〇今、所有しているカメラに自分を合わせるようにしてその機能・性能で撮れる写真は何かを考えるこ〇撮影時を優先し、重視するようにして撮った写真にはできるだけ手を加えないようにすること〇「写真」と「デジタル画像」は区別するためにその違いを見分けることが出来るようになること〇「好き」では被写体の対象範囲が狭いので「気になる」で被写体の対象範囲を広げるようにすること〇撮影時は「構図」より「フレーミング」を意...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
〇今、所有しているカメラに自分を合わせるようにしてその機能・性能で撮れる写真は何かを考えるこ〇撮影時を優先し、重視するようにして撮った写真にはできるだけ手を加えないようにすること〇「写真」と「デジタル画像」は区別するためにその違いを見分けることが出来るようになること〇「好き」では被写体の対象範囲が狭いので「気になる」で被写体の対象範囲を広げるようにすること〇撮影時は「構図」より「フレーミング」を意...
写真の投稿だけです。...
行ってきました。...
あるところで「三分割構図で撮りましょうと教えている人は何を根拠にしているのでしょうか?」と書かれていました。読んでいくと「三分割構図」で撮ったらダメだそうです。私は写真も平面の表現なので、構図という考え方は必然的なモノだと思っています。構図抜きに写真画像は成立しません。その中の代表的なのが「三分割構図」ですよね。個人的には「日の丸構図」と「三分割構図」がベースだと思っています。「三分割構図」で撮っ...
人のことは言えないし、そんなにたくさん見ているわけでもないのですがネットで見る写真が、とても同じように見えてくるのです。被写体や、カメラや、性別、年齢などが違ってもさらに言えば、プロとアマと違っても写真、作品と言ってもいいのですが同じような感じを受けています。もちろん、私に写真を見る目がないことが大きいのですがそれでも、時代的なことなのかなあと思ったりしています。みなさん、上手くなりすぎたのではな...
この公園はもう何回も来ているので同じような写真ばかり撮っています。もっと他の撮り方もあると思うのですが私には思いつきません。それでも少しだけは違うカットを撮れるところが面白いと思っています。写真は目新しさの発見の驚きではなくて陳腐さの確認の退屈さの中に面白さを感じてもいいのかもしれませんね。...
「カメラは、撮る人を写している」という言い方があります。確かに写真にはその写真を撮った人の操作が反映されています。作為というのでしょうか、私がこのように撮りましたよということですね。「このように」に影響するのが被写体との関係です。好意的に見ているか、少し引き気味に見ているか・・・そんなことです。人物の場合は特にそうですよね。でも、「カメラは、撮る人を写している」というのは自分のことにこだわった自閉...
いつもの公園の桜は終わりを迎えていました。桜は集団で咲き誇るのでとても撮りにくい被写体の一つですよね。集団での協調性に欠けるカメ爺には合わないのでしょうか。曇天に散りゆく桜・・・暗い春に絶叫cryしたら「五月蝿い!」と、まだ四月なのに叱られました。...
写真はカメラの前の被写体を写すものと言えば当たり前のことを言っているみたいですよね。でも実際は、「私が・・・私が・・・私が・・・」とカメラと被写体の間に立ちふさがろうとして被写体ではなく「私」を写そうとしているのではないでしょうか。「カメラは、撮る人を写している」と言われたりします。撮る人である「私」と被写体の関係性が反映されるという意味だと思うのですが、結局は「私」にこだわっているのだと思います...
数字ほど無責任なものはないと思います。ン十万円のカメラが、いい写真を約束してくれるわけではないと言ったら嫌みでしょうか。ン千万画素の画質と、いい写真とは直接には関係ないのではと言ったら嫌みでしょうか。写真とは違いますが、テレビドラマの視聴率も人気のバロメーターであって、ドラマの質とは結びつかない気もします。人気も数字も無責任なのです。数字は無味・無臭で、蜃気楼みたいなものではないでしょうか。写真に...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 4
「写真」は英語で「photograph」ですが一般的には「光で描いた絵」と言われています。「絵」より「画」だと思うのですがそれより気になっていることがあります。「光で描いた絵」でがなく「光が描いた絵」ではないかなと。「光で描いた絵」はカメラマンつまり人間が主語ですが「光が描いた絵」で主語は光なのです。カメラマンにできることは光が描こうとする画の邪魔をしないことなのですがカメラマンの我が邪魔をして歪めてしまっ...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 3
「ヘタだけどいい写真を撮れればいいんですよ」そんなセリフをネットでよく見かけます。私も以前にはよく書いていたと思います。でも最近は少し反省しているのです。よく考えるとこの言い方は少し上から目線ではないのかな、と。「ヘタでもいいんですよ」と言われた相手を油断させて仲間に入ってもらおうという、情けない魂胆に気づいたのでした。すみませんでした。素直がいちばんです。「上手くていい写真」を目指せばいいのです...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 2
「自分が好きなものを好きなように撮りなさい」、アドバイスというのでしょうかそのようなフレーズをみかけました。ン?そのまま聞き流すと分かった気になるのですが立ちどまって改めて考えると、どうも「ン?」なのです。「自分が好きなものを好きなように食べなさい」、そんなように言われているのと同じではないかな、と。アマチュアが知りたいのは「自分が好きなものを好きなように撮るにはどうしたらいいのか」ではないでしょ...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 1
小手先のテクニックではダメだと言われたりします。このように言われるとテクニックを軽く見てしまいそうになります。でもカメラという機械を操作するのですからテクニックは必要ですよね。小手先でもないよりはずっとマシなのです。小手先のテクニックだけが目立つのがマズいだけなんですね。それに「小手先の」という言い方は少し嫌みに聞こえます。単に「テクニックばかりを追いかけないほうがいいですよ」でいいのではないでし...
小手先のテクニックではダメだと言われることがあります。このように言われるとテクニックを軽く見てしまいそうになります。でもカメラという機械を操作するのですからテクニックは必要ですよね。小手先でもないよりはずっとマシなのです。小手先のテクニックだけが目立つのがマズいだけなんですね。それに「小手先の」という言い方は少し嫌みに聞こえます。単に「テクニックばかりを追いかけないほうがいいですよ」でいいのではな...
人の写真を出来るだけたくさん見たほうがいいと思っています。写真を見ることは写真を撮ることでもあるんですね。そうすることで自分を人間カメラにしてゆくのです。カメラマンではなくマンカメラになって始めていい写真が撮れるようになる気がしています。自分を機械のように出来るかどうかということですがそう簡単ではないことは言うまでもありません。私が・・・私が・・・私が・・・だから逆説ですが徹底的に「私」にこだわっ...
写真の投稿だけです。...
説明するために写真を撮るのではなく説明しなくてもいいように写真を撮るのです。写真に言葉を添えるのは説明するためではなく写真の中へ見る人をいざなうためです。言葉で理解してもらうのではなく写真そのものとして受け入れてもらうためにです。説明すると見た人は分かった気になって気持ちとしては写真から去ってゆくと思います。写真を置いてきぼりにして。...
主観と客観という言葉がありますよね。とても簡単にですが写真にあてはめてみました。主観=写真家の思い、感情、客観=カメラが写した事物・・・です。これがどうしてもズレてくるんですね。そして悩んだりガッカリします。大切な写真の場合はそうなるのは仕方がないのですが楽しみのための写真ならそのズレを楽しんでもいいのではと思います。思うように撮れなかったと、切り捨てようとするカットの中にもしかすると「いい写真」...
撮影してきました。...
今のデジカメはものすごい機能が満載ですよね。そこで気になっていることがあります。ふつうの順番としては、自分が撮りたいものがあってその機能のある機種を見つけて使うと思うのです。被写体⇒カメラです。でも、その機能のすごさを証明するためにそれに合った被写体をさがす・・・そんなこともあるように思います。カメラ⇒被写体です。勘違いかもしれませんが、そんなことが気になるところが写真というメディアの特殊なところだ...
久しぶりに電車に乗りました。久しぶりにたくさんの生の人を見ました。ただマスクの人が多かったので、表情はアウトフォーカスでした。コロナ禍でシャイな人が増えたのでしょうか。それはそうと暖かくなってきたのは喜びです。ただ、写真を撮り歩いて帰ると足が「アタ、タ、タ」となるのが悲しみです。...
用事で布施へ出かけたついでに近鉄布施駅周辺で撮影してきました。「ついでに写真」が好きなんですね。...
写真は「違う!」ということが大切だと持っています。違うというのは否定することではありません。在るものを否定することなんてできません。プライベートな違和感みたいなものに気づくということなんですね。「何かが違う」写真はシャッターを押すという、一見肯定することをしないと撮れないですがそれは物理的なことであって、違和感を受け入れることではないのです。単に受け止めるだけでも写真は撮れるのですから。よく「好き...
「自分が見せたい物がちゃんと見えれば、他は黒くつぶれたり白飛びしていてもいい」という意見があるんですね。主役というのでしょうか、それが分かれば脇役や背景はちゃんと見えなくなってもいいということだと思います。主役が黒くつぶれたり白飛びしていてもいいというわけではないですよね。個人的にはいい写真にはいい脇役が写っていると思っています。それが何か、自分で判断するのが難しいので出来るだけトーンは飛ばしたり...
理屈の上では光の反射率0%が黒です。反射率100%が白です。ということは反射率50%のグレーが中間、つまり標準の反射率になりますよね。でも現実の世界(自然界?)は光の反射率は3%~96%なのだそうです。真っ黒はなくて限りなく黒に近いグレーなのです。真っ白はなくて限りなく白に近いグレーなのです。反射率3%から倍々にしてみます。3%→6%→12%→24%→48%→96%こうすると12%→24%の中間は18%になりこれが写真の教科書な...
人はもともとワンパターンな存在だと思います。だからその人と安心して付き合えるのです。会うごとにその人が別人格だったら大変です。二重人格、いえ多重人格だったらその人と付き合おうとしたらおそらく気が変になるでしょうね。写真も表現として付き合おうとする時、ワンパターンでもいいのではないでしょうか。器用にいろいろな表現ができる写真家もいますが器用さだけが写真表現に求められているとは思えません。器用に見える...
「伝える」とか「伝わる」とかそのような文言をよく見ますよね。コミュニケーションが気になる時代なのでしょうか。それだけコミュニケーションにズレが、ギクシャクがあるのかもしれません。上手く行っていたら話題にならないのですから。だからテクニックを学ぶ必要が生まれるのだと思います。でもコミュニケーションって相手次第なんですよね。まずどんな相手かによって変わってきます。たぶんテクニック化出来ないのではないで...
むかし、写真の先輩から「ネコや子供の写真を撮っていてはダメだよ」と言われました。もちろん、家族を撮ったファミリー写真や家族同然の人がったワンちゃんやニャンちゃんの写真のことではありません。ネコや子供の写真はほとんど誰でも好意的に見ますから被写体に依存してしまうからです。あくまでスナップ写真として見せるなら極力、ネコや子供は撮らないようにしようと固く、固く心に決めたのです。そして今、あの決心はどこへ...
写真の撮り方の本などでは「画面がゴチャゴチャしていると伝わりにくいのでちゃんと整理して撮りましょう」とよく書かれていたりします。たしかに正論だと思うのですが最近になって「整理」というのは少し違うのではと思うようになりました。「そこ」は既に「そうである」訳ですから、仮に人間側から見てゴチャゴチャしていても「そこ」は「そうである」ことに落ち着いているのです。ゴチャゴチャがあるからこそ「そこ」なのではな...
私はマイペースで写真をやっているし、周りに写真をやっている人もいません。それで最近の写真の傾向などの情報は主にネットや雑誌を見て得ています。ただ、インスタとかはあまり見ないですね。ネットはブログ関係が性に合っています。カメラ雑誌の入選作品を見て気になっていることがあります。作品の傾向が似通っているんですね。カメラや被写体に影響されるのが写真ですから当然なのかもしれません。ただ、フィルム写真の時代は...
ガーリーフォトからファミリーフォトへ。自分繋がり関係写真。私の周り重点関心写真。私の好き写真。私の楽しいこと至上写真。そして・・・私の家族、見て見て写真。かつては自分の家のことをわざわざ写真に撮って知り合い以外の人には見せなかったような気が・・・私、私、私・・・「私」は大忙し。...
みんな同じ顔に見えます。眼医者さんに行ったほうがいいかもしれません。...
人の写真を褒めるのは、時には上から目線のようになることもあると思います。褒められればうれしいのですが理由も言わずにやたら褒められると逆に居心地悪くなったりします。本当に?いいと思ってくれているの?人の写真をけなすのは相手のほうが上だと感じているからのせいもあると思います。自分負い目を悪口でごまかしているのですが理由もなくけなしているのは自分の劣等感からきているのです。本当のところは、いい写真だと認...
通りすがりの○△□240210・いつものことだから いつものことだけど 2
人間の悲しみ。それは、目に見えるものしか見えないということ。もう一つの目は想像力だと思うのだけれど適切に想像してみるのはとても困難。たいていは実像からかなり離れた妄想がほとんどだと思う。その妄想が大半の人たちで共通している。それをみんなは常識と呼んでいて、だからなんとか世の中は動くことが出きている。そもそも人間の目自体にバイアスがかかっているのだからゴチャゴチャが絶えないのは仕方がないのかもしれな...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 3
まあいろいろあるけれど世の中、少しずつ良くなっていっているという意見もありますよね。そのまま受け取ると、マイナスが減ってゆき、プラスが増えてゆくことですから後から生まれる人が得ということ?になると思います。たしかに、どんどん世の中、便利になっています。昭和から見たらSFの世界が目の前に広がっています。でも、街なかで、テレビで、ネットで見る人の表情、マスクしているとよく見えないので、思い違いかもしれま...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 2
かつて、いいえ最近まで「森山大道スゴイ!」と思ってきました。写真を始めた若いころなんて、ほぼ神格化していましたね。でも森山さん、有名になるにつれ、「ん?」と思うようになってきました。スゴイことは変わりませんが。当たり前です。自分と比べたら病院行きを勧められるでしょうね。ただ、森山さんの写真ってデザイン的なんだなあと感じるようになったのです。「写真よさようなら」という写真集がありますが「デザインよこ...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 1
写真に「正解」はないと言いいながら写真について「勘違い」していることがあると言う意見がありました。でも「正解」はないのだから「誤解」もないのでは?と思ったのです。あるのは写真ついてのひとりひとりの「解」だけだと思うのです。正解がないところが写真の面白さなのですからひとりひとりの解=撮った写真が違っていいのだと思います。あとは、その「写真」を自分を含めて、人がどう思うかなのですがその「写真」はニッコ...
写真はたくさん撮れば撮るほど撮り足りなく感じるところがあります。たぶん写真という胃袋は容量無制限なのだと思います。それが写真にとって健康にいいのかはよく分かりません。アートは体の健康とは別のところにあるのでしょうか。健康を気にし過ぎるのも不健康な気もしますが。...
カッコつけた言い方になりますが世の中、そもそも何か分かっていないことだらけではないでしょうか。「健康」、「幸せ」など分かったようでよく分からないのですが、何よりも「人間そのもの」について、誰も分かっていないのだと思います。「たぶん、こうだろう」ということでホントは分かっていないのに事を進めるしかないのです。「そういうことにして」進んでゆく世の中が混乱するのは当たり前のように思います。アートや写真に...
撮影しました。...
「カメラは撮った人も写している」という言い方があるんですね。それに対して「カメラはレンズの後ろにいるカメラマンは写らないでしょ?」と言うのは野暮なんですね。その写真を撮った人の工夫の跡や、上手く伝わらせようとする努力の気配が写真から感じられると言うことなのですから。それでも、撮影の事情の分からない人にはその写真を撮った人がいることしか伝わらないのも事実だと思います。写真は誰が撮ったかではなく誰がそ...
人は勘違いする生き物だと思うのですが、今回はらしくないことを書きます。たとえば幸福とは「なるもの」と思っていますよね。その「なる」は「成る」ですから「カタチ」ができます。そのためその「カタチ」を維持しようとします。でもそれは反幸福ではないでしょうか。「カタチ」の無くなることの不安が付きまとうからです。幸福は人の思いで成るものではないのかもしれません。人の思いとは関係なく、気が付いたらここに居るので...
主人公が五感を失ってゆくテレビドラマがあります。味覚、嗅覚と失い、現在は触覚を失っています。でも、物を掴んだりはできているんですね。そのあたりは考察して描かれていると思うので「そうなんだ」と思って見ています。そもそもそんなこと想像したくないです。五感のうちで触覚がいちばん世界との接触で大切だろうと思うのです。それでいちばん最後に失うのが触覚だと思っていましたがちょうど真ん中の3番目でしたね。残され...
写真撮影を突き詰めれば「距離」なんですね。まず焦点距離 つまり画角を決めないといけません。画角は写したい範囲のことですから基準になります。その写したい範囲はどれだけ離れればいいか、あるいは近づいたらいいかで決まります。つまり撮影距離です。そしてファインダーなりモニターを見るのですがしっくりこないことってありますよね。この場合、心理的距離に異和を感じているのでレンズを変える、焦点距離を変えるより撮影...
「カメラを始める」というのは不思議な言い方ですね。カメラというのは器械ですが、「クルマを始める」とは言いませんよね。同じアートの油絵だと「絵筆や絵の具を始める」とは言いませんが音楽だと「ギターを始める」と言います。そう考えると写真は音楽のほうに近いのかもしれません。ただギターは音楽で使う楽器の一つですがカメラは写真一般をカバーできます。「カメラを手に入れて写真という趣味を始める」というのは冗長なの...
「いい写真」について書かれていることを読むといい人でないと撮れないのかなあと思ったりします。撮る相手の幸せを願ってシャッターを押すなどという写真家さんもいるんですね。そうだとすると「オレ、失格やなあ」と落ち込みます。人間性?・・・写真とは直接には関係ないと思いたいです。自分を語るために撮る写真、家族のことを見てもらうために撮る写真、好きなモノだけを撮る写真・・・個人的にはお子さんの写真の投稿はどう...
「いい写真は誰にでも撮れる」というコピーをよく見かけますよね。でも「いい写真」って何を指しているのでしょうか?「いい人は誰にでもなれる」とよく似た響きがします。でも「いい人」って誰を指しているのでしょうか?私も若いころ、「私さんって、いい人ね」とよく言われました。老いて気づきました。「どうでもいい人」だったんですね。そうなんです。「いい写真」って人それぞれの考え方で決まるのです。だから「いい写真は...
昔は、と言うとカメ爺丸出しの言い方になりますがまあ、個人的にははるかかなたなので、こう言いますね。写真の本と言うと「○○の撮り方」とか「写真撮影入門」のようなタイトル、内容の本が多かったです。でも今は、そのような本もあるみたいですがネットを見ていると写真に対する姿勢、考え方を含めて生き方論みたいな内容の本も(のほうが?)人気のようです。「あなたらしい撮り方をするために」とか「毎日を輝かせるためにカメ...
突然、縦位置で撮ってみようと思い立ち、いつもの公園へ出かけました。縦位置は画面の上下の空間が間延びそうでどう画面を整理したものか迷うのです。屋外の撮影だと上のほうの空間には空が、下のほうの空間には地面があるケースが多いですよね。でも、どちらも特に意味はないように感じるのです。画面の整理や印象作り以外に役割を持たせるのが難しい気がしています。あと、左右から挟まれるように感じるという閉所恐怖症みたいな...
写真の投稿だけです。...
写真はカメラマンがほとんど関われないメディアだと思います。自分が作り出したものがほぼ無くても成立するからです。被写体・・・料理など自作のものって限られますよね。カメラやレンズ・・・まず無理です。器用な人が作るとしたらピンホールカメラではないでしょうか。お天気・・・神様、お願い!そうなんです。自分が撮った写真がカッコいいと褒められたたらそれは被写体がカッコいいからなんですね。カメラマンは自分が撮った...
人は複雑すぎることを嫌います。たいていは面倒くさいことは嫌なのです。人は簡単すぎることを嫌います。たいていは物足りないのが嫌なのです。人はややこしい生き物だと思います。写真も簡単に綺麗な写真を撮れるようになりましたがただの簡単を通り越し、超が付くくらいの簡単になりました。簡単が人を追い越してしまったと思います。「お~い!待ってくれ!」たぶん、待ってくれないと思います。落ち着いて考えている暇はありま...
通りすがりの○△□240210・いつものことだから いつものことだけど 1
写真ではよく「ストーリーがあって、いいですね」などと言う感想が聞かれます。写真に限らず人はストーリーが大好きです。あらゆることにストーリーを見出します。ドラマ、ゲーム、スポーツ、ゴシップ、アート・・・ストーリーの中に入り込むことで「退屈」という名の存在から逃れることができるのです。...
フェイクというのはニセモノのことですよね。と言うことはホンモノが存在するわけです。そうだとすると写真そのものもフェイクなのかもしれません。被写体=ホンモノとすればです。人物の写った写真を破いても「痛い!」なんて叫ばないです。写真を使ったフェイク画像がニュースになったりしますがそれが問題視されるのは社会にマイナスの影響を与えるからです。でもふつうは写真は思い出であったりするわけですから写真そのものが...
言葉は「それ」の代わりをしてくれるので省エネにぴったりのアイテムです。何しろ「それ」についていちいち説明にエネルギーを使わなくても済みます。「アレ」は「アレ」なのですから。写真でも「上手くなりたい」と言えば「分かりました」と言ってその方法をいろいろ教えてもらえますよね。でも「上手くなる」って何なのでしょう?バエる写真が撮れるようになることいいね!がたくさん付くようになることフォトコンテストに入選す...
「写真する」=「カメラを持って撮影する」ではないと思っていますカメラを持っていなくても、「写真する」ことはできるのです。「写真を撮る人」=「写真家」ではない時代なのですから。...
デジカメになって、さらにスマホカメラになってモニターを見て写真を撮るほうが圧倒的に多くなってきました。でも、個人的にはファインダーを見て撮るほうが写真を撮っている気がするので、そうしています。一時期、モニターを見て撮っていましたが被写体を視線で優しく押してる気がして頼りない感じがしました。写真はシャッターを切るという言い方があるようにもっと鋭利な感覚が伴うものだと思います。それにはファインダーを覗...
写真を撮ろうと思うならものをよく見なさいと言われます。でもよく分かっていないものは目には入らないのではないでしょうか。見たいものを優先してみている以上、ものを平等に、よく見るのは困難な気がします。...
「雨の日こそ、写真を撮ろう!」のような記事を見かけます。なるほど雨の日は、しっとりした情感のある光景になりますよね。晴れの日はコントラストのきつい、よく言えばメリハリの利いた画面、別の言い方をすれば、ちょっとキツイ画面になります。どちらがいいとかではないのですが個人的には雨の日は、めったに撮影はしませんね。カメラに雨は大敵というのがあります。傘をさしたりして対策はできるのですがそこまでして・・・と...
私の写真は横位置ばかりですが縦位置で撮るのが苦手です。縦位置はどうしても画面が上下に分割されてしまうように感じます。それと縦に長いものだから縦位置で撮るのも少しストレートすぎる気もします。縦に長いからこそ横位置で撮る・・・そういう発想の写真もあっていいかなと思っています。縦位置は視線を集めやすい気がしますが逆に言うと扱いの難しい画面ではないでしょうか。...
写真を撮るということは画面を整理して撮ることとイコールではないと思っています。画面を整理するという発想は構図法を不可欠のように思わせてしまうのではないでしょうか。それが間違っているとは思いませんが写真を撮るということをフレーミング作業、つまり切り取るという感覚で見たほうがより適切ではないかと思います。なぜなら写真を撮るというのは誤解を怖れずに言うと、ある意味で暴力的なことだと思うからです。繋がった...
見てあっさり分かってしまうと物足りないです。見てまったく分からないとイラ立ちます。写真の話ですが中間の落としどころが悩ましいです。...
私自身も以前はよく言っていたことなのですが今、違和感を感じるようになったことがあります。「下手だけどいい写真を撮れればいいんですよ」という言い方です。特に上手い人、プロの人が言うのは少し違うのではないかなと思うようになったのです。下手であることを悩んでいるのに上手いことで余裕のある人からのアドバイスとしてはふさわしくない気がします。やはり単刀直入に「こうしないと上手くなれませんよ」と教えてあげるほ...
写真を4つに分ける考え方があります。①うまくて良い②うまいけどダメ③へたでダメ④へただけど良い・・・だそうです。なるほどと思うのですが、そんなに単純でもない気もします。うまい、へたを技術的な面では言えても表現的にうまい、へたというのは微妙ですよね。まして、良い、ダメというのはさらに分かりにくいです。良い、ダメはとても主観的なのです。ほとんど好き、嫌いと言い換えてもいいようなことが写真の場合、頻繁に起こ...
写真の世界もずいぶん窮屈になってきたなと思います。写真の世界もずいぶん不自由になってきたなと思います。それはたぶん、昭和カメ爺の感覚であって時代錯誤なのでしょうね。それでも、デジタルになって多様な写真表現が可能になったと思うのですがなんだか一様な写真表現へ向かっている気もするのです。昭和カメ爺のどうでもいい独り言でした。...
行ってきました。誰かに「行ってらっしゃい」と言われた気がしたので。多分、幻聴だと思います。歳は取りたくないですね。写真は撮りたいけれど。...
ネットで見かけたコピーで気になったので書いてみます。「うまくてダメな写真・・・」???えっ?上手いことがなぜダメなの?上手いことは十分、価値があることなのに。そうではなくて「うまいけれどダメな写真・・・」のようです。結局、上手いということと、いい写真は別のモノなのに一つの文章で言うとややこしくなるんですね。上手いの反対語は下手でわかりやすいのですが、いいは良いではありません。良いの反対語は悪いなの...
...
夜、といっても夜の入り口で帰宅したので何とも言えないのですがミナミ、難波もずいぶん変わったなと思いました。昼間の撮影は時々しているのですがその時感じなかった空気みたいなものがありました。暗くなってきて照明の明るさに変わったこととは別に自分はここにいるという感じがしなかったのです。よそ者というのでしょうか、ふさわしくないというのでしょうか。まあ年齢的なことが大きいと思います。それでも、ミナミはミナミ...
写真の撮り方を説明する時に「画面がゴチャゴチャしていると伝わりにくいのでちゃんと整理して撮りましょう」と言われます。何気に聞いていると正論なのですが、最近になって「整理」というのは少し暴力的な意味合いに思えてくるようになりました。「そこ」は「そうである」訳ですから、人間側、つまり写真を撮る側が「そこ」を自分の都合で変えないほうがいいと思うのです。仮に人間側から見てゴチャゴチャしていても「そこ」が「...
私としては珍しく夕方から撮影しました。日曜のミナミの街の一部を短時間でしたがブラブラしたのです。得意のブレボケ写真を量産し自分らしさを取り戻した夕暮れ時はとてもロマンチックが止まらなかったのでした。...
カメラマンがカメラを選ぶというよりカメラがカメラマンを選ぶのではないでしょうか。カメラマンは自腹を切ってカメラを選んだつもりでも実のところ、カメラに選ばれているのだと思います。正確には試されている気がします。その機能を使いこなせるかということではなくその機能でどんな写真を撮るのだと言われているのです。そのカメラにふさわしいカメラマンになれるかどうか・・・季節の分かれ目ではないでしょうか。...
通りすがりの○△□231025・そなんやけどMINAMI 7
写真に関してですが綺麗と美しいを混同している気がします。「醜」という美しさもあるのですから。不快な美しさもあるのですから。写真は普通に撮れば何もかも綺麗に写すことができます。美しい写真を撮るのは難しいです。そもそも「美」というものが未だよく分かっていないのではないでしょうか。...
日常的にカメラを持ち歩いてその都度撮影するという人たちもいます。割合はよく分からないのですが当たり前になっている人はかなりいると思います。でも私は撮影する予定の時しかカメラを持って出かけません。まあ、ひとそれぞれですね。写真を撮ろうとカメラを持って寄った場所を見て気になったら撮らせてもらう・・・そのスタイル、スタイルという英語は似合わないのですが、そうするのが自分には合っているのです。...
もしかすると世の中は無表情化していっているのかな、などと思うのです。コロナはとりあえず落ち着いたもののインフルエンザとかでマスクの人のほうが今も多いですよね。お母さんやお父さんの顔がマスクに覆われて育った子供は大きくなったら、お母さんやお父さんのどんな表情で思い出すのでしょうか。顔全体で表情ですからマスク顔は表情とは言えない気がします。「マスク美人」という言葉がありますがもし仮に私が写真を撮らせ...
用事で出かけたついでに近鉄布施駅周辺で撮影してきました。...
変なことを言うようですが変なことが変でない時代になったように感じることがあります。単なる時代錯誤の感覚の部分が大きいと思うのですがそれだけでもない気もするのです。写真は撮るものだと思っていたのですが今は写真は作るものになりました。あったものを撮るのが写真だったのですが写真として作ったものがあったものなのです。変な時代は大変な時代なんですね。...
通りすがりの○△□231207・アレやコレやで、エエトコだっせ 3
新鮮な視線を見つけるためにハイアングルやローアングルでも撮ってみましょうと言われます。でもそれは普段は見下ろしたり、見上げたりしないで生活しているので新鮮に感じるだけではないでしょうか。普段の、日常の視線の中で、異質な視線を探るのが写真の面白さだと思います。見慣れているというのはある意味で眠気眼でモノを見ているわけですからハッとさせられる目を持てるかどうかなんですね。ただ、それは撮影後でないと分か...
通りすがりの○△□231207・アレやコレやで、エエトコだっせ 2
スナップとは時間的に素早く、つまり瞬間的に撮るのではなく考える時間を極力短くして、つまり自分の想念を瞬殺して撮ること。「あっ!」と思うまではキョロキョロしながらアレコレ考えていても「んっ?」と思ったら構図をどうするかとか、光線状態を読もうとかはあまり考えないで瞬間的に指先に反応さることができるかどうか・・・それがスナップだと思う。構図や光線状態は現場は生きて動いているのだから目をやるのは被写体であ...
通りすがりの○△□231025・そなんやけどMINAMI 6
かつては写真の上手い人に出会うたびに激しい劣等感に襲われていました。「なんでこの人こんなに上手いんやろ」「オレにはとてもこんなふうには撮れへん」今、歳を取って不感症になったせいでしょうか。ネットで上手い写真ばかり見るようになったせいでしょうか。「この人、上手いな。それで・・・」もう自分を写真の世界で成長させるという気はサラサラなくなりもはやマイペースという言葉すら脱落したカメ爺になりました。「こん...
カメラを始めたらいつも見慣れたものが新鮮に見えてくると言います。気づかずに見過ごしていたものに目をやるようになったと言います。そうでしょうか?新鮮に見えてくるのはフレームに入れて見るからで写真になると気づいたもの以外は逆に見えにくくなるのではないでしょうか。写真を始めたことによる弊害・・・それは「写真になる、つまり絵になる」モノ以外を差別するようになることだと思います。...
通りすがりの○△□231005・街、後ろ姿のHappysong 11
写真関係のSNSの記事に撮影場所の情報を丁寧に書いている人も多いですよね。私はというとほとんど情報集めもしないでその場所へ撮影に出かけています。写真を撮れればどこでもいいというそこにとってはかなり失礼なカメ爺だと思います。まあ、後でテレビなどで知ることで次回の撮影の時は意識して撮っています。ただ、時遅しということも度々あるのでした。そういうことがないようにこれからは少しは下調べをして出かけようと思う...
呼吸するように撮りたいと言うのはいい写真を撮りたいとかを意識せずにという意味なのですが結局は「呼吸するように」と意識してしまっているんですね。それはとても不自然なことです。いちいち呼吸をする度に意識していたら疲れ果ててしまいます。写真を撮る時に意識するのは被写体のほうです。写真を撮る時にはゴチャゴチャ思わずにシャッターを切ることだと思います。なにしろカメラのほうが人間より偉いのですからカメラマンに...
写真に関してですが、正解があると思うから迷い、優劣があると思うから悩むんですよね。でも、そうではなくてあるのはその人が撮った、そんな写真だけではないでしょうか。写真をコミュニケーションや表現の手段として利用したりせずに呼吸するようにシャッターを押せればいいなあと思っています。...
何事も起こらないのがいいのです。特別なことなどなくてもいいのです。幸せという言葉が不幸せを作っているとしたら。かっこいい写真の撮り方にこだわるのはとてもかっこ悪いのではないでしょうか。ただ目の前の光景をただ撮ればいいのだと思います。ほとんどのことはカメラに任せればいいのですから。でも人はあたり前を特別なように撮りたいんですね。...
通りすがりの○△□231005・街、後ろ姿のHappysong 10
理屈は食べられないのでお腹の足しにはなりませんよね。でも理屈は退屈の一部を埋めることができるので頭の運動にはなると思っています。なにしろ退屈は死への一直線ルートなのに目に見えないこと自覚症状が希薄なことで本人は気づきにくいのです。アートにして退屈しのぎに人間が発明したのかもしれません。ただ、せめて時間の有効活用を考えた時、アートがふさわしかっただけではないでしょうか。アーティストが野良猫より偉いの...
行ってきました。...
通りすがりの○△□231025・そなんやけどMINAMI 5
理屈っぽいことが好きなんですね。写真もせめて自分の理屈のいくらかでも反映できればいいのですが撮っている写真はかなり乖離しているようです。よく楽しければいいと言われていますが私の場合、楽しいだけではつまらないのです。撮影や発表を楽しむ+理屈を言って写真を面白がる・・・贅沢なカメ爺です。...
通りすがりの○△□231025・そなんやけどMINAMI 4
ベストな1枚・・・確かにそれを目指すのはいいことなのですが写真の場合、その「ベスト」がたくさんある気がするんですよね。...
通りすがりの○△□230831・街、後ろ姿のHappysong 9
今さらなのですがカメラ、小さく、軽くなりましたね。写真関係のネットを見ていたら「軽さは正義」と書かれていました。いろんな正義があるのだと思いました。...
通りすがりの○△□2023・公園だもの・暮れ&明け kure 3
ピント、甘いです・・・。あっ、まあ、いいですということで自己完結します。望遠は遠くを見ることですがそうすると足元がおろそかになってけつまずいてコケそうになります。かと言って広角だと近づきすぎて周りが見えなくなりがちですよね。あるいはあれもこれもと目移りします。そう考えると標準が無難なのかなと思えてくるのです。標準は平凡なのですが、その平凡がまた難しいのです。写真をすると人は落ち着かなくなるのでしょ...
見てあっさり分かってしまうと物足りないです。見てまったく分からないとイラ立ちます。写真の話ですが中間の落としどころが悩ましいですね。...
写真関係の記事などを見ていると結局は写真というのはカメラと被写体なんだろうなあとしんみりと思えてくるのです。写真を撮る人、それを写真家と呼ぼうと、カメラマンと呼ぼうとはたまたフォトグラファーと呼ぼうと気のせいか影が薄くなってくるように感じます。特に被写体の存在感が半端でない時、それを撮った人は誰でもいいのかなあ~と力がぬけてゆくように思います。「あなた誰?」「そ、その写真を撮ったものです!」「あ、...
行ってきました。...
「簡単」というのは楽なところはいいですよね。これに「誰にでも」「出来る」が付いたら失敗なし、エネルギーの消費ほぼ無しの安心保障の代名詞みたいなものになります。でも写真に限って言えば「簡単」が写真の楽しみ、面白味を減らした気もします。結果が分かりすぎるというのでしょうかドラマを見る前からハッピーエンドが見え見えなのとよく似ているというのは、例えは変ですか?デジカメはその場でハッピーかどうか分かるので...
通りすがりの○△□2023・公園だもの・暮れ&明け kure 2
写真の投稿だけです。...
「いい写真の撮り方」という文章があるとします。そこに写真、つまり作品も載っています。読んでみるとなるほどと思えてくるのですがなぜか引っかかってくるのです。作品が「いい写真」の見本として添えられているのですがたしかに上手い写真ではあるのですが書いた人の「いい写真」の定義がよく分からないのです。私もよく「いい写真」という言葉を使いますが他に思いつかないだけで、じつはまったくと言っていいほど分かっていな...
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〇今、所有しているカメラに自分を合わせるようにしてその機能・性能で撮れる写真は何かを考えるこ〇撮影時を優先し、重視するようにして撮った写真にはできるだけ手を加えないようにすること〇「写真」と「デジタル画像」は区別するためにその違いを見分けることが出来るようになること〇「好き」では被写体の対象範囲が狭いので「気になる」で被写体の対象範囲を広げるようにすること〇撮影時は「構図」より「フレーミング」を意...
写真の投稿だけです。...
行ってきました。...
あるところで「三分割構図で撮りましょうと教えている人は何を根拠にしているのでしょうか?」と書かれていました。読んでいくと「三分割構図」で撮ったらダメだそうです。私は写真も平面の表現なので、構図という考え方は必然的なモノだと思っています。構図抜きに写真画像は成立しません。その中の代表的なのが「三分割構図」ですよね。個人的には「日の丸構図」と「三分割構図」がベースだと思っています。「三分割構図」で撮っ...
人のことは言えないし、そんなにたくさん見ているわけでもないのですがネットで見る写真が、とても同じように見えてくるのです。被写体や、カメラや、性別、年齢などが違ってもさらに言えば、プロとアマと違っても写真、作品と言ってもいいのですが同じような感じを受けています。もちろん、私に写真を見る目がないことが大きいのですがそれでも、時代的なことなのかなあと思ったりしています。みなさん、上手くなりすぎたのではな...
この公園はもう何回も来ているので同じような写真ばかり撮っています。もっと他の撮り方もあると思うのですが私には思いつきません。それでも少しだけは違うカットを撮れるところが面白いと思っています。写真は目新しさの発見の驚きではなくて陳腐さの確認の退屈さの中に面白さを感じてもいいのかもしれませんね。...
「カメラは、撮る人を写している」という言い方があります。確かに写真にはその写真を撮った人の操作が反映されています。作為というのでしょうか、私がこのように撮りましたよということですね。「このように」に影響するのが被写体との関係です。好意的に見ているか、少し引き気味に見ているか・・・そんなことです。人物の場合は特にそうですよね。でも、「カメラは、撮る人を写している」というのは自分のことにこだわった自閉...
いつもの公園の桜は終わりを迎えていました。桜は集団で咲き誇るのでとても撮りにくい被写体の一つですよね。集団での協調性に欠けるカメ爺には合わないのでしょうか。曇天に散りゆく桜・・・暗い春に絶叫cryしたら「五月蝿い!」と、まだ四月なのに叱られました。...
写真はカメラの前の被写体を写すものと言えば当たり前のことを言っているみたいですよね。でも実際は、「私が・・・私が・・・私が・・・」とカメラと被写体の間に立ちふさがろうとして被写体ではなく「私」を写そうとしているのではないでしょうか。「カメラは、撮る人を写している」と言われたりします。撮る人である「私」と被写体の関係性が反映されるという意味だと思うのですが、結局は「私」にこだわっているのだと思います...
数字ほど無責任なものはないと思います。ン十万円のカメラが、いい写真を約束してくれるわけではないと言ったら嫌みでしょうか。ン千万画素の画質と、いい写真とは直接には関係ないのではと言ったら嫌みでしょうか。写真とは違いますが、テレビドラマの視聴率も人気のバロメーターであって、ドラマの質とは結びつかない気もします。人気も数字も無責任なのです。数字は無味・無臭で、蜃気楼みたいなものではないでしょうか。写真に...
「写真」は英語で「photograph」ですが一般的には「光で描いた絵」と言われています。「絵」より「画」だと思うのですがそれより気になっていることがあります。「光で描いた絵」でがなく「光が描いた絵」ではないかなと。「光で描いた絵」はカメラマンつまり人間が主語ですが「光が描いた絵」で主語は光なのです。カメラマンにできることは光が描こうとする画の邪魔をしないことなのですがカメラマンの我が邪魔をして歪めてしまっ...
「ヘタだけどいい写真を撮れればいいんですよ」そんなセリフをネットでよく見かけます。私も以前にはよく書いていたと思います。でも最近は少し反省しているのです。よく考えるとこの言い方は少し上から目線ではないのかな、と。「ヘタでもいいんですよ」と言われた相手を油断させて仲間に入ってもらおうという、情けない魂胆に気づいたのでした。すみませんでした。素直がいちばんです。「上手くていい写真」を目指せばいいのです...
写真の投稿だけです。...
「自分が好きなものを好きなように撮りなさい」、アドバイスというのでしょうかそのようなフレーズをみかけました。ン?そのまま聞き流すと分かった気になるのですが立ちどまって改めて考えると、どうも「ン?」なのです。「自分が好きなものを好きなように食べなさい」、そんなように言われているのと同じではないかな、と。アマチュアが知りたいのは「自分が好きなものを好きなように撮るにはどうしたらいいのか」ではないでしょ...
小手先のテクニックではダメだと言われたりします。このように言われるとテクニックを軽く見てしまいそうになります。でもカメラという機械を操作するのですからテクニックは必要ですよね。小手先でもないよりはずっとマシなのです。小手先のテクニックだけが目立つのがマズいだけなんですね。それに「小手先の」という言い方は少し嫌みに聞こえます。単に「テクニックばかりを追いかけないほうがいいですよ」でいいのではないでし...
小手先のテクニックではダメだと言われることがあります。このように言われるとテクニックを軽く見てしまいそうになります。でもカメラという機械を操作するのですからテクニックは必要ですよね。小手先でもないよりはずっとマシなのです。小手先のテクニックだけが目立つのがマズいだけなんですね。それに「小手先の」という言い方は少し嫌みに聞こえます。単に「テクニックばかりを追いかけないほうがいいですよ」でいいのではな...
人の写真を出来るだけたくさん見たほうがいいと思っています。写真を見ることは写真を撮ることでもあるんですね。そうすることで自分を人間カメラにしてゆくのです。カメラマンではなくマンカメラになって始めていい写真が撮れるようになる気がしています。自分を機械のように出来るかどうかということですがそう簡単ではないことは言うまでもありません。私が・・・私が・・・私が・・・だから逆説ですが徹底的に「私」にこだわっ...
写真の投稿だけです。...
説明するために写真を撮るのではなく説明しなくてもいいように写真を撮るのです。写真に言葉を添えるのは説明するためではなく写真の中へ見る人をいざなうためです。言葉で理解してもらうのではなく写真そのものとして受け入れてもらうためにです。説明すると見た人は分かった気になって気持ちとしては写真から去ってゆくと思います。写真を置いてきぼりにして。...
主観と客観という言葉がありますよね。とても簡単にですが写真にあてはめてみました。主観=写真家の思い、感情、客観=カメラが写した事物・・・です。これがどうしてもズレてくるんですね。そして悩んだりガッカリします。大切な写真の場合はそうなるのは仕方がないのですが楽しみのための写真ならそのズレを楽しんでもいいのではと思います。思うように撮れなかったと、切り捨てようとするカットの中にもしかすると「いい写真」...
AI・・・ローマ字読みすると「あい」ですよね。それがどーしたなのですが、ちょっと的外れかもということを書いてみます。よく、人間と比べられます。以前には将棋とか囲碁で対局がありました。でもその時、思ったのです。別に人間と戦わさなくてもええやんなどと。将棋や囲碁のことは、もちろんほとんど無知ですがやっぱり人間と人間が戦うから面白いのだと思いました。心理戦というのでしょうか。AIもAI同士で戦ったほうが、ズッ...
「平均〇○」というのがあります。その「平均〇○」を自分自身と比べてみて安心したり、心配したり、不満だったりします。わたしもそうですね。でも、自分のことを脇に置いて考えてみるとそのこと、つまり〇○は数字ですから、あまり気にしても仕方がないと気付きます。Aさん、Bさん、Cさん・・・という人がいるだけで平均さんという人はいないのではないでしょうか。第一、私が平均さんにならなくてもいいし、平均さんの代表でもない...
中崎町はネットの動画で紹介されていたのを見て気になっていました。隣接している茶屋町は以前にちょっとだけ撮影していましたが、その時は中崎町までは行かずじまいだったので今回はここから撮影をスタートすることにしました。ネットの動画で紹介されていた写真を見ていたので同じようなカットは撮らないようにと、最初は思っていました。まあ、あまり気にしても仕方ないのですぐに「人マネでもええやん」ということに切り替えて...
撮影に行ってきました。中崎町からスタートしたのですがぐるぐる回っているうちに方向が分からなくなってしまいました。詳しくない場所だったので、適当に歩き回っていると梅田のほうに出ました。もう少しで迷い爺になるところで、危なかったです。...
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chatGPTというスゴイのが話題になっています。ビックリですね。私の文章より、ずっとかしっかりしています。脱毛、いや脱帽です。でも、欠点、弱みを見つけました。ココだけの話です。それは・・・失敗できないコト、迷わないコト・・・です。たぶん。まあ、chatGPT、カメ爺には、何が何だか・・・分かりませんが。...
以下の記事は以前に投稿した気もするのですが、他に書くことが思い浮かばないので、もう一度投稿することにします。・・・人間の目には視野があります。人間は首や体を動かして、ぐるっと見渡すことが出来るので、全体が見えているように思ってしまいます。でも、実際は視野というフレームの中の部分的なものを記憶してそれらを、つなぎあ合わせて全体として脳の中で作り直しているんですね。写真を撮る時にはファインダー、あるい...
レタッチで「ビフォー」と「アフター」のカットが比べて並べられています。レタッチした「アフター」のほうが断然いいでしょ?ということなのですが・・・たしかに、見た目はくっきりして、今の時代の嗜好に合っているのでしょうね。でも、個人的には質感が飛んでいるのが気になります。人物の肌、まるでマネキンのようです。ウール?の柔らかさがゴワゴワしているように感じます。まあ、あくまでオジンの感想です。...
豪華なごちそうはいっぱいあるのに食べたいなと言うごちそうってあまりないんですよね。年齢のせいでしょうか。食欲、落ちていますからね。でも、食べたい意欲は残っている気でいます。あっ、これ、写真の話です。...
写真は何とでも手を組めるメディアなんですね。イラスト、アニメ、マンガ、小説、コラム、エッセー、俳句、短歌、詩、音楽、絵画、コラージュ、映画、動画、テレビドラマ、演劇・・・もっとあると思います。よく言えば柔軟で対応力が豊かと言えるのですが八方美人、自分がない、独立できにくい・・・とも言えるのではないでしょうか。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
私は写真には言葉が必要だと思っています。見れば分かると言われることがありますがやはり見て分からない写真のほうが面白いのではないでしょうか。それで、投稿する時にはタイトルを付けることにしています。あまり説明的なタイトルにしたくないので私としては珍しく、いろいろ考えて検討するんですね。そして「これやで!」と思って決めるのですが念のため、検索してみます。そうすると、すでに使われていて、ガッカリです。まあ...
ネットを見ていると、写真はもう映像と言うよりデジタル画像になったのだと思えてきます。データなのでいろいろ手を加えられるんですね。写真はあくまで、データ作りのために撮られるのです。少し前にTVでプリクラ撮影のシーンがあったのですが出ていたタレントさんの、出来上がったプリクラ写真は「これ誰?」のレベルでしたね。本人たちはどこに行ったのでしょう?まあ、遊びと言えばそうなので、楽しめればいいのですが写真の世...
縦にに長いからタテ位置で、横に広がっているからヨコ位置で撮るというのは少し、ストレートのように思います。説明のために撮るのなら、それでいいと思うのですがまずヨコ位置で撮ろうと試み、それでもしっくりこない時にタテ位置で撮るようにしたほうがいいのでは?と思います。タテ位置は自然に「日の丸構図」になりやすく、「真四角、つまり正方形」のフレーミングが上下に伸びた気がするのです。ヨコ位置は視線が左右に動かさ...
写真を発表する時、タイトルやキャプション抜きで写真だけを見せればいいのだという意見もあります。言葉は指示機能や連想機能があるので見る人に余計な情報を与えなくてもいいということらしいですね。写真だけ見せて、あとは見る人の想像力でと言うのでしょうか写真からいろいろ思ってほしいとと言うことのようです。そして自分の言いたかったことと同じように感じてくれれればうれしいという考え方ですね。言っていることは分か...
写真の投稿だけです。...
いつもの公園です。何回も撮っていると、公園に対するイメージが固定化されてきます。それが写真に反映されるので同じ場所だと、構図もお決まりになってくるんでよね。ただ、季節や天気や時間帯、曜日などによってまったく同じ写真になることはありません。よく似ているけれど、何か違うのが面白いです。究極的には自分がいるこの部屋を1年365日撮り続けることは出来ると言うことなのですが、さすが今の私にはとても無理なようです...