写真は視覚の表現なので見た目に影響されやすいのです。そのため、美しさが遠慮がちに目立たなくなってしまう気がします。レタッチは綺麗さをさらに強調しがちで美しさがぼやけてゆくように感じるのはフィルム時代の目で見てしまうからでしょうか。いずれにせよ写真にとって「美」とは何かよーわか...
「それ」を写真を撮るだけでは 「それ」を見たことにはならないと思います。むしろ撮ったことで「それ」を見た気になるのがマズいのではないかと思います。「それ」を見たいのなら直に「それ」を見たほうがいい気がします。写真に撮るのは「それ」を「それ」以外の何かに変えたいからではないでしょうか。 そのことは「それ」にとっていいことなのかどうか「それ」から聞けることは稀だと思います。...
テレビのドラマで事故や事件が起こったら歩いていた人たちがいっせいにスマホを向けてバシャバシャ撮り出すシーンがよくありますよね。人がケガして倒れているのですが・・・私もそんな場面に出会ってカメラを持っていたらやっぱり写真を撮ろうとするのでは、と思っています。それは際立った例えとしても、どんな場面でもカメラは持つ人を傍観者にしてしまうところがあるのではないでしょうか。「あっしには関わりのないことで・・...
行ってきました。...
写真の投稿だけです。...
試しにですが3、あるいは4カットで写真を組んでみます。すると2、あるいは3カットまでは決まるのですが最後の1カットがなかなか決まらず迷うことがよくあるんですね。組み写真というほどでないにしても写真を数カットのまとまりで見た時、その中の1カットだけが目立つのはよくないようです。3枚の組み写真だとすると他の2カットが、それぞれの別の1カットを支えるというのでしょうかうまくバランスが取れると、見やすい写真群にな...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
「人間だもの」…耳に響きのいい言葉ですよね。でも最近ちょっと引っかかっています。「人間だもの」というのには「人間とは何か」が分かっている必要があるのではと思うようになりました。でも「人間とは何か」完全に分かっている人っているのでしょうか?「写真だもの」も同じように思います。「私に写真で分かっていないことなんてない!」そんな人・・・いるかどうかですね。たぶん、ですがどちらも永遠の謎ではないでしょうか...