chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • オヤジのあくび502

    繋げる、伝える4 薩摩琵琶 琵琶の音色に初めてふれたのは、40代前半、地域に琵琶を弾かれる方がいらっしゃると聞いて、学校の音楽室にお招きした時が初めてでした。その音色はずっと気持ちの中に残っていたのですが、自分から教わりに行く余裕を作り出せないでいました。59歳で正規職員を退職し非常勤講師に転じた頃、勤めていた学校の近くに板倉穣水先生という琵琶の先生がいらっしゃることを知りました。 弟子入りをなんとか認めていただき、先生がご逝去されるまでの6年間琵琶を教えていただきました。 今、日本の琵琶愛好者の数は、三味線やお箏、尺八に比べて、とても少ないのが現状です。何とか多くの人に琵琶の音色に触れていた…

  • オヤジのあくび501

    繋げる、伝える3 男声合唱 流石に女声合唱の経験はないのですが、一度だけモンテヴェルディ「アリアンナの嘆き」で男声アルト=カウンターテナーを歌ったことがあります。あとは混声や男声。音域はトップからバリトンまでで歌ってきました、ベースだけはおそらく一生できません。声が出ないのです。混声は指揮者側に回ってきたことが多いので、実際に歌い手として楽しでいるのはほとんどが男声合唱です。 男声合唱は、学生合唱団をルーツに発展してきたので、コロナ禍で学生合唱団が厳しい状況にあるのは、どうしたらいいのでしょうか? 現在はお江戸コラリアーずのセカンドテナー。ハーモニーのど真ん中にいる感覚を楽しませていただいてい…

  • オヤジのあくび500

    繋げる、伝える2 アカペラハーモニーの魅力 オーケストラや吹奏楽のハーモニーは、多くの人々を魅了します。でももっと身近にハーモニーを体験できるグループがあってもいいでしょう。それはつまりみんなで歌うことです。ところが多くの人は学校を卒業すると合唱から遠ざかってしまいます。先生から無理矢理歌わされていたのでしょうか? 仲間の付き合いに過ぎなかったのでしょうか? 仕事が忙しくてそれどころではないからでしょうか? 学校というのは教師であるボクが言うのも変ですが、矢張り少なからず権威的指示的な存在なので、合唱は音楽科のカリキュラムに位置付けられているから教え教わることになるのです。小中学生のうちは自分…

  • オヤジのあくび499

    繋げる、力まず伝える1 音楽の楽しさ いくら教員不足だからと言って、何もこんなおじさんに教わらなくてもねぇ・・。私自身もそのような思いが頭をかすめることがあるのですが、開き直れば歳をとってきたということは、それだけいろいろな音楽を見境なく聴いてきたわけです。 昭和歌謡やグループサウンズ、BEATLESから令和の音楽シーンを彩る楽曲まで。クラシック系だって、武満徹、三善晃、高田三郎、中田喜直、山本直純をリアルタイムで知っているわけです。 音楽の授業って、何を繋げて伝えればいいのか? 音楽室に貼ったのは「美しい音、楽しい音楽、探しに行こう!」という言葉。けれど何を美しく、何を楽しいと感じるか、それ…

  • オヤジのあくび498

    改めて自由とは? 自由とは、全ての個人において保障されているので、自分だけ、あるいは誰か一人の自由だけが主張されることは、即矛盾を産んでしまう。 自由を考えるということは、全ての人が自由であるためには今何ができるのか? 考えることと同義であります。 国どうしや政治であれば、ある特定の国の主張する自由、ある政治家が独占している自由とやらが他国の人々や自国の人々の自由を奪うことは許されない。その手段として戦争を起こすなどもってのほか。 安心安全健康の保障を前提に、皆が自分らしさを発揮できる社会の実現は、おそらくは永遠の目標なのだ。そして平等とか平和とか環境保護、さらにはSDGsも、未来における自由…

  • オヤジのあくび497

    とにかく人が死ぬのはダメ。 日本は素手で闘う武道がある。柔道、合気道、空手然り。剣道は竹刀も使うが、真剣がある時代から変化したのだ。相手を死に至らしめない、大怪我をさせない思想が低層を流れている気がします。 水戸黄門では「ジジイ、やっちまえ!」とかかってくる相手に、助さんと格さんが峰打ちで応じている。本気でやりあえば多くの死者や怪我人が出てしまう。これが戦国時代から学んだ知恵なのではないだろうか? 鎌倉時代には、世界最大の帝国「元」が攻めてきた。防戦一方だったかもしれないが、結果的に元軍は引き上げていった。これでよかったのではなかろうか? 日露戦争もさらに何年か続いていたらどうなっていたことか…

  • オヤジのあくび496

    ぼくが出会った合唱指揮者② 福永陽一郎=陽ちゃん先生 福永陽一郎は、人から先生と呼ばれることを露骨に嫌った。事情を知らずに「先生」と呼べば「ボクは先生していません!」の一喝を喰らってしまう。しかしながら、死後三十年以上経ち、未だにその演奏が語り継がれ、編曲が全国津々浦々で歌われている音楽家が何人いるだろうか? 大学を出て2年目。後輩のF氏から「武部さん、藤沢でカルメンやるんですけど来ませんか?」と誘われたことが、陽ちゃんとの出会いだった。藤沢市民オペラには、カルメン、蝶々夫人、ウィリアム・テル、アイーダ、椿姫、ファウスト、フィガロの結婚まで合唱参加させていただきました。また市民オペラとの出会い…

  • オヤジのあくび495

    ぼくが出会った合唱指揮者① 山根一夫先生 我が師、山根先生について書く。おそらくは日本の合唱指揮者としてパイオニア的な存在であり、合唱指揮で何とか生活していけることを身をもって証明していた方でもある。 しかし、現在山根先生について語られることが少ない。それは先生の性癖によるものかもしれないが、自称最後の弟子である私としては、やはり寂しい。 今からおよそ45年前、学生指揮者なった私は、指揮法のスキルを高めることが至上命題だった。県連講習会で「硬いね」などと言われてもどうしたらいいか? さっぱりわからなかった私は、先生がお好きなお刺身とお酒を持って、京急富岡にある先生のアパートを訪ねたのだ。 教え…

  • オヤジのあくび494

    さだまさし「やばい老人になろう」を読む まっさんの言う「やばい老人」の条件は三つ、知識が豊富、どんな痛みも共有してくれる、何かひとつスゴイものを持っている・・だそうだ。 やばい老人のトップバッターとして、身内のお祖母さんと父親のハードロッカー的な生き方が語られる。金銭感覚はともかくとして二人の人生は、とにかくスケールの大きい。 続けて「精霊流し」をつくるきっかけとなったのが、盲目の邪馬台国学者、宮崎康平さん。「長崎を舞台にした精霊流しの歌を作りなさい」と、さだに一言。なぜ、さだまさしがいわゆるフォークと呼ばれるジャンルに居続けているのか? 少しわかったような気がしました。そして「防人の詩」など…

  • オヤジのあくび493

    松井孝典/南伸坊「科学的って何だ!」を読む2 後半は教育談義になってくる。カースト制を受け入れながら暮らしているインド人にとって、ヨガや瞑想は格差を受け入れる手段であるなどと、すごいことを言っている。 教育のあり方ほど話題になりやすく、しかもそれぞれが自分の経験に照らし合わせて一家言持っているテーマはなかなかない。本書でも格好の餌食になっている感じだ。未だに教育現場にいて思うのは、マクロな国家単位の議論よりも個々に必要としているのは、どうやって目の前の子どもの成長をサポートし、さらには彼らに自由な未来を保障したらよいのか? という話なのだ。もう少し言えば、それは教え方や内容よりも、どうやって子…

  • オヤジのあくび492

    松井孝典/南伸坊「科学的って何だ!」を読む1 本の始めの方で、血液型と性格の話が出てくる。松井先生は「わかる、わからない」と「納得する、納得しない」の境目が、日本語だと「わかる、わからない」で言い表せてしまうので、曖昧になるとおっしゃる。 この本が世に出たおよそ20年前、世の中はスピリチュアルブームで、占い師や何とかカウンセラーがテレビでもっともらしいことを話してウケていた。「今の科学ではわからない」というフレーズが流行った。その現象を科学と対比させてみようというのご南伸坊さん側の試み。松井先生は言う。科学者は「わかる」と「わからない」の境目を考え続けているので「ここまではわかっていて、ここか…

  • オヤジのあくび491

    理系科目とボク 勘で「多分そうだろうな」と感じて、わかってしまう学習と、自分の言葉で説明できないと先に進みにくくなってしまう学習があるとすれば、中学校の数学にはその境目が今もある。偉そうににそんなことを書くのは正規職員退職後、バイト的に県内大手学習塾の講師をしたことがあって、中3の数学を教えて「何だ! 45年前と変わらない問題じゃん!」と思ったからです。自分なりの言葉で二次関数の変域とか変量を教えたのですが、何とか理解してくれてホッとした体験があります。 そうは言っても、ボクの躓きは中一のKT先生の「負の数×負の数がなぜ正の数なのか?」よくわからなかったことから始まっていて、因数分解の頃は、半…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、ほいほいさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ほいほいさん
ブログタイトル
ほいほいの気ままに音楽エッセイ
フォロー
ほいほいの気ままに音楽エッセイ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用