人を撮る時には適切な距離感を考えて撮りましょうというアドバイスがあるんですね。近すぎないようにということのようですが人によって違うのではないでしょうか。「適切な」という言葉自体があいまいな気がします。たいていの人はカメラを向けられると緊張するのですから数字的な距離は分からないと思います。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
写真ブログを更新したら、トラックバックしてください。 『銀塩(フイルム)、デジタル、クラシックカメラ、トイカメラ、携帯写真 、組写真、アート、ポートレート、ファッション、モノクロ、スナップ、ノンフィクション、コンテスト、写真展、写真日記、家族、スポーツ、犬、猫、兎、馬、鳥、虫、ペット、動物、家畜、四季、星、月、空、雲、水、海、山、花、山野草、自然、車、オートバイ、自転車、鉄道、飛行機、船、重機、電線、建築、ビル、神社仏閣、工場、廃墟、街、下町、夜景、朝・夕焼け、Cooking、食べ物、グルメ、ブライダル、和洋、俳句、詩、五行詩、イベント、お祭り、歳時記、下町、地域、散歩、旅、...etc。』 Photo Blogで仲間になりましょう♪
テーマ投稿数 72件
参加メンバー 0人
何気ない日常...でもそれは「今」しかない大事な瞬間。「わたしがいる場所」を確認する写真日記です。 みなさんの写真ブログを通じて、幸せを、そして生きている喜びを共有しませんか?
テーマ投稿数 66件
参加メンバー 0人
せっかくの人生、楽しいだけじゃなく やっぱり喜怒哀楽があって 刺激があるんじゃないかなぁ〜って思います。 日々の暮らし方、充実した休日の過ごし方、熱中していることなど色々感じたこと、思ったこと、様々な「喜怒哀楽人生」を提供していきましょう!!!
テーマ投稿数 68件
参加メンバー 0人
ジャンル不問!!しゃった〜ちゃんすを見逃すな!! 写真ブログ大歓迎♪ TBじゃんじゃん受け付けます♪
テーマ投稿数 80件
参加メンバー 0人
デジタル一眼レフカメラ に関することなら、どんなことでもOKですので お気軽にトラックバックやコメントしてください。
テーマ投稿数 80件
参加メンバー 0人
カメラの知識や腕なんて... ただただ、好きなものや景色を思い出に。 カメラ在る生活って楽しい!! そんな記事をお待ちしています。
テーマ投稿数 64件
参加メンバー 0人
技術とかそーゆのじゃなくてさ ただ写真が好きなんだよ だから撮る それだけじゃん 写真って だから いいんだよ 上手いとか下手なんてないんだ。。
テーマ投稿数 72件
参加メンバー 0人
デジタルカメラで撮影されている方、気軽にトラバって下さい☆⌒∇⌒)ツ
テーマ投稿数 71件
参加メンバー 0人
「ブログリーダー」を活用して、sunposkyさんをフォローしませんか?
人を撮る時には適切な距離感を考えて撮りましょうというアドバイスがあるんですね。近すぎないようにということのようですが人によって違うのではないでしょうか。「適切な」という言葉自体があいまいな気がします。たいていの人はカメラを向けられると緊張するのですから数字的な距離は分からないと思います。...
寒いです。でもあと1週間で春です。確実に日差しの光量は増えています。今年は撮影にあまり出かけていませんがまあ、寒気の顔色をうかがいながら出かけたいと思っています。...
以前は憧れの写真家がたくさんいました。この人のような写真、撮りたいなあと目標にしました。でも、今、そのような人がいなくなってきています。まあ、自分は成れないというのが分かったこともあります。もっと早く気づけよ!です。その一方で、ガッカリすることも起こるようになりました。偉そうですが・・・。例えば、世界の森山大道です。森山さん、人気が出るにつれて「アレ?」でした。トイレの設計に参加したり、カレーのパ...
進歩というのは、実質的にはあるのだろうかと思います。良くなったところには目が行き喜んでいても必ずどこかで不都合が起こっているからです。写真もデジタルになったことを進歩と捉えることも出来ますがその反面、つまらなさも増した気がするのです。それを証明するのがフィルム人気ではないでしょうか。人は10歩進むと影は10歩下がるのだと思います。...
記憶という、あいまいで、無責任で、独りよがりのものに人は振り回されているように思えます。なぜなら記憶は感情とセットですからありのままの記憶というのはないのではないでしょうか。その記憶を裏付けるものなんてもうこの世にはないのですから事実を証明することは出来ないんですね。唯一、写真はそう思われていますが写っているのはカメラの前にあった一瞬の平面画像です。撮った本人は記憶を再現してみることは出来るのです...
いろいろ定義があるのですが「スナップ写真」とは「切羽詰まり写真」だと思っています。どこをボカすとか、どこにピントを合わせるか、構図は?とかアレコレ考える余裕がなく撮るのが「スナップ写真」です。実際は何かを考えているのですが感覚的には、サッサと撮ることだと思っています。...
写真の投稿だけです。...
言うまでもないことですが写真は視覚の表現です。今は視覚が過度に目立つようになりました。音楽にしろ、グルメにしろ視覚も重視されています。それでも、人間は五感の生き物であり視覚を支えているのは触覚だということを忘れたくないと思います。...
写真でポイントになるのは写らなかったコトやモノなんですね。正確には写せなかったコトやモノです。写ったコトやモノはそれほど取り上げることではないのかもしれません。あくまで写真というイメージなのですから。あくまで写真上の演出なのですから。...
写真で1カット、1カット、すべてが傑作でなくてもいいと思っています。サビばかり続く曲って、疲れますよね。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
不便さの中にも豊かさがあります。便利さの中にも貧しさがあります。写真を取り巻く諸々がそのことをよく分からせてくれていると思います。...
写真の面白いところは見せようとすると、相手には見えにくくなってしまい見せまいとすると相手に見透かされてしまうところです。伝えたいと工夫し過ぎると伝える内容よりも、ウケたいという本心が見え見えになってしまうように思います。「秘すれば花」とカッコつけてもその花は枯れていたり、造花だったりということはないでしょうか。...
エモさとノスタルジーは、よくいっしょに語られます。ノスタルジーは過去に結びつけられもう今の日常の中では取り戻せないという希少感がココロを揺さぶらせるのです。過去には時間という重みがあり進行形の今、現在は薄っぺらく感じさせます。デジタルがいくら威張ってもフィルムの持つ歴史の重さには叶いません。デジタルはどれだけ豪勢でも軽すぎるのです。...
「一を聞いて十を知る」という言葉があります。察しがいい人に対して使ったりしますよね。ところで写真です。一枚の写真から十を知ることは出来るのでしょうか。よく写真はストーリーだと言われるのは見た人が自分の見たいようにその人なりの九を加えて見ているのだと思います。一枚の写真にストーリーを読み取ろうとするのはほとんど無理だと考えたほうが写真は面白くなる気がします。ストーリーは動画のほうが合っているのではな...
写真にとってもタイトルは大切だと思っています。言葉の使い方ですね。ネットのニュースなどにもタイトルが付きますがけっこうオーバーな気がすることがよくあります。目立たないとダメなのはよく分かるのですが、写真にもオーバーなのがあるのでしょうか。...
無邪気な子供が撮ったから受け狙いの下心なしに撮ったからつまり邪心がない人が撮ったなら「いい写真」になるのでしょうか。そんなことはないと思います。「じゃしん」から濁りを取ったら「しゃしん」になるという駄洒落では「写真」は寒がるだけではないでしょうか。...
写真の世界はどんどん息苦しくなって行くと思います。写真の世界はどんどん落ち着かなくなって行くと思います。写真の世界はどんどん窮屈になって行くと思います。それから・・・写真の世界はどんどん清潔過ぎるになって行くと思います。写真の世界はどんどん乾燥して行くと思います。そして・・・写真の世界はどんどん静けさが充満して行くと思います。やがて・・・写真の世界はどんどん「人間」がいなくなって行くと思います。シ...
デジタル技術は人を落ち着きのない生き物にした気がします。写真も撮影したらスグに確認したくなりますよね。そして気にいらないとアッサリ削除するのです。フィルム時代は現像の仕上がりを短くても4,50分は待つ余裕があったのですが。調べたいことも、AIに尋ねたらすぐに的確と思える答えが返ってきます。頼りない人に聞いたら「え、えっと~。」なんて時間が無駄に過ぎていきますから。写真も感想を言ってくれるんですね。そば...
言葉は「それ」の代わりをしてくれるので省エネにぴったりのアイテムです。何しろ「それ」についていちいち説明にエネルギーを使わなくても済みます。「アレ」は「アレ」なのですから。写真でも「上手くなりたい」と言えば「分かりました」と言ってその方法をいろいろ教えてもらえますよね。でも「上手くなる」って何なのでしょう?バエる写真が撮れるようになることいいね!がたくさん付くようになることフォトコンテストに入選す...
「写真する」=「カメラを持って撮影する」ではないと思っていますカメラを持っていなくても、「写真する」ことはできるのです。「写真を撮る人」=「写真家」ではない時代なのですから。...
デジカメになって、さらにスマホカメラになってモニターを見て写真を撮るほうが圧倒的に多くなってきました。でも、個人的にはファインダーを見て撮るほうが写真を撮っている気がするので、そうしています。一時期、モニターを見て撮っていましたが被写体を視線で優しく押してる気がして頼りない感じがしました。写真はシャッターを切るという言い方があるようにもっと鋭利な感覚が伴うものだと思います。それにはファインダーを覗...
写真を撮ろうと思うならものをよく見なさいと言われます。でもよく分かっていないものは目には入らないのではないでしょうか。見たいものを優先してみている以上、ものを平等に、よく見るのは困難な気がします。...
「雨の日こそ、写真を撮ろう!」のような記事を見かけます。なるほど雨の日は、しっとりした情感のある光景になりますよね。晴れの日はコントラストのきつい、よく言えばメリハリの利いた画面、別の言い方をすれば、ちょっとキツイ画面になります。どちらがいいとかではないのですが個人的には雨の日は、めったに撮影はしませんね。カメラに雨は大敵というのがあります。傘をさしたりして対策はできるのですがそこまでして・・・と...
私の写真は横位置ばかりですが縦位置で撮るのが苦手です。縦位置はどうしても画面が上下に分割されてしまうように感じます。それと縦に長いものだから縦位置で撮るのも少しストレートすぎる気もします。縦に長いからこそ横位置で撮る・・・そういう発想の写真もあっていいかなと思っています。縦位置は視線を集めやすい気がしますが逆に言うと扱いの難しい画面ではないでしょうか。...
写真を撮るということは画面を整理して撮ることとイコールではないと思っています。画面を整理するという発想は構図法を不可欠のように思わせてしまうのではないでしょうか。それが間違っているとは思いませんが写真を撮るということをフレーミング作業、つまり切り取るという感覚で見たほうがより適切ではないかと思います。なぜなら写真を撮るというのは誤解を怖れずに言うと、ある意味で暴力的なことだと思うからです。繋がった...
見てあっさり分かってしまうと物足りないです。見てまったく分からないとイラ立ちます。写真の話ですが中間の落としどころが悩ましいです。...
私自身も以前はよく言っていたことなのですが今、違和感を感じるようになったことがあります。「下手だけどいい写真を撮れればいいんですよ」という言い方です。特に上手い人、プロの人が言うのは少し違うのではないかなと思うようになったのです。下手であることを悩んでいるのに上手いことで余裕のある人からのアドバイスとしてはふさわしくない気がします。やはり単刀直入に「こうしないと上手くなれませんよ」と教えてあげるほ...
写真を4つに分ける考え方があります。①うまくて良い②うまいけどダメ③へたでダメ④へただけど良い・・・だそうです。なるほどと思うのですが、そんなに単純でもない気もします。うまい、へたを技術的な面では言えても表現的にうまい、へたというのは微妙ですよね。まして、良い、ダメというのはさらに分かりにくいです。良い、ダメはとても主観的なのです。ほとんど好き、嫌いと言い換えてもいいようなことが写真の場合、頻繁に起こ...
写真の世界もずいぶん窮屈になってきたなと思います。写真の世界もずいぶん不自由になってきたなと思います。それはたぶん、昭和カメ爺の感覚であって時代錯誤なのでしょうね。それでも、デジタルになって多様な写真表現が可能になったと思うのですがなんだか一様な写真表現へ向かっている気もするのです。昭和カメ爺のどうでもいい独り言でした。...
行ってきました。誰かに「行ってらっしゃい」と言われた気がしたので。多分、幻聴だと思います。歳は取りたくないですね。写真は撮りたいけれど。...
ネットで見かけたコピーで気になったので書いてみます。「うまくてダメな写真・・・」???えっ?上手いことがなぜダメなの?上手いことは十分、価値があることなのに。そうではなくて「うまいけれどダメな写真・・・」のようです。結局、上手いということと、いい写真は別のモノなのに一つの文章で言うとややこしくなるんですね。上手いの反対語は下手でわかりやすいのですが、いいは良いではありません。良いの反対語は悪いなの...
...
夜、といっても夜の入り口で帰宅したので何とも言えないのですがミナミ、難波もずいぶん変わったなと思いました。昼間の撮影は時々しているのですがその時感じなかった空気みたいなものがありました。暗くなってきて照明の明るさに変わったこととは別に自分はここにいるという感じがしなかったのです。よそ者というのでしょうか、ふさわしくないというのでしょうか。まあ年齢的なことが大きいと思います。それでも、ミナミはミナミ...
写真の撮り方を説明する時に「画面がゴチャゴチャしていると伝わりにくいのでちゃんと整理して撮りましょう」と言われます。何気に聞いていると正論なのですが、最近になって「整理」というのは少し暴力的な意味合いに思えてくるようになりました。「そこ」は「そうである」訳ですから、人間側、つまり写真を撮る側が「そこ」を自分の都合で変えないほうがいいと思うのです。仮に人間側から見てゴチャゴチャしていても「そこ」が「...
私としては珍しく夕方から撮影しました。日曜のミナミの街の一部を短時間でしたがブラブラしたのです。得意のブレボケ写真を量産し自分らしさを取り戻した夕暮れ時はとてもロマンチックが止まらなかったのでした。...
カメラマンがカメラを選ぶというよりカメラがカメラマンを選ぶのではないでしょうか。カメラマンは自腹を切ってカメラを選んだつもりでも実のところ、カメラに選ばれているのだと思います。正確には試されている気がします。その機能を使いこなせるかということではなくその機能でどんな写真を撮るのだと言われているのです。そのカメラにふさわしいカメラマンになれるかどうか・・・季節の分かれ目ではないでしょうか。...
写真に関してですが綺麗と美しいを混同している気がします。「醜」という美しさもあるのですから。不快な美しさもあるのですから。写真は普通に撮れば何もかも綺麗に写すことができます。美しい写真を撮るのは難しいです。そもそも「美」というものが未だよく分かっていないのではないでしょうか。...
日常的にカメラを持ち歩いてその都度撮影するという人たちもいます。割合はよく分からないのですが当たり前になっている人はかなりいると思います。でも私は撮影する予定の時しかカメラを持って出かけません。まあ、ひとそれぞれですね。写真を撮ろうとカメラを持って寄った場所を見て気になったら撮らせてもらう・・・そのスタイル、スタイルという英語は似合わないのですが、そうするのが自分には合っているのです。...