そもそも視線というのは人に威圧感を与えるものです。視線は刺線、刺ってくる矢なんですね。スマホやコンデジのようにファインダーを覗かないで撮られると少し威圧感が弱まります。それで、仲間の人からのスマホを向けられてもあまり意識しなくなったところがあるのですがカメラの視線にはトゲがあることは変わらないと思います。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
ご訪問、ありがとうございます。来年も当ブログをよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。...
年齢的、体調的には難しいのですが時々「東京に行きてぇ~っ!」なんて思ったりします。東京にいたのはもうずいぶん昔のことで、記憶もかなりあいまいになって来ました。あのころの東京はもうとっくに行方不明になっているのは分かっているのですが・・・。東京で思い出しました。写真集で見た、緑川洋一さんのような日本の綺麗な風景を撮れるようになりたい・・・そんな思いで写真を始めたことを。カメラのことはまったく詳しくな...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 2
デジカメでモノクロ専用の機種が出るとは思いませんでした。カラーが当たり前の時代ですから。モノクロは難しいですから挑戦し甲斐があるからでしょうか。カラーと並走してやるのは少し混乱する気がするのでモノクロだけの撮影と割り切って撮るのがいいのだと思います。...
動画対応 Vlog用カメラというのがあるんですね。街歩きの動画はそのようなカメラで撮っているそうです。カメラがメチャクチャ小さいので目立ちません。それですれ違う人もほとんど意識していないように映っています。カメラの大きさによって、意識のされ方が違ってくるのですね。カメラの存在感、街なかで撮ること、いろいろ考えさせられるのでした。...
「写真」や「カメラ」が人気なのでしょうか?フィルムカメラやトイカメラが話題になります。ただ、それらで撮られるのが「私の周囲3の半径メートル以内」のように思うのです。料理などの写真の投稿をよく見かけるのですが以前は自分が飲食したメニューを「これ、食べたよ」と赤の他人に見せる気にはなりませんでした。3メートルも離れている人のメニューなんて誰も興味ないですから。でも今は、知らない人にも「これ見て!」と躊躇...
SNSを見ていたらAIで自分の撮った写真を批評してもらっている記事がありました。読んでみるとまるでベテランの人の感想みたいでビックリしました。そんな時代なんですね。でも、批評というものは具体的な人が行うものと思い込んでいるカメ爺なので、違和感いっぱいなのでした。的確過ぎるのです。独断と偏見がありません。やる気を出させる、持ち上げるだけが批評ではないのです。「その人」という肉体を持っているゆえの口臭や体...
ネガティブという言葉は辞書的には「否定の、反対の、否定的な、消極的な、悲観的な」という意味ですよね。例えばネガティブ思考⇒暗くてよくないと考えられています。でもそれは、とても短絡的で決めつけた捉え方ではないでしょうか。ネガとは陰であり、日の当たらない見えないところのことであって、暗いという意味にストレートに結びつけなくてもいいと思うのです。よくないことと決めつけるのは少し違うのではないでしょうか。...
通りすがりの○△□241010・このまちに、わたしたちが 3
写真撮影には練習はないと思っています。いつだって本番なのです。試し撮りのつもりで撮ったカットが傑作だったりします。本番だといって気合いの入ったカットが駄作だったりします。かと言って本番を意識すると緊張しますよね。でも緊張したほうが練習だと思って気楽に臨むよりはましなのです。その緊張を上手く撮ろうとする自分に向けるのではなく被写体をよく見ることに向ければいいのですが・・・。理想はリラックスした集中だ...
通りすがりの○△□241010・このまちに、わたしたちが 2
縦に長いものを縦位置で撮るのはマジメ過ぎると思います。たまには横位置で撮ってもいいのではないでしょうか。説明用なら出来るだけ分かりやすく撮る必要がありますが遊び心ならどんな撮り方をしても、被写体も喜んでくれると思います。...
写真画像とデジタル画像は区別したほうがいいと思っています。簡単な区別としてフィルム写真で撮影したのと極力類似したデジタル画像は写真と言っていいと思います。被写体にあったものは写っているということですね。被写体になかったものは写っていないということですね。また、誰が撮ったかが分かっていることが基本です。撮影者不詳でも人の手の介入があったかどうかです。デジタル画像の写真まがい画像はできれば写真とは呼ば...
カメラ雑誌「フォトコン」に写真家の立木義浩さんが選・評を担当してる「モノクロ作品招待席」というコーナーがあります。ネットの電子書籍で見ていることもあるのかもしれませんが今月号(1月号)で少し気になったことがあります。選ばれた作品のほとんどが黒っぽいんですね。何度か書いてきましたが、最近の傾向なのでしょうか。モニターで見ているからでしょうか。紙上だともう少しディテールが出ているとしても少しツブレてい...
写真の投稿だけです。...
写真撮影には練習はありません。いつだって本番なのです。試し撮りが傑作を生んだりするのですから。気合いの入ったカットが駄作だったりするのですから。ただ、本番だといって緊張しないことも大切ですでも、緊張したほうが練習と思って、だらけるよりはましなのです。...
(昨日の記事を少し編集し直して投稿します)写真撮影では要らないものは画面外へ、どかしましょうと言われます。画面外に出来ないなら、ボカしましょうとも言われます。その言い方って、そこにあるものに対してはけっこう失礼な言い方、不躾な言い方にも聞こえませんか。不要とか、邪魔とか言われても、あるべくしてそこにあるのですから、いるべくしてそこにいるのですから。居たくているわけでもありません。何らかの理由でそこに...
写真撮影では要らないものは画面外へ、どかしましょうと言われます。画面外に出来ないなら、ボカしましょうとも言われます。その言い方って、そこにあるものに対してはけっこう失礼な言い方にも聞こえます。不要とか、邪魔とか言われてもそこにあるのですからあるべくしてそこにいるのですから。でも、今はテレビの画面で街なかにいる人にボカシが入る時代です。その番組ではボカした人は要らないのです。画面の外へどいてもらうわ...
通りすがりの○△□241010・このまちに、わたしたちが 1
「 カメラは、撮る人を写している」という言葉があります。そうなんです。その写真には、その写真を撮った人しか写っていないのです。被写体は写っていないのです。ーえっ?写っているじゃん!いいえ、見る人には、写っている「ように」見えているだけです。撮った人には、自分の「思い」が見えているだけです。なにしろ「写」す時、思いを「それ(体)」に「被」せたのですから。「私の思い」「私の価値観」「私の好き」というベ...
真実という言葉があります。写真という文字にも真実を写すと書かれています。あの(どの?)少年は「真実はひとつ」と言っています。ところで写真ではストーリー性みたいなことが重宝がられています。それは、撮った人、見た人のストーリーのことです。だとすると年甲斐もなく、あの(どの?)少年に反論したくなるのです。写真は「見る人、見た人の数だけ真実はあるのでは」と。真実とはその人が、その人たちが見たいストーリーの...
輝く、未来、明日、青空、思い、希望、夢、涙、前へ、楽しい、幸せ、ポジティブ・・・歌の番組での字幕でよく目にする言葉です。マナーがよくないのですが、目が欠伸をしています。...
コミュニケーションで必要なこと⇒まず相手をよく知ることと言われていますよね。⇒写真もコミュニケーションについてよく触れられます。⇒そのためには見てほしい相手をよく観察し⇒相手の見たいものを知ること、だと。⇒その上で相手に合わせて分かりやすく撮りましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく仕上げましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく説明しましょう、と。⇒でも、気になることが・・・⇒相手に合わせるっ...
私は読んでいないのですが「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という本で森山(大道)さんは次のようにおっしゃっているそうです。「過去はいつも新しいという謂は、カメラマンであれば当然の日常感覚であり、未来がつねに懐かしいという謂も、きたるべき未知の時間や風景は、いま街角の片隅のそこそこに、予兆となって浮遊しているという日ごろのぼくの実感である。」(森山大道「過去はいつも新しく、未来はつねに懐か...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 1
写真というのはどうでもいいことを撮るほうが面白くなると思っています。「価値!価値!価値!」とカチカチの息苦しい世界から離れて無価値を楽しむというのでしょうか。美しい被写体そのものには写真ではかないません。綺麗な景色は全身で味わうものだと思います。大切なその人は、どうしても写真でしか会えない時以外は本人がそばにいてくれるに越したことはありません。逆に日常を写真に撮ると「非日常感」が出てくることで美化...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 1
SNSで投稿されている写真にはよく、カメラやレンズ名が併記されていますよね。でも、自分は写真の趣味がない人の知りたいのはいつ・どこで撮ったかではないでしょうか。それほど詳しくなくてもいいので「2024年12月、東京・新宿」もしくは「2024年、東京」くらいの明記があるといいなあと思います。...
世の中、ドンドン幼児化して行っているように感じています。写真でいえば、要らないもの、邪魔なものって今は簡単に消せますよね。まあ、嫌だから消しちゃえっということでしょうか。写真に写っているものを消したり、欲しいものを付け加えたり・・・それって、写真?と思うのです。それは写真というより、写真を使った別のもののような気がしますがそう思うのは、もう古い感覚なんでしょう。「そこのおっちゃん、ジャマ、ジャマ、...
あっ、軽い写真は明るい写真に成れるのでしょうか。...
写真を撮影した日は写真脳というのでしょうか、それが一種の興奮状態のように感じています。写真脳というものが医学的にあるかどうかは分かりませんがそのせいで、帰宅してチェックしていると撮った写真の中に傑作があるかも、のように見えたりするものです。当日を過ぎても数日くらいはその興奮状態が続きます。それで、写真選びは1週間以上くらい経ってから行うようにしたほうがいいと思っています。だけど、人によって違うと思...
他に言葉が見つからないので「いい写真」という言い方をしています。でも、とてもあいまいな言葉だと思っています。「いい」なんてコロコロ変わるのですから。ただ「良い写真」という言い方には慣れません。良い⇒悪いを連想するからでしょうか。「悪い写真」って何だろうと思うのです。「悪い写真」の中にも「いい写真」があるように思います。「良い写真」の中にも「つまらない写真」があるように思います。...
こらからもエモイ写真って流行っていくのでしょうね。私「あのう、私の写真、見てくれませんか?」行きずりの人「あっ、どんな写真を撮っているんですか?」私「説明しにくいのですが、あえて言えば絶〇写真です」行きずりの人「ほおーっ、では見せてくれますか」私「はい、お願いします」行きずりの人「どれ?どれ?ぎゃあっ!な、何ですか、この写真!」私「絶叫写真ですが・・・。まだ、たくさんありますよ」行きずりの人「えっ...
もう何十年も前のことです。ある人の写真展を見に行きました。「こ、こんなにきれいなプリント、どうしたら出来るねん!」。その人のモノクロプリントの作品を見た時、自分には、こんな綺麗なプリントは作れないと思いました。ショックは受けたのですが、もっと違った写真の楽しみ方を探すことにしました。まあ、正直言うとそのころには写真は絵画とは違うし工芸品でもないので、作品を目指さなくてもいいと思い始めてもいたのでい...
見たものを撮ればいいと写真を楽しんでいる人と映え狙いで写真を楽しんでいる人とカメラ沼に入って写真を楽しんでいる人と。一見、共通点がないみたいですが・・・。でも、あるのではと思ったりするのです。興味の中心、関心の中心にあるのは自分、つまり「私」なのではないでしょうか。写真は目的ではなくて手段なのです。「見たものを撮る」のは「私の好き」を見つけるため。「映えを狙う」のは「私の輝き」をみんなに受け入れて...
SNSやカメラ雑誌などを見ているとストリートスナップ=人を撮るものと思われているようですね。ファッション・ポートレート撮影などにもストリートスナップという言葉が使われています。街なかで撮影しているからでしょうか。ただ、私は必ず人が写っていないとストリートスナップではないとは思っていないません。人が写っていなくてもストリートスナップはあるんですね。ただ、落ちているゴミを撮ったり、壊れて捨てられたビニー...
人間のカラダの目は外を見るようにできています。人間のココロの目も外を見るようにできればよかったのです。でも、人間のココロの目は内を見るほうが圧倒的に多いです。そのため2つの目を分裂させてしまいました。そして外のアレと内のコレを見比べてばかりでいます。「勝負・好悪・正誤・善悪・美醜」などを秤にかけて判定に大忙しです。それはとても疲れることなのですが、回復する間もなくこう言うのです。 「なにか、面白い...
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そもそも視線というのは人に威圧感を与えるものです。視線は刺線、刺ってくる矢なんですね。スマホやコンデジのようにファインダーを覗かないで撮られると少し威圧感が弱まります。それで、仲間の人からのスマホを向けられてもあまり意識しなくなったところがあるのですがカメラの視線にはトゲがあることは変わらないと思います。...
これからの人はPHOTOという文字を見ても熱くなることはなくなるのだろう。P=people、人と、O=object、対象の間にHOTがあったことも忘れてしまうのだろう。熱くなることはダサくてカッコ悪いのだから。クールは冷静なことだけど冷淡はただ冷たいこと、冷え切ったことなのだけれどたぶん、そんなことはどうでもいい時代になったのだと思う。...
そう遠くない未来、街角で写真を撮る人間はいなくなるだろう。それに合わせるようにして街角から人間は消えるだろう。シ~ン。...
世の中、ドンドン幼児化して言っているように感じています。写真でいえば、要らないもの、邪魔なものって今は簡単に消せますよね。まあ、嫌だから消しちゃえっということでしょうか。フカイはNGで、ユカイはwelcomeなのです。褒められればやる気を出し、貶されれば怒る気を出すのです。写真に写っているものを消したり、欲しいものを付け加えたり・・・それって、写真?と思うのですが。写真とは目の前にあったものを起こったこと...
時代とともに、衣食住は変わってゆきます。世の中の景色は変化が運命付けられています。変わらないものはないということだけが変わらないのですね。そのことは写真を撮っていると何となくでも感じ取ることが出来ます。目の前の景色はたしかに存在するのですが目を離した途端、確かにあったのか不安になってくるのです。だから、人は写真を撮るのだと思います。取り戻すことは出来ないと分かっていながらも写真という名の亡骸にすが...
孤独は主観的で、孤立は客観的なもの。そんな記事を見かけました。だけど、そんな単純なものではないのではと思いました。孤独感は主観的ですが、孤独は人間存在の根源的なことだと思うのです。1個の肉体としては、いま、ここには私一人しかいることは出来ません。理屈ぽくなりますが、同時には、同じ空間を共有は出来ないのです。写真を撮っているとそのことを実感できるのではないでしょうか。いま、ここで見ている景色は私しか...
写真の投稿だけです。...
行ってきました。半年ぶりです。生駒山の中腹にあるため冬は地上より寒そうなので避けていました。久しぶりに行ったら暑かったです。...
写真という趣味は歩くこととリンクするので健康のためにはいいですね。一説によると写真家には高齢でも活躍する人が多いそうです。歩くことが役立っているんですね。まあ、人によりけりだとは思いますが。私も歩くことは嫌いではないので写真をやってきてよかったなと思っています。ただ、もともと短い脚ですので歩幅がありません。それが、最近はさらに短くなってきました。「オレはペンギンか!?」ってペンギンに失礼なことを、...
暦のせいでしょうか、世の中、華やいでいるようですが結局のところ、技術はビックリするくらい進歩するけれど人間はガッカリするくらい進歩しないということがこの二千何年間で、分かってきたのではないでしょうか。世の中、ドンドン便利になって来ましたがフトコロの中、ドンドン貧相になって来たのではないでしょうか。便利さと物価は比例する、そんな法則があるのかもしれませんね。最近のカメラは、低い位置にいると手が届きそ...
イメージ通りに撮れることが大切なのではないと思うのです。そのイメージがどのようなイメージであるのかが大切なのだと思います。そのイメージをどうして必要とするのか、そのイメージで何をしようとしているのか、・・・では、ないでしょうか。...
間違っていると言っているのではないのです。違うと言っているだけなのです。自分は違うと感じたということなのです。写真に正解がないとしたら間違いもないのですから。多様性ってそういうことですよね。みんな違うということですよね。違うと言うことがよくないとしたら写真の世界はつまらなくなるのではないでしょうか。多様性と言うのは活気のある違いのことですが違いのない写真の世界は静まり返るしかないと思うのです。...
写真の世界でも、多様性が言われているようですが実際は多様性という名の一様性に向かっている気もします。写真の世界の中の、特にアマチュアや初心者や、さらには映え疲れの人たちの集まるエリアでは顕著ではないでしょうか。「下手だけど、いい写真が撮れればいい」という、「思いが、感情が伝わるのが、いい写真です」という、そこでは、そんな愛言葉が行き交っているように思えるのです。...
もうすぐ万博ですね。テレビを見ていて思ったことがあります。電気が必要なところが多いなあということです。まあ、世の中、電気がなければタイヘンですよね。デジカメも電池が無くなればただの箱です。...
いい写真とは撮った時の感情が伝わる写真だそうです。たしかに、そうだと思うのですが、もう一つの「カンジョウ」が見え隠れします。勘定ですね。「私の感情を分かってくれますか?」みたいな取り引きで「分かってくれた人は、とってもいい人認定!」なのです。...
飛行機雲があると撮りたくなるんですよね。私、空を飛びたいからでしょうか。とんでもない話です。...
便利さと言うのは効率がよくなることでもあります。無駄なエネルギーを使わなくて楽チンなのですね。でも、それなのに何となくつまらないのではないでしょうか。コウリツだけではなくワタクシリツも欲しいのです。自分もどこかに参加したいのですね。例え上手く行かなくても、効率が悪くても。人間は「メンドクセー」生き物なのではないでしょうか。...
写真の投稿だけです。...
人は写真を怖れているのだと思います。だからレタッチで顔を整形するのではないでしょうか。写真は失礼なやつだからと言い訳をしながら目を、鼻を、あごを、肌を盛り盛り修整するのです。でも写真は正直に応えただけなんですね。光学的事実に素直に反応しただけなのです。...
2月、3月と寒かったことなどもありますが写真を撮る気になかなかなれなかったです。「めんどくせー」みたいな気分が充満した二カ月でした。4月になればと思っていたのですが「桜もあまり撮る気がしないし・・・」で気分が乗って来ません。それでも、ガリガリの軽い腰を上げて、1月から出かけたいと思いながら行っていなかった今年初の梅田へ出かけました。まあ、それなりに撮影できてよかったです。桜の情報に疎かったので、も...
ある面ではカメラの目のほうがものをよく見ているので人間の目より信頼できるところがあります。人間不信と受け取るかカメラの目を楽しむか・・・微妙です。そのカメラの目をどう生かすかが写真家、つまり写真する人に問われている気がします。 ...
ぶらり撮影してきました。宙ぶらりんな撮影でした。安定感のある写真が撮りたいです。...
リアルというのは本物、実物のそれとそっくりのことでその代表が写真ですよね。でも、実物は立体ですから、平面の写真はそっくりにそっくりにするしかできないのではないでしょうか。きれいに鮮明になるほどそっくりリアルに見えてくるというより本来は別物、仮の姿であるべき写真のほうがカッコよくて本物に見えてくるという・・・実物に失礼なリアルのように思います。写真がリアルになるほど実物はウソっぽくなってゆくというそ...
以前は名前の知られている写真家というのはみなさん「いい人」だと思っていました。今はSNSなどでそのような写真家さんをいろいろと知ることが出来ますよね。それでお二人ほどSNSで知った、人気のある写真家さんの書いた本を買って読んでみました。ザっと読んだだけなのですが正直なところ「どーして人気なの?」です。どちらも初心者向けなのですがちょっとなれなれしくて、友達に話しているようだったり、生き方論のような、説教...
久しぶりにカメラ雑誌を買いました。やっぱり紙で写真を見るのはいいですね。「そこにたしかに写真がある」と感じて安心できるのです。でも残念なことが。税込みで4年前より100円値上がりです。それは仕方ないと思うのですが40ページも減っていました。なんだか世の中、貧しくなってゆくことを象徴するようで今の外の天気のようにドンよりしたのでした。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
〇今、所有しているカメラに自分を合わせるようにしてその機能・性能で撮れる写真は何かを考えるこ〇撮影時を優先し、重視するようにして撮った写真にはできるだけ手を加えないようにすること〇「写真」と「デジタル画像」は区別するためにその違いを見分けることが出来るようになること〇「好き」では被写体の対象範囲が狭いので「気になる」で被写体の対象範囲を広げるようにすること〇撮影時は「構図」より「フレーミング」を意...
写真の投稿だけです。...
行ってきました。...
あるところで「三分割構図で撮りましょうと教えている人は何を根拠にしているのでしょうか?」と書かれていました。読んでいくと「三分割構図」で撮ったらダメだそうです。私は写真も平面の表現なので、構図という考え方は必然的なモノだと思っています。構図抜きに写真画像は成立しません。その中の代表的なのが「三分割構図」ですよね。個人的には「日の丸構図」と「三分割構図」がベースだと思っています。「三分割構図」で撮っ...
人のことは言えないし、そんなにたくさん見ているわけでもないのですがネットで見る写真が、とても同じように見えてくるのです。被写体や、カメラや、性別、年齢などが違ってもさらに言えば、プロとアマと違っても写真、作品と言ってもいいのですが同じような感じを受けています。もちろん、私に写真を見る目がないことが大きいのですがそれでも、時代的なことなのかなあと思ったりしています。みなさん、上手くなりすぎたのではな...
この公園はもう何回も来ているので同じような写真ばかり撮っています。もっと他の撮り方もあると思うのですが私には思いつきません。それでも少しだけは違うカットを撮れるところが面白いと思っています。写真は目新しさの発見の驚きではなくて陳腐さの確認の退屈さの中に面白さを感じてもいいのかもしれませんね。...
「カメラは、撮る人を写している」という言い方があります。確かに写真にはその写真を撮った人の操作が反映されています。作為というのでしょうか、私がこのように撮りましたよということですね。「このように」に影響するのが被写体との関係です。好意的に見ているか、少し引き気味に見ているか・・・そんなことです。人物の場合は特にそうですよね。でも、「カメラは、撮る人を写している」というのは自分のことにこだわった自閉...
いつもの公園の桜は終わりを迎えていました。桜は集団で咲き誇るのでとても撮りにくい被写体の一つですよね。集団での協調性に欠けるカメ爺には合わないのでしょうか。曇天に散りゆく桜・・・暗い春に絶叫cryしたら「五月蝿い!」と、まだ四月なのに叱られました。...
写真はカメラの前の被写体を写すものと言えば当たり前のことを言っているみたいですよね。でも実際は、「私が・・・私が・・・私が・・・」とカメラと被写体の間に立ちふさがろうとして被写体ではなく「私」を写そうとしているのではないでしょうか。「カメラは、撮る人を写している」と言われたりします。撮る人である「私」と被写体の関係性が反映されるという意味だと思うのですが、結局は「私」にこだわっているのだと思います...
数字ほど無責任なものはないと思います。ン十万円のカメラが、いい写真を約束してくれるわけではないと言ったら嫌みでしょうか。ン千万画素の画質と、いい写真とは直接には関係ないのではと言ったら嫌みでしょうか。写真とは違いますが、テレビドラマの視聴率も人気のバロメーターであって、ドラマの質とは結びつかない気もします。人気も数字も無責任なのです。数字は無味・無臭で、蜃気楼みたいなものではないでしょうか。写真に...
「写真」は英語で「photograph」ですが一般的には「光で描いた絵」と言われています。「絵」より「画」だと思うのですがそれより気になっていることがあります。「光で描いた絵」でがなく「光が描いた絵」ではないかなと。「光で描いた絵」はカメラマンつまり人間が主語ですが「光が描いた絵」で主語は光なのです。カメラマンにできることは光が描こうとする画の邪魔をしないことなのですがカメラマンの我が邪魔をして歪めてしまっ...
「ヘタだけどいい写真を撮れればいいんですよ」そんなセリフをネットでよく見かけます。私も以前にはよく書いていたと思います。でも最近は少し反省しているのです。よく考えるとこの言い方は少し上から目線ではないのかな、と。「ヘタでもいいんですよ」と言われた相手を油断させて仲間に入ってもらおうという、情けない魂胆に気づいたのでした。すみませんでした。素直がいちばんです。「上手くていい写真」を目指せばいいのです...
写真の投稿だけです。...