そもそも視線というのは人に威圧感を与えるものです。視線は刺線、刺ってくる矢なんですね。スマホやコンデジのようにファインダーを覗かないで撮られると少し威圧感が弱まります。それで、仲間の人からのスマホを向けられてもあまり意識しなくなったところがあるのですがカメラの視線にはトゲがあることは変わらないと思います。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
通りすがりの○△□250328・KOKOSOKOASOKO 1
そもそも視線というのは人に威圧感を与えるものです。視線は刺線、刺ってくる矢なんですね。スマホやコンデジのようにファインダーを覗かないで撮られると少し威圧感が弱まります。それで、仲間の人からのスマホを向けられてもあまり意識しなくなったところがあるのですがカメラの視線にはトゲがあることは変わらないと思います。...
通りすがりの○△□250120 スタートラインが見つからない 5
これからの人はPHOTOという文字を見ても熱くなることはなくなるのだろう。P=people、人と、O=object、対象の間にHOTがあったことも忘れてしまうのだろう。熱くなることはダサくてカッコ悪いのだから。クールは冷静なことだけど冷淡はただ冷たいこと、冷え切ったことなのだけれどたぶん、そんなことはどうでもいい時代になったのだと思う。...
通りすがりの○△□250312・濡れてもいい春雨について 2
そう遠くない未来、街角で写真を撮る人間はいなくなるだろう。それに合わせるようにして街角から人間は消えるだろう。シ~ン。...
通りすがりの○△□250120 スタートラインが見つからない 4
世の中、ドンドン幼児化して言っているように感じています。写真でいえば、要らないもの、邪魔なものって今は簡単に消せますよね。まあ、嫌だから消しちゃえっということでしょうか。フカイはNGで、ユカイはwelcomeなのです。褒められればやる気を出し、貶されれば怒る気を出すのです。写真に写っているものを消したり、欲しいものを付け加えたり・・・それって、写真?と思うのですが。写真とは目の前にあったものを起こったこと...
通りすがりの○△□250312・濡れてもいい春雨について 1
時代とともに、衣食住は変わってゆきます。世の中の景色は変化が運命付けられています。変わらないものはないということだけが変わらないのですね。そのことは写真を撮っていると何となくでも感じ取ることが出来ます。目の前の景色はたしかに存在するのですが目を離した途端、確かにあったのか不安になってくるのです。だから、人は写真を撮るのだと思います。取り戻すことは出来ないと分かっていながらも写真という名の亡骸にすが...
通りすがりの○△□250120 スタートラインが見つからない 3
孤独は主観的で、孤立は客観的なもの。そんな記事を見かけました。だけど、そんな単純なものではないのではと思いました。孤独感は主観的ですが、孤独は人間存在の根源的なことだと思うのです。1個の肉体としては、いま、ここには私一人しかいることは出来ません。理屈ぽくなりますが、同時には、同じ空間を共有は出来ないのです。写真を撮っているとそのことを実感できるのではないでしょうか。いま、ここで見ている景色は私しか...
通りすがりの○△□250120 スタートラインが見つからない 2
写真の投稿だけです。...
行ってきました。半年ぶりです。生駒山の中腹にあるため冬は地上より寒そうなので避けていました。久しぶりに行ったら暑かったです。...
写真という趣味は歩くこととリンクするので健康のためにはいいですね。一説によると写真家には高齢でも活躍する人が多いそうです。歩くことが役立っているんですね。まあ、人によりけりだとは思いますが。私も歩くことは嫌いではないので写真をやってきてよかったなと思っています。ただ、もともと短い脚ですので歩幅がありません。それが、最近はさらに短くなってきました。「オレはペンギンか!?」ってペンギンに失礼なことを、...
暦のせいでしょうか、世の中、華やいでいるようですが結局のところ、技術はビックリするくらい進歩するけれど人間はガッカリするくらい進歩しないということがこの二千何年間で、分かってきたのではないでしょうか。世の中、ドンドン便利になって来ましたがフトコロの中、ドンドン貧相になって来たのではないでしょうか。便利さと物価は比例する、そんな法則があるのかもしれませんね。最近のカメラは、低い位置にいると手が届きそ...
通りすがりの○△□250120・スタートラインが見つからない 1
イメージ通りに撮れることが大切なのではないと思うのです。そのイメージがどのようなイメージであるのかが大切なのだと思います。そのイメージをどうして必要とするのか、そのイメージで何をしようとしているのか、・・・では、ないでしょうか。...
間違っていると言っているのではないのです。違うと言っているだけなのです。自分は違うと感じたということなのです。写真に正解がないとしたら間違いもないのですから。多様性ってそういうことですよね。みんな違うということですよね。違うと言うことがよくないとしたら写真の世界はつまらなくなるのではないでしょうか。多様性と言うのは活気のある違いのことですが違いのない写真の世界は静まり返るしかないと思うのです。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 14
写真の世界でも、多様性が言われているようですが実際は多様性という名の一様性に向かっている気もします。写真の世界の中の、特にアマチュアや初心者や、さらには映え疲れの人たちの集まるエリアでは顕著ではないでしょうか。「下手だけど、いい写真が撮れればいい」という、「思いが、感情が伝わるのが、いい写真です」という、そこでは、そんな愛言葉が行き交っているように思えるのです。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 13
もうすぐ万博ですね。テレビを見ていて思ったことがあります。電気が必要なところが多いなあということです。まあ、世の中、電気がなければタイヘンですよね。デジカメも電池が無くなればただの箱です。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 11
いい写真とは撮った時の感情が伝わる写真だそうです。たしかに、そうだと思うのですが、もう一つの「カンジョウ」が見え隠れします。勘定ですね。「私の感情を分かってくれますか?」みたいな取り引きで「分かってくれた人は、とってもいい人認定!」なのです。...
飛行機雲があると撮りたくなるんですよね。私、空を飛びたいからでしょうか。とんでもない話です。...
便利さと言うのは効率がよくなることでもあります。無駄なエネルギーを使わなくて楽チンなのですね。でも、それなのに何となくつまらないのではないでしょうか。コウリツだけではなくワタクシリツも欲しいのです。自分もどこかに参加したいのですね。例え上手く行かなくても、効率が悪くても。人間は「メンドクセー」生き物なのではないでしょうか。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 11
写真の投稿だけです。...
人は写真を怖れているのだと思います。だからレタッチで顔を整形するのではないでしょうか。写真は失礼なやつだからと言い訳をしながら目を、鼻を、あごを、肌を盛り盛り修整するのです。でも写真は正直に応えただけなんですね。光学的事実に素直に反応しただけなのです。...
2月、3月と寒かったことなどもありますが写真を撮る気になかなかなれなかったです。「めんどくせー」みたいな気分が充満した二カ月でした。4月になればと思っていたのですが「桜もあまり撮る気がしないし・・・」で気分が乗って来ません。それでも、ガリガリの軽い腰を上げて、1月から出かけたいと思いながら行っていなかった今年初の梅田へ出かけました。まあ、それなりに撮影できてよかったです。桜の情報に疎かったので、も...
行ってきました。桜もそろそろ終わりやなあとソロで思いました。...
人は、こらからは、空気を怖れて暮らしてゆくのだと思います。...
オンライン、そこには誰もお(ら)んらいん。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 10
●昨日の記事を少し書き換えて投稿します。人はどうして伝わることにこだわるのでしょうか。伝えることが出来ないとどうしてよくないのでしょうか。日常的なことで伝わりにくいことは滅多にないと思うのです。「アレ、頼むね」「あっ、アレね、分かった」。以心伝心、阿吽の呼吸、ツーカーの仲が羨ましいです。いっぽう、「思いを伝える」ということになると、時には簡単ではなくなります。写真で言えば、伝わらなくても仕方がない...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 9
写真の世界だけではないのですが人はどうして伝わることにこだわるのでしょうか。伝えることが出来ないとどうしてよくないのでしょうか。たしかに大切なことが伝わらないのはマズいのですがそのようなケースはそれほどないと思うのです。写真で言えば、伝わらなくても構わないと思えることも多いですよね。でも、やっぱり嫌なんですね。自分が無視されたように感じるからではないでしょうか。伝わったことが意味するのは、相手から...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 8
何でも新しければいいというものではないことを写真の世界が証明しているように思うのですがどうなのでしょうね。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。胃は痛いのですが言いたいことがないんですよね。でも、それはいいことではないでしょうか。昔の人は言いました。「沈黙は金になる、儲かる」と。...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 7
有名になることは自分がブランド化されることです。そうすることでファンが出来ていきます。そのことは、ファンの期待するイメージに自分が応え続ける必要があることを意味します。ファンの期待する自分のイメージから出られなくなるのです。それはとてもしんどいことではないでしょうか。有名にならなくてよかったです。負け惜しみですね。...
写真は部分しか撮れないと言われます。全体を撮ることは出来ないからです。でも、その全体も何かの部分ではないでしょうか。全体であることは、それより他がないことが分かっていなければなりません。そうだとすると、写真で撮れるのが部分でもいいのではと思えてきます。部分を堂々と撮ればいいのです。まあ、あまり無理しないほうがいいとは思いますが。...
普段はうつむいて歩いているのですが撮影の時だけは前向きになっています。まあ、ええ、ムキになるんですよね。下を向いてゴミを撮ったりしていたこともあるのですが最近は普通に、地面に水平にキョロキョロして撮っています。何が普通かは分かりませんが。1メートル60ある、長身の目の位置の視界を重視しています。まあ、重視という難しい漢字は似合わないあっ、軽いカメ爺なのです。...
一気に暖かくなりました。桜の季節です。どこも、人いっぱいになるんでしょうね。今年はどうしようかな、といったところです。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 6
今の幼い子供たちは育って行きながら大人たちというのは顔の下半分以上が主に白ぽいものだと学習していくのだなあと、春うららな、表の街角で思ったのでした。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 5
写真の世界も多様性が言われているようですが実際は多様性という名の一様性に向かっている気もします。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 4
AI生成で作られた場合、それは写真ではなくて、写真まがい画像だと思っています。写真は、現実の光景を写しとったものだと思っているからです。何が現実かという難しい議論も必要ですが今のところ、手で触ってその存在が確かめることが出来る森羅万象と言ったところかなと思います。目の前の世界が死んだ万象にならないことを願っています。森羅万象から評判の悪いカメ爺が言うのもこそばゆいのですが。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 3
スマホのせいでしょうか縦位置写真をよく見るようになりました。縦に構えて撮るのが自然だからでしょうね。でも、横位置で撮ったほうがいいと思っています。横位置のほうが情報を多く入れやすい気がするからです。縦だと上には空が、下には地面が入りやすいです。ちょっと単調な画面になりがちだと思います。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 2
「自分語り写真」が流行っているようです。説明を読むと「自分はこういうところが好きで撮った」みたいな解説をしているんですね。「自分の好き」に共感してくれる人、募集!といったところでしょうか。私の写真?「自分ガッカリ写真」は流行らないようです。...
「自分の好きを撮りましょう」とよく言われるんですよね。まあ、言われなくとも嫌なものはあまり撮る気にはならないと思いますが。でも、写真に撮った「それ」が「なぜ好きなのか?」などと考えるとよく分からなくなることも起こり得ます。自分が好きと思い込んでいるものごとに疑問を投げかけるのが写真かもしれないからです。もし、そうだとすると「自分の好きばかり撮ること」は考えものではないでしょうか。「好きなモノ」は謎...
写真でポイントになるのは背景なんですね。背景で主役を引き立てるというよりいかにして隠すことが出来るかだと思うのです。...
「再現」でもなく「表現」でもない頼りなさが写真の強みではないのかなと、最近は思っています。ホンモノの写真家の人たちには分かっていて、実践できているのではないでしょうか。「再現」でもなく「表現」でもなく「創作」でもなく、「出現」みたいなものかもしれません。写真家が表わすというより、写真家を通じて表れる・・・、それが「写真」というものかもと、そんな感じもするのです。だからホンモノの写真家の人たちは選ば...
写真って、面白いですよね。でも、写真のどこが面白いのか言葉にしようとすると出来ないんですね。それが写真の面白いところだと言ったらふざけているようで面白くないのです。...
写真関係の動画をよく見るようになったのですが運営している人って、あまりいないんですよね。私の探し方がよくないのか同じ人(たち)ばかり出てきます。ちょっとマンネリしています。...
孤独は主観的で、孤立は客観的なもの。そんな記事を見かけました。いえいえ、そんな単純なものではないと思います。孤独感は主観的ですが孤独は人間存在の根源的なことだと思うのです。いま、ここには私一人しかいることは出来ません。同じ時間、空間を共有は出来ないのです。写真を撮っているとそう思う実感できるのではないでしょうか。今、見ている景色は私しか見えていないのです。...
カメラは、それを持つ人を傍観者にします。自分では関わっているつもりなのですがそれと距離を置かないと写真は撮れません。カメラはそれに触れていると錯覚させる機械なのです。...
「写真家・森山大道氏の写真集の新刊『DAIDO SLIDE』が日本でも発売が開始され」たそうです。以前なら、「見たいな」「欲しいな」と思ったのですが今は、ほとんど思わなくなりましたね。以前にも書きましたが森山大道ではなく、The DAIDOになってしまった気がするのです。写真集は、有名な「三沢の犬」が表紙でイヌの向きが左と右のバージョンがあるそうです。いや、いや、何だか商売が上手いなあなんて失礼なこと、思ったりします...
よく、写真の上手い人から「ここと思ったところから、さらに1歩前に出て撮れ」と言われてきました。その時は「なるほど」と思うのですがいざ撮影になると、足が前に出ないんですよね。足の長さは関係ないと思うのですが「オレの足では前に出てもそれほど変わらんやろ」と後で気が付くと、言い訳をしていたのでした。...
途中、雨がパラパラ降ってきました。春雨に濡れるのは年齢的に危険ですし、引かれる後ろ髪もないので、サッサと引き上げました。...
「人間とは何か」が分からないとしたら何が意味あり、何が無意味かは誰にもホントのところ、分からないのではないでしょうか。「写真とは何か」が分からない以上、何が「いい写真」なのかも分からないのです。それでも、ここでゴチャゴチャ写真について理屈っぽいことばかり書いています。とてもカッコ悪いことをやっている気もしますがそれでも、書かないよりはマシかなと思っています。言いたいことを書かないで、腹部に貯蔵し続...
「見えないモノを撮る」と言いますが見えないモノは写真には写らないと思います。すみません。理屈っぽくて。そんな気持ちが大切ということなのでしょうが写真家はロマンチストではなくリアリストだと思うのです。どこまでカメラの目になれるか・・・なのですがまあ、ゴチャゴチャ言わないで、とっとと撮ることですね。気温の上昇を期待したいと思います。...
簡単な言葉はアッサリ分かった気になりがちです。しあわせ、健康、いのち・・・。そして「いい写真」。でも、「いい写真」って、何なの?ですね。そんなモノ、どうでもいいような気もするのです。...
写真を撮るというのは撮る側の一方的な行為と言えます。例え相手が人間で、了解を得ていてもその姿を凝固させるようなものですから。おまけに平面の姿にしてしまいます。ぺっしゃんこになるのです。考えようによっては写真を撮ることは暴力的なことなんですね。笑顔をやめることも出来ず、桜は散ることも出来ないのです。...
写真の上手い人の「好きなように撮りましょう」というアドバイスは無責任な気がします。その人は「好きなように撮るにはどうすればいいですか?」と聞いているのですから。でも、その人の好きはその人にしか分かりません。まあ、聞くほうも聞くほうでどっこいどっこいなんですけどね。まず、自分の好きな写真を見つけることが先だと思います。...
「よく見て撮りましょう」と言われます。ただ、よく見ようとするほどアレコレ考えてしまいなかなか決められません。よく見るのは、撮ろうとするものを見つける時であって見つかったら、サッサと撮ったほうがいいと思います。...
これからのカメラは機能満載より「たったこれしか出来ないの?」みたいなほうがウケるのではないでしょうか。例えば「いうことを聞かないカメラ」なんて面白いと思います。ピントが変なところに合ったり色が変になったりシャッターがすぐに切れなかったりそんなカメラも面白いのではないでしょうか。売れるかどうか・・・分かりませんが。...
撮るものがあると思うから撮れないのです。撮るべき被写体が見つからないと言って悩むのです撮るものなどないけど撮ればいいのではないでしょうか。撮るものがないから何を撮ってもいいのです。テーマ主義が写真をつまらなくしています。決定的瞬間なんてアダ花です。ドラマやストーリーは写真以外でもいいのです。撮るものがないから何を撮ってもいいのです。写真で日常を非日常にしなくてもいいのです。料理は食べたほうが料理は...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 7
昨日、久しぶりに撮影しました。道頓堀、お天気&暖かだったせいでしょうか人、いっぱいでした。でも、「ここ、にっぽん?」でしたね。これまで通り、サッサと通り過ぎたのでした。...
写真の投稿だけです。...
カラーは色が邪魔をするからと言われていますがモノクロは線や形が邪魔をする気がします。黒い、あるいは白い線や形が目立つのをモノクロで避けるのは難しい気がするのです。...
誰にでもわかりやすい言葉で説明されると何となく分かった気になりますよね。例えば、ネットで見かけた次のような言葉です。「いい写真は伝わる写真、伝わるってどういうことかっていうと、あとで撮ったときのこと、感情とかを思い出せること」。分かりましたか?要するに「いい写真=伝わる写真=思い出せる写真」ですよね。でも、伝わると思い出せるは違う気もするのです。伝えるのは普通、相手の人、他人ですよね。伝わるなら、...
写真は基本的には横位置で撮ったほうがいいと思います。そのほうが情報が一杯写ると思います。縦位置は隙間から覗いているように感じるので除き写真になりやすい気がします。...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 6
人を撮る時には適切な距離感を考えて撮りましょうというアドバイスがあるんですね。近すぎないようにということのようですが人によって違うのではないでしょうか。「適切な」という言葉自体があいまいな気がします。たいていの人はカメラを向けられると緊張するのですから数字的な距離は分からないと思います。...
寒いです。でもあと1週間で春です。確実に日差しの光量は増えています。今年は撮影にあまり出かけていませんがまあ、寒気の顔色をうかがいながら出かけたいと思っています。...
以前は憧れの写真家がたくさんいました。この人のような写真、撮りたいなあと目標にしました。でも、今、そのような人がいなくなってきています。まあ、自分は成れないというのが分かったこともあります。もっと早く気づけよ!です。その一方で、ガッカリすることも起こるようになりました。偉そうですが・・・。例えば、世界の森山大道です。森山さん、人気が出るにつれて「アレ?」でした。トイレの設計に参加したり、カレーのパ...
進歩というのは、実質的にはあるのだろうかと思います。良くなったところには目が行き喜んでいても必ずどこかで不都合が起こっているからです。写真もデジタルになったことを進歩と捉えることも出来ますがその反面、つまらなさも増した気がするのです。それを証明するのがフィルム人気ではないでしょうか。人は10歩進むと影は10歩下がるのだと思います。...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 5
記憶という、あいまいで、無責任で、独りよがりのものに人は振り回されているように思えます。なぜなら記憶は感情とセットですからありのままの記憶というのはないのではないでしょうか。その記憶を裏付けるものなんてもうこの世にはないのですから事実を証明することは出来ないんですね。唯一、写真はそう思われていますが写っているのはカメラの前にあった一瞬の平面画像です。撮った本人は記憶を再現してみることは出来るのです...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 7
いろいろ定義があるのですが「スナップ写真」とは「切羽詰まり写真」だと思っています。どこをボカすとか、どこにピントを合わせるか、構図は?とかアレコレ考える余裕がなく撮るのが「スナップ写真」です。実際は何かを考えているのですが感覚的には、サッサと撮ることだと思っています。...
写真の投稿だけです。...
言うまでもないことですが写真は視覚の表現です。今は視覚が過度に目立つようになりました。音楽にしろ、グルメにしろ視覚も重視されています。それでも、人間は五感の生き物であり視覚を支えているのは触覚だということを忘れたくないと思います。...
写真でポイントになるのは写らなかったコトやモノなんですね。正確には写せなかったコトやモノです。写ったコトやモノはそれほど取り上げることではないのかもしれません。あくまで写真というイメージなのですから。あくまで写真上の演出なのですから。...
写真で1カット、1カット、すべてが傑作でなくてもいいと思っています。サビばかり続く曲って、疲れますよね。...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 5
写真の投稿だけです。...
不便さの中にも豊かさがあります。便利さの中にも貧しさがあります。写真を取り巻く諸々がそのことをよく分からせてくれていると思います。...
写真の面白いところは見せようとすると、相手には見えにくくなってしまい見せまいとすると相手に見透かされてしまうところです。伝えたいと工夫し過ぎると伝える内容よりも、ウケたいという本心が見え見えになってしまうように思います。「秘すれば花」とカッコつけてもその花は枯れていたり、造花だったりということはないでしょうか。...
エモさとノスタルジーは、よくいっしょに語られます。ノスタルジーは過去に結びつけられもう今の日常の中では取り戻せないという希少感がココロを揺さぶらせるのです。過去には時間という重みがあり進行形の今、現在は薄っぺらく感じさせます。デジタルがいくら威張ってもフィルムの持つ歴史の重さには叶いません。デジタルはどれだけ豪勢でも軽すぎるのです。...
「一を聞いて十を知る」という言葉があります。察しがいい人に対して使ったりしますよね。ところで写真です。一枚の写真から十を知ることは出来るのでしょうか。よく写真はストーリーだと言われるのは見た人が自分の見たいようにその人なりの九を加えて見ているのだと思います。一枚の写真にストーリーを読み取ろうとするのはほとんど無理だと考えたほうが写真は面白くなる気がします。ストーリーは動画のほうが合っているのではな...
写真にとってもタイトルは大切だと思っています。言葉の使い方ですね。ネットのニュースなどにもタイトルが付きますがけっこうオーバーな気がすることがよくあります。目立たないとダメなのはよく分かるのですが、写真にもオーバーなのがあるのでしょうか。...
無邪気な子供が撮ったから受け狙いの下心なしに撮ったからつまり邪心がない人が撮ったなら「いい写真」になるのでしょうか。そんなことはないと思います。「じゃしん」から濁りを取ったら「しゃしん」になるという駄洒落では「写真」は寒がるだけではないでしょうか。...
写真の世界はどんどん息苦しくなって行くと思います。写真の世界はどんどん落ち着かなくなって行くと思います。写真の世界はどんどん窮屈になって行くと思います。それから・・・写真の世界はどんどん清潔過ぎるになって行くと思います。写真の世界はどんどん乾燥して行くと思います。そして・・・写真の世界はどんどん静けさが充満して行くと思います。やがて・・・写真の世界はどんどん「人間」がいなくなって行くと思います。シ...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 4
デジタル技術は人を落ち着きのない生き物にした気がします。写真も撮影したらスグに確認したくなりますよね。そして気にいらないとアッサリ削除するのです。フィルム時代は現像の仕上がりを短くても4,50分は待つ余裕があったのですが。調べたいことも、AIに尋ねたらすぐに的確と思える答えが返ってきます。頼りない人に聞いたら「え、えっと~。」なんて時間が無駄に過ぎていきますから。写真も感想を言ってくれるんですね。そば...
コンデジになって日常的に写真を撮っている人が増えました。たしかにいつもカメラを持ち歩いているといい瞬間を撮り逃がすことがなくなりそうです。でもどうなのでしょう?私は持ち歩かないほうなので違うかもしれませんがむしろ持ち歩くほうが、スマホカメラを含めていい瞬間を見逃す確率が増えそうに思います。いつでも撮れるという油断がそうさせていないでしょうか。やはり、写真を撮るんだ!という意識が必要で常時持ち続ける...
環境に適応できなかったので滅んでいったのではなくそもそも環境に適応できるように出来ていなかったから滅んだのだと思います。フィルム写真が滅亡しないのは、あえてデジタル環境を必要とはせずそれが魅力だったからではないでしょうか。デジタル写真はデジタル環境がなくなれば滅亡しますがフィルム写真はデジタル以前から存在していたからデジタル環境に適応する必要はなかったので、しぶとく生きてゆくと思います。...
前向きにと言うけれどどっちの方角が前なのだろう。ポジティブにというけれどネガとポジの区別はどうするのだろう。前ばっかり見ていたらコケそうになると思う。ポジティブなだけではおめでたいだけだと思う。1月も終わるのだからニュートラルがいいのでは?と思う。思う、思う、思うでうっとうしいけれどうっとうしいのがこの世の中の天候のような気がする。ダサいのはUNOさんだけではないのだから。...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 5
最近、「観る」という言いう方をよく見かけます。写真集や写真展にも「観る」が使われています。個人的には「見る」に馴染んでいるので、「観る」には違和感があります。「観る」は対象から距離を置いて、離れて「見る」感じがします。観劇、観戦、観賞、観光、観察・・・ですね。写真の場合は「見る」に統一したほうがいいように思います。写真はベッタリ見たいのです。...
写真は真実を写すと書きますが本当のところは真実は写せないのではないでしょうか。なぜなら真実とは何かが分からない以上写せるとしたら真実のようなものでしかないと思います。真実と信じたいモノやコトですね。...
通りすがりの○△□250120・ソラカラ カラフル フルヒカリ 1
「いい写真は誰でも撮れる」という言い方があります。ん?「いい人には誰でも成れる」みたいな感じがするのですが。結局「いい」とはどういうことか「誰」とは誰のことなのか、何も言っていない気がします。単に耳障りのいい言葉でしかないと思います。...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 4
ハイコントラストだったり、露出がオーバーだったりで画面の四周が真っ白の写真があります。写真の外側も白いと境目が分かりません。見ていると、落ち着かなくなってくるのです。...
便利さに慣れたくないんですよね。便利さに甘えたくないんですよね。便利さに利用されたくないんですよね。ー無駄な抵抗はよせっ!!!便利さ、BAMZAI!!!!!便利さ、これからもよろしくお願いしますっ。...
時々、見かけるのですが私にも思い当たるところがあるんですね。それは「むげんのかうせい」です。写真関係でも「デジタル写真には無限の可能性がある」などと言われたりしています。もし、あの世があったとしたら訪問した時、私も思わず口走りそうです。「オレにも夢幻の可能性があったんや!」と。...
デジタルにほぼ入れ替わるころフィルムは要らなくなるだろうのようなことを専門の人が言っていたと思います。でもそうではなかったですよね。それなりの人気を保っているのではないでしょうか。予想というのはなかなか当たらないもののようです。よそうはよそうといったところでしょうか。...
用事&撮影しに出かけました。街は温かく気温は暖かかったです。...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 3
カメラは人間の目の不確からしさを確認するための装置だと思うことがあります。人間の目はじつは何にも見ていないのではないでしょうか。「わあ、キレイ!」と言いながら目の前の花ではなく、自分を見ているのだと思います。自分の足もとの草を踏みつけながら。...
投稿カットは10月の撮影ですが昨日、今年初めての本格的、と言う大げさなものではなく街へ出かけての撮影をしました。もっと早く行きたかったのですが危険な寒さが襲っていたので、やっとこさだったのです。まあ、相変らずミナミはバウンドしていてにぎやかだったです。カメラの設定を微妙に違えていて「なんでやねん!」と相変らず、今年も引き続きオロオロしたのでした。...
撮影してきました。...
県外の写真家さんが大阪に来て写真を撮っている動画を見ました。いやあ、元気ですね。歩数は半端でないみたいです。ただちょっと気になることが・・・。せっかく大阪に来たのに望遠でupの写真を多く撮っているんですね。「それなら、そちらの県にもあるのでは?」県外の人が大阪をどう撮るのか見たいのですが大阪に来て撮ること自体に意味を感じているのでしょうか。...
自分の知っている場所がテレビで映されたりします。途端に、全然違う場所に見えて来ることがあります。特別な場所に見えて来るんですね。フレームというのは怖いなあと思います。...
フィルム写真は出来ればプリントして見たいです。それも、ネガをデジタルスキャンしてのプリントではなくラボでのプリントがベストだと思います。ただ、今の時代には厳しいかもしれません。価格など最近のことは、ほぼ分からないのですがそう度々直でプリントすることはしんどいでしょうね。ところでフィルムで撮ってネットに上げるにはデジタルのお世話になるのですがそれはフィルム写真と言っていいのかそれともデジタル写真とい...
「コウカイ」したことを「コウカイ」しないように「コウカイ」と思うカットを「コウカイ」するようにしているのですが「コウカイ」したあとに「コウカイ」ばかりしています。「コウカイ」を続ける、写真という名の海原の上で。...
「顔に責任を持て」という言葉があります。顔はその人そのものだからなんですね。顔は全体で顔です。目は口ほどにものを言うにしても、口も必要なのです。顔の半分以上が覆われたら、その人はどこかに行ってしまったように感じます。感情のなくなったロボットみたいというのはその人に失礼なのでしょうか。世界は無感情に向かっているのかもしれません。...
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そもそも視線というのは人に威圧感を与えるものです。視線は刺線、刺ってくる矢なんですね。スマホやコンデジのようにファインダーを覗かないで撮られると少し威圧感が弱まります。それで、仲間の人からのスマホを向けられてもあまり意識しなくなったところがあるのですがカメラの視線にはトゲがあることは変わらないと思います。...
これからの人はPHOTOという文字を見ても熱くなることはなくなるのだろう。P=people、人と、O=object、対象の間にHOTがあったことも忘れてしまうのだろう。熱くなることはダサくてカッコ悪いのだから。クールは冷静なことだけど冷淡はただ冷たいこと、冷え切ったことなのだけれどたぶん、そんなことはどうでもいい時代になったのだと思う。...
そう遠くない未来、街角で写真を撮る人間はいなくなるだろう。それに合わせるようにして街角から人間は消えるだろう。シ~ン。...
世の中、ドンドン幼児化して言っているように感じています。写真でいえば、要らないもの、邪魔なものって今は簡単に消せますよね。まあ、嫌だから消しちゃえっということでしょうか。フカイはNGで、ユカイはwelcomeなのです。褒められればやる気を出し、貶されれば怒る気を出すのです。写真に写っているものを消したり、欲しいものを付け加えたり・・・それって、写真?と思うのですが。写真とは目の前にあったものを起こったこと...
時代とともに、衣食住は変わってゆきます。世の中の景色は変化が運命付けられています。変わらないものはないということだけが変わらないのですね。そのことは写真を撮っていると何となくでも感じ取ることが出来ます。目の前の景色はたしかに存在するのですが目を離した途端、確かにあったのか不安になってくるのです。だから、人は写真を撮るのだと思います。取り戻すことは出来ないと分かっていながらも写真という名の亡骸にすが...
孤独は主観的で、孤立は客観的なもの。そんな記事を見かけました。だけど、そんな単純なものではないのではと思いました。孤独感は主観的ですが、孤独は人間存在の根源的なことだと思うのです。1個の肉体としては、いま、ここには私一人しかいることは出来ません。理屈ぽくなりますが、同時には、同じ空間を共有は出来ないのです。写真を撮っているとそのことを実感できるのではないでしょうか。いま、ここで見ている景色は私しか...
写真の投稿だけです。...
行ってきました。半年ぶりです。生駒山の中腹にあるため冬は地上より寒そうなので避けていました。久しぶりに行ったら暑かったです。...
写真という趣味は歩くこととリンクするので健康のためにはいいですね。一説によると写真家には高齢でも活躍する人が多いそうです。歩くことが役立っているんですね。まあ、人によりけりだとは思いますが。私も歩くことは嫌いではないので写真をやってきてよかったなと思っています。ただ、もともと短い脚ですので歩幅がありません。それが、最近はさらに短くなってきました。「オレはペンギンか!?」ってペンギンに失礼なことを、...
暦のせいでしょうか、世の中、華やいでいるようですが結局のところ、技術はビックリするくらい進歩するけれど人間はガッカリするくらい進歩しないということがこの二千何年間で、分かってきたのではないでしょうか。世の中、ドンドン便利になって来ましたがフトコロの中、ドンドン貧相になって来たのではないでしょうか。便利さと物価は比例する、そんな法則があるのかもしれませんね。最近のカメラは、低い位置にいると手が届きそ...
イメージ通りに撮れることが大切なのではないと思うのです。そのイメージがどのようなイメージであるのかが大切なのだと思います。そのイメージをどうして必要とするのか、そのイメージで何をしようとしているのか、・・・では、ないでしょうか。...
間違っていると言っているのではないのです。違うと言っているだけなのです。自分は違うと感じたということなのです。写真に正解がないとしたら間違いもないのですから。多様性ってそういうことですよね。みんな違うということですよね。違うと言うことがよくないとしたら写真の世界はつまらなくなるのではないでしょうか。多様性と言うのは活気のある違いのことですが違いのない写真の世界は静まり返るしかないと思うのです。...
写真の世界でも、多様性が言われているようですが実際は多様性という名の一様性に向かっている気もします。写真の世界の中の、特にアマチュアや初心者や、さらには映え疲れの人たちの集まるエリアでは顕著ではないでしょうか。「下手だけど、いい写真が撮れればいい」という、「思いが、感情が伝わるのが、いい写真です」という、そこでは、そんな愛言葉が行き交っているように思えるのです。...
もうすぐ万博ですね。テレビを見ていて思ったことがあります。電気が必要なところが多いなあということです。まあ、世の中、電気がなければタイヘンですよね。デジカメも電池が無くなればただの箱です。...
いい写真とは撮った時の感情が伝わる写真だそうです。たしかに、そうだと思うのですが、もう一つの「カンジョウ」が見え隠れします。勘定ですね。「私の感情を分かってくれますか?」みたいな取り引きで「分かってくれた人は、とってもいい人認定!」なのです。...
飛行機雲があると撮りたくなるんですよね。私、空を飛びたいからでしょうか。とんでもない話です。...
便利さと言うのは効率がよくなることでもあります。無駄なエネルギーを使わなくて楽チンなのですね。でも、それなのに何となくつまらないのではないでしょうか。コウリツだけではなくワタクシリツも欲しいのです。自分もどこかに参加したいのですね。例え上手く行かなくても、効率が悪くても。人間は「メンドクセー」生き物なのではないでしょうか。...
写真の投稿だけです。...
人は写真を怖れているのだと思います。だからレタッチで顔を整形するのではないでしょうか。写真は失礼なやつだからと言い訳をしながら目を、鼻を、あごを、肌を盛り盛り修整するのです。でも写真は正直に応えただけなんですね。光学的事実に素直に反応しただけなのです。...
2月、3月と寒かったことなどもありますが写真を撮る気になかなかなれなかったです。「めんどくせー」みたいな気分が充満した二カ月でした。4月になればと思っていたのですが「桜もあまり撮る気がしないし・・・」で気分が乗って来ません。それでも、ガリガリの軽い腰を上げて、1月から出かけたいと思いながら行っていなかった今年初の梅田へ出かけました。まあ、それなりに撮影できてよかったです。桜の情報に疎かったので、も...
ぶらり撮影してきました。宙ぶらりんな撮影でした。安定感のある写真が撮りたいです。...
リアルというのは本物、実物のそれとそっくりのことでその代表が写真ですよね。でも、実物は立体ですから、平面の写真はそっくりにそっくりにするしかできないのではないでしょうか。きれいに鮮明になるほどそっくりリアルに見えてくるというより本来は別物、仮の姿であるべき写真のほうがカッコよくて本物に見えてくるという・・・実物に失礼なリアルのように思います。写真がリアルになるほど実物はウソっぽくなってゆくというそ...
以前は名前の知られている写真家というのはみなさん「いい人」だと思っていました。今はSNSなどでそのような写真家さんをいろいろと知ることが出来ますよね。それでお二人ほどSNSで知った、人気のある写真家さんの書いた本を買って読んでみました。ザっと読んだだけなのですが正直なところ「どーして人気なの?」です。どちらも初心者向けなのですがちょっとなれなれしくて、友達に話しているようだったり、生き方論のような、説教...
久しぶりにカメラ雑誌を買いました。やっぱり紙で写真を見るのはいいですね。「そこにたしかに写真がある」と感じて安心できるのです。でも残念なことが。税込みで4年前より100円値上がりです。それは仕方ないと思うのですが40ページも減っていました。なんだか世の中、貧しくなってゆくことを象徴するようで今の外の天気のようにドンよりしたのでした。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
〇今、所有しているカメラに自分を合わせるようにしてその機能・性能で撮れる写真は何かを考えるこ〇撮影時を優先し、重視するようにして撮った写真にはできるだけ手を加えないようにすること〇「写真」と「デジタル画像」は区別するためにその違いを見分けることが出来るようになること〇「好き」では被写体の対象範囲が狭いので「気になる」で被写体の対象範囲を広げるようにすること〇撮影時は「構図」より「フレーミング」を意...
写真の投稿だけです。...
行ってきました。...
あるところで「三分割構図で撮りましょうと教えている人は何を根拠にしているのでしょうか?」と書かれていました。読んでいくと「三分割構図」で撮ったらダメだそうです。私は写真も平面の表現なので、構図という考え方は必然的なモノだと思っています。構図抜きに写真画像は成立しません。その中の代表的なのが「三分割構図」ですよね。個人的には「日の丸構図」と「三分割構図」がベースだと思っています。「三分割構図」で撮っ...
人のことは言えないし、そんなにたくさん見ているわけでもないのですがネットで見る写真が、とても同じように見えてくるのです。被写体や、カメラや、性別、年齢などが違ってもさらに言えば、プロとアマと違っても写真、作品と言ってもいいのですが同じような感じを受けています。もちろん、私に写真を見る目がないことが大きいのですがそれでも、時代的なことなのかなあと思ったりしています。みなさん、上手くなりすぎたのではな...
この公園はもう何回も来ているので同じような写真ばかり撮っています。もっと他の撮り方もあると思うのですが私には思いつきません。それでも少しだけは違うカットを撮れるところが面白いと思っています。写真は目新しさの発見の驚きではなくて陳腐さの確認の退屈さの中に面白さを感じてもいいのかもしれませんね。...
「カメラは、撮る人を写している」という言い方があります。確かに写真にはその写真を撮った人の操作が反映されています。作為というのでしょうか、私がこのように撮りましたよということですね。「このように」に影響するのが被写体との関係です。好意的に見ているか、少し引き気味に見ているか・・・そんなことです。人物の場合は特にそうですよね。でも、「カメラは、撮る人を写している」というのは自分のことにこだわった自閉...
いつもの公園の桜は終わりを迎えていました。桜は集団で咲き誇るのでとても撮りにくい被写体の一つですよね。集団での協調性に欠けるカメ爺には合わないのでしょうか。曇天に散りゆく桜・・・暗い春に絶叫cryしたら「五月蝿い!」と、まだ四月なのに叱られました。...
写真はカメラの前の被写体を写すものと言えば当たり前のことを言っているみたいですよね。でも実際は、「私が・・・私が・・・私が・・・」とカメラと被写体の間に立ちふさがろうとして被写体ではなく「私」を写そうとしているのではないでしょうか。「カメラは、撮る人を写している」と言われたりします。撮る人である「私」と被写体の関係性が反映されるという意味だと思うのですが、結局は「私」にこだわっているのだと思います...
数字ほど無責任なものはないと思います。ン十万円のカメラが、いい写真を約束してくれるわけではないと言ったら嫌みでしょうか。ン千万画素の画質と、いい写真とは直接には関係ないのではと言ったら嫌みでしょうか。写真とは違いますが、テレビドラマの視聴率も人気のバロメーターであって、ドラマの質とは結びつかない気もします。人気も数字も無責任なのです。数字は無味・無臭で、蜃気楼みたいなものではないでしょうか。写真に...
「写真」は英語で「photograph」ですが一般的には「光で描いた絵」と言われています。「絵」より「画」だと思うのですがそれより気になっていることがあります。「光で描いた絵」でがなく「光が描いた絵」ではないかなと。「光で描いた絵」はカメラマンつまり人間が主語ですが「光が描いた絵」で主語は光なのです。カメラマンにできることは光が描こうとする画の邪魔をしないことなのですがカメラマンの我が邪魔をして歪めてしまっ...
「ヘタだけどいい写真を撮れればいいんですよ」そんなセリフをネットでよく見かけます。私も以前にはよく書いていたと思います。でも最近は少し反省しているのです。よく考えるとこの言い方は少し上から目線ではないのかな、と。「ヘタでもいいんですよ」と言われた相手を油断させて仲間に入ってもらおうという、情けない魂胆に気づいたのでした。すみませんでした。素直がいちばんです。「上手くていい写真」を目指せばいいのです...
写真の投稿だけです。...
「自分が好きなものを好きなように撮りなさい」、アドバイスというのでしょうかそのようなフレーズをみかけました。ン?そのまま聞き流すと分かった気になるのですが立ちどまって改めて考えると、どうも「ン?」なのです。「自分が好きなものを好きなように食べなさい」、そんなように言われているのと同じではないかな、と。アマチュアが知りたいのは「自分が好きなものを好きなように撮るにはどうしたらいいのか」ではないでしょ...