いよいよ梅雨かな、それなら梅雨入り前に少し撮影したいと出かけた今月初め。それからすぐに梅雨入りしたので梅雨の晴れ間を狙って一駅先の商店街へ出かけたのが今月の半ば。さらにさらに、短時間なら午前中ならといつもの公園に出かけたのが今月の後半。えっ!?梅雨明けが発表されたのが今月の終わり間近。忙しい6月でしたが今年も折り返し地点が見えてきました。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
いよいよ梅雨かな、それなら梅雨入り前に少し撮影したいと出かけた今月初め。それからすぐに梅雨入りしたので梅雨の晴れ間を狙って一駅先の商店街へ出かけたのが今月の半ば。さらにさらに、短時間なら午前中ならといつもの公園に出かけたのが今月の後半。えっ!?梅雨明けが発表されたのが今月の終わり間近。忙しい6月でしたが今年も折り返し地点が見えてきました。...
梅雨が明けました。まだ6月ですが・・・。昨日の記事でプロセスをプロセンスと書いてしまいました。センスが悪いですね。書くことも思い浮かばないのでがないので冷や汗でもかきたいと思います。...
楽しいというのは結果ではなくそのプロセンスの中にあるんですね。一段落してホッとした時に「ああ、楽しかった」と振り返るのです。楽しい最中に、そのつど今、自分は楽しいのだろうかなどとやっている暇はないのですから。写真もデジタルになってものすごい結果にも最短でたどりつけます。最短ということは楽しい時間が少なくなることです。ものすごい結果にこれから楽しめばいいのかもしれませんがちょっと写真の楽しみ方とは違...
繋がることがよく言われる時代です。コミュニケーションの目指すところですね。繋がるためには共有する部分が必要です。バラバラに離れていてはコミュニケーションは成り立ちません。共有する部分があることは自分が勝手に動き回れないことを意味します。自分勝手に自由に振舞ってはそれこそ相手を振り回すことになるからです。繋がることは自分と相手が目に見えないチェーンで結ばれることなんですね。チェーンは不自由を連想しま...
小さいころの真夏というのは7月半ばから8月半ばころだったと思います。でも今は6月に、いきなり真夏がやって来るようになりました。もう小さいころのような夏はやって来ないのでしょうか。自然のサイクルというものがあるとしたら上がったら下がる時が来ると思いたいのですが。ーまだまだ暑くなるに決まっているでしょ!まだその時ではないのかもしれませんね。でも・・・「もうはまだなり、まだはもうなり」・・・そんな言葉があ...
スマホでも写真を撮れます。いいえ、今はスマホのほうが多いかもしれません。それも圧倒的に。でも気になっていることがあります。個人的には写真を撮った気分になりにくいことです。タッチシャッターは苦手です。それと縦位置写真が多くなることです。縦位置で写真を撮っていると世界が狭く窮屈になって行く気がします。マスクをしていると目だけ出して上下の隙間から世界を見ている気分になりますから今の時代に合っているのかも...
撮影しました。...
作品を作るというのは変な言い方に感じます。写真も写すと言いますよね。写真は撮ると言ったほうがいい気がします。暑さのせいでしょうかどうでもいいことしか浮かばない週末です。...
写真を撮ることをシューティングということもあります。ネットを見ていると獲物を探し回るのが写真の面白さみたいなことを書いていました。自分の前世はハンターだったのでは?とも。写真を撮ることをコレクションという人もいます。好きなモノを集めるのが楽しいと。なるほどと分かるのですが、少しばかり、写真は危険な趣味なのかもと思ったりもするのでした。...
写真をやっていると気になることがあります。感動できる人=感性の豊かな人なの?です。それについて、時々見かけるお決まりのフレーズもあります。「感動のハードルを下げましょう」です。感動のハードルを下げるって何?と思うのです。ささいなことにもビックリしましょうと言うことでしょうか。まるで、小さな幸せを見つけようと言われているみたいです。今も金次郎さんの時代が続いているのでしょうか。そういえば歩きスマホの...
写真は現実を写すと言われています。思われています。真実=現実を写すのが写真だと。たしかに客観的には現実は一つです。そうでなければこの世界は大混乱に陥ります。お互いの言っていることが全く分からないのですから、コミュニケーションが成り立ちません。でも大丈夫。客観的な現実は存在するからです。つまり暗黙の了解としての現実ですね。これはAというカメラの機種というのは誰が見てもAカメラです。もしBカメラという人...
夏になったと思ったらいきなり猛暑です。もうしょっとゆっくりでもよかったのに。たしか「梅雨寒」という言葉があったと思うのですが今年は見かけない梅雨になるのでしょうか。カメラは雨などの水分も苦手ですが熱も苦手ですよね。昔は屋外での日射病と言っていましたが今ではどこでも熱中症の時代になりました。梅雨の水のシャワー、いきなりの真夏の暑さ・・・写真を撮るには、カメラにはちょっと危険な夏です。...
写真と野球は違いますが、野球が好きなのであくまでイメージとして野球に例えて書きたいと思います。ピッチャーが投げるボールが被写体、自分の使っているカメラがバットです。ピッチャーが投げるボールは多種多様なのが写真の面白いところなんですね。その中で自分の打ち易そうなボールは好きな被写体と言えます。実際、ヒットになりやすいです。ただ、ここで言うヒットは自分で見てであって、誰かの客観的な評価とは別と考えます...
観光地などに出かけて綺麗な景色を前にしてカメラでひたすらにパチパチ撮っていることってありますよね。せっかく、遠出してやってきたのに、それではその風景に浸れないのではと、思っていました。いいえ、今でも一応はそう思います。ただ、少し考え方が変わってきました。風景以外でも、例えば音楽で言えばロックのライブでの撮影です。ライブの撮影の経験はないのですが、やはりカメラを持って撮影しているとロックの音楽そのも...
写真でいう感想とは予め決められたマークをポチすることでもなく☆の数を選ぶことでもないのではないでしょうか。なぜそのマークをポチしたか、なぜその数を選んだか目に見えるカタチで自分の言葉にすることだと思うのです。それを誰かに見せるためではなくても、それを誰かに伝えるためでなくても・・・ですね。ポチしただけ、選んだだけでもいいのかもしれませんが自分が意識化できるかが大切なのではないでしょうか。ただの好き...
行ってきました。...
「文句ある?」と言われた時、3つの反応が思い浮かびます。一つ目は「いいえ、納得で、何も言うことありません」です。二つ目は「はい、自分はこう思います」です。そして三つめが「何となく違和感があるけれど、今の自分には言葉に出来ない」です。議論のための議論では水の掛け合いになるので夏などにはいいにしても、一年中というわけにはいきません。やはり、お互いの実感からの議論が必要ではないでしょうか。写真でもいろい...
写真ではよく「思いを伝える」と言われています。ではこの「思い」とは何を指すのでしょうか?大きくは次の2つに分けられると思います。①「思い」は「感情」のことです。コミュニケーションを重視します。コミュニケーションの対象はふつうは身の回りの人たちですがSNSなどを通じて不特定多数の人たちのことも多くなりました。時には自分のこともあります。思い出の瞬間の感情をより鮮明に自分に伝えてくれるからです。言葉はその...
20代に突入したころ、写真を始めました。それから半世紀以上経ったのですが、飽き性の自分がよく続けられたなと思っています。そんな私ですが、30代の半ばごろに突然、「モノクロはもう辞めた」とカラーに切り替えました。そんな日々を、年齢的に無理して首筋を傷めない程度に振り返ってみると20代、30代にも自分なりに「いい写真」は撮れていたと思います。あくまで自分基準の「いい写真」ですが「あの頃のほうが、いい写真を撮れ...
写真史としての名作は一定の評価はされているのですが今、有名な写真家にしても登場当初というのでしょうか初めて作品として写真を発表した時には酷評された人もいたのです。写真の世界の価値観みたいなものは時代とともに変わってゆきます。写真の世界に吹く、世間の風は気まぐれなのです。その時代の気分次第で、ヨイショされたり、ブーイングされたり・・・世間というのは怪物みたいなものではないでしょうか。...
自分の「好き」を撮りましょうと言われています。でも、自分の「好き」に疑問を投げかけるのが写真だと思うのです。自分の「好き」にケチをつけることではなくもう一度見直すということなんですね。「好き」と思い込んでいるだけかもとか「好き」と思い込まされているだけかもとか。まあ、いちいちそんなことをやっていたら疲れますからたまにでいいと思いますし、あえてやらなくてもいいとは思いますが・・・。...
写真が難しいのは立体を平面として見ることに慣れていないことも理由の一つだと思います。写真を撮ることには今の時代、スマホなどで小さいころから当たり前に行っているので「写真なんてチョー簡単!」と思ってしまうのですね。フィルムカメラの時代ですら、他のアートから「写真なんてカメラが撮ってくれるんだからいいよね」なんて思われていました。「写真なんて、ラ~ラ~ラ~♪」だったのです。でも、自分でカメラを本格的に...
行ってきました。...
通りすがりの○△□250312・濡れてもいい春雨について 8
写真をするのに才能は必要なのでしょうか。写真がアートだとしたら音楽や絵画のように才能が必要になって来ます。でも、あえて写真をアートだと思わなくてもいいと思うのです。たしかに、写真のセンスがいいなあと羨ましくなってくる人っていますよね。バズっている写真などを撮っている人たちが思い浮かびます。そうできるのは写真の才能があるからと言えるのですが、バズる写真だけが写真でないことは言わずもがなです。楽しみ方...
撮影しました。...
「暗黙の了解」というのがあります。わざわざ断らなくても通じることですよね。でも、今はそうではなくなってきました。「個人の感想です」ーふつう感想を述べるのは個人だと思うのですが。「CM上の演出です」ーこんなのマネする人がいるの?そして・・・「写真はイメージです」ー写真=実物なんてありえないのに。なんだかメンドクセー世の中になったものですね。...
写真に写っているからホントだろうから写真に写っているからウソかもしれないへ写真にとって激動の時代になったなあと昭和カメ爺はシミジミト思いながらシジミの味噌汁をすするのです。...
昔、正確には大昔、テレビドラマの主題歌に「七つの顔のおじさんのホントの顔はどれでしょう?♪」という歌詞がありました。今考えると、それは七つの顔のどれもホントの顔でもあり、ウソの顔でもあり、ホントかウソかはどちらでもいいことのように聞こえます。それぞれの顔で難題をカッコよく解決して、視聴者をスッキリした気分にしてくれればよかったのですから。まあ、ドラマがどんな内容だったのかは忘却の彼方なのですが、懐...
写真の投稿だけです。...
写真関係のSNSの記事を見ていると、ある言葉をよく見かけるようになり、気になって来ました。「私」関連と言うのでしょか、「私」以外に、「私」「わたし」「僕」「ぼく」「自分」「じぶん」などですね。そのような言葉が目につく記事の特徴は、その人が食べたもの、飲んだもの、家族や友だち、友好な関係の人たちなど、プライベートな写真が多い気がすることです。ふつうSNSは不特定の人たちに向けて発信されるものですから、その...
つくづく写真というのは被写体しだいなんだなあと思います。それでアレブレボケ写真は文句を言われたのです。肝心のどんな被写体が写っているかが分からないことで見る人を落ち着かなくさせました。人は落ち着かないことは嫌ですからイライラしてボヤいたのだと思います。その代表ともいえる森山大道が世界的な写真家になったのですが、それでも写真というのは被写体しだいなのは変わらないと思います。「いい写真」というのは写真...
デジカメが上手に撮れ過ぎてくるとフィルムカメラの上手く撮れなさが魅力的になって来る・・・揺れ動くカメラマンゴコロですが、次はどこへ向かうのでしょうか。下手は嫌ですが、上手くても面白くない・・・人間カメラマン相手にカメラたちも大変だなあと思います。...
通りすがりの○△□250312・濡れてもいい春雨について 7
最近は嫌々写真を撮っている気がしています。慢性の人生疲労にも悩まされているのですし。それなら辞めておけばいいのですがそういうわけにもいかないところがあるのです。あえて撮らなくてもいいよと言われると、それならともかく撮っておこうということなのです。別に記録とか、何かの役に立つとは思えないのですが撮らないよりは撮っておいたほうがいいようなという、何とも頼りない動機が親指を動かしています。...
天王寺は遠かったです。...
自分の「好き」を撮りましょうと言われています。でも、自分の「好き」に疑問を投げかけるのが写真だと思うのです。自分の「好き」にケチをつけることではなくもう一度見直すということなんですね。まあ、いちいちそんなことをやっていたら疲れますからたまにでいいと思いますし、あえてやらなくてもいいとは思いますが。...
今は犯罪用語みたいになってしまいましたが写真撮影は本質的には「盗撮」だと思っています。それなら「借撮」と言い換えてもいいのですがそんな言葉はないですし、拝借すると言ってもその姿を撮ることは切り取ることには変わりません。今はどうかは分からないのですが写真を撮られると魂を盗まれると怖れた人たちが世界のどこかにいると読んだことがあります。もちろん、われわれから見れば迷信ですが人間としてはとても真っ当な人...
写真関係のSNSの記事を見ていると気になる言葉があります。「私」関係と言うのでしょか、「私」以外に、「私」「わたし」「僕」「ぼく」「自分」「じぶん」「MY」「My」「my」などですね。写真も「自己」表現かもしれませんがそれ以前に被写体の存在が重要だと思うのです。自分より被写体を優先することで自分を忘れることが出来る・・・それが写真のいいところではないでしょうか。「私」とは「私という思い」のことだとしたらそ...
通りすがりの○△□250312・濡れてもいい春雨について 6
写真をやっていると、記憶という曖昧で無責任で独りよがりのものに人は振り回されているように思えることがあります。どうしてそのように感じるのでしょうか?どうやら記憶は感情とセットですから、ありのままの記憶というのはないのでは、と思えることのようです。諸行無常・・・すべては姿を変えていきます。そのためその記憶を裏付けるものはもうこの世にはないのです。同じ場所はすでになく、同じ人はもういないのです。その場...
通りすがりの○△□250120・スタートラインが見つからない 15
写真でよく使われる「写す」と「映す」の違いについて考えています。使い方がややこしいですよね。まだ考えがまとまらないのですが、メモ書きとして投稿したいと思います。「写す」「写す」は五感で感じたものを何らかの手段を通じて可能な限りそのままに、カタチのあるモノにすること。「そのまま」という意味合いが強い。写真を写すとは被写体を画像というカタチにしてメディアに記録すること。人間が行為者、主体。時代を写すは...
撮影しました。比較的、暑かったです。青空のある限り、写真を撮りたいと思いました。...
通りすがりの○△□250120・スタートラインが見つからない 14
よく情報は一次情報から得ましょうと言われます。たしかに、体験者は語るのですから又聞きの情報よりはいいのかもしれません。でも大切なのは、その情報がどうなのか、自分にとってどうなのかなんですね。写真の場合も、プロの情報はアマチュアにも役に立つところはありますが、すべてを、そのまま鵜のみにしないほうがいいと思うのです。自分の体質に合わないのなら、無理食いはしなくてもいいのではないでしょうか。...
通りすがりの○△□250120・スタートラインが見つからない 13
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□250120・スタートラインが見つからない 12
写真の投稿だけです。...
ストリートスナップが流行っているらしいですね。街なかで撮影したら何でもかんでも、そう言われている気がします。それ、ポートレート撮影ですよね?と言うのもスナップと言われると少し引っ掛かります。それで今はストリートフォトと言ったほうが分かりやすい気がします。まあ、だからと言って街なかにいる人の自然な表情と姿を撮るのは簡単ではないと思います。今は肖像権とかいろいろ言われていますが、それ以前からも、写真は...
ありのままってよく言われるけれど写真はありのままを写さなければと言われるけれどそんなこと、できるんだろうか。街なかにいる人の自然な表情と姿?いやいや、みんな演技をしているのだと思う。こんなふうに見て!ほしい私。ありのままって、幻想だと思う。...
「写真を撮りに出かけない」という言い方があります。写真を撮ることを目的にするのではなくカメラは日常的に持ち歩いてショッピングなど何かのついでに撮ればいいのですということなんですね。たしかに写真と気楽に付き合えると思いますがそれならカメラでなくてもスマホでもいいように思います。私の偏見なのですが、スマホは写真を撮る面白さが軽減されている、味わいが薄くなる気がするのです。力まなくてもいいので、やはりカ...
通りすがりの○△□250312・濡れてもいい春雨について 5
言葉はそれの代わりですがいつの間にかそれと混同されてゆきます。そして、それの内容は置き去りにして外側の言葉だけが独り歩きしてゆくのです。写真もそれの代わりみたいなところがあるのですが写真の場合はさらにややこしくなります。それの姿が映像として写っているので人はその姿の一部であるに過ぎない写真からそれの全体像を勝手に作り上げてしまうからです。そしてこう言うのです。「写真に騙された!」と。いやいや、写真...
通りすがりの○△□250120・スタートラインが見つからない 11
考えて撮っている人はそう感じないかもしれませんが写真撮影はほとんど肉体労働のように思います。特に、街なかでの撮影が中心になってからは周りに気を使いますから神経と体力のダブル消耗です。年齢的に言っても「よーやるわ」なのですが誰もホメないので、自分で自分をホメたくなります。まあ、何かのために撮っているわけではないので撮れる時に撮れればいいわけですからお天気と体力と三者で相談しながらこれからもパシャリカ...
買い物ついでに、「ふれあい祭り」の横を通り過ぎてきました。...
通りすがりの○△□250312・濡れてもいい春雨について 4
写真はコピー、つまり複写であり、四角い枠に入れて撮ることで成立します。そして残しておくという役割が与えられます。「記録」ということですね。また「記憶」ということもあります。ただ、両者は微妙に違うようです。「記録」は写された側、つまり被写体に比重が置かれますが「記憶」は写した側、つまり人間に比重が置かれます。そう考えると、撮影は「記録」と「記憶」のどちらを目的とするかハッキリ決めて行ったほうがいいよ...
通りすがりの○△□250120・スタートラインが見つからない 10
「現実」って何なのでしょう?写真は「現実」をそのままに写せるのでしょうか?その人が撮った写真に「その人の現実」が見えるカタチで写っているかというと、そうでもない気がします。結局、「現実」は人間の数だけあり、そのため、完全には理解し合うことは不可能であり誤解曲解は日常茶飯事であり、争いは絶えることなく続いてゆくのだと思います。...
通りすがりの○△□250120・スタートラインが見つからない 9
「いつもの」というのはいいですね。私は年齢的、体力的にも撮影する場所は限られています。それで何度も訪れると新しい発見とかはあまり、いいえほとんどなくなるんですね。開発とかで変わってゆくところはあるのですが、その街のあり方みたいなものは目には見えにくい気がします。私の場合、記録とか記憶とかは特に意識して撮ることはありません。私の写真が役に立つとしたら、それはそれでうれしいのですが、ほぼ自己チューカメ...
散歩と、買い物と、撮影という一粒で3度美味しいぜいたくを味わってきました。いつもの公園はいつもの公園だったのでホッとして家に帰ってきました。「いつもの」というのはとてもいいです。...
通りすがりの○△□250120・スタートラインが見つからない 8
「昔はよかった」というと「今はそんな時代じゃないよ」と帰ってきます。結局、どちらも相手を否定していることには変わりはありません。人は肯定するより否定するほうが好きなのでしょうか。ホメるよりケナすほうの意見のほうがネットでも多いみたいですし。写真の世界はどうなんでしょう?「いいね」は目立つので分かりやすいのですが「よくないね」はどこにも見当たらないので日陰に潜んでいるのでしょうか。まあ、どうでもいい...
通りすがりの○△□250328・KOKOSOKOASOKO 3
厳密に言うとストリートスナップではなくてストリートフォトだと思います。ふつう写真のジャンル分けは花や風景や人物など、被写体でしますよね。スナップという被写体はないので街なかでの撮影はストリートフォトが適切だと思います。街なかの風景+そこにいる人たちの様子・・・それがストリートフォトではないでしょうか。まあ、今は肖像権とかプライバシーとでややこしくなってきましたが・・・。...
写真の投稿だけです。...
「いい写真」という言葉もあまり気にしないほうがいいと思っています。「いい写真」を撮るために必要な、というより必須の条件があるとしたら「写真への欲望」であり「他のアートではなく、写真を選んでしまう気持ち」ではないでしょうか。その時には、個性とか個性的とかはあまり気にならなくなると思います。個性とか個性的とかは自分のことが中心になっていますが、目は被写体に向けたほうがいいのではないでしょうか。...
通りすがりの○△□250120・スタートラインが見つからない 7
最近は惰性で写真を撮っている気がします。ダセ~カメ爺です。...
通りすがりの○△□250312・濡れてもいい春雨について 3
写真を「私、いい人証明」みたいに使うのは少し気になっています。「いい人」しか写真に関われないのなら私なんかとっくに退場を迫られていたと思うのです。別に悪人になる必要はないのかもしれませんが写真と人間性は結びつけて考えないでほしいなあと切にカメ爺は願っています。...
行ってきました。快晴でした。...
「目に見えるもの撮るのはカメラの仕事。目に見えないモノを撮るのがあなたの仕事」そんな言葉を目にしたのですが見えないモノは写真には写らないと思います。すみません。理屈っぽくて。そんな気持ちで撮ることはいいことだと思うのですが写真家はロマンチストではなくリアリストだと思うのです。どこまでカメラの目になれるか・・・なのですがまあ、ゴチャゴチャ言わないで、とっとと撮ることですね。...
カメラは、撮る人を写しています。写真を撮る人間の写ってほしくないホンネみたいなものも写してしまうのがカメラの怖いところです。ウケたい・・・。いい人だと、優しい人だと、センスがいいねと、個性的だねと経験が豊かなんですねと思われたい・・・。カメラは写真を撮る人間の闇の部分も写す機械です。そしてカメラは「暗い箱」なのです。カメラは闇と相性がいいのではないでしょうか。...
通りすがりの○△□250328・KOKOSOKOASOKO 2
カメラという機械の非人間的なレンズの視線は冷静にモノやコトを見つめているのではないでしょうか。人間は「冷静ということ」の「冷やかな」ところを気にしますがカメラは「静かに」モノやコトを見ているのだと思います。損得、好き嫌い、いいダメから自由になって・・・。...
通りすがりの○△□250120・スタートラインが見つからない 6
写真は被写体を再現したものではなく、被写体を別の何かに変えたものだと思います。それは写真家の思い=イメージを再現したものでもないと思うのです。イメージ通りに撮ることが写真家の表現かというと少し違うのではないでしょうか。...
通りすがりの○△□250328・KOKOSOKOASOKO 1
そもそも視線というのは人に威圧感を与えるものです。視線は刺線、刺ってくる矢なんですね。スマホやコンデジのようにファインダーを覗かないで撮られると少し威圧感が弱まります。それで、仲間の人からのスマホを向けられてもあまり意識しなくなったところがあるのですがカメラの視線にはトゲがあることは変わらないと思います。...
通りすがりの○△□250120 スタートラインが見つからない 5
これからの人はPHOTOという文字を見ても熱くなることはなくなるのだろう。P=people、人と、O=object、対象の間にHOTがあったことも忘れてしまうのだろう。熱くなることはダサくてカッコ悪いのだから。クールは冷静なことだけど冷淡はただ冷たいこと、冷え切ったことなのだけれどたぶん、そんなことはどうでもいい時代になったのだと思う。...
通りすがりの○△□250312・濡れてもいい春雨について 2
そう遠くない未来、街角で写真を撮る人間はいなくなるだろう。それに合わせるようにして街角から人間は消えるだろう。シ~ン。...
通りすがりの○△□250120 スタートラインが見つからない 4
世の中、ドンドン幼児化して言っているように感じています。写真でいえば、要らないもの、邪魔なものって今は簡単に消せますよね。まあ、嫌だから消しちゃえっということでしょうか。フカイはNGで、ユカイはwelcomeなのです。褒められればやる気を出し、貶されれば怒る気を出すのです。写真に写っているものを消したり、欲しいものを付け加えたり・・・それって、写真?と思うのですが。写真とは目の前にあったものを起こったこと...
通りすがりの○△□250312・濡れてもいい春雨について 1
時代とともに、衣食住は変わってゆきます。世の中の景色は変化が運命付けられています。変わらないものはないということだけが変わらないのですね。そのことは写真を撮っていると何となくでも感じ取ることが出来ます。目の前の景色はたしかに存在するのですが目を離した途端、確かにあったのか不安になってくるのです。だから、人は写真を撮るのだと思います。取り戻すことは出来ないと分かっていながらも写真という名の亡骸にすが...
通りすがりの○△□250120 スタートラインが見つからない 3
孤独は主観的で、孤立は客観的なもの。そんな記事を見かけました。だけど、そんな単純なものではないのではと思いました。孤独感は主観的ですが、孤独は人間存在の根源的なことだと思うのです。1個の肉体としては、いま、ここには私一人しかいることは出来ません。理屈ぽくなりますが、同時には、同じ空間を共有は出来ないのです。写真を撮っているとそのことを実感できるのではないでしょうか。いま、ここで見ている景色は私しか...
通りすがりの○△□250120 スタートラインが見つからない 2
写真の投稿だけです。...
行ってきました。半年ぶりです。生駒山の中腹にあるため冬は地上より寒そうなので避けていました。久しぶりに行ったら暑かったです。...
写真という趣味は歩くこととリンクするので健康のためにはいいですね。一説によると写真家には高齢でも活躍する人が多いそうです。歩くことが役立っているんですね。まあ、人によりけりだとは思いますが。私も歩くことは嫌いではないので写真をやってきてよかったなと思っています。ただ、もともと短い脚ですので歩幅がありません。それが、最近はさらに短くなってきました。「オレはペンギンか!?」ってペンギンに失礼なことを、...
暦のせいでしょうか、世の中、華やいでいるようですが結局のところ、技術はビックリするくらい進歩するけれど人間はガッカリするくらい進歩しないということがこの二千何年間で、分かってきたのではないでしょうか。世の中、ドンドン便利になって来ましたがフトコロの中、ドンドン貧相になって来たのではないでしょうか。便利さと物価は比例する、そんな法則があるのかもしれませんね。最近のカメラは、低い位置にいると手が届きそ...
通りすがりの○△□250120・スタートラインが見つからない 1
イメージ通りに撮れることが大切なのではないと思うのです。そのイメージがどのようなイメージであるのかが大切なのだと思います。そのイメージをどうして必要とするのか、そのイメージで何をしようとしているのか、・・・では、ないでしょうか。...
間違っていると言っているのではないのです。違うと言っているだけなのです。自分は違うと感じたということなのです。写真に正解がないとしたら間違いもないのですから。多様性ってそういうことですよね。みんな違うということですよね。違うと言うことがよくないとしたら写真の世界はつまらなくなるのではないでしょうか。多様性と言うのは活気のある違いのことですが違いのない写真の世界は静まり返るしかないと思うのです。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 14
写真の世界でも、多様性が言われているようですが実際は多様性という名の一様性に向かっている気もします。写真の世界の中の、特にアマチュアや初心者や、さらには映え疲れの人たちの集まるエリアでは顕著ではないでしょうか。「下手だけど、いい写真が撮れればいい」という、「思いが、感情が伝わるのが、いい写真です」という、そこでは、そんな愛言葉が行き交っているように思えるのです。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 13
もうすぐ万博ですね。テレビを見ていて思ったことがあります。電気が必要なところが多いなあということです。まあ、世の中、電気がなければタイヘンですよね。デジカメも電池が無くなればただの箱です。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 11
いい写真とは撮った時の感情が伝わる写真だそうです。たしかに、そうだと思うのですが、もう一つの「カンジョウ」が見え隠れします。勘定ですね。「私の感情を分かってくれますか?」みたいな取り引きで「分かってくれた人は、とってもいい人認定!」なのです。...
飛行機雲があると撮りたくなるんですよね。私、空を飛びたいからでしょうか。とんでもない話です。...
便利さと言うのは効率がよくなることでもあります。無駄なエネルギーを使わなくて楽チンなのですね。でも、それなのに何となくつまらないのではないでしょうか。コウリツだけではなくワタクシリツも欲しいのです。自分もどこかに参加したいのですね。例え上手く行かなくても、効率が悪くても。人間は「メンドクセー」生き物なのではないでしょうか。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 11
写真の投稿だけです。...
人は写真を怖れているのだと思います。だからレタッチで顔を整形するのではないでしょうか。写真は失礼なやつだからと言い訳をしながら目を、鼻を、あごを、肌を盛り盛り修整するのです。でも写真は正直に応えただけなんですね。光学的事実に素直に反応しただけなのです。...
2月、3月と寒かったことなどもありますが写真を撮る気になかなかなれなかったです。「めんどくせー」みたいな気分が充満した二カ月でした。4月になればと思っていたのですが「桜もあまり撮る気がしないし・・・」で気分が乗って来ません。それでも、ガリガリの軽い腰を上げて、1月から出かけたいと思いながら行っていなかった今年初の梅田へ出かけました。まあ、それなりに撮影できてよかったです。桜の情報に疎かったので、も...
行ってきました。桜もそろそろ終わりやなあとソロで思いました。...
人は、こらからは、空気を怖れて暮らしてゆくのだと思います。...
オンライン、そこには誰もお(ら)んらいん。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 10
●昨日の記事を少し書き換えて投稿します。人はどうして伝わることにこだわるのでしょうか。伝えることが出来ないとどうしてよくないのでしょうか。日常的なことで伝わりにくいことは滅多にないと思うのです。「アレ、頼むね」「あっ、アレね、分かった」。以心伝心、阿吽の呼吸、ツーカーの仲が羨ましいです。いっぽう、「思いを伝える」ということになると、時には簡単ではなくなります。写真で言えば、伝わらなくても仕方がない...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 9
写真の世界だけではないのですが人はどうして伝わることにこだわるのでしょうか。伝えることが出来ないとどうしてよくないのでしょうか。たしかに大切なことが伝わらないのはマズいのですがそのようなケースはそれほどないと思うのです。写真で言えば、伝わらなくても構わないと思えることも多いですよね。でも、やっぱり嫌なんですね。自分が無視されたように感じるからではないでしょうか。伝わったことが意味するのは、相手から...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 8
何でも新しければいいというものではないことを写真の世界が証明しているように思うのですがどうなのでしょうね。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。胃は痛いのですが言いたいことがないんですよね。でも、それはいいことではないでしょうか。昔の人は言いました。「沈黙は金になる、儲かる」と。...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 7
有名になることは自分がブランド化されることです。そうすることでファンが出来ていきます。そのことは、ファンの期待するイメージに自分が応え続ける必要があることを意味します。ファンの期待する自分のイメージから出られなくなるのです。それはとてもしんどいことではないでしょうか。有名にならなくてよかったです。負け惜しみですね。...
写真は部分しか撮れないと言われます。全体を撮ることは出来ないからです。でも、その全体も何かの部分ではないでしょうか。全体であることは、それより他がないことが分かっていなければなりません。そうだとすると、写真で撮れるのが部分でもいいのではと思えてきます。部分を堂々と撮ればいいのです。まあ、あまり無理しないほうがいいとは思いますが。...
普段はうつむいて歩いているのですが撮影の時だけは前向きになっています。まあ、ええ、ムキになるんですよね。下を向いてゴミを撮ったりしていたこともあるのですが最近は普通に、地面に水平にキョロキョロして撮っています。何が普通かは分かりませんが。1メートル60ある、長身の目の位置の視界を重視しています。まあ、重視という難しい漢字は似合わないあっ、軽いカメ爺なのです。...
一気に暖かくなりました。桜の季節です。どこも、人いっぱいになるんでしょうね。今年はどうしようかな、といったところです。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 6
今の幼い子供たちは育って行きながら大人たちというのは顔の下半分以上が主に白ぽいものだと学習していくのだなあと、春うららな、表の街角で思ったのでした。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 5
写真の世界も多様性が言われているようですが実際は多様性という名の一様性に向かっている気もします。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 4
AI生成で作られた場合、それは写真ではなくて、写真まがい画像だと思っています。写真は、現実の光景を写しとったものだと思っているからです。何が現実かという難しい議論も必要ですが今のところ、手で触ってその存在が確かめることが出来る森羅万象と言ったところかなと思います。目の前の世界が死んだ万象にならないことを願っています。森羅万象から評判の悪いカメ爺が言うのもこそばゆいのですが。...
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いよいよ梅雨かな、それなら梅雨入り前に少し撮影したいと出かけた今月初め。それからすぐに梅雨入りしたので梅雨の晴れ間を狙って一駅先の商店街へ出かけたのが今月の半ば。さらにさらに、短時間なら午前中ならといつもの公園に出かけたのが今月の後半。えっ!?梅雨明けが発表されたのが今月の終わり間近。忙しい6月でしたが今年も折り返し地点が見えてきました。...
梅雨が明けました。まだ6月ですが・・・。昨日の記事でプロセスをプロセンスと書いてしまいました。センスが悪いですね。書くことも思い浮かばないのでがないので冷や汗でもかきたいと思います。...
楽しいというのは結果ではなくそのプロセンスの中にあるんですね。一段落してホッとした時に「ああ、楽しかった」と振り返るのです。楽しい最中に、そのつど今、自分は楽しいのだろうかなどとやっている暇はないのですから。写真もデジタルになってものすごい結果にも最短でたどりつけます。最短ということは楽しい時間が少なくなることです。ものすごい結果にこれから楽しめばいいのかもしれませんがちょっと写真の楽しみ方とは違...
繋がることがよく言われる時代です。コミュニケーションの目指すところですね。繋がるためには共有する部分が必要です。バラバラに離れていてはコミュニケーションは成り立ちません。共有する部分があることは自分が勝手に動き回れないことを意味します。自分勝手に自由に振舞ってはそれこそ相手を振り回すことになるからです。繋がることは自分と相手が目に見えないチェーンで結ばれることなんですね。チェーンは不自由を連想しま...
小さいころの真夏というのは7月半ばから8月半ばころだったと思います。でも今は6月に、いきなり真夏がやって来るようになりました。もう小さいころのような夏はやって来ないのでしょうか。自然のサイクルというものがあるとしたら上がったら下がる時が来ると思いたいのですが。ーまだまだ暑くなるに決まっているでしょ!まだその時ではないのかもしれませんね。でも・・・「もうはまだなり、まだはもうなり」・・・そんな言葉があ...
スマホでも写真を撮れます。いいえ、今はスマホのほうが多いかもしれません。それも圧倒的に。でも気になっていることがあります。個人的には写真を撮った気分になりにくいことです。タッチシャッターは苦手です。それと縦位置写真が多くなることです。縦位置で写真を撮っていると世界が狭く窮屈になって行く気がします。マスクをしていると目だけ出して上下の隙間から世界を見ている気分になりますから今の時代に合っているのかも...
撮影しました。...
作品を作るというのは変な言い方に感じます。写真も写すと言いますよね。写真は撮ると言ったほうがいい気がします。暑さのせいでしょうかどうでもいいことしか浮かばない週末です。...
写真を撮ることをシューティングということもあります。ネットを見ていると獲物を探し回るのが写真の面白さみたいなことを書いていました。自分の前世はハンターだったのでは?とも。写真を撮ることをコレクションという人もいます。好きなモノを集めるのが楽しいと。なるほどと分かるのですが、少しばかり、写真は危険な趣味なのかもと思ったりもするのでした。...
写真をやっていると気になることがあります。感動できる人=感性の豊かな人なの?です。それについて、時々見かけるお決まりのフレーズもあります。「感動のハードルを下げましょう」です。感動のハードルを下げるって何?と思うのです。ささいなことにもビックリしましょうと言うことでしょうか。まるで、小さな幸せを見つけようと言われているみたいです。今も金次郎さんの時代が続いているのでしょうか。そういえば歩きスマホの...
写真は現実を写すと言われています。思われています。真実=現実を写すのが写真だと。たしかに客観的には現実は一つです。そうでなければこの世界は大混乱に陥ります。お互いの言っていることが全く分からないのですから、コミュニケーションが成り立ちません。でも大丈夫。客観的な現実は存在するからです。つまり暗黙の了解としての現実ですね。これはAというカメラの機種というのは誰が見てもAカメラです。もしBカメラという人...
夏になったと思ったらいきなり猛暑です。もうしょっとゆっくりでもよかったのに。たしか「梅雨寒」という言葉があったと思うのですが今年は見かけない梅雨になるのでしょうか。カメラは雨などの水分も苦手ですが熱も苦手ですよね。昔は屋外での日射病と言っていましたが今ではどこでも熱中症の時代になりました。梅雨の水のシャワー、いきなりの真夏の暑さ・・・写真を撮るには、カメラにはちょっと危険な夏です。...
写真と野球は違いますが、野球が好きなのであくまでイメージとして野球に例えて書きたいと思います。ピッチャーが投げるボールが被写体、自分の使っているカメラがバットです。ピッチャーが投げるボールは多種多様なのが写真の面白いところなんですね。その中で自分の打ち易そうなボールは好きな被写体と言えます。実際、ヒットになりやすいです。ただ、ここで言うヒットは自分で見てであって、誰かの客観的な評価とは別と考えます...
観光地などに出かけて綺麗な景色を前にしてカメラでひたすらにパチパチ撮っていることってありますよね。せっかく、遠出してやってきたのに、それではその風景に浸れないのではと、思っていました。いいえ、今でも一応はそう思います。ただ、少し考え方が変わってきました。風景以外でも、例えば音楽で言えばロックのライブでの撮影です。ライブの撮影の経験はないのですが、やはりカメラを持って撮影しているとロックの音楽そのも...
写真でいう感想とは予め決められたマークをポチすることでもなく☆の数を選ぶことでもないのではないでしょうか。なぜそのマークをポチしたか、なぜその数を選んだか目に見えるカタチで自分の言葉にすることだと思うのです。それを誰かに見せるためではなくても、それを誰かに伝えるためでなくても・・・ですね。ポチしただけ、選んだだけでもいいのかもしれませんが自分が意識化できるかが大切なのではないでしょうか。ただの好き...
行ってきました。...
「文句ある?」と言われた時、3つの反応が思い浮かびます。一つ目は「いいえ、納得で、何も言うことありません」です。二つ目は「はい、自分はこう思います」です。そして三つめが「何となく違和感があるけれど、今の自分には言葉に出来ない」です。議論のための議論では水の掛け合いになるので夏などにはいいにしても、一年中というわけにはいきません。やはり、お互いの実感からの議論が必要ではないでしょうか。写真でもいろい...
写真ではよく「思いを伝える」と言われています。ではこの「思い」とは何を指すのでしょうか?大きくは次の2つに分けられると思います。①「思い」は「感情」のことです。コミュニケーションを重視します。コミュニケーションの対象はふつうは身の回りの人たちですがSNSなどを通じて不特定多数の人たちのことも多くなりました。時には自分のこともあります。思い出の瞬間の感情をより鮮明に自分に伝えてくれるからです。言葉はその...
20代に突入したころ、写真を始めました。それから半世紀以上経ったのですが、飽き性の自分がよく続けられたなと思っています。そんな私ですが、30代の半ばごろに突然、「モノクロはもう辞めた」とカラーに切り替えました。そんな日々を、年齢的に無理して首筋を傷めない程度に振り返ってみると20代、30代にも自分なりに「いい写真」は撮れていたと思います。あくまで自分基準の「いい写真」ですが「あの頃のほうが、いい写真を撮れ...
写真史としての名作は一定の評価はされているのですが今、有名な写真家にしても登場当初というのでしょうか初めて作品として写真を発表した時には酷評された人もいたのです。写真の世界の価値観みたいなものは時代とともに変わってゆきます。写真の世界に吹く、世間の風は気まぐれなのです。その時代の気分次第で、ヨイショされたり、ブーイングされたり・・・世間というのは怪物みたいなものではないでしょうか。...
自分の好きを撮ることが写真だと思い込むとある時には承認欲求の悪い面、「私の好きを認めて!」に行ってしまいある時には自分の写真を好きという狭い世界に閉じ込めてしまうことになると思います。写真を撮ることは自分というフレームから出てゆく快感を味わうことです。カメラは、世界を写しているのですから。...
デジタル写真はある意味で清潔過ぎると思います。匂わないのです。カラー写真の現像の経験はないのですがモノクロ現像には氷酢酸を使うんですね。定着液も酸性です。それで、臨時の締め切ったお座敷暗室は酸っぱい匂いが充満していました。最初はクラクラしそうになりましたが、やがて慣れました。苦手な人もいたのではないでしょうか。デジタル写真は少し優等生過ぎるところがあってもしかしたら、か弱いところがあるのかもしれま...
構図、あるいは構図法についてはいろいろ言われていますが写真は平面の画像なので、必然的に「図を構える」になるんですね。面(カタチ)、色(白黒も)、濃淡などで出来た図=画像が写真です。構図というものを支えているのは「骨組み」です。カラーよりモノクロのほうがよく分かると思います。「いい写真」というのは「いい構図」というより「いい骨組み」で出来ているのではないかなと思っています。...
ネットで写真関連のSNSの投稿を見ていました。その中でカメラが壊れていたという人の記事がありました。どうやら撮影は出来ていたようです。シャッターは切れていてモニターに表示さていたので大丈夫と思っていたようです。ところが、SDカードにはデータが保存されていなかったためにガッカリした気持ちが書かれていました。大切なカットもあったようでデジタルカメラでもフィルムカメラの空巻き上げのような悲しいことも起こるん...
選挙の掲示板には立候補者のポスターが貼られるものだと思っていました。写真にはカメラの、レンズの前にあったモノやコトが写っているものだと思っていました。でも、今はそうではなくなってきたようです。もう何でもありの世の中になったんですね。年齢的に付いてゆくのはキツイので世の中には「どうぞお先に」と言いたい気分です。...
森山大道は神様でした。森山大道は崇拝の対象でした。森山大道はスターであり、憧れでもありました。森山大道みたいになりたかったのです。森山大道みたいになりたくて真似してみました。森山大道に成れませんでした。森山大道は一人でよかったのです。森山大道のダミーは要らなかったのです。森山大道は特別だったのでしょうか。森山大道は写真家として普通だったのです。森山大道は普通であることの難しさを教えてくれたのです。...
「考える」というのは動詞なんですね。だから疲れるのです。見えるものの動きは分かるのですがジッとしていても頭の中は大忙しなのです。写真について「考える」もじつは写真を撮るのと同じくらいエネルギーが要ります。写真について「考える」と写真を「撮る」は本質的には同じなのだと思います。写真について考えていることが写真に反映されます。写真を撮る時に考えていては遅いのです。かと言って予めイメージを完成させておく...
人間は記憶で出来ていると思います。その記憶を支える中心になるのはイメージであり、映像です。その映像と密接なのが写真なんですね。動画もありますが、印象に残っているのは静止した場面=写真ではないでしょうか。写真は表現以前に、思い出でありその人の一部として生きているのだと思います。写真は記憶と言われる理由ですね。...
覚悟はしていたのですが、ついに近畿地方も梅雨に入りました。雨の日こそカメラを持って出かけよう!というカメラマンさんもいます。雨の日の写真は情緒がありますよね。そんな写真を見るのは嫌いではないです。ただ、そのようなカメラマンさんと違って雨の日に写真を撮りに出かける勇気はないのです。私はカメラと運命共同体なので雨の日にカメラを持つと雨恐怖症を発症します。雨に強いカメラもありますが所持するカメラは強くあ...
「写真そのものの画像」と「写真まがいデジタル画像」は分けて考えたいと思っています。個人的には「写真まがいデジタル画像」は限りなく写真に近いイラストのように感じています。写真を使ったイラストというのでしょうか。ただ、いっぽうで「写真そのもの」をどう判断するか、定義するかが悩ましいです。「写真そのもの」と「写真まがいデジタル画像」の境目をどこにするかが、よく分からないからなのですね。今のところ、人によ...
写真は「光と影」ですが「光」と「影」ではないんですね。「光っているもの、光の当たっているもの」や「影という黒っぽいカタチになっているもの」を撮ることが、写真は「光と影」にはならないと思います。「光」と「影」を撮って、写真は「光と影」というのは少し、ストーレート過ぎる気がするのです。「光」の中に「影」を、「影」の中に「光」を見ようとするのが写真、というのはカッコつけ過ぎでしょうか。...
街歩きの動画が気に入っています。耳が悪いので音声の説明は聞けないのですが、映像だけでも自分が出かける時の参考に、とてもなりますね。また、以前に行ったところで見落としていたことや新しくなったところ、変わったところなども知ることが出来ます。動画をやってくれている方に感謝です。ただ、気になることもあるんですね。撮影の画角のことです。カメラの動画撮影のことはよく知らないのですが35ミリ換算で24ミリくらいで撮...
木造世代なので今のまるでSFのような世界は馴染めません。昔はお寺や神社は苦手だったのですが今は落ち着ける場所になって来ました。ただ、ここは外国の人が多くてやや落ち着けなかったのです。...
写真は好き嫌いがハッキリするメディアだと思います。好き=撮りたいもの、嫌い=撮りたくないものですね。ただ、現実の光景には好きと嫌いが共存しています。そこでテクニックです。ボカします。明るいレンズを開放気味にしたりします。覆い焼きします。レッタチで周辺を黒っぽくするイメージです。飛ばします。潰します。ちょっと、怖い言い方です。見えなくします。好きなものの後ろに嫌いなものを隠します。トリミングします。...
街歩きの動画を見ていると情報量で言えば写真は叶わないなあと思います。なにしろ動画は写真=静止画の大量集団ですから数では勝てません。戦う前から要白旗なのですね。では写真は動画に勝てないのでしょうか。そんなことはないと思います。今のところ、よく分からないのですが写真には「余白の魅力みたいなところがあると思います。まあ、争う必要もないのですが。...
今年も「危険な暑さ」がやってきました。写真で「危険な暑さ」を撮影やレタッチで工夫すれば表現出来ますよね。でも、それは「危険な暑さ」を連想させるだけで写真そのものが「危険」であったり「暑」かったりするわけではありません。人間の想像力はスゴイと思います。...
かつて、カメラのファインダーのピント合わせやオートフォーカスの測距点は、画面の真ん中にありました。そのことは何を意味するのでしょうか?人は写真を撮ろうとする時、何も考えないと、無意識に撮りたいものを画面の真ん中に持ってきますよね。当然と言えば当然だと思います。画面の隅っこに小さく撮ろうとはふつうは、しないです。そうなんです。「日の丸構図」は写真撮影の原点と言えます。「日の丸構図」については、いろい...
当たり前にあることは話題になりません。当たり前には古さが付きまとうからです。人は新鮮さを求めます。写真も新鮮さが楽しませてくれます。新しいカメラ、新しいレンズ、新しい被写体・・・でも、新しいには時間という非情なヤツがやってきます。新鮮さというラベルを剥がすのです。見慣れた光景・・・退屈です。写真に撮って、新鮮な光景に変身させたとしてもやがて飽きてくるのです。写真を続けるには「当たり前」を「当たり前...
主張には根拠が必要と言われています。自分の言いたいことは主観的なのでそれを裏付ける客観的で正当な理由が要るのですね。写真も「こう撮れ!」みたいなことが言われます。どうしてかと訊くと「なぜならみんな(多くの人)が、いい写真と言ってくれるから」のような返答が帰ってきます。少し理屈ぽくなるのですがある根拠にはその根拠を支える別の根拠が必要ではないでしょうか。そのことは堂々巡りを意味しています。正論が複数...
用事で出かけたついでに「新石切駅」周辺と「石切さん(石切神社)」周辺で撮影してきました。お天気で暑かったので意識を失う前に帰ってきました。...