「文句ある?」と言われた時、3つの反応が思い浮かびます。一つ目は「いいえ、納得で、何も言うことありません」です。二つ目は「はい、自分はこう思います」です。そして三つめが「何となく違和感があるけれど、今の自分には言葉に出来ない」です。議論のための議論では水の掛け合いになるので夏などにはいいにしても、一年中というわけにはいきません。やはり、お互いの実感からの議論が必要ではないでしょうか。写真でもいろい...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
かつて、カメラのファインダーのピント合わせやオートフォーカスの測距点は、画面の真ん中にありました。そのことは何を意味するのでしょうか?人は写真を撮ろうとする時、何も考えないと、無意識に撮りたいものを画面の真ん中に持ってきますよね。当然と言えば当然だと思います。画面の隅っこに小さく撮ろうとはふつうは、しないです。そうなんです。「日の丸構図」は写真撮影の原点と言えます。「日の丸構図」については、いろい...
当たり前にあることは話題になりません。当たり前には古さが付きまとうからです。人は新鮮さを求めます。写真も新鮮さが楽しませてくれます。新しいカメラ、新しいレンズ、新しい被写体・・・でも、新しいには時間という非情なヤツがやってきます。新鮮さというラベルを剥がすのです。見慣れた光景・・・退屈です。写真に撮って、新鮮な光景に変身させたとしてもやがて飽きてくるのです。写真を続けるには「当たり前」を「当たり前...
主張には根拠が必要と言われています。自分の言いたいことは主観的なのでそれを裏付ける客観的で正当な理由が要るのですね。写真も「こう撮れ!」みたいなことが言われます。どうしてかと訊くと「なぜならみんな(多くの人)が、いい写真と言ってくれるから」のような返答が帰ってきます。少し理屈ぽくなるのですがある根拠にはその根拠を支える別の根拠が必要ではないでしょうか。そのことは堂々巡りを意味しています。正論が複数...
用事で出かけたついでに「新石切駅」周辺と「石切さん(石切神社)」周辺で撮影してきました。お天気で暑かったので意識を失う前に帰ってきました。...
ChatGPTに「さん」を付けることってあるんですね。対話型なのでそうなのでしょうか。いずれ人格みたいなものを備えることを見越しているのでしょう。近い未来、相談するのにいちばん信頼のおけるのがChatGPTになるのかもしれません。自分の写真作品の評価を尋ねたりも出来るですね。フォトコンテストの審査員に選ばれることもありそうです。そうなると、自分の応募した自信作が落選したら憤懣の向けようはなくなるのです。フォトコ...
写真展などでキャプションとステートメントと言う言葉が使われます。どちらも文章なのですが詩なども使われるようですがとても簡単に整理してみました。キャプションは説明文です。それで客観的に分かりやすく書く必要があります。作品の理解を助けるために書かれるのですから難解な文章はNGです。いっぽう、ステートメントは声明文です。それは意思表示であり主観的なモノです。自分の写真観みたいなモノを今回の作品で反映させた...
私は多感、と言うより冷や汗の多い「多汗」な時代に写真を始めたので、どうしてもそのころのことが基準になります。デジタルの時代になったのにフィルムの時代の考え方から抜けられません。一時は「デジタルもフィルムも写真には変わらへん」と思っていました。でも、最近はデジタルとフィルムは明らかに違う、別のものではないかなと思い始めています。ただ、自分自身はこれまでのような写真を撮り続けると思っています。...
写真はボケやX構図で遠近感を出せますよね。絵画では遠近法と言うようです。写真は平面の画像なので実際には目から等距離にあります。それを前後に感じるのですから人間の目っていい加減なんやなと思います。...
「散歩」とは辞書的には気晴らしや健康のためにブラブラ歩くことと説明されています。でも、本来は特に理由などなくただ歩きたいからするもののように思います。季節や時間帯や天候などや距離・歩数は関係ないのです。まあ台風や大雨の時は向いていないと思いますが。数百メートルでも散歩は散歩です。嫌になったら止めればいいのですから。健康のためとか、1万歩歩くことが目標とかは散歩が手段になっている気がします。私の写真...
最近のことはよく知らないのですがアルバムというのを、紙のプリントで残している人ってどれくらいいるのでしょうか。スマホやネットのストレージのケースが多いのかもしれません。上手く整理しておけば、紙のアルバムみたいに、かさばらないですよね。でも、ネットだと思い出が宙ぶらりんのように感じます。紙のほうが、思い出がそこにいてくれるように感じるのですが今は、そんなことはない時代になったのでしょうね。...
通りすがりの○△□240517・a dramatic fine day of May 3
森山大道さんたちが発表していたアレブレボケ写真のようなカットが、国鉄(今のJR)の観光キャンペーン「ディスカバー・ジャパン(DISCOVER JAPAN)」に使われたのは、アレブレボケには旅情を誘うところがあったからではないでしょうか。森山さんには中平卓馬という写真仲間がいて、同じようなアレブレボケ写真を撮っていました。中平さんはアレブレボケ写真が観光キャンペーンに使われてからはアレブレボケ写真から離れ、写真を図...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 12
撮影カットをレタッチでトリミングするとデザイン的な写真になるような気がします。...
私自身、いまだによく分かっていないのですが写真は現実をそのままそっくりに捉えることではなく写真という、もう一つの現実を捉える手段のように考えたほうがいいのでは?と思っています。もう一つの現実、つまり再現とか、表現とかいう言葉とは違う写真が捉え得る何か、リアリティーみたいなことではないのかなと思うのです。「いわゆる現実」とは違う「もう一つの現実」を捉えることが出来るのが写真というメディアのように思い...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 11
観光などで初めての場所に行くと見るものすべてが新鮮に映りますよね。それで写真を撮ると興奮状態ですからいわゆる撮らされている結果になりあまりいい写真は撮れないよという意見があります。宿泊できるのなら初日はカメラを持たずにブラブラ歩いて、自分の目でチェックしてゆくようにしましょうと言われています。そうすると2日目にカメラを持って出かけることで冷静に観光地を見れるのでいい写真に結びつくということですね。...
通りすがりの○△□240517・a dramatic fine day of May 2
時々「ローアングル」と「ローポジション」が混同されていることがあり、気になっています。地面近く、低いところでまっすぐ水平方向に撮るのは「ローポジション」での撮影なんですね。よく言われる「子供目線」とか「ペット目線」は「ローポジション」のことだと思います。いっぽう、下から上方向にに撮るのが「ローアングル」での撮影です。ビルの屋上で、真上に旋回するヘリコプターに向かって撮るのが「ローアングル」での撮影...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 10
ウジェーヌ・アジェという写真家がいます。写真史では必ずと言っていいほど出てくる人です。画家になりたくてパリに出てきたのですが、画家ではなく写真家として「美術家のための資料」にとパリの街を撮り集めることで生活の糧にしました。生活は恵まれなかったみたいで死ぬまでパンと砂糖とミルクを常食としていたというカッコいい写真家だったと思います。アジェには他人事だからそんなふうに言えるんだと怒られるかもしれません...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 9
表現というのは自分が中心になると思うのですがコミュニケーションというのは相手が中心になると思います。そのため表現は相手に届かないことも受け入れる必要がありますがコミュニケーションは相手に届かないと成立しないものなんですね。写真のSNSなどを見ているとそのことが混同されている気がします。「繋がる」という言葉が使われますが表現を意識しているのかコミュニケーションを意識しているのかあいまいな気がするのです...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 8
写真の投稿だけです。...
道頓堀にも撮影に行きましたが「ここ、日本?」なんて思えてくるのです。来るごとに。まるで自分が異邦人みたいな感じがします。まあ異邦人というのはカッコつけすぎでよそ者、場違いな人とということですね。いつも「お邪魔しました」とサッサと立ち去るのでした。...
行ってきました。...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 7
フィルム写真が人気というよりフィルムカメラが人気なんでしょうね。古さがもたらすノスタルジーというより古さがもたらす新しさが魅力なのではないでしょうか。言葉としては変なのですが人は「変」が好きなのだと思います。...
5月も終わりかけになりいつもの公園はいろいろな花が咲いていてとてもカラフルでした。私も負けずに「オレも、カラフルやなあ」と思ったのです。ただ、空っぽで、振っても、中身が何の音もしない「空、振る」なのが、私の写真ということのようです。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 5
写真でポイントになるのは「どこから撮るか」なんですね。それと比べると「どんなカメラやレンズで撮るか」とか「どんな被写体を撮るか」とか「どう撮るか」は二の次になってくると思います。「どこから撮るか」はカメラマンの立ち位置のことですから先ず「立場」をハッキリさせる必要があると思います。...
通りすがりの○△□240517・a dramatic fine day of May 1
ある時、「写真が好きですでは、まだまだダメだ」と言われました。それはまだ自分が写真より優位に立っていると思っているから、そう言えるのだそうです。写真に憑りつかれて、初めて写真家になれるのであってそれは自分ではどうしようもないことだったのです。なりたいと思ってなるものではなくなりたくなくてもなってしまうもの・・・それが写真家というもののようです。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 4
久しぶりの中之島公園です。自宅から少し遠いですが、徒歩圏の公園もよく撮っているのでそことの違いを見つけたいのですが写真にすると同じようになりそうで、緑の扱いが難しいですね。草木などの緑は画面の印象を強く左右しますが緑のお世話ばかりになるのも、どうかなと思うのです。...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 10
昨日は友達と会うために朝から夕暮れまで出かけていました。会う前と別れた後、大阪城公園とその周辺を撮影してきました。夕方の大阪城公園はよかったですね。上手く撮れたかどうか・・・考えないことにしています。...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 9
人混みは苦手なのですが、人出無しも嫌な私です。先週の日曜日に「日本橋ストリートフェスタ」があったのですが出かけようか、止めようかで迷っていました。動画を見ると、ものすごい人出だったんですね。まあ、出かけなくてよかったようです。...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 6
「自分が好きなモノを撮りましょう」と言われます。それはそうですよねと思うのですが、何か引っかかるのです。「自分の好き」には、すでに「誰かの好き」が入り込んでいるように思うのです。自分が本当に好きなのか、微妙です。好きだと思い込んでいるだけではないか・・・などと思うと、「自分の好き」に自信がなくなってくるのです。それに食べもので言うと自分が嫌いなものを食べて病気になることってあまりないと思うのです。...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 8
歳のせいでしょうか、最近は写真を撮るのが億劫になっています。撮りたいというより、撮るのがメンドクサイのですがそれなら撮らなければいいというのでもないんですよね。別に撮らなくてもいいのなら逆に撮ったほうがいいのかもと思ったりするのです。まあ、人の写真を使って作品化する以外は自分で写真は撮らなければ始まらないメディアです。マネーレスにパワーレスのカメ爺ですがカメラとタイムはあるので、撮影に出かけようと...
写真の投稿だけです。...
撮影してきました。...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 7
上手い写真を撮る人は「いい写真」を撮れる人だと思っていました。でも写真をやっていると「いい写真」というのが曖昧で、よく分からなくなってきます。ある人が「いい写真」というのが自分には「いい写真」には見えないことがあるからです。もちろん自分に写真を見る目がないからとも言えるのですがかと言って自分に写真を見る目が出来るのはいつのことになるやら分かりません。それで思うようになりました。自分がこの人ならと思...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 6
かつて、いいえ最近まで「森山大道、スゴイ!」と思ってきました。写真を始めた若いころなんて、ほぼ神格化していましたね。でも森山さん、有名になるにつれ、「ん?」と思うようになってきました。スゴイことは変わりませんが。当たり前です。自分と比べたら病院行きを勧められるでしょうね。ただ、森山さんの写真ってデザイン的なんだなあと感じるようになったのです。「写真よさようなら」という写真集がありますが「デザインよ...
写真の投稿だけです。...
写真はストーリーと言われます。物語りです。でも「何が」語るのでしょうか。たいていは、自分から語ることのできない被写体ではなく写真を撮った人が語る物語なんですね。ほとんどはその人の「自分語り」ではないでしょうか。被写体自身に語らせるのは至難の業だと思います。...
写真撮影は基本的にはシャッターを押すことの繰り返しという単調な作業です。そのため変化を求めて被写体探しに明け暮れることになりやすいのです。でも、被写体探しは目新しさの発見のためだとしても、疲れてくるのではないでしょうか。「誰にも撮れない写真」=「誰もが知らない被写体の写った写真」ではありません。陳腐な被写体でもいいのです。ありきたりの被写体を同じように撮りながらも、ちょっとした違いを見つけること、...
「多様性」が言われています。簡単に言うといろんなあり方のことですよね。そのいろんなあり方が、気のせいかバラバラにしてゆくようにも感じます。写真も「多様性」の時代だと思うのですがバラバラになりながら「一様性」に向かっている気もします。でもたぶん、私が時代が見えていないせいだと思います。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 3
「絶景写真」というように「絶景」という言葉があります。「他にはない素晴らしい景色」みたいな意味です。ただ、「他にはない」というのはとてもあいまいな基準ですよね。何を持って「他にはない」と言うかです。ある人にとっての「絶景」が他の人にとっては「絶景」ではないということがあり得ます。結局、「絶景」というものはなくて「絶景」と名づけられた景色が存在するだけなんですね。「絶景」という言葉を被せることで「絶...
写真の撮り方の本や動画には間違いが多いという指摘があります。ただどこがどう間違っているのか詳しいことが分からないんですね。そんなにたくさん読んだり見たわけではないのですが間違っているようなところは見当たらなかったのです。動画などは、少しタイトルがオーバーでは?と思うことはありますがキャッチーなコピーも必要なのだろうと思っています。購読者にしろ視聴者にしろ、不特定多数ですから説明の仕方は難しいと思い...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 5
「いい写真」という言い方があります。私もよく使いますが、他に言葉が見つからないのでとりあえず使っています。SNSなどで見るとたいてい「私にとっていい写真」なんですね。失礼な言い方になりますがちょっと自閉的な響きがします。それが悪いことではないと思いますが出来れば「不特定多数にとっていい写真はなんだろう」と考えれるようになれれば、もっと広がってゆくのではないでしょうか。「私」の中心へと向かうのではなく...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 5
カメラには適切な距離があると言います。特に撮られるのが人の場合はあまり近づかないようにというアドバイスするプロもいるんですね。カメラはある程度離れないと人にストレスを与えるからだそうです。でもカメラというのは、自分に近づいて来られなくても距離に関係なくカメラを向けられること自体がストレスなのではないでしょうか。カメラは被写体を一瞬の、さらに平面の姿に固定してしまいます。それはあらゆる被写体を「モノ...
写真は撮影時に、ある意味では終わっている、決定されているのではないでしょうか。撮影50+レタッチ50=100と捉えるより撮影100とレタッチ100のように別のものと考えたほうが撮影そのものが面白くなって来ると思うのです。写真を料理に例えられることがあります。私もそのように考えていましたが撮影は素材集めではないように思うようになりました。撮影を昆虫採集のように、コレクションすることのように考えるのは被写体に失礼...
「ボキャブラリー以上の写真は撮れない」のだそうです。自分の知っている言葉以上の写真は撮れないということだと思います。でもそのことはいかに人間のまなざしが言葉に規制されているかをよく表しているように思います。たしかに、自らが知っていること以上のアウトプットはできません。そのためには「出来るだけ多くの体験と経験をストックしておくべきだ」ということなんですね。他のアート、音楽、文学、絵画、映画などにも目...
通りすがりの○△□240425・いつものことだか いつものことだけど 2
写真の投稿だけです。...
写真は出来るだけ大きなサイズで見たほうがいいと思っています。スマホの画面は写真を見るにはあまり適切ではない気がするのです。高画質になったのに小さい画面で見るのが中心になるのはもったいないように思います。スマホの画面は写真の仮押さえに思ったほうがいいのではないでしょうか。写真は小さく写ったものが面白かったりするのですから。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 1
ある面ではカメラの目のほうがものをよく見ているので人間の目より信頼できるところがあります。人間不信と受け取るかカメラの目を楽しむか・・・微妙です。そのカメラの目をどう生かすかが写真家、つまり写真する人に問われている気がします。 ...
ぶらり撮影してきました。宙ぶらりんな撮影でした。安定感のある写真が撮りたいです。...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 4
リアルというのは本物、実物のそれとそっくりのことでその代表が写真ですよね。でも、実物は立体ですから、平面の写真はそっくりにそっくりにするしかできないのではないでしょうか。きれいに鮮明になるほどそっくりリアルに見えてくるというより本来は別物、仮の姿であるべき写真のほうがカッコよくて本物に見えてくるという・・・実物に失礼なリアルのように思います。写真がリアルになるほど実物はウソっぽくなってゆくというそ...
以前は名前の知られている写真家というのはみなさん「いい人」だと思っていました。今はSNSなどでそのような写真家さんをいろいろと知ることが出来ますよね。それでお二人ほどSNSで知った、人気のある写真家さんの書いた本を買って読んでみました。ザっと読んだだけなのですが正直なところ「どーして人気なの?」です。どちらも初心者向けなのですがちょっとなれなれしくて、友達に話しているようだったり、生き方論のような、説教...
久しぶりにカメラ雑誌を買いました。やっぱり紙で写真を見るのはいいですね。「そこにたしかに写真がある」と感じて安心できるのです。でも残念なことが。税込みで4年前より100円値上がりです。それは仕方ないと思うのですが40ページも減っていました。なんだか世の中、貧しくなってゆくことを象徴するようで今の外の天気のようにドンよりしたのでした。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
〇今、所有しているカメラに自分を合わせるようにしてその機能・性能で撮れる写真は何かを考えるこ〇撮影時を優先し、重視するようにして撮った写真にはできるだけ手を加えないようにすること〇「写真」と「デジタル画像」は区別するためにその違いを見分けることが出来るようになること〇「好き」では被写体の対象範囲が狭いので「気になる」で被写体の対象範囲を広げるようにすること〇撮影時は「構図」より「フレーミング」を意...
写真の投稿だけです。...
行ってきました。...
あるところで「三分割構図で撮りましょうと教えている人は何を根拠にしているのでしょうか?」と書かれていました。読んでいくと「三分割構図」で撮ったらダメだそうです。私は写真も平面の表現なので、構図という考え方は必然的なモノだと思っています。構図抜きに写真画像は成立しません。その中の代表的なのが「三分割構図」ですよね。個人的には「日の丸構図」と「三分割構図」がベースだと思っています。「三分割構図」で撮っ...
人のことは言えないし、そんなにたくさん見ているわけでもないのですがネットで見る写真が、とても同じように見えてくるのです。被写体や、カメラや、性別、年齢などが違ってもさらに言えば、プロとアマと違っても写真、作品と言ってもいいのですが同じような感じを受けています。もちろん、私に写真を見る目がないことが大きいのですがそれでも、時代的なことなのかなあと思ったりしています。みなさん、上手くなりすぎたのではな...
この公園はもう何回も来ているので同じような写真ばかり撮っています。もっと他の撮り方もあると思うのですが私には思いつきません。それでも少しだけは違うカットを撮れるところが面白いと思っています。写真は目新しさの発見の驚きではなくて陳腐さの確認の退屈さの中に面白さを感じてもいいのかもしれませんね。...
「カメラは、撮る人を写している」という言い方があります。確かに写真にはその写真を撮った人の操作が反映されています。作為というのでしょうか、私がこのように撮りましたよということですね。「このように」に影響するのが被写体との関係です。好意的に見ているか、少し引き気味に見ているか・・・そんなことです。人物の場合は特にそうですよね。でも、「カメラは、撮る人を写している」というのは自分のことにこだわった自閉...
いつもの公園の桜は終わりを迎えていました。桜は集団で咲き誇るのでとても撮りにくい被写体の一つですよね。集団での協調性に欠けるカメ爺には合わないのでしょうか。曇天に散りゆく桜・・・暗い春に絶叫cryしたら「五月蝿い!」と、まだ四月なのに叱られました。...
写真はカメラの前の被写体を写すものと言えば当たり前のことを言っているみたいですよね。でも実際は、「私が・・・私が・・・私が・・・」とカメラと被写体の間に立ちふさがろうとして被写体ではなく「私」を写そうとしているのではないでしょうか。「カメラは、撮る人を写している」と言われたりします。撮る人である「私」と被写体の関係性が反映されるという意味だと思うのですが、結局は「私」にこだわっているのだと思います...
数字ほど無責任なものはないと思います。ン十万円のカメラが、いい写真を約束してくれるわけではないと言ったら嫌みでしょうか。ン千万画素の画質と、いい写真とは直接には関係ないのではと言ったら嫌みでしょうか。写真とは違いますが、テレビドラマの視聴率も人気のバロメーターであって、ドラマの質とは結びつかない気もします。人気も数字も無責任なのです。数字は無味・無臭で、蜃気楼みたいなものではないでしょうか。写真に...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 4
「写真」は英語で「photograph」ですが一般的には「光で描いた絵」と言われています。「絵」より「画」だと思うのですがそれより気になっていることがあります。「光で描いた絵」でがなく「光が描いた絵」ではないかなと。「光で描いた絵」はカメラマンつまり人間が主語ですが「光が描いた絵」で主語は光なのです。カメラマンにできることは光が描こうとする画の邪魔をしないことなのですがカメラマンの我が邪魔をして歪めてしまっ...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 3
「ヘタだけどいい写真を撮れればいいんですよ」そんなセリフをネットでよく見かけます。私も以前にはよく書いていたと思います。でも最近は少し反省しているのです。よく考えるとこの言い方は少し上から目線ではないのかな、と。「ヘタでもいいんですよ」と言われた相手を油断させて仲間に入ってもらおうという、情けない魂胆に気づいたのでした。すみませんでした。素直がいちばんです。「上手くていい写真」を目指せばいいのです...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 2
「自分が好きなものを好きなように撮りなさい」、アドバイスというのでしょうかそのようなフレーズをみかけました。ン?そのまま聞き流すと分かった気になるのですが立ちどまって改めて考えると、どうも「ン?」なのです。「自分が好きなものを好きなように食べなさい」、そんなように言われているのと同じではないかな、と。アマチュアが知りたいのは「自分が好きなものを好きなように撮るにはどうしたらいいのか」ではないでしょ...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 1
小手先のテクニックではダメだと言われたりします。このように言われるとテクニックを軽く見てしまいそうになります。でもカメラという機械を操作するのですからテクニックは必要ですよね。小手先でもないよりはずっとマシなのです。小手先のテクニックだけが目立つのがマズいだけなんですね。それに「小手先の」という言い方は少し嫌みに聞こえます。単に「テクニックばかりを追いかけないほうがいいですよ」でいいのではないでし...
小手先のテクニックではダメだと言われることがあります。このように言われるとテクニックを軽く見てしまいそうになります。でもカメラという機械を操作するのですからテクニックは必要ですよね。小手先でもないよりはずっとマシなのです。小手先のテクニックだけが目立つのがマズいだけなんですね。それに「小手先の」という言い方は少し嫌みに聞こえます。単に「テクニックばかりを追いかけないほうがいいですよ」でいいのではな...
人の写真を出来るだけたくさん見たほうがいいと思っています。写真を見ることは写真を撮ることでもあるんですね。そうすることで自分を人間カメラにしてゆくのです。カメラマンではなくマンカメラになって始めていい写真が撮れるようになる気がしています。自分を機械のように出来るかどうかということですがそう簡単ではないことは言うまでもありません。私が・・・私が・・・私が・・・だから逆説ですが徹底的に「私」にこだわっ...
写真の投稿だけです。...
説明するために写真を撮るのではなく説明しなくてもいいように写真を撮るのです。写真に言葉を添えるのは説明するためではなく写真の中へ見る人をいざなうためです。言葉で理解してもらうのではなく写真そのものとして受け入れてもらうためにです。説明すると見た人は分かった気になって気持ちとしては写真から去ってゆくと思います。写真を置いてきぼりにして。...
主観と客観という言葉がありますよね。とても簡単にですが写真にあてはめてみました。主観=写真家の思い、感情、客観=カメラが写した事物・・・です。これがどうしてもズレてくるんですね。そして悩んだりガッカリします。大切な写真の場合はそうなるのは仕方がないのですが楽しみのための写真ならそのズレを楽しんでもいいのではと思います。思うように撮れなかったと、切り捨てようとするカットの中にもしかすると「いい写真」...
撮影してきました。...
今のデジカメはものすごい機能が満載ですよね。そこで気になっていることがあります。ふつうの順番としては、自分が撮りたいものがあってその機能のある機種を見つけて使うと思うのです。被写体⇒カメラです。でも、その機能のすごさを証明するためにそれに合った被写体をさがす・・・そんなこともあるように思います。カメラ⇒被写体です。勘違いかもしれませんが、そんなことが気になるところが写真というメディアの特殊なところだ...
久しぶりに電車に乗りました。久しぶりにたくさんの生の人を見ました。ただマスクの人が多かったので、表情はアウトフォーカスでした。コロナ禍でシャイな人が増えたのでしょうか。それはそうと暖かくなってきたのは喜びです。ただ、写真を撮り歩いて帰ると足が「アタ、タ、タ」となるのが悲しみです。...
用事で布施へ出かけたついでに近鉄布施駅周辺で撮影してきました。「ついでに写真」が好きなんですね。...
写真は「違う!」ということが大切だと持っています。違うというのは否定することではありません。在るものを否定することなんてできません。プライベートな違和感みたいなものに気づくということなんですね。「何かが違う」写真はシャッターを押すという、一見肯定することをしないと撮れないですがそれは物理的なことであって、違和感を受け入れることではないのです。単に受け止めるだけでも写真は撮れるのですから。よく「好き...
「自分が見せたい物がちゃんと見えれば、他は黒くつぶれたり白飛びしていてもいい」という意見があるんですね。主役というのでしょうか、それが分かれば脇役や背景はちゃんと見えなくなってもいいということだと思います。主役が黒くつぶれたり白飛びしていてもいいというわけではないですよね。個人的にはいい写真にはいい脇役が写っていると思っています。それが何か、自分で判断するのが難しいので出来るだけトーンは飛ばしたり...
理屈の上では光の反射率0%が黒です。反射率100%が白です。ということは反射率50%のグレーが中間、つまり標準の反射率になりますよね。でも現実の世界(自然界?)は光の反射率は3%~96%なのだそうです。真っ黒はなくて限りなく黒に近いグレーなのです。真っ白はなくて限りなく白に近いグレーなのです。反射率3%から倍々にしてみます。3%→6%→12%→24%→48%→96%こうすると12%→24%の中間は18%になりこれが写真の教科書な...
人はもともとワンパターンな存在だと思います。だからその人と安心して付き合えるのです。会うごとにその人が別人格だったら大変です。二重人格、いえ多重人格だったらその人と付き合おうとしたらおそらく気が変になるでしょうね。写真も表現として付き合おうとする時、ワンパターンでもいいのではないでしょうか。器用にいろいろな表現ができる写真家もいますが器用さだけが写真表現に求められているとは思えません。器用に見える...
「伝える」とか「伝わる」とかそのような文言をよく見ますよね。コミュニケーションが気になる時代なのでしょうか。それだけコミュニケーションにズレが、ギクシャクがあるのかもしれません。上手く行っていたら話題にならないのですから。だからテクニックを学ぶ必要が生まれるのだと思います。でもコミュニケーションって相手次第なんですよね。まずどんな相手かによって変わってきます。たぶんテクニック化出来ないのではないで...
むかし、写真の先輩から「ネコや子供の写真を撮っていてはダメだよ」と言われました。もちろん、家族を撮ったファミリー写真や家族同然の人がったワンちゃんやニャンちゃんの写真のことではありません。ネコや子供の写真はほとんど誰でも好意的に見ますから被写体に依存してしまうからです。あくまでスナップ写真として見せるなら極力、ネコや子供は撮らないようにしようと固く、固く心に決めたのです。そして今、あの決心はどこへ...
写真の撮り方の本などでは「画面がゴチャゴチャしていると伝わりにくいのでちゃんと整理して撮りましょう」とよく書かれていたりします。たしかに正論だと思うのですが最近になって「整理」というのは少し違うのではと思うようになりました。「そこ」は既に「そうである」訳ですから、仮に人間側から見てゴチャゴチャしていても「そこ」は「そうである」ことに落ち着いているのです。ゴチャゴチャがあるからこそ「そこ」なのではな...
私はマイペースで写真をやっているし、周りに写真をやっている人もいません。それで最近の写真の傾向などの情報は主にネットや雑誌を見て得ています。ただ、インスタとかはあまり見ないですね。ネットはブログ関係が性に合っています。カメラ雑誌の入選作品を見て気になっていることがあります。作品の傾向が似通っているんですね。カメラや被写体に影響されるのが写真ですから当然なのかもしれません。ただ、フィルム写真の時代は...
ガーリーフォトからファミリーフォトへ。自分繋がり関係写真。私の周り重点関心写真。私の好き写真。私の楽しいこと至上写真。そして・・・私の家族、見て見て写真。かつては自分の家のことをわざわざ写真に撮って知り合い以外の人には見せなかったような気が・・・私、私、私・・・「私」は大忙し。...
みんな同じ顔に見えます。眼医者さんに行ったほうがいいかもしれません。...
人の写真を褒めるのは、時には上から目線のようになることもあると思います。褒められればうれしいのですが理由も言わずにやたら褒められると逆に居心地悪くなったりします。本当に?いいと思ってくれているの?人の写真をけなすのは相手のほうが上だと感じているからのせいもあると思います。自分負い目を悪口でごまかしているのですが理由もなくけなしているのは自分の劣等感からきているのです。本当のところは、いい写真だと認...
通りすがりの○△□240210・いつものことだから いつものことだけど 2
人間の悲しみ。それは、目に見えるものしか見えないということ。もう一つの目は想像力だと思うのだけれど適切に想像してみるのはとても困難。たいていは実像からかなり離れた妄想がほとんどだと思う。その妄想が大半の人たちで共通している。それをみんなは常識と呼んでいて、だからなんとか世の中は動くことが出きている。そもそも人間の目自体にバイアスがかかっているのだからゴチャゴチャが絶えないのは仕方がないのかもしれな...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 3
まあいろいろあるけれど世の中、少しずつ良くなっていっているという意見もありますよね。そのまま受け取ると、マイナスが減ってゆき、プラスが増えてゆくことですから後から生まれる人が得ということ?になると思います。たしかに、どんどん世の中、便利になっています。昭和から見たらSFの世界が目の前に広がっています。でも、街なかで、テレビで、ネットで見る人の表情、マスクしているとよく見えないので、思い違いかもしれま...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 2
かつて、いいえ最近まで「森山大道スゴイ!」と思ってきました。写真を始めた若いころなんて、ほぼ神格化していましたね。でも森山さん、有名になるにつれ、「ん?」と思うようになってきました。スゴイことは変わりませんが。当たり前です。自分と比べたら病院行きを勧められるでしょうね。ただ、森山さんの写真ってデザイン的なんだなあと感じるようになったのです。「写真よさようなら」という写真集がありますが「デザインよこ...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 1
写真に「正解」はないと言いいながら写真について「勘違い」していることがあると言う意見がありました。でも「正解」はないのだから「誤解」もないのでは?と思ったのです。あるのは写真ついてのひとりひとりの「解」だけだと思うのです。正解がないところが写真の面白さなのですからひとりひとりの解=撮った写真が違っていいのだと思います。あとは、その「写真」を自分を含めて、人がどう思うかなのですがその「写真」はニッコ...
写真はたくさん撮れば撮るほど撮り足りなく感じるところがあります。たぶん写真という胃袋は容量無制限なのだと思います。それが写真にとって健康にいいのかはよく分かりません。アートは体の健康とは別のところにあるのでしょうか。健康を気にし過ぎるのも不健康な気もしますが。...
カッコつけた言い方になりますが世の中、そもそも何か分かっていないことだらけではないでしょうか。「健康」、「幸せ」など分かったようでよく分からないのですが、何よりも「人間そのもの」について、誰も分かっていないのだと思います。「たぶん、こうだろう」ということでホントは分かっていないのに事を進めるしかないのです。「そういうことにして」進んでゆく世の中が混乱するのは当たり前のように思います。アートや写真に...
撮影しました。...
「カメラは撮った人も写している」という言い方があるんですね。それに対して「カメラはレンズの後ろにいるカメラマンは写らないでしょ?」と言うのは野暮なんですね。その写真を撮った人の工夫の跡や、上手く伝わらせようとする努力の気配が写真から感じられると言うことなのですから。それでも、撮影の事情の分からない人にはその写真を撮った人がいることしか伝わらないのも事実だと思います。写真は誰が撮ったかではなく誰がそ...
人は勘違いする生き物だと思うのですが、今回はらしくないことを書きます。たとえば幸福とは「なるもの」と思っていますよね。その「なる」は「成る」ですから「カタチ」ができます。そのためその「カタチ」を維持しようとします。でもそれは反幸福ではないでしょうか。「カタチ」の無くなることの不安が付きまとうからです。幸福は人の思いで成るものではないのかもしれません。人の思いとは関係なく、気が付いたらここに居るので...
主人公が五感を失ってゆくテレビドラマがあります。味覚、嗅覚と失い、現在は触覚を失っています。でも、物を掴んだりはできているんですね。そのあたりは考察して描かれていると思うので「そうなんだ」と思って見ています。そもそもそんなこと想像したくないです。五感のうちで触覚がいちばん世界との接触で大切だろうと思うのです。それでいちばん最後に失うのが触覚だと思っていましたがちょうど真ん中の3番目でしたね。残され...
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「文句ある?」と言われた時、3つの反応が思い浮かびます。一つ目は「いいえ、納得で、何も言うことありません」です。二つ目は「はい、自分はこう思います」です。そして三つめが「何となく違和感があるけれど、今の自分には言葉に出来ない」です。議論のための議論では水の掛け合いになるので夏などにはいいにしても、一年中というわけにはいきません。やはり、お互いの実感からの議論が必要ではないでしょうか。写真でもいろい...
写真ではよく「思いを伝える」と言われています。ではこの「思い」とは何を指すのでしょうか?大きくは次の2つに分けられると思います。①「思い」は「感情」のことです。コミュニケーションを重視します。コミュニケーションの対象はふつうは身の回りの人たちですがSNSなどを通じて不特定多数の人たちのことも多くなりました。時には自分のこともあります。思い出の瞬間の感情をより鮮明に自分に伝えてくれるからです。言葉はその...
20代に突入したころ、写真を始めました。それから半世紀以上経ったのですが、飽き性の自分がよく続けられたなと思っています。そんな私ですが、30代の半ばごろに突然、「モノクロはもう辞めた」とカラーに切り替えました。そんな日々を、年齢的に無理して首筋を傷めない程度に振り返ってみると20代、30代にも自分なりに「いい写真」は撮れていたと思います。あくまで自分基準の「いい写真」ですが「あの頃のほうが、いい写真を撮れ...
写真史としての名作は一定の評価はされているのですが今、有名な写真家にしても登場当初というのでしょうか初めて作品として写真を発表した時には酷評された人もいたのです。写真の世界の価値観みたいなものは時代とともに変わってゆきます。写真の世界に吹く、世間の風は気まぐれなのです。その時代の気分次第で、ヨイショされたり、ブーイングされたり・・・世間というのは怪物みたいなものではないでしょうか。...
自分の「好き」を撮りましょうと言われています。でも、自分の「好き」に疑問を投げかけるのが写真だと思うのです。自分の「好き」にケチをつけることではなくもう一度見直すということなんですね。「好き」と思い込んでいるだけかもとか「好き」と思い込まされているだけかもとか。まあ、いちいちそんなことをやっていたら疲れますからたまにでいいと思いますし、あえてやらなくてもいいとは思いますが・・・。...
写真が難しいのは立体を平面として見ることに慣れていないことも理由の一つだと思います。写真を撮ることには今の時代、スマホなどで小さいころから当たり前に行っているので「写真なんてチョー簡単!」と思ってしまうのですね。フィルムカメラの時代ですら、他のアートから「写真なんてカメラが撮ってくれるんだからいいよね」なんて思われていました。「写真なんて、ラ~ラ~ラ~♪」だったのです。でも、自分でカメラを本格的に...
行ってきました。...
写真をするのに才能は必要なのでしょうか。写真がアートだとしたら音楽や絵画のように才能が必要になって来ます。でも、あえて写真をアートだと思わなくてもいいと思うのです。たしかに、写真のセンスがいいなあと羨ましくなってくる人っていますよね。バズっている写真などを撮っている人たちが思い浮かびます。そうできるのは写真の才能があるからと言えるのですが、バズる写真だけが写真でないことは言わずもがなです。楽しみ方...
撮影しました。...
「暗黙の了解」というのがあります。わざわざ断らなくても通じることですよね。でも、今はそうではなくなってきました。「個人の感想です」ーふつう感想を述べるのは個人だと思うのですが。「CM上の演出です」ーこんなのマネする人がいるの?そして・・・「写真はイメージです」ー写真=実物なんてありえないのに。なんだかメンドクセー世の中になったものですね。...
写真に写っているからホントだろうから写真に写っているからウソかもしれないへ写真にとって激動の時代になったなあと昭和カメ爺はシミジミト思いながらシジミの味噌汁をすするのです。...
昔、正確には大昔、テレビドラマの主題歌に「七つの顔のおじさんのホントの顔はどれでしょう?♪」という歌詞がありました。今考えると、それは七つの顔のどれもホントの顔でもあり、ウソの顔でもあり、ホントかウソかはどちらでもいいことのように聞こえます。それぞれの顔で難題をカッコよく解決して、視聴者をスッキリした気分にしてくれればよかったのですから。まあ、ドラマがどんな内容だったのかは忘却の彼方なのですが、懐...
写真の投稿だけです。...
写真関係のSNSの記事を見ていると、ある言葉をよく見かけるようになり、気になって来ました。「私」関連と言うのでしょか、「私」以外に、「私」「わたし」「僕」「ぼく」「自分」「じぶん」などですね。そのような言葉が目につく記事の特徴は、その人が食べたもの、飲んだもの、家族や友だち、友好な関係の人たちなど、プライベートな写真が多い気がすることです。ふつうSNSは不特定の人たちに向けて発信されるものですから、その...
つくづく写真というのは被写体しだいなんだなあと思います。それでアレブレボケ写真は文句を言われたのです。肝心のどんな被写体が写っているかが分からないことで見る人を落ち着かなくさせました。人は落ち着かないことは嫌ですからイライラしてボヤいたのだと思います。その代表ともいえる森山大道が世界的な写真家になったのですが、それでも写真というのは被写体しだいなのは変わらないと思います。「いい写真」というのは写真...
デジカメが上手に撮れ過ぎてくるとフィルムカメラの上手く撮れなさが魅力的になって来る・・・揺れ動くカメラマンゴコロですが、次はどこへ向かうのでしょうか。下手は嫌ですが、上手くても面白くない・・・人間カメラマン相手にカメラたちも大変だなあと思います。...
最近は嫌々写真を撮っている気がしています。慢性の人生疲労にも悩まされているのですし。それなら辞めておけばいいのですがそういうわけにもいかないところがあるのです。あえて撮らなくてもいいよと言われると、それならともかく撮っておこうということなのです。別に記録とか、何かの役に立つとは思えないのですが撮らないよりは撮っておいたほうがいいようなという、何とも頼りない動機が親指を動かしています。...
天王寺は遠かったです。...
自分の「好き」を撮りましょうと言われています。でも、自分の「好き」に疑問を投げかけるのが写真だと思うのです。自分の「好き」にケチをつけることではなくもう一度見直すということなんですね。まあ、いちいちそんなことをやっていたら疲れますからたまにでいいと思いますし、あえてやらなくてもいいとは思いますが。...
今は犯罪用語みたいになってしまいましたが写真撮影は本質的には「盗撮」だと思っています。それなら「借撮」と言い換えてもいいのですがそんな言葉はないですし、拝借すると言ってもその姿を撮ることは切り取ることには変わりません。今はどうかは分からないのですが写真を撮られると魂を盗まれると怖れた人たちが世界のどこかにいると読んだことがあります。もちろん、われわれから見れば迷信ですが人間としてはとても真っ当な人...
かつて、カメラのファインダーのピント合わせやオートフォーカスの測距点は、画面の真ん中にありました。そのことは何を意味するのでしょうか?人は写真を撮ろうとする時、何も考えないと、無意識に撮りたいものを画面の真ん中に持ってきますよね。当然と言えば当然だと思います。画面の隅っこに小さく撮ろうとはふつうは、しないです。そうなんです。「日の丸構図」は写真撮影の原点と言えます。「日の丸構図」については、いろい...
当たり前にあることは話題になりません。当たり前には古さが付きまとうからです。人は新鮮さを求めます。写真も新鮮さが楽しませてくれます。新しいカメラ、新しいレンズ、新しい被写体・・・でも、新しいには時間という非情なヤツがやってきます。新鮮さというラベルを剥がすのです。見慣れた光景・・・退屈です。写真に撮って、新鮮な光景に変身させたとしてもやがて飽きてくるのです。写真を続けるには「当たり前」を「当たり前...
主張には根拠が必要と言われています。自分の言いたいことは主観的なのでそれを裏付ける客観的で正当な理由が要るのですね。写真も「こう撮れ!」みたいなことが言われます。どうしてかと訊くと「なぜならみんな(多くの人)が、いい写真と言ってくれるから」のような返答が帰ってきます。少し理屈ぽくなるのですがある根拠にはその根拠を支える別の根拠が必要ではないでしょうか。そのことは堂々巡りを意味しています。正論が複数...
用事で出かけたついでに「新石切駅」周辺と「石切さん(石切神社)」周辺で撮影してきました。お天気で暑かったので意識を失う前に帰ってきました。...
ChatGPTに「さん」を付けることってあるんですね。対話型なのでそうなのでしょうか。いずれ人格みたいなものを備えることを見越しているのでしょう。近い未来、相談するのにいちばん信頼のおけるのがChatGPTになるのかもしれません。自分の写真作品の評価を尋ねたりも出来るですね。フォトコンテストの審査員に選ばれることもありそうです。そうなると、自分の応募した自信作が落選したら憤懣の向けようはなくなるのです。フォトコ...
写真展などでキャプションとステートメントと言う言葉が使われます。どちらも文章なのですが詩なども使われるようですがとても簡単に整理してみました。キャプションは説明文です。それで客観的に分かりやすく書く必要があります。作品の理解を助けるために書かれるのですから難解な文章はNGです。いっぽう、ステートメントは声明文です。それは意思表示であり主観的なモノです。自分の写真観みたいなモノを今回の作品で反映させた...
私は多感、と言うより冷や汗の多い「多汗」な時代に写真を始めたので、どうしてもそのころのことが基準になります。デジタルの時代になったのにフィルムの時代の考え方から抜けられません。一時は「デジタルもフィルムも写真には変わらへん」と思っていました。でも、最近はデジタルとフィルムは明らかに違う、別のものではないかなと思い始めています。ただ、自分自身はこれまでのような写真を撮り続けると思っています。...
写真はボケやX構図で遠近感を出せますよね。絵画では遠近法と言うようです。写真は平面の画像なので実際には目から等距離にあります。それを前後に感じるのですから人間の目っていい加減なんやなと思います。...
「散歩」とは辞書的には気晴らしや健康のためにブラブラ歩くことと説明されています。でも、本来は特に理由などなくただ歩きたいからするもののように思います。季節や時間帯や天候などや距離・歩数は関係ないのです。まあ台風や大雨の時は向いていないと思いますが。数百メートルでも散歩は散歩です。嫌になったら止めればいいのですから。健康のためとか、1万歩歩くことが目標とかは散歩が手段になっている気がします。私の写真...
最近のことはよく知らないのですがアルバムというのを、紙のプリントで残している人ってどれくらいいるのでしょうか。スマホやネットのストレージのケースが多いのかもしれません。上手く整理しておけば、紙のアルバムみたいに、かさばらないですよね。でも、ネットだと思い出が宙ぶらりんのように感じます。紙のほうが、思い出がそこにいてくれるように感じるのですが今は、そんなことはない時代になったのでしょうね。...
森山大道さんたちが発表していたアレブレボケ写真のようなカットが、国鉄(今のJR)の観光キャンペーン「ディスカバー・ジャパン(DISCOVER JAPAN)」に使われたのは、アレブレボケには旅情を誘うところがあったからではないでしょうか。森山さんには中平卓馬という写真仲間がいて、同じようなアレブレボケ写真を撮っていました。中平さんはアレブレボケ写真が観光キャンペーンに使われてからはアレブレボケ写真から離れ、写真を図...
撮影カットをレタッチでトリミングするとデザイン的な写真になるような気がします。...
私自身、いまだによく分かっていないのですが写真は現実をそのままそっくりに捉えることではなく写真という、もう一つの現実を捉える手段のように考えたほうがいいのでは?と思っています。もう一つの現実、つまり再現とか、表現とかいう言葉とは違う写真が捉え得る何か、リアリティーみたいなことではないのかなと思うのです。「いわゆる現実」とは違う「もう一つの現実」を捉えることが出来るのが写真というメディアのように思い...
観光などで初めての場所に行くと見るものすべてが新鮮に映りますよね。それで写真を撮ると興奮状態ですからいわゆる撮らされている結果になりあまりいい写真は撮れないよという意見があります。宿泊できるのなら初日はカメラを持たずにブラブラ歩いて、自分の目でチェックしてゆくようにしましょうと言われています。そうすると2日目にカメラを持って出かけることで冷静に観光地を見れるのでいい写真に結びつくということですね。...
時々「ローアングル」と「ローポジション」が混同されていることがあり、気になっています。地面近く、低いところでまっすぐ水平方向に撮るのは「ローポジション」での撮影なんですね。よく言われる「子供目線」とか「ペット目線」は「ローポジション」のことだと思います。いっぽう、下から上方向にに撮るのが「ローアングル」での撮影です。ビルの屋上で、真上に旋回するヘリコプターに向かって撮るのが「ローアングル」での撮影...
ウジェーヌ・アジェという写真家がいます。写真史では必ずと言っていいほど出てくる人です。画家になりたくてパリに出てきたのですが、画家ではなく写真家として「美術家のための資料」にとパリの街を撮り集めることで生活の糧にしました。生活は恵まれなかったみたいで死ぬまでパンと砂糖とミルクを常食としていたというカッコいい写真家だったと思います。アジェには他人事だからそんなふうに言えるんだと怒られるかもしれません...
表現というのは自分が中心になると思うのですがコミュニケーションというのは相手が中心になると思います。そのため表現は相手に届かないことも受け入れる必要がありますがコミュニケーションは相手に届かないと成立しないものなんですね。写真のSNSなどを見ているとそのことが混同されている気がします。「繋がる」という言葉が使われますが表現を意識しているのかコミュニケーションを意識しているのかあいまいな気がするのです...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
道頓堀にも撮影に行きましたが「ここ、日本?」なんて思えてくるのです。来るごとに。まるで自分が異邦人みたいな感じがします。まあ異邦人というのはカッコつけすぎでよそ者、場違いな人とということですね。いつも「お邪魔しました」とサッサと立ち去るのでした。...