意味があるから写真を撮るのではなく、意味はないけど写真を撮るのです。意味なんて後でいくらでも見つけて作り出せばいいのですから。人間には意味がなければ何もやる気がしない、起こらないという「意味必要病」みたいなものがあります。それから回復するには写真はピッタリの良薬です。写真を撮る意味が見つかるまで待つことはありません。時間と体力と費用があれば写真を撮りに出かけられます。写真を撮ることにはスランプはあ...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
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何気ない日常...でもそれは「今」しかない大事な瞬間。「わたしがいる場所」を確認する写真日記です。 みなさんの写真ブログを通じて、幸せを、そして生きている喜びを共有しませんか?
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せっかくの人生、楽しいだけじゃなく やっぱり喜怒哀楽があって 刺激があるんじゃないかなぁ〜って思います。 日々の暮らし方、充実した休日の過ごし方、熱中していることなど色々感じたこと、思ったこと、様々な「喜怒哀楽人生」を提供していきましょう!!!
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デジタル一眼レフカメラ に関することなら、どんなことでもOKですので お気軽にトラックバックやコメントしてください。
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カメラの知識や腕なんて... ただただ、好きなものや景色を思い出に。 カメラ在る生活って楽しい!! そんな記事をお待ちしています。
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技術とかそーゆのじゃなくてさ ただ写真が好きなんだよ だから撮る それだけじゃん 写真って だから いいんだよ 上手いとか下手なんてないんだ。。
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デジタルカメラで撮影されている方、気軽にトラバって下さい☆⌒∇⌒)ツ
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意味があるから写真を撮るのではなく、意味はないけど写真を撮るのです。意味なんて後でいくらでも見つけて作り出せばいいのですから。人間には意味がなければ何もやる気がしない、起こらないという「意味必要病」みたいなものがあります。それから回復するには写真はピッタリの良薬です。写真を撮る意味が見つかるまで待つことはありません。時間と体力と費用があれば写真を撮りに出かけられます。写真を撮ることにはスランプはあ...
「ディスる」という言葉を目にした時、「えっ、いったい何のこと?」と思いました。みんな、外来語が好きなんですね。そして今、ディスることをディスっていたりします。「自分の好きなカメラのことを書くことをディスるなんて最低!」などと言ったりしてディスっているのではないでしょうか。ディス イズ ア ペン・・・ア ハッハで済ませてもいいような気もしますが・・・。「なに、しょうむないこと言ってんねん!」思わず自分で...
ほぼ1年ぶりの奈良公園です。ここに限らず公園でのスナップ撮影は街なかとは違った難しさがあります。空や地面を画面にどう入れるか悩むのです。空を入れすぎると情緒的になるし地面に影を入れるときつい感じになってしまうからです。あと草や木の扱いも気になります。画面に占める緑の部分をどうするかなんですね。まあ、実際は適当に撮っています。適当というか、「それほど悩んで撮っていないよな」というのがホントのところの...
昨日はまあまあの気温でしたが一気に寒くなりました。11月も半ば過ぎだから遅いくらいですね。昨日もテレビでやっていましたが日本は四季から二季になってしまうのでしょうか。ところで夏と冬ではどちらがたくさん趣味としての、作品としての写真が撮られるのでしょうか。...
人間は記憶で出来ていると言います。すなわち、「私」とは「記憶」なんですね。記憶を無くすことは私でなくなることの恐怖です。以前と比べるとミナミに来る回数が少し増えたのですが来るたびに、前回にいったい何を見ていたのかということがよくあるんですね。「アレ?こんなの、あった?」結局、「私はここを見た」気になっていただけなのです。断片の記憶、不確かな記憶、記憶と呼べない記憶・・・。写真も記憶のために撮ると言...
「カメラは何でもいい」と「カメラは何でもよくない」と言葉にすると相反することが両立するのが写真の面白いところだと思います。もちろん、どちらにも前提条件があります。作品の評価については「カメラは何でもいい」と言えます。カメラの価格と作品の価値は別なのですから。最初のカメラ選びは限定しないで「カメラは何でもいい」だと思います。懐事情の許容範囲で自分のお気に入りを決めるのが写真の楽しみですから。そして、...
SNSを見ていると「写真を観る」と書かれていたりすることがあります。「見る」は漠然と視線を向けることも含みますが「観る」はかなり意識的な視線になると思います。それで写真の場合ですが、最初は「見る」で「おっ!」と思うところから「観る」が始まるのだと思います。それでふつうは「写真を見る」でいいと思います。「観」は漢字を書く時に画数が多くなり間違えそうですし。...
ある意味、あらゆるジャンルで写真は撮りつくされたのではないでしょうか。勉強不足で断言はできませんが、見たこともない写真はもうどこにもないではないでしょうか。新しい写真表現が模索され発表されていますが、一般的な写真表現に関してはそう思うのです。風景、ポートレート、スナップ、花、ペット・・・。もしそうだとすると、どこかで見たことのある写真、誰かが撮っていたような写真でもいいのではないかなと思えて来ます...
行ってきました。「人が多そうだし・・・」ということで今年はまだ行っていませんでした。暖かい予報だったので「1回くらいは撮影したいし」と出かけたのでした。...
昔は、と言うとカメ爺丸出しの言い方になりますが、まあ、個人的にははるかかなたなので、こう言いますね。写真の本と言うと「○○の撮り方」とか「写真撮影入門」のようなタイトル、内容の本が多かったです。でも今は、そのような本もあるみたいですが、ネットを見ていると写真に対する姿勢、考え方を含めて生き方論みたいな内容の本も(のほうが?)人気のようです。「あなたらしい撮り方をするために」「カメラは私を写している...
単写真、あるいは組写真のタイトルも考えてベテランの人、プロの人、写真に詳しい人などに自分から感想を聞くとします。仮にですがその時、その人が「つまらない」というようなことを言ったらそれは失礼なことなのでしょうか。そんなことはないと思います。その人は正直に気分が感じたことを言ってくれたかもしれないからです。感想というのは聞かれた時に言うのが原則です。プロの写真家に対して写真評論家の人たちが言うのは別に...
歳を取るということはいろんなことが分かってくることだと思っていました。写真も長くやっていると少しずつでも分かってくるようになると思っていました。どちらもそうでないことだけが分かってきたことのようです。...
写真は時間、つまり瞬間をとても意識する表現手段であることは言うまでもないですよね。そのため「瞬間」の質、内容みたいなものにこだわります。普通の物事やありきたりの出来事は面白くないと思われやすいのです。誰もがそう考えるのは自然なことだと思います。それでも、何か「特別なこと」が起こったから撮る写真もいいのですが、何も「特別なこと」が起こっていない・・・ごくごく普通のこと、ありきたりのことを撮る写真・・...
世の中には2つの残酷なものがあると思います。空間的には、それは「世間」と呼ばれています。嫌われないように、気に入ってもらえるように「世間様」と呼んだりするのです。時間的には、それは「時代」と呼ばれています。古びて合わなくなってくると、用済みとなっていつの間にか捨てられるのです。「世間」は大切かもしれないものは何も見ていなくて「時代」は必要かもしれない何かを残そうとしないからです。写真はそのことの証...
「絵になるもの」を撮って作品にするではなく「絵にならないもの」を撮って写真にするのが写真家だと思います。...
撮影してきました。...
「難波八阪神社」です。これまで難波八「坂」神社と書いていましたが正しくは難波八「阪」神社でした。間違っていてすみません。ネットで名前を確認したつもりだったのですが見ているようで見ていないんですね。私の場合は、ただの注意不足、思い込みやすいだけなのですが。...
無理やりにでも撮って写真にするのです。撮りたい気になれないからシャッターを押せないのではなく、シャッターを押したい気になればいいだけです。カメラが壊れていたり、操作をミスったりしなければ写真は写るのです。写真なんて誰でも写せるのですから。ただ、その写真が評価されるかどうかは別なんですね。そんなことを考えていては写真は撮れないですからただただシャッターを押し続けるのです。シャッターを押すのはタダなの...
「絵になるもの」を撮って、作品にするのではなくて「絵にならないもの」を撮って、写真にするのが写真家だと思います。...
同じ場所を何回も撮っているともう撮るところがないと思ってきます。撮りつくしたと。新しいうちは刺激があるのですがだんだん感じなくなってくるのです。何も感じなくなってくるとシャッターを押す気になりません。でも撮ろうとすれば撮れるんですね。指先をほんの少し動かせばシャッターを押せるのですから。写真撮影は商品開発とは違うのですから目新しさはあまり関係ないのです。器用な写真家もいますが別に不器用で同じような...
写真は「完璧」にこだわるより「中途半端」を気にしないほうがいいのではないでしょうか。「完璧」はそこで終わってしまいますが、「中途半端」には写真の可能性があるような気がします。私の「中途半端」は放っておくとして「中途半端」の中からいかにして写真の可能性みたいなものを見つけるか・・・ということですね。まあ可能性というより写真の面白さといったほうが私の場合、救われます。「可能性」という言葉にプレッシャー...
カメラ雑誌の12月号が発売されました。読んでいると軽い隔離感に襲われます。新発売などのカメラやレンズの参考価格という数字を見た時にです。もう、これらの雑誌の読者の人たちは自分とは別の写真の世界に住んでいるのだと思えてくるのでした。まあ、自分の住んでいる写真の世界がまだ滅んでいないことを願っています。その世界には人影はまばらなようですが・・・...
当たり前に写真を撮るようになりました。未来に「今」を振り返れるように。でも未来になって振り返った時取り返しのつかない過去に気づきます。ー確かにあのころが写っている。でも何かが違う・・・私でない私が写っているように感じる。そして知るのです。過去はもうどこにも存在しないことを。...
写真の投稿だけです。...
表現というのは自分が中心になると思うのですがコミュニケーションというのは相手が中心になると思います。そのため表現は相手に届かないことも受け入れる必要がありますがコミュニケーションは相手に届かないと成立しないものなんですね。写真のSNSなどを見ているとそのことが混同されている気がします。「繋がる」という言葉が使われますが表現を意識しているのかコミュニケーションを意識しているのかあいまいな気がするのです...
この撮影から2か月余り経ちました。まだ秋の入り口で、昼間には危険が待っているとテレビなどで連呼されていたので早朝に出かけたのです。「招き猫」は今も待っているのでしょうか。手は疲れないのでしょうか。秋も終わりに向かっています。「秋」という字に「火」があるのは紅葉が燃えているように見えるからでしょうか。浄蓮の滝の山がそうだったように。...
まだスッキリしないのですが投稿できるようになりました。多分大丈夫だと思います。ものすごく便利は、便利さが機嫌を悪くするとものすごく厄介ですね。写真についてもフィルムカメラは何となく仕組みが分かったのですがデジカメに関しては「どないなってんねん!」です。どないなってんねんカメラで、どないにもなっていない写真をこれからも撮れればいいなあと思っています。自分でも意味不明のことが言える、そんな普通、平穏無...
パソコン不調につき投稿休みます。...
写真の投稿だけです。...
写真は撮るモノから作るモノになりました。写真は「撮る楽しみ」から「作る楽しみ」のメディアに変質したのです。写真表現の主人公は「光」から「人」になったのです。かつて写真家は「光」に操られる人だったと思うのですが今、写真家は「光」を操る人になったのではないでしょうか。写真家は「光の魔術師」と呼ばれていましたが写真家自ら名乗るのではありませんでした。「光」に選ばれた写真家だけが自由自在に光を操ることが可...
スマホで撮るとたいていはタテ位置で撮りますよね。ほとんどの人がそうだとすると写真のタテ位置がスタンダードになりそうです。タテ位置とヨコ位置が仲よく混じったら正方形になるのでしょうか。真四角は特異な形だと思うのですが今はそうでもないみたいです。慣れ・・・ということでしょうか。...
透明過ぎても、スカッスカしていて落ち着かないし不透明過ぎても、モヤモヤしていて落ち着かない・・・どっちやねんと思います。あっ、写真の話です。...
かつては写真を撮ること自体が楽しかったと思います。カメラは魔法の箱でした。今も、そのことは続いていると思うのですがそれよりも撮った写真で何かをすることを楽しむようになったと思います。カメラは魔法の箱でなくなりました。カメラの中にいた魔法使いは追い出されカメラの中にコンピューターという超能力者が入り込んできたのです。そして今、写真は目的ではなく手段になったようです。写真は終点ではなく途中、中間地点に...
布施に用事があったのでついでに近鉄の河内小阪で降りて布施方向へ歩いて撮影してきました。撮影の終盤、コケそうになって危なかったです。「オレ、年寄りみたい、アハハハ」自分のこと、よく見えていないようでカッコ悪いです。そんなことでよく写真やっているなと思いました。よく見ることが、写真の基本なのに・・・...
光、光、光・・・写真する人は光が大好きですよね。写真は光と影とよく言われますが影は光とセットで、別のものではないと思います。光の反対は闇です。そして闇があるから光があるのであって光は一時的なモノではないでしょうか。写真はカメラという闇の中から生まれてきます。その中に一時的な光を飲み込んで出来たのが写真なのですね。...
選手に監督が「普通にプレーすればいい」と言っていたんですね。「ファインプレーは要らないのだから」とも。写真も「普通に撮ればいい」のかもしれません。でも「普通に」って何?「普通に撮って」いるとありきたり写真になって人との差別化が出来なさそうです。そうなると「ファインプレーが要るのでは?」と思ってきます。機材で?撮り方で?レタッチで?見せ方で?・・・「普通に撮ればいい」というのは普通に難しいのではない...
写真関係のSNSを見ていると使っているカメラやレンズの記事をよく見かけます。それだけ機材にこだわっているのが伝わってきますよね。写真はカメラやレンズがないと撮れないのですから不満を感じない、出来るだけ自分のお気に入りの機材で撮りたいです。ところが写真を見てくれる人は、写真撮影に興味のある人は別にしてほとんどの人はその写真に写っている被写体のほうに関心が向かいます。どんなカメラで撮ったかは、ほぼ気にし...
ふと、ですが「オレ、もっと前のほうがいい写真撮れていたのと違う?」などと、思ったりすることがあるんですよね。もちろん、錯覚のコンコンチキで今も昔も変わらないチョメチョメ写真ばかり撮っているのです。奥深い写真などは撮れるわけではないし、そういう写真を目指しているのでもないので別に成長、進歩もしなくてもいいとも思っています。ただ、「前はもっと」と思うようになるのは少しずつ、写真に興味が無くなっているこ...
写真というのは何らかの被写体を写したものですよね。その被写体は何であれ、たいていはみんなが見たことのあるものです。大阪城公園は一つですから、そこで撮った写真は誰が撮っても大阪城公園の写真になります。当たり前のことを言っているみたいですがレンズを変えたり、構図を変えたり、レタッチを凝ったりして他の人との差別化を試みるしかないのです。それでも「どこかで見たことのある写真」からは免れないのではないでしょ...
レタッチ即作品化ではないと思っています。写真の見映えはよくなると思うのですが見映えがよくなったためにその写真のよさみたいなものを失わせる・・・そういうこともあるのではないでしょうか。それとレタッチで写真を100%コントロールできると思わせるところがあるのですがそれも錯覚ではないでしょうか。レタッチ以前のこととして、なぜその写真なのかということが大切だと思います。...