何でも新しければいいというものではないことを写真の世界が証明しているように思うのですがどうなのでしょうね。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 8
何でも新しければいいというものではないことを写真の世界が証明しているように思うのですがどうなのでしょうね。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。胃は痛いのですが言いたいことがないんですよね。でも、それはいいことではないでしょうか。昔の人は言いました。「沈黙は金になる、儲かる」と。...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 7
有名になることは自分がブランド化されることです。そうすることでファンが出来ていきます。そのことは、ファンの期待するイメージに自分が応え続ける必要があることを意味します。ファンの期待する自分のイメージから出られなくなるのです。それはとてもしんどいことではないでしょうか。有名にならなくてよかったです。負け惜しみですね。...
写真は部分しか撮れないと言われます。全体を撮ることは出来ないからです。でも、その全体も何かの部分ではないでしょうか。全体であることは、それより他がないことが分かっていなければなりません。そうだとすると、写真で撮れるのが部分でもいいのではと思えてきます。部分を堂々と撮ればいいのです。まあ、あまり無理しないほうがいいとは思いますが。...
普段はうつむいて歩いているのですが撮影の時だけは前向きになっています。まあ、ええ、ムキになるんですよね。下を向いてゴミを撮ったりしていたこともあるのですが最近は普通に、地面に水平にキョロキョロして撮っています。何が普通かは分かりませんが。1メートル60ある、長身の目の位置の視界を重視しています。まあ、重視という難しい漢字は似合わないあっ、軽いカメ爺なのです。...
一気に暖かくなりました。桜の季節です。どこも、人いっぱいになるんでしょうね。今年はどうしようかな、といったところです。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 6
今の幼い子供たちは育って行きながら大人たちというのは顔の下半分以上が主に白ぽいものだと学習していくのだなあと、春うららな、表の街角で思ったのでした。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 5
写真の世界も多様性が言われているようですが実際は多様性という名の一様性に向かっている気もします。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 4
AI生成で作られた場合、それは写真ではなくて、写真まがい画像だと思っています。写真は、現実の光景を写しとったものだと思っているからです。何が現実かという難しい議論も必要ですが今のところ、手で触ってその存在が確かめることが出来る森羅万象と言ったところかなと思います。目の前の世界が死んだ万象にならないことを願っています。森羅万象から評判の悪いカメ爺が言うのもこそばゆいのですが。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 3
スマホのせいでしょうか縦位置写真をよく見るようになりました。縦に構えて撮るのが自然だからでしょうね。でも、横位置で撮ったほうがいいと思っています。横位置のほうが情報を多く入れやすい気がするからです。縦だと上には空が、下には地面が入りやすいです。ちょっと単調な画面になりがちだと思います。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 2
「自分語り写真」が流行っているようです。説明を読むと「自分はこういうところが好きで撮った」みたいな解説をしているんですね。「自分の好き」に共感してくれる人、募集!といったところでしょうか。私の写真?「自分ガッカリ写真」は流行らないようです。...
「自分の好きを撮りましょう」とよく言われるんですよね。まあ、言われなくとも嫌なものはあまり撮る気にはならないと思いますが。でも、写真に撮った「それ」が「なぜ好きなのか?」などと考えるとよく分からなくなることも起こり得ます。自分が好きと思い込んでいるものごとに疑問を投げかけるのが写真かもしれないからです。もし、そうだとすると「自分の好きばかり撮ること」は考えものではないでしょうか。「好きなモノ」は謎...
写真でポイントになるのは背景なんですね。背景で主役を引き立てるというよりいかにして隠すことが出来るかだと思うのです。...
「再現」でもなく「表現」でもない頼りなさが写真の強みではないのかなと、最近は思っています。ホンモノの写真家の人たちには分かっていて、実践できているのではないでしょうか。「再現」でもなく「表現」でもなく「創作」でもなく、「出現」みたいなものかもしれません。写真家が表わすというより、写真家を通じて表れる・・・、それが「写真」というものかもと、そんな感じもするのです。だからホンモノの写真家の人たちは選ば...
写真って、面白いですよね。でも、写真のどこが面白いのか言葉にしようとすると出来ないんですね。それが写真の面白いところだと言ったらふざけているようで面白くないのです。...
写真関係の動画をよく見るようになったのですが運営している人って、あまりいないんですよね。私の探し方がよくないのか同じ人(たち)ばかり出てきます。ちょっとマンネリしています。...
孤独は主観的で、孤立は客観的なもの。そんな記事を見かけました。いえいえ、そんな単純なものではないと思います。孤独感は主観的ですが孤独は人間存在の根源的なことだと思うのです。いま、ここには私一人しかいることは出来ません。同じ時間、空間を共有は出来ないのです。写真を撮っているとそう思う実感できるのではないでしょうか。今、見ている景色は私しか見えていないのです。...
カメラは、それを持つ人を傍観者にします。自分では関わっているつもりなのですがそれと距離を置かないと写真は撮れません。カメラはそれに触れていると錯覚させる機械なのです。...
「写真家・森山大道氏の写真集の新刊『DAIDO SLIDE』が日本でも発売が開始され」たそうです。以前なら、「見たいな」「欲しいな」と思ったのですが今は、ほとんど思わなくなりましたね。以前にも書きましたが森山大道ではなく、The DAIDOになってしまった気がするのです。写真集は、有名な「三沢の犬」が表紙でイヌの向きが左と右のバージョンがあるそうです。いや、いや、何だか商売が上手いなあなんて失礼なこと、思ったりします...
よく、写真の上手い人から「ここと思ったところから、さらに1歩前に出て撮れ」と言われてきました。その時は「なるほど」と思うのですがいざ撮影になると、足が前に出ないんですよね。足の長さは関係ないと思うのですが「オレの足では前に出てもそれほど変わらんやろ」と後で気が付くと、言い訳をしていたのでした。...
途中、雨がパラパラ降ってきました。春雨に濡れるのは年齢的に危険ですし、引かれる後ろ髪もないので、サッサと引き上げました。...
「人間とは何か」が分からないとしたら何が意味あり、何が無意味かは誰にもホントのところ、分からないのではないでしょうか。「写真とは何か」が分からない以上、何が「いい写真」なのかも分からないのです。それでも、ここでゴチャゴチャ写真について理屈っぽいことばかり書いています。とてもカッコ悪いことをやっている気もしますがそれでも、書かないよりはマシかなと思っています。言いたいことを書かないで、腹部に貯蔵し続...
「見えないモノを撮る」と言いますが見えないモノは写真には写らないと思います。すみません。理屈っぽくて。そんな気持ちが大切ということなのでしょうが写真家はロマンチストではなくリアリストだと思うのです。どこまでカメラの目になれるか・・・なのですがまあ、ゴチャゴチャ言わないで、とっとと撮ることですね。気温の上昇を期待したいと思います。...
簡単な言葉はアッサリ分かった気になりがちです。しあわせ、健康、いのち・・・。そして「いい写真」。でも、「いい写真」って、何なの?ですね。そんなモノ、どうでもいいような気もするのです。...
写真を撮るというのは撮る側の一方的な行為と言えます。例え相手が人間で、了解を得ていてもその姿を凝固させるようなものですから。おまけに平面の姿にしてしまいます。ぺっしゃんこになるのです。考えようによっては写真を撮ることは暴力的なことなんですね。笑顔をやめることも出来ず、桜は散ることも出来ないのです。...
写真の上手い人の「好きなように撮りましょう」というアドバイスは無責任な気がします。その人は「好きなように撮るにはどうすればいいですか?」と聞いているのですから。でも、その人の好きはその人にしか分かりません。まあ、聞くほうも聞くほうでどっこいどっこいなんですけどね。まず、自分の好きな写真を見つけることが先だと思います。...
「よく見て撮りましょう」と言われます。ただ、よく見ようとするほどアレコレ考えてしまいなかなか決められません。よく見るのは、撮ろうとするものを見つける時であって見つかったら、サッサと撮ったほうがいいと思います。...
これからのカメラは機能満載より「たったこれしか出来ないの?」みたいなほうがウケるのではないでしょうか。例えば「いうことを聞かないカメラ」なんて面白いと思います。ピントが変なところに合ったり色が変になったりシャッターがすぐに切れなかったりそんなカメラも面白いのではないでしょうか。売れるかどうか・・・分かりませんが。...
撮るものがあると思うから撮れないのです。撮るべき被写体が見つからないと言って悩むのです撮るものなどないけど撮ればいいのではないでしょうか。撮るものがないから何を撮ってもいいのです。テーマ主義が写真をつまらなくしています。決定的瞬間なんてアダ花です。ドラマやストーリーは写真以外でもいいのです。撮るものがないから何を撮ってもいいのです。写真で日常を非日常にしなくてもいいのです。料理は食べたほうが料理は...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 7
昨日、久しぶりに撮影しました。道頓堀、お天気&暖かだったせいでしょうか人、いっぱいでした。でも、「ここ、にっぽん?」でしたね。これまで通り、サッサと通り過ぎたのでした。...
写真の投稿だけです。...
カラーは色が邪魔をするからと言われていますがモノクロは線や形が邪魔をする気がします。黒い、あるいは白い線や形が目立つのをモノクロで避けるのは難しい気がするのです。...
誰にでもわかりやすい言葉で説明されると何となく分かった気になりますよね。例えば、ネットで見かけた次のような言葉です。「いい写真は伝わる写真、伝わるってどういうことかっていうと、あとで撮ったときのこと、感情とかを思い出せること」。分かりましたか?要するに「いい写真=伝わる写真=思い出せる写真」ですよね。でも、伝わると思い出せるは違う気もするのです。伝えるのは普通、相手の人、他人ですよね。伝わるなら、...
写真は基本的には横位置で撮ったほうがいいと思います。そのほうが情報が一杯写ると思います。縦位置は隙間から覗いているように感じるので除き写真になりやすい気がします。...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 6
人を撮る時には適切な距離感を考えて撮りましょうというアドバイスがあるんですね。近すぎないようにということのようですが人によって違うのではないでしょうか。「適切な」という言葉自体があいまいな気がします。たいていの人はカメラを向けられると緊張するのですから数字的な距離は分からないと思います。...
寒いです。でもあと1週間で春です。確実に日差しの光量は増えています。今年は撮影にあまり出かけていませんがまあ、寒気の顔色をうかがいながら出かけたいと思っています。...
以前は憧れの写真家がたくさんいました。この人のような写真、撮りたいなあと目標にしました。でも、今、そのような人がいなくなってきています。まあ、自分は成れないというのが分かったこともあります。もっと早く気づけよ!です。その一方で、ガッカリすることも起こるようになりました。偉そうですが・・・。例えば、世界の森山大道です。森山さん、人気が出るにつれて「アレ?」でした。トイレの設計に参加したり、カレーのパ...
進歩というのは、実質的にはあるのだろうかと思います。良くなったところには目が行き喜んでいても必ずどこかで不都合が起こっているからです。写真もデジタルになったことを進歩と捉えることも出来ますがその反面、つまらなさも増した気がするのです。それを証明するのがフィルム人気ではないでしょうか。人は10歩進むと影は10歩下がるのだと思います。...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 5
記憶という、あいまいで、無責任で、独りよがりのものに人は振り回されているように思えます。なぜなら記憶は感情とセットですからありのままの記憶というのはないのではないでしょうか。その記憶を裏付けるものなんてもうこの世にはないのですから事実を証明することは出来ないんですね。唯一、写真はそう思われていますが写っているのはカメラの前にあった一瞬の平面画像です。撮った本人は記憶を再現してみることは出来るのです...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 7
いろいろ定義があるのですが「スナップ写真」とは「切羽詰まり写真」だと思っています。どこをボカすとか、どこにピントを合わせるか、構図は?とかアレコレ考える余裕がなく撮るのが「スナップ写真」です。実際は何かを考えているのですが感覚的には、サッサと撮ることだと思っています。...
写真の投稿だけです。...
言うまでもないことですが写真は視覚の表現です。今は視覚が過度に目立つようになりました。音楽にしろ、グルメにしろ視覚も重視されています。それでも、人間は五感の生き物であり視覚を支えているのは触覚だということを忘れたくないと思います。...
写真でポイントになるのは写らなかったコトやモノなんですね。正確には写せなかったコトやモノです。写ったコトやモノはそれほど取り上げることではないのかもしれません。あくまで写真というイメージなのですから。あくまで写真上の演出なのですから。...
写真で1カット、1カット、すべてが傑作でなくてもいいと思っています。サビばかり続く曲って、疲れますよね。...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 5
写真の投稿だけです。...
不便さの中にも豊かさがあります。便利さの中にも貧しさがあります。写真を取り巻く諸々がそのことをよく分からせてくれていると思います。...
写真の面白いところは見せようとすると、相手には見えにくくなってしまい見せまいとすると相手に見透かされてしまうところです。伝えたいと工夫し過ぎると伝える内容よりも、ウケたいという本心が見え見えになってしまうように思います。「秘すれば花」とカッコつけてもその花は枯れていたり、造花だったりということはないでしょうか。...
エモさとノスタルジーは、よくいっしょに語られます。ノスタルジーは過去に結びつけられもう今の日常の中では取り戻せないという希少感がココロを揺さぶらせるのです。過去には時間という重みがあり進行形の今、現在は薄っぺらく感じさせます。デジタルがいくら威張ってもフィルムの持つ歴史の重さには叶いません。デジタルはどれだけ豪勢でも軽すぎるのです。...
「一を聞いて十を知る」という言葉があります。察しがいい人に対して使ったりしますよね。ところで写真です。一枚の写真から十を知ることは出来るのでしょうか。よく写真はストーリーだと言われるのは見た人が自分の見たいようにその人なりの九を加えて見ているのだと思います。一枚の写真にストーリーを読み取ろうとするのはほとんど無理だと考えたほうが写真は面白くなる気がします。ストーリーは動画のほうが合っているのではな...
写真にとってもタイトルは大切だと思っています。言葉の使い方ですね。ネットのニュースなどにもタイトルが付きますがけっこうオーバーな気がすることがよくあります。目立たないとダメなのはよく分かるのですが、写真にもオーバーなのがあるのでしょうか。...
無邪気な子供が撮ったから受け狙いの下心なしに撮ったからつまり邪心がない人が撮ったなら「いい写真」になるのでしょうか。そんなことはないと思います。「じゃしん」から濁りを取ったら「しゃしん」になるという駄洒落では「写真」は寒がるだけではないでしょうか。...
写真の世界はどんどん息苦しくなって行くと思います。写真の世界はどんどん落ち着かなくなって行くと思います。写真の世界はどんどん窮屈になって行くと思います。それから・・・写真の世界はどんどん清潔過ぎるになって行くと思います。写真の世界はどんどん乾燥して行くと思います。そして・・・写真の世界はどんどん静けさが充満して行くと思います。やがて・・・写真の世界はどんどん「人間」がいなくなって行くと思います。シ...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 4
デジタル技術は人を落ち着きのない生き物にした気がします。写真も撮影したらスグに確認したくなりますよね。そして気にいらないとアッサリ削除するのです。フィルム時代は現像の仕上がりを短くても4,50分は待つ余裕があったのですが。調べたいことも、AIに尋ねたらすぐに的確と思える答えが返ってきます。頼りない人に聞いたら「え、えっと~。」なんて時間が無駄に過ぎていきますから。写真も感想を言ってくれるんですね。そば...
コンデジになって日常的に写真を撮っている人が増えました。たしかにいつもカメラを持ち歩いているといい瞬間を撮り逃がすことがなくなりそうです。でもどうなのでしょう?私は持ち歩かないほうなので違うかもしれませんがむしろ持ち歩くほうが、スマホカメラを含めていい瞬間を見逃す確率が増えそうに思います。いつでも撮れるという油断がそうさせていないでしょうか。やはり、写真を撮るんだ!という意識が必要で常時持ち続ける...
環境に適応できなかったので滅んでいったのではなくそもそも環境に適応できるように出来ていなかったから滅んだのだと思います。フィルム写真が滅亡しないのは、あえてデジタル環境を必要とはせずそれが魅力だったからではないでしょうか。デジタル写真はデジタル環境がなくなれば滅亡しますがフィルム写真はデジタル以前から存在していたからデジタル環境に適応する必要はなかったので、しぶとく生きてゆくと思います。...
前向きにと言うけれどどっちの方角が前なのだろう。ポジティブにというけれどネガとポジの区別はどうするのだろう。前ばっかり見ていたらコケそうになると思う。ポジティブなだけではおめでたいだけだと思う。1月も終わるのだからニュートラルがいいのでは?と思う。思う、思う、思うでうっとうしいけれどうっとうしいのがこの世の中の天候のような気がする。ダサいのはUNOさんだけではないのだから。...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 5
最近、「観る」という言いう方をよく見かけます。写真集や写真展にも「観る」が使われています。個人的には「見る」に馴染んでいるので、「観る」には違和感があります。「観る」は対象から距離を置いて、離れて「見る」感じがします。観劇、観戦、観賞、観光、観察・・・ですね。写真の場合は「見る」に統一したほうがいいように思います。写真はベッタリ見たいのです。...
写真は真実を写すと書きますが本当のところは真実は写せないのではないでしょうか。なぜなら真実とは何かが分からない以上写せるとしたら真実のようなものでしかないと思います。真実と信じたいモノやコトですね。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 1
「いい写真は誰でも撮れる」という言い方があります。ん?「いい人には誰でも成れる」みたいな感じがするのですが。結局「いい」とはどういうことか「誰」とは誰のことなのか、何も言っていない気がします。単に耳障りのいい言葉でしかないと思います。...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 4
ハイコントラストだったり、露出がオーバーだったりで画面の四周が真っ白の写真があります。写真の外側も白いと境目が分かりません。見ていると、落ち着かなくなってくるのです。...
便利さに慣れたくないんですよね。便利さに甘えたくないんですよね。便利さに利用されたくないんですよね。ー無駄な抵抗はよせっ!!!便利さ、BAMZAI!!!!!便利さ、これからもよろしくお願いしますっ。...
時々、見かけるのですが私にも思い当たるところがあるんですね。それは「むげんのかうせい」です。写真関係でも「デジタル写真には無限の可能性がある」などと言われたりしています。もし、あの世があったとしたら訪問した時、私も思わず口走りそうです。「オレにも夢幻の可能性があったんや!」と。...
デジタルにほぼ入れ替わるころフィルムは要らなくなるだろうのようなことを専門の人が言っていたと思います。でもそうではなかったですよね。それなりの人気を保っているのではないでしょうか。予想というのはなかなか当たらないもののようです。よそうはよそうといったところでしょうか。...
用事&撮影しに出かけました。街は温かく気温は暖かかったです。...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 3
カメラは人間の目の不確からしさを確認するための装置だと思うことがあります。人間の目はじつは何にも見ていないのではないでしょうか。「わあ、キレイ!」と言いながら目の前の花ではなく、自分を見ているのだと思います。自分の足もとの草を踏みつけながら。...
投稿カットは10月の撮影ですが昨日、今年初めての本格的、と言う大げさなものではなく街へ出かけての撮影をしました。もっと早く行きたかったのですが危険な寒さが襲っていたので、やっとこさだったのです。まあ、相変らずミナミはバウンドしていてにぎやかだったです。カメラの設定を微妙に違えていて「なんでやねん!」と相変らず、今年も引き続きオロオロしたのでした。...
撮影してきました。...
県外の写真家さんが大阪に来て写真を撮っている動画を見ました。いやあ、元気ですね。歩数は半端でないみたいです。ただちょっと気になることが・・・。せっかく大阪に来たのに望遠でupの写真を多く撮っているんですね。「それなら、そちらの県にもあるのでは?」県外の人が大阪をどう撮るのか見たいのですが大阪に来て撮ること自体に意味を感じているのでしょうか。...
自分の知っている場所がテレビで映されたりします。途端に、全然違う場所に見えて来ることがあります。特別な場所に見えて来るんですね。フレームというのは怖いなあと思います。...
フィルム写真は出来ればプリントして見たいです。それも、ネガをデジタルスキャンしてのプリントではなくラボでのプリントがベストだと思います。ただ、今の時代には厳しいかもしれません。価格など最近のことは、ほぼ分からないのですがそう度々直でプリントすることはしんどいでしょうね。ところでフィルムで撮ってネットに上げるにはデジタルのお世話になるのですがそれはフィルム写真と言っていいのかそれともデジタル写真とい...
「コウカイ」したことを「コウカイ」しないように「コウカイ」と思うカットを「コウカイ」するようにしているのですが「コウカイ」したあとに「コウカイ」ばかりしています。「コウカイ」を続ける、写真という名の海原の上で。...
「顔に責任を持て」という言葉があります。顔はその人そのものだからなんですね。顔は全体で顔です。目は口ほどにものを言うにしても、口も必要なのです。顔の半分以上が覆われたら、その人はどこかに行ってしまったように感じます。感情のなくなったロボットみたいというのはその人に失礼なのでしょうか。世界は無感情に向かっているのかもしれません。...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 3
駄目ってつまらない目と書きますよね。目につまらないや、つまるのがあるのも面白いです。「駄」を分解すると「太った馬」です。「太った馬」というのは秋専門と思っていたのですが写真の世界には年中、「太った馬」がいるのでしょうか。「太った馬」を見分ける目を持ちたいと思う、真冬です。...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 2
機種自慢、受賞自慢などはせずに、ただ静かなたたずまいで自分には撮れない、出来ないと思わせられる写真家。「あなたにはこんな写真は撮れないでしょ」とエラソーにではなく、ジンワリと突きつけてくる写真家。でも、自分はダメだと卑下させるのではなくだからこそ、自分は写真をやりたいんだと思わせる写真家。それが「いい写真家」だと思う。...
ある日、「マウント」という言葉を目にした時「えっ?レンズの話?」と思いました。ニコ○・マウントやキャ○ノン・マウントなどを連想したんですね。新しい流行り言葉はたいていカタカナの横文字なので昭和に読み書きを習ったカメ爺は戸惑います。「マウント取るやつはけしからん!」と上の方からマウントしていたりします。山はてっぺん以外は、上と下は相対的ですから上には上が、下には下が続きます。それに、とがったてっぺんだ...
カメラ、ずいぶん高くなりましたね。「天高く馬肥ゆる秋」のあとに訪れた「円安く人痩せる冬」です。このようなカタチでのダイエットは好ましくないです。元気を無くすダイエットは写真家から必要な水分まで奪って行きます。写真に必要なのは湿気ではないでしょうか。デジタルは乾き過ぎだと思います。...
記憶と感情はセットなので撮影時の感情が写っていると思ってしまうんですね。それで「いい写真」が撮れるかどうかは記憶と感情を切り離せるかにかかっていると思います。ただ、言うは易く・・・です。それにもう一つのカンジョウ、損得勘定が絡んでくるのでタイヘンです。それに、それに小人欲求、いいえ、大人になっても承認欲求もあるのです。でも、健全な、と言っては変ですがココロの健康維持には適度の承認欲求を満たすことも...
カメラマンと写真家との違い。写真をコントロールしようとするのがカメラマン。写真にコントロールされるのを受け入れるのが写真家。...
新鮮さと奇抜さとは違うと思います。新しさは古さの「上書き保存」なんですね。新しさには古さのバックアップがあるのです。単なる奇抜さはプカプカ浮いて目立つとしても根っこがないので短命に終わると思います。デジタル写真が、もちろんすべてが奇抜ではないのですがフィルム写真のような制約、不自由さがないと写真ではなくデジタル画像、言ってみればデザイン的なイラスト画像になる気がします。...
目は5つより2つのほうがよかったのではと思います。5つもあると視線を合わせるのに苦労します。上の2つに合わせればいいのでしょうが下からも見上げられていそうで落ち着きません。カメラもレンズの目が5つもあったらカメラ目線をどれにしたらいいのか迷いそうです。...
今年も52分の1週間が終わろうとしています。時間は実在せず記憶の中にだけあるのでしょうか。写真は記憶という、時間を強烈に感じさせるメディアです。写真は去ったものたちへの鎮魂歌の代理人なのです。写真には未来はなく過去だけが花咲く住処なのです。...
頭を怪我しました。ケガナイのにケガガアルのです。写真も思いが写っていないのに写っているように感じさせるところがあります。思いが写るというより映っているように感じるんですね。思いが鏡のように反映されているのですがそれは撮った人にしか見えにくいのが普通です。自分には髪の毛があると思いたくても相手の人には反射がまぶしいのが現実ではないでしょうか。...
写真でポイントになるのは視覚ではなくて触覚だと思っています。肌ざわり、皮膚感覚、キモイ・エモイ・・・デジタル画像はスベスベ、ツルツルしているのでそのあたりが欠点、弱みのように思います。視覚より触覚のほうが当てにできる気がします。デジタル画像が鮮明になるほど、ウソっぽくなって行くように感じるのは時代錯誤かもしれませんが。...
写真はよく料理に例えられます。どちらも「うまい」が共通語だからです。ただデジタルの時代になって、少し違うところが出てきました。料理は「うまい!上手だね」と単純に褒めてもらえますが写真は「うまい?それで?」と当たり前のような反応しか帰って来なくなりました。温かいお節料理の時期なのに暖かいお世辞すら言ってもらえなくなった写真は寒さに震えるしかないのでしょうか。...
大みそかの夕方と、元日の朝に撮影してきました。元旦はまだ暗いうちから出かけました。よく起きられたなあと思います。思い切りゴーストの入った写真も撮りました。普段の撮影は太陽を入れないようにしているのですが、「年末年始くらいはええやろ」と自分でも意味不明のことを言ってシャッターを切りました。素晴らしい(!)ゴーストのカットが撮れました。今年は「ゴースト・フォトグラファー」を名乗ろうかななどと思いました...
新年、おめでとうございます。今年も当ブログをよろしくお願いします。...
ご訪問、ありがとうございます。来年も当ブログをよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。...
年齢的、体調的には難しいのですが時々「東京に行きてぇ~っ!」なんて思ったりします。東京にいたのはもうずいぶん昔のことで、記憶もかなりあいまいになって来ました。あのころの東京はもうとっくに行方不明になっているのは分かっているのですが・・・。東京で思い出しました。写真集で見た、緑川洋一さんのような日本の綺麗な風景を撮れるようになりたい・・・そんな思いで写真を始めたことを。カメラのことはまったく詳しくな...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 2
デジカメでモノクロ専用の機種が出るとは思いませんでした。カラーが当たり前の時代ですから。モノクロは難しいですから挑戦し甲斐があるからでしょうか。カラーと並走してやるのは少し混乱する気がするのでモノクロだけの撮影と割り切って撮るのがいいのだと思います。...
動画対応 Vlog用カメラというのがあるんですね。街歩きの動画はそのようなカメラで撮っているそうです。カメラがメチャクチャ小さいので目立ちません。それですれ違う人もほとんど意識していないように映っています。カメラの大きさによって、意識のされ方が違ってくるのですね。カメラの存在感、街なかで撮ること、いろいろ考えさせられるのでした。...
「写真」や「カメラ」が人気なのでしょうか?フィルムカメラやトイカメラが話題になります。ただ、それらで撮られるのが「私の周囲3の半径メートル以内」のように思うのです。料理などの写真の投稿をよく見かけるのですが以前は自分が飲食したメニューを「これ、食べたよ」と赤の他人に見せる気にはなりませんでした。3メートルも離れている人のメニューなんて誰も興味ないですから。でも今は、知らない人にも「これ見て!」と躊躇...
SNSを見ていたらAIで自分の撮った写真を批評してもらっている記事がありました。読んでみるとまるでベテランの人の感想みたいでビックリしました。そんな時代なんですね。でも、批評というものは具体的な人が行うものと思い込んでいるカメ爺なので、違和感いっぱいなのでした。的確過ぎるのです。独断と偏見がありません。やる気を出させる、持ち上げるだけが批評ではないのです。「その人」という肉体を持っているゆえの口臭や体...
ネガティブという言葉は辞書的には「否定の、反対の、否定的な、消極的な、悲観的な」という意味ですよね。例えばネガティブ思考⇒暗くてよくないと考えられています。でもそれは、とても短絡的で決めつけた捉え方ではないでしょうか。ネガとは陰であり、日の当たらない見えないところのことであって、暗いという意味にストレートに結びつけなくてもいいと思うのです。よくないことと決めつけるのは少し違うのではないでしょうか。...
通りすがりの○△□241010・このまちに、わたしたちが 3
写真撮影には練習はないと思っています。いつだって本番なのです。試し撮りのつもりで撮ったカットが傑作だったりします。本番だといって気合いの入ったカットが駄作だったりします。かと言って本番を意識すると緊張しますよね。でも緊張したほうが練習だと思って気楽に臨むよりはましなのです。その緊張を上手く撮ろうとする自分に向けるのではなく被写体をよく見ることに向ければいいのですが・・・。理想はリラックスした集中だ...
通りすがりの○△□241010・このまちに、わたしたちが 2
縦に長いものを縦位置で撮るのはマジメ過ぎると思います。たまには横位置で撮ってもいいのではないでしょうか。説明用なら出来るだけ分かりやすく撮る必要がありますが遊び心ならどんな撮り方をしても、被写体も喜んでくれると思います。...
写真画像とデジタル画像は区別したほうがいいと思っています。簡単な区別としてフィルム写真で撮影したのと極力類似したデジタル画像は写真と言っていいと思います。被写体にあったものは写っているということですね。被写体になかったものは写っていないということですね。また、誰が撮ったかが分かっていることが基本です。撮影者不詳でも人の手の介入があったかどうかです。デジタル画像の写真まがい画像はできれば写真とは呼ば...
カメラ雑誌「フォトコン」に写真家の立木義浩さんが選・評を担当してる「モノクロ作品招待席」というコーナーがあります。ネットの電子書籍で見ていることもあるのかもしれませんが今月号(1月号)で少し気になったことがあります。選ばれた作品のほとんどが黒っぽいんですね。何度か書いてきましたが、最近の傾向なのでしょうか。モニターで見ているからでしょうか。紙上だともう少しディテールが出ているとしても少しツブレてい...
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何でも新しければいいというものではないことを写真の世界が証明しているように思うのですがどうなのでしょうね。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。胃は痛いのですが言いたいことがないんですよね。でも、それはいいことではないでしょうか。昔の人は言いました。「沈黙は金になる、儲かる」と。...
写真の投稿だけです。...
有名になることは自分がブランド化されることです。そうすることでファンが出来ていきます。そのことは、ファンの期待するイメージに自分が応え続ける必要があることを意味します。ファンの期待する自分のイメージから出られなくなるのです。それはとてもしんどいことではないでしょうか。有名にならなくてよかったです。負け惜しみですね。...
写真は部分しか撮れないと言われます。全体を撮ることは出来ないからです。でも、その全体も何かの部分ではないでしょうか。全体であることは、それより他がないことが分かっていなければなりません。そうだとすると、写真で撮れるのが部分でもいいのではと思えてきます。部分を堂々と撮ればいいのです。まあ、あまり無理しないほうがいいとは思いますが。...
普段はうつむいて歩いているのですが撮影の時だけは前向きになっています。まあ、ええ、ムキになるんですよね。下を向いてゴミを撮ったりしていたこともあるのですが最近は普通に、地面に水平にキョロキョロして撮っています。何が普通かは分かりませんが。1メートル60ある、長身の目の位置の視界を重視しています。まあ、重視という難しい漢字は似合わないあっ、軽いカメ爺なのです。...
一気に暖かくなりました。桜の季節です。どこも、人いっぱいになるんでしょうね。今年はどうしようかな、といったところです。...
今の幼い子供たちは育って行きながら大人たちというのは顔の下半分以上が主に白ぽいものだと学習していくのだなあと、春うららな、表の街角で思ったのでした。...
写真の世界も多様性が言われているようですが実際は多様性という名の一様性に向かっている気もします。...
AI生成で作られた場合、それは写真ではなくて、写真まがい画像だと思っています。写真は、現実の光景を写しとったものだと思っているからです。何が現実かという難しい議論も必要ですが今のところ、手で触ってその存在が確かめることが出来る森羅万象と言ったところかなと思います。目の前の世界が死んだ万象にならないことを願っています。森羅万象から評判の悪いカメ爺が言うのもこそばゆいのですが。...
スマホのせいでしょうか縦位置写真をよく見るようになりました。縦に構えて撮るのが自然だからでしょうね。でも、横位置で撮ったほうがいいと思っています。横位置のほうが情報を多く入れやすい気がするからです。縦だと上には空が、下には地面が入りやすいです。ちょっと単調な画面になりがちだと思います。...
「自分語り写真」が流行っているようです。説明を読むと「自分はこういうところが好きで撮った」みたいな解説をしているんですね。「自分の好き」に共感してくれる人、募集!といったところでしょうか。私の写真?「自分ガッカリ写真」は流行らないようです。...
「自分の好きを撮りましょう」とよく言われるんですよね。まあ、言われなくとも嫌なものはあまり撮る気にはならないと思いますが。でも、写真に撮った「それ」が「なぜ好きなのか?」などと考えるとよく分からなくなることも起こり得ます。自分が好きと思い込んでいるものごとに疑問を投げかけるのが写真かもしれないからです。もし、そうだとすると「自分の好きばかり撮ること」は考えものではないでしょうか。「好きなモノ」は謎...
写真でポイントになるのは背景なんですね。背景で主役を引き立てるというよりいかにして隠すことが出来るかだと思うのです。...
「再現」でもなく「表現」でもない頼りなさが写真の強みではないのかなと、最近は思っています。ホンモノの写真家の人たちには分かっていて、実践できているのではないでしょうか。「再現」でもなく「表現」でもなく「創作」でもなく、「出現」みたいなものかもしれません。写真家が表わすというより、写真家を通じて表れる・・・、それが「写真」というものかもと、そんな感じもするのです。だからホンモノの写真家の人たちは選ば...
写真って、面白いですよね。でも、写真のどこが面白いのか言葉にしようとすると出来ないんですね。それが写真の面白いところだと言ったらふざけているようで面白くないのです。...
写真関係の動画をよく見るようになったのですが運営している人って、あまりいないんですよね。私の探し方がよくないのか同じ人(たち)ばかり出てきます。ちょっとマンネリしています。...
孤独は主観的で、孤立は客観的なもの。そんな記事を見かけました。いえいえ、そんな単純なものではないと思います。孤独感は主観的ですが孤独は人間存在の根源的なことだと思うのです。いま、ここには私一人しかいることは出来ません。同じ時間、空間を共有は出来ないのです。写真を撮っているとそう思う実感できるのではないでしょうか。今、見ている景色は私しか見えていないのです。...
カメラは、それを持つ人を傍観者にします。自分では関わっているつもりなのですがそれと距離を置かないと写真は撮れません。カメラはそれに触れていると錯覚させる機械なのです。...
主観と客観という言葉がありますよね。とても簡単にですが写真にあてはめてみました。主観=写真家の思い、感情、客観=カメラが写した事物・・・です。これがどうしてもズレてくるんですね。そして悩んだりガッカリします。大切な写真の場合はそうなるのは仕方がないのですが楽しみのための写真ならそのズレを楽しんでもいいのではと思います。思うように撮れなかったと、切り捨てようとするカットの中にもしかすると「いい写真」...
撮影してきました。...
今のデジカメはものすごい機能が満載ですよね。そこで気になっていることがあります。ふつうの順番としては、自分が撮りたいものがあってその機能のある機種を見つけて使うと思うのです。被写体⇒カメラです。でも、その機能のすごさを証明するためにそれに合った被写体をさがす・・・そんなこともあるように思います。カメラ⇒被写体です。勘違いかもしれませんが、そんなことが気になるところが写真というメディアの特殊なところだ...
久しぶりに電車に乗りました。久しぶりにたくさんの生の人を見ました。ただマスクの人が多かったので、表情はアウトフォーカスでした。コロナ禍でシャイな人が増えたのでしょうか。それはそうと暖かくなってきたのは喜びです。ただ、写真を撮り歩いて帰ると足が「アタ、タ、タ」となるのが悲しみです。...
用事で布施へ出かけたついでに近鉄布施駅周辺で撮影してきました。「ついでに写真」が好きなんですね。...
写真は「違う!」ということが大切だと持っています。違うというのは否定することではありません。在るものを否定することなんてできません。プライベートな違和感みたいなものに気づくということなんですね。「何かが違う」写真はシャッターを押すという、一見肯定することをしないと撮れないですがそれは物理的なことであって、違和感を受け入れることではないのです。単に受け止めるだけでも写真は撮れるのですから。よく「好き...
「自分が見せたい物がちゃんと見えれば、他は黒くつぶれたり白飛びしていてもいい」という意見があるんですね。主役というのでしょうか、それが分かれば脇役や背景はちゃんと見えなくなってもいいということだと思います。主役が黒くつぶれたり白飛びしていてもいいというわけではないですよね。個人的にはいい写真にはいい脇役が写っていると思っています。それが何か、自分で判断するのが難しいので出来るだけトーンは飛ばしたり...
理屈の上では光の反射率0%が黒です。反射率100%が白です。ということは反射率50%のグレーが中間、つまり標準の反射率になりますよね。でも現実の世界(自然界?)は光の反射率は3%~96%なのだそうです。真っ黒はなくて限りなく黒に近いグレーなのです。真っ白はなくて限りなく白に近いグレーなのです。反射率3%から倍々にしてみます。3%→6%→12%→24%→48%→96%こうすると12%→24%の中間は18%になりこれが写真の教科書な...
人はもともとワンパターンな存在だと思います。だからその人と安心して付き合えるのです。会うごとにその人が別人格だったら大変です。二重人格、いえ多重人格だったらその人と付き合おうとしたらおそらく気が変になるでしょうね。写真も表現として付き合おうとする時、ワンパターンでもいいのではないでしょうか。器用にいろいろな表現ができる写真家もいますが器用さだけが写真表現に求められているとは思えません。器用に見える...
「伝える」とか「伝わる」とかそのような文言をよく見ますよね。コミュニケーションが気になる時代なのでしょうか。それだけコミュニケーションにズレが、ギクシャクがあるのかもしれません。上手く行っていたら話題にならないのですから。だからテクニックを学ぶ必要が生まれるのだと思います。でもコミュニケーションって相手次第なんですよね。まずどんな相手かによって変わってきます。たぶんテクニック化出来ないのではないで...
むかし、写真の先輩から「ネコや子供の写真を撮っていてはダメだよ」と言われました。もちろん、家族を撮ったファミリー写真や家族同然の人がったワンちゃんやニャンちゃんの写真のことではありません。ネコや子供の写真はほとんど誰でも好意的に見ますから被写体に依存してしまうからです。あくまでスナップ写真として見せるなら極力、ネコや子供は撮らないようにしようと固く、固く心に決めたのです。そして今、あの決心はどこへ...
写真の撮り方の本などでは「画面がゴチャゴチャしていると伝わりにくいのでちゃんと整理して撮りましょう」とよく書かれていたりします。たしかに正論だと思うのですが最近になって「整理」というのは少し違うのではと思うようになりました。「そこ」は既に「そうである」訳ですから、仮に人間側から見てゴチャゴチャしていても「そこ」は「そうである」ことに落ち着いているのです。ゴチャゴチャがあるからこそ「そこ」なのではな...
私はマイペースで写真をやっているし、周りに写真をやっている人もいません。それで最近の写真の傾向などの情報は主にネットや雑誌を見て得ています。ただ、インスタとかはあまり見ないですね。ネットはブログ関係が性に合っています。カメラ雑誌の入選作品を見て気になっていることがあります。作品の傾向が似通っているんですね。カメラや被写体に影響されるのが写真ですから当然なのかもしれません。ただ、フィルム写真の時代は...
ガーリーフォトからファミリーフォトへ。自分繋がり関係写真。私の周り重点関心写真。私の好き写真。私の楽しいこと至上写真。そして・・・私の家族、見て見て写真。かつては自分の家のことをわざわざ写真に撮って知り合い以外の人には見せなかったような気が・・・私、私、私・・・「私」は大忙し。...
みんな同じ顔に見えます。眼医者さんに行ったほうがいいかもしれません。...
人の写真を褒めるのは、時には上から目線のようになることもあると思います。褒められればうれしいのですが理由も言わずにやたら褒められると逆に居心地悪くなったりします。本当に?いいと思ってくれているの?人の写真をけなすのは相手のほうが上だと感じているからのせいもあると思います。自分負い目を悪口でごまかしているのですが理由もなくけなしているのは自分の劣等感からきているのです。本当のところは、いい写真だと認...
人間の悲しみ。それは、目に見えるものしか見えないということ。もう一つの目は想像力だと思うのだけれど適切に想像してみるのはとても困難。たいていは実像からかなり離れた妄想がほとんどだと思う。その妄想が大半の人たちで共通している。それをみんなは常識と呼んでいて、だからなんとか世の中は動くことが出きている。そもそも人間の目自体にバイアスがかかっているのだからゴチャゴチャが絶えないのは仕方がないのかもしれな...
写真の投稿だけです。...
まあいろいろあるけれど世の中、少しずつ良くなっていっているという意見もありますよね。そのまま受け取ると、マイナスが減ってゆき、プラスが増えてゆくことですから後から生まれる人が得ということ?になると思います。たしかに、どんどん世の中、便利になっています。昭和から見たらSFの世界が目の前に広がっています。でも、街なかで、テレビで、ネットで見る人の表情、マスクしているとよく見えないので、思い違いかもしれま...
かつて、いいえ最近まで「森山大道スゴイ!」と思ってきました。写真を始めた若いころなんて、ほぼ神格化していましたね。でも森山さん、有名になるにつれ、「ん?」と思うようになってきました。スゴイことは変わりませんが。当たり前です。自分と比べたら病院行きを勧められるでしょうね。ただ、森山さんの写真ってデザイン的なんだなあと感じるようになったのです。「写真よさようなら」という写真集がありますが「デザインよこ...