意味があるから写真を撮るのではなく、意味はないけど写真を撮るのです。意味なんて後でいくらでも見つけて作り出せばいいのですから。人間には意味がなければ何もやる気がしない、起こらないという「意味必要病」みたいなものがあります。それから回復するには写真はピッタリの良薬です。写真を撮る意味が見つかるまで待つことはありません。時間と体力と費用があれば写真を撮りに出かけられます。写真を撮ることにはスランプはあ...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
意味があるから写真を撮るのではなく、意味はないけど写真を撮るのです。意味なんて後でいくらでも見つけて作り出せばいいのですから。人間には意味がなければ何もやる気がしない、起こらないという「意味必要病」みたいなものがあります。それから回復するには写真はピッタリの良薬です。写真を撮る意味が見つかるまで待つことはありません。時間と体力と費用があれば写真を撮りに出かけられます。写真を撮ることにはスランプはあ...
「ディスる」という言葉を目にした時、「えっ、いったい何のこと?」と思いました。みんな、外来語が好きなんですね。そして今、ディスることをディスっていたりします。「自分の好きなカメラのことを書くことをディスるなんて最低!」などと言ったりしてディスっているのではないでしょうか。ディス イズ ア ペン・・・ア ハッハで済ませてもいいような気もしますが・・・。「なに、しょうむないこと言ってんねん!」思わず自分で...
ほぼ1年ぶりの奈良公園です。ここに限らず公園でのスナップ撮影は街なかとは違った難しさがあります。空や地面を画面にどう入れるか悩むのです。空を入れすぎると情緒的になるし地面に影を入れるときつい感じになってしまうからです。あと草や木の扱いも気になります。画面に占める緑の部分をどうするかなんですね。まあ、実際は適当に撮っています。適当というか、「それほど悩んで撮っていないよな」というのがホントのところの...
昨日はまあまあの気温でしたが一気に寒くなりました。11月も半ば過ぎだから遅いくらいですね。昨日もテレビでやっていましたが日本は四季から二季になってしまうのでしょうか。ところで夏と冬ではどちらがたくさん趣味としての、作品としての写真が撮られるのでしょうか。...
人間は記憶で出来ていると言います。すなわち、「私」とは「記憶」なんですね。記憶を無くすことは私でなくなることの恐怖です。以前と比べるとミナミに来る回数が少し増えたのですが来るたびに、前回にいったい何を見ていたのかということがよくあるんですね。「アレ?こんなの、あった?」結局、「私はここを見た」気になっていただけなのです。断片の記憶、不確かな記憶、記憶と呼べない記憶・・・。写真も記憶のために撮ると言...
「カメラは何でもいい」と「カメラは何でもよくない」と言葉にすると相反することが両立するのが写真の面白いところだと思います。もちろん、どちらにも前提条件があります。作品の評価については「カメラは何でもいい」と言えます。カメラの価格と作品の価値は別なのですから。最初のカメラ選びは限定しないで「カメラは何でもいい」だと思います。懐事情の許容範囲で自分のお気に入りを決めるのが写真の楽しみですから。そして、...
SNSを見ていると「写真を観る」と書かれていたりすることがあります。「見る」は漠然と視線を向けることも含みますが「観る」はかなり意識的な視線になると思います。それで写真の場合ですが、最初は「見る」で「おっ!」と思うところから「観る」が始まるのだと思います。それでふつうは「写真を見る」でいいと思います。「観」は漢字を書く時に画数が多くなり間違えそうですし。...
ある意味、あらゆるジャンルで写真は撮りつくされたのではないでしょうか。勉強不足で断言はできませんが、見たこともない写真はもうどこにもないではないでしょうか。新しい写真表現が模索され発表されていますが、一般的な写真表現に関してはそう思うのです。風景、ポートレート、スナップ、花、ペット・・・。もしそうだとすると、どこかで見たことのある写真、誰かが撮っていたような写真でもいいのではないかなと思えて来ます...
行ってきました。「人が多そうだし・・・」ということで今年はまだ行っていませんでした。暖かい予報だったので「1回くらいは撮影したいし」と出かけたのでした。...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 12
昔は、と言うとカメ爺丸出しの言い方になりますが、まあ、個人的にははるかかなたなので、こう言いますね。写真の本と言うと「○○の撮り方」とか「写真撮影入門」のようなタイトル、内容の本が多かったです。でも今は、そのような本もあるみたいですが、ネットを見ていると写真に対する姿勢、考え方を含めて生き方論みたいな内容の本も(のほうが?)人気のようです。「あなたらしい撮り方をするために」「カメラは私を写している...
単写真、あるいは組写真のタイトルも考えてベテランの人、プロの人、写真に詳しい人などに自分から感想を聞くとします。仮にですがその時、その人が「つまらない」というようなことを言ったらそれは失礼なことなのでしょうか。そんなことはないと思います。その人は正直に気分が感じたことを言ってくれたかもしれないからです。感想というのは聞かれた時に言うのが原則です。プロの写真家に対して写真評論家の人たちが言うのは別に...
歳を取るということはいろんなことが分かってくることだと思っていました。写真も長くやっていると少しずつでも分かってくるようになると思っていました。どちらもそうでないことだけが分かってきたことのようです。...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 11
写真は時間、つまり瞬間をとても意識する表現手段であることは言うまでもないですよね。そのため「瞬間」の質、内容みたいなものにこだわります。普通の物事やありきたりの出来事は面白くないと思われやすいのです。誰もがそう考えるのは自然なことだと思います。それでも、何か「特別なこと」が起こったから撮る写真もいいのですが、何も「特別なこと」が起こっていない・・・ごくごく普通のこと、ありきたりのことを撮る写真・・...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 10
世の中には2つの残酷なものがあると思います。空間的には、それは「世間」と呼ばれています。嫌われないように、気に入ってもらえるように「世間様」と呼んだりするのです。時間的には、それは「時代」と呼ばれています。古びて合わなくなってくると、用済みとなっていつの間にか捨てられるのです。「世間」は大切かもしれないものは何も見ていなくて「時代」は必要かもしれない何かを残そうとしないからです。写真はそのことの証...
「絵になるもの」を撮って作品にするではなく「絵にならないもの」を撮って写真にするのが写真家だと思います。...
撮影してきました。...
「難波八阪神社」です。これまで難波八「坂」神社と書いていましたが正しくは難波八「阪」神社でした。間違っていてすみません。ネットで名前を確認したつもりだったのですが見ているようで見ていないんですね。私の場合は、ただの注意不足、思い込みやすいだけなのですが。...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 9
無理やりにでも撮って写真にするのです。撮りたい気になれないからシャッターを押せないのではなく、シャッターを押したい気になればいいだけです。カメラが壊れていたり、操作をミスったりしなければ写真は写るのです。写真なんて誰でも写せるのですから。ただ、その写真が評価されるかどうかは別なんですね。そんなことを考えていては写真は撮れないですからただただシャッターを押し続けるのです。シャッターを押すのはタダなの...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 9
「絵になるもの」を撮って、作品にするのではなくて「絵にならないもの」を撮って、写真にするのが写真家だと思います。...
同じ場所を何回も撮っているともう撮るところがないと思ってきます。撮りつくしたと。新しいうちは刺激があるのですがだんだん感じなくなってくるのです。何も感じなくなってくるとシャッターを押す気になりません。でも撮ろうとすれば撮れるんですね。指先をほんの少し動かせばシャッターを押せるのですから。写真撮影は商品開発とは違うのですから目新しさはあまり関係ないのです。器用な写真家もいますが別に不器用で同じような...
写真ほど自分が関われないアートはないように思います。「私は何をしたらいいの?」・・・です。カメラを自分で作ることなど出来ません。ピンホールカメラなどは器用な人は作りますが。画像編集ソフトを自分で作ることは出来ません。ほとんどの人には無理ですよね。さらに・・・被写体を作ることなど出来ません。自分で何かを制作した物以外は、不可能です。写真家はひたすらシャッターを切るのみなのです。そのためには動き回る必...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 8
デジカメが主流の座を奪ったころフィルムカメラはいずれ姿を消すだろうと言われていました。でも、そんなことなかったです。たしかにコストが掛かることはありますがそれにもかかわらず一定の人気があるのですね。予想は当てるためにすると思うのですが・・・。それとも外れてほしいからするのでしょうか。写真に関して言えば外れてくれてよかったと思っています。フィルムのほうが写真の持っている「儚さ」に合っているように思い...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 8
もし一点で写真を考えるのが私のように(いっしょにして、すみません)苦手なら、写真をもっと多数で組み合わせて考えてもいいのではないでしょうか。その時面白いのは1点傑作のような写真ばかりで組むと、不思議なことにつまらなく感じてくることがよくあります。自分ではもう一つかなとか、あまりいい写真ではないのでは、というカットを混ぜたほうが写真展や写真集のような写真群選びにはいいように思っています。まあ、本格的...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 7
写真は単写真と組写真があります。そのことは音楽のシングル盤とアルバム盤を連想させます。写真は1カットで考えるとどうしても1点傑作主義みたいなことに陥り勝ちだと思います。1枚で完成させるという考え方で、もちろんそれもいいのですがもっと組み合わせて考えてもいいのではと思っています。その時、1点傑作の写真ばかりで組むと結構面白くなかったりするんですね。音楽もヒット曲を集めたベスト盤というものがあります(あり...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 7
以前にも同じようなことを書いたのですがもう一度、大切だと思っていることなので書きたいと思います。それは写真はどこまで行っても全体を写すことは出来ないということです。部分しか写せないのが写真です。でも写真に限らず全部のことを把握することは人間には不可能なのではないでしょうか。全部であることが分かるためにはこれ以上、これ以外はないことを証明しなければならないからです。全体を外部から見ることは出来るので...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 6
写真の言語化について最近よく目にするのですが私の思う言語化とは少し違うんですね。「写真の言語化」というのは撮った写真について説明することではない気がします。撮った個々の写真について解説することではなく自分の写真観、写真への関わり方を文章化することではないでしょうか。そのような写真観で撮られた写真を見てみたいと思わせられる文章を書けるかなのですね。もともと、写真を表現としたら写真家が語るのではなく、...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 6
テレビドラマ大好きカメ爺ですが耳が悪いので字幕表示で見ています。それで時々気になることがあるんですね。<心の声>と表示されるシーンです。主人公などが心の中で思ったことが表示されます。音声では独り言のように語られているのだと思います。ただ、何回もそのシーンが出てくるとそんなの、表情やしぐさ、そして前後のシーンを描くことで視聴者に連想させる、察しさせるほうがいいのにと思ったりするのです。写真も写真を撮...
ミナミで写真を憑かれたように撮りました。家で写真を疲れたように見ています。...
「ワクワクしましょう」とかよく言われますが一年中、四六時中ワクワクしていたら病気になってしまいそうです。東洋の健康法(?)では「喜び」も心身に良くないことの一つに上げられているんですね。正確には「喜び過ぎ」らしいですが。そうなんです。「いつもニコニコ元気な笑顔!」・・・無理していませんか?基本的にはいいことだと思うのですが「ポジティブシンキング」という言葉も気にし過ぎるのは、時には「ネガティブシン...
現実の姿の表面を写したものが写真ですが、今はその現実の輪郭みたいなものが曖昧になって来ました。AIが作り出す画像のことを言う前に、人間がこの現実の世界をどう思っているかがハッキリしなくなったのではないでしょうか。客観的には現実は一つのハズです。でも人間の数だけ現実はあるのかもしれない・・・そんなことを写真は突きつけている気がします。そのことと関連して写真はこれから、どんどんデザイン的になっていくと思...
そのカメラを手に入れたからそのカメラを使えるようになるというのは違うと思っています。多機能のカメラを自由自在に扱えることと、つまりその機能を表現に生かせることはまた別のことなのではないでしょうか。多機能のカメラを自由自在に扱えることはオペレーターであって、アーティストとしてではないと思うのです。そしてそのことの以前にカメラマンがカメラを選ぶというよりカメラがカメラマンを選ぶのではないでしょうか。カ...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 5
つまらないと思う写真につまらないと言うのは失礼ではないと思います。ただし、つまらないと思う理由もいっしょに言う必要があります。ただ、つまらないと言うだけではそれは単にケチをつけているだけでつまらないことだと思います。...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 5
ネガティブ思考=暗くてよくないというのはとても短絡的で決めつけた捉え方だと思います。ネガとは陰であり、見えないところのことで暗いという意味とは少し違うのではないでしょうか。ネガとポジがあって、人は適切に考えるきっかけに出来るのだと思います。ネガとポジは一つのモノゴトの両面なのです。写真の感想でネガティブな評価というのは見た人その作品に違和感を感じたと言っているわけです。「私の感じ方とは違う、写真観...
通りすがりの○△□241002・近いけれど、とても遠いところ 1
「被写体の写真を撮る」ではなく「被写体を写真に撮る」だと思います。「被写体の写真を撮る」は写真家が主役ですが「被写体を写真に撮る」は被写体が主役なのです。前回はここまで書きましたがその続きです。少し、いいえだいぶ理屈っぽいことを書いた前回の記事に書き足したいと思います。被写体の写真を撮ろうとするのは自分の思い通りに被写体の写真を撮ろうとすることです。自分、つまり写真家優先と言ってもいいです。被写体...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 4
被写体の写真を撮るではなく被写体を写真に撮るだと思います。被写体の写真を撮るは写真家が主役ですが被写体を写真に撮るは被写体が主役なのです。...
撮影しました。10か月ぶりでした。雨予報が午後から回復したせいでしょうか人、いっぱいでした。涼しいというより、暑かったのですが確実に遅い秋が来ていました。...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 4
平均寿命というのは0歳の人が、あとどれだけ生きられるかという寿命のことでつまり0歳の人の平均余命のことなんですね。ところで森山(大道)さん、86歳になったんですね。森山さんのように80歳を過ぎても活躍している写真家さんもいる一方で50代くらい、あるいはそれ以前に亡くなった写真家さんもいます。まあ、平均というのはあってないようなものですから人それぞれと思うしかありません。平均という名の人はいません。平均とい...
「エモい」というのは感情が揺すぶらされることですよね。その「エモさ」ですが最初は元気が出てくるけれど、いつの間にか逆に元気が出てゆく気もしてきます。「エモさ」は度合い、強度ですが、何度も多量に摂取していると何も感じなくなってくるので次第に過激化してゆくように見えるのです。どんどん中毒化していって、それがないと落ち着けなくなり、気持ちよくなるために始めたのがいつのまにか苦痛になってしまうのではないで...
写真撮影を昆虫採集に例えて語る写真家さんもいます。写真撮影はコレクションと同じなんですね。骨董品、切手などと同じく、自分の好きなものを写真にして収集するということでしょうか。綺麗な風景、可愛いペットなどならいいのかもしれませんがあらゆる被写体に当てはまるかというと少し引っ掛かります。被写体をコレクションできないのが写真家だと思うのです。被写体の姿=イメージを借りる、拝借するのが写真撮影ですから昆虫...
プロの場合は依頼主が別にいますよね。依頼主がOKを出してくれる必要があります。もし、期待ハズレだったら次はないかもしれません。でも、アマチュアの場合、依頼主は自分なのですから自分がOKを出せばいいのです。もちろん、それは簡単なことではありませんが「とりあえず」という気持ちで選んでもいいのではないでしょうか。そうしないといつまでも、撮った写真の群れを前にして時間だけが過ぎてゆきます。私は「もしかしたら違...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 3
少しエラソーなことを書きますね。最近、森山大道の写真に興味がなくなってきています。もうだいぶ前になりますが、森山さん、外国のブランドとタッグを組んだことをカメラ雑誌で知りました。あれ?そのころから、森山さんの写真ってグラフィックというか、デザイン的なんだなあと思うようになったのです。もともと国鉄のポスターに森山さんたちのアレブレボケが使われたことがあるので、デザイン的だったんでしょうね。たくさん見...
デジカメになって、スマホカメラになって人はモノをよく見なくなったように思います。ものをよく見るには自分のことをいったんは忘れてモノに集中しないといけないのですが集中しているのは自分の思いの方ではないでしょうか。モノは自分の思いを伝えるための代理的な存在のように思います。レタッチは自分の思い制作作業なのです。...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 3
世の中には2つの残酷なものがあると思います。空間的には、それは「世間」と呼ばれています。時間的には、それは「時代」と呼ばれています。写真はそのことの証言者ではないでしょうか。「世間」は何も見ていなくて「時代」は何も残そうとしないことの。...
写真を作品として発表する場としてSNSは向いていないのでは?と思っています。あくまでSNSはカタログ的な、中間的な場だと思うのです。仮の場です。見てくれる人のモニターは様々ですよね。スマホの画面は小さすぎる気がします。まあ、それも面白いと言えば言えるのですが作品の発表にはリアルの場所や物が最適だと思います。...
いつもの公園で撮影していたらファインダーの中を黒いものが横切り「ハッと」しました。鳩でした。...
デジカメの最大の弱点、それは電気が要ることだと思います。デジカメは、蓄電、さよなら、ただ、荷物。...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 9
カメラは科学技術の産物で、科学は進歩しますからカメラの高機能化、高性能化はそれに伴った当然の結果ですよね。いっぽう写真は表現というのでしょうか、アートの世界に参加することが可能なメディアだと思います。人間の存在そのものが表現と言えなくもないところがあります。歩き方、食べ方、寝相、しゃべり方、姿勢、表情、しぐさ、癖・・・そういったことも広い意味でその人の表現と言えるのではないでしょうか。そう考えると...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 8
「近いけれど、とても遠いところ♪」そんな歌がありましたね。写真を撮っていると目の前にあるのに遠ざかってあるように感じることがあります。被写体に嫌われているのでしょうか。...
「道頓堀」は「Dotonbori」になったんやなとそこで写真を撮っていると、思えてきます。同じことを大阪城公園、奈良公園、新世界などでも感じます。ちょっと、ここ、どこなん?みたいな。まあそういった場所に限らずどこであれ、写真を撮るにはそうならざるを得ないところがあります。自分が場違いな人間に思えてくるのは仕方がないんですね。祭りに参加して熱中していては写真は撮れないし、ライブの演奏に聴き入っていては写真は...
昔、若いころ「写真を始めたんですよ」と言ったら「若いのにそんな(暗い)趣味が好きなの?」みたいなオーラがその人から出ていました。写真はおじいさんの渋い道楽みたい思われていたのです。今、カメ爺になって写真をやっていますというと「あっ、そう」みたいな、無反応オーラがその人から出ます。写真は若い人たち中心に、元気ハツラツの(明るい)趣味になりおじいさんの渋さは無味になったようです。...
まあ、いろいろあるけれど世の中、少しずつ良くなっていっているという意見もありますよね。そのまま受け取ると、マイナスが減ってゆき、プラスが増えてゆくことですから、後から生まれる人が得?ということになると思います。たしかに、世の中はどんどん便利になっています。私が写真を始めた昭和の時代にフィルムの要らないカメラの話をしたら、病院行きを勧められたと思います。そんな昭和から見たらSFの世界が目の前に広がって...
「いい人ね」と言われし我は「どうでもいい」人。「いい写真ですね」と言われし写真は「褒めておけばいいでしょ」写真。嗚呼。...
人を不幸にするホントより人を幸せにするウソ。写真はそんなことを示しているように思います。...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 7
「見たものを撮ればいい」というアドバイスが一部の人たちにSNSで受けているそうです。でもそれは「目に入ってきたものだけを撮ればいい」という意味ですよね。たしかに、その撮り方は楽チンだと思います。何しろ考えなくてもいいからです。迷うのはテーマが見つからなかったりするからですがそのようなことを考えないで片っ端から撮ればいいからです。でもそれでは、とても視野が狭くなるのではないでしょうか。「見たもの以外」...
たとえば艶歌とクラシックを同列に議論するよりも別々に言い合ったほうがいいですよね。どちらも音楽に変わりはないのですがその場合「音楽」とは何かをハッキリさせておかないと話がかみ合わなくなるのではないでしょうか。写真にも同じことが言えます。写真について語る時は、「写真」と「デジタル画像」に一応分けてはどうかなと思っています。「写真」はフィルム写真でできていたものであり「デジタル画像」はデジタル作業が可...
カメラ雑誌に、だったと思うのですが、あるプロの方が「構図」とか「フレーミング」とかを瞬間的に決める「感覚」が写真のセンスだと書かれていました。たしかにそう言うことはあるのですが、その感覚がいちばんに必要とされるのはコマーシャルフォト、広告写真の世界だと思います。あと、フォトコンテストの場合もそうですね。どちらも他者(消費者・広告主・選評者など)から評価されなければならない世界です。他人がその写真の...
写真の投稿だけです。...
AIがどうかという前にこの世界の何を現実だと、そしてどう思うのなんですよね。テレビドラマがその人にとっては切実な現実ということもあるのです。「○○ロス」という言葉がそれを表しています。そして現実を写したものが写真なのですが、私はとりあえず、写真と写真でないものの区別はレンズの前にあったものが写っているか・・・それを基準にしたいと思っています。あくまで基準、スタートラインなのでどこまで、それを広げるかが...
通りすがりの○△□240821・fu・きけん・na・なつ 2
この撮影の時は腕がなんとか水平までは上げられる状況でした。力が入りにくくてブルブル震えてシャッターボタンを押していました。カメラの手ブレ補正機能のおかげでほぼブレのない、目立たない写真が撮れました。...
写真を撮るということは、カメラマンが現実を操作して変えて撮ることではないと思っています。カメラの前にある現実に合わせてカメラマンが変わることで写真は撮られるのです。カメラマンは現実に従う人間であって、現実をコントロールして変えることができる人間ではないのではないでしょうか。「○○構図法」 で「その被写体=現実」を撮っていると、カメラマンである自分が現実を操作している気になって来ます。でも、そうではな...
行ってきました。「今回は道頓堀のほうへは行かへん!」そう決めて出かけました。道頓堀、週末でにぎわっていました。...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 2
ある写真家さんのSNSを見ていたら「9月も前半戦が終わり・・・」のようなことを書いていました。まあ半ばを過ぎたなあということなのですがその日々を「戦っている」という気持ちが強いのだろうかと思ったのです。私は「歩く白旗カメ爺」なのでちょっと恥ずかしかったりしました。でも、人って戦うのが好きな気もします。スポーツ、ゲーム・・・などなど。...
通りすがりの○△□240727・fu・きけん・na・なつ 1
「オレも森山大道みたいな写真を撮れるようになりたい!」と写真を始めたころは思っていました。なにしろ森山さんたちの写真はカッコよかったですから憧れの写真家の一人でした。でも歳を取ってくるにつれ、だんだんその気も失せてきました。「憧れ疲れ」。かと言って自分なりのとか、自分らしいとか自分にこだわっても仕方がないと考えました。「写真することが面白ければ、それでええやん」。写真は自己表現というより、被写体表...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 6
このカメラでいい⇒自分が撮りたい写真が撮れるならこのカメラでもいいし、このカメラでなくてもいいということ。このカメラがいい⇒自分はこのカメラで写真を撮りたいので他のカメラのことは今は候補にはないということ。...
撮影しました。瓢箪と写真はどちらも「コマ」に関係があるので相性は抜群だと思っています。あとは結果が伴えば言うことはないのですが。...
「自分語り写真」が流行っているようですね。説明を読むと「自分はこういうところが好きで撮った」みたいな解説をしています。「自分の好き」に共感してくれる人、募集!といったところでしょうか。私の写真?「自分ガッカリ写真」は流行らないようです。...
「道頓堀」は「Dotonbori」になったんやなとそこで写真を撮っていると、じんわりと思えてきます。同じことを大阪城公園、奈良公園、新世界などでも感じますね。自分が場違いな人間に思えてくるのでした。まあ写真を撮るにはそうならざるを得ないともいえるのですが。...
カメラを持つようになってから日常のさりげない光景に美しさを見いだすようになったとよく言われています。でもそれは日常をカメラのフレーム、つまり四角い枠に入れて見るようになったからなんですね。フレーミングの美化作用です。そのことによって日常が美しく見えるようになったのです。日常そのものの美しさはカメラに収める前に気づいていてもよかったのです。カメラに頼らなくても気づいてあげられたのですから。写真を撮る...
通りすがりの○△□240910・グリーン・GREEN・緑 1
人工物というのは基本的には直線です。一方 自然のものは曲線が中心です直線というのは合理的、功利的なんですね 。無駄がありません。そこへ行くのに最短距離は直線ですから。いっぽう、 曲線は遠回りです。つまり 無駄が多いのです。経費が掛かります。でも曲線多い自然風景に人は癒されます。直線多いビル群の街なかは少し息が詰まってきます。このグラングリーン大阪は螺旋階段、建物施設など曲線で出てきたものが多く、公園以...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 5
真似したい写真家を見つけること、その人の真似しようと意思すること、そのことに意味があるのではないでしょうか。結果的には真似しようとする写真家が本物なら真似することはできないと思います。そして真似できないことを実感することで、自分はどうするかを考えることから、「私の写真」は始まるのだと思っています。...
投稿写真は難波ですが、昨日、ニュースや動画で見ていた梅田の「グラングリーン大阪」へ行ってきました。やはり自分の目で見たいのです。写真に撮ったらどんなふうに写るのか、それも見たいと思い、出かけました。平日の正午前後だったのでテレビで見た時ほどの人出ではなかったですね。ただ、予想外というのでしょうかオープン数日のこれまでの人出が多かったので、一部の芝が傷んで養生のために立ち入り禁止になっていました。私...
「グラングリーン大阪」へ行ってきました。...
通りすがりの○△□240619・さよならはこんにちはのせい 10
以前の私はいわゆるバエ写真について、あまり好意的な見方をしていませんでした。SNSでもそんな記事を書いた記憶があります。でも最近は感じ方が変わりました。「バエ写真、全然いいやん」と。じつは、バエ写真について黒いバエと白いバエと分けて書かれている記事を見かけて少し違和感を感じて、改めて考えてみたのです。白いバエ=いい、黒いバエ=よくないというのは単純すぎる分け方ではと思います。白いバエには受け狙いの気...
「レイコー」、あるいは「レイコ」というと伝わらないとか古っとか言われると思っていました。でも最近、名前が復活してきているんですね。自分のことのようにうれしかったりもします。「オレも復活できそうやで」と言いたいのですが「それはないわ」と言われそうなので沈黙を守ることにします。...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 4
鳥は空を自由に飛べるから自由なのだろうか。ものすごいエネルギーを使って空を飛ぶしかないのだ。ネコは自由気ままに暮らしているのだろうか。そばに人間の暮らしがあるからエサの心配がないので安心なのだ。デジカメは好きなように自由に撮らせてくれているのだろうか。本当はデジカメに振り回されているだけなのだ。...
写真はこれから、ますますデザイン的になっていくと思っています。在るモノから在りたいモノへが、より顕著に。被写体をありのままに写すことより被写体を自分の思うように変えることが普通になってきました。現実は自分が描きたいイメージのための材料にすぎません。写真の中の私はスーパーマン(古っ)も真っ青なのです。...
写真と写真でないものの区別はレンズの前にあったものが写っているか・・・それを基準にしたいと思っています。あくまで基準、スタートラインなのでどこまで、それを広げるかが、悩ましいのです。...
通りすがりの○△□240619・さよならはこんにちはのせい 9
これらの写真を撮ってから2か月半が過ぎました。時が経つのは速いですね。ここ梅田では今週末に、【うめきた2期】「グラングリーン大阪」先行開業という大きなイベントが待っています。まあ、ミーハーなところもあるのですがどちらかというと賑やかすぎるのも苦手なので落ち着いたら撮影に出かけたいと思います。...
通りすがりの○△□240619・さよならはこんにちはのせい 8
デジタル写真はまだいいのですがデジタル画像のヌメッとしたところは未だ馴染めません。引っかかからないというのでしょうかツルツルし過ぎて、現実離れしているのです。...
撮影しました。...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 3
「綺麗」と「美しい」は違うと思うのですがAIはその違いが分かるのでしょうか。「醜」も「美」に含まれると思うのですがAIは醜さをどう扱うのでしょうか。...
8月も終わりですね。思い出の8月になりました。思い出したくない8月でした。...
通りすがりの○△□240619・さよならはこんにちはのせい 7
パクリでいいのです。誰かの真似でもいいのです。誰かの写真とよく似ていてもいいのです。私にしか撮れない写真でなくてもいいのです。誰にでも撮れる写真でいいのです。そして・・・個性的でなくてもいいのです。センスが悪くてもいいのです。目新しさがなくてもいいのです。全然バエなくてもいいのです。どれもビジネスの世界で一瞬だけ輝くものですから。...
「いい写真」を「良い写真」と書くと「良い」か「悪い」を連想します。また「ダメな写真」という言葉も思い浮かべるのではないでしょうか。表現としての写真には「良い写真」とか「悪い写真」、そして「ダメな写真」とか「ダメでない写真」とかはないと思っているので、私は「いい写真」と書くようにしています。定義と言うのでしょうか、これがまず前提としてハッキリさせないと自分の写真について語ることは出来ないのですが、た...
通りすがりの○△□240619・さよならはこんにちはのせい 6
まだ肩は痛いのですが鋭い痛みから鈍い痛みに変わってきたのでパソコンの操作もなんとかできるようになりました。それで、いつもの公園に撮影に行ってきました。肩は痛いので、おとなしくしていたほうがいいのですが台風が来る前に、8月が終わってしまう前にもう一度、カメラを持って撮影がしたかったのです。やはりファインダーを覗き、シャッタ-を切るのは写真を撮る人しか味わえない快感だと再確認しました。そして肩の痛さも...
ストレートネックによる炎症で右肩の上部に激痛が発生し1日中痛みが続くので何もする気になれない日が続きました。おまけに五十肩で右腕が重くてダルく、前にならえ!より上に上がらなくなってしまいました。オレの写真人生ももはやこれまで・・・などと冗談も言えないくらい痛みがひどかったです。整形外科に通って治療中ですが痛みはマシになり、腕も少し上に上げられるようになりました。パソコンの操作は、右肩に力が加わり痛...
写真の投稿だけです。...
当ブログへのご訪問ありがとございます。更新できるようになるまでもうしばらくかかりそうです。その時には、ご訪問いただけたらうれしいです。...
写真の投稿だけです。...
時々、写真は「それ」を理解するためと言うより「それ」を理解することは不可能であることを確認するために撮られるのではと思うことがあります。たくさん撮るほど「それ」は細かく粉砕されてゆき元のカタチを消失してゆくように感じます。たくさんの「それ」を寄せ集めてもジグソーパズルのようには「それ」は完成しないように思います。...
始めたころにはフィルムが要らなくて写真を撮れる時代を自分が体験できるなんてまったく思いもよらなかったです。写真=フィルムで撮るものが当たり前でそれは、誰もが疑いなく思っていたことでした。予想って、たいていは過去のデータ内でなされると思います。そうでなければ、想定外の悲しい出来事は避けられるのですから。写真の世界もAIなど、いろいろ言われているようですがおそらく想定外のことが待っているのではないでしょ...
写真仲間と同じ場所で撮影して後で見せ合うとします。そうすると分かるんですね。同じ場所なのに見ている光景、興味のあり方、そんな違いが目に見えるカタチで示されます。同じ場所なんてないのかもしれません。その場所に何人いても実際には私一人しかいないのです。...
通りすがりの○△□240619・さよならはこんにちはのせい 5
昭和には大正ノスタルジーのようなものがありましたし令和には昭和ノスタルジーみたいなものがあります。取り返せないというか、昔はよかったというか結局、今にないものねだりなんですね。フィルムにもノスタルジーを誘うところがありますがフィルムよりデジタルのほうが記録という面では圧倒的に有利です。フィルムとデジタルを比べることに意味はなくて自分に合ったほうを選べばいいだけなのです。写真の面白さは一つだけではな...
通りすがりの○△□240524・まちかどwhisper 10
インターネットは一人一人の世界をとても狭い世界にしてしまったと思います。自分と「いいね」仲間だけの世界が自分の世界のすべてなのです。スマホの画面が自分にとってリアルの世界です。電車の中にいる人たちはバーチャルな人たちなのです。写真に撮った被写体は「私の思い」によって「私の世界」にふさわしい姿に変えられ「私の世界」への入国を許されるのです。...
ある容器に真っ黒な水が満ちてあるとします。そこに透明な綺麗な水を注ぎます。少しずつ水は濃い灰色になり薄い灰色になっていきます。やがて綺麗な透明な水になることでしょう。ある容器は地球です。透明で綺麗な水には「進歩」と名づけられています。そうなんですね。人間は進歩するにつれ綺麗な水の容器に住めるようになるはずでした。はずだったのです。でも、真っ黒ではなくなったとしても灰色なのは変わりません。そもそも真...
大阪以外の街歩きの動画を見ています。テレビでは見れない街の表情が見れていいですね。ただ気になることがあります。街の空気が重いのです。どこもそんな感じがします。中心街なのですが、人通りはあるのですが夏だからでしょうか、私が疲れているからでしょうか、街の空気が動いていないというのでしょうか。大阪にしても、ドンドン開発が進んでいるのですが元気そうしていないとやってられない・・・そんな光景に見えるのは、私...
通りすがりの○△□240619・さよならはこんにちはのせい 4
「下手だけど」とわざわざ言わなくてもいいと思っています。「いい写真」は「下手」と「上手い」とは別のところにあるのですから。「下手だけど」というのは「上手いけど」を意識し過ぎだと思うのです。「下手だけど、いい写真」という一方で「上手いけど、ダメな写真」とわざわざ「上手い」にケチをつけなくても・・・と思います。意識するのは自分の写真です。上手い、下手とに関係なく「あなたの写真が見たいのです」と言ってく...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 2
コロナ禍を経て、コロナ禍以前より写真を撮る回数が増えました。あくまで自分比なので回数的には全然少ないと思っています。それでも、少しでも多く撮ることが写真のスタートだと思っているので体調や天候などを見計らって出かけています。ただ、撮りに行きたいというよりあまり気分が乗らないけれど、せっかく前日に予定して充電したのだからと・・・そんな感じで出かける撮影の日が多いです。今は人の写真を使って作品を発表する...
AIの画像生成とかチャットとか、ありますよね。ある面では人間よりスゴイみたいです。必ず、何がしらかの答えが文章や画像で応答してくれるみたいです。あとは、自分が望んだものかどうか違っていたら、質問を変えることになります。その繰り返してかなりいい線まで行けるようなそんな記事も見かけます。でも、最大の欠点があるのではないでしょうか。それは何でも答えてくれることなんですね。「そんなこと、自分で考えなさい!」...
「ブログリーダー」を活用して、sunposkyさんをフォローしませんか?
意味があるから写真を撮るのではなく、意味はないけど写真を撮るのです。意味なんて後でいくらでも見つけて作り出せばいいのですから。人間には意味がなければ何もやる気がしない、起こらないという「意味必要病」みたいなものがあります。それから回復するには写真はピッタリの良薬です。写真を撮る意味が見つかるまで待つことはありません。時間と体力と費用があれば写真を撮りに出かけられます。写真を撮ることにはスランプはあ...
「ディスる」という言葉を目にした時、「えっ、いったい何のこと?」と思いました。みんな、外来語が好きなんですね。そして今、ディスることをディスっていたりします。「自分の好きなカメラのことを書くことをディスるなんて最低!」などと言ったりしてディスっているのではないでしょうか。ディス イズ ア ペン・・・ア ハッハで済ませてもいいような気もしますが・・・。「なに、しょうむないこと言ってんねん!」思わず自分で...
ほぼ1年ぶりの奈良公園です。ここに限らず公園でのスナップ撮影は街なかとは違った難しさがあります。空や地面を画面にどう入れるか悩むのです。空を入れすぎると情緒的になるし地面に影を入れるときつい感じになってしまうからです。あと草や木の扱いも気になります。画面に占める緑の部分をどうするかなんですね。まあ、実際は適当に撮っています。適当というか、「それほど悩んで撮っていないよな」というのがホントのところの...
昨日はまあまあの気温でしたが一気に寒くなりました。11月も半ば過ぎだから遅いくらいですね。昨日もテレビでやっていましたが日本は四季から二季になってしまうのでしょうか。ところで夏と冬ではどちらがたくさん趣味としての、作品としての写真が撮られるのでしょうか。...
人間は記憶で出来ていると言います。すなわち、「私」とは「記憶」なんですね。記憶を無くすことは私でなくなることの恐怖です。以前と比べるとミナミに来る回数が少し増えたのですが来るたびに、前回にいったい何を見ていたのかということがよくあるんですね。「アレ?こんなの、あった?」結局、「私はここを見た」気になっていただけなのです。断片の記憶、不確かな記憶、記憶と呼べない記憶・・・。写真も記憶のために撮ると言...
「カメラは何でもいい」と「カメラは何でもよくない」と言葉にすると相反することが両立するのが写真の面白いところだと思います。もちろん、どちらにも前提条件があります。作品の評価については「カメラは何でもいい」と言えます。カメラの価格と作品の価値は別なのですから。最初のカメラ選びは限定しないで「カメラは何でもいい」だと思います。懐事情の許容範囲で自分のお気に入りを決めるのが写真の楽しみですから。そして、...
SNSを見ていると「写真を観る」と書かれていたりすることがあります。「見る」は漠然と視線を向けることも含みますが「観る」はかなり意識的な視線になると思います。それで写真の場合ですが、最初は「見る」で「おっ!」と思うところから「観る」が始まるのだと思います。それでふつうは「写真を見る」でいいと思います。「観」は漢字を書く時に画数が多くなり間違えそうですし。...
ある意味、あらゆるジャンルで写真は撮りつくされたのではないでしょうか。勉強不足で断言はできませんが、見たこともない写真はもうどこにもないではないでしょうか。新しい写真表現が模索され発表されていますが、一般的な写真表現に関してはそう思うのです。風景、ポートレート、スナップ、花、ペット・・・。もしそうだとすると、どこかで見たことのある写真、誰かが撮っていたような写真でもいいのではないかなと思えて来ます...
行ってきました。「人が多そうだし・・・」ということで今年はまだ行っていませんでした。暖かい予報だったので「1回くらいは撮影したいし」と出かけたのでした。...
昔は、と言うとカメ爺丸出しの言い方になりますが、まあ、個人的にははるかかなたなので、こう言いますね。写真の本と言うと「○○の撮り方」とか「写真撮影入門」のようなタイトル、内容の本が多かったです。でも今は、そのような本もあるみたいですが、ネットを見ていると写真に対する姿勢、考え方を含めて生き方論みたいな内容の本も(のほうが?)人気のようです。「あなたらしい撮り方をするために」「カメラは私を写している...
単写真、あるいは組写真のタイトルも考えてベテランの人、プロの人、写真に詳しい人などに自分から感想を聞くとします。仮にですがその時、その人が「つまらない」というようなことを言ったらそれは失礼なことなのでしょうか。そんなことはないと思います。その人は正直に気分が感じたことを言ってくれたかもしれないからです。感想というのは聞かれた時に言うのが原則です。プロの写真家に対して写真評論家の人たちが言うのは別に...
歳を取るということはいろんなことが分かってくることだと思っていました。写真も長くやっていると少しずつでも分かってくるようになると思っていました。どちらもそうでないことだけが分かってきたことのようです。...
写真は時間、つまり瞬間をとても意識する表現手段であることは言うまでもないですよね。そのため「瞬間」の質、内容みたいなものにこだわります。普通の物事やありきたりの出来事は面白くないと思われやすいのです。誰もがそう考えるのは自然なことだと思います。それでも、何か「特別なこと」が起こったから撮る写真もいいのですが、何も「特別なこと」が起こっていない・・・ごくごく普通のこと、ありきたりのことを撮る写真・・...
世の中には2つの残酷なものがあると思います。空間的には、それは「世間」と呼ばれています。嫌われないように、気に入ってもらえるように「世間様」と呼んだりするのです。時間的には、それは「時代」と呼ばれています。古びて合わなくなってくると、用済みとなっていつの間にか捨てられるのです。「世間」は大切かもしれないものは何も見ていなくて「時代」は必要かもしれない何かを残そうとしないからです。写真はそのことの証...
「絵になるもの」を撮って作品にするではなく「絵にならないもの」を撮って写真にするのが写真家だと思います。...
撮影してきました。...
「難波八阪神社」です。これまで難波八「坂」神社と書いていましたが正しくは難波八「阪」神社でした。間違っていてすみません。ネットで名前を確認したつもりだったのですが見ているようで見ていないんですね。私の場合は、ただの注意不足、思い込みやすいだけなのですが。...
無理やりにでも撮って写真にするのです。撮りたい気になれないからシャッターを押せないのではなく、シャッターを押したい気になればいいだけです。カメラが壊れていたり、操作をミスったりしなければ写真は写るのです。写真なんて誰でも写せるのですから。ただ、その写真が評価されるかどうかは別なんですね。そんなことを考えていては写真は撮れないですからただただシャッターを押し続けるのです。シャッターを押すのはタダなの...
「絵になるもの」を撮って、作品にするのではなくて「絵にならないもの」を撮って、写真にするのが写真家だと思います。...
同じ場所を何回も撮っているともう撮るところがないと思ってきます。撮りつくしたと。新しいうちは刺激があるのですがだんだん感じなくなってくるのです。何も感じなくなってくるとシャッターを押す気になりません。でも撮ろうとすれば撮れるんですね。指先をほんの少し動かせばシャッターを押せるのですから。写真撮影は商品開発とは違うのですから目新しさはあまり関係ないのです。器用な写真家もいますが別に不器用で同じような...
写真は「完璧」にこだわるより「中途半端」を気にしないほうがいいのではないでしょうか。「完璧」はそこで終わってしまいますが、「中途半端」には写真の可能性があるような気がします。私の「中途半端」は放っておくとして「中途半端」の中からいかにして写真の可能性みたいなものを見つけるか・・・ということですね。まあ可能性というより写真の面白さといったほうが私の場合、救われます。「可能性」という言葉にプレッシャー...
カメラ雑誌の12月号が発売されました。読んでいると軽い隔離感に襲われます。新発売などのカメラやレンズの参考価格という数字を見た時にです。もう、これらの雑誌の読者の人たちは自分とは別の写真の世界に住んでいるのだと思えてくるのでした。まあ、自分の住んでいる写真の世界がまだ滅んでいないことを願っています。その世界には人影はまばらなようですが・・・...
当たり前に写真を撮るようになりました。未来に「今」を振り返れるように。でも未来になって振り返った時取り返しのつかない過去に気づきます。ー確かにあのころが写っている。でも何かが違う・・・私でない私が写っているように感じる。そして知るのです。過去はもうどこにも存在しないことを。...
写真の投稿だけです。...
表現というのは自分が中心になると思うのですがコミュニケーションというのは相手が中心になると思います。そのため表現は相手に届かないことも受け入れる必要がありますがコミュニケーションは相手に届かないと成立しないものなんですね。写真のSNSなどを見ているとそのことが混同されている気がします。「繋がる」という言葉が使われますが表現を意識しているのかコミュニケーションを意識しているのかあいまいな気がするのです...
この撮影から2か月余り経ちました。まだ秋の入り口で、昼間には危険が待っているとテレビなどで連呼されていたので早朝に出かけたのです。「招き猫」は今も待っているのでしょうか。手は疲れないのでしょうか。秋も終わりに向かっています。「秋」という字に「火」があるのは紅葉が燃えているように見えるからでしょうか。浄蓮の滝の山がそうだったように。...
まだスッキリしないのですが投稿できるようになりました。多分大丈夫だと思います。ものすごく便利は、便利さが機嫌を悪くするとものすごく厄介ですね。写真についてもフィルムカメラは何となく仕組みが分かったのですがデジカメに関しては「どないなってんねん!」です。どないなってんねんカメラで、どないにもなっていない写真をこれからも撮れればいいなあと思っています。自分でも意味不明のことが言える、そんな普通、平穏無...
パソコン不調につき投稿休みます。...
写真の投稿だけです。...
写真は撮るモノから作るモノになりました。写真は「撮る楽しみ」から「作る楽しみ」のメディアに変質したのです。写真表現の主人公は「光」から「人」になったのです。かつて写真家は「光」に操られる人だったと思うのですが今、写真家は「光」を操る人になったのではないでしょうか。写真家は「光の魔術師」と呼ばれていましたが写真家自ら名乗るのではありませんでした。「光」に選ばれた写真家だけが自由自在に光を操ることが可...
スマホで撮るとたいていはタテ位置で撮りますよね。ほとんどの人がそうだとすると写真のタテ位置がスタンダードになりそうです。タテ位置とヨコ位置が仲よく混じったら正方形になるのでしょうか。真四角は特異な形だと思うのですが今はそうでもないみたいです。慣れ・・・ということでしょうか。...
透明過ぎても、スカッスカしていて落ち着かないし不透明過ぎても、モヤモヤしていて落ち着かない・・・どっちやねんと思います。あっ、写真の話です。...
かつては写真を撮ること自体が楽しかったと思います。カメラは魔法の箱でした。今も、そのことは続いていると思うのですがそれよりも撮った写真で何かをすることを楽しむようになったと思います。カメラは魔法の箱でなくなりました。カメラの中にいた魔法使いは追い出されカメラの中にコンピューターという超能力者が入り込んできたのです。そして今、写真は目的ではなく手段になったようです。写真は終点ではなく途中、中間地点に...
布施に用事があったのでついでに近鉄の河内小阪で降りて布施方向へ歩いて撮影してきました。撮影の終盤、コケそうになって危なかったです。「オレ、年寄りみたい、アハハハ」自分のこと、よく見えていないようでカッコ悪いです。そんなことでよく写真やっているなと思いました。よく見ることが、写真の基本なのに・・・...
光、光、光・・・写真する人は光が大好きですよね。写真は光と影とよく言われますが影は光とセットで、別のものではないと思います。光の反対は闇です。そして闇があるから光があるのであって光は一時的なモノではないでしょうか。写真はカメラという闇の中から生まれてきます。その中に一時的な光を飲み込んで出来たのが写真なのですね。...
選手に監督が「普通にプレーすればいい」と言っていたんですね。「ファインプレーは要らないのだから」とも。写真も「普通に撮ればいい」のかもしれません。でも「普通に」って何?「普通に撮って」いるとありきたり写真になって人との差別化が出来なさそうです。そうなると「ファインプレーが要るのでは?」と思ってきます。機材で?撮り方で?レタッチで?見せ方で?・・・「普通に撮ればいい」というのは普通に難しいのではない...
写真関係のSNSを見ていると使っているカメラやレンズの記事をよく見かけます。それだけ機材にこだわっているのが伝わってきますよね。写真はカメラやレンズがないと撮れないのですから不満を感じない、出来るだけ自分のお気に入りの機材で撮りたいです。ところが写真を見てくれる人は、写真撮影に興味のある人は別にしてほとんどの人はその写真に写っている被写体のほうに関心が向かいます。どんなカメラで撮ったかは、ほぼ気にし...
ふと、ですが「オレ、もっと前のほうがいい写真撮れていたのと違う?」などと、思ったりすることがあるんですよね。もちろん、錯覚のコンコンチキで今も昔も変わらないチョメチョメ写真ばかり撮っているのです。奥深い写真などは撮れるわけではないし、そういう写真を目指しているのでもないので別に成長、進歩もしなくてもいいとも思っています。ただ、「前はもっと」と思うようになるのは少しずつ、写真に興味が無くなっているこ...
写真というのは何らかの被写体を写したものですよね。その被写体は何であれ、たいていはみんなが見たことのあるものです。大阪城公園は一つですから、そこで撮った写真は誰が撮っても大阪城公園の写真になります。当たり前のことを言っているみたいですがレンズを変えたり、構図を変えたり、レタッチを凝ったりして他の人との差別化を試みるしかないのです。それでも「どこかで見たことのある写真」からは免れないのではないでしょ...
レタッチ即作品化ではないと思っています。写真の見映えはよくなると思うのですが見映えがよくなったためにその写真のよさみたいなものを失わせる・・・そういうこともあるのではないでしょうか。それとレタッチで写真を100%コントロールできると思わせるところがあるのですがそれも錯覚ではないでしょうか。レタッチ以前のこととして、なぜその写真なのかということが大切だと思います。...