カメラは人間の目の不確からしさを確認するための装置だと思うことがあります。人間の目はじつは何にも見ていないのではないでしょうか。「わあ、キレイ!」と言いながら目の前の花ではなく、自分を見ているのだと思います。自分の足もとの草を踏みつけながら。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
ご訪問、ありがとうございます。来年も当ブログをよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。...
年齢的、体調的には難しいのですが時々「東京に行きてぇ~っ!」なんて思ったりします。東京にいたのはもうずいぶん昔のことで、記憶もかなりあいまいになって来ました。あのころの東京はもうとっくに行方不明になっているのは分かっているのですが・・・。東京で思い出しました。写真集で見た、緑川洋一さんのような日本の綺麗な風景を撮れるようになりたい・・・そんな思いで写真を始めたことを。カメラのことはまったく詳しくな...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 2
デジカメでモノクロ専用の機種が出るとは思いませんでした。カラーが当たり前の時代ですから。モノクロは難しいですから挑戦し甲斐があるからでしょうか。カラーと並走してやるのは少し混乱する気がするのでモノクロだけの撮影と割り切って撮るのがいいのだと思います。...
動画対応 Vlog用カメラというのがあるんですね。街歩きの動画はそのようなカメラで撮っているそうです。カメラがメチャクチャ小さいので目立ちません。それですれ違う人もほとんど意識していないように映っています。カメラの大きさによって、意識のされ方が違ってくるのですね。カメラの存在感、街なかで撮ること、いろいろ考えさせられるのでした。...
「写真」や「カメラ」が人気なのでしょうか?フィルムカメラやトイカメラが話題になります。ただ、それらで撮られるのが「私の周囲3の半径メートル以内」のように思うのです。料理などの写真の投稿をよく見かけるのですが以前は自分が飲食したメニューを「これ、食べたよ」と赤の他人に見せる気にはなりませんでした。3メートルも離れている人のメニューなんて誰も興味ないですから。でも今は、知らない人にも「これ見て!」と躊躇...
SNSを見ていたらAIで自分の撮った写真を批評してもらっている記事がありました。読んでみるとまるでベテランの人の感想みたいでビックリしました。そんな時代なんですね。でも、批評というものは具体的な人が行うものと思い込んでいるカメ爺なので、違和感いっぱいなのでした。的確過ぎるのです。独断と偏見がありません。やる気を出させる、持ち上げるだけが批評ではないのです。「その人」という肉体を持っているゆえの口臭や体...
ネガティブという言葉は辞書的には「否定の、反対の、否定的な、消極的な、悲観的な」という意味ですよね。例えばネガティブ思考⇒暗くてよくないと考えられています。でもそれは、とても短絡的で決めつけた捉え方ではないでしょうか。ネガとは陰であり、日の当たらない見えないところのことであって、暗いという意味にストレートに結びつけなくてもいいと思うのです。よくないことと決めつけるのは少し違うのではないでしょうか。...
通りすがりの○△□241010・このまちに、わたしたちが 3
写真撮影には練習はないと思っています。いつだって本番なのです。試し撮りのつもりで撮ったカットが傑作だったりします。本番だといって気合いの入ったカットが駄作だったりします。かと言って本番を意識すると緊張しますよね。でも緊張したほうが練習だと思って気楽に臨むよりはましなのです。その緊張を上手く撮ろうとする自分に向けるのではなく被写体をよく見ることに向ければいいのですが・・・。理想はリラックスした集中だ...
通りすがりの○△□241010・このまちに、わたしたちが 2
縦に長いものを縦位置で撮るのはマジメ過ぎると思います。たまには横位置で撮ってもいいのではないでしょうか。説明用なら出来るだけ分かりやすく撮る必要がありますが遊び心ならどんな撮り方をしても、被写体も喜んでくれると思います。...
写真画像とデジタル画像は区別したほうがいいと思っています。簡単な区別としてフィルム写真で撮影したのと極力類似したデジタル画像は写真と言っていいと思います。被写体にあったものは写っているということですね。被写体になかったものは写っていないということですね。また、誰が撮ったかが分かっていることが基本です。撮影者不詳でも人の手の介入があったかどうかです。デジタル画像の写真まがい画像はできれば写真とは呼ば...
カメラ雑誌「フォトコン」に写真家の立木義浩さんが選・評を担当してる「モノクロ作品招待席」というコーナーがあります。ネットの電子書籍で見ていることもあるのかもしれませんが今月号(1月号)で少し気になったことがあります。選ばれた作品のほとんどが黒っぽいんですね。何度か書いてきましたが、最近の傾向なのでしょうか。モニターで見ているからでしょうか。紙上だともう少しディテールが出ているとしても少しツブレてい...
写真の投稿だけです。...
写真撮影には練習はありません。いつだって本番なのです。試し撮りが傑作を生んだりするのですから。気合いの入ったカットが駄作だったりするのですから。ただ、本番だといって緊張しないことも大切ですでも、緊張したほうが練習と思って、だらけるよりはましなのです。...
(昨日の記事を少し編集し直して投稿します)写真撮影では要らないものは画面外へ、どかしましょうと言われます。画面外に出来ないなら、ボカしましょうとも言われます。その言い方って、そこにあるものに対してはけっこう失礼な言い方、不躾な言い方にも聞こえませんか。不要とか、邪魔とか言われても、あるべくしてそこにあるのですから、いるべくしてそこにいるのですから。居たくているわけでもありません。何らかの理由でそこに...
写真撮影では要らないものは画面外へ、どかしましょうと言われます。画面外に出来ないなら、ボカしましょうとも言われます。その言い方って、そこにあるものに対してはけっこう失礼な言い方にも聞こえます。不要とか、邪魔とか言われてもそこにあるのですからあるべくしてそこにいるのですから。でも、今はテレビの画面で街なかにいる人にボカシが入る時代です。その番組ではボカした人は要らないのです。画面の外へどいてもらうわ...
通りすがりの○△□241010・このまちに、わたしたちが 1
「 カメラは、撮る人を写している」という言葉があります。そうなんです。その写真には、その写真を撮った人しか写っていないのです。被写体は写っていないのです。ーえっ?写っているじゃん!いいえ、見る人には、写っている「ように」見えているだけです。撮った人には、自分の「思い」が見えているだけです。なにしろ「写」す時、思いを「それ(体)」に「被」せたのですから。「私の思い」「私の価値観」「私の好き」というベ...
真実という言葉があります。写真という文字にも真実を写すと書かれています。あの(どの?)少年は「真実はひとつ」と言っています。ところで写真ではストーリー性みたいなことが重宝がられています。それは、撮った人、見た人のストーリーのことです。だとすると年甲斐もなく、あの(どの?)少年に反論したくなるのです。写真は「見る人、見た人の数だけ真実はあるのでは」と。真実とはその人が、その人たちが見たいストーリーの...
輝く、未来、明日、青空、思い、希望、夢、涙、前へ、楽しい、幸せ、ポジティブ・・・歌の番組での字幕でよく目にする言葉です。マナーがよくないのですが、目が欠伸をしています。...
コミュニケーションで必要なこと⇒まず相手をよく知ることと言われていますよね。⇒写真もコミュニケーションについてよく触れられます。⇒そのためには見てほしい相手をよく観察し⇒相手の見たいものを知ること、だと。⇒その上で相手に合わせて分かりやすく撮りましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく仕上げましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく説明しましょう、と。⇒でも、気になることが・・・⇒相手に合わせるっ...
私は読んでいないのですが「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という本で森山(大道)さんは次のようにおっしゃっているそうです。「過去はいつも新しいという謂は、カメラマンであれば当然の日常感覚であり、未来がつねに懐かしいという謂も、きたるべき未知の時間や風景は、いま街角の片隅のそこそこに、予兆となって浮遊しているという日ごろのぼくの実感である。」(森山大道「過去はいつも新しく、未来はつねに懐か...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 1
写真というのはどうでもいいことを撮るほうが面白くなると思っています。「価値!価値!価値!」とカチカチの息苦しい世界から離れて無価値を楽しむというのでしょうか。美しい被写体そのものには写真ではかないません。綺麗な景色は全身で味わうものだと思います。大切なその人は、どうしても写真でしか会えない時以外は本人がそばにいてくれるに越したことはありません。逆に日常を写真に撮ると「非日常感」が出てくることで美化...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 1
SNSで投稿されている写真にはよく、カメラやレンズ名が併記されていますよね。でも、自分は写真の趣味がない人の知りたいのはいつ・どこで撮ったかではないでしょうか。それほど詳しくなくてもいいので「2024年12月、東京・新宿」もしくは「2024年、東京」くらいの明記があるといいなあと思います。...
世の中、ドンドン幼児化して行っているように感じています。写真でいえば、要らないもの、邪魔なものって今は簡単に消せますよね。まあ、嫌だから消しちゃえっということでしょうか。写真に写っているものを消したり、欲しいものを付け加えたり・・・それって、写真?と思うのです。それは写真というより、写真を使った別のもののような気がしますがそう思うのは、もう古い感覚なんでしょう。「そこのおっちゃん、ジャマ、ジャマ、...
あっ、軽い写真は明るい写真に成れるのでしょうか。...
写真を撮影した日は写真脳というのでしょうか、それが一種の興奮状態のように感じています。写真脳というものが医学的にあるかどうかは分かりませんがそのせいで、帰宅してチェックしていると撮った写真の中に傑作があるかも、のように見えたりするものです。当日を過ぎても数日くらいはその興奮状態が続きます。それで、写真選びは1週間以上くらい経ってから行うようにしたほうがいいと思っています。だけど、人によって違うと思...
他に言葉が見つからないので「いい写真」という言い方をしています。でも、とてもあいまいな言葉だと思っています。「いい」なんてコロコロ変わるのですから。ただ「良い写真」という言い方には慣れません。良い⇒悪いを連想するからでしょうか。「悪い写真」って何だろうと思うのです。「悪い写真」の中にも「いい写真」があるように思います。「良い写真」の中にも「つまらない写真」があるように思います。...
こらからもエモイ写真って流行っていくのでしょうね。私「あのう、私の写真、見てくれませんか?」行きずりの人「あっ、どんな写真を撮っているんですか?」私「説明しにくいのですが、あえて言えば絶〇写真です」行きずりの人「ほおーっ、では見せてくれますか」私「はい、お願いします」行きずりの人「どれ?どれ?ぎゃあっ!な、何ですか、この写真!」私「絶叫写真ですが・・・。まだ、たくさんありますよ」行きずりの人「えっ...
もう何十年も前のことです。ある人の写真展を見に行きました。「こ、こんなにきれいなプリント、どうしたら出来るねん!」。その人のモノクロプリントの作品を見た時、自分には、こんな綺麗なプリントは作れないと思いました。ショックは受けたのですが、もっと違った写真の楽しみ方を探すことにしました。まあ、正直言うとそのころには写真は絵画とは違うし工芸品でもないので、作品を目指さなくてもいいと思い始めてもいたのでい...
見たものを撮ればいいと写真を楽しんでいる人と映え狙いで写真を楽しんでいる人とカメラ沼に入って写真を楽しんでいる人と。一見、共通点がないみたいですが・・・。でも、あるのではと思ったりするのです。興味の中心、関心の中心にあるのは自分、つまり「私」なのではないでしょうか。写真は目的ではなくて手段なのです。「見たものを撮る」のは「私の好き」を見つけるため。「映えを狙う」のは「私の輝き」をみんなに受け入れて...
SNSやカメラ雑誌などを見ているとストリートスナップ=人を撮るものと思われているようですね。ファッション・ポートレート撮影などにもストリートスナップという言葉が使われています。街なかで撮影しているからでしょうか。ただ、私は必ず人が写っていないとストリートスナップではないとは思っていないません。人が写っていなくてもストリートスナップはあるんですね。ただ、落ちているゴミを撮ったり、壊れて捨てられたビニー...
人間のカラダの目は外を見るようにできています。人間のココロの目も外を見るようにできればよかったのです。でも、人間のココロの目は内を見るほうが圧倒的に多いです。そのため2つの目を分裂させてしまいました。そして外のアレと内のコレを見比べてばかりでいます。「勝負・好悪・正誤・善悪・美醜」などを秤にかけて判定に大忙しです。それはとても疲れることなのですが、回復する間もなくこう言うのです。 「なにか、面白い...
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カメラは人間の目の不確からしさを確認するための装置だと思うことがあります。人間の目はじつは何にも見ていないのではないでしょうか。「わあ、キレイ!」と言いながら目の前の花ではなく、自分を見ているのだと思います。自分の足もとの草を踏みつけながら。...
投稿カットは10月の撮影ですが昨日、今年初めての本格的、と言う大げさなものではなく街へ出かけての撮影をしました。もっと早く行きたかったのですが危険な寒さが襲っていたので、やっとこさだったのです。まあ、相変らずミナミはバウンドしていてにぎやかだったです。カメラの設定を微妙に違えていて「なんでやねん!」と相変らず、今年も引き続きオロオロしたのでした。...
撮影してきました。...
県外の写真家さんが大阪に来て写真を撮っている動画を見ました。いやあ、元気ですね。歩数は半端でないみたいです。ただちょっと気になることが・・・。せっかく大阪に来たのに望遠でupの写真を多く撮っているんですね。「それなら、そちらの県にもあるのでは?」県外の人が大阪をどう撮るのか見たいのですが大阪に来て撮ること自体に意味を感じているのでしょうか。...
自分の知っている場所がテレビで映されたりします。途端に、全然違う場所に見えて来ることがあります。特別な場所に見えて来るんですね。フレームというのは怖いなあと思います。...
フィルム写真は出来ればプリントして見たいです。それも、ネガをデジタルスキャンしてのプリントではなくラボでのプリントがベストだと思います。ただ、今の時代には厳しいかもしれません。価格など最近のことは、ほぼ分からないのですがそう度々直でプリントすることはしんどいでしょうね。ところでフィルムで撮ってネットに上げるにはデジタルのお世話になるのですがそれはフィルム写真と言っていいのかそれともデジタル写真とい...
「コウカイ」したことを「コウカイ」しないように「コウカイ」と思うカットを「コウカイ」するようにしているのですが「コウカイ」したあとに「コウカイ」ばかりしています。「コウカイ」を続ける、写真という名の海原の上で。...
「顔に責任を持て」という言葉があります。顔はその人そのものだからなんですね。顔は全体で顔です。目は口ほどにものを言うにしても、口も必要なのです。顔の半分以上が覆われたら、その人はどこかに行ってしまったように感じます。感情のなくなったロボットみたいというのはその人に失礼なのでしょうか。世界は無感情に向かっているのかもしれません。...
駄目ってつまらない目と書きますよね。目につまらないや、つまるのがあるのも面白いです。「駄」を分解すると「太った馬」です。「太った馬」というのは秋専門と思っていたのですが写真の世界には年中、「太った馬」がいるのでしょうか。「太った馬」を見分ける目を持ちたいと思う、真冬です。...
機種自慢、受賞自慢などはせずに、ただ静かなたたずまいで自分には撮れない、出来ないと思わせられる写真家。「あなたにはこんな写真は撮れないでしょ」とエラソーにではなく、ジンワリと突きつけてくる写真家。でも、自分はダメだと卑下させるのではなくだからこそ、自分は写真をやりたいんだと思わせる写真家。それが「いい写真家」だと思う。...
ある日、「マウント」という言葉を目にした時「えっ?レンズの話?」と思いました。ニコ○・マウントやキャ○ノン・マウントなどを連想したんですね。新しい流行り言葉はたいていカタカナの横文字なので昭和に読み書きを習ったカメ爺は戸惑います。「マウント取るやつはけしからん!」と上の方からマウントしていたりします。山はてっぺん以外は、上と下は相対的ですから上には上が、下には下が続きます。それに、とがったてっぺんだ...
カメラ、ずいぶん高くなりましたね。「天高く馬肥ゆる秋」のあとに訪れた「円安く人痩せる冬」です。このようなカタチでのダイエットは好ましくないです。元気を無くすダイエットは写真家から必要な水分まで奪って行きます。写真に必要なのは湿気ではないでしょうか。デジタルは乾き過ぎだと思います。...
記憶と感情はセットなので撮影時の感情が写っていると思ってしまうんですね。それで「いい写真」が撮れるかどうかは記憶と感情を切り離せるかにかかっていると思います。ただ、言うは易く・・・です。それにもう一つのカンジョウ、損得勘定が絡んでくるのでタイヘンです。それに、それに小人欲求、いいえ、大人になっても承認欲求もあるのです。でも、健全な、と言っては変ですがココロの健康維持には適度の承認欲求を満たすことも...
カメラマンと写真家との違い。写真をコントロールしようとするのがカメラマン。写真にコントロールされるのを受け入れるのが写真家。...
新鮮さと奇抜さとは違うと思います。新しさは古さの「上書き保存」なんですね。新しさには古さのバックアップがあるのです。単なる奇抜さはプカプカ浮いて目立つとしても根っこがないので短命に終わると思います。デジタル写真が、もちろんすべてが奇抜ではないのですがフィルム写真のような制約、不自由さがないと写真ではなくデジタル画像、言ってみればデザイン的なイラスト画像になる気がします。...
目は5つより2つのほうがよかったのではと思います。5つもあると視線を合わせるのに苦労します。上の2つに合わせればいいのでしょうが下からも見上げられていそうで落ち着きません。カメラもレンズの目が5つもあったらカメラ目線をどれにしたらいいのか迷いそうです。...
今年も52分の1週間が終わろうとしています。時間は実在せず記憶の中にだけあるのでしょうか。写真は記憶という、時間を強烈に感じさせるメディアです。写真は去ったものたちへの鎮魂歌の代理人なのです。写真には未来はなく過去だけが花咲く住処なのです。...
頭を怪我しました。ケガナイのにケガガアルのです。写真も思いが写っていないのに写っているように感じさせるところがあります。思いが写るというより映っているように感じるんですね。思いが鏡のように反映されているのですがそれは撮った人にしか見えにくいのが普通です。自分には髪の毛があると思いたくても相手の人には反射がまぶしいのが現実ではないでしょうか。...
写真でポイントになるのは視覚ではなくて触覚だと思っています。肌ざわり、皮膚感覚、キモイ・エモイ・・・デジタル画像はスベスベ、ツルツルしているのでそのあたりが欠点、弱みのように思います。視覚より触覚のほうが当てにできる気がします。デジタル画像が鮮明になるほど、ウソっぽくなって行くように感じるのは時代錯誤かもしれませんが。...
写真はよく料理に例えられます。どちらも「うまい」が共通語だからです。ただデジタルの時代になって、少し違うところが出てきました。料理は「うまい!上手だね」と単純に褒めてもらえますが写真は「うまい?それで?」と当たり前のような反応しか帰って来なくなりました。温かいお節料理の時期なのに暖かいお世辞すら言ってもらえなくなった写真は寒さに震えるしかないのでしょうか。...
写真に関してですが、正解があると思うから迷い、優劣があると思うから悩むんですよね。でも、そうではなくてあるのはその人が撮った、そんな写真だけではないでしょうか。写真をコミュニケーションや表現の手段として利用したりせずに呼吸するようにシャッターを押せればいいなあと思っています。...
何事も起こらないのがいいのです。特別なことなどなくてもいいのです。幸せという言葉が不幸せを作っているとしたら。かっこいい写真の撮り方にこだわるのはとてもかっこ悪いのではないでしょうか。ただ目の前の光景をただ撮ればいいのだと思います。ほとんどのことはカメラに任せればいいのですから。でも人はあたり前を特別なように撮りたいんですね。...
理屈は食べられないのでお腹の足しにはなりませんよね。でも理屈は退屈の一部を埋めることができるので頭の運動にはなると思っています。なにしろ退屈は死への一直線ルートなのに目に見えないこと自覚症状が希薄なことで本人は気づきにくいのです。アートにして退屈しのぎに人間が発明したのかもしれません。ただ、せめて時間の有効活用を考えた時、アートがふさわしかっただけではないでしょうか。アーティストが野良猫より偉いの...
行ってきました。...
理屈っぽいことが好きなんですね。写真もせめて自分の理屈のいくらかでも反映できればいいのですが撮っている写真はかなり乖離しているようです。よく楽しければいいと言われていますが私の場合、楽しいだけではつまらないのです。撮影や発表を楽しむ+理屈を言って写真を面白がる・・・贅沢なカメ爺です。...
ベストな1枚・・・確かにそれを目指すのはいいことなのですが写真の場合、その「ベスト」がたくさんある気がするんですよね。...
今さらなのですがカメラ、小さく、軽くなりましたね。写真関係のネットを見ていたら「軽さは正義」と書かれていました。いろんな正義があるのだと思いました。...
ピント、甘いです・・・。あっ、まあ、いいですということで自己完結します。望遠は遠くを見ることですがそうすると足元がおろそかになってけつまずいてコケそうになります。かと言って広角だと近づきすぎて周りが見えなくなりがちですよね。あるいはあれもこれもと目移りします。そう考えると標準が無難なのかなと思えてくるのです。標準は平凡なのですが、その平凡がまた難しいのです。写真をすると人は落ち着かなくなるのでしょ...
見てあっさり分かってしまうと物足りないです。見てまったく分からないとイラ立ちます。写真の話ですが中間の落としどころが悩ましいですね。...
写真関係の記事などを見ていると結局は写真というのはカメラと被写体なんだろうなあとしんみりと思えてくるのです。写真を撮る人、それを写真家と呼ぼうと、カメラマンと呼ぼうとはたまたフォトグラファーと呼ぼうと気のせいか影が薄くなってくるように感じます。特に被写体の存在感が半端でない時、それを撮った人は誰でもいいのかなあ~と力がぬけてゆくように思います。「あなた誰?」「そ、その写真を撮ったものです!」「あ、...
行ってきました。...
「簡単」というのは楽なところはいいですよね。これに「誰にでも」「出来る」が付いたら失敗なし、エネルギーの消費ほぼ無しの安心保障の代名詞みたいなものになります。でも写真に限って言えば「簡単」が写真の楽しみ、面白味を減らした気もします。結果が分かりすぎるというのでしょうかドラマを見る前からハッピーエンドが見え見えなのとよく似ているというのは、例えは変ですか?デジカメはその場でハッピーかどうか分かるので...
写真の投稿だけです。...
「いい写真の撮り方」という文章があるとします。そこに写真、つまり作品も載っています。読んでみるとなるほどと思えてくるのですがなぜか引っかかってくるのです。作品が「いい写真」の見本として添えられているのですがたしかに上手い写真ではあるのですが書いた人の「いい写真」の定義がよく分からないのです。私もよく「いい写真」という言葉を使いますが他に思いつかないだけで、じつはまったくと言っていいほど分かっていな...
ストリートスナップが流行っているらしいです。写真界全般に疎いカメ爺なのでよく分からないのですがネットで見るとスナップというよりポートレートなんですね。屋外の街の通りで人物をスナップ風に撮るからストリートスナップのようです。スタジオ撮影はライティングがメチャ難しいですが屋外のスナップだとライティングはどうなっているんだろうと思ったりするのでした。...
○○という機種で写真を撮ることにこだわるのがカメラマン、○○という機種で撮った写真にこだわるのが写真家、同じようで違うと思います。カメラマンは○○という機種が必要ですが写真家は○○という機種と同じように撮れる機種があればそれでもいいからです。カメラにアイデンティティーを強く感じるのがカメラマンカメラにアイデンティティーあまり感じないのが写真家ではないでしょうか。...
「人間だもの、○○するのは◎◎だよ」という言い方はよく使われていますよね。仕方がないとか、無理もないとか、全然構わないとかということでその行為を受け入れる場合に使われることが多いと思います。自分が何かミスをして落ち込んでいる時に言われると少し救われた気になってきます。「人間だもの」…耳に響きのいい言葉ですよね。でもその言葉に最近ちょっと引っかかっています。「人間だもの」というのには「人間とは何か」が分...
時代に逆行する気はないのですが1200万画素のカメラを使ってみました。画像の質というのでしょうか私には見極める目がないのですが十分綺麗に写せるように思えました。花や風景なら高画質が必要、ベストだと思いますが街の風景スナップにはこれくらいでも個人的には全然OKですね。私の興味は3次元の空間である街の光景が2次元の平面画像ではどうなるかなのです。必要以上に美化したりしないほうがいいと思っています。かと言って街...
自分でも意味不明なのですが「年の暮れだから久しぶりに超望遠ででも撮ってみようかな」ということでいつもの公園にいつもと違うカメラで撮影に出かけました。公園に着いて指にイッパイ絆創膏した手でカッコ付けて撮ろうとしたもののズームの望遠側の扱いが上手くできません。「えっ、えっ、ピント合えへん!」と難儀しました。カメラが古い機種(Canon PowerShot SX50HS)やから・・・と自分の操作が下手なのをカメラに責任転嫁し...
寒さもマシだったうえ、快晴だったので人手がすごかったですね。大きな広場が出来ていました。最近にしては撮影カット数は少なかったのですが撮っている写真は相変わらずと言えば相変らず・・・ですね。...