chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
伝えたんく https://blog.goo.ne.jp/yukitank

何気ない日常に幸せを感じ、のんびりと歩いていたら、人生の折り返し地点を過ぎてしまったおじさんです。

ゆきたんく
フォロー
住所
千葉県
出身
東京都
ブログ村参加

2008/10/29

arrow_drop_down
  • 米が良い。

    今日はおやつが出た。うん、シンプルなかき餅である。何も足さない、何も引かない・・・一つ口にする。旨い。うん、気が付いた。米自体か旨いんだ。同僚が、このかき餅を売っている店を教えてくれた。なんとゆきたんくの家から、車で7分だ。近いうちに買いに行く。感動の味である。あ、血圧に気を付けねば。米が良い。

  • 旨い。

    うん、ハズレなしだな。そうセブン弁当だ。お値段もいいが、味も良い。鶏南蛮は、肉の味も良いが、衣も旨い。ご飯に乗っているチャーシューは口の中でとろける。今日は量は抑えめにしたが、これで随分と満足した。午後の仕事も頑張れるというものである。旨い。

  • ふと

    部屋の片づけをしていた。14年前の手帳が出てきた。というよりも、取ってあった。中を覗いた。細かい字で何かたくさん書いてある。うん、見えない。また眼鏡を作り直そうか。かつての仕事の友。ふと

  • うん、いいねぇ。

    あと何回見れるのかな。今朝は女房を職場に送り届けてから、自分の職場に行った。女房の職場は、松戸工兵学校跡(松戸中央公園)の近くである。うん、咲いている。綺麗な桃色である。この季節は、桜が周囲を明るくする。松戸中央公園となりの、聖徳大学の敷地に咲いている桜。近くで写真を撮りたかったが、職場に行かなくてはならないので車の窓から撮った。昔、ばあさんが「あと何回見れるかね。」と桜を見て言っていたことを思い出したが、それが分かる歳になったようだ。ゆきたんくの親父に置き換えると、ゆきたんくはあと5回しか見れないことになる。できるだけ健康に気を付けて生活することを心がけたい。うん、いいねぇ。

  • 独りぼっち。

    義理の母が飼っていた金魚が死んだ。昨年の11月から3か月間ゆきたんくの家にいた。現在は義兄のところにいる。本人の気持ちで行ったり来たりすることにしている。その時に家に置いて行った金魚の世話は女房がしていた。ちゃんと面倒をみていたのを知っている。3匹のうち2匹の具合がおかしいと言い出した。ゆきたんくも見たが、確かに弱っている。その理由は分からなかった。独りぼっちになってしまった。とにかく、毎日話しかけるようにしている。自分だったら耐えられないからだ。独りぼっち。

  • 今日はお勉強の日。うん、当然車で移動である。東京方面へ迎う。国道6号を南下する。そして世界一の高さの自立鉄塔「東京スカイツリー」とご対面。展望台もゲイン塔も見えない。雲の高さは300mぐらいだろうか。随分と低い所まで垂れこめているのだと思った。ところで、運転は友達である。運転しながらの撮影は危険だ。無事に目的地、「下町風俗資料館」に着いた。友達に感謝である。雲

  • バランス

    今日の昼食はお弁当屋さんのお弁当だ。同僚の知っている店で、とてもおいしいという。もちろん頼んだ。量は足りるだろうか、味は自分好みだろうか。なんてことを考えていても、仕事が始まれば忘れてしまう。昼になって、弁当のことを思い出す。酢豚に五穀米、ポテトサラダ、、、量は普通かな。ご飯は噛めば噛むほどうまい。柔らかめだが、これはゆきたんく好み。酢豚はほどよい酸味で食欲を増す。肉の上がり具合、餡の絡み具合も良し。この器の中身がお互いょ引き立てている。また食べたくなる弁当だった。バランス

  • 鹿屋地下壕第一電信室…鹿児島市・鹿屋

    ゆきたんくの戦争遺跡巡り。鹿児島県鹿屋市。特攻隊の飛び立ったところの一つである。ここに「鹿屋地下壕第一電信室」という施設がある。映画「永遠のゼロ」を見て初めて知ったが、特攻隊の仕事の完了を見届ける飛行機がある。「直掩機」というものだが、戦争末期はそれも飛ばせることのできない状況になった。搭乗員は特攻突入の際、モールス信号の無線キーを押したまま突入した。「ツー」という音が途切れたところで特攻任務の完了を知らせるのだ。それを受信していた場所が地下壕電信室なのである。この部屋で受信が行われていた。2019.12.26→Map地下壕入口戦時中の仕事とはいえ。仲間が亡くなる瞬間を聞かなければならなかったのはつらかったと思う。そしてその多くは、特攻の成功を知らせるものではなかったのだ。先人のご冥福をお祈りする。鹿屋地下壕第一電信室…鹿児島市・鹿屋

  • 今日は洋風。

    今日もお弁当。前回は和風だったので、今日は洋風で。主は一品にする。糖質たっぷり、大盛りバスタにした。がっつり行く。ソーセージにもかぶりつきたい。サラダもヨーグルトもいただく。ペペロンチーノなので、ガーリックがきいているが今日は大丈夫。ピリカラ唐辛子も嬉しい。量もあるが一般ので味わう。よく噛む。お腹にも良い。ゆきたんくにとっては腹八分目である。その後の仕事も快調だった。今日は洋風。

  • お彼岸。

    きょうも奥方は仕事である。良く頑張るよね。職場近くまで送り届ける。旧陸軍松戸工兵学校歩哨哨舎の前を通るのりたん。さよならをしてから両親の元に向かう。ゆきたんくの自宅から車で5分ほどの所にいる。この週が忙しかったのでマミーマートの花でごめん。掃除して、花をあげる。親父の好きだったエビスとおふくろの好きだったコーヒーを供える。線香に火を付けて手を合わせる。孝行したい時に親はなし。それを実践してしまったゆきたんく。これしかできないのも空しい。ところで、墓についた時の自動車メーターの走行距離はうん、99999km。自宅に戻るまでに10万は超える。墓参りをすませ、車を走らせる。墓近くの道は田舎道で狭いが、車もあまり走ってはいない。周りを見てから車を停める。記念撮影である。100000kmに達した。こうなるとタイミン...お彼岸。

  • これはいい。

    今日はお弁当。食欲があって食べ過ぎているから、1つ味わおうと選ぶ。食い散らかさないということは、頭を使うものだと思った。食べるのに時間がかからない。さっぱりとしたやつ。麺類もご飯も食べたい。その結論がこれ。欲張らないで、一品を選ぶといい仕事してることに気づく。これはいい。

  • お礼は自分の楽しみに・・・

    今日は若者に仕事を手伝ってもらった。いやぁ、だんだん手に負えなくなってくることが増えてくる。新しいことはだめ、今までできたことができなくなる。このダブルパンチは効く。江戸川をまたいで、埼玉の三郷市に行く。そう、その若者の近くのネットカフェに行く。Wi-Fiが飛んでいるからだ。仕事の内容には触れない。疲れるからね。そして、お礼と称して自分も楽しむ。天丼である。→Map一番具のたくさん入っているやつにした。うん、旨いね。食レポが下手なゆきたんくである。食べに行っていただけると良いな。で、この店舗はある意味リベンジだったのである。天丼やさんの前は、東京ドミグラスというハヤシライスやさんだった。今日、天丼をほおばっている若者と行こうと言っていたところである。それが短期間で姿を消してしまったのだ。なくとなく喪失感。...お礼は自分の楽しみに・・・

  • あまり知らなかった。

    うん、「たけくらべ」は知っている。内容でなくて、名前だけ。そう、五千円札の「樋口一葉」さんだ。友人に誘われ、記念館に行く。そんなものあったんだ。それも、台東区に。台東区立「樋口一葉記念館」→Map今までの旅では、子規とか、坂の上の雲記念館とか遠い所が多かった。樋口一葉さんも、そういう地方の方だとばかり思っていた。いかに本を読んでいないかが、悔やまれる。外は雨模様だったが、この記念館は60年以上の歴史があって、今建っているのは、改築したものだという。ゆきたんくと同じ東京都民だった樋口一葉さん。結核で24歳の短い生涯を閉じられたことは誠に残念な方だと今回の見学で思った。時間のある時に本を読んでみたり、かかわる場所を訪れたりしてみたい。記念館の近くにあった旧居跡。→Map私宅の真ん前になるので6mずらしてある。あまり知らなかった。

  • いやぁ、歩いた。

    今日も歩いたなぁ。と思っていた。だけど昨日の20000歩は越えないだろう。そう思っていた。夕刻、自分の関に着いたら、どっと体が重くなってきた。歩数計を見ると、記録更新である。まぁ、忙しいことは良いことだ。あすも頑張る。いやぁ、歩いた。

  • 大台!

    いやっ、忙しいとは思っていた。時期だからね。ただね、こんなのは初めて。今までの採光が17000歩台だったね。仕事から帰ってきて歩数計を見た。うん、これだ。ぴったり。初めての20000越えが20000ぴったりだった。いやぁ、よく歩いたな。4年前は松葉づえついていたからね。うん、嬉しいな。大台!

  • 疲れているかな。

    今日は疲れ気味。というよりも睡眠不足。昨晩丑三つ時まで仕事を頑張り、その後はお化けと遊ぼうという勢いだった。今日の仕事は終わったが、体がだるいこと。今日の退勤時に、机の引き出しをしめようとしたら閉まらない。力を入れても中途半端。うん、見ないでやっていたんだね。改めて見るとこの通り。メモの置き場所が違う。名札が縦になって引き出しに収まっていない。こんなことは初めてである。少しのことが面倒になっているのね。帰ったらすぐ休もうかな。疲れているかな。

  • いいよぉ!

    うん、いいよ。今ははまっている歌手ね。シンガーソング・ライターではなくて、シンガーソング・ハイカーを名乗っていらっしゃる。歌って登れる加賀谷はつみさんの曲が良い。ナイスラン、いいね!そう、ファーストアルバムはその名も「シンガーソングハイカー」である。もちろん、ゆきたんくは持っている。まずはナイスランを聞いていただきたい。→NICERUNいいよぉ!

  • 遊び心

    うん、遊び心は大切だね。今日の昼食はクリームシチューだった。彩に欠かせないのは、だいだい色のニンジンである。クリームの白に映える。ここにね、千葉県が入っていたのだ。チーバ君だね。少し御見苦しいが・・・これだけで、楽しくなっちゃうよな。もちろん、誰にでも入っているのではなくて、一部署に一枚限りだ。当たったんだね。遊び心

  • うん、今日も。

    先日、若者たちと千菓進で食べて語らった。うん、今日もである。若者のエキスをいただいて、元気になろうというのである。というよりも、以前同じ職場にいらっしゃった方なので旧交を温めるというか・・・流山にある茶豆蘭(ちゃずらん)というレスランで会った。断っておくが男性である。ランチのようなセットがあったので頼んだ。豚生姜焼きとソーセージのセットだ。最初はスープから始まる。こなのは久しぶりで新鮮だった。旨いスープだった。トマトベースかな・・・→Map話が弾み、たくさんのエキスを搾り取ったところでお時間が・・・若者の成長を見るのは、実に楽しい。そしてこの若者は、ゆきたんくにiPadの使い方を詳しく教えてくれた方だ。今日もGoodnoteについて新しい技を教わった。有難いことである。うん、今日も。

  • 忘れてはいけない・・・

    そう、もう12年にもなる。東日本大震災が起こった年だ。そして今日がその日である。けっして風化させてはいけないできごとである。この日が来るとゆきたんが思い出すこと。一つは、職場の備品がすごい音を立てていたこと。職場の中にいた人たちを避難させたこと。その避難場所から、建物のガラスが風を受けた水面のように震えていたこと。それも音を立ててだ。そして、揺れが落ち着いたころの空の色が真っ黒だったことだ。2011年3月11日、15時57分の空。多くの方の命を奪った津波の警報が出たのが14時49分。この時点でのゆきたんくは津波のことは知らなかった。職場にいた人たちを避難させていた時に、空を見た(撮影した)からだ。この30分後に3mの津波がきて、2分~5分の間に7~8mの大津波が北という。この空をゆきたんくが見ていた時には...忘れてはいけない・・・

  • 近所のラーメン屋さん。

    今日は若者と話をした。そして、二次会。ゆきたんくの家の近くのラーメン屋さん。東京とんこうラーメンの店。デフォルトのラーメンに味玉を入れた。分かっているのだけれどね、この夜10時ころのラーメンがまた旨いんだ。次の日の午前3時に旅に出発する若者と一緒だったが、その体力がうらやましい限りだ。目覚めた時には、おなかが空いているのだろうな。ゆきたんくは、もたれているかもしれない・・・近所のラーメン屋さん。

  • 川東(かわひがし)掩体壕…鹿児島県・鹿屋市

    掩体壕とは、飛行機を守るシェルターようなものである。先日紹介した旧海軍航空隊笠之原基地にある掩体壕だ。このように延滞に草が生えていると上空から見つけにくいという。→Map掩体内部である。ここには零戦が入っていたそうだ。戦争当時は多くの掩体壕があったという。現在では、この掩体壕だけが残っている。強度を得るために、アーチ型をしている。少ない資材でも、考えて作られたのだという。川東(かわひがし)掩体壕…鹿児島県・鹿屋市

  • 旧海軍航空隊笠野原基地地下道入口…鹿児島・鹿屋

    鹿児島県鹿屋には海軍の航空隊があった。そこに行けば何かある。戦争遺跡の情報に載っていないことも取材できる。そう思い訪れた現地。写真で見たものの他には、見つけることができなかった。それほど見事に残っていなかった。広大な畑の角地に寂しく残る戦争遺跡。それが旧海軍航空隊笠之原基地地下道入口だ。かつての飛行場に残る痕跡2019.12.26→Map遺構側面に取り付けられている説明版この笠之原海軍航空基地は、太平洋戦争末期に連合軍の集中爆撃で全壊した。地下道の入口であるとともに、地下通路指令室だったところだ。旧海軍航空隊笠野原基地地下道入口…鹿児島・鹿屋

  • 感謝。

    理由あって日はずれているけれど、のりたんの誕生日我が家では、誕生日ケーキを頼んでもろうそくはつけない。今まで家族4人で誕生日を祝ってきて、たくさんたまってといるからだ。今年は、のりたんのリクエストでケーキアイス。そこに好みの本数のろうそくを立てる(笑)一つのケーキとのりたんの作ったご飯と。何も特別なことはしない。ご飯を食べて、ケーキを食べて、家族とお話して。かつては、そういう日が毎日(ケーキは毎日はない。)であった。何も特別なことはしないが、今では特別な日になっている。歳を取ると気づくんだな。家族に感謝。感謝。

  • 好きだなぁ。

    これ。この柔らかさ。好きだな。ゆきたんくはさだまさしのファンだ。彼の楽曲「歳時記(ダイアリィ)」の中に「そんなちひろの子どもの絵のような君の笑顔がとても好きだった」という歌詞がある。いわさきちひろとの出会いだった。結構凝り性な自分。知りたいことは何でも調べる。しかし、いわさきちひろについては調べなかった。絵を見ていれば十分だった。自分に女の子の子どもができたら「ちひろ」とつけようと思った。それは叶わなかった。好きだなぁ。

  • 二式大艇

    そう、鹿児島県は鹿屋市の旅である。土地がら戦争遺跡探訪の旅であった。まず訪れたのは市の鹿屋航空基地史料館である。鹿屋航空基地史料館→Mapの外には、所せましとたくさんの飛行機やヘリが展示してある。その中でも一大きさを誇り、デンと構えているのが「二式大艇」である。二式大艇の勇姿こんなのが空を、、、と思ったが、そこは戦争遺跡おたくのゆきたんく、ここ鹿児島までやってきたボーイングの方が大きいことに気づかないで興奮しているのである。この型の飛行機は初飛行が1941年のことだからなんと、82年前のことになる。日本でもこういう大きな飛行機を作って、洋上の敵艦隊に備えたのである。その経緯についてはここでは書かない。間近で見て感動したのだ。ただ単純に感動したのである。二式大艇

  • こういうのは、初めて・・・

    今日は八潮市立資料館に出かけた。先週訪ねた「武蔵屋」の2階にある博物館という手もあったのだが、体調と相談の上近場にした。うん、同伴者もいるので迷惑はかけられないからね。木曜日の夜は、夜中に4回足(右内転筋)が痙攣して目が覚めた。寝た気がしていなかった。そして金曜日を乗り越えて、、、かかりつけの整体師に相談したら、24時からということでほぐしてもらった。内転筋が固くなり、筋肉内で血液が鬱血(うっけつ)しているとのことだった。久しぶりに痛い思いをしたが、背術後の痛みはない。流石である。そんなことで、今日は江戸川をはさんで近場の八潮市になった。木の看板。ものものしくなく、シンプルに資料館。→Map八潮の遺構や産業のこと、浦安でもそうだったが建物そのものが資料の場合、資料館の土地の中にそれがあること。たくさんの物...こういうのは、初めて・・・

  • 小塚公園慰霊塔…鹿児島・鹿屋

    鹿児島の戦争遺跡。小塚公園に慰霊塔がある。ここ鹿屋基地から飛び立った908名の特攻隊員の御霊を祀った慰霊塔である。忠霊塔は高さ11m→Map天辺には平和の象徴の白鳩が羽を広げている。清拭の名称は「旧鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔」である。特攻基地というと知覧が有名だが、桜島を挟んだ鹿屋も多くの特攻隊員を送り出した地である。特攻という言葉を聞くだけで生々しく聞こえるのはゆきたんくだけだろうか。我々の先人が命がけで守った日本ということを学校教育で受けることがなかったからだろうか・・・事実として、自分の1/3くらいの年齢でと特攻隊員として飛び立った若者がいるたという事実をしっかりと受け止めるべきだと思っている。小塚公園慰霊塔…鹿児島・鹿屋

  • 桜島海軍基地

    鹿児島で初めてフェリーに乗った。そして桜島に渡る。桜島に着いてすぐに探索を始める。車に乗り換え、走って2分。着いたのは桜島海軍基地であった。山に壕が掘ってあるのだ。我々のような者が侵入しないように塞がれている。(フェリーターミナル側)→Map格子の穴から中を撮影する。綺麗に作られている。太平洋戦争末期、日本海軍の基地があった場所だ。壕の中には魚雷保管室や動力室があった。海軍特攻戦隊の一つ「第五特攻戦隊」の司令部で、近くには通信施設もあり、佐世保鎮守府や南九州一帯に配備された各突撃隊との連絡を行っていた。との解説があったが、自分で深くお勉強をした訳ではない。時間のある時に調べなくてはと思う。桜島海軍基地

  • ありゃ?

    今日ものりたんお迎え。場所は松戸工兵学校跡。そう、松戸市中央公園である。なんてことは何回も書いてきた。で、いつも通り写真を撮る。家に帰って写真を見る。ブレッブレたのは分かる。失敗写真というよりも、綺麗だなと思った。たまにはこういうのがあってもいいよね。ありゃ?

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、ゆきたんくさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ゆきたんくさん
ブログタイトル
伝えたんく
フォロー
伝えたんく

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用