カメラ雑誌「フォトコン」に写真家の立木義浩さんが選・評を担当してる「モノクロ作品招待席」というコーナーがあります。ネットの電子書籍で見ていることもあるのかもしれませんが今月号(1月号)で少し気になったことがあります。選ばれた作品のほとんどが黒っぽいんですね。何度か書いてきましたが、最近の傾向なのでしょうか。モニターで見ているからでしょうか。紙上だともう少しディテールが出ているとしても少しツブレてい...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
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何気ない日常...でもそれは「今」しかない大事な瞬間。「わたしがいる場所」を確認する写真日記です。 みなさんの写真ブログを通じて、幸せを、そして生きている喜びを共有しませんか?
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せっかくの人生、楽しいだけじゃなく やっぱり喜怒哀楽があって 刺激があるんじゃないかなぁ〜って思います。 日々の暮らし方、充実した休日の過ごし方、熱中していることなど色々感じたこと、思ったこと、様々な「喜怒哀楽人生」を提供していきましょう!!!
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ジャンル不問!!しゃった〜ちゃんすを見逃すな!! 写真ブログ大歓迎♪ TBじゃんじゃん受け付けます♪
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デジタル一眼レフカメラ に関することなら、どんなことでもOKですので お気軽にトラックバックやコメントしてください。
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カメラの知識や腕なんて... ただただ、好きなものや景色を思い出に。 カメラ在る生活って楽しい!! そんな記事をお待ちしています。
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技術とかそーゆのじゃなくてさ ただ写真が好きなんだよ だから撮る それだけじゃん 写真って だから いいんだよ 上手いとか下手なんてないんだ。。
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デジタルカメラで撮影されている方、気軽にトラバって下さい☆⌒∇⌒)ツ
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カメラ雑誌「フォトコン」に写真家の立木義浩さんが選・評を担当してる「モノクロ作品招待席」というコーナーがあります。ネットの電子書籍で見ていることもあるのかもしれませんが今月号(1月号)で少し気になったことがあります。選ばれた作品のほとんどが黒っぽいんですね。何度か書いてきましたが、最近の傾向なのでしょうか。モニターで見ているからでしょうか。紙上だともう少しディテールが出ているとしても少しツブレてい...
写真の投稿だけです。...
写真撮影には練習はありません。いつだって本番なのです。試し撮りが傑作を生んだりするのですから。気合いの入ったカットが駄作だったりするのですから。ただ、本番だといって緊張しないことも大切ですでも、緊張したほうが練習と思って、だらけるよりはましなのです。...
(昨日の記事を少し編集し直して投稿します)写真撮影では要らないものは画面外へ、どかしましょうと言われます。画面外に出来ないなら、ボカしましょうとも言われます。その言い方って、そこにあるものに対してはけっこう失礼な言い方、不躾な言い方にも聞こえませんか。不要とか、邪魔とか言われても、あるべくしてそこにあるのですから、いるべくしてそこにいるのですから。居たくているわけでもありません。何らかの理由でそこに...
写真撮影では要らないものは画面外へ、どかしましょうと言われます。画面外に出来ないなら、ボカしましょうとも言われます。その言い方って、そこにあるものに対してはけっこう失礼な言い方にも聞こえます。不要とか、邪魔とか言われてもそこにあるのですからあるべくしてそこにいるのですから。でも、今はテレビの画面で街なかにいる人にボカシが入る時代です。その番組ではボカした人は要らないのです。画面の外へどいてもらうわ...
「 カメラは、撮る人を写している」という言葉があります。そうなんです。その写真には、その写真を撮った人しか写っていないのです。被写体は写っていないのです。ーえっ?写っているじゃん!いいえ、見る人には、写っている「ように」見えているだけです。撮った人には、自分の「思い」が見えているだけです。なにしろ「写」す時、思いを「それ(体)」に「被」せたのですから。「私の思い」「私の価値観」「私の好き」というベ...
真実という言葉があります。写真という文字にも真実を写すと書かれています。あの(どの?)少年は「真実はひとつ」と言っています。ところで写真ではストーリー性みたいなことが重宝がられています。それは、撮った人、見た人のストーリーのことです。だとすると年甲斐もなく、あの(どの?)少年に反論したくなるのです。写真は「見る人、見た人の数だけ真実はあるのでは」と。真実とはその人が、その人たちが見たいストーリーの...
輝く、未来、明日、青空、思い、希望、夢、涙、前へ、楽しい、幸せ、ポジティブ・・・歌の番組での字幕でよく目にする言葉です。マナーがよくないのですが、目が欠伸をしています。...
コミュニケーションで必要なこと⇒まず相手をよく知ることと言われていますよね。⇒写真もコミュニケーションについてよく触れられます。⇒そのためには見てほしい相手をよく観察し⇒相手の見たいものを知ること、だと。⇒その上で相手に合わせて分かりやすく撮りましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく仕上げましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく説明しましょう、と。⇒でも、気になることが・・・⇒相手に合わせるっ...
私は読んでいないのですが「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という本で森山(大道)さんは次のようにおっしゃっているそうです。「過去はいつも新しいという謂は、カメラマンであれば当然の日常感覚であり、未来がつねに懐かしいという謂も、きたるべき未知の時間や風景は、いま街角の片隅のそこそこに、予兆となって浮遊しているという日ごろのぼくの実感である。」(森山大道「過去はいつも新しく、未来はつねに懐か...
写真というのはどうでもいいことを撮るほうが面白くなると思っています。「価値!価値!価値!」とカチカチの息苦しい世界から離れて無価値を楽しむというのでしょうか。美しい被写体そのものには写真ではかないません。綺麗な景色は全身で味わうものだと思います。大切なその人は、どうしても写真でしか会えない時以外は本人がそばにいてくれるに越したことはありません。逆に日常を写真に撮ると「非日常感」が出てくることで美化...
SNSで投稿されている写真にはよく、カメラやレンズ名が併記されていますよね。でも、自分は写真の趣味がない人の知りたいのはいつ・どこで撮ったかではないでしょうか。それほど詳しくなくてもいいので「2024年12月、東京・新宿」もしくは「2024年、東京」くらいの明記があるといいなあと思います。...
世の中、ドンドン幼児化して行っているように感じています。写真でいえば、要らないもの、邪魔なものって今は簡単に消せますよね。まあ、嫌だから消しちゃえっということでしょうか。写真に写っているものを消したり、欲しいものを付け加えたり・・・それって、写真?と思うのです。それは写真というより、写真を使った別のもののような気がしますがそう思うのは、もう古い感覚なんでしょう。「そこのおっちゃん、ジャマ、ジャマ、...
あっ、軽い写真は明るい写真に成れるのでしょうか。...
写真を撮影した日は写真脳というのでしょうか、それが一種の興奮状態のように感じています。写真脳というものが医学的にあるかどうかは分かりませんがそのせいで、帰宅してチェックしていると撮った写真の中に傑作があるかも、のように見えたりするものです。当日を過ぎても数日くらいはその興奮状態が続きます。それで、写真選びは1週間以上くらい経ってから行うようにしたほうがいいと思っています。だけど、人によって違うと思...
他に言葉が見つからないので「いい写真」という言い方をしています。でも、とてもあいまいな言葉だと思っています。「いい」なんてコロコロ変わるのですから。ただ「良い写真」という言い方には慣れません。良い⇒悪いを連想するからでしょうか。「悪い写真」って何だろうと思うのです。「悪い写真」の中にも「いい写真」があるように思います。「良い写真」の中にも「つまらない写真」があるように思います。...
こらからもエモイ写真って流行っていくのでしょうね。私「あのう、私の写真、見てくれませんか?」行きずりの人「あっ、どんな写真を撮っているんですか?」私「説明しにくいのですが、あえて言えば絶〇写真です」行きずりの人「ほおーっ、では見せてくれますか」私「はい、お願いします」行きずりの人「どれ?どれ?ぎゃあっ!な、何ですか、この写真!」私「絶叫写真ですが・・・。まだ、たくさんありますよ」行きずりの人「えっ...
もう何十年も前のことです。ある人の写真展を見に行きました。「こ、こんなにきれいなプリント、どうしたら出来るねん!」。その人のモノクロプリントの作品を見た時、自分には、こんな綺麗なプリントは作れないと思いました。ショックは受けたのですが、もっと違った写真の楽しみ方を探すことにしました。まあ、正直言うとそのころには写真は絵画とは違うし工芸品でもないので、作品を目指さなくてもいいと思い始めてもいたのでい...
見たものを撮ればいいと写真を楽しんでいる人と映え狙いで写真を楽しんでいる人とカメラ沼に入って写真を楽しんでいる人と。一見、共通点がないみたいですが・・・。でも、あるのではと思ったりするのです。興味の中心、関心の中心にあるのは自分、つまり「私」なのではないでしょうか。写真は目的ではなくて手段なのです。「見たものを撮る」のは「私の好き」を見つけるため。「映えを狙う」のは「私の輝き」をみんなに受け入れて...
SNSやカメラ雑誌などを見ているとストリートスナップ=人を撮るものと思われているようですね。ファッション・ポートレート撮影などにもストリートスナップという言葉が使われています。街なかで撮影しているからでしょうか。ただ、私は必ず人が写っていないとストリートスナップではないとは思っていないません。人が写っていなくてもストリートスナップはあるんですね。ただ、落ちているゴミを撮ったり、壊れて捨てられたビニー...
テレビにしろネットにしろ情報のカタマリです。言葉など音も情報ですが視覚からの情報にはかないません。見れば見るほどいろんなことを知った気になります。でもこの視覚、網の目のように情報は駄々洩れではないでしょうか。いっぱい、こぼれ落ちて行っているんですね。でも、本人はしっかりみたつもりでいます。そんなふうにして情報をたくさん食べれば食べるほど未消化の情報によって人間は痩せてゆくような気がします。...
写真はコミュニケーションの手段だとよく言われます。また表現の手段とも言われます。そのコミュニケーションは相手が中心です。相手に正確に伝わらないのではコミュニケーションする意味がありません。アレを写したので見せたのに、相手がアレ?では困ります。 いっぽう表現は自分が中心です。自分の中にないものは外へ、つまり表へ現わせません。アレを写真に託して相手に見てもらいます。自分の中のモノが相手にとっても良き...
布施に用事があったので河内小阪で降りて永和へと向かいながら撮影しました。小阪はちょっと思い出の場所です。でもずいぶん変わりましたね。駅前の本屋さんが無くなっていたのですが吊り看板が残っていました。時間は記憶を裁断して葬り去るためにあるのだと思いました。ノスタルジーという甘美な響きとは裏腹に・・・。...
写真はたくさん撮ればいいというものではないのですがたくさん撮らなければ始まらないところもあります。「写真は質より量」と言われ、私もそう思っていましたが最近はどっちでもいい、どっちでもないと思うようになりました。たくさん撮っても腹いっぱいにならない時もあれば、これでもう十分の時もあります。「腹八分目」といっても個人差がありますよね。健康ばかり気にするのは不健康ではないでしょうか。時には「写真は質より...
最近、「ストリートスナップ」という言葉をよく目にします。でも私が思っているのとだいぶ違うようです。ストリートというより、街なかで人物を撮ったのが「ストリートスナップ」と言っているんですね。個人的には「スナップポートレート」だと思うのですがまあクリスマスも近いし、めちゃ寒いし、どうでもいいような気もします。...
光の三原色と色の三原色は違いますよね。でも写真では色と光を混同してます。光は一時的ですが色は持続性があります。デジタルは光ですからやや無責任です。紙は色なので光よりは信頼できるのです。...
写真の投稿だけです。...
上から目線ということばがありますよね。写真も撮影という行為はどうしても一方的になります。相手が何であれこちらからの視線は向こうへと向かうからです。それを上から目線だと決めつけるわけではないのですがその可能性がゼロではないこともあり得るのではないでしょうか。物理的な位置ではなく、まなざしの方向なんですね。まあ、普段の撮影でそんなことを考える必要はないと思います。自分も楽しい、相手も楽しい、それがいち...
デジカメが幅を利かせ出したころるデジタル画像ののっぺりさが気になっていました。やがてデジタル画像の空々しさが気になってきました。でも今はどちらかつてほど意識しなくなりました。どうやら慣れは人を麻痺させるようです。...
写真はおそらく被写体を超えることはできないと思っています。被写体の姿を借りて別の何かに変えること、それが被写体へのお礼のような気がします。何かを生み出せればいいのですかそれは簡単ではない気がしています。...
写真は記憶というものを強力に意識させるメディアだと思います。人間は、単純に言えば記憶でできていると思うのですが自分が撮った写真と、撮った時の記憶にズレが生じることは誰でも経験しているのではないでしょうか。それは、自分が記憶していることは必ずしも正確ではないことを意味します。つまりそんなあやふやなことを土台にして毎日を送っているんですね。...
前にも書いたので同じことの繰り返しになりますが写真を撮るということは程度の差はあれ、人を傍観者にさせるところがあると思うのです。自分と直接に関わっていないのに関わっているような気にさせる、自分が傍観者になっているかもしれないことを考えなくさせる、カメラにはそんなところがあるということですね。綺麗な風景の中にいるのに、スマホを含めたカメラで写真を撮ることに夢中になってしまうのは、実際には景色に触れて...
写真の場合、綺麗と美しいが曖昧に混同されている気がします。綺麗だけれど美しくない・・・そんなことがあるのではないでしょうか。写真は視覚の表現なので見た目に影響されやすいのです。そのため、美しさが遠慮がちに目立たなくなってしまう気がします。レタッチは綺麗さをさらに強調しがちで美しさがぼやけてゆくように感じるのはフィルム時代の目で見てしまうからでしょうか。いずれにせよ写真にとって「美」とは何かよーわか...
「それ」を写真を撮るだけでは 「それ」を見たことにはならないと思います。むしろ撮ったことで「それ」を見た気になるのがマズいのではないかと思います。「それ」を見たいのなら直に「それ」を見たほうがいい気がします。写真に撮るのは「それ」を「それ」以外の何かに変えたいからではないでしょうか。 そのことは「それ」にとっていいことなのかどうか「それ」から聞けることは稀だと思います。...
テレビのドラマで事故や事件が起こったら歩いていた人たちがいっせいにスマホを向けてバシャバシャ撮り出すシーンがよくありますよね。人がケガして倒れているのですが・・・私もそんな場面に出会ってカメラを持っていたらやっぱり写真を撮ろうとするのでは、と思っています。それは際立った例えとしても、どんな場面でもカメラは持つ人を傍観者にしてしまうところがあるのではないでしょうか。「あっしには関わりのないことで・・...
行ってきました。...
写真の投稿だけです。...
試しにですが3、あるいは4カットで写真を組んでみます。すると2、あるいは3カットまでは決まるのですが最後の1カットがなかなか決まらず迷うことがよくあるんですね。組み写真というほどでないにしても写真を数カットのまとまりで見た時、その中の1カットだけが目立つのはよくないようです。3枚の組み写真だとすると他の2カットが、それぞれの別の1カットを支えるというのでしょうかうまくバランスが取れると、見やすい写真群にな...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...